舞台から数日間、ボクは毎日のように沢村の見舞いへと足を運んでいた。

彼女が好きなピンク色の花束を抱え、もう来慣れた病室に足を踏み入れる。そこには酸素マスクをした沢村が眠っており、彼女の母は編み物をしながらベッドの直ぐ傍に座っていた。

「おはようございます」

 ボクは彼女の母にあいさつをし、窓側に置かれた花瓶にカーベラの花束を差し込んだ。多くの人に愛される彼女の窓側には、たくさんの花が綺麗に並べられていた。

 彼女の母は編み物をする手を止め、彼女にそっくりな笑顔でボクに笑い掛ける。

「あら、こんな早くに来て大丈夫なの? 学校は?」

「今日はサボりです。学も後々学校を抜けてくると思いますよ」

「まあ、美雪の友達は悪い子ばかりなのね」

 彼女の母は編んでいたマフラーをバスケットに片付け、立ち上がる。そしてボクに美雪を任せると、扉の外へと姿を消した。彼女の部屋が個室ということもあり、今はボクと沢村の二人きりである。

「おはよう。今日の調子はどうだい?」

 ボクは彼女の母が座っていた椅子に腰を下ろし、眠る彼女に声を掛ける。もちろん、返事は返ってこなかった。無理がたたって死期が早まった沢村に動く気力は残っていないらしく、最近は常に眠った状態だっだ。

 しかしそれでも構わないと、ボクは彼女に話しかけ続ける。彼女が寂しくないように。

「あのうわさの話。あれどうやらボクと学の話を盗み聞きしていた部員が流したものだったわ。勝手に学が流した、なんて思いこんで悪いことしちゃったよな。一応互いに話し合って解決した。沢城心配していただろ? 一応報告と思ってさ」

 点滴の針が刺さった左手をなでながら、彼女の顔を見て話しかける。もともと青白かった肌からは生気が薄れ、幽霊のように真っ白になっていた。酸素マスクが時々白く曇らなければ、既に死んでいると勘違いしてしまっていただろう。

「あれからさ、沢村すっごい有名人になったんだよ。あの女の人誰なんですかー、感想言いたいですーって。だからボク、自慢気に君のこと言いふらしているんだよね。凄いやつだろ、大切な仲間だってさ。って、もう耳にタコが出来るほど聞いてるってな」

 開かれないまぶたに、目頭が熱くなり始める。しゃべることに集中しなければ泣いてしまいそうだ。

「ボクさ、俳優の道を目指そうかなって思っているんだよね。ボクには演技力しかないし、それが一番だと思ってさ」

 震える足を右手でたたき、唇をぎゅっとかみしめる。離れるのが怖い、寂しい。そんな感情が今にも口から飛び出して、子供のように泣きじゃくってしまいそうだった。

 でもボクはもう沢村の前では泣きたくない。だからこそ、ボクは感情を押し殺しながら眠る彼女に笑顔を向ける。それは彼女に心配を掛けたまま、天国へ言ってほしくないわがままと、男としての意地故だった。

「それに沢村言っていただろ? 舞台上のボクが他の誰よりもキラキラ輝いていたって。あれ、すっごい嬉しかったんだよな。だから、もうちょっと頑張ろうかなって」

 感情を押し殺して笑う。それは幼少期からやり続けた演技の次に得意なことのはず。それなのに、ボクは普段通りの笑顔を浮かべられている自信がみじんもなかった。声は徐々に震えだし、彼女の手に触れる右手も無様に震えだす。

 こんなことも出来ないようじゃ、もう誰かの理想を演じるのは無理そうだな。

 そんなことを考えながら、ボクは苦笑を漏らした。

「これから演じるのは舞台の上だけにするよ。理想の誰かで居ることも、自分で偽ることもやめる。君が愛していると言ってくれた綾瀬ライとして生き続ける。」

 ぼたぼたと、彼女の手の甲に雫がこぼれ始める。一度泣き出したら止まらないことは自覚しているから、ボクは泣き止むことを諦めて、無様に泣き続けた。本当ならこの間の劇のように彼女を抱きしめたいところだが、それは彼女とつながるたくさんの線が許してくれなそうだった。

 左手を両手で強く握りながら、ボクは目を伏せる。嫌だ、死なないで、一人にしないで。そんな言葉が次から次へと口から飛び出そうとする。ボクはそんなわがままをかみ砕きながら、ただひたすらに彼女を思って涙を流し続けた。

「なか、な、で」

 か細い声が耳に届く。驚いて視線を沢村の方へ向ければ、彼女のまぶたは久方ぶりに開かれていた。

「沢村!」

「てごくで、みてる。ずっと、ささえる、から」

 彼女は口を小さく開きながら必死に言葉を紡ぐ。その声に、これが彼女と居られる最後なのだと理解した。彼女は今、最後の力を振り絞ってボクに言葉を残しているのだろう。

 だからボクは何も言わずに、ただ彼女の声に耳を傾ける。

「すき、だすき、ライ、大好き」

 沢村は、そう言い残すと再び目を閉じた。その瞬間、心肺停止を知らせる電子音が部屋中に響く。

 ボクは彼女の手を強く握りしめ、今作れる最上級の笑顔を彼女に向ける。

「ボクも愛してるよ。美雪」

 二人きりだった部屋は、人の横道で一気に忙しなくなる。そんな中で、ボクは医者が許す限り彼女の手を握りしめ続けた。

天国へ行った彼女は、まるで夢でも見ているような穏やかな表情をしていた。