「ところで、君はどんな劇を演じたいか決めているのかな」

 道中、ボクはふと思いついた疑問を沢村に投げかける。

「シチュエーションとか、設定とかなら考えてあるんですけど、演目って言われると考えてないですね」

「いいね。聞かせてよ」

 沢村は恥ずかしそうに頬をかく。これは好都合だと詳細を聞き出せば、沢村は目を細め、楽しそうに語り始めた。その様子は初めて持った夢を語る幼稚園児のようだった。

「私、舞台上だけでいいから、元気で活発な女の子になりたいんです。そして皆と同じように学校へ行って、好きな子を作って。友達と恋バナをしたり、恋に四苦八苦したり、そんな充実した学校生活を送りたいなって」

 沢村が夢として語ったのは、ボクらが送るありふれた日常だった。多くの人間が面倒だと感じる学校こそが、彼女の持つ理想郷らしい。しかし、その気持ちは理解できるものだった。

 深夜まで親が帰ってこない家は、寂しくて心が凍りそうになる。だからこそ、多くのアイを浴びられる学校は、ボクにとっても理想郷なのだ。

「じゃあボクが君の好きな人を演じるよ。とは言っても君みたいなすてきな子に、ボクじゃ釣り合わないかもしれないけどね」

「いえ、そんな! むしろ部長さんみたいな優しくてキラキラした人を好きになれるなんて光栄です!」

 沢村は慌てて首をこちらへ向け、あわあわとした様子でボクの言葉を否定する。お世辞を本音だと受け取ったのか、彼女の頬はほんのりと赤くなっていた。

 彼女は多くの人にアイされて生きてきたのだろう。

 悪意に疎く、素直で明るい様子に、ボクはそう結論付けた。あぁ、全く、羨ましい限りである。

 心に小さな痛みが走る。アイされ欲求以外は全て捨てたはずだったが、やはり人間である以上、完璧に全てを捨て去ることは不可能のようだった。

「部長さんって、そう言えば自己紹介がまだだったね。ボクは綾瀬ライ。気軽にライって呼んでね」

 そんな醜い感情をおくびにも出さず、ボクは気さくな笑みを向ける。ヘドロのように荒んだボクの心情に彼女が気付くわけもなく、沢村ははい! と立派な返事をし、嬉しそうに首を縦に振ったのだった。

「じゃあ内容は、青春恋愛ものでいいかな。君は元気で活発な女の子、ボクは、そうだな。どんな男の子が好きとかあるかな」

 沢村は右手を顎に当て、うめき声をあげ始める。

「絵本に出てくる王子様ですかね。優しくてかっこよくて、白馬に乗っているような」

「それだとファンタジーになっちゃうね。じゃあ、学校一の人気者で、誰もが憧れる学園の王子様にしようか」

「いいですね!」

 どんな恋をしたいのか、シチュエーションや理想の容姿。彼女の願望通りの内容を相談し合いながら、真っ赤に染まる廊下を進む。物語の大枠が完成した頃には、ボクらは目的地の目前にまで近づいていた。

 第一体育館の扉を潜り、沢村をステージ横の倉庫へと案内する。部活動の様子を見るのが初めてだったのだろう、彼女は必死に首を回しながら、アップをする部員たちを眺めていた。

 倉庫の前に付いた後、ボクは鉄製の扉を開く。重低音を響かせながら開かれた扉の向こうには、さまざまな衣装とウィッグが並べられていた。演劇部の強豪校である我が校には、演劇部の道具が収納できる専用倉庫が置かれているのだ。

 この容姿じゃ、学たちに練習を止められかねないからな。見た目だけでも健康そうにしてないと。

 ボクは彼女に背を向け、衣装スペースから目的の服とウィッグを回収する。ほこりがかぶっていないのを確認し、再び彼女の方へ身体を向ける。いつの間に入ってきていたのか、沢村は小道具が散乱した倉庫内を、物珍し気に眺めていた。

「それじゃあ、これからボクが君に魔法をかけてあげよう」

 セーラー服を彼女の膝の上に置き、アンダーキャップを彼女の頭に被せる。その上から黒髪のウィッグをかぶせ、自然な形になるように調整する。仕上げに前髪と背中まである長髪をくしで整えれば完成だ。

「どうかな?」

 足元に置かれた小道具から手鏡を取りだし、見えるように顔の前に差し出す。すると彼女の口からは、感嘆の声が零れ出した。

「凄い、髪の毛があるなんて久しぶり」

「これで終わりではないさ。君、自分で服は着られるかな?」

「あ、はい。一応、リハビリはしていましたので」

「それは良かった。じゃあボクは背を向けているから、この制服を着てみてくれないかな」

「はい!」

 膝の上に置いた制服を手渡し、奥の方へと足を動かす。そこに設置された化粧台から、ボクは彼女にあった化粧品を探し始めた。

 彼女の青白い顔を隠すには、ピンク系のコントロールカラーがだな。

「着られました」

 リップやチークなどの化粧品を探していると、背後から張り上げられた沢村の声が届く。やはり大声を出すことになれていないのか、彼女の声はわずかにかすれているように聞こえた。

 選んだ化粧品を手に、ボクは再び彼女の方へと戻る。沢村は車椅子に手を着いた状態で、小鹿のように足を震わせながら、自分の制服姿を堪能していた。

「うん。凄く似合ってるよ。じゃあ、いったん車椅子に乗ってくれるかな」

 沢村は照れたように頬をかき、車椅子に腰を下ろす。念願の制服姿に興奮が収まらないのか、沢村の視線は忙しなく動き続けていた。

「じゃあ化粧をするから、顎を上げて目を閉じてね」

 沢村は言葉の通り、あごを上げたまままぶたを閉じる。素直な彼女に、顔色が明るく見える化粧を施せば、はい完成。

「さ、これで君も元気な学生だよ」

 彼女の後ろに回り、車椅子を姿見鏡の前に移動させる。目を開けた彼女は、驚いたように目を大きく見開いた。

「これが、私?」

 沢村は車椅子から降り、鏡の前で一回転する。そしてようやく鏡に映る少女が自分だと理解出来たのか、彼女は嬉しそうに声を漏らした。

「凄い、まるで魔法みたい」

「言ったでしょ? 灰被り姫の前に現れた魔法使いのように、君の願いを叶えてあげるって」

 まあ、学校の制服は持ってこられなかったから、完璧ではないかもしれないけど。

 そんな言葉を返せば、食い気味に帰ってくる否定の言葉。想像以上に喜ぶ彼女の姿に、思わず笑みが零れる。

「演劇部の沢村美雪は健康な少女だ。だから、誰にも病気のことは言ってはいけないよ。じゃないと魔法が解けてしまうからね」

 ボクは人差し指を唇の前に立て、ウィンクを飛ばす。そのまま魔法に驚くお姫様に跪き、右手を差し出した。

「さ、練習を始めようか」

 ぼくの手のひらに、彼女の右手が重ねられる。ボクはそれを握りしめ、演技の世界へと彼女を導いたのだった。