放課後、川瀬さんに部室を案内された私は、第二校舎の階段へと足を早める。

夕焼けに照らされた廊下は一日の終わりを告げるような気がして、心なしか寂しい気持ちになる。


「わっ!海幻、びっくりさせんなよ!寿命が縮まる」

「遅くなってごめん」

「いやいや、別に待ってねーから」


さらりと言われたその言葉が胸にちくりと刺さる。確かにその通りだと思う。成瀬君が寂しい思いをしないようにと思ってここに来るのは、私の勝手なお節介に過ぎない。

あれ?


「どうした、海幻」


目を凝らして階段に座り込んでいる成瀬くんを見てみると、腰掛けている段差の手すりが身体をうっすら通り越して見える。

気のせいかと思って目を擦り、もう一度じいっと見てみる。やっぱり見間違いではなさそう。


「成瀬くん、ちょっと透けてる」

「……は?」


成瀬くんはしばらく私の顔を見つめてから、急に顔を真っ赤にする。

ちが、そうじゃなくて……!


「透明になってる!」

「そっちか!って、まじ?」


成瀬くんは顔を赤くしたまま、自分の腕や脚、全身を入念に見回しながらペタペタと触る。


「別に何ともなってないけど」

「え?そんなはずは」


どうやら私だけが透明に見えているみたいだった。

試しに鞄にあった鏡に写して見せてあげようと思ったけれど、幽霊である彼が映ることはなかった。もしかしてこのままーー

一抹の不安を覚えたけれど、成瀬くんなぜか嬉しそうに、

「海幻、なんか良いことあった?」

と言ってくる。


「どうして?」

「いつもより海幻が楽しそうに見える」

「楽しいかどうかわからないけど、クラスの子と文化祭で上映するMV製作を一緒にすることになったんだ」


軽音楽部の部室を案内された時、ずっと心臓が高鳴っていた。

てっきりこの感情は不安か緊張なのかと思っていたのだけれど、もしかして、楽しいという気持ちもあったのだろうか。


「エムブイって、動画サイトとかに投稿されてる、あの歌と一緒に流れる映像だよな」

「そう。動画内に手書きのイラストを入れて、それを編集ソフトで動かすんだって」

「ってことは、海幻の絵が世界に拡散されるってことか?」

「いや、だから文化祭だけ……」

「良かったじゃん!海幻、頑張ってたからな!」


頑張って描いたのは、成瀬くんに見せるためだった。

どうせ描くなら成瀬くんが知っているところの景色を描けば楽しんでくれるかな、なんて思ったから、教室やグラウンド、中庭や昇降口など、この学校の風景を切り取ったシーンを描いた。

よく考えるとその絵を見て川瀬さんが私を選んでくれたのだから、やっぱり成瀬くんには感謝をしなければいけないと思う。

というか、人のことでこんなにも喜べるなんて。


「でも、ちょっと不安なんだ」


今まではノートやスケッチブックに描いている程度だった私が、MV製作をするとなると話は別だ。

軽音部員の秋元くんも手伝ってくれるとは言ってくれたものの、動画やイラストの編集ソフトも使えるようになっておかなければいけない。

川瀬さんがタブレットを貸してくれると言っていたし、時間が空いている時はパソコンの使い方も教えてくれると言ってくれた。

こんなにも至れり尽くせりな環境を用意してくれるのであれば、もちろんそれ相応のものを作らなければいけないという気持ちが徐々に強くなり、そしてどんどん怖くなってくる。


「勉強勉強!全部楽しんだら良いんだよ!」

「楽しめるかな」

「海幻なら大丈夫だ。せっかく生きてんだから、失敗も全部楽しまねーとな!」


成瀬くんはいつものように強引に前を向かそうとしてくれる。

ちょっと反応に困るようなことも言ってくるけれど、それも含めてやっぱり成瀬くんに大丈夫と言ってもらえると、不思議と本当に大丈夫な気がしてくる。


「ありがとう。頑張ってみる」


私は背中を押して欲しかったのかもしれない。


「おう、頑張れ!」


でも、そうなると先に謝っておかなければいけないことがある。


「あ、でも、そしたらしばらく軽音楽部の人と一緒にいることが増えちゃうから……」

「俺のことは気にすんなって」


成瀬くんがまた一人になってしまう。

そう考えるのは私の思い上がりなのかもしれない。

でも、今まで散々助けてもらっていたから、やっぱり何かしてあげたいって考えてしまう。


「そんな顔すんなって。ほんと、海幻は優しいやつだなー」

「ごめん」

「完成したら俺にも見せて」


そう言ってくれたことで、私の中の申し訳なさが少し和らいだ。けれど透き通り始めた身体を見て湧きあがった不安がどうしても完全に消えることはなかった。


「うん。絶対に」


頑張ろう。

そう思って別れ際に再び成瀬くんを見ると、身体を通して見える向こうの景色が、また一段と濃くなったような気がした。
照りつける日差しが落ち着き、蝉の鳴き声が変わる秋の初め。

すっかり日が暮れた軽音楽部の部室は、黄ばんだ蛍光灯が私達三人をやさしく照らす。

二ヶ月にも及ぶMV製作はいよいよ佳境である最終チェックが終わりを迎え始めていた。


「秋元くん、この空のもう少し濃い目の方がいい?」

「いや、このままでいこう」

「海幻、その女の子のスカートのひらひら、もう少し濃くできる?」

「ちょっと待って。やってみる」


いつしか私は下の名前で呼ばれるようになり、私も川瀬さんを香代ちゃんと呼ぶようになった。さすがに秋元くんまで下の名で呼ぶには至っていないけれど。


「よし。これで全部繋がったな。一回最初から流してみよう」


再生ボタンを押そうとする秋元くんを固唾を呑んで見守る。


「やばいー!ドキドキしてきたー!」

「ひゃあっ!」


興奮を抑えきれない香代ちゃんに抱きつかれた私は、柄にもなく大きな悲鳴を上げてしまう。


「か、川瀬も山野も落ち着け!」

「秋元くんだって指超震えてんじゃん!」

「いや、だって、これで完成だと思うと、ちょっと……感慨深いというか」

「まだ終わってないよ」

「そうだぞ!山野の言う通りだ!」


連日の徹夜と完成間近のテンションを制御できないでいると、突然、部室の扉が開いた。
「お前らまだ残ってたのか。そろそろ帰れよ」

「すみません!あとちょっとで完成なんです!そうだ、安達先生も一緒に見ましょうよー!」


軽音楽部の顧問をしている安達先生まで来てしまって、状況はさらにカオスに。もっとも、香代ちゃんは安達先生に対して一歩も引かず、むしろ仲間に引き込もうとする。


「おお!ついに完成したか!よし、ちょっと待ってくれ」


あっさり引き込まれちゃった。

安達先生は部室の隅にある椅子を見つけると、私のところに持ってくる。

失礼かもしれないけれど、安達先生は軽音楽部と言うより、ラグビー部の顧問の方がしっくりくるのではないか思うほど身体も声も大きい。

地声が大きくてびっくりするから私は少し苦手なのだけれど、暴走しがちな香代ちゃんをいつも上手く制御していたり、よく曲作りに悩む秋元くんの相談に乗っていたりするところを何度も見たことがある。

なんだかんだ言いながら今回のMV製作を一番応援してくれているのは安達先生なのかもしれない。

動画はテロップのずれが少しあったぐらいで、それ以外に大きく直すところは見当たらなかった。

私の描いた背景や女の子のイラストは何の違和感も無く香代ちゃんの歌声に溶け込んでいた。秋元くんの編集技術は本当にすごい。


「いい……!すっごくいい!」


香代ちゃんは動画が終わってもしばらく画面を見つめたまま、噛み締めるように言った。


「まだ少し直すところがあるけど大方完成だな。うん、山野の絵も上手くに馴染んでる」

「秋元くんの編集のおかげだよ」

「最高ー!海幻に声かけて良かったー!」

「わっ!」


そう言って香代ちゃんは再び私に抱きつく。

何度か香代ちゃんの頭をぽんぽんと撫でて落ち着かせていると、後ろから鼻を啜っている音が聞こえてきた。


「お前らすごいな。毎日遅くまで頑張ってたもんな……」

「え、まじ?先生泣いてるの?」


メガネを外して目元を擦っている安達先生は、やっぱり熱い先生だと思った。よく考えると、大人が目の前で泣いているところは初めて見たかもしれない。

安達先生を茶化している香代ちゃん達を見て、ようやく私も緊張から解放されたのか、ほっと胸を撫で下ろした。
「山野、本当に大丈夫か?」

「うん」

「それじゃ、また来週な」

「海幻、また連絡するね!」

「ばいばい」


教室に忘れ物を取りに行くと言って昇降口で二人と別れる。付き添いを断ってしまったのはちょっと申し訳ないなとは思いながら、私は足早に第二校舎の階段へと向かった。

防犯のためか、廊下の電気は付いているけれど、教室は真っ暗闇に染まっていた。廊下には私の足音がこつこつと響き、音に集中すればするほど私の心細さが大きくなって来た。


本当は、不安に耐え切れなくて、何度も辞めようと思っていた。

秋元くんと香代ちゃんの熱量が伝わって来れば来るほど、私なんかが関わって大丈夫いいのかなって考えてしまう。

でも、成瀬くんはいつも大丈夫だと言い続けてくれた。

こんな時間に行ったら怒られるかな。

でも、早く成瀬くんに会いたい。会って感謝を伝えたい。

お礼を言ったらすぐに帰ろう。


「成瀬くん」

「お、海幻。こんな時間にどうした?」


息を切らしながら成瀬くんを呼ぶと、いつものように成瀬くんはすぐに返事をしてくれた。


 ……あれ?


「どうした海幻」


 私はぎゅっと目を瞑ってから、ゆっくりと開け直す。けれどやっぱり結果は変わらない。


「成瀬くん、消えかけてる」

「……そうか。やっぱり」


いつものように明るく冗談を返してくれるはずなのに、今日は少し哀しい声で精一杯の返事をするだけ。もうお礼を言うなんて気持ちは、どこかに行ってしまった。


「海幻、ちょっと聞いてくれ」

聞いてしまったら、現実を受け入れてしまう気がして、怖くなった。


「……えないで」

「え?」

「消えないで」

「だ、大丈夫だって。勝手に消えたりしねーから、安心しろ」


狼狽える私を宥めるように、成瀬くんはいつもの表情を作る。

まただ。私はいつも成瀬くんにしてもらってばかりだ。


「ごめん」

「俺の方こそ、びっくりさせてごめん」


静寂に包まれた階段には、中庭からわずかにこおろぎの鳴き声が聞こえてくる。


「左腕の包帯、大分少なくなったな」

「えっ?」

「入学した時ぐるぐる巻きだったろ」


左腕の傷は、自分自身で傷付けた証拠を隠すためだった。

小学生の頃、学校や家で嫌なことがあると、左腕にぎゅっと爪を立てて引っ掻く癖があった。

高校に進学してもずっと、いらいらが溜まる度に傷付けていた。

包帯をしていたのは、傷だらけになって変色した腕を隠すため。このことは、もちろん誰にも言っていない。

初めて成瀬くんと会った時が一番酷かったと思う。

でも、成瀬くんと出会い、香代ちゃんに声をかけられるうちに、次第に傷を付ける頻度が減っていった。


「海幻さ、初めて会った時、死のうと思ってたろ」

「……なんで、それを」


あの時私は、このまま車に轢かれてしまおうと思っていた。


咄嗟にリンを助けるふりをして、自分から車にぶつかろうと企んでいた。

でも、もし本当に車に轢かれていたら、運転手さんの人生は変わってしまっていただろう。そして私が死ぬことで、お母さんや柚の心にも深い傷を残してしまっていたかもしれない。

あの時の私は一杯一杯だった。でも、今思うと、本当に馬鹿なことを考えていたと思う。


「これは俺の憶測なんだけどさ。海幻は死のうと思ってたから、俺のことが見えたじゃないかな」

「そんな……」

「今は死にたいなんて思ってないだろ?」

「……うん。思わなくなってきてる」


車に轢かれそうになったあの日以来、学校では成瀬くんと話すようになり、次第に香代ちゃんや秋元くんとも一緒に行動するようになった。

気がつけばいつも誰かとと一緒にいて、死にたいなんて気持ちは少しづつどこかに行ってしまった。


「海幻が前向きに生きようと思うほど、俺が見えなくなるんだ」

「じゃあ、成瀬くんはどうなるの?」

「わからない。今まで通り彷徨うことになるかもしれない」

「そんな……また一人ぼっちになっちゃうよ」


誰にも気付いてもらえず、ただ一人で過ごすだけの毎日に、もう戻っちゃいけない。

私だけが助かって良いわけがない。


「一人ぼっちって、海幻にはもう友達がいるだろ」

「成瀬くんがだよ……」

「だから俺のことなんてーー」

「どうして私のことばかりで自分のことをもっと大事にしないの!ばかっ!」


感情のまま立ち上がり、思い浮かんだ言葉を力一杯ぶつける。

抑えようとすればするほど握りしめた拳が震えて、泣きたくないのに涙が溢れてくる。

湧き上がる感情がコントロールできないのは、こんなにも苦しいんだ。


「ごめんなさい……」

「海幻、ありがとな」


成瀬くんは私の頭に優しく触れる。掌の感触はないけれど、確かな温もりは感じる。それが余計に、切ない。

このままだと、きっとそう遠くはない将来に、成瀬くんの姿は見えなくなってしまうだろう。

私は成瀬くんにも幸せになってほしい。

 
「少しだけ、私も成瀬くんのためにできることをさせて」

「海幻……」


大きなお世話かもしれない、でも、今度は私が成瀬くんの力になりたい。

廊下のほうから足音が聞こえてくる。うっかり大きな声を出してしまったから、不審に思った先生か警備員の人が気付いてしまったのかもしれない。


「海幻、そろそろ行った方がいいぞ」

「あ、うん。また来るね」

「待ってる」
気配を消しながら足音がする方向の反対に進む。

別に悪いことをしているわけではないから、無理に見つからないようにこそこそする必要はないのかもしれない。

けれど、さすがにこんな時間に一人で校内をうろついているのが見つかれば、次の日は生徒指導室に行かないといけなーー


「おい、山野!」

「ぎゃあっ!」


下駄箱の蓋を開こうとしたら、突然背後から大きく低めの声が聞こえて、口から心臓が飛び出そうになる。


「そんなに驚かなくても。もう遅いんだから、早く帰りなさい」

「す、すみません」


ふうと大きく息を吐き、逆立った神経を宥める。


「山野、軽音部に入りたかったらいつでも言ってくれ。あいつらも喜ぶし」

「はい。ありがとうございます」

もしかして安達先生なら成瀬くんについて何か知っているかもしれない。


「……安達先生」


いつもの私なら自分から声なんて絶対にかけないのだけれど、なんとなく、安達先生になら聞いても大丈夫だと思った。


「どうした?」

「あの、五年前に生徒が飛び降りた自殺をしたっていう話、本当ですか?」


想定外のことを聞かれたのだろう。安達先生はピクリと眉を動かす。


「自殺?俺は事故だと聞いているが」

「どういうことですか?」

「俺は去年赴任してきたから人づてにしか知らないけど、たしか屋上のフェンスによじ登った生徒が落ちてしまったらしいんだ」

「どうしてそんなこと」

「いじめに遭っていた子のスケッチブックを取ってあげようとしたらしいんだ。生徒会に入ってた子だったし、正義感の強い子だったみたいだな。おっと、もう遅いからこの話はまた今度な。いい加減に帰りなさい」

「はい、さようなら」


そういえば、いつも私の話を聞いてもらっているばかりで、私は成瀬くん自身の事は全然あまり知らない。

何度か気になったことはあったのだけれど、亡くなった時の話を本人に直接訪ねるのはさすがに死因を調べるみたいで失礼だと思い、いつしか自分からその話題に触れないようにしていた。

このままで良いのだろうか。

やっぱり、もう少し成瀬くんのことを知りたい。
次の日の放課後。私は香代ちゃんに用事があると伝えてから、すぐに成瀬くんのいる階段に向かった。

昨日家に帰ってから早速スマホで「幽霊 成仏 方法」と検索して、いくつかできそうなものを考え、用意できるものは全部揃えた。これでよし。


「……海幻、何やってんの?」

「何って、お線香あげるんだよ。あの世への道標になるんだって」

「いやいやいや!階段臭くなるし、そこの警報器も鳴るって!てか、学校にライターなんて持ってくんなよ。勘違いされるぞ」

「でも、これで成瀬くんが成仏できるかもしれないじゃん。あと、これも」

「ナス⁉︎」

「精霊馬っていうんだよ。これに乗って向こうの世界に行くんだって」


運よく押入れの中にはおばあちゃんのお墓前りをした時のお線香の残りがあったし、冷蔵庫の野菜室にはそこそこ大きなナスがあった。

ナスをカバンに入れているときは運悪く妹の柚に見つかってお母さんを呼ばれてしまったけれど、美術の授業でデッサンに使うと言ったら上手く誤魔化せた。


「それ、お盆の時に先祖が帰るやつ……俺まだあっちの世界行ったことすらないんだけど」

「……え?」


成瀬くんはぶはっと大きく吹き出す。


「ずっと思ってたけどさ、海幻って意外と天然なとこあるよな」


天然って、失礼な。こっちは必死なんですけど。


「それに、明るくなった」

「……やってみないとわかんないじゃん」

「いいね。そういうとこ好き」


茶化さないでほしいし、無駄に褒めないでほしい。これ以上私が前向きになったら、本当に成瀬くんが見えなくなっちゃうよ。

結果はというと、言うまでもなく成瀬くんの身に変化が起こることはなかった。

警報器が反応しないように階段の窓を開け、お線香を一本だけあげてみるけど、何も変化は起きない。

階段に匂いが残らないように下敷きで仰いでから、成瀬くんの目の前に爪楊枝を四本刺したナスを置いてみるけれど、やっぱり何も起こらない。

二人でナスをじいっと見つめ、そもそもこれにどうやって乗りこむのかについてを本気で考えてみたけれど、次第に方向性が間違っていることにようやく気付いて顔が熱くなった。


「次、何する?」


成瀬くんはもう遊びに近いテンションだ。


「えーと、お経読むとか。ほら、昨日スマホにダウンロードしておいたよ」


できるかどうかわからなかったけど、一応調べておいて正解だったかも。

ちょっと自信がないけれど、読み仮名付きだし、気持ちを込めればそれっぽくなるかもしれない。


「お経は霊を成仏させるためのものじゃないぞ」

「……」


終わった。

あんなにも意気込んで決意したのに。あっという間に私のアイデアは打ち止めになってしまった。私は何をやっているんだろう。


「海幻、ありがとな。ちょっと休憩しようぜ」


どうすればいいんだろう。

どうして私たちは出会ってしまったんだろう。

消えてしまうとかわっていながら一緒にいるのは、やっぱりきつい。

気を抜くと悲しい感情が私に襲いかかってくる。

開いた窓からは、心地良い風が入ってくる。こうして空を眺めるのは久しぶりかもしれない。

項垂れている私を励ますように、成瀬くんは私の肩を叩く。

私達は踊り場にある窓からぼーっと空を眺めながら、時間だけが流れるのを感じていた。
そういえば、香代ちゃん達に自分から休ませてほしいって言ったのは、今日が初めてかもしれない。


香代ちゃんから好きなところで作業できるようにって、タブレットとノートパソコンを貸してもらっていたのだけれど、なんとなく一緒に行動しておいた方が良い気がして、体裁的に部室で作業をしていたこともあった。

今思うと、そんな必要なんてなかったのかもしれない。

そう思うと、心のどこかで遠慮がちな気持ちが吹っ切れたような気がした。


「ねえ、成瀬くんは本当に自殺をしたの?」


決して重すぎないよう、ふと思い出したように訊いてみる。


「誰かに俺の話訊いた?」


成瀬くんは怒ってはいないけど、戸惑ったような顔をしている。


「ごめん。ちょっと気になって、先生に訊いちゃった」

「別にいいけど、なんか言ってた?」

「自殺じゃなくて事故だって」

「ああ、うん。そうだよ」

「詳しく訊いちゃだめかな」

「……俺の話なんて訊いてもしょうがないぞ」

「しょうがなくないよ。私は知りたい」


成瀬くんはしばらく考えてから「そんなに格好良い話じゃないけど」と苦笑いをして、静かに口を開いた。


「気になる子がいじめられていてさ、助けようとしてたんだ」




確か高校二年生だったと思う。

別に自慢するわけじゃないけど、俺は昔から成績も悪くなかったし、スポーツもできる方だった。高校二年生になって生徒会にも誘われて、先輩と一緒にこの学校が少しでも良くなるように努めていた。

父さんは警察官、母さんは保育園の先生をしていて、両親とも人のために尽くすことを生業にしていた。だからその影響を受けて、人一倍正義感が強くなったのかもしれない。

いじめられていたのは同じクラスの美術部の女の子だった。

その子は教室でいつも一人で絵を描いていた。ただ、その子はあまりにも尖った性格をしていて、周囲の人間に溶け込むことができないどころか、クラスメイトとも度々衝突を繰り返していた。

当時の俺はその子のことが気になってしょうがなかった。最初はいじめられていた人間を放っておけないという正義感からそう思ったのかもしれない。けれど。

いつも自分の世界を持ち、はっきりと嫌なものを嫌だと言える。

他者から感謝されることばかり考えるような俺からすると、その子が格好良く見えてしょうがなかった。

でも、彼女を取り巻く環境は状況は悪化していった。やがて彼女の机には誰かが油性マジックで書いた心無い言葉が増えていき、少しづつ彼女の持ち物が無くなり、ついにその子は学校に来なくなった。

一度だけ放課後近くの本屋でその子を見かけて声をかけたことがあった。

その子は「もう学校には行かない」とはっきりとした口調で言った。その顔は誰かを憎んでいるとかではなく、晴れ晴れとしていた。


その頃からかもしれない。自分のことが無性に恥ずかしくなったのは。


ある日、お昼休みに第二校舎の屋上に行ったら、誰かが屋上からその子が毎日使っていたスケッチブックを投げ捨てていた。幸い風に押し戻されて、フェンスの上に被さるように引っ掛かった。

俺は誰もいなくなるタイミングを見計らい、フェンスに登った。

スケッチブックを投げた奴らはすぐに戻ってきた。

まずいと思ってしまった。見られたことが、恥かしかった。

直後、再び強風が吹き、視界がぐらりと傾いた。