解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる



「夕食ができました」

リビングで読書をしたり、目を瞑ったりとゆったりしていると、メルシアのそんな声が響いた。

ダイニングテーブルに移動すると、そこにはスコルピオ料理が並べられていた。

「スコルピオの唐揚げです」

「スコルピオだね」

「スコルピオだわ」

思わずそんな感想を漏らしてしまうくらいに並んでいる料理はスコルピオだった。

解体されたスコルピオの腕、脚、胴体、尻尾が茶色い衣を纏って積まれている。

通常のサソリであれば、そのまま全身を揚げればいいのだが、スコルピオは体長八十センチとかなり大きい。全身を揚げるのでは熱が通らないので、部位ごとに分けて揚げたのだろう。

唐揚げの見た目に圧倒されているとメルシアが台所から大きな鍋を持ってきた。

「こちらはスコルピオの鍋です」

蓋を開けると、ふんわりと湯気が立ち上る。

鍋にはスライスされたスコルピオの胴体が入っており、キャベツ、キノコ、ネギ、水菜などといった具材が入っていた。

「こっちは普通に鍋っぽいや」

「スコルピオって茹でると赤くなるのね! 見た目も鮮やかで綺麗だし、美味しそうだわ!」

唐揚げのインパクトに比べると、こちらは見た目が控え目だ。

熱を通されて赤くなった殻はカニやエビのようで普通に美味しそうだ。

「それじゃあ、まずは唐揚げから食べてみようか」

「え、ええ」

席につくと、それぞれが唐揚げを手にする。

俺は腕を選び、レギナは尻尾を選び、メルシアは胴体の部分を選んだようだ。

まずはこういったものに慣れている俺とメルシアが唐揚げを口に運ぶ。

パリパリッと殻を噛み砕くような食感。

「うん、美味しい」

「身はやや小さめですが、しっかりと旨みが詰まっていますね」

殻の内部には柔らかな身が詰まっており、内側からジュワッとエビのような旨みが出てくる。

噛めば噛むほど旨みが広がり、パリパリとした食感と相まって癖になる。

そんな俺たちの様子を見て、レギナが意を決したような顔になって唐揚げを口にした。

レギナは一口目を食べるとカッと目を見開き、レギナはすぐに二口目、三口目と唐揚げに齧り付いていく。

「レギナ様、お味はいかがでしょう?」

「予想以上だわ! まさか、スコルピオがこんなに美味しいとは思わなかったわ!」

おずおずとメルシアが尋ねると、レギナは驚きと興奮の入り混じった顔で答えた。

「帝国でもサソリは食べたことがありますが、スコルピオはそれ以上の美味しさですね」

「動物か魔物かって違いもあるだろうけど、過酷な環境に身を置いているからだろうね」

動植物の中には栄養源が摂取できなくなると、僅かな栄養を体内に溜めたり、自らの体内で作り出す個体もいる。それと同じ原理でスコルピオの身には旨みが詰まっているのだろう。

なんて考察はほどほどにして俺は腕以外の部分も食べてみる。

胴体の部分は腕に比べると殻と身が少し柔らかい。胴体はしなやかな動きを求められるので筋肉のつき方が違うせいだろう。

単純な旨みでは腕にやや劣るが、内臓などの苦みもあって腕とは違った美味しさがあると思った。

尻尾は殻がパリパリとしていて、他の部位と比べると一番食感としての楽しさがある。

腕や胴体に比べると、身が少ないものの凝縮された甘みがあった。

どの部位にも美味しさに違いがあって面白いものだ。

「お次は鍋といきますか」

茶碗を用意すると、メルシアがそれぞれ取り分けてくれる。

「殻は取ってお召し上がりください」

「ありがとう」

熱を通して身が少し縮んでいるからだろうか。スコルピオの身は殻からあっさりと外れた。

ぷっくらとしたピンク色の身を食べてみる。

「柔らかくて美味しい!」

「唐揚げとはまた違った上品な味ね!」

「なによりもスープがいいね」

「ええ、このスープが本当に美味しいのよ」

ほんのりと甘く、それでいてスコルピオの旨みもしっかりとある。それらをキャベツ、キノコ、ネギ、水菜などの具材がたっぷりと吸い込んでいる。

さっきの唐揚げが豪快な旨さだとすると、こちらは上品な美味しさといえるだろう。

飲むとホッと息を吐きたくなるような優しい味がいい。

「味付けはスコルピオから取った出汁を使用しており、そこに少しのハーブや調味料を加えただけですよ」

メルシアはなんてことがないように言っているが、その少しの味付けが難しいのだと俺は思う。

そうやって和気藹々(あいあい)と話しながら食事を進めると、あっという間にスコルピオ料理はなくなった。

「まさかスコルピオがこんなにも美味しいとは思わなかったわ」

「お口に合ったようでなによりです」

「調理してくれてありがとうね、メルシア」

「どういたしまして」

お礼の言葉を言うと、メルシアが嬉しそうに微笑んだ。

いくら食べられるとはわかっていても、初めての食材をこれだけ美味しく仕上げられるのはメルシアの技量があってこそ。

俺とレギナじゃ、絶対にこんなに美味しい料理はできないだろうな。

「ラオス砂漠の夜をこんなにも快適に過ごしているなんて父さんも思わないでしょうね」

「帰って話したらライオネルも驚くかな?」

「ええ。きっと驚くこと間違いないわ。次は俺も同行するなんて言い出しかねないかも」

「さすがにそれは遠慮したいかな」

俺は錬金術師であり、本業は研究だ。今回のような過酷な実地研究はできれば、ほどほどなくらいにしたいものだ。





朝日が昇ると同時に出発し、日が落ちる頃には拠点を設営して身体を休める。

そんな風にレギナの案内でラオス砂漠を三日ほど進むと、一面の砂景色から徐々に岩場やサボテンなどの植物が増えていき、さらに進んでいくと大きな湖が視界に飛び込んだ。

「ここは?」

「オアシスよ!」

ゴーレム馬から降りたレギナが凝り固まった筋肉をほぐすように伸びをした。

俺とメルシアもゴーレム馬から降り、初めてのオアシスを観察する。

オアシスの周りには木や植物が生えており、砂漠の動物たちが水面に顔を突っ込んでいた。

砂漠とは思えないほどに長閑な光景だ。

「久しぶりに砂と岩とサボテン以外の景色を見た気がする」

「色彩が豊かというのは素晴らしいですね」

ここにくるまでずっと同じような景色だったので、青や緑といった色彩を見ることができて嬉しい。

人間、同じような景色ばかりを見ていると心が摩耗するものだと思う。

深呼吸をすると乾いた空気の中、僅かに湿った空気が混じっている。

オアシスの水を手ですくってみると、冷たい上に透き通っていて綺麗だった。

そのまま顔を洗ってみると冷たくて気持ちがいい。火照った身体から熱が吸収されていくようだ。

「イサギ様、タオルです」

「あ、ありがとう」

突発的な行動だったのに準備が早い。

俺がオアシスの水で顔を洗うという行動は読まれていたのだろうか。

などと思いながらメルシアに手渡されたタオルで水気を拭った。

「普通だったら一目散に水を補給するところなんだけどね」

俺たちが呑気に顔を洗っているのを見て、レギナが苦笑した。

普通なら我慢に我慢を重ねて水を節約するので、オアシスを目にした途端に水をたくさん飲んだり、補給するだろうな。

しかし、俺たちにはマジックバッグがある。水をけちることなく摂取しながら進んでいるために特別に喉が渇いているなどということはなかった。

「マジックバッグがあるから心配は無用だね。水だけならこのままでも数年は生活できるよ」

「マジックバッグって本当に便利だわ」

特に水は生命線とあってか、マジックバッグの中で大量に保管している。

さらに水の魔道具や魔法という補助も加えれば、数年は水の心配がないと言えるだろう。

マジックバッグさまさまだ。



「獣人たちの集落まであとどれくらいでしょう?」

オアシスで休憩していると、ふとメルシアがレギナに尋ねた。

地図でおおよその地形や位置関係はわかるが、俺たちがどこまで進んでいるかまでは土地勘がないのでわからない。

「半日もしない内に彩鳥族の集落があるはずよ」

前回、レギナが向かった時は一週間ほどかかったと言っていた。

三日目にして残り僅かなところまできているのだからかなり短縮できているだろう。

「赤牛族の集落は?」

「そっちはもう少し南西の方になるわ」

ライオネルに頼まれた援助先の氏族は二つだ。

彩鳥族だけでなく赤牛族の方にも援助に向かわなければならない。

となると、先に彩鳥族の集落に訪れてから赤牛族の集落に向かうことになるだろうな。

「下がって!」

などと今後の方針を考えていると、レギナが鋭い声をあげながら後退。

突然の警告に驚きながらも、レギナの指示に従って俺とメルシアも後ろに下がる。

次の瞬間、俺たちが立っていたところに色彩豊かな羽根が地面に突き刺さった。

羽根の飛んできた方角を見ると、上空に男性が二人浮かんでいた。

顔や身体はメルシアのように人間がベースになっているが背中から大きな翼が伸びており、ふくらはぎより下は鳥のような脚になっていた。

「彩鳥族ね」

空に浮かぶ獣人たちを見てレギナが言った。

二人の彩鳥族の羽根は暖色系、寒色系となっており、それぞれ色が違っていた。

個体、性別などで羽根の色が違うのだろうか。なににせよ、彩鳥族と呼ばれるのに相応しい羽根色だ。

大きな布に穴を空けてすっぽりと被ったような衣服を着ており、腰には曲刀を履いている。

余所(よそ)者がここで何をしている!」

「我らのオアシスを荒らすつもりか!」

彩鳥族の二人が翼を動かし、宙に浮かびながら怒鳴り声をあげた。

水が極端に少ない砂漠でオアシスは貴重な水資源であり、生命線だと言える。

ここから近い位置に集落を構えている彩鳥族にとって、ここのオアシスは自分たちの支配する領域なのかもしれない。

「オアシスを荒らすつもりなどありません! ここには獣王様の頼みで彩鳥族の集落に向かうために立ち寄っただけです!」

「人間族が我らの集落に用だと? 信じられんな」

「しかも、獣王様の頼みなどとは大きく出たものだ」

「嘘じゃありませんよ! ほら、証拠に第一王女であるレギナ様がいます!」

「「第一王女?」」

こういった摩擦が起きるのはこちらとしても想定済みだ。

これを解決するために俺たちには案内役であり、第一王女であるレギナがいる。

王族である彼女が同行していることこそ、ライオネルから頼まれたという証拠だ。

「ふふん、あたしのこの耳と尻尾をよく見なさい! 立派に獅子の血を引いているでしょ? これであたしたちが怪しいものじゃないってわかったでしょ?」 

頼られて嬉しそうなレギナが前に出て、自らの耳や尻尾を指し示した。

これで彩鳥族の二人は俺たちを怪しむことなく平和に話し合うことができるはずだが、何やら二人の様子がおかしい。

「……おい、獅子の獣人を見たことがあるか?」

「いや、ない。そもそも獅子ってどんな獣だ?」

どうやら彩鳥族の二人は王家のことをまったく知らないようだ。レギナの姿を見てもまったくピンときている様子はなかった。

「ええ!? そんなことある!? 獣人族たるもの王の血を引く獅子くらい知っておきなさいよ!」

「レギナ、本当に彩鳥族の集落に行ったことがあるの?」

「あるわよ!」

「でも、あの二人は知らないって言ってるけど……」

「あの二人が世間知らずなだけだってば!」

思わず疑いの眼差しを向けると、レギナが頬を真っ赤に染めながら言った。

「俺たちを愚弄するか!」

「確かに頭が足りないだとか思慮が浅いだとか族長によく言われるが、余所者に言われる筋合いはない!」

レギナに負けないくらい顔を赤くして怒りを露わにしている。

沸点が低い。

「ほら、あの二人が特別にバカなだけよ!」

「うるさい! 王族の名を語る無礼者たちめ! 我らが成敗してくれる!」

「覚悟しろ!」

売り言葉に買い言葉というやつだろうか、レギナの言葉ですっかり頭に血が上った彩鳥族の二人が腰にある曲刀を抜いて襲いかかってきた。

「こういう摩擦を回避するためにレギナがいるんじゃないの?」

「だって、あたしのことを知らないなんて言うから!」

「ひとまず、応戦しましょう!」

誤解を解くにも相手はすっかりと頭に血が上っている。

武器を手にしている以上、冷静に話し合える状況ではない。

不本意ながらも俺たちは覚悟を決めて彩鳥族を迎え撃つことにした。

「おやめなさい!」

俺たちと彩鳥族の間に割って入るように一人の女性が現れた。

プラチナブロンドの髪に色彩豊かな虹色の羽根が特徴的だ。

華奢な身体つきをしており、胸元やお尻には最小限の衣服が纏われていた。

「「げっ、族長!」」

突如として現れた彩鳥族の女性を目にして、男性たちがギョッとしたような顔になる。

「リード、インゴ、あの御方は獣王ライオネル様のご息女であるレギナ様です。武器を収めなさい」

「そうなのか!?」

「獅子の特徴を見ればおわかりでしょう?」

「いやー、その、なんというか……」

「前に教えてもらったような気はしたけど、忘れたからわからなかったというか……」

リードとインゴと呼ばれる彩鳥族の二人の釈明を聞いて、族長と呼ばれた女性は大きくため息をついた。

「自分たちで判断できないことがあれば、持ち帰って判断を仰ぐ……いつもそう言っているじゃないですか」

なんだかとても苦労していそうだ。錬金術課の中間管理職の人もよくこんな顔をしていたっけ。

「申し訳ございません、レギナ様。この者たちも決して悪意があったわけではなく、生命線であるオアシスを守ろうという強い想いがあっての誤解です。何卒ご容赦ください」

「申し訳ありません!」

族長が片膝をついてレギナに謝罪の言葉を述べると、リードとインゴも慌てて膝を突いて深く頭を下げた。

沸点が低かったり、思慮が浅いところはあるが根が悪い者たちではないようだ。

「許すわ」

レギナもカッとなったとはいえ、挑発するようなこと言ってしまったんだ。仮に思うところはあっても文句は言えないだろうな。

単なる誤解だということはわかっていたので、俺とメルシアも頷いて謝罪を受け入れる旨を伝えた。

すると、リードとインゴがホッとしたような顔になって頭を上げた。

わだかまりが溶けて一段落したところでレギナと族長が柔らかな笑みを浮かべた。

「久しぶりね、ティーゼ」

「お久しぶりです、レギナ様。前に集落にやってこられたのは五年ほど前でしょうか? 随分と大きくなられましたね」

「まあ、五年も経ったからね」

微笑ましそうな笑顔を浮かべながらの族長の言葉にレギナは照れくさそうに頬をかいた。

どうやら彩鳥族の族長とは以前からの知り合いらしく、とても仲がいいようだ。

こうして和やかに話している姿を見ると、姉妹のような関係に見える。

「レギナ様、お連れの方々に挨拶をしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんよ」

しばらく二人の会話を見守っていると、族長がこちらにやってきた。

「改めまして、私は彩鳥族の代表をしておりますティーゼと申します」

「はじめまして、錬金術師のイサギです」

「イサギ様のお手伝いをしております、メルシアと申します」

「よろしくお願いします」

ティーゼが手を差し伸ばしてきたので、俺とメルシアは順番に手を差し出して握った。

彩鳥族にも握手をする文化があるのか、それとも俺たちの文化に合わせてくれたのか、どちらか不明であるが、ティーゼの様子を見る限り歓迎されていることは確かだった。

王族であり、知り合いのレギナがいるからだろう。俺とメルシアだけじゃこうもスムーズにはいかなかっただろう。

「ゆっくりとお話したいところですが、ここは安全とは言い難いので集落の方までご案内してもよろしいですか?」

「もちろんです」

もともと彩鳥族の集落を目指していたんだ。ティーゼの提案に異論はない。

襲ってくることはないが周囲には水を求めてやってくる野生動物や魔物の気配があった。

実力差を悟って攻撃を控えてはいるが、いつ痺れを切らして襲いかかってくるかわからない。

「ねえ、ティーゼ! 前にやってもらったやつがしたいわ! ティーゼたちの翼なら集落まですぐでしょ?」

「懐かしいですね。いいですよ」

レギナの提案を聞いて、ティーゼがやや苦笑しながら頷いた。

なんとなく彩鳥族の手を借りて移動するのだとわかるが、どうやって移動するのか見当がつかない。

ティーゼたちの身体はとても細く、俺たちが背中に乗れるようには見えない。

首を傾げていると、ティーゼ、インゴ、リードの三人が懐から縄を取り出して足へと結びつけた。

「縄に掴まってください。私たちが飛んで集落までお連れしますので」

バサバサとティーゼが羽ばたいて宙に浮かぶと、足に結びつけられた縄が目の前に垂れ下がる。

縄の先は輪っかとなっており、ちょうど握りやすいようになっていた。

なるほど。これに掴まって空を飛んで移動するのか。

「重さとか大丈夫なんですか?」

「問題ありませんよ」

一見して華奢な女性の身体に見えるが、ティーゼの下半身は鳥類のようになっておりとても発達している。本人も自信満々のようだし、俺が思っている以上に強靭な下半身をしているのかもしれない。

「では、遠慮なく」

一言かけてから俺は目の前に垂れ下がった縄の輪っかに手をかける。

メルシアはリードの縄に掴まり、レギナはインゴの縄に掴まった。

「では、行きますよ」

ティーゼは強く翼を羽ばたかせると俺はいとも簡単に地上から足が離れた。

そして、ドンドンと俺の身体は浮かんでいき、あっという間に空へと上昇した。

彼女の言った通り、本当に人間一人くらいの重さであれば余裕で持ち上げることができるらしい。

ある程度の高さにまで上昇すると、ティーゼは翼を動かして前へと進んだ。

「うわっ、すごいや! 空を飛んでいるみたい!」

彼方まで砂漠が続いており、地平線と空の境目が見えた。

足跡一つない砂山には風紋が走っており、凹凸が光と影を作って独特な立体感を醸し出していた。

三日間の移動で散々見てきた光景なので、もう感動することはないだろうと思っていたが、まさか今更感動することになるとは思わなかった。

「いい景色ね!」

「風が気持ちいいです」

振り返ると、レギナとメルシアも空からの光景を目にして感動しているようだった。

こうやって空を移動していると、まるで自分が鳥になったかと錯覚してしまうほど。

世界中をこんな風に移動できればいいな、などと子供じみた願望を抱きながら俺は景色を眺め続けた。



「集落に到着しました」

砂漠が徐々に薄れ、景色が徐々に岩礁地帯へと変化してきた頃合いになると、ティーゼが声をあげた。

視線を前に向けると、岩場をそのままくり抜いて作ったかのような民家が並んでいた。

雰囲気としては農村にある集落ではなく、紛争地帯にあるような砦のような雰囲気に近かった。

資源が少ない砂漠なので、そこにあるものを利用しているだけだろう。

現に建物からは彩鳥族の子供が出てきて、他の子供と合流して走り回っている。

二階部分の大きな丸い穴からは彩鳥族の大人が顔を出し、鮮やかな翼をはためかせて空の彼方へと飛んでいっていた。

一般的な集落とは気色が違うが、至って普通の集落だ。

集落の周囲には土壁が設置されており、入り口には警備をしている者がいた。

ティーゼはゆっくりと高度と速度を落とすと、入り口の警備たちに手を振った。

警備たちはこくりと頷きながら手を振り返して通してくれた。

普段なら外からやってきた者を検めるところだろうが、族長であるティーゼが連れてきた客人ということで入れてくれたのだろう。

そのまま中高度を維持して進んでいくと、集落の中央にある円形の建物の前で止まった。

ここが目的地だと理解した俺はすぐに縄から手を離して地面に降りた。

岩礁地帯だけあって地面はしっかりとしているようだ。

少し遅れてリード、インゴの連れてきてもらったレギナ、メルシアも同じように降り立った。

「二人ともありがとう。オアシスの警備に戻ってください」

「はっ! では、失礼する」

ティーゼが声をかけると、リードとインゴは俺たちに一礼をすると空へと舞い上がった。

「早っ」

あっという間に空の彼方へ消え去っていく速度を見るに、先ほどは俺たちを安全に運ぶために大分速度を落としてくれていたんだとわかった。

ティーゼの家は(わら)、粘土、水を混ぜて天日で乾燥させた煉瓦でできている。

断熱効果があるため夏は涼しく、冬は暖かい。

窓が少なくて小さいのは熱風や砂埃、直射日光を最低限にするためだろう。

「どうぞお入りください」

ティーゼに促されて中に入ってみる。

入り口は少し狭かったが奥になるにつれて部屋の面積が広くなっていた。

廊下を抜けると六角形の広いリビングがあり、正面、右、左へとさらに部屋が続いている。

「お好きなところに腰かけてください」

「ありがとうございます」

お茶の準備のためにティーゼが台所に引っ込み、俺たちは中央にあるソファーに腰かけた。

リビングの床には赤いカーペットが敷かれており、精緻な刺繍が施されており綺麗だ。

壁には魔物の頭骨が飾られており、どこか民族的な印象を受ける。

天井が高いせいかリビングにもどこか解放感があった。

俺とレギナがゆったりと視線を向ける中、正面に座っているメルシアはソワソワとしていた。

ピクピクと耳を動かし、奥でお湯を注いでいるティーゼの姿をジーッと見つめている。

「こういう時に待っているのは落ち着かない?」

「……すみません」

「あはは、メルシアは真面目ね」

プルメニア村にいる時も旅をしている時もこういったお茶の準備をしてくれるのはメルシアだ。

こういう時に動いていないと落ち着かないのだろうな。

「どうぞ、お茶です」

ほどなくするとティーゼがお盆にコップを載せてやってきた。

「いい香り」

差し出されたコップを手に取ってみると、果物のような甘いがした。

「何の茶葉を使われているのでしょう?」

「アロマッカスという砂漠に自生している花を乾燥させたものです。食用というよりは香りを楽しむものですね。香油やお茶などに使われます」

口に含んでみると、確かに味はそこまでだった。

ティーゼの言う通り、香りを楽しむものなのだろう。

「じゃあ、そろそろ本題に入ってもいいかしら?」

アロマッカスのお茶を飲んでホッと一息をつくと、レギナが切り出してきた。

「ええ、お願いします。レギナ様は一体どのような用件で私共の集落においでになったのでしょう?」

「獣王ライオネルの命で、彩鳥族と赤牛族の食料事情の改善にきたのよ」

用件を告げると、レギナは懐から書状を取り出してティーゼに見せた。

恐らくライオネルからの正式な書状だろう。

「確かにライオネル様からの書状ですね。私共の状況を憂いて、改善しようとお力になってくださるのは嬉しいのですが、具体的にどうするおつもりでしょう?」

「えっ、書いてないの?」

「レギナ様たちに一任しており、協力してほしいとしか」

ティーゼから戻された書状をレギナが確認すると、ガックリと肩を落とした。

どうやらライオネルからの正式な命令であることを保障しているが、詳しい内容については全く書かれていないようだった。というか、ライオネルの簡素な文面からして説明するのが面倒だったという説があるな。

「詳しく説明すると、ここで作物を育てられるようにしたいと思っているの。自給自足できるようになれば、赤牛族と少ない資源や食料を取り合うことなく暮らせるでしょ?」

「このラオス砂漠では雨がほとんど降らず、空気も乾燥している上に寒暖差も激しいです。作物を育てようにもまともに育たず、厳しい環境に負けて枯れるか病気になってしまいます。このような場所で作物を育てるのは難しいと思うのですが……」

ティーゼの率直な言葉に俺とメルシアは思わず苦笑する。

俺がプルメニア村にやってきて農業をすると言った時も似たような言葉を言われたからだ。

「それを可能にするために凄腕の錬金術師を連れてきたのよ!」

懐かしさのようなものを覚えていると、隣に座っているレギナが俺の肩に腕を回しながら言った。

「ちょっと! ハードルを上げすぎだって!」

それを何とかするために派遣された錬金術師くらいならいいけど、凄腕の錬金術師なんて言われると期待がかなり重くなる。それにもし成果を残せなかった時がとても恥ずかしい。

「不毛な土地と言われていたプルメニア村で農業を始めて、今や獣王国随一といってもいいほどの大農園に成長させたじゃない」

「それは本当なのですか?」

レギナの言葉を聞いて、ティーゼがやや疑念を含ませた表情になる。

ここは

プルメニア村の環境より酷く、まともに農業を行うことのできなかった土地だ。

苦労を知っている分、俄かに信じがたいことだろう。

「本当です。先細りしていく山や森の恵みに不安を抱く中、イサギ様は錬金術によって不毛な土壌でも育てることのできる作物を作り上げてくださいました。お陰様で私の住んでいる村では食料の心配をすることなく生活ができております」

疑念を抱いていたティーゼだがメルシアの言葉を聞いて顔色を変えた。

同じ苦境に立ったことがあるからこそ通じるものがあったのかもしれない。

ティーゼはこちらに顔を向けると、やがて覚悟の決まった表情で口を開く。

「もし、ここでも作物を育てられるのであれば是非とも力を貸してほしいです。もう少ない食料や資源を巡って争うのはこりごりですから」

ティーゼの表情に影が落ちる。

近くの赤牛族とは食料の奪い合いで争いにまで発展していると聞いた。

同じ獣人同士ということもあって、現状にはティーゼも心を痛めていたのだろう。

「任せてください。そのために俺はやってきたのですから。集落の食生活の向上のためにティーゼさんの力を貸してください」

「私なんかのお力でよければ喜んで」

改めて手を差し出すと、ティーゼがゆっくりと手を重ねてくれた。

「最後に一ついいですか?」

「なんでしょう?」

「……不躾ながらイサギさんは彩鳥族でもなく獣人ですらない人間族です。それなのにどうして見ず知らずの集落に手を貸していただけるのでしょう?」

「獣人だろうと人間だろうと空腹は辛いものじゃないですか。苦しんでいる人がいて、自分が力になれるのであれば手助けをしたい。ただそれだけです」

獣人だろうと人間だろうと関係ない。生活に苦しんでいる人がいれば、誰であろうと手を差し伸べる。

世界中の人を救うなどというスケールの大きなことは言えないが、せめて自分の身の周りや、それに関係する人くらいは力になれるのであれば助けたい。

それが俺のシンプルな気持ちであり、行動原理だ。レムルス帝国にいた時と変わりはない。

そんな俺にとっての当たり前の気持ちを伝えると、ティーゼはきょとんとした顔になった。

「何かおかしなことでも?」

「い、いえ。おかしなことは何も……」

おずおずと尋ねるが、ティーゼは歯切れの悪い言葉を漏らすのみ。

「父さんから聞いていたけど、イサギって本当に真っすぐなのね」

「はい、これがイサギ様です」

レギナとメルシアが生温かい視線を向けてくる。

二人の視線にはどうも言葉以上の意味がありそうだが、尋ねるのが少し怖かった。



錬金術による農業計画をティーゼに協力してもらえることになった俺たちは、早速と仕事に取りかかることにした。

長旅を終えたので休みたい気持ちはあるが時間は有限だ。

これだけ過酷な環境に適応できる作物を作ろうと思うと時間はいくらあっても足りない。

そんなわけで、まずは集落の周りにある土壌を調べることにした。

集落からほどよく離れた場所にある土に触れてみる。

「硬くて土が乾燥している」

手で掻いてみたところで掘ることはできない。足で蹴ってみると、僅かに地面が削れるくらいだ。

砕けた砂を持ち上げてみると酷く乾燥しており、パラパラと指の隙間から落ちていく。

「道具を使えば、何とか掘れるってくらいね」

傍ではレギナが背負っていた大剣をスコップ代わりのようにして土を掘っていた。

大事な武器をそんな風に扱っていいのだろうかと思ったが、道中でも地面に刺して背もたれにしていたりと豪快な使い方をしていたことを思い出した。

「普通に作物を植えても育たないことは確かですね」

「そうだね」

作物が育つ良い土の条件には根が十分に張れること、通気性と排水性が良いこと、保水性、保肥性に優れていることといったいくつかの条件があるのだが、ここの土はそれらを満たしていない。

一つや二つ足りないのであれば少しの工夫で何とかできるのだが、多くの条件が足りないとかなり難しい。

とはいえ、ここは砂漠地帯。元から土壌が農業に適していないのはわかっていたことだ。

作物を育てるのに絶望的な土壌だからといって諦めたりしない。

ティーゼもそんなことはわかっているのか、俺たちの正直な評価にガックリとすることもない。

「土が硬くて栄養がないのであれば、土を移したり、肥料を混ぜたりすれば何とかなるかもしれない」

「本当ですか?」

「ええ、錬金術をもってすれば不可能じゃありません。ですが、仮にここで作物を植えられたとして、育てるための水をどうするのかという問題があります」

俺の言葉にティーゼが顔色を明るいものにしたが、新しい問題点に顔色を暗くする。

「ティーゼさん、この辺りにある水源を教えてくれます?」

どれだけ作物に品種改良を重ねたところで完全に水を必要としない植物を作り上げることは難しい。

水が必要となる以上、作物を育てるのであれば水源に近い場所で行うのがいいだろう。

「先程のオアシスがもっとも大きな水源ですね」

やはり集落の周囲にはオアシス以外の水源がないようだ。

いや、完全にないと仮定するのは早急だろう。

「あちらの山には地下水脈などはないのでしょうか?」

俺は集落の北側に見える山を指さしながら尋ねてみる。

「今のところは発見できておりません」

「……今のところというのは?」

ティーゼの引っかかる物言いを聞いて、メルシアがさらに尋ねる。

「御覧の通り、我々の長所は機動力です。山や洞窟などの狭い場所では本来の能力を発揮できず、深いところまで調査できていないのが現状です」

自らの翼を広げながら語ってみせるティーゼ。

空間が広い砂漠では縦横無尽に飛び回ることができるだろうが、洞窟などの狭い場所ではそれを活かすこともできないだろう。

「それにあの山にはスパイダー種の魔物が多く生息しており、私たちと非常に相性が悪いのです」

「スパイダー種の魔物は糸を吐いてくるし、あちこちに罠を張ってるものね。それは彩鳥族と相性が悪いわ」

たでさえ狭くて機動力を長所としている彩鳥族にとって山の探索はかなり厳しいようだ。

それなら探索が進んでいないのも納得と言えるだろう。

「なら、オアシスの傍で作物を育てるのが一番なんじゃない? あれだけ豊かな水源があるんだし、そこで農業をやればいいのよ」

「そうなのですが、オアシスを占領するのには大きな危険が伴うかと」

「どういうこと?」

「過去に何度もオアシスの傍で農業を試してみたのですが、その度に水を求めてやってきた動物や魔物に邪魔をされてしまうのです」

砂漠で水を求めるのは俺たち人間や獣人だけじゃない。

生命線である水源を独占するというのは、この地で生きている動物や魔物にとって看過できないのだろう。

「だからオアシスの傍に集落がないのですね」

「はい。うちの氏族だけでなく、赤牛族の近くにあるオアシスでも同じはずです」

基本的に人間は水源の近くに拠点を作り、そこから集落、村、街へと発展させていく。

水が手に入りにくく貴重なラオス砂漠に住んでいる彩鳥族が、どうしてオアシスから距離がある場所に住んでいるのかを不思議に思っていたが、そういった生態系を考慮しての位置取りだったらしい。

「えー、それじゃどうやって水を確保するのよ?」

「水を生み出す魔道具を俺が設置するっていう方法はあるね」

「イサギさんは水を生み出す魔道具を作ることができるのですか!?」

打開策の一つを述べた瞬間、ティーゼが目の色を変えて詰め寄ってきた。

ティーゼの顔が近い。

彩鳥族の衣服は空を飛ぶことを優先しているせいか布面積が小さく露出が多い。そのせいか近づかれると胸元やおへそなどの部分がもろに見えてしまうわけで、どこに視線をやっていいかわからなくない。

引き離そうにも露出した肌に触ってしまうことになるわけで。

「落ち着いてください、ティーゼさん。イサギ様が困っています」

メルシアが引き離しながら言うと、ティーゼはハッと我に返って小さく頭を下げた。

「も、申し訳ありません。砂漠で生きる私たちにとって水不足は常に付きまとう悩みだったので」

「いえ、お気持ちはわかりますので」

水不足に悩まされる彩鳥族にとって、水をいつでも生み出せる魔道具というのは喉から手が出るほどに欲しいのだろう。

「とはいえ、水の魔道具を設置したところでエネルギー源となる水魔石がここでは入手できないのが難点ですね」

ラオス砂漠のような乾燥した砂漠地帯には水の魔力を宿した魔物はおらず、水魔石を手に入れることができない。

「水魔石については獣王都から輸出することも可能よ」

レギナがそう言うということは、王家として支援することができるのだろう。

「水源についてはそれも一つの案だけど、できれば魔道具に頼らない形も目指したいね」

「魔道具に頼るのはダメなのでしょうか?」

「大きな理由は二つあります。一つはラオス砂漠の環境に耐えきれず魔道具が壊れてしまう可能性が高いことです」

ラオス砂漠は日中の気温が五十度を超え、夜になるとマイナス二十度にまで冷え込む。

改良して魔道具の耐久値を上げたとしても、その寒暖差によってダメになる可能性が高い。

さらに恒久的に漂う砂塵が魔力回路に入り込んで故障するという懸念性もある。

とてもではないが、長期的に考えるのであればメンテナンスができる錬金術師は必須だ。

「これについては錬金術師を派遣できれば解決するのですが……」

レギナに視線をやって問いかけてみると、彼女はゆっくりと首を横に振った。

「無理ね。獣王都でも錬金術師が不足しているくらいだから。できたとしても短期間の派遣になるし、イサギの作った魔道具をメンテナンスできる技量があるかも怪しいわ」

獣王国ではそもそもの錬金術師の絶対数が少ない様子。帝国のように錬金術師を辺境にまで派遣するというのは無理があるのだろう。

そもそも獣人というのは魔法適性が低い種族だ。

人間族のように技術面で劣ってしまうのも仕方がない。

俺がずっといてやれればいいのだが、俺にはプルメニア村という帰るべき場所もある。それに錬金術師として他にやりたいことがまだまだあるので、ここで滞在するという覚悟は持てなかった。

ティーゼもそれがわかっているのだろう。そのことに関して無理に何かを言うことはなかった。

「そして、二つ目の理由ですが魔道具が壊れてしまえば農業が立ち行かなくなってしまうことの危うさです」

「魔道具が壊れたので一か月は使えませんなんてことになれば、作物が干上がってしまいますからね」

「理想としては魔道具が壊れてもカバーできるように、どこかから水を引っ張ってこれるのがいいんだ」

魔道具が故障したとしても第二の水源で耐え忍ぶことができる。

プルメニア村にある大農園のように、俺がいなくても作物を育てていけるみたいな形が理想だと思う。

「じゃあ、オアシスから集落まで水を引っ張るってのはどう?」

「それはちょっと難しいね。オアシスと集落までの距離が遠い上にずっと平地だから。その上、砂漠には魔物も多くいるし、地中に導管を作ろうにも壊されると思う」

ここにやってくるまで地中を潜行する魔物に何度遭遇したことか。あのような魔物が闊歩していれば、なにかしらの道具を設置したところで壊されてしまうだろう。

「では、イサギさんはどのようにすればいいとお考えですか?」

「北の山に水源があれば完璧だと思います。もし、あそこに水源があれば、傾斜を利用して楽に水を引っ張れますから」

ここから見えている山と集落には高度の差があるので水源を見つけて、後はちょっと錬金術で手を施せば楽に水が流れてくるだろう。オアシス周辺のような砂漠とは違い、岩礁地帯なために地中に魔物が潜んでいる可能性も少ない。

「水源を見つけるというのは、かなり大変なのではないでしょうか?」

「錬金術で地層を読み取り、聴覚に秀でた三人がいれば探せる範囲はかなり広くなります。ある程度、潜ってしまえば、山一つくらいはあっという間に調査できます」

錬金術師がいれば、鉱脈の探査だけでなく水源の探査も楽ちんだ。

「だったら水源調査に向かいましょう! 水源がなかったらその時はその時よ!」

レギナの言葉に俺とメルシアは頷いた。

「私も同行いたします。洞窟内での戦闘力は落ちますが、地形がわかる範囲までなら力になれるはずです」

山の内部がどうなっているかわからない以上、ティーゼの提案は非常に助かるものだった。

「ありがとうございます。では、水源の調査に向かいましょう」

「ええ」

そんなわけで俺たちは集落の北側にある山に向かうことにした。



水源の調査に向かった俺たちはティーゼの案内により、集落の北にある山の(ふもと)にたどり着いた。

移動法としてはティーゼに空を飛んでもらいながら先導し、俺、メルシア、レギナがゴーレム馬に乗って追いかけた形だ。

「イサギさんの魔道具はすごいですね。まさか、地上をこんなにも早く移動できるとは……」

「結構な速度を出しましたけど、それでもティーゼさんの速さには敵いませんでした」

移動中、ティーゼを追い抜こうとできる限り速度を上げてみたが、追い抜くことはできなかった。

砂漠地帯であればゴーレム馬の能力を活かせなかったと言い訳もできるが、集落まで山は岩礁地帯であり十全に能力を発揮することができたので言い訳もできないほどに完敗だった。

「地上での速度は他の種族の方に劣りますが、空であれば負けません」

悔しがる俺の様子を見て、ティーゼがクスリと笑った。

物腰が低く、控え目なティーゼがこれだけ堂々と言うということは、それだけ空を飛ぶことに自信と誇りがあるのだろうな。

今はまだ構想段階で実現の目途も立っていないが、いつかは空を飛べるような魔道具を開発してみたいものだ。

なんてことを想いながら俺は視線を前に向けた。

大きな山がそびえ立っている。

仰け反るようにして見上げてみると薄い雲が頂上部を覆っており、頂上がどのようになっているかはわからない。

山肌には一切の植物は生えておらず、傾斜と凹凸が非常に激しい。歩いて登ることは不可能ではないが、ゴーレム馬で駆け上がるというのは難しそうだ。

「ここからは徒歩で向かった方がよさそうだね」

「それでしたら私が運んで差し上げますよ。空を飛べば、洞窟の入り口まですぐですから」

空を飛んで移動すれば障害物などないといって等しい。麓から入り口まで直線距離で進むことができるので大幅に時間を削減できるだろう。

「ありがとうございます。では、順番に……」

「三人一気にで構いません」

「え? 三人となると、さすがに重――」

言葉を言い切ろうとしたところでレギナやメルシアから強い圧が飛んできて、慌てて俺は口を閉じた。

理屈では正しい会話だったとはいえ、さすがに女性への配慮ができていなかったかもしれない。

「このくらいの距離であれば可能です」

失言をしてしまった俺を見て、ティーゼが苦笑する。

「なるほど。では、運びやすいようにしますね」

三人で縄に掴まろうものならば、揺れた拍子に空中で俺たちの身体がぶつかり合うことだろう。

それを避けるためにも運びやすくする道具が必要だ。

俺は錬金術を発動させると、土を変化させて大きな土の箱を作り、上の部分だけを空けて窪みを作る。

あとは縁に穴を空けてティーゼが持ち運びしやすいように縄を二本通せば完成だ。

「ここに俺たちが入れば一度で安全に運べるかと思いまして」

「バスケットのようで面白いですね。やってみましょう」

ティーゼの足に縄を結ばせてもらうと、俺、メルシア、レギナはバスケットの中へと入った。

「では、いきます!」

三人が乗り込むと、ティーゼは勢いよく翼をはためかせて宙に上がった。

それに伴い俺たちのバスケットも地上を離れて宙へと上がる。

「わあ、すごいわ! ちゃんと飛んでるわ!」

「周囲もよく見えます」

バスケットから身を乗り出すようにしてレギナとメルシアが周囲の景色を眺める。

縄にぶら下がって飛ぶ方法も悪くはなかったが腕の筋肉を使うし、安定感に少し欠けている。

遊覧飛行を楽しむのであれば、これくらい安定している方がいいだろう。

「大樹でもこのバスケットを使えば、階層の移動が随分楽になりそうだね」

景色を眺めながらレギナがしみじみと呟く。

「確かに大樹は中の構造が複雑で階段が長いからね。どうせなら大樹だけじゃなくて街の中で試してみるのはどうかな?」

「街の中?」

「ちょっとした移動手段に使うのもいいし、観光名所なんかを空から回ってみるのもいい。あとは俺みたいな戦闘に自信がない人でも外に連れていってもらって採取に向かうなんてこともできると思うんだ」

空ならば地上と違って混雑することもない。

直線距離なので実際に道を進むよりも早く目的地に着くことだってできる。今回のように。

「いいわね、それ!」

「とても素敵なアイディアなのですが、鳥人族の中には空を飛ぶことに誇りを持っている方もいらっしゃるので注意が必要になるかと」

レギナが目を輝かせて強い食いつきをみせる中、飛んでいるティーゼが冷静に言った。

「あー、そういえばそうだったわね」

俺はそれぞれの種族の性格や価値観まで把握していないが、レギナの様子を見る限りそういった人もいるようだ。

確かに便利に使われれば、面白く思わない鳥人族がいるのも納得だ。

「少し軽率な考えでしたかね?」

「いえ、すべての鳥人族がそうというわけではなく、あくまで一部ですから。私のように誰かを運んであげることが大好きな方もいらっしゃいますので慎重に性格を見極めれば問題ないかと。私としてはこの輸送方法には鳥人族にとって大きな可能性があると考えているので賛成です」

よかった。鳥人族の大多数がそういった考えをしているわけでもないようだ。

「ありがとう。その辺りも注意して父さんに相談してみるわ」

移動を楽にするための思いつきだったが、思いもよらない規模に発展しそうだ。

もし、獣王国でこの移動方法が実現するのであれば、ぜひとも体験したいものだ。

「洞窟が見えました。入り口で下ろしますね」

なんて話をしていると、いつの間にか目的地に到着したらしい。

空から直線距離で向かってしまえばあっという間だ。

到着すると俺たちはバスケットから降りる。

「バスケットの方は問題なかったですか?」

「とてもお運びしやすかったです」

即興で作り上げたものだが、ティーゼに負担はなかったようだ。

細かい感想をティーゼから聞き取ると、バスケットをマジックバッグへと収納。

目の前にはぽっかりとした大きな穴が見えている。

高さは三メートルあり、横幅も五メートルほどあるので人間が通るには十分な広さだ。

「さて、水源があるか調査するわよ!」

「待って。その前に灯りを出すから」

レギナは一瞬怪訝な顔をしたものの、俺が夜目が利かないことを思い出したのか納得した顔になった。

マジックバッグから灯りの魔道具を取り出す。

一般的なカンテラタイプであり、内部に光魔石が入っている。

火を使っていないので洞窟内でもガスに引火することもなく安全だ。

「イサギの魔道具にしては普通ね?」

「奇抜な魔道具ばかり作ってるわけじゃないから」

レギナの率直に苦笑してしまう。

とはいえ、錬金術で農業という変わった使い方をしているだけに強くは言えなかった。

「行こうか」

魔道具を用意して中に入っていくと、すぐに太陽の光が差し込まなくなってしまい闇に包まれる。

坑道などと違って定期的に人が出入りするわけではないので、当然壁に魔道具が設置されているわけもない。

魔道具を点灯させると白い光が周囲を照らし、俺の視界でも洞窟内の様子がしっかりと視認できるようになった。

片手がふさがってしまうのは痛いが、これがないと前が見えないのだから仕方がない。

「イサギ様は水源の探索に集中してください。周囲の警戒は私たちが行いますので」

「わかった。任せるよ」

周囲のことは三人に任せ、俺は壁や床に手を触れながら水脈があるかどうかを探りつつ移動。

錬金術師としての能力で山の構造を読み取っていく。

「魔物です」

水脈を探りながら進んでいると、前を歩いているティーゼが小さく声をあげた。

探索を中断して魔道具を前に向けると、灰色の体表をした大きな蜘蛛(くも)が三体いた。

スコルピオの大きさを遥かに超えており、子供くらいの大きさはあるな。

「ビッグスパイダーね!」

洞窟内に出没する魔物についてはティーゼから粗方聞いている。

慌てることなく俺たちは戦闘態勢へ移行。

先に動いたのはビッグスパイダーだ。

グッと体を沈めたかと思うと、勢いよくこちらに飛び込んできた。

レギナは前に出ると、襲いかかってきたビッグスパイダーに合わせて大剣を振るった。

ビッグスパイダーの体が半分に割かれ、緑色の体液を撒き散らして地面に落ちた。

続けて二体目、三体目のビッグスパイダーが地面を()うようにして接近してくるが、二体目はレギナの一振りで、三体目はティーゼの射出した極彩色の羽根によって崩れ落ちた。

「さすがですね、レギナ様。まさか一撃とは驚きました」

「ティーゼこそ洞窟内で戦えないなんて嘘じゃない」

「戦闘力が落ちるだけで、戦えないわけじゃないですから」

不敵な笑みを浮かべ合うレギナとティーゼ。

ティーゼに倒されたビッグスパイダーを確認すると、極彩色の羽根がいくつもの急所に正確に刺さっていた。

戦闘力が落ちた状態のティーゼにも俺は敵う気がしないな。

もし、戦うことになったら近づく前に極彩色の羽に刺され、針(ねずみ)のようになってしまうことだろうな。



レギナ、ティーゼ、メルシアに魔物を蹴散らしてもらいながら進んでいく。

「イサギさん、水源はどうでしょうか? 見つかりましたか?」

体感として二時間くらい経過した頃だろうか。ティーゼが尋ねてきた。

「……この辺りにはないですね。全体を調査するにはもう少し奥に進む必要あります」

「私が自信を持って案内できるのはこの辺りまでとなります」

なるほど。それで俺に尋ねてきたのか。

今まではティーゼの案内で迅速に魔物が少ないルートをたどってきたが、ここから先はそうはいかないということだ。

「大丈夫よ。そのためにあたしたちがいるんだもの」

レギナの言葉に同意するように俺とメルシアは頷く。

元よりティーゼの案内がなくてもやるつもりだったんだ。今更ここで中断するつもりはなかった。

彩鳥族の生活を向上させるために、できるだけ最上の選択をしたいからね。

俺たちの覚悟を聞いて、ティーゼは嬉しそうに笑った。

「わかりました。では、行きましょう」

俺たちは水源を探すために、さらに奥へと進んでいく。

洞窟の内部は相変わらず真っ暗で道はいくつも枝分かれしている。

灯りで周囲を照らしてみるが、ほとんど同じ光景だ。少し視線の向きを変えただけでどこからやってきたかわからなくなってくる。

こんな状態でもしっかりと見える獣人がいるからこそ迷いなく進めるわけで、人間族だけだと間違いなく迷子だろうな。

「あっ」

なんて思いながら進んでいると、錬金術による探査に引っかかるものがあった。

獣人族の三人は(かす)かな呟きすら見逃さない。耳をピクリと反応させて、三人が一斉にこちらを向く。

「……もしかして、水源を見つけたの?」

「ごめん。水源を見つけたわけじゃないんだ」

「なんだぁ」

苦笑しながら答えると、期待を露わにしていたレギナが肩を落とした。

ややこしい反応をしてしまって本当に申し訳ない。

「イサギさんは何を見つけられたのです?」

「マナタイトの鉱脈を発見したんです」

「えっ! マナタイト!? それ本当!?」

「ええ」

レギナを落ち着かせると、俺は錬金術を使用した。

土壁に魔力が流れ、ひとりでに砕けていく。

土塊が出てくる中に混じってゴロゴロと銀色に輝くマナタイトの塊が出てきた。

「本物のマナタイトだわ!」

マナタイトを渡してやると、レギナの表情が驚愕へと変わった。

「マナタイトの鉱脈があるだけで、大きな一つの産業になるわ!」

マナタイトとは魔力を含んでいる鉱石だ。武器や防具などの素材に使い、魔力を込めて馴染ませることで切れ味が鋭くなったり、防御力が増加したりといった効果からかなり稀少な素材であり、その鉱脈を発見したとなれば、恩恵に預かる国や街は大いに潤うことになる。

「とはいっても、ここにある鉱脈は大きなものじゃないから保障はできないよ。仮にそれほど大きな鉱脈があったとしても、食料がなければ意味がない」

大きな鉱脈があれば採掘をするために人が集まり、人が住むための建物ができ、物を売買するために商人が集まる。といった具合に発展していくものだが、これだけ過酷な環境な上に慢性的な食料不足とくれば人が集まるはずもなかった。何をするにしろ生活の基盤となる農業を整えるのが大事だ。

「マナタイトの鉱脈を前にしてスルーするのは惜しいけど、イサギの言う通りね。今は水源の調査を優先させましょう」

惜しそうな顔をしていたレギナだが、すぐに気持ちを切り替えたようでスッと前を歩き出した。

さすがは第一王女。目の前で優先させるべきものが何かわかっているようだ。

そんなレギナの後ろ姿を、メルシアは何故か白い目で見ている。

「レギナ様、ポケットに入れたマナタイトはイサギ様のものなので返却をお願いします」

「ああっ!」

あまりにも自然な動きでマナタイトをポケットにしまったので、何も違和感を抱いてなかった。

よく考えるまでもなく、そのマナタイトは俺のじゃないか。

「獣王国の資源はすべてあたしのもの――なんて冗談よ! ちゃんと返すつもりだったからそんな目はしないでよ!」

三人で白い目を向けると、レギナは慌ててポケットにしまったマナタイトを返してくれた。

なんてやり取りをしながら進んでいくと、三叉路にぶつかった。

どちらの通路も先は長いようで灯りを照らしてみても奥の様子はわからない。

「どっちに行けばいいかしら?」

「……判断しかねます」

ティーゼとレギナの視力を持ってしても奥まで見通すことはできないようだ。

「メルシアは何かわかる?」

何げなく尋ねると、彼女はスタスタと歩いて拾った小石を放り投げた。

コーンコーンとそれぞれの通路で石が反響する音が響き渡る。

「……右の通路は行き止まりで、左が先に進める通路かと」

「どうしてわかったんだい?」

「音の反響具合でおおよその構造がわかります」

メルシアによると、音のぶつかり具合によってどれだけ空間の広さがあるのか、どこに障害物があるのか大まかにわかるらしい。

試しに自分で石を放り投げて音を聞いてみるが全くわからない。

「レギナはできる?」

「あたしはこういうのは苦手だから」

尋ねてみると、レギナはスッと視線を逸らした。

「種族特性を含めてメルシアさんの耳が特別に良いというのもありますが、真に賞賛するべき部分は実際に音をキャッチして地形を把握する技能と経験でしょうか」

「恐縮です」

ティーゼに賞賛されて、メルシアがやや照れくさそうな顔になる。

どうやら獣人だからといってすべての人ができるわけではないようだ。

メルシアは帝城では夜の警備もしていたと聞く。その経験もあってメルシアは周囲の気配を探るのが得意なのだろうな。

「だとすると、メルシアを先頭にする方がいいわね」

「お任せください」

先頭と最後尾を入れ替えると、俺たちはメルシアの指し示してくれた左の通路へ進むことに。

コツコツと進んでいくと、メルシアの言う通り行き止まりの気配はなかった。

こんな風にメルシアが索敵してくれるのであれば、最小限のリスクで潜っていけそうだなと考えていると、前を歩いているメルシアの足がピクリと止まった。

「この先の天井に小さな気配がたくさんあります」

「恐らくスパイダー種の魔物が待ち伏せをしているかと思われます」

スパイダー種の魔物が得意とするのは天井や壁に張り付いての奇襲だ。いくら戦闘力の高い三人がいても苦戦は免れないだろう。

なにせ相手は毒を持っている可能性が高く、ちょっとした負傷が命取りになりかねない。

「迂回はできない?」

「道をまた戻って探すという案もありますが、大きく時間がかかる上に迂回路がある保証もありません」

逆を言えば、この先が確実に下に続くルートかも保証はないのだが、そこを考えるとキリがないだろう。

「ちょっとアイテムを使ってみてもいいかな? その効果次第では楽に倒して進むことができるかもしれないんだ。失敗したら正面からの戦闘になるかもだけど……」

「いいわ。迂回を探すのは性に合わないと思っていたしこの面子なら何とかなるわよ」

提案してみると、レギナだけでなくティーゼとメルシアも同意するように頷いてくれた。

「ありがとう」

俺は礼を告げると、メルシアの真後ろに移動して魔物のいるところまで案内してもらう。

歩いて進んでいくと、天井には複眼による赤い光が無数に見えていた。

光で照らしてみると体長六十センチほどの土色の蜘蛛が、びっしりと天井に張り付いていた。



灯りを照らしたことで土色の蜘蛛たちが一斉にこちらに飛びかかってきた。

「サンドスパイダーです!」

「くるわよ、イサギ!」

「任せて!」

生理的嫌悪感が半端なく、悲鳴をあげたくなるがそれをグッと堪えて錬金術を発動。

物質変化によって土壁を生成し、目の前を封鎖。それだけでなく奥にも壁を生成し、一本道となった通路を封鎖してしまう。

サンドスパイダーたちがボトボトと壁に直撃する音を聞きながら、俺は土壁に空けた小さな隙間からボールを投げ込んだ。

投げ込まれたボールが封鎖された通路の床で破裂し、白い煙幕が広がった。

アイテムがしっかりと作動したのを確認すると、煙が逃げないように土壁の覗き穴を錬金術で閉じた。

「壁の向こうでサンドスパイダーの悲痛な声が聞こえますね」

「お、ということはアイテムに効果があるっていうことかな?」

俺の耳では壁の奥の声は拾えないが、ティーゼたちにはしっかりと声が拾えているらしい。

「さっきの投げ込んだ白いボールはなんなの?」

「簡単に言うと殺虫玉さ。シロバナっていう花の子房には昆虫や節足動物が苦手とする成分が含まれているんだ」

殺虫玉の説明をすると、レギナとティーゼが感心するような顔になった。

身近にある生活道具の活用法に驚いているようだ。

「アイテムの効果はあるようです。壁の中でサンドスパイダーの気配が消えていきます」

「なら完全に消えるまで待とうか」

アイテムの効果でサンドスパイダーは弱っているだろうが、わざわざリスクを背負って戦う必要はない。楽して安全に勝てるのであればそれが一番なのだから。

「気配が完全になくなりました」

そのまま五分ほど待機していると、気配を探っていたメルシアが静かに告げた。

どうやら通路にいるサンドスパイダーのすべてが息絶えたらしい。

「殺虫玉の成分は俺たちには無害だけど、独特な匂いがするかもだから気をつけて」

人体には無害であることを告げると、俺は錬金術で生成した土壁を崩した。

通路には白い煙が残っている。煙が充満するようにしたのだから当然だ。

「確かに独特な匂いがしますね」

「あたし、この匂い苦手かも」

強い薬物的な匂いを嗅いで、ティーゼとレギナが眉をひそめた。

錬金術師にとっては嗅ぎなれた薬品の臭いだ。

苦手というより、嗅ぎ慣れた匂いに落ち着くといっていいだろう。

メルシアも俺の補助をしているのでこの匂いには慣れており、二人とは違って涼しい顔をしている。

とはいえ、慣れていない二人にとっては不快に違いない。

「煙を払います」

ティーゼが翼に魔力を纏わせ、大きくはためかせる。

それによって風が巻き起こり、通路に漂っていた白い煙はすっかりとなくなった。

強い薬品の臭いが薄れていく。

「風魔法が使えるんですね」

獣人は身体能力が高い代わりに魔法適性が低く魔力も少なめなのだが、ティーゼが発動した風魔法は実にスムーズであり、効果も大きかった。

「ええ、他の属性魔法はからっきしですが風魔法だけは得意なのです」

やや照れくさそうに答えるティーゼ。

どうやら彩鳥族の種族特性として風属性に親和性があるようだ。

魔法が苦手な獣人とはいえ、そういった例外もあるらしい。

クリアになった視界で通路の様子を確認すると、大量のサンドスパイダーの遺骸が転がっている。

ほとんどの個体がひっくり返って脚を天井に向けていた。中にはピクピクと脚を震わせる個体もいるが、痙攣(けいれん)していてまともに動くことはできないようだ。

「全滅ですね」

「いくら殺虫玉っていっても、魔物を倒せるほどの効果を持つものなの?」

「錬金術で成分を抽出し、濃縮。さらに他の素材と組み合わせることで殺虫成分を何倍にも引き上げているからね」

「そ、そう……」

俺の解説を聞いて、ちょっとビックリといった様子のレギナ。

錬金術も使い方次第では、こういったアイテムでさえも作り出せてしまえるというわけだ。

「素材を回収するよ」

俺はマジックバッグを広げて、片っ端からサンドスパイダーを回収した。

わざわざ解体し、素材を厳選して採取しなくてもいいので助かる。

「これさえあれば洞窟に巣食うスパイダー種を一掃できるんじゃない?」

「確かにそうですね!」

「数には限りがあるし、すべてのスパイダー種に効くとは限らないから」

殺虫玉の残りは十九個。

仮にすべてのスパイダー種に絶大な効果があっても、さすがに殲滅(せんめつ)できるとは思えなかった。

「とはいえ、抜群な効果を見る限り、耐性を持った魔物でも相応の期待ができそうです」

「そうだね。惜しみなく使うつもりだよ」

アイテムをケチって大きな怪我を負いたくはないからね。

「イサギのお陰で楽ができたわ。この調子で何かあればお願い」

「うん、任せて」

直接戦闘では三人に劣るが、こういった部分での活躍なら得意だ。

倒したサンドスパイダーの素材回収が終わると、俺たちは通路を抜けて先へと進んでいく。

途中でサンドスパイダーと遭遇したが、少数だったためにレギナ、ティーゼ、メルシアの活躍であっという間に殲滅。

そうやってしばらく進んでいると、俺の調査に確かな反応があった。

「……多分、近くに水脈がある」

「本当ですか!?」

ポツリと呟いた俺の言葉にティーゼが嬉しそうな声をあげた。

錬金術による魔力浸透では明らかに土、鉱石、宝石とは違った水らしき流動的な反応があった。

ここに水源があるのは間違いない。

「で、どこにあるの?」

「もうちょっと下に降りたところにあるはず」

「では、向かいましょう!」

ティーゼが弾んだ声で言う。

水源があるとは思っていなかった場所にあったのだ。嬉しくなってしまうのも当然だろう。

実際、俺たちも嬉しい。この山に水源があるとしたら集落まで水を引っ張ってくることができる。

水を引っ張ってくることができれば生活が便利になるだけでなく、農業だって楽にできる。

このラオス砂漠で農業をするための大きな一歩だと言えるだろう。

水源のある場所まで一直線に走りたくなるが、それをグッと堪えて慎重に進んでいく。

真っすぐに伸びた通路から緩やかな下り坂へと変化した。

魔道具で足元を照らしながら下っていくと、前を歩いていたメルシアの足がピタリと止まった。

「……この先に大きな広間があり、そこに魔物がいます」

水場のあるところには生物がいるのは基本だ。何かしらの魔物がいるとは思っていた。

「数は?」

「一体です。が、かなりの大きさです。ビッグスパイダーの大きさを遥かに超えています」

ビッグスパイダーは全長三メートルを超える大きな蜘蛛だ。

それよりも遥かに大きいと言われると、想像するのが怖くなってしまう。

「もしかすると、キングスパイダーかもしれません」

キングの名を冠する魔物は軒並み強敵だ。対峙するとなると気が重いな。

「倒しにいこうか」

「あら、イサギにしては積極的じゃない?」

これまでの道程はできるだけ安全に動いていた。レギナがそう言うのも無理はない。

「ここで農業をするには水源の確保は必須だからね」

無用なリスクは回避するが、リスクを犯してでも勝ち取る必要があるのなら遠慮なくやる。

「そうですね。集落のためにも危険な魔物の存在は見過ごせません」

「私はイサギ様が行くところであればどこまでも」

「レギナは?」

「もちろん、行くに決まってるじゃない。そろそろ広々としたところで暴れたかったのよね」

獰猛な笑みを浮かべながら背中にある大剣に手をかけるレギナ。

ずっと狭い通路なせいか彼女は大剣をコンパクトに振って対処していた。しかし、大きな広間となれば、レギナも遠慮なく戦うことができる。

ティーゼ、メルシア、レギナがいるのであれば、たとえ上位個体であろうとも倒せる確率が高い。

仮に敵わないとして俺の錬金術やアイテム、魔道具を総動員すれば、撤退することだってできるはずだからね。

「よし、行こう!」

俺たちは斜面を一気に駆け下りると、そのまま魔物がいる大広間に入った。



まずは視界の確保が優先だ。

他の三人は暗闇の状態でも昼間のように見えるが、俺にとってはそうではない。さすがに手強そうな魔物を相手に片手で立ち回るのは危険だ。

俺は魔道具をマジックバッグに収納すると無属性魔法を発動し、大広間の上空に光源を打ち上げた。

白い輝きが灯り、大広間の中央に鎮座している魔物の正体が露わになる。

体長十メートルを超える巨大な蜘蛛だ。

脚の長さを合わせると、全長は倍近い大きさになるだろう。

黒光りした甲殻と毒々しい色合いの模様が特徴的だ。

「キングスパイダーです!」

「それにしてはデカいわね!」

「恐らく変異種のようなものかと! 気を付けてください!」

ティーゼの忠告を耳にして、俺たちは警戒をさらに引き上げた。

キングスパイダーってだけでも手強いのに、通常とは異なる進化をしている可能性があるらしい。

開始の一撃を放ったのはティーゼだ。

彼女は翼を広げると、自らの羽根を蜘蛛へと射出した。

極彩色の嵐が襲いかかるが、巨大な蜘蛛は避けることもせずにその身で受け止めた。

雨が終わった後に蜘蛛を確認してみると、甲殻に浅い傷を作っただけで大きな傷らしいものはまるでなかった。

「なんて硬さなのでしょう……」

ティーゼの羽根は、サンドスパイダーやビッグスパイダーを容易に貫くほどの威力があった。

それなのにこの蜘蛛にはまるで効いていないことに驚きを隠せない。

ティーゼの攻撃に反応し、巨大な蜘蛛が突進してくる。

これだけの質量を持っていると、ただ突進してくるだけで必殺の一撃となる。

一塊になっていては纏めて餌食となるので俺たちは散開するように回避。

「くらいなさい!」

レギナがこちらに振り向こうとしている蜘蛛の足に大剣を斬り付けた。

硬質な音同士が擦れ合う音。

レギナの叩きつけた一撃は蜘蛛の前脚に浅くではあるが傷をつけた。

「浅っ!」

メルシアは太ももに巻き付けたベルトからナイフを引き抜くと、すかさずそこに投げつけた。

傷口を(えぐ)る追い打ちに蜘蛛から苦悶の低い声があがった。

今までは拳や蹴りを主体として戦うメルシアの姿しか見ていなかったが、あんな風に武器を扱った戦いもできるようだ。というか、あんなところに武器を隠していたんだ。

「私たちの一撃では決定打にはならないですね」

「レギナ様を主体とし、私たちは撹乱(かくらん)や追い打ちに徹するのがよさそうです」

「そうだね」

俺たちが攻撃を仕掛けても、堅牢(けんろう)な甲殻に弾かれてカウンターを喰らってしまう確率が高い。

だとすれば、確かな一撃を与えられるレギナを中心として戦いを組み立てる方がいいだろう。

「撹乱は任せてください」

方針を決めると、ティーゼが翼を動かして舞い上がった。

ティーゼは蜘蛛に近づくと上空から極彩色の羽根を浴びせたり、発達したかぎ爪で攻撃を仕掛ける。

一撃の威力こそ低いが、絶え間なく繰り出される攻撃を蜘蛛は嫌がっている。

堪らず長い脚を振り回し、口から白い糸を吐きだすがティーゼはひらりひらりと(かわ)した。

大きく距離を取ったかと思えば、懐に入り込むような急潜行。

緩急のついた立体的な動きに蜘蛛はまるで付いていくことができない。

これまでは狭い洞窟内だったが故に飛ぶことはできなかったが、ここは空間にかなり余裕のある大広間。彩鳥族としての強みを存分に生かすことのできる展開となっていた。

ティーゼに注意が向かえば、他の仲間たちが動きやすくなる。

「足元がお留守よ!」

楽に距離を詰めることのできたレギナが大剣で脚を斬り付け、その傷をメルシアが短剣で抉っていく。

「下ばかり見ていていいのですか?」

蜘蛛の注意が足元に向かおうとすれば、ティーゼが上空からかぎ爪による一撃をお見舞い。

俺も錬金術を発動し、土の杭を生やすことで蜘蛛に攻撃をしつつ、動きを阻害する。

地上と上空からの波状攻撃がこんなにも強いなんて思わなかった。

キングを冠する魔物を相手にこんなにも一方的な展開になるとは驚きだ。

レギナの一撃によって脚だけでなく、甲殻も破壊されていく。そこにティーゼとメルシア、俺が傷を広げるように追撃をかけていくので蜘蛛の体はボロボロになっていた。

分厚い甲殻はボロボロになり、堅牢な脚も表皮を大きく胡坐れて肉繊維が露出している。

今なら殺虫玉を使えば、当てられるか?

殺虫玉を使えば、絶大な効果を与えられるかもしれないが、一度使ってしまえば大きく警戒されることになる。絶対に当てられるであろうタイミングで使うのが効果的だ。

攻撃を仕掛けながら考えたところで蜘蛛が上体を起こし威嚇するように脚を広げた。

複眼をギョロギョロと動かして怪しく明滅させている。

表情など全くない蜘蛛だが、俺たちの好き勝手な攻撃に怒り狂っているというのはわかった。

先程とは違った挙動に警戒すると、蜘蛛がまったくの予備動作なく跳躍した。

プレスを仕掛けてくるのかと思ったが、蜘蛛が落ちてくる様子はない。

見上げると蜘蛛は天井に張り付いていた。

体を震わせて鳴き声のようなものをあげると、天井にある穴から次々とスパイダーが出てくる。

「ちょっ、どれだけ出てくるのよ!?」

「これはマズイですね……」

穴から出てくるスパイダーの数は既に百を超えている。それくらいで止まってくれると嬉しいのだが、穴からは絶え間ない数のスパイダーが湧いて出ている。

ヘタをするとこの洞窟にいるすべてのスパイダーが集まってきているのかもしれない。

数百や千であればいいほうでヘタをすると万という数がいるかもしれない。

そうなればいくら俺たちでも多勢に無勢となって勝ち目はない。

「俺は穴を塞ぐので雑魚はお願いします!」

俺は即座に地面に手をついて錬金術を発動。

大広間に魔力を浸透させ、スパイダーが湧き出てくる穴を塞いだ。

「よくやったわ、イサギ!」

「助かります!」

穴を防ぐことで増援を食い止めることはできたが、スパイダーたちが壁を破ろうと攻撃をしたり、土を掘って別の入り口を作ろうとしている。

俺は錬金術で壁を補強、維持し、新たに作りだそうとする穴を塞ぐことに手一杯だった。

とはいえ、内部に入り込んだスパイダーの数も多かった。

レギナが大剣を振るい、ティーゼが羽根を射出し、メルシアが両手に短剣を持っているが、それでも数が多い。三人だけで支えるには辛い状況だ。

「ちょっと匂いますけど許してください!」

俺は大広間の穴を錬金術で塞ぎながら、マジックバッグから取り出した殺虫玉を周囲にばら撒いた。

殺虫玉が破裂し、白い煙が噴き出す。

「ティーゼさん、頼みます!」

俺の意図を汲み取ってくれたティーゼが風魔法を発動して、俺たちの視界を遮らないようにしながら煙を拡散させてくれる。

白い煙がスパイダーに吹き付けられると、あちこちで苦しげな声をあげてひっくり返っていく。

ただ先ほどの通路と違って密閉状態ではないせいか、効果が十分に発揮されず死に至っていない個体もいる。だが、殺虫玉の効果によって明らかに動きが悪くなっており、それらはレギナやメルシアが手早く処理をしてくれた。

殺虫玉をばら撒いたのが俺だとわかったのだろう。

天井に張り付いていた巨大な蜘蛛の複眼と目が合った。

あ、これ。襲いかかってくるやつだ。

そう認識した瞬間に蜘蛛が天井から勢いよく降下してくる。

大広間の穴を食い止めることに手一杯の俺は回避行動に移ることができない。

圧倒的な質量を伴った黒い塊がくるのを呆然と眺めていると、横合いから飛んできたメルシアが蜘蛛を吹っ飛ばした。

「イサギ様に手を出そうなど許しません」

「メルシア……ッ!」

勢いの乗ったメルシアの蹴りに、蜘蛛はお尻を大きく凹ませて壁に叩きつけられた。

さっきは武器を使っていたが、やっぱり一番得意とするのは体術のようだ。

あちこちにできた傷口から緑の体液を噴き出した蜘蛛は、脚を動かして何とか立ち上がろうとする。

が、既に脚にかなりのダメージを負っているせいか、スムーズに立ち上がることができない。

「動きを止めます!」

相手が止まっているのであれば、少しくらいは助力ができる。

俺は穴の維持の片手間として、錬金術を発動させて壁や地面を変質。蜘蛛の脚に絡みつくようにして動きを阻害する。

「とどめよ!」

そこにレギナが跳躍し、両手で振りかぶった大剣を思いっきり蜘蛛の頭へ叩きつける。

レギナの全力での一撃を急所に受けてはどうすることもできず、蜘蛛は緑の体液を撒き散らしながら地面に沈んだ。

「やったね!」

「イサギ様は少々お待ちを。私たちが残党を駆逐いたします」

「あっ、はい……」

喜びの声をあげていたのは俺だけで、メルシアとティーゼは広間に残ったスパイダーの処理をしている。レギナに至っては蜘蛛が並外れた生命力を持っていると睨んで、頭以外の場所に何度か大剣を突き刺して確実に命を奪っていた。

適切な処理によって生命活動を停止するのを確認。

「イサギ、他のスパイダーたちはどうなった?」

レギナに問われて地中や壁中を探査してみると、既にスパイダーたちはいなくなっていた。

増援がこないのであれば穴を維持する必要はない。

「……キングスパイダーが討伐されて逃げていったみたい」

俺の言葉を聞いて、レギナはがホッとしたように息を吐いた。

俺は錬金術を解除。

周囲を見渡してみると、大広間には巨大な蜘蛛と小さな蜘蛛の亡骸で溢れ返っていた。

「増援を呼ばれた時はどうなるかと思いましたね」

「ですが、イサギ様のお陰で助かりました」

「いやいや、皆が支えてくれたからだよ」

これほど強力な魔物を倒すことができたのは皆のお陰だ。誰か一人のお陰などではない。

皆の勝利と言えるだろう。

「これも回収するの?」

「牙、爪、刺、毒腺、糸袋……使えるべき素材はたくさんあるからね」

解毒ポーション、毒、アイテム、魔道具、武具への加工。

使い道はたくさんある。たくさん回収しておいて損はない。

俺はキングスパイダーやスパイダーの亡骸をマジックバッグに回収していく。

「あ、もちろん。最終的な利益はティーゼさんたちにもお裾分けします」

キングスパイダーの討伐はもちろん、スパイダーなどの討伐にティーゼも大きく貢献してくれている。マジックバッグで回収しているからといって、利益を独り占めするつもりはない。

「でしたら、ここでは手に入らない品物でいただけますと嬉しいです」

ワンダフル商会で売却できる値段を推測して金銭を渡す方法もあるが、このような土地では金銭はあまり役に立たない。ティーゼが直接品物を欲しがるのも当然と言えた。

「わかりました。集落に戻りましたら品物をお渡しします」

「助かります」

「さて、水脈を見にいこうか」

会話が一段落ついたところで水脈の調査だ。

大広間を抜けて奥の通路へ進んでいく。

すると、俺の耳でも感じ取れるほどに水の音が聞こえてきた。

そのまま進んで通路を抜けると、広大な空間に出てき、中央には湖が鎮座していた。

水面の輝きが天井の岩に反射して波打っている様子は幻想的だ。

「大きな湖!」

レギナの感嘆の声が洞内に響き渡った。

周囲に魔物の気配はない。湖の傍にいる生物は俺たちだけのよう。

まあ、傍にあんな巨大な蜘蛛が巣を作っていたんだ。

他の魔物がいたとしても近寄ることはないだろう。

「まさかここに本当に水があるなんて……」

ティーゼが湖を見つめながら呆然と呟いた。

突如として集落の近くで発見された水源にやや現実味がないのかもしれない。

しかし、目の前に広がっている光景は本物だ。

「ねえ、これって飲めるの?」

「問題なく飲めるよ」

水質については確かめている。汚染物質などは含まれていないので、このまま飲むことも可能だ。

問題ないことを告げると、レギナとティーゼが水をすくって飲んだ。

「はぁー、美味しい!」

「はい。とても美味しいです」

俺も飲んでみると水はちょうどいいくらいに冷えており、喉の奥へとスルリと通っていった。

乾いていた喉に水が染み渡る。

「これほど豊富な水源なら集落まで問題なく引っ張れそうだね」

「どうやって集落まで引っ張るの?」

「錬金術で掘削して傾斜に沿って流していくよ」

「……集落まで結構な距離があったけど大丈夫なの?」

「多めに見積もって三日かな」

「そ、そんなに早く済むの?」

「イサギ様だからできることです」

メルシアの返答を聞いて、レギナとティーゼが納得したように頷いた。

「そうかな? 宮廷錬金術師なら誰でもできることだと思うけど……」

大袈裟な表現だったので訂正してみると、メルシアが残念なものを見るような目を向けてきた。

ええ? 帝国の宮廷錬金術師だった皆これくらいできたよね? 具体的にそういった作業や魔力量を見たわけではないが、宮廷錬金術師になれたのならそれくらいの魔力量はあるってガリウスにも言われたし。

「とにかく水源が見つかったことだし、これで農業の水問題については問題ないわね?」

「うん、これで盤石な体制で農業ができると思う」

魔道具だけでは心許ない砂漠の農業だが、これだけ広い水源があるのであれば問題ないだろう。

俺たちは湖までの道のりを丁寧にマーキングしながら集落まで戻ることにした。



ティーゼが洞窟に水源があったことを告げると、集落はかつてないほどの賑やかさに包まれた。

他の者に伝えようと飛び立ったり、その場で興奮の声をあげたり、不思議な踊りを披露して喜びを表現する者もいた。

最初にやってきた時は物静かな集落といったイメージだったので、活気に包まれた景色とのギャップに思わず驚いてしまった。

「新しい水源が見つかったこととレギナ様たちの歓迎を合わせて、ささやかながら宴を開きたいと思うのですがよろしいでしょうか?」

「宴は好きだから大歓迎よ」

「ぜひ、お願いします」

この集落には長い間滞在することになる。ティーゼ以外の住民との交流を深めるいい機会だ。

俺たちが頷くと、ティーゼは「ありがとうございます」と礼を言い、リードやインゴをはじめとする集落の者たちに指示をして宴の準備を始めた。

「手伝ってまいります」

「あたしも暇だし」

メルシアとレギナは準備を手伝うことにしたらしい。メルシアはこういう時にジッとしているのが性に合わず、レギナは単純に体力が有り余っているのだろう。

俺は自身の体力の身のほどというものを知っているのでお手伝いは辞退する。

それにこれからやることもあるしね。

「ティーゼさん」

「何でしょう?」

「錬金術で工房を作ろうと思うのですが、建てちゃいけない場所などありますか?」

「工房ですか? 私の家であれば部屋はたくさん余っていますが……」

「寝室などはお借りしたいのですが、錬金術で調合をする時には薬品を使う時もありますので専用の工房を用意する必要があるのです」

気合いを入れて調合や品種改良を施すにはきちんとした設備が必要になる。万が一の危険や匂いなどを考えると、きちんとした工房は別に作っておきたい。

そう説明すると、ティーゼは納得したように頷いてから口を開いた。

「でしたら、私の家の付近であれば自由に使ってくれて構いません」

「ありがとうございます」

許可を貰えたところで俺は一人でティーゼの家の前へ戻る。

族長だからだろう。ティーゼの家の付近にはあまり民家が密集していないみたいなので、俺はほどよく距離が離れた岩礁地帯に移動する。

「この辺りでいいかな」

せっかくの岩礁地帯だ。これを利用した工房にしてしまおう。

俺は錬金術を発動して、岩礁地帯の岩を掘削してくり抜いて工房を作った。

玄関を開けて中に入ると、長い洞窟のような廊下が広がり、そこから枝分かれしていくように部屋があり、素材の保管庫、作業部屋といったものがある。

奥に行くにつれて内部の部屋が広くなっていく仕様でティーゼの家の内装を参考にさせてもらった。

プルメニア村よりも内装や家具も簡素だが、寝泊まりについてはティーゼの家でお世話になるつもりなのでこれくらいでいい。そのお陰で、短時間で工房が出来上がったしね。

あとは内部が壊れないように錬金術で地面、壁、天井などを補強し、呼吸がしっかりできるように空気穴も作ると完成だ。

「うんうん、いいんじゃないかな? 秘密の工房って感じでちょっとワクワクするや」

微妙に薄暗く、どこか洞窟を連想させる工房が俺の心の琴線に響いた。

簡易拠点の際に使用した家具を設置していくと完璧だ。

工房作りが終わったので外に出て、集落の広間を確認してみると人が集まり、長テーブルやイスが並べられていた。外からは彩鳥族の男が狩ったと思われる砂漠の魔物が運び込まれており、何人かで解体しているところ。

まだ宴が始まるには早いようだ。かといって体力的に手伝う余力はない。

休憩しようとソファーに腰かけると、ふと自分の身体の臭いが気になった。

一日中、洞窟を調査していたせいかどこか汗臭い。

自分ですらそう感じるのだから、獣人たちはもっと強い汗臭さを感じるだろう。

「お風呂に入るか……」

水が貴重な場所でお風呂なんて贅沢のように思えるかもしれないが、俺は水魔法が使えるし魔道具だって使える。オアシスの水を使っているわけでもないし、自分で使うくらいいいだろう。

俺は錬金術を発動し、空き部屋に岩の湯船を作る。

そこに水と火の複合魔法を使い、湯船いっぱいにお湯を注いだ。

あっという間に浴場内が湯気に包まれる。

俺は纏っていた衣服を脱ぎ捨てると、速やかに身体を洗って湯船の中に飛び込んだ。

「ふうー、気持ちいい」

温かなお湯が全身を包み込む。

調査で歩き回り、むくんだ足の筋肉がゆっくりとほぐれていくようだ。

気温の高いラオス砂漠にいても、温かいお湯に浸かるというのは心地いいものなんだな。

ただ長時間浸かっているとやっぱり暑く感じるので、お湯の温度を下げて水風呂にすると、とても快適だった。

火照った身体から熱が奪われるのが気持ちいい。

とはいえ、あまり長時間浸かっていると風邪を引いてしまいそうだ。

ちょうどいいところで水風呂を切り上げると、タオルで水分を拭って予備の衣服とローブを纏った。

お風呂を堪能し終わる頃には、集落の広間も賑やかになっており、テーブルなどには料理が並び始めていた。

そろそろ向かっておくべきだろうと考えて玄関を開けると、そこにはメルシアとレギナがいた。

恐らく、ティーゼから話を聞いたか、匂いの残り香を辿ってここまで来たのだろう。

「呼びにきてくれたのかな?」

声をかけるとレギナがスンスンと鼻を鳴らして、俺の臭いを嗅いできた。

「いい匂いがするわね?」

皮肉のような言葉にメルシアのように視線を逸らすと、彼女はどこか羨ましそうな視線をジーッと向けてくる。

二人が求めていることは言うまでもないだろう。

「どうぞ。入ってください」





レギナとメルシアがお風呂に入ってサッパリしたところで、俺たちは宴の会場である広間にやってきた。

広間では多くの長テーブルが設置されている。その上には見たことのない砂漠料理が並んでおり、かぐわしい香りが俺たちの胃袋を刺激した。中には食べられるのかもわからない植物や不気味なものもあったが、それも異国の情緒があって実に興味がそそられる。

あちこちで(かがり)()が焚かれているのは、単純に薄暗くなってきたからだけというわけでもなく、寒暖差の激しい夜の気温に備えたものなのだろう。いつもなら少し肌寒い時間帯だが、篝火のお陰で温かい。

「さあ、こちらに座ってください」

ティーゼに手招きされて、俺たちはイスへと座った。

「今日、見つかった水源はライオネル陛下の命によってやってきた第一王女レギナ様、錬金術師のイサギさん、メイドのメルシアさんの活躍のお陰です。新たなる水源発見の感謝と、御三方の来訪を心から祝して乾杯!」

「「乾杯!」」

ティーゼが族長しての口上を述べると、広間に集った彩鳥族が応答するように声をあげた。

それが宴開催の合図らしく、そこからは各々が好きに目の前の食事に取り掛かり始めた。

俺たちもそれにならって食事に手をつけることにした。

テーブルの上には見たことのない料理が数多く並んでいる。

見たことがあるのはスコルピオの塩ゆでくらいなものだ。

「この緑色の分厚い葉っぱのようなものはなんでしょう?」

ドドンと目の前に置かれているだけあって、俺もそれが気になっていた。

「ウチワサボテンです」

「サボテンって砂漠に生えていたあのトゲトゲの奴よね?」

「はい。そうです」

驚くレギナの言葉にティーゼはこくりと頷いた。

遠目に生えているのを何度も目にしていたが食べられるんだな。

刺々(とげとげ)しい見た目から食べようとは思わなかったが、ここではご馳走の類に入るらしい。

表面に刺のようなものは一切なく、こんがりと焼かれている。

塩、胡椒、バターなどで炒められているのか、とてもいい香りだ。

ナイフで食べやすいように切り分けて食べてみる。

「美味しい!」

見た目はいかにも苦そうなものであったが、食べてみると口の中で強い酸味と甘みが広がった。

決して嫌な酸っぱさではなく、程よい酸味。たとえるならピクルスのような味だろうか。それに微かに粘り気のようなものがある。

「ほどよい甘みと酸味がいいですね」

「不思議な味! 意外と食べ応えがあって悪くないわね!」

メルシアとレギナもサボテンステーキを気に入ったようで、次々と切り分けてはパクパクと口に運んでいた。

このコリコリとした独特な食感が癖になるんだよな。

サボテンステーキを食べ終わると、次に気になったのがお皿に積み上げられた大きな肉たちだ。

香辛料で味付けがされているのか、どれもスパイシーな香りが漂っている。

「これは何の肉かしら?」

(すな)蜥蜴(とかげ)砂牛(すなうし)のお肉です」

どうやらその二種類の生き物がこの周辺で主に狩れる動物になるらしい。

まずは砂蜥蜴の脚肉を手に取ってみる。

縞模様の皮がついており、ちょっと見た目が生々しいが宴として出されている料理だ。臆することなく口にする。

(かじ)ってみると中のお肉は綺麗なピンク色で身はとても柔らかい。

「あっ、鶏肉みたいで美味しい」

塩、胡椒でしっかりと味付けされてり、あっさりとした砂蜥蜴の旨みとよく合う、

砂蜥蜴の肉を食べると、次は砂牛と呼ばれる赤身肉だ。

こちらは砂蜥蜴とは違い、数々の香辛料で味付けがされているようで、先ほどからスパイシーな香りを放っている。嗅いでいるだけで胃袋を刺激するようだ。

おずおずとフォークを伸ばして食べてみると、舌を刺すような辛みが口内を満たした。

「辛っ!」

「イサギさん、お水をどうぞ」

あまりの辛さに(むせ)ていると、ティーゼがサッと水の入ったコップを差し出してくれた。

遠慮なくコップを貰うと、俺は一気に水を飲みほした。

「ありがとうございます、ティーゼさん」

「いえ、礼を言うのはこちらです。イサギさんたちのお陰でこういった時に気軽に水を差し出せるようになったのですから」

そうか。北の山に水源が見つかるまでは、少し離れたところにあるオアシスが唯一の水源だったからな。できるだけ水を消費しないように節約に努めていたのだろう。

しかし、近くに第二の水源ができたこともあり、今までのように切り詰める必要がなくなった。

周囲にいる他の彩鳥族も実に楽しそうだ。飲んでいるのはエールやワインといった酒ではない。

ただの水だ。だけど、そのただの水を遠慮なく飲めるというのが嬉しいのだろう。

楽しそうにする彩鳥族を目にしながら俺はもう一度砂牛を食べる。

「大丈夫ですか?」

先程、辛さで咽たからだろう。ティーゼが心配の声をかけてくれる。

「もう大丈夫です」

刺すような辛みが口内を(じゅう)(りん)した後に強い旨みが溢れた。

力強い砂牛の肉の旨みと香辛料の味付けが非常に合っている。

辛い。だけど、もっと食べたいという気持ちが止まらない。

「これイケるわね!」

レギナは砂蜥蜴の肉よりもこっちが気に入ったようですごい勢いで食べている。

「私は砂蜥蜴の方が好みです」

反対にメルシアは砂蜥蜴の肉が気に入ったらしく、小さな口を動かして上品に食べていた。

二人とも食の好みがわかりやすい。

砂漠を横断してきたけど、俺たちがまだまだ遭遇していない生き物がたくさんいるんだな。

帝城にいれば、大抵の素材は集めることができたけど、実際に外に足を運んでみるとまだまだ知らない素材がたくさんある。世界には俺の知らないことばかりだ。

「次は豊かな食料で皆を笑顔にしてやりたいな」

「イサギ様ならきっとできます」

「そのためにも明日からまた頑張ろうか」

夜の厳しい寒さに耐えきれなくなるまで、その日の宴は続いたのだった。