暑い夏の季節に、俺は学校の昼休みに屋上に寝転びながら空を見ていた。
「いいなぁ」
 俺は自由に空を飛ぶ鳥を見て羨ましく思った。俺もこの鳥のように自由に空を飛んでみたい。綺麗な景色を見たい。だが、俺は空を飛ぶための翼を持っていなかった。

「今日は転校生を紹介するぞ」
 担任の一声にクラス中が盛り上がる。
「女か? 男か?」
「イケメンがいいなー」
 クラスが盛り上がる中、俺は転校生なんてどうでもよかった。そいつもきっと翼を持っていないから。
「静かにしろ、全く。えーじゃあ、入ってきてくれるかな吉田さん」
「はい!」
 転校生は元気よく返事をして教室に入る。
「どうも! 今日からここに転向してきました吉田叶《よしだかなえ》って言います。よろしくね」
 クラスの皆は彼女の自己紹介を聞き、少し遅れて拍手を送る。だが、皆の視線は彼女にではなく、彼女が乗る車椅子に向けられていた。そう、彼女は自由の翼ではなく不自由な車椅子に乗っていた。

「今日はどこか寄っていくか?」
「いや、今日は帰るよ。金がないんでな」
 俺は放課後、唯一の親友である春と廊下を歩いていた。
「あれ?あそこにいるの転校生じゃないか?」
「ん?あぁ、確かにそうだな」
 俺たちは少し先にある階段をじっと見つめていた。
「何してるんだろ……行ってみようぜ」
「お、おい春」
 好奇心旺盛の春は急いで向かっていく。そんな春の後ろを俺は渋々ついて行った。
「よし、行くぞ!」
 俺たちが近づいている途中、転校生が元気よく声を出した。すると、転校生は車椅子を階段の反対側にある窓側の方にバックした。
「お、おい、なんか嫌な予感がするんだが」
「ま、まさかそんな訳……」
 だが、その春の嫌な予感が当たりそうな行動をしようと転校生は動く。それを見て俺たちは急いで近づく。そして、転校生が車椅子をひと漕ぎした時に春と俺は同じタイミングで「ストップ―」と叫んだ。
「はぁ、はぁ、な、なに考えてるんだこいつ」
 俺は、走り疲れながら小声で文句を吐いた。 
「えーと、吉田さんだっけ? も、もしかしてさっきここの階段を飛び越えようとしなかった?」
「そうだよ! よく分かったね」
 春の質問に元気に答える彼女を見て不思議で仕方がなかった。それは、春も同じだったようでお互い目を見合わせた。
「えーと、この階段を下りたいんだよね? よかったら手伝おうか」
 春がそう提案すると転校生は「ありがとう」嬉しそうに感謝を言い、俺も強制的に手伝うことになった。
 春が車椅子を持ち、俺が彼女が階段を降りるのを手伝う形となった。そして、何とか無事に一階に辿り着いた。
「ありがとう! 本当に助かったよ、えーと」
「俺は物部春《もののべはる》でこいつが霧島英二《きりしまえいじ》」
 俺は彼女に軽く頭を下げた。
「私はって、二人とも私と同じクラスだったよね。私のことは叶って読んで。私も二人のこと下の名前で呼ぶから。
「分かった、じゃ、よろしくな叶」
「うん、よろしくね春、英二」
 春と叶はもう打ち解けたように話していた、けど俺はこの二人のようにコミュニケーションを取るのが苦手で、少し取り残されていた。
 俺たちは叶と帰る方向が一緒だったので途中まで一緒に帰ることにした。
「今日は本当にありがとうね二人とも」
「別にいいよ、というかなんであんな危ない真似したんだよ」
「いやー、あの学校にエレベータ無いし、人に頼む訳にもいかないから、それなら飛び越えるかって」
「どんな思考回路だよ!!」
 春が渾身の突っ込みをしているなか、俺は叶の車椅子を押しながら二人の会話を聞いていた。
「英二君もありがとう」
 叶は上を見上げ、俺の顔を見て笑顔でそう言った。俺はその笑顔を見て少し照れくさくなってしまった。
「い、いや別に」
 そんな不愛想な返事しかできなかった。クソ! 女子に免疫ない俺にその笑顔は反則だぞ。
「じゃ、また明日な」
 春とは途中で別れ叶と二人になった。春が中心となって会話をしていたので自然と沈黙が続いてしまう。何か話さなくては、と目を瞑り悩んでいた。何も浮かばず目を開けると叶がまた俺の顔を見上げていた。
「ど、どうしたんだ」
「うんん、別に何にもないよ」
 叶はそう言って悪戯っぽく笑う。
「春とは友達っぽいけどいつから仲がいいの?」
「そうだな、あいつとは中学の頃からの付き合いで……」
 春との話を聞かれ少し自慢げな雰囲気を出してしまう。だが、そんなことは気にもしないで俺の話を目を輝かせながら聞いている叶を見て、本当に面白い子だなと思った。
 俺は叶に春についての話を沢山して、二人で盛り上がった。
「で、あいつそこで先生にボールぶつけてさ」
「あっはは、何それ面白すぎるよ、ちょっ、お腹痛い」
 俺たちは一頻り笑いあい、楽しい時間を過ごした。
「はー面白かった。英二は話すの上手いね」
「そんなことはないよ」
「いやいや、本当に上手かったよ。こんなに笑ったのは久しぶり。あっ! そうだ次は英二について聞かせてよ」
 俺は叶の無邪気な一言に一瞬体が固まる。
「俺の話なんて聞いてもつまらないよ。だって俺は春と比べて何もないから」
 少し自虐的にそう言った。だが、これは本当のことで俺の本心だった。
「なら、英二が話したくなるまで待つよ」
「えっ?」
「だから、いつか話してよ最高に笑える英二の話を」
 叶はキラキラ輝く笑顔でそう言った。俺はそんなこと言われるとは思っていなくて、少しまた体が固まった。だが、先ほどとは違いとても暖かい気持ちになった。
「あぁ、いつかな」
 だが、それと同時に自分という人間のつまらなさを痛感していた。
「じゃあね」
 俺は叶を家の近くまで送り家に帰った。

 俺たちはその件をきっかけに仲良くなっていった。放課後は毎日のように一緒に帰り、買い食いなんかをしたりしていた。
「おい! 俺のアイスを食べるな!」
「いいじゃんか。ケチ臭いぜ英二」
 俺たち三人はよく立ち寄るコンビニに行き、アイスをそれぞれ買って食べていた。
「じゃあ、私も」
 春に続いて叶まで俺のアイスを食べてきた。
「おい! 叶まで、ていうか間接キ……」
「どうしたの? 顔赤くして」
「い、いや別に」
 叶は何も気にしている素振りはなく、平然とこっちを見ている。この! 俺は女子に免疫ないんだって。そんなことを心の中で思うが口には出さず白を切る。
「ガキかよ」
 春は気づいているようで俺を鼻で笑うかのような顔でこっちを見ていた。
「うるっせー!」
 そんなどこか恥ずかしくも楽しい日常を過ごしていた。

 それから少し時が経ち、季節は少し肌寒くなっていた。
「水族館?」
「そう、少し離れたところにあるだけど、どう?」
 昼休みに教室にいた俺たちに叶が話を持ってきた。内容は次の日曜、水族館に出かけようというものだった。
「すまん、その日は別つの予定があるんだ」
 春は頭を下げて手を合わせて謝った。
「全然良いよ! こっちこそ急なこと言ってごめんね」
 二人が謝りあっている中、俺はどうしようかと迷っていると叶がキラキラした目でこっちを見ていた。
「わ、分かった。じゃ、二人で行こうか」
「やったー、ありがとうね英二」
 こうして半ば無理やり水族館に出かけることになった。俺はインドア派だというのに。
 それからあっという間に約束した日になった。何を準備したらいいかも分からず俺は集合場所である駅の前に20分も早く着いていた。女の子と休日に出かけるなんていつぶりだ? というかこれはもしかしてデートなんじゃ! そんなことを考えていると緊張で手が汗ばむ。すると、遠くから声が聞こえ、その方向を見てみると、大きく手を振っている叶の姿があった。
「早いね、待たせたかな」
 叶はどこか申し訳なさそうに聞いてきた。集合時間の十分前に来た叶よりも早く着いていたのだから、当然の一言である。
「い、いや、大丈夫。さっき着いたばっかりだから」
「なら、よかったんだけど。その、と、とりあえず行こっか」
 何か叶に違和感を感じたが、その違和感が何なのか分からずとりあえず電車に向かうことにした。
 俺は最初の頃に比べると慣れた手つきで車椅子を押し、エレベーターがある場所を探した。エレベーターから降りて少し狭く、長い通路を通った。その途中で後ろから男が聞こえる声で「邪魔だな」と言った。俺はそれに対して何か言い返そうかと思ったが、叶がそれを手で遮り謝った。こちらは何も悪くないのにどうして謝るのかと聞こうとしたが、その時の叶を見ていると、こういったことは日常茶飯事なのだろうと察せた。このやり方が多分良いんだろとそう思った。だけど、俺は納得できなかった。何も悪いことをしていない彼女がなぜ謝らないといけないのだろうかと。彼女はいつも眩しいほどの笑顔を見せる。そんな彼女だがきっと俺よりも何倍もの人の影となる部分を見て来たに違いない。だから少し彼女は大人に見えて、それでもあんな素敵な笑顔ができる彼女を尊敬し素敵だと思う。そんなことを俺は電車に揺られながら彼女の横で考えていた。

「着いたー!!」
 水族館に着いた喜びを叶は爆発させていた。
「落ち着け、とりあえず入場券を買いに行かないとな」
 俺と叶は入場券を買うとすぐに中に入った。叶は楽しそうに魚を見て楽しそうに笑っていた。そんな彼女の姿を見て俺も楽しくなった。だが、周りの視線に気づく。その視線は奇異を見るようで、迷惑だという雰囲気を感じて、とても居ずらく気分の良いものじゃなかった。そんな俺に気を使ったのだろう叶は「行こ」と言って一旦場所を移すことにした。
「ごめんね」
 俺と叶は昼にやるイルカショーを見るために移動していた。その道中に叶がいきなり謝ってきた。俺はその謝罪がなんのものかがすぐに分かった。
「いや、叶が謝ることじゃないよ、それに叶の方がもっと……」
 そう、俺なんかよりも叶の方が何倍も辛いはずだ。
「私は全然大丈夫だよ! もう慣れた」
 そう言う彼女はどこか達観したような表情をしていた。俺たちは何も悪いことはしていない。だが、周りからしてみれば場所を取る車椅子が邪魔だと思うのだろう。
「私ね小学生の時に交通事故で足が悪くなったんだよね」
 俺が少し黙っていると叶が自分の過去の少し話してくれた。
「そうなのか」
「最初はかなり不自由でさ、車椅子を自分では中々操作できなくて、周りの子が走り回ってる様子を見て良いなぁーてよく眺めてた」
「なんか意外だな。叶も悩んだりするんだな」
「そりゃそうだよ。英二は私をなんだと思ってるのさー。けど、今はもう慣れたし、こんな生き方もありだなって思ってる。最初は辛いことや悲しいこともあったけど、その分友達や家族が支えてくれて人の温かさやありがたみを知れた。この体じゃなきゃ出会えなかったことや知らなかったことも沢山ある。だから私は今の自分を胸張って好きだって言えるよ」 
 彼女は凛々しい顔でそう言う。その姿を見ると自分が情けなくなる。彼女は持っているんだと、不格好だけどしっかりした翼を。それを深く実感する。
「凄いな叶は」
「凄くなんかないよ」
 照れながら否定する叶だったが、俺から見れば始めて喋った時から彼女は輝いて見えていた。
 俺と叶はイルカショーを見終わり帰ることにした。その道中は水族館で見た魚やイルカショーの話で盛り上がり、二人で楽しかったことを共有しあった。夕日が沈みかけている頃に、俺は叶をいつものように家の近くまで送っていた。その時に叶は俺に聞いてきた。
「英二はこの世界をどう思う?」
「なんだよその質問。どうって……つまらないよ、俺から見た世界は残酷で理不尽で、酷い世界だと思う」
「そっか」
 叶はそう一言告げるとそれから沈黙が続いた。そしてそのままいつも別れる場所に着いた。
「じゃ、また明日な」
 俺は帰ろうと後ろに振り返った時だった。
「待って」
 叶に呼び止められどうしたのか振り返る。
「私はね、さっき英二が言ったみたいに残酷で理不尽なことがこの世界を生きていたら沢山あると思う。私だって経験した」
 叶がそう言った時、俺は無意識に車椅子を見ていた。
「けどね、それでも私は言いたい! この世界は美しいって、この世界に生きる人は美しいって!」
 叶は勢いよくそう叫んだ。その一言は叶が本当にそう思っていることなんだと伝わった。不自由とも言える車椅子に乗る少女がハッキリと「世界が美しい」と言える姿に俺は心が揺すぶられた。
「じゃあね!」
 叶はどこかスッキリした顔で言い、帰っていき、俺も家に帰った。今日という一日を振り返り楽しかったことを思い出し、少し口元が緩んだ。何より叶の色々なことが知れて嬉しかった。
「この世界は美しいか」
 叶が帰り際に言った言葉を口に出してみた。この言葉は多分、叶が翼を持つ人間だからと言える言葉なんだろう。だけど、いつか俺もあんなことを心から言ってみたいなとそう力強く思った。
 だが、そんな俺たちに神は何を思ったか残酷な悲劇を起こした。

 俺が叶と水族館に出かけてから次の日に学校に行くと、叶が来ていなかった。春と二人でどうしたのかと話していると、朝のショートホームルームを終えた後に少し話があるから職員室に来てくれと担任に言われた。俺と春は言われた通りショートホームルーム終わりすぐに職員室に向かった。春と俺は行く途中、何のことかさっぱり分かず話合っていたが、何か嫌な予感をお互い感じていた。
 急いで職員室の前に着き、春が扉を叩いた。すると、担任が出てきて中に入るように促した。
「話ってなんですか?」
 春がそう聞くと担任は少しバツが悪そうな顔をした。
「いいか、落ち着いて聞いてくれ……吉田が交通事故にあった」
 俺と春はそれを聞いて一瞬体が冷たく硬直した。
「ど、どういうことですか!? 交通事故って、叶は無事なんですか?」
 俺は担任の胸ぐらを掴む勢いで近づき聞く。
「お、落ち着け霧島。吉田は無事だ」
 俺と春はその一言で少し冷静さを取り戻す。
「だが、今も意識が戻らない状況らしい」
「そんな……」
「なんで交通事故に?」
 春が冷静に担任にそのときの状況を聞いた。
「昨日、家に帰る途中に信号無視した車にぶつかったそうだ」
「昨日……昨日は水族館に行った日だ、じゃ、あの別れた後に事故に」
 俺は後悔した。あそこで家までちゃんと送っておけばと。
「これが吉田が入院している病院だ。お前たちのことをよく話していたらしい。吉田の親御さんが良かったら見舞いに来て欲しいと言ってくれている。まぁ、行くかどうかは自分で決めろ」
 俺と春は職員室を出て、重い足取りまま教室に向かった。
「お前は行くのか?」
「俺は……」
 春にそう聞かれたが答えられなかった。
「言っとくがお前のせいなんかじゃないからな」
「あぁ、分かってる。その、ありがとう」
 その時に春の優しさが心の奥に染みた。
 
 放課後になり、春は「行ってくる」と言って早々と教室を出ていった。俺は、放課後になっても迷っていた。どうしようかと。怖かったのだ、叶の姿を見たら後悔で死んでしまうんじゃないかと。そんな時、俺はあの日の帰り道に叶が言っていたことを思い出した。叶は俺や春と出会えたのもこの体のおかげと言ってくれた。そんな風に言ってくれた彼女に逃げる訳にはいかない。俺は急いで教室を出て走り出した。今まで生きてきた中で記憶にないほどに全力で走った。息が切れて吐きそうになっても足を止めず走って、走って、走り続けた。ようやく教えてもらった病院に着くとその病院から春が出て来た。
「来ると思ってだぜ。部屋番号は406号室だ。間違えんなよ」
「あぁ、ありがとう」
 俺はそう言って春と別れ、叶がいる病室に急いで向かった。
「叶……」
 病室に着き肩で息をしながらドアを開けると寝たきりになった叶がそこにいた。医者が言うにはかなり強い衝撃を受けたらしく、目が覚めるのがいつかは判断できないらしい。俺は叶の手を両手で握りしめた。
「神様。なんでだよ! なんで叶をこんなに傷つけるんだ。どうして叶なんだ。俺だったら……」
 俺は泣きながらそんなことを言った。この世の中は理不尽で残酷で、こんな少女にも平気で地獄へと叩きこむ。すると、かすかに手を握る感触がした。叶が目を覚ましたのかと思ったが、そうじゃなかった。だけど、叶に俺だったらとかそんなことを言うな! と叱られた気がした。
 俺はしばらく叶が言っていた言葉を一つずつ思い出していた。
「こんなことになっても君は言うんだろうな。この世界は美しいって」
 今思えば、叶は気づいていたんだろう。俺が世界に絶望し、翼を自分で折ってしまっていることに。だからあの時、伝えたかったんだ、この世界の美しさと翼を持つ勇気を。
 俺は叶の手を両手で強く握り、覚悟を決めた。不格好でも泥臭くても自分なりの翼を持つことを。そして、叶と初めて会った日に言われたことを次はちゃんと言えるようにと。
「叶が目を覚ましたら話すよ。とびっきりに面白い霧島英二の話を」
 叶がいつ目を覚ますかは分からない、それでも待ち続ける。それが例え何十年になったとしても。 

 あの日から二年の月日が経った。
 俺は高校三年になり、卒業にかなり近づいていた。そんな俺はとある病室の前にいた。
「よし! 行くか」
 そう言い勢いよく扉を開けた。するとそこには笑顔でこちらを向く人物がいた。
「久しぶりだね、英二」
「あぁ。久しぶりだな叶」に
 俺は今から話す、この二年間で好きな人に笑ってもらうために、必死に翼を得ようとしたとびっきり笑える霧島英二の話を。