「私は人物画よりも風景画が好きです」



美術部の顧問の先生にそう言ってプリントを返す。

先生は少し残念そうな顔をしながらも「そっか」と理解してくれて食い下がってくれた。



「それじゃあ今度、風景画のコンテストがあったら紹介するね」

「はい。よろしくお願いします」



私は先生にお辞儀をしてから職員室を出た。

涼しい空調が効いた部屋から一変して暑い空気が私の体を纏う。

少し顔を顰めてしまった。

明日から夏休み。

夏本番に入る時期だから暑いのは当たり前なのだが、私はどうも苦手だ。

この季節は海、山、緑が生い茂った木々などの風景画を描くのにはもってこい。

しかしどれも外で描かなくてはいけないから暑い中鉛筆を動かすことになる。

春や秋のように気温がちょうどよければ良い環境で描くことが出来るのにな。

私は夏に愚痴を叩きながら、生徒昇降口に向かった。

終業式と言うのもあって今日は午前中で帰れる。

ほとんどの生徒はもう下校途中なのではないだろうか。

私は顧問の先生に呼び出されてしまったので出遅れた組になってしまった。

内容的には夏休みにコンテスト用の絵を描かないか?というお誘いだったが条件が人物画。

丁重にお断りした。

私は人物画を描きたくない。

だからこれまでも絵を描くときは風景画を描いて来た。

授業で描かなくてはいけない時は渋々描いた覚えがあるけど。



「あれ?桜?残されてたのか」

「何でいるの」



色々と絵について考えながら歩いていると生徒昇降口の下駄箱付近で私に声をかける男子生徒。

中学校からの馴染みの和賀那涼(わかな りょう)がいた。

ちょうど靴を履き替えている途中で出会したようで前傾姿勢で話す。



「俺は部活関連の話を顧問としてたんだよ」

「私も部活関連の話を先生としていた」

「一緒か」



上履きから外履きの靴に履き替えた涼は笑う。

私も外履きの靴を履いていると涼が私の顔を覗き込んで来た。



「ねぇ一緒に帰らね?」

「別に良いけど」

「寄り道は?」

「何処行くつもり?」

「実はさ、今日運動公園の近くにクレープの移動販売車来てるんだよ。1人じゃ行きづらいから着いてきて」

「まさかそれ誘うために待ってたの?」

「だから顧問に呼ばれただけだっての」



クレープの話をした時はニコニコ笑顔なのに私がからかいついでに言った言葉に対してはムッとした表情をする。

涼は素直に顔の表情が変わるからわかりやすい。

私は「しょうがないな…」と言うとまた明るい笑顔に戻った。



「1人じゃ行きづらいっていつもは誰と行ってるの?」

「妹」

「仲が良いことで」



私は靴を履くと涼の隣に並んで校舎を出る。

今度は日差しが私達を攻撃してきた。



「夏休みの予定ってあるの?」

「部活」

「そうじゃなくて、出かけるとか」

「無いな。高校生になって余計に出かけなくなったし」

「でも妹さん連れて甘い物食べに行くんでしょ?」

「けど本当にたまにしか行かねぇ」



学校の校門から出て私達は運動公園の方向に歩く。

ここからは徒歩で行ける距離なので有り難い。

午前中で終わりとはいえ学校帰りなのには変わりないからあまり電車やバスには乗りたくなかった。

めんどくさいことはしたくない。

でも頭の片隅には乗り物ならこの日差しに悩むことはないんだろうなとも思ってしまう。



「頭暑い…」

「俺も…」



涼と私は頭の暑さに耐えながらクレープへと少しずつ進んで行った。
「バナナチョコクレープを2個お願いします」



暑い中、運動公園の移動販売車に辿り着くと同時に涼は真っ先にクレープを頼みに行ってくれた。

事前に何を食べるか打ち合わせしていたので迷う事無く頼んでくれる。

店員さんが作ってくれている間、私は公園内の自販機を探して自分と涼の分のコーラを買う。

道中、クレープは奢るの一点張りだった涼。

確かに誘って連れてきたのは涼だけど、自分の分くらいはちゃんと払える。

それでも譲らなかった涼が私に言ったのはジュースを奢っての事だった。

断然クレープの方が値段は高い。

それでも私には高い方を買わせないのは意外とレディーファーストなのかなと思ってしまった。



「桜、ほい」



自販機から販売車の所に着くと出来立てのクレープを2個持って待っている涼の姿があった。

私はクレープとコーラを交換して2人で近くのベンチに座る。



「いただきまーす」

「美味そう〜」



食べると甘い味が口の中に広がった。

ご飯系のクレープもあるらしいけど、やはり私的にはデザート系が好き。

隣に座る涼も頬張って食べていた。

中学の時から涼は甘い物が好きでよく周りの友達にギャップだねなんて言われていた事もある。

本人曰く糖尿病になっても後悔しないらしい。

私には理解出来ない考え方だけど、そこは人それぞれだ。

そう思いながらまたクレープを食べ進めた。



「なぁなぁ」

「んー?」

「このクレープの名称はバナナチョコなんだよ」

「ん…。チョコバナナじゃなくて?」

「ははっ、やっぱりそう思うよな」



いつの間にかもう食べ終わってコーラを片手に飲んでいる涼は私に話しかけてきた。

やっぱり男の子だからか食べるのが速い。

私が食べるスピードを速くすると「ゆっくりでいいよ」と返ってきた。



「話変わるけどさ、高校生の夏休みって意外と青春謳歌出来ないと思わね?」

「確かに」

「だって休みに入れば課題とか部活とかで忙しくなるだろ?3年になれば受験関係でもっと大変だろうし。青春っていつ来るんだろうな〜」



涼が頭を掻いて悩んでるように私に話す。

本当に話変わったな。

それでも涼でさえそういう風に感じるんだと内心思ってしまった。

私は最後の1口を食べて置いてあったコーラで流す。



「涼みたいなタイプは常に青春でしょ」

「全く。部活勉強部活勉強で恋愛なんて一切ない」

「それは私も同じだよ」

「でもお前は頭良いから勉強部分では苦労しないだろ?」

「部活では苦労してるみたいな言い方しないでよ。私は今は進路について頭悩ませてるの」

「社長令嬢は比較的楽だろ」

「そう思っているのはガキよ、ガキ。確かにお父さんは私に色々言って来るけどさ。でも私はなんか納得いかないんだよね」

「なんでよ」

「わかんない。それに実際お父さん達が何しているのかもよく聞かされてないし」



私は唇を尖らせながら涼に話した。

私のお父さんは有名な科学者で会社を設立している。

しかし知っているのはそれだけだ。

どんな物を開発しているのか。

どんな作業をするのか。

全く教えてくれない。

私にはお母さんがいないからお父さん以外に情報を手に入れることは出来ないのだ。

私は雲が少ししかない空を見上げて呟いた。



「科学者ってなんなんだろうね」
「俺は難しいことはわからねー」



そうだろうね。

私は少し笑って側にあったゴミ箱にクレープの周りを巻いていた紙を捨てた。



「どうする?目的は達成されたからここで解散する?」

「俺はどっちでも」

「なら解散で」 

「ドライだなー」

「どっちでもって言ったじゃん」

「はいはい。それじゃあな。また誘う時は連絡する」

「また誘われるの?」

「スイーツ仲間だからな」

「そんな仲間になった覚えはないよ」
 

涼と軽口を叩き合った私は立ち上がって、運動公園を出る。

まだベンチに座ってコーラを飲んでいる涼に手を振って。

自販機で買ったコーラはまだ残っているから右手に持ってちょくちょく飲みながら歩く。

スマホを確認すると12時30分。

今日のお昼はクレープで良いかなと思った。

日差しがまだ私を捉えて攻撃する。

暑いけど家に帰れば冷房を付けられる。

それまでの我慢だ。

私の頭の中ではクレープの存在や味は消えていて、涼しい空調が効いた部屋で何をしようか考えていた。



ーーーーーー



少し大きめの一軒家。

私は結構良い家に住んでいる。

これもお父さんの収入が大きいおかげだろう。

家計に関しては今のところ心配することはない。

まぁお父さんが科学者を辞めたり、犯罪行為を起こしたりしたらきっと貧乏生活が始まるはずだ。

科学者はあまり安定はしていないらしい。

これは他の仕事でも言えるが、初めての成功をしたら莫大なお金が降りてくる。

しかしそれが遠ざかればお金は去っていってしまう。

科学者みたいな人達はギャンブラーなのか。

それを職業にするのは気が進まない。

その前にお父さんは私に何かをしてくれたのかと考えてしまう。

お金以外に何もされていないのに一方的に願いを叶えるのは親子としておかしい。

授業参観も発表会も来てくれた覚えはない。

急に私はお父さんの悪口を思い浮かべながら、どうせ今も居ないんだろうなと確信して玄関を開けた。



「いるわ…」



私より大きい黒い靴。

ピカピカに磨かれているが少し小傷が付いている靴。

それが玄関に置いてあった。

何故今日に限って居るのだろう。

何かの漫画かよと突っ込みたくなる。

悪口を言っている時に限って居るなんて。

酷い時は同じ家に住んでいても1週間は顔を合わせない。

最後にあったのは4日前。

夜中トイレに行こうとしたら出会した。

でも会話は「おかえり」だけ。

なのに今日は居る。

しかもこの時間に。

不審に思いながら私は靴を脱いで多分お父さんがいるリビングへと小走りで向かった。



「ただいま」

「おかえり」

「なんで今の時間居るの?」

「今日は早く帰れたんだ」

「そっか」



リビングの扉を開けるとラフな格好で腕を捲り、何かが入っているダンボールを持ち上げるお父さんがいた。

ラフと言ってもお洒落なラフな服。

そこから見える腕は科学者らしくない筋肉がついた腕が見えていた。

お父さんは段ボールをリビングの奥にあるキッチンの冷蔵庫の横に置く。

きっとあの中身は水のはずだ。

定期便で届く物だと思う。

意外と重かったのか、お父さんは肩を回した。



「パソコンばかりの仕事だと流石に鈍るな。……桜、昼ご飯は食べたか?」

「さっき友達とクレープ食べた」

「…彼氏か?」

「友達って言ってるじゃん。確かに男の子だけどそう言うのは一切ないよ」

「そうか」



そんなに私の彼氏が気になるか。

残念ながら彼氏はいません。

でも逆にお父さんは喜ぶのかもしれない。

顔をなかなか合わせないとしても一応1人娘だから。

表情があまり変わることのないお父さんは今内心ホッとしている可能性がある。

そう思うと少し面白くなってしまう私だ。
「今日の夕飯は出前を取ろう。食べたい物があれば言いなさい」

「んー、お寿司」

「わかった。それと午後はどうするつもりだ?」

「どうするって言われても……部屋でゴロゴロ?」

「買い物とかは行かないのか」

「行く予定はない」

「そうか…」



もしかしてこれは欲しい物を買ってもらえるチャンスだったのでは?

でも今更行くなんて言えないし、生憎欲しい物がない。

物欲が少ない私は頻繁には買い物に行かないタイプだ。

どちらかと言うと食べ物にお金を使いたかった。

でも今日の夜はお寿司。

流石に何処かに食べに行こうとは思えないし、言えなかった。

私は次の作業を始めたお父さんを見て自分の部屋に戻る。

学校のカバンをドサッと置いて制服から私服に着替えると机に向かうことなくベッドへ横になった。

スマホを持っていじっていると涼からLINEが届く。



【青春謳歌しない?】

【またその話?】

【スイーツ巡り行きたい人〜】

【………】

【じゃあいいよ】

【拗ねるな拗ねるな】

【海行かない?】

【また急に変わったね】

【俺は海の家で食べて、桜は風景画を描く!どう!?】



メッセージを見て私は海を思い浮かべる。

何気に海は描いたことない。

別に涼と行っても放っておいて私は1人でゆっくり描くのも良いかもな。

私は涼に返信した。



【いいよ】

【よし!他誘いたい人いる?】

【私はたぶん行っても1人で描くと思う】

【桜は俺と2人でもいい?】

【別にいいよ】

【なら後で日程決めよう!俺今から昼飯だから!】

【さっきクレープ食べたよね?】

【おやつだろ】



涼はバイバイとクマが手を振るスタンプを送る。

私はそれに既読をつけてスマホを消した。

海に行くのは私にとって初めての経験だ。

実際にこの目で見たことはない。

情報として本やテレビでは見た。

小さい頃からお父さんには何処にも連れて行ってもらってないし、遠出すると言えば学校の遠足くらいだ。

苗字が『海辺』の癖して海には縁がない。

涼からの誘いだったけど、何気に私の心は弾んでいた。

海に行く前に画材を揃えておこう。

でもとりあえず今は昼寝をしようとスマホを横に置いて目を瞑った。
夕食の時間。

リビングのテーブルには2人前のお寿司とサイドメニューの唐揚げが置いてあった。

久しぶりの豪華食事だ。

一応裕福だからと言っても毎日良いものを食べているわけじゃない。

作るのは自分だから簡単で時間もかからない料理を作ってしまう。

それを盛り付けないでフライパンに置いたまま食べることもあった。

案外普通の家庭と変わらないのだ。

今、目の前にあるお寿司だって多分有名チェーン店だと思う。

裕福=豪華なのは家の外観だけだと覚えて欲しい。

特に涼あたりには。



「「いただきます」」



好きな寿司ネタから食べるのが私の食べ方。

口に色んな味が無い状態で好きなお寿司を食べる。

最高だ。

頬を緩ませる私に対してお父さんはデフォルトの無表情で食べている。

久しぶりに一緒の夕食でも会話は無い。

するとお父さんは箸を置いて冷蔵庫に向かう。

そこからビールを取り出してまた食卓の椅子に座った。

プシュとビールが開く音と同時にお父さんは口を開ける。



「夏休みの予定は?」

「友達と海行くくらい」 

「そうか」



お昼の時と同じ返事で返すお父さん。

もう少し会話を広げようとする意識は無いらしい。

これでこの会話は終わりだ。

私は少し呆れ気味で中トロを食べる。

お父さんは缶のままビールを飲んだ。
  


「お前の夏休みの時間を削ってもいいか?」

「どう言うこと?」



まさかの話には続きがあったらしく私は中トロを味わえずに飲み込んでしまう。

もったいない事をしてしまった。

それでもお父さんの話に耳を傾けて、目もちゃんと見る。

またお父さんはビールを1口飲むと缶を置いて腕を自分の腕を組んだ。



「実は桜に手伝って欲しいことがある」

「な、何?」

「私の仕事の事だ。桜が身近な人で1番適任だと思う」

「何をさせられるの?」

「簡単に言えばコミュニケーションをとって欲しい。ある人物とな。ただ実際に見てもらった方が説明はしやすいんだ。もし良ければ明日でも仕事場に来てくれないか?」

「怖い人じゃない?」

「全くだ。一度会ってみて無理だと思ったら断っても良い。どうだ?夏休みの間で十分だ」



お父さんの言葉に私は少し下を向いて悩む。

コミュニケーションをとるなんてそこまで私はお喋りではない。

仲良くなればベラベラと喋るけど。

でも他でないお父さんからの頼みだ。

こんなのは今までなかった。

私を頼ってくれている。

そう思ってしまえば答えは1択だった。



「明日会ってみて…」

「わかった。ありがとう桜。助かる」



私が了承してもお父さんの顔は変わらなかった。

それでもお父さんからの「ありがとう」を受け取れただけ嬉しく感じる。

私は違う意味で頬を緩ませた。
翌日、私とお父さんは一緒に車に乗って仕事場へと向かう。

私服姿の私とスーツ姿のお父さん。

案の定会話は繰り出されなかった。

それでも構わない。

変に話をされても、謎の緊張に晒されている私はちゃんと答えることは出来ないだろう。

体はガチガチに固まっていた。

そんか私を気にすることなくお父さんは車を進める。

車が急に止まって後ろに下がったと思い私が外を見ると綺麗な白い外観の大きな建物が聳え立っていた。



「ここがお父さんの仕事場?」

「そうだ。着いて来なさい」



車を降りるお父さんを追いかけるように私もドアから出る。

キリッとした顔付きになったお父さんは仕事モードに入ったらしい。

と言っても私には若干無表情に感じてしまう。

隣には歩かずに少し後ろで歩いている私。

なんだかお父さんが怖く感じてしまった。

建物のロビーに入ると受付をしているお姉さん方がお辞儀をする。

やはり社長だから敬意を示しているのだろう。

私はお姉さん方に軽くお辞儀をして挨拶するとニコッと笑って返してくれた。

事前に私が来ることを把握していたのだろうか。

きっと社長の後ろを着いてくる少女は娘さんだと思っているのだろう。

私はお父さんの背中を見ながら心の中で問いかける。



(私の事って仕事で話すの?)



当然届くはずもない。

けれども私は背中を見つめながら後ろを歩いていた。

エレベーター前に着くと、お父さんは首から下げていたカードをかざして乗り込む。

私も着いて乗り込むとエレベーターは下へと下がっていった。

どうやら地下に向かっているらしい。



「どこに行くの?」

「研究室と呼ばれる場所だ。特定の人しか入ることは出来ない」

「そこに会話相手がいるの?」

「そうだ」



やはり仕事モードだと声のトーンが違う。

私は話しかけて瞬時にわかった。

あまり今の状態のお父さんとは話したくないな。

そう思いながら現在の階数を表示している電光掲示板を見るとエレベーター内で音が鳴って扉が開いた。

また歩き出すお父さんに引っ付くように私も足を踏み出す。

地下でも電気は付いているので比較的明るかった。

エレベーターの前に広がるのは1本道の廊下。

奥に1つの扉があるだけのシンプルな空間。

頭を動かしたって他の扉も無いし、飾り物も無い。

本当に進むだけだった。

奥まで歩くと大きめの扉の前でお父さんが立ち止まる。

これもエレベーターと同じく専用のカードをかざすらしい。

パスワードを入力しカードを読み取り機に付けると扉が横に開く。



「お疲れ様です!」



扉が完全に開けば白衣を着た人達が私とお父さんを見ていた。