長くて焦げ茶色の綺麗な髪。白い肌にすらっと細くて長い手足。えくぼが可愛い笑顔。甘くふんわりとした声。

 忘れない。忘れられるわけがない。

 まるで写真に撮ったように、鮮明に脳裏に焼きついている。

“ あなたの世界はここだけではないから。大人になればもっと広いところに行けるから大丈夫”

 何が大丈夫なのかは分からなかった。けれど、彼女の言葉がずっと心に突き刺さっている。


 目の前から消えてしまった彼女に、言いわすれたことを伝えたいけれど、今更伝えられない。だから、いくつかの奇跡が起こる事を願っている。
 願いが叶えば、もっと広い世界に行ける……気がする。


***

 僕は今、暗闇の中にいる。

 部屋にある小さなライトを点灯させると、消えてほしい写真達がほのかに照らされる。

 それをびりびりと細かく破る。
 大きい透明なゴミ袋にまとめる。

 そして、破いたものたちのデータを全て削除する。
 すると存在が僕の中から消えてくれる。消えてほしくて撮ったもの達が。

***

 うだるような暑さの日。

 放課後、いつものように、僕の仕草が気に入らないというどうでも良い理由で、僕は高校の同級生達に虐められていた。ただ公園でカメラをいじっていただけなのに気持ち悪いと。

 ほっといてくれればいいのに。気に入らないのならせめて、僕の事を存在しないかのようにずっと思っていて欲しい。面倒くさい。

 そいつらが去っていき、地面に座り込んでいたら「大丈夫?」と、全く話をしたことがない、同級生の秋岡陽菜が僕に優しい口調で話しかけてきて、ふわりと僕の頬に手を当ててきた。

 元々気温が高くて汗ばんでいたけれど、触れられた瞬間頬から全体に火照りが広がり、じわじわと汗が流れ出てきた。

「……気にしないで、いつもの事だから」

 僕はぼそっと呟く。

 目が合うとそのはっきり二重で大きな瞳に吸い込まれそうになったので慌てて視線を反らした。

「これ、カメラ。ベンチに置きっぱなしだったよ。大切なものなんでしょ?」

 彼女は、両手で丁寧に持ちなおすと僕のカメラを渡そうとしてくれた。

「あ、大切……、ではないけど、ありがとう」

 僕は片手で受け取った。

 大切? ううん、このカメラは親の言いなりになりながら生きている証。


***

 僕がまだ幼い頃に、僕達の前から消えていった父はカメラマンだった。

 そいつが置いていったカメラ。

 未練たらたらな僕の母が、父が去った後すぐに写真を撮る事を僕に勧めてきた。ずっと撮り続けて実力を付けなさい、将来役に立つわよと。それは撮る事を勧めてきた表向きの理由。

 母は写真を撮っている僕の姿を見て、僕と父の姿を重ね合わせているのだと思う。見ているのは僕ではなく、彼女の元夫。

 写真を撮っている僕の姿を見ると、母の機嫌が良くなるので撮り続けていた。機嫌が良くなるだけ。
 どんな写真を撮ったのかなんて全く気にしてない。ましてどんな気持ちで撮っているかなんて。
 その事に気がついてから僕は写真を撮るのが嫌になった。けれど、辞められない。

 最初は、撮った写真のデータを全て削除するようになった。やがて撮った写真をプリントして、破るようになり、そうする事によって撮ったものの存在が消えていくようになっていく気がした。

 消えてほしいもの、嫌いなものしか撮れなくなった。誰にも内緒で。

 破かれた写真の姿を見て僕は笑っていた。

***

 母が買ってきたカメラ雑誌を無気力に、ぱらぱらとページをめくり、眺めていた時だった。興味をそそるテーマのコンテストを見つけた。ジャンルは問わない。あるテーマの写真を撮るコンテストだった。

 そのテーマを見て、すぐにあの時に声を掛けてきた、秋岡陽菜の笑顔が頭の中に浮かんできた。

 休み時間、いつもひとりで机に顔を伏せて寝たフリをしていた。周りに生きている事を悟られないように、気配を消す事を意識して。

 公園で声を掛けてくれた日以来、彼女が友達と楽しそうに話している姿を見たくて、顔を上げるようになり、目で追うようになっていった。

 彼女のクラスは2-2で、僕のクラスの隣。

 彼女は、休み時間になると教室を出て廊下の窓の前でいつも友達と話をしていた。ちょうど僕の席から見える位置だった。

 彼女はいつも笑顔だった。人の心を引きつける魅力的な。表面上だけで笑っている人も沢山いるけれど、彼女の笑顔は本心のように見えた。
 ――本気で彼女の笑顔を撮ってみたい。


***

 学校から帰宅する時間。僕は公園で彼女が通るのを待っていた。彼女が自転車でここを通って行く姿をよく見ていたので、多分通学路なんだと思う。
 なかなか声を掛けられなくて、彼女が通らない日もあり、何日も待っていた。

 1週間が過ぎた頃、彼女から声を掛けてくれた。

「毎日カメラ持ってここにいるよね」
「あ、うん」

 まさか、声を掛けてくれるなんて思わなかったから心の中はとても動揺していた。

「なんか、最近ここで悩んでる顔してたよね」

 彼女はこっちをみながら自転車で公園の横を通っていたのか?

「……窮屈で、生きていることが息苦しくて」

 確かにとっさに僕の口から出てきたこの言葉も本心だけど。違う、今彼女に伝えたい事は! 彼女が何かを話そうとしかけた時、僕はとっさに「ポートレート撮らしてください!」と、声が裏返り、震えながら言った。

 彼女はきょとんとし、しばらく沈黙してから「いいよ! でも何で私なんか?」って、えくぼを強調した、くしゃくしゃな笑顔で聞いてきた。

「コンテストがあって。女の子を撮るやつ」

 雑誌に書いてあったテーマやジャンルを詳しく伝えれば良いのに緊張して、少し曖昧な伝え方をしてしまった。

「あぁ、雑誌やネットとか、写真のコンテストいっぱいあるらしいよね! 私の兄もね……」

 彼女のお兄さんの趣味がカメラらしく、直ぐに理解し、モデルになってくれる事を承諾してくれた。
 お願いしても気持ち悪いとか言われ、全く相手にされず断られるかと思っていた。

 少しだけ自分が生きている感じがした。

 その日から、僕は秋岡陽菜と仲良くなっていった。

***

 撮影する約束をした。
 これって、デート……かな?
 あっさり約束したものの、そう思うと緊張してきた。

 まずは場所を決めないと。日帰りでポートレートが綺麗に取れる場所。

 調べて、電車で片道2時間くらいの場所にある湖に行くことにした。

 場所を決める上で一番大切なことは、こんな僕と彼女、釣り合わないふたりが一緒にいる。しかも休日に。周りから見たらあきらかにデートのようだ。

 それを同級生にバレないようにする事だった。彼女は僕と話をする時、周りの目を気にしている。きっと僕と話している所を見られたくないのだろう。彼女も馬鹿にされてしまうかもしれないし、見られても良い事はひとつもない。

 いつも公園で話をする時、横を通る人には死角になるような場所で話していたから誰にも見られなかったけれど、こんなにも狭い街。遭遇する確率は高い。

 初めて電車で遠出をすることにした。
 僕は初めてこの街を出る。

***

 彼女に遠出する計画を伝えると「いいよ! 行こう!」と、明るい声で返事をしてくれた。
 その返事を聞いた日、家に帰るとすぐに当日の天気予報をチェックして、電車の時間、目的地までの行き方、着いてからの行動……。

 僕は細かいところまで念入りに計画を立てた。

***

 遂に当日になった。

 駅で待ち合わせしていると彼女が現れた。高校の制服姿とは違う彼女の姿は神々しかった。

「モデルって、何着ていけばいいのか分からなくって。お兄ちゃんのカメラ雑誌あさったりネット見たりしてポートレート写真眺めていたらこんな感じかなって思ったの」

 彼女は白いノースリーブのロングワンピースを着て、麦わら帽子を被っていた。

 風景に似合いそうな服装。いや、服装関係なしにきっと彼女は全ての風景に馴染んで似合うのだ。
 化粧もしっかりしていて、普段よりも大人っぽく見えて、ドキドキした。


 電車に乗り、10時ぐらいに目的地に着いた。

 空は雲ひとつない水色。黄色の太陽が元気に光を地上に届けている。湖は空が映り青くてキラキラしている。すぐそばには緑の森もある。

 今日はいつもよりも色がはっきりと見えた。

「自然っていいね!」

 彼女は笑顔で言った。

 僕は早くその笑顔を撮りたくて、急いでカメラの準備をした。

 急ぎすぎてカメラバッグから取り出そうとしたレンズを落としてしまった。

「ゆっくり準備しなよ」

 彼女は微笑みながらレンズを拾ってくれた。

「好きなように動いて貰える? 楽しんでいる感じで」

「うん、分かった。上手く動けるか分からないけれどやってみるね」

 設定を調整して彼女にピントを合わせ試し撮りをした。

 ファインダー越しの彼女もとても美しかった。こんな僕が撮っても良いのかと思うくらいに。

 彼女はとても自然に動いてくれた。

 くるっとまわってくれたり、空を見上げたり、水をばしゃばしゃしたり……沢山撮れた。

 今の気持ちは小さい頃、まだ父が家にいた時にカメラを初めて触らせて貰った時の気持ちに似ている。ワクワクしながらシャッターを切っていた。

 昼になり、太陽の位置が高くなって光が強くなり、イメージの写真が撮れなくなってきたので、休憩も兼ねてお昼ご飯にした。

「全部計画たててくれたから、私がお昼ご飯準備するね」

 僕が応募するコンテストの為に付き合ってくれているのに、彼女はそう言って、サンドイッチを持ってきてくれた。彼女が作ってくれたので美味しかった。

***

「実は私もお兄ちゃんからカメラを借りて持ってきたの」 

 彼女はショルダーバッグからカメラを取り出した。

 午後は森の辺りの日陰で少し撮って終わりにする計画だったけれど、予定を変更してそれぞれ好きな景色を撮る事にした。

 今日の僕は、消したいもの達を撮りたい気分じゃなく、彼女以外撮りたくなかったので、景色を撮ってる彼女を撮ったり、カメラについて教えたりしていた。

 あっという間に夕方になり、撮影は終わった雰囲気になったけれど、まだもう少しだけで良いから彼女を撮りたい気持ちが収まらずに、僕はずっと首にカメラをぶら下げたままでいた。

 帰り際、彼女の希望で撮影していた場所から少し歩いたところにある展望台に寄り、一緒に上から広い景色を見下ろした。

 今まで見ていたものが全てではないのだなと思った。

 そこから降りる時、階段で彼女は言った。

「ねぇ、雑誌で見たやつの真似なんだけど、階段の下の方でジャンプして飛び降りるから撮って欲しいの。浮いた瞬間を」

「いいよ!」

 僕は階段を先に降り少し離れた場所で撮るスタンバイをした。

「いくよ! 3、2、1」

 彼女が0を言わずに、勢いよく階段を降りてきた。
 下から2段目辺りでジャンプするのかと思っていたけれどなんと4段目の所からジャンプした。予想外だった。

「痛!」

 彼女は転んだ。

「あはははははっ!」

 そして突然、空の方向に顔を向けながら大きな声で笑いだした。

***

「大丈夫? 膝から血が出てる」

 僕は、彼女の膝に触れようとしたけれど、さすがにそれは駄目だと思い、触れる直前で手を止め、カバンからバンソーコーを取り出して彼女に渡した。

「ありがとう。大丈夫だよ! 面白くなっちゃって、予定より早くジャンプしちゃったよ。驚かせてごめんね」

「こっちこそごめん。跳んだ瞬間は撮れなかった」
「いいの。全然」

 彼女は汚れた膝を洗いにトイレへ行き、バンソーコーを膝に貼って出てきた。

 そして、いきなり僕に言ってきた。

「あ、そうそう、これずっと言おうと思っていたの。あなたの世界はここだけではないから。大人になればもっと広いところに行けるから大丈夫」

 彼女は夕陽に包まれながら、キラキラしていた。

***

「今日は楽しかった。誘ってくれてありがとね」

「こちらこそモデルになってくれてありがとう」

 他愛もない話をしながら帰りの電車を待った。

「今日撮った写真、良さげなのありそう?」

「めちゃくちゃあるよ。全部良いから選ぶの時間かかると思う」

 そう言ったけれど、僕の中ではもうどれにするか決まっていた。

 電車に乗った。車内は空いていた。

 席に座ると無事に撮れた達成感が湧き上がってきて深い息を吐いた。

「さっき撮ったの見たいな」

「いいよ」

 カメラの背面液晶モニターで今日撮った写真を見せるのと同時に自分も写真を確認した。改めて確認すると彼女が写っている全ての写真が、僕にとって絶対に消したくないと思えるものだった。

「いい感じだね! 今すぐ大きい画面で見たい!」

「後で、スマホかパソコンに送ろうかなと思ってたけど」

「本当に? 嬉しい。あ、でも家にパソコン、お兄ちゃんのがあるけど今壊れてるって言ってた」

「そうなんだ……あ! 今から家に来る? 写真プリントして渡せるよ!」

 僕は今まで消えてほしい写真ばかり撮っていたけれど、今日は残したい、いつもとは違う感覚の写真を撮ったからか、気持ちが高まり大胆な発言をしてしまった。

「いいの? じゃあ、寄っていこっかな」

 彼女は迷うことなくすぐに返事をしてきた。

 この僕が女の子を家に呼ぶなんて。こんなにも気軽に。

 撮った写真を半分ぐらい見た時、駅に到着した。
 外は少し暗くなり始めていた。

***

「おじゃまします!」

 家に連れてきてしまった。

「いらっしゃい」

 軽く僕の母と話をしてから、階段の下で彼女に待っててもらい、急いで2階にある自分の部屋に行き、片付けた。

 僕は、緊張しながら部屋に彼女を招き入れた。

 えっと、どうしよう……。

 まずは、お菓子と飲み物かな?

「ちょっと待っててね! 自由に過ごしてね」

 予想外の事だったから、どう過ごすかをすぐに頭の中で考えた。

 まずは、お菓子を食べたりして、今日の出来事を振り返り、そしてパソコンのスイッチを入れて、それから……。

 僕が部屋に戻ると、考えていた事全てが吹き飛ぶような出来事が起きていた。

 僕が撮り、プリントして細かくびりびりに破った写真達が床に落ちていた。彼女の視線はそこにあった。

 さっき片付けをした時、机に積み上げてまとめたカメラ雑誌や学校の教科書。その中にあった少し古いカメラ雑誌にそれらを挟み込んでいた。何故その雑誌に挟んでいたのかは記憶にない。

 偶然彼女がその雑誌を手に取り、ぱらぱらと床に落ちてしまっていた。多分写真10枚分くらい。

 彼女は無表情でそれらを見つめていた。

「お菓子とか持ってきたよ」

「あ、ありがとう」

 彼女は言葉と同時に微笑み、何事もなかったかのように写真を拾い集めた。雑誌に挟んで、その雑誌を元通りに戻していたけれど、茶色い瞳を左右小刻みに震わせ、明らかに動揺していたのを僕は見逃さなかった。

 小さなテーブルのすぐ近くにある座布団に彼女は座ったので、それを確認すると僕は、彼女から距離をとり部屋の隅で体育座りをした。

 まずは、今日の撮影の話をしながらくつろいだ。

 彼女は破れた写真についてひと言も聞いてこなかった。少しでも興味があるのなら少し遠回りな話をしながらでも探ってきたりしないものか。

 だって、さっき彼女が会ったばかりの僕の母が写っていた写真だって混ざっていたのに。なんて事を考えながら違う内容の事を話していたら、チョコレートを口にした彼女は聞いてきた。

「私の写真はどうなるの?」と。

「え? コンテストに応募するよ。良い写真沢山撮れたし」

「そういう事じゃなくて。私の写真もあんな風になるのかなって」

 彼女は破れた写真達の方向を指さした。

「ならないよ」

 僕は彼女なら受け入れてくれるような気がして、事情を話した。

 消えてほしいものしか撮れなくなった事。プリントして、びりびりに破り、データを削除する。そうする事によって僕の中からそれらが消えてくれる事……。

「なんか、怖い」

 少し困ったような顔をして彼女は微笑んだ。
 僕には嘲笑っているかのようにも見えた。

 怖い? そしてなんで笑うんだ。

 想像とは違う反応だった。

 確かに客観的に見たら僕の行動は怖いのかも知れないけれど、彼女ならきっと受け入れてくれる気がしていた。

 やっぱり、きっと僕と君は住む世界が違うんだな。

「いつも人に囲まれて、楽しそうに生きていて。不満のなさそうな君には分からないよ」

 僕はイラッとして自分のスマホを壁に投げつけた。
 ぶつかった大きな音が小さな部屋に響き渡る。

…………。

 しばらく無言が続き、彼女は言った。

「は? 何言ってるの? 楽しくないよ。もうこの世に不満だらけ……」

…………。

「私、帰るね。写真はコンテストに出しても削除しても……破り捨てても。自由にしてね」

 彼女は荷物を持つと足早に部屋を出ていった。
 しばらく僕は動けなくなった。

 これは喧嘩? 僕は人と喧嘩をしたことがなかった。それは今まで人と深く関わる事がなかったから。

 どうすれば良いのか分からなかった。

 写真のコンテストを出す気持ちはまだ残っていたから、このまま動けなくなりそうだったけれど最後の力を振り絞り応募する準備をした。

「あ、言いわすれた、好きって」

 コンテストのテーマは“ 好き ” だった。

 結局、彼女に伝えていなかった。

 その事に気がついたのは、コンテストに送る写真の明るさや色などを確認しようと、パソコンの大きな画面で彼女を見た時だった。 

***

 応募する準備を終えると、僕の心の糸が突然プツリと切れた。

 すると、ずっと待っていたかのように闇が勢いよく僕の心を真っ暗にしてきた。
 その日以来僕は家から出られなくなった。もちろん学校にも行けてない。

 作品の入った封筒は母に出してもらった。母は何故家から出られないのか一切聞いてこなかった。

 自分がなんで息をして生きているのか。今にも亡くなりそうで人から愛されている人を、世の中の役に立っている人を、僕の代わりに生かせばいいのに。

 スマホは画面にひびが入ってしまい、元々母とたまに連絡するだけだったし、どうせもう彼女からも連絡来ないだろうし、必要ないと思い解約して捨てた。

 もう僕の心は生きていない。

 けれど、ひとつだけ叶えば良いのにと心の隅でかすかに願っている事があった。奇跡的にコンテストに受賞して、載った雑誌を彼女が偶然手にとり、記事を見てくれる事を。

 僕の下手な写真なんか載るわけないけれど、魅力的な彼女が写ってくれたお陰でもしかしたら……。
 そんな事を考えながら窓から差し込んできた、細々として、今にも消えそうな薄明かりを眺めていた。



 私は、外に出るとひたすら全力で走った。

 辺りは暗くなっていた。

 よろけて転んで膝を再びぶつけた。階段で転んだ時よりも軽くぶつけただけだったけれど、さっきよりも痛かった。膝よりも心が痛かった。涙がいきなり溢れ出てきてその場で膝を抱えてうずくまった。

 破られた写真には、物凄く綺麗な青空や花があった。彼を虐めていた人達がいた。私が普段見ている景色があった。仲が良さそうだった彼のお母さんの写真も。

 撮ってくれた私の写真もあんな風になるのかな、彼の中から消えてしまうのかなって思ったら怖かった。だから“ 怖いね ” って言った。言葉が足りなくて、彼が違う意味に捉えて、だから怒らせてしまったのかもしれない。

 君には分からないって? まだ話すようになってそんなに経ってないけれど、もしかしたら同じ世界の人なのかもって思えていたのに、何で私達の間に線を引いて追い出すの?

 毎日楽しそう? 不満なさそう? ありすぎるし。ってか、あそこでスマホ投げなくてもいいじゃん。

 私は映画とかで物を投げて怒りを表現してくるシーンが大嫌い。

 撮ってくれた写真を削除してもいいって強気な事言っちゃったけど、それは嫌だ。 

 もう色々な気持ちがぐちゃぐちゃに交差した。

 その中で何よりも気になったのは、彼は写真が好きだから撮っていたのではなかったという事だった。

***

 自分の家に帰り、顔を洗おうと洗面所に行き、鏡に映る自分を見た。腫れた目をしている。

 周りに馴染むのは簡単だ。
 ただ合わせて生きていけばいい。

 多数派の列に並び、その場を仕切っていそうな人に従い、面倒くさそうな事は見て見ぬふりをする。
 あとは、嫉妬とか面倒な感情を持たれないように前に出すぎないようにする。

 それと、とりあえず笑顔で過ごしておく。

 私は笑顔を作ってみた。

「うん、気持ち悪い」

 でも偽りの笑顔って周りにバレていない気がするから、いいやって思った。

 とにかく、自分の心を殺して生きる。
 それが正しい事だと思っていた。

 星野結斗を知るまでは。

***

 彼が虐められているのは知っていた。

 景色の一部としてそれを見ていた。例えば、家の前にある木や、その木に止まっている鳥を毎日なんとなく見るような感覚。

 自転車で学校から家に帰る時、途中で横切る公園で、カメラで何かを写している彼を見た。その光景を何回も見掛けると、彼の事が少しだけ気になった。

 学校で彼を目で追うようになっていった。彼はいつも休み時間になると机に顔を伏せていたので、私が見ている事には気が付いていない様子だった。

 いつものように公園の横を通ると、彼が数人に虐められていた。そして、その人達が笑いながら、私を横切っていった。

 彼が大切にしているであろうカメラがベンチの上にあり、彼はそこから少し離れた地面でうずくまっている。

 私は自転車を停め、彼のカメラを手に取ると声を掛け、無意識に私の手が彼の頬に触れていた。
 彼は小柄でふわっとしたくせ毛の髪、パーツが濃い顔立ち。まるで昔家で飼っていたポメラニアンという種類の犬のようだった。

 近くで見るとやっぱりその犬のようだった。

***

 その日から数週間が経った頃。

 最近彼は眉間にしわを寄せ、何か思い詰めている様子で公園にいる。

 思い詰めて彼が何かしたら嫌だなという気持ちと、話掛けて、偶然彼を虐めている人達に見られて私も虐めのターゲットになったら嫌だなという気持ちの間を揺れ動いていた。

 気になって、見て見ぬふりが出来なくなり声を掛けてみた。少し声を掛けるだけ。深入りしない。
 そう思っていたのに予想外の事を頼まれた。

 彼とは深く関わらないと思っていたのに。

 私が彼が撮る写真のモデルを?

 頼まれた瞬間、自分の心の中がキラリと光るのを感じた。気がつけば前向きな返事をしていた。

 その日から彼と話すようになっていった。

 彼は自分の世界を持っている。周りに無理に馴染もうとしない。周りの目を気にしないで好きなことをして生きている。私とは正反対。

 虐められているけれど、そんな彼が少し羨ましかった。そんな感じで私は彼を見ていた。

***

 モデルをお願いされてから私はネットや兄の雑誌を見て勉強をした。服装、ポーズ、メイクの仕方……。

 当日は彼がきちんと計画を立ててくれたのでスムーズに撮影が進んでいった。

 最近は本当につまらなくて、乾いている毎日だったけれど、彼は私の心に潤いを与えてくれた。

 その日、私は彼に伝えたい事があった。

「窮屈で、生きていることが息苦しくて」

 ポートレートモデルをお願いされた日、彼が言った言葉。私も同じ事を日々思っていた。

 大人になれば、どうなるのだろうか?
 
 その気持ちから解放されるのだろうか?

 それを調べるためにネットや本を沢山読んでいた時期があった。

 大人になれば、世界は広くなる。

 なんて答えを、人生を成功した人達が話していても、その人達の過ごしている環境や運が良かっただけで、大人になっても私はこのまま狭い世界で生きていかなければならないのではないか。

そう思いながらも「あなたの世界はここだけではないから。大人になればもっと広いところに行けるから大丈夫」。

 私がその頃に読んでいた本に書いてあった言葉を、そのまま彼に伝えた。

 自分にも言い聞かせるために。

***

「彼の家に行かなきゃ良かったな」

 モデルをした日から約2ヶ月経った。

 彼は、あの日から学校に来なくなった。

 放課後。日が短くなってきて、早い時間にもう薄暗くなっている。

 私は今、誰もいない教室の自分の席に座り、机に顔を伏せている。

 そのままの姿勢で目を瞑っている。

 あぁ、何も聞こえない。暗い。

 彼はいつもどんな気持ちでこうしていたのだろう。
 彼から写真を破く話を聞いた後、私は紙をビリビリに破って捨てる行為について調べてみた。終わらせたい、疲れた、ストレス解消って内容が書いてあった。

 友達や親が理解出来ない言葉を発したり、いつもと違う顔、仕草をするとその人がどんな心理状態なのかネットで調べる習慣が私にはある。そして分析して嫌われない行動をとる。

 ネットで調べるだけじゃ分からないな。

 彼以外はこの痛みを知らない。

 知ろうともしない。

 そう考えて今私は彼になってみている。

 彼の気持ちになっていると、生きているのか分からなくなってきた。生きているけれど、すぐに崩れそうな、微妙なバランスで心を保っているのだと思った。

 私も闇に吸い込まれそうになったので顔を上げた。

 
***

 彼の姿がなくても、周りは進んでいく。

 きっと、それが私でも。

 自分達とは違うものを纏っているからって、時にはただ気に入らないからってだけで無視したり攻撃したり、ほんとダサい。

 まぁ、それを見ているだけの私もダサいけど。

 学校で、友達と話すのが面倒になり、休み時間になると机に顔を伏せた。

 周りの声が聞こえる。動いている。

 自分だけ止まっていて、まるで自分だけが消えているみたいに感じた。

 普段は自分が消えているように感じていて、でも虐められる時だけ存在があって。彼はそれが毎日だった。

 心が痛くなって、早退した。

 帰ると2階の部屋の窓を開け、雲ひとつない青い空を撮ってみた。

 私が彼の立場なら、こんなに綺麗な空の景色も歪んで見えて消したくなるかもしれない。全ての人も。もしかしたら自分の事さえも。

 私、本当に馬鹿だな。

 なんで彼に怖いなんて誤解させる言葉、言っちゃったんだろう。しかも笑いながら。

 その日から連絡を一切していない。1回だけ電話を掛けてみたけれど、その番号は使われていなかった。

 もう、関わることはないんだろうな。

***

 冬になった。

 リビングのテーブルの上に兄のカメラ雑誌が3冊積み上げられて置いてあった。

 もう、彼と話さなくなってから読まなくなったな。

 そう思いながらも、吸い込まれるように本を手に取りページをさらっとめくっていった。

 「えっ?」

 3冊目をめくっていた時、見覚えのある人がいた。
 過ぎたそのページをもう一度めくり返してみた。

 これ、私?

 自分が写っている写真が雑誌に載っていた。

“ 佳作 作者 星野結斗さん ”

 手が少し震えた。

“ 題名 僕の闇に灯る光  作者のコメント ずっと僕の心に残しておきたい写真です”

 この写真、私の笑顔、めちゃくちゃいいじゃん。
 鏡に映っていた嘘っぽい笑顔なんかじゃなくて。
 空を見上げて心から笑っている自分が、キラキラと輝いている夕陽に包まれながら写っていた。

 私こんな風に笑えるんだ。

 そして写真コンテストのテーマは“ 好き ”

 ――私は、どうしたい?

 その雑誌を勢いよく閉じると、大切なものを扱うように抱きかかえ、急いで外に出た。

***

 ずっと走って、30分ぐらいで彼の家に着いた。

 コートを着るのを忘れていたので、本来は寒いはずなのに暑かった。

 彼の家の前に着いてから、いきなり押しかけるのはまずいかなと思ったけれど、とりあえず勢いでチャイムを押した。

「はーい」

 彼のお母さんが出た。

「あ、あの……」

「……ちょっと待ってね」

 インターホンのカメラで私の顔を確認した彼のお母さんは、不機嫌な顔をして出てきた。

「何か用?」

「あ、結斗くんに用事が」

「とりあえず、玄関に入って」

「あ、おじゃまします」

「あの子、ずっと部屋に閉じこもっていてね……。あなたが来た日から。学校にも行かなくなったし、あの子の父親も昔出ていってしまってね。周りに絶対何かこの家の事を言われているわ。親戚も。もう、あの子は学校にきちんと行って、写真撮っていればいいのよ。そもそも……」

 途中から彼のお母さんの声が雑音に聞こえてきた。

「あの、結斗くん虐められていたの知っていましたか? どんな気持ちで写真を撮っていたか知……」

 これ以上言葉を続けると泣きそうになったので、私は勝手に家に入り、彼の部屋に向かった。

***

 階段を駆け上がりながら私は、彼はずっとひとりで闇の中にいるのだと思った。
 登りきると彼の部屋のドアをノックして名前を呼んだ。
 彼はすぐにドアを開けてくれた。やつれた顔をしていた。

「大丈夫?」

 私が問うと彼は首を横に振った。

「だよね」

「……これ、見てほしい」

 彼はそう言うとクローゼットを開け、びっしり破られた写真が詰まっている、大きくて透明な袋を見せてきた。

「これ、捨てられないんだ。ずっと、ひとつも」
 彼が存在を消してしまいたいという気持ちで撮り、プリントし、破り捨てて消そうと思ったけれど完全には消せなかった塊達。

 形は違うけれど、私の心の中にも似たようなものがある気がした。


***

 まだ大人じゃないけれどあなたが今いる闇の世界の光に私はなれる? 私もこの世界から抜けられる? 出来るかも。

 ――ふたりで光が生まれそうな言葉を、行動を。

 少しずつで良いから一緒に紡いでいけば、やがてそれらは形になるかもしれない。

 彼に作品が載った雑誌を見せた。
 彼はただ静かに、頷いた。

 私は繊細な彼を傷つけないように、壊れてしまわぬように、ふわっと優しく抱きしめた。
 抱きしめた瞬間、私も彼の事が好きなのだと実感した。

 これからは残したい気持ちで撮っていけばいい。

 もしも彼がこれからも、ずっとずっと消したいものしか撮れないのなら、撮る事を辞めてもいいし、それらを撮らずに残したい私の写真だけを撮ってもいいんだ。選択肢は沢山ある。

 その時、窓から差し込んできた明るい光がふたりを包み込んでくれた。

 彼から離れると私は、彼が捨てられない袋を手に取り、もう片方の手で彼の手を握り、ドアを開け、狭い部屋から外に出た。

 一回リセットして、新しい世界を一緒に創っていこう。

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