翌日は、気になっても誰も来ないようにと、ちゃんと注意をうながしてからお茶の時間に挑んだ。
なにやら屋敷の中では、青葉と面と向かって話せる真白のことを勇者と称えているそうだが、その気持ちがあるなら他の人たちもぜひとも頑張ってみてほしい。
しかし、真白のように隣でお茶を飲むなど、一発で気絶してしまうので無理!という言葉が四方から飛んでくるので、真白もあきらめた。
なにせ、そんな自分たちを不甲斐ないと落ち込んでいるのだから、真白がこれ以上責める気にもならない。
真白には、そんなひどい顔をしているようには思えないのだが、ただ鈍いだけなのかと、真白は首をかしげる。
確かに父親や友人からは『鈍い』『天然』などと言われるが、真白自身に自覚症状などないので、いつも否定していた。
けれど、こんなあからさまに反応が違うと、自分を疑ってしまう。
昨日と同じ時間、同じ場所にやって来た青葉は、真白が誘わずとも隣に座った。
それを心の中でガッツポーズをして喜ぶが、顔には出さず、いつも通りの笑顔を浮かべた。
改めてじっと青葉の顔を見てみる。
確かに顔面凶器と言えなくもない、美しすぎる顔を持っているが、やはり気絶するほどではないなと、真白は改めて感じる。
むしろ彼に耳と尻尾がなくて残念でならない。
真白にはそちらの方が重要だった。
「青葉様は耳と尻尾は出せないのですか?」
ちょうど、お茶請けの豆大福を手に持ったところだった青葉は、ぎろりと真白をにらんだ。
顔が整いすぎているせいか、強面の料理長ににらまれるよりずっと怖く感じる。
だが、真白はにらまれても平然としている。
「出せるわけがないだろう」
「ですが、狐ですよね?」
「狐ではない! 狐憑きなだけだ!」
「そうなのですか? 残念です……」
なにやら普通に会話しているなと気がつくが、真白は気にせず続ける。
「そう言えば、結婚式はどうしましょうか? 一応今は婚約者の身として滞在させていただいておりますが、いつまでも居候という立場ではおれませんし、結婚するのかしないのかはっきりしていただきたいのですが?」
追い出すのか、追い出さずこのまま結婚するのか。
この結婚は青葉の意志によって決定される。
そこに真白の意見は必要とされていない。
これは華宮に仕える分家の役目だからだ。
なんという時代錯誤な風習だろうか。
そこに関しては真白ももの申したいと思っているが、言ったところで黙殺されるのが山だろう。
それに、真白はこの青葉を悪くないと思っている。
愛せるかどうかはこれからの青葉の態度次第だが。
だからこそ、青葉の意志をきちんと明確にしてほしかった。
しかし、青葉は仏頂面で口を閉ざした。
これでは彼の意志が分からない。
少しは仲よくなったかと思っていたが、まだまだ足りないらしい。
「ふむ。とりあえず仲よくなるために、名前で呼び合うというのはどうでしょう?」
真白の急な提案に、青葉は目を点にする。
「は?」
「真白ですよ、真白。ほら言ってみてください。さあさあ」
「な、名前などどうでもいい!」
そう言ってふいっとよそを向いてしまった青葉の顔を両手で挟み、自分の方へ向ける。
青葉は非常に驚いた顔をしているが、真白は関係なさそうに不機嫌さを露わにする。
「どうでもよくなんてありませんよ。名前は親が最初に与える愛の詰まった贈り物なんですから」
すると、真白はここではないどこかを見て、柔らかく微笑む。
「私の名前が決まるまで、父と母はそれはもう悩みに悩んで、果てには離婚に発展しかねない夫婦喧嘩まで起こして、大騒ぎした末に決めたんですよ。まあ、結局父が折れたんですけど、未だに根に持って当時の話を酒のつまみに愚痴るものですから、耳にたこができてしまいました」
クスクスと笑う真白を青葉がじっと見つめていると、ふたりの目が合う。
「青葉様の名前も誰かが一生懸命考えた名前なのでしょう? 素敵ですね、『青葉』って」
すると、青葉はその美しい顔を歪ませてどこか傷ついたような顔をする。
まるでナイフでえぐられたようなそんな顔を。
鈍い真白でもさすがに気づき、おずおずと青葉の顔色をうかがう。
「あの、もしかして余計なことを申してしまったでしょうか? 父にもお前は時々ひと言余計な時があると言われるんです。そうでしたら申し訳ありません」
「……いや、そんなことはない」
「そうですか。じゃあ、呼んでください」
コロッと表情を変えて笑顔で催促する。
「なんでそこで急に『じゃあ』になるのかまったく分からん! さっきの殊勝な態度はどこへやった!」
「いいから呼んでください。真白ですよ」
呼ぶまで顔を掴む手を離さないぞと力を入れると、しぶしぶといった様子で「真白……」と、青葉は口にした。
それを聞いて真白は嬉しそうに微笑む。
「……お前は俺を真っ直ぐ見るんだな」
「人と話す時は相手の目を見ろと躾けられましたから」
「そういう意味ではない」
「じゃあ、どういう意味です?」
こてんと首をかしげると、青葉は自分の顔に触れる真白の手をそっと外しながら、沈痛な面持ちで話し始める。
「俺はこの屋敷の者たち……いや、俺と会うすべての者は、俺を嫌っている」
「え?」
思わずぽかんとした顔をしてしまう真白だ。
「だが、当然だな。俺は化け物なんだから……」
最初に顔を合わせた時に「俺は化け物ではない」と言った口で、自分のことを『化け物』だと話す。
しかも、すべての者から嫌われているとはどういうことなのか。
真白の知る限り、青葉は熱狂的なほど屋敷に住む人たちから愛されていると思う。
どこに嫌われている要素があるのだろうか。
「嫌われているなんて、青葉様の勘違いでは?」
「勘違いなどではない! 誰も彼も俺とは目を合わせないし、話しかけたらすぐに逃げていくし、果てには目を合わせただけで気絶するんだぞ!」
「あー……」
確かに青葉側から見たら、自分は嫌われてると思ってもおかしくないなと、真白は思い知る。
「俺は嫌われ、恐れられているんだ!」
「そんなことありませんよ。皆さん青葉様のことがお好きなのですよ」
「下手な慰めはいらん!」
真白も朱里や料理長たちの話を聞いていなかったら勘違いしていたかもしれないが、いかんせん、青葉ラブの家人たちの心の声を知っているだけに、盛大なすれ違いを起こしていると理解し、遠い目をした。
「やって来た婚約者もことごとく気絶するか泣き出す。俺が化け物だから恐れているんだ。こんな俺と結婚なんて嫌なのだろうさ」
少々やさぐれているのは、これまでの経験ゆえだろう。
なんだか青葉が憐れに思えてきた。
「だから追い返したのですか?」
「わざわざ嫌がる女をそばに置く趣味はない。しかし、次の七宮からの娘を追い返したら、他にまともな嫁がいなくなると年寄りどもに言われ、それならもう愛されることはあきらめるしかないと……」
「あら、もしかしてこの結婚に愛は必要ないとおっしゃったのは、私が怖がると思って、青葉様ご自身を無理に愛さなくてもいいという意味だったのですか?」
青葉はこくりと頷いた。
「どうせ俺なんかを愛する人間なんていないと思って、役目のためと義務的に俺を愛そうと無理をする必要はないと言いたかった……。俺は口下手だから上手く伝えられたかどうか分からないが……」
これは予想外だ。
まさかあの発言が真白を思っての言葉だったとは。
「私はてっきり政略結婚を嫌がって、お前のような奴を愛するなどと思うなよ!と、警告していたのだと思っておりました」
「ち、違う……。そんなつもりはない……」
真白の勘違いを聞いて少しショックを受けている青葉の様子に、真白は頬に手を当てた。
「あらあら」
青葉に抱いていた印象ががらりと変わっていくではないか。
「どうしましょう?」
「どうしましょうとはどういう意味だ? やはり俺との結婚は嫌だから帰るのか?」
青葉は急にオドオドとしだした。
「青葉様はどうしてほしいですか?」
「え、俺? お、俺は……」
目に見えて狼狽する青葉に、少し虐めすぎたかと真白は反省する。
真白は湯飲みを持ち、もう冷めてしまったお茶をひと口飲む。
そして、咲き誇る金木犀に目を向けた。
「青葉様は不器用な方なのですね」
「それは否定できない」
「青葉様はこの結婚になにを望みますか?」
「俺がなにかを言えた義理じゃない。分家の娘たちは役目のために無理やりここへやって来るのだから」
落ち込んだ声。沈んだ顔。
その姿は神のごとき天孤に選ばれた崇高な存在ではなく、ひとりの男性にしか見なかった。
「けれど、もし……。もしも、我儘が叶うなら、愛してほしい。こんな化け物でも目を見て笑いかけてほしい。手をつないで歩きたい」
嫌われていると思い込み、そのことを寂しく感じつつも人を思いやることは忘れていない。
誰よりも人を愛し、愛されることを願っている。
ああ、なぜだろうか。そんなこの人がとても愛おしく感じる。
「これが母性を刺激されたというものでしょうか?」
「ん?」
「こちらの話しですよ」
真白はふふっと小さく笑った。
そして、青葉の手を握る。
はっとした顔をする青葉の目は、動揺したように真白とつながれた手とを行き来する。
「では、まず手をつないで庭を歩いてみませんか? あなたを愛するかどうか、今はまだ分かりませんけど、私はあなたのことを好ましく思っています」
息をのむ青葉。
「青葉様はどうですか? 私ではお嫌ですか?」
微笑みかける真白に困惑した顔をする青葉だが、次の瞬間には意を決したように真白の手を握り返した。
「……正直言うと、俺にもまだ愛し愛されるという関係がよく分からないのだ。けれど、俺を真っ直ぐ見るお前が気になってしかたないんだ。だから、お前に好きになってもらえるように頑張る」
「ええ、頑張ってくださいね。私も、青葉様に好きになってもらえるように頑張ります」
真白の言葉に青葉は顔を真っ赤にする。
それがおかしくて、真白はクスクスと笑った。
「それと、私のことは真白です。お前は禁止ですからね」
「そうだったな。分かった。真白」
「はい!」
それから、金木犀の花が舞う庭を、手をつないで散歩するふたりの姿が見られるようになり、屋敷の使用人たちは涙を流してその様子を見守った。
青葉の盛大な勘違いは、真白から使用人たちに伝えられ、使用人たちは腰を抜かして驚き、その場の勢いで青葉へ押し寄せておいおいと泣き始めた。
「誤解です~」
「気絶してすみません~」
「大好きなんです!」
「青葉様ラブ!」
突然やって来た使用人たちに、青葉はタジタジ。
しかし、それ以後使用人たちはあれやこれや対策を練って、青葉に関わろうと必死になった。
どうやら青葉に勘違いされていたのがよほど堪えたらしい。
青葉も、使用人たちの愛の叫びでようやく誤解であることを知り、その顔は晴れやかなものだった。
使用人たちの間では、いかにして青葉と目を合わせるか、話をしても気絶しないかを検証し始めた。
そのやる気ときたらすさまじく、それなら最初からしていたらよかったのにと、真白をあきれさせた。
しかし、口出しすることなく、真白はのんびりとお茶を飲みながらその様子を楽しそうに眺めるのが嬉しかった。
時には使用人たちに混じって、青葉対策会議に出席したりもする。
「青葉様にサングラスをかけていただいたならいけるのではないでしょうか?」
「いや、あんな綺麗な瞳を隠すなど罪です!」
「いや、それより似合いすぎて逆に失神者増えるんでは」
「確かに」
そろって「却下!」の声があがった。
「いっそショック療法で、青葉様とにらめっこでもしてみましょうか。耐えた方にはボーナスに追加で金一封差しあげるとかしたらやる気も出るのでは?」
「おお、真白様! ナイスアイデアです。金のためならこいつらやりますよ、絶対!」
そう一番に声をあげた料理長がもっとも金に目がくらんでいるように見える。
ワイワイと楽しく会議をしていると、襖をちょっとだけ開けて青葉が姿を見せた。
「あら、青葉様」
「真白、俺も考えたのだが、サングラスをかけてみるのはどうだ? いつも来ている和服だと合わないから、スーツを着てみたんだ」
そう言って、襖を大きく開けて登場した青葉に、使用人たちは阿鼻叫喚する。
「ぎゃあぁぁぁ! 青葉様が素敵すぎる」
「サングラスとスーツのコンボ!」
「やばい! 前方の奴らが青葉様の攻撃に軒並みやられたぞ!」
「鼻血出してる子もいるわよ!」
部屋は一気に騒がしくなる。
「真白様! さっさと青葉様をどっかにやっちゃってください」
「あらあら、大変」
使用人たちも青葉との距離が近くなったせいか、青葉の扱いが雑になりつつある。
崇拝しているのは変わらないが、どこか親しさが込められていた。
「はいはい、青葉様。皆さんが大変なことになっちゃってるので退散しましょうね」
「これでも駄目だったか!?」
「むしろ威力をあげちゃいましたねぇ」
すると、青葉はがっくりと肩を落としている。
青葉も青葉なりに使用人たちに近づこうと努力していた。
逆効果になっていることが多いのが残念だ。
「こうなったらもうお面を被るしか……」
「ひょっとこのお面なんてどうですか?」
真白だけは相変わらず青葉を前にしてもほわほわとした笑みを浮かべている。
金木犀は真白が来た時と変わらず満開に咲いており、雪のように地面に降り積もる。
「……真白」
「はい、なんですか?」
「祝言の日取りを決めたい。真白は構わないか?」
祝言。青葉から初めて結婚の意思表示をしてきた。
「どうやらお前のいない生活は考えられそうにない。ずっとそばで俺を支えてくれないか?」
緊張しているせいか、いつもの三割増しで人形のように表情が固まっている青葉は、そんな顔でも美しかった。
真白はクスクスと笑う。
「自分より綺麗な旦那様というのも気が引けますけど、いつ青葉様が結婚の話しを言い出してくれるのか心待ちにしていた時点で私も答えが出ているようです」
「それなら!」
ぱっと表情を輝かせる青葉に向かって、真白は頷く。
「お受けします」
躊躇いがちに真白を抱き寄せる青葉の背に、真白もそっと腕を回した。
「人生で一番今が幸せかもしれない」
「駄目ですよ。これから一緒にもっと幸せになるんですから」
「ああ、その通りだ」
ふたりを祝うように金木犀の花が舞った。