……。
ぽかんと口を開けたまましばらく言葉の意味を解析する。
聞き違いだったのか、それとも成瀬くんは子供じみた冗談を言う人だったのだろうか。
「もうとっくに死んでるんだ」
……ごめんなさい。やっぱり何言ってるのか、わかりません。
「五年前に校舎から飛び降りて自殺したんだ。ほら、第二校舎の屋上って立ち入り禁止になってるじゃん。あれ、俺が落ちたからなんだ」
急に振られた非日常的な話についていくのがやっとだ。
「で、でも、幽霊だったら人や物に触れられないんじゃないの?さっき私の背中を押してくれたし、顔も洗ってたし」
「ああ、あれな。どういう訳か、たまに本気で何かに触れたいと思ったら、一時的に俺の身体が実体として現れるらしいんだ。もちろん重いものも持ち上げられるぞ!」
「へ、へえ……便利だね」
ゲームの無敵時間のような機能だなあなんて思ったけど、さすがに絶対口にしちゃいけない。
ポルターガイスト現象の大半は、成瀬くんのような幽霊の仕業だったりするのだろうか。
「信じてない顔してるな。何なら試してみる?」
成瀬くんはそう言って、右手を私の頬にゆっくりと近づける。
指が触れる瞬間、怖くなった私は思わず目を瞑る。
頬のあたりが少し温かいような、むず痒いような。触れられているような感じがした。
「目、開けてみ」
「えっ?……」
言われるままゆっくりと目を開くと、成瀬くんの人差し指と中指が私の頬に飲み込まれていた。
声にならない声を出して少し後退りすると、成瀬くんは私の目をじっと見つめながら「透けてるから大丈夫だよ」と言う。
少し落ち着いてきたから、深呼吸しながらあらためて今の状況を確認する。やっぱり自分の頬に人の指が貫通している状況は非日常的過ぎる。
頬に神経を集中してみるけれど、やっぱり全然痛くはない。
でも、なんとなく、温もりは感じる、これは錯覚ではないと思う。
やがて私の頬は指だけではなく掌、手首、右腕の順に飲み込んでいく。
……ん?
「ちょっ……ストップ!ストップ!」
二の腕まで飲み込んだところで、ようやく私は慌てて制止をする。
このまま顔まですり抜けるつもりだったのだろうか。ちょっとそれは……恥ずかしいことになるのでは。
「悪い。さすがにビビるよな。調子に乗り過ぎた」
「い、良いけど……」
心臓がの鼓動が早まっているのは、驚いたからだけじゃない。
気持ちを落ち着かせようと膝の上でうとうとしていた子猫の喉元を人差し指で撫でると、ごろごろと喉を鳴らしながら指に頬を擦りつけてくれる。この子のおかげで私の心臓は少しだけ落ち着く。
「すっかり海幻に懐いてるじゃん」
「ひとりぼっちなのかな」
「飼ってあげたら?」
「私が?」
「だって俺、触れねーもん」
成瀬くんの手が子猫の頭を撫でようとするけれど、さっきの私のように、子猫の頭に飲み込まれてしまった。
子猫は気配を察知したのか、ピクリと耳を動かすと成瀬くんの方に振り向き、じいっと見つめる。
「成瀬くんが見えてるのかな」
「何となくわかるんじゃねーの。猫は霊感が強いって聞くし」
そう言って、成瀬くんは子猫の目の前で手をひらひらする。けれど子猫の意識はすぐに私の方に向き直された。
見えているのか、いないのか。本当のことはこの子にしかわからない。
触れようと思っても、触れられない。
気付いて欲しくても、気付いてもらえない。
失礼かもしれないけれど、私が成瀬くんと同じ状況だったらと思うと、きっと耐えられない。
時々寂しそうな表情を見せるのは、どうにもできないこの状況を諦めているような気もする。
一人になりたい私とは違って、彼は本当に一人だった。
……どうして自殺なんかしたのだろう。