ゴーレム馬を走らせるにつれて森はより深くなる。生い茂る枝葉によって日光は遮られ、やや視界も悪くなり、地面にも大きな凹凸が増えていた。
「……ねえ、さすがにそろそろ速度を落とさない?」
「え? なんで?」
提案すると、先頭を突っ走るレギナが素朴な疑問を尋ねるかのように聞き返してきた。
「暗くて視界が悪い上に、足元も悪くなってきたからだよ」
周囲の状況がよくわからない中、ゴーレム馬を突っ走らせるのはさすがに怖い。
「えっ? ここって暗い?」
「人間族であるイサギ様は、私たち獣人のように夜目が利くわけもなく、遠くが見えるわけではありませんから」
「あ、そっか!」
メルシアが補足するように言うと、レギナの表情に理解の色が広がった。
人間族の中での生活経験があるメルシアと違い、レギナは獣人が多くを占める国で育ってきた。
人間族に対する認識が低いのは仕方がないことだ。
だけど、これでレギナも俺に配慮して速度を――
「大丈夫! あたしとメルシアは見えているし、進みやすい道を選択してあげるからこのまま突き進もう!」
落としてくれなかった。むしろ、見えないと知った上で継続を提案。鬼だ。
「いや、でも普通に怖いんだけど……」
「グオオオオッ!」
泣き言の漏らしていると、横合いから大きな何かが飛び出してきた。
先頭にいるレギナは素早く大剣を抜くと、襲いかかってきた何かに向けて勢いよく振り下ろした。
脳天に一撃をもらった生き物はそのまま撃沈し、血の海に沈んだ。
「アウルベアーだ」
思わずゴーレム馬を止めて確認してみると、灰色の体毛をした大きなクマが脳天を割られていた。
人であろうと魔物であろうと襲いかかる獰猛な性格をしており、オークを超える膂力を備えた上での素早い身のこなしをすることもあり、低ランクの冒険者ではまるで相手にならない。
人間族の生活圏内で出現しようものなら大騒ぎになるほど危険な魔物。にもかかわらず、それを一撃で沈めてみせたレギナの実力には圧巻する他ない。
「ここの森は魔物も多いし、ゆっくり進むより一気に突き進んだ方が魔物に絡まれないわよ?」
大剣を振り払って血のりを飛ばし、残った血を布で拭き取りながら言うレギナ。
「このレベルの魔物がゴロゴロといるの?」
「そうね。というか、アウルベアーは楽な個体の方よ?」
衝撃の事実を聞いて思わずメルシアに視線を向けると、その通りですと言わんばかりに頷かれた。
獣王国にいる魔物が強いことはわかっていたが、まだ認識が足りなかったのかもしれない。
アウルベアーが可愛いと評される魔境を、呑気に進むほど俺は肝が大きくない。
「突き進んで急いで森を抜けよう。でも、操縦する自信がないかも……」
「だったら、あたしの後ろに――」
「でしたら、私の後ろにお乗りください、イサギ様」
レギナの言葉に被せるようにしてメルシアが言った。
「あ、うん。じゃあ、メルシアの後ろに乗せてもらおうかな」
妙に勢いのあるメルシアに違和感を覚えたが、さすがに王族であるレギナの後ろに乗せてもらうのは恐れ多い。
視線で謝罪をすると、レギナは笑みを浮かべながら気にしないでとばかりに手を振ってくれた。
気を悪くしないでくれたのはありがたいが、レギナの視線が妙に生温かかったのは気のせいだろうか。
「再出発する前にアウルベアーを回収するね」
「アウルベアーの肉は臭みがあって美味しくないわよ?」
「錬金術で下処理するから問題ないさ」
レギナが訝しむ中、俺はアウルベアーに触れて錬金術を発動。
アウルベアーの体内に残っている血液だけを抽出。取り出した大量の血液は瓶に収めた。
「これで完璧な血抜きができたから、料理にした時に大きな臭みもないはずだよ」
「すごいけど、ちょっとグロテスクな光景ね」
気持ちはわかるけど、これもアウルベアーを美味しく食べるためだ。
アウルベアーと血液瓶だけでなく、自分の使っていたゴーレム馬もマジックバッグに収納すると再出発だ。
「それじゃあ、後ろを失礼するよ」
「どうぞ」
メルシアの乗っているゴーレム馬の後ろに跨る。
農園用のポニーサイズとは違い、軍馬サイズのゴーレム馬なので二人乗りだろうがスペースは楽々だ。
ただ目の前にいるのが異性であると考えると、べったりとくっつくわけにもいかない。
適度な空間を空けて、気持ち程度にメルシアの腰へ両腕を回す。
「イサギ様、もう少し前に詰めて、しっかりと身体を掴んでいてください」
「え、いや、でも……」
「この先、ますます道は険しくなります。イサギ様にもしものことがあっては困りますので」
たじろぐ俺に向かって言葉を述べるメルシアの表情は、とても真剣だ。
まぎれもなく彼女は俺の身を案じてくれている。それなのに異性の身体に触れるのが恥ずかしいなどと俺はなんと情けないことだろう。メルシアを見習い、邪な考えは捨てるべきだ。
「わかった」
意を決して俺はメルシアの背中に密着し、両腕をガッチリと前へと回した。
メイド服を通して、メルシアの柔らかな身体の感触が伝わってきた。
「んっ」
「なんか変な声がしなかった?」
「気のせいです。では、出発といたしましょう」
なんだか聞いたことのないような色っぽい声が聞こえたような気がしたが、メルシアには何も聞こえなかったらしい。
俺よりも聴覚のいいメルシアがそう言っているということはそうなのだろう。
俺はそれ以上気にしないことにし、メルシアの後ろで心地良い揺れに身を任せることにした。
●
メルシアの後ろで揺られながら進むことしばらく。
鬱蒼としていた木々がなくなり、平原が視界に飛び込んできた。
暗い景色にすっかりと目が慣れていたので、急に明るいところに出てくると眩しく感じた。
「あっはは、すごいわ! 普通は森を抜けるのに三日はかかるのに半日で抜けちゃった!」
平原を見るなり、レギナが信じられないとばかりに声をあげた。
どうやら完全に森は抜けたようだ。
「まあ、かなりのスピードで駆け抜けたしね」
「本当にすごいわね、このゴーレム馬!」
「本当にすごいのは二人の操縦技術だよ」
俺の感想にレギナとメルシアが小首を傾げる。
ゴーレム馬の性能があったとしても人間族では暗闇を見通すことができない上に、立ちはだかる障害物や、悪路のせいで速度を出すことは到底できない。
二人の暗闇さえ見通す視力と、障害物や悪路を回避できる反射神経があってこその芸当だ。
真似をしろと言われても俺には無理だろうな。
「ありがとう、メルシア。助かったよ」
「いえ」
ゴーレム馬から降りると、メルシアがちょっと名残惜しそうな顔をした気がしたが、それは自意識過剰だろうな。後ろに乗っていた俺がいなくなって安心しているだけだろう。
「この先はどうなってるのかな?」
「だだっ広い平原が続いて、その先に小さな森があるって感じ」
「でしたら、この辺りで野営をした方がよさそうですね」
空を見上げてみると、太陽が徐々に落ちてきている。あと一時間もしないうちに日が暮れるだろう。
いくら夜目が利くレギナとメルシアがいても、魔物が活性化する夜の行軍は危険だ。
「今日はここで一泊して、明日の朝にまた出発しよう」
レギナとメルシアが同意するように頷いた。
方針が決まると野営の準備だ。
地形を確認するまでもなく、周囲はだだっ広い平原だ。
どこからか魔物がやってくれば視認できる上に、先ほど抜けた森からも距離は大分離れているので危険は低いと言えるだろう。
「メルシア、この辺りに除草液を撒いてくれるかい?」
「わかりました」
マジックバッグから取り出した瓶を渡すと、メルシアが蓋を取って周囲に除草液を撒いた。
除草液によって周囲に生えていた雑草がシューと音を立てて枯れていく。
周囲にある雑草があらかた除草されると、俺はマジックバッグから建材を取り出し、錬金術を発動。
木材を加工、変質させて、小さな丸太小屋を組み上げた。
扉を開けて中に入ると料理のために台所を作り、食事できるダイニングスペースや、ゆったりとできるリビングを作り、奥ではそれぞれが安心して眠れるように寝室も作った。
「よし、こんなものかな」
「……違う」
臨時の野営拠点を作り上げると、室内の様子を眺めていたレギナが唐突に呟いた。
「え? なにが?」
「これは野営じゃない」
「野営だよ?」
「外でこんなに立派な家を作って泊まる野営なんて聞いたことがないわよ! こんなの野営じゃない!」
野営をしているのにも関わらず、野営ではないと言い張るレギナ。
「そうなの?」
あんまり野営を経験したことがないから一般的な野営というものがどういうものかわからない。
「普通は皆でテントを組み立てたり、火を起こすところから始めるものでしょ?」
「俺にとってはテントを組み立てるより、家を作った方が早いから。焚火だって魔道具があるから別に必要ないし」
快適に過ごすための手段と道具があるのだから、それを使わない手はない。
「……イサギに一般的な野営を説明しようとしたあたしがバカだったわ」
俺にとっては当たり前のことを告げたつもりなのだが、レギナは頭が痛そうな顔をして肩を落とした。
思わずメルシアに視線を向けると、彼女はお茶を濁すように苦笑した。
どうやら彼女もこれが一般的な野営ではないと理解しているようだ。
少し釈然としない気持ちがあるものの、わざわざ不便な選択をする意味もない。
俺はこれ以上気にしないことにした。
「イサギ様、夕食の準備をしたいのでアウルベアーをこちらに出していただけますでしょうか?」
メルシアに言われて、昼間にレギナが倒したアウルベアーを取り出した。
すると、メルシアは軽々とアウルベアーを担いで裏口に移動していった。
あのアウルベアーの大きさからして、軽く体重が数百キロあるはずなんだけどな。
「あたしも手伝うわ!」
「いえ、そのようなことをレギナ様に手伝わせるわけには」
「そういう遠慮はいいってば。こういうの慣れてるし」
「では、よろしくお願いします」
メルシアとレギナが解体を始めると、俺は手持ち無沙汰になってしまった。
とはいえ、俺は熊の解体なんてやったことがないので力になれるとは思えない。
「暇だし、見張り用のゴーレムでも作ろう」
野営のために家を作ったのはいいが、家の中にいては魔物の接近に気付くことができない。
その対策として家の周囲にゴーレムを配備すればいい。
ゴーレムなら人間と違って睡眠をとる必要もなく、疲労も感じないので一晩中でも見張りを任せることができるからね。
俺はマジックバッグにある鉄、鋼、マナタイトを素材としたゴーレムを作っていく。
帝国の魔物ならば適当な砂や石を素材としたゴーレムで十分だけど、獣王国の魔物は手強いので素材もいいものにしておいた。さらにゴーレムのために大盾と、槍を持たせた。
魔物を倒すことまでは期待していないけど、俺たちが危険を察知して戦闘準備を整えられるくらいに持ちこたえて欲しいからね。
三体のゴーレムに魔石をはめると、魔力を流して起動させた。
「この家に誰も近づけさせないようにしてくれ」
外に引き連れて指示を出すと、ゴーレムたちは家の周囲を歩いて巡回し始めた。
うん、これで大丈夫だろう。
「あれってイサギの作ったゴーレム」
ゴーレムの出来栄えに満足していると、レギナが声をかけてきた。
先ほどまで解体をしていたはずだが、裏口にはメルシアとアウルベアーの姿がないので解体は終わったのだろう。
「そうだよ。見張りをしてもらおうと思ってね」
「……あのゴーレムたちが持ってる盾と槍って魔道具?」
目を細めて凝視するレギナの言葉に俺は驚いた。
ゴーレムが装備している盾と槍は、一見ただの鉄製の盾と槍に見えるがどちらも魔道具だったりする。
盾と槍には雷の魔力が付与されており、触れただけで相手に強電流が流れる代物だ。
「見抜かれないように偽装はしていたつもりなんだけどよくわかったね? 参考までにどうしてわかったか聞いてもいい?」
魔法を生業とする魔法使いや、素材の性質を見通すことのできる錬金術師ならともかく、魔力の扱いが不得手でも、錬金術師でもないレギナに見抜かれたのは予想外だ。
「なんとなくね」
「なんとなく?」
「勘っていうのかしら? 迂闊に触れちゃいけないってわかるのよね」
「獣人の勘か……それはまたすごいね」
レギナの獣人としての本能が察知したのだろう。
獣王国に来る前だったら鼻で笑っていたかもしれないが、こちらにやってきて獣人たちのハイスペックぶりを目にしているので笑うことはできなかった。
獣人による勘かぁ……それはどうしようもないかもしれない。
「お二人とも夕食の準備が整いました」
「わかった。今行くよ」
外の見張りはゴーレムたちに任せて、俺とレギナは拠点へと戻る。
「メインはアウルベアーの煮込みスープと串焼きです」
「美味しそう!」
「野営とは思えないほどに豪勢だわ」
ダイニングテーブルの上には大きな鍋が鎮座しており、お皿には串肉やサラダ、パンなどが並んでいた。サラダとパンはマジックバッグで保存していたものを取り出した形になる。野営でも食事に困らないのがマジックバッグの素晴らしさだね。
「さっそく、いただくよ」
「どうぞ」
まずは串に刺さったアウルベアーのロース肉を食べる。
肉質がものすごく柔らかく、口の中で旨みが弾けた。
「美味しい! 優しい脂の甘みがする!」
そう、特にすごいと感じたのが脂の味だ。
牛や豚の脂身はぎっとりしていてくどさを感じるのだが、アウルベアーの脂身は程よくて優しい甘さを感じる。
「わっ、アウルベアーのお肉ってこんなにも美味しかったんだ!」
「イサギ様が完璧な血抜き処理をしてくださったお陰です」
「それでも熊肉は臭みが強いし、メルシアの適切な下処理があったからだよ」
「ありがとうございます」
率直な感想を告げると、メルシアが気恥ずかしそうに笑って串肉を頬張った。
後ろにあるしなやかな尻尾がブンブンと揺れている。
噛めば噛むほどアウルベアーの力強い旨みが滲み出てくる。
炭火で焼かれているお陰かほんのりと香ばしさがあって堪らないな。
脂身の甘さを活かすために塩、胡椒だけで味付けされているのもポイントが高かった。
串肉を食べ終わると、次はスープにとりかかる。
アウルベアーの脂がスープに溶け出しており、大根、ゴボウなどの根菜やキノコにしっかりと染み込んでいる。
「うん、スープも美味しい!」
「こっちもまったく臭みがないわね」
煮込まれたアウルベアーの肉はとても柔らかく、歯を突き立てるとあっさりと千切れるほどだ。大
通常、熊の肉は煮込めば硬くなるものだが、メルシアの適切な下処理によりまったく硬くなっていない。さすがはメルシアだ。
根は柔らかく、ゴボウが程よい歯応えを演出してくれる。スープを飲めば身体の内側から温まり、旅で緊張していた俺たちに一時の癒しを与えてくれるかのようだ。
「お代わり!」
「どうぞ」
俺がスープを飲んで一息ついている間に、レギナはメルシアにお代わりを貰っていた。
レギナも獣人だけあってか、食べる量が半端ない。二杯目を貰ったかと思うと、あっという間にそれを平らげて、三杯目のお代わりを貰っている。
食べきれないくらいの量があると思ったが、これはすぐになくなってしまいそうだ。
ライオネルが国内の食料生産に頭を抱えるわけだ。
たった一人でこれだけの消費をするのであれば、国内の消費量はとんでもないだろうな。
「ラオス砂漠にはどのくらいで着くんだい?」
夕食を食べ終わると、俺はレギナに尋ねた。
「このペースならあと三日で砂漠地帯に入れそうよ」
レギナによると通常ならば平原を抜けるのに三日、その先にある森を抜けるのに二日、荒野地帯を抜けるのに三日くらいかかるらしい。だけど、今日のペースを考えるとそれくらいで抜けることができるようだ。
特に平原地帯は森と違って障害物もないので、かなりの速度アップが見込めるとのこと。
「砂漠地帯から目的地である氏族の集落まではどのくらいかかるのでしょう?」
「前に走って行った時は一週間かかったわ」
砂漠を走って横断しようとしたことに関しては置いておいて、獣人であるレギナが走ったにもかかわらず一週間だ。人間族が走っての距離だとは考えないほうがいいだろう。となると、砂漠地帯に入ってからかなりの距離があると思った方がいいな。
「遠いんだね」
「いえ、直線距離としては大したことはないわ」
「え? でも、レギナが走って一週間はかかる距離だよね?」
「時間のかかる大きな要因は砂漠の魔物なのよ。砂に紛れてどこに潜んでいるかわからない上にそれぞれが手強い。それに一度遭遇すると隠れる場所がないから逃げることも難しいの」
確かにどこにいるかもわからない魔物を警戒しながらの行軍はかなり難しい。どこで流砂などの危険もあるし、どうしても速度は落とさざるを得ない。
その上、遭遇する魔物が手強いか……アウルベアーを瞬殺していたレギナがそう評するほどの魔物たちがひしめいていると思うとかなり気が重いな。
「ご安心ください、何があってもイサギ様のことは私が守りますから」
不安が顔に出ていたのだろう。メルシアがそんな頼もしい台詞を言ってくれる。
「ありがとう、メルシア。俺もサポートはするから無理だけはしないでね? 危ない時は自分の命を優先するんだよ?」
「はい。命を懸けてでもイサギ様をお守りします」
「うんうん――ってあれ? 自分の命を優先してって言ったよね?」
なんて突っ込むと、メルシアは撤回する気はないとばかりに台所に向かって食器を洗い始めた。
俺の言葉の意味を理解してくれているのか不安だ。メルシアを無事に帰すためにも、俺自身が怪我をしないようにしないとな。
翌朝。目を覚まして寝室からリビングへと顔を出すと、既にメルシアが起きていた。
「おはようございます、イサギ様。朝食の準備は整っていますのでお召し上がりください」
「ありがとう」
テーブルの上には昨夜と同じくアウルベアーのスープとステーキが並んでいた。
スープにはアウルベアーの肉だけでなく、白菜、ネギ、ニンジン、菊などが入っており、スライスされた唐辛子が散らされていた。
同じアウルベアーのスープでありながらも具材のラインナップは違うというわけだ。
「……昨日のスープより美味しい」
スープを飲んでみると、昨日のものよりも脂の旨みと甘みが浸透しているのがわかった。
明らかに昨日のものよりも美味しく、味が洗練されているのだ。
「アウルベアーの骨から出汁を取っていますからね」
骨から出汁って結構な手間がかかるはずだけど、一体いつから起きていたんだろう。
ちょっと心配する気持ちはあるけど、それはそれとして美味しい。
俺が食事を始めると、メルシアも対面に座って食事を始める。
こんな風に家で食事をしてると、旅の最中であることを忘れてしまいそうだ。
「……レギナ、起きてこないね?」
朝食を食べ終わったがレギナが一向に起きてこない。
移動できる時間は限られているので、できるだけ早く出発するべきだ。
しかし、男性である俺が年頃の女性の、しかも第一王女の眠る寝室に入るのは憚られる。
意図を察してくれたメルシアはこくりと頷くと、立ち上がって奥にあるレギナの寝室に入った。
ほどなくしてメルシアが、眠気眼をこすりながらのレギナを連れて戻ってくる。
「眠そうだね? あまり眠れなかった?」
「そういうわけじゃないわ。ただうちの家系は朝が苦手ってだけだから気にしないで」
確かライオンっていう生き物は夜行性だと聞いたことがある。
元になった獣の特性によって、そういった部分は変わるのかもしれないな。
「わっ! このスープ美味しい!」
欠伸をしながらもそもそとパンを食べていたレギナだが、スープを口にした途端にカッと目を見開いた。
「ふう、いつでも動けるわ」
あっという間に朝食を平らげるレギナ。美味しい朝食のお陰で完全に脳が覚醒したらしい。
朝食を片付けると、メルシアとレギナが荷物を纏め始める。
俺はその間にダイニングやリビング、寝室に設置した家具などをマジックバッグに回収。
外に出ると、三体のゴーレムが昨日と変わらない様子で巡回していた。
「うん、特に魔物や獣の類は近づいてこなかったようだね」
ゴーレムには傷一つなく、周囲には争った形跡すらない。
ゴーレムの機能を停止させると、魔石を抜いてマジックバッグに収納だ。
「イサギ様、準備が整いました」
メルシアとレギナの身支度が整ったことを確認すると、俺は拠点として使用していた家に触れる。
錬金術で変質させて連結していた部分を解除すると、バラバラと家が崩れた。
「崩しちゃうんだ」
「野営のための簡易的な家だから」
このままの状態でもマジックバッグに収納できるのだが、組み立てた状態だと嵩張るからね。
一度、崩して収納した方が容量の節約になるのだ。
レギナは少し残念そうにしているが、この程度の簡素な家ならばいくらでも作ることができる。
また野営をしたい時は錬金術で建て直せばいい。
「それじゃあ、出発しようか」
マジックバッグから取り出したゴーレム馬に跨り、俺とメルシアとレギナはラオス砂漠を目指すのであった。
●
レギナの案内で平原を駆け、森を越えて、荒野地帯を駆け抜けると西に進み続けること三日目。
俺たちの目の前には砂漠が広がっていた。
視界の遥か先には僅かに岩のようなものが点在しているが、それ以外はすべて黄土色の砂だ。
ただひたすらに砂漠が続いているだけの景色なのに、なぜか美しさのようなものを感じた。
「ここがラオス砂漠」
「暑いというより、熱いといった表現が正しいですね」
「まったくだね」
周囲にある空気は乾燥しており、強烈ともいえる陽光が差し込んでくる。それがジリジリと肌を焼かれているような感触であり、風が吹きつけるだけで熱風を浴びているようだ。立っているだけで汗が滝のように流れるほどだ。
「まずは砂漠でもゴーレム馬が走れるか確かめないとね」
試しにゴーレム馬を走らせてみる。
「……問題なく進めるけど、一定の速度を超えると思うように速度が出ないね」
「恐らくこの柔らかい砂が原因かと」
柔らかい砂のせいで思うように踏ん張れず、細かい砂が足に絡みついてくるようだ。
「時間をかければ、砂漠でもしっかりと走れるように改良できるけど、それをしている間に目的地に着くくらいの時間は過ぎるだろうね。あまり無理に走らせると転倒するかもしれないし、一定の速度で走らせる方がいい」
「ええ、砂漠でもある程度走れるだけで十分だわ」
これまでのような軽快な旅とはいえないが、標準的な馬と同じくらいの速度は出ている。
徒歩で歩くよりも体力を節約できるし、遥かに早いからね。
「ここからは魔物も凶暴になるから細心の注意を払ってね」
「わかった」
こくりと頷くと、俺たちはゴーレム馬を走らせる。
陣形は案内役であり、近接戦闘をこなすことのできるレギナが先頭で、錬金術や魔道具による支援を行うことのできる俺が二番目、索敵と肉弾戦をこなせるメルシアが最後尾だ。
それぞれの戦闘スタイルを考慮しての布陣ではあるが、一番はひ弱な俺を守りやすいようにこういう陣形になったに違いない。俺は二人と違って近接戦闘はできないし、索敵もできないからね。
周囲には俺たち以外に人間の姿はなく、鳥や動物といった生き物の姿も見えない。
時折、吹きつける風がビュウビュウと音を鳴らし、ゴーレム馬が柔らかい砂を踏みしめる音だけが断続的に響いていた。
こうも平和だと危険な魔物なんていないんじゃないかと思えてくる。
なんて呑気な思考をしていると、前を走るレギナの耳がピクリと動いた。
「くる!」
「どこから?」
「真下よ! 離れて!」
レギナの警告に従い、ハンドルを操作してゴーレム馬を横に跳躍。
すると、さっきまで俺たちのいた場所の砂が弾けた。
視線を向けると、砂の中から五体のサソリが姿を現した。
体長は一メートルを越えており、艶やかな紫色の体表が陽光を怪しく反射している。
獲物が通りかかるのを地中で待っていたのだろう。
レギナが教えてくれなければまったく気づかなかったな。
「スコルピオね! ここは任せて!」
ゴーレム馬から降りたレギナが、大剣を片手で引っ提げて駆けていく。
メルシアは俺の護衛を優先するようで、いつの間にか傍にピッタリといた。
スコルピオは左腕の鋏を鈍器のように叩きつけて迎撃するが、レギナはそれを回避する。
続けてスコルピオの尻尾が鞭のように襲い掛かるが、レギナはそれを予見していたかのようにステップで回避。同時に大剣を薙ぎ払い、スコルピオの尻尾を切断した。
身体の一部が切断された衝撃により大きく仰け反ってしまうスコルピオ。
その大きな隙をレギナが逃すことなく、跳躍した勢いを乗せての一撃で一体のスコルピオが沈んだ。
「次!」
一体目を速やかに処理すると、レギナは素早く二体目、三体目へと斬りかかって、スコルピオを沈めていく。
「凄まじいね」
「さすがはレギナ様です」
突然の魔物の奇襲に臆することなく、一人で立ち向かっていく。
とても大国の王女の行動とは思えないが、とても頼もしい。
このまま放置しておいても一人で倒してしまいそうだが、中衛として少しは役に立っておきたい。
俺は地中に手を触れると、錬金術を発動。
四体目と五体目のスコルピオの足元にある砂を隆起させた。
魔力により圧縮された砂の針はスコルピオたちの腹部を貫いて、一瞬にして絶命させた。
「なに今の!?」
スコルピオが片付くと、レギナが興奮した様子で駆け寄ってくる。
「ただの錬金術だよ。砂を魔力で硬質化して、形状変化させたんだ」
「錬金術ってそんなこともできるんだ!」
遺骸となったスコルピオを観察してみると背中や脚などは硬い甲殻に覆われていたが、お腹の部分は柔らかいことに気付いた。思いのほかあっさりと倒すことができたのはそのお陰だろう。
錬金術であっさりと倒せたからといって慢心してはいけないな。
「これならイサギも戦力として数えて良さそうね?」
レギナが不敵な笑みを浮かべながら俺を見つめてくる。どこまで本気にしているか不明だが、レギナやメルシアのようなパフォーマンスを求められると荷が重い。
「ある程度だからね? あまり当てにしないでね?」
釘を刺すように言うも上機嫌に笑うレギナが、どう受け止めたかは俺にわからなかった。
スコルピオを倒した俺たちは、ゴーレム馬に乗って砂漠の中をひたすらに西へと進む。
そんな中、先頭を走っているレギナが半ばやけくそ気味に叫んだ。
「暑い!」
「……本当に暑いね」
時間が経過するにつれて太陽はぐんぐんと上昇しており、周囲の気温はドンドンと上昇している。
空気が乾燥しているせいか、もはや殺人的といえるほどの熱気だった。
さらに気が滅入るのが、この代わり映えしない風景。
最初は美しい黄土色の砂と澄み渡る青い空に目を奪われていたが、こうも景色に変化がないとありがたみも薄れてしまうわけで、砂漠地帯に足を踏み入れた時のような感動は既に失せていた。
せめて動物でもいてくれれば、遠目に観察するだけで暇つぶしにもなるのにな。
「メルシアは大丈夫?」
「暑いですが、問題ありません」
振り返りつつ尋ねると、メルシアもややげんなりとしている様子だった。
いつもは涼しげな顔で過ごしているメルシアでさえ、このような状態なのだ。いかにラオス砂漠の気温が高いかわかるだろう。
「いつでも水分補給ができるように水を渡しておくよ」
ゴーレム馬を走らせながら俺はレギナとメルシアに水筒を放り投げると、二人は器用にキャッチしてみせた。
「水ならまだ残ってるけど?」
水筒を手にしたレギナが怪訝な顔をする。
「それはただの水筒じゃなくて魔道具なんだ。内部に水と氷の魔石が内蔵されていて、飲んでも自動的に魔石が水を供給してくれるから残量を気にしなくてもいいし、氷の魔石が冷やしてくれるから美味しいよ。まあ、別にいらないって言うなら返してもらっても――」
「いる!」
魔道具の説明をすると、レギナが絶対に離すものかと言わんばかりに抱え込んだ。
まあ、それだけ気に入ってくれたのなら別にいい。
「早速、飲ませてもらうわね」
「どうぞ」
レギナとメルシアが早速と水筒の蓋を開けて水を飲んだ。
「ぷはぁ! 冷たくて美味しい!」
「この魔道具があれば、暑さは何とかしのげそうです」
心地よさそうな顔で息を吐くレギナとメルシア。
こくこくと水を飲み続ける二人を見て、俺も魔道具の蓋を開けて水分補給。
心地良い冷たさの水が口内を満たし、喉の奥へと通り過ぎる。
乾燥していた口内が一気に潤い、身体の内側から清涼感が広がった。
「ただの水がこれほど美味しいと思えたことはないね」
水分補給だけじゃなく、気力さえも回復していくようだ。
「わっ、冷たっ!」
ちびちびと冷たい水を味わっていると、前から水の飛沫が飛んできた。
視線を向けると、前を走っているレギナが水筒を逆さにして頭から水を被っていた。
「あっ、ごめんね?」
謝りはするもののレギナは水浴びをやめるつもりはないようだ。
俺とメルシアは飛沫がかからないように後ろを走るのをやめて、横一列に並ぶことにした。
横目には冷たい水を浴び続けるレギナが見える。
「あの、服が透けてるんだけど……」
頭から被っている水はジャケットだけでなくシャツにもかかっており、ピッタリと肌に張り付いている。クレイナ譲りの豊かな胸元やキュッとくびれて腰からお尻へのラインが丸わかりで目のやり場に困る。
「どうせすぐに乾くから気にしないわ」
レギナは自らの身体を確認するが、特に恥じらう様子もなく毅然と言った。
だからといってガン見しようとすると、メルシアから怖い視線が飛んでくるので不躾な視線は向けない方がいいな。
「そろそろ昼食にいたしましょう」
「そうだね。お腹も空いてきたし」
「賛成」
メルシアの提案に誰も異論などはない。
メルシアはバックパックから包みを取り出して俺とレギナに渡してくれた。
「一旦、馬を止める?」
「昼食ならば既にご用意しております。イサギ様、マジックバッグからバスケットを取り出していただけますか?」
「わかったよ」
メルシアに言われてマジックバッグを漁ってみると、見覚えのないバスケットが入っていた。
恐らく、メルシアがなにかしらの食事を詰めて入れたのだろう。
「移動しながらでも食べられるようにサンドイッチをご用意しました」
蓋を開けてみると、中には色とりどりのサンドイッチが入っていた。
「確かにこれなら移動しながらでも食べられるや」
サンドイッチであれば片手で食べられるので、ゴーレム馬を走らせながらでも問題なく食べられる。
貴重な移動時間を潰すことなく食事が摂れるので効率的だな。
「早くサンドイッチをちょうだい!」
「はいはい」
よだれを垂らさんばかりの勢いのレギナにサンドイッチを渡し、メルシアにも渡す。
早速、レギナがサンドイッチを頬張る中、俺もサンドイッチを食べた。
「あっ、アウルベアーの肉が挟まってる!」
「甘辛いタレと肉がよく合ってるわ!」
アウルベアーの力強い旨みは冷めてからも衰えることはなくジューシーだった。
やや濃いめのように感じられるが、汗を大量に流している今の状態ではむしろちょうどよかった。
恐らく、砂漠に入って大量に汗をかくことを想定しての味付けだろう。さすがはメルシアだ。
そして、影の主役といえるのが葉野菜。シャキシャキとした小気味のいい食感、それに加えて仄かな甘みと爽やかな水分。うちの農園で作ったものだからこそ調和がとれていると言えるだろうな。
●
「肌寒くなってきましたね」
「太陽が落ちてきたせいだね」
日中、あれだけ俺たちを苦しめていた太陽の光はすっかりと弱まり、空気がヒンヤリとしたものに変わった。ゴーレム馬に乗って走っていると、冷たい風に晒されて寒さを覚えてしまうほど。
「今日はこの辺りしましょうか」
「賛成」
これ以上は魔物の活性化する夜になってしまう。
完全に暗くなってしまう前に野営の準備をするべきだろう。
「本当なら野営に適した場所を探さないといけないんだけど……」
「錬金術で作ったから問題ないよ」
というか、既に錬金術で組み立ててしまった。
「昨日よりも作るのが早いわね?」
「一度組み立てたものだから」
順番通り組み上げるだけなので早いのは当然だ。
ゴーレム馬を回収し、見張り用のゴーレムは解き放つと、俺たちは念入りに砂を落として拠点の中に入った。
靴を脱いでスリッパを履くと、マジックバッグに収納していた家具を並べていく。
それだけで昨日過ごしていた拠点と同じ光景が出来上がった。
「夕食の準備をいたしますね」
「俺も手伝うよ」
「いえ、イサギ様はお身体を休めておいてください。明日も一日中移動があるのですから」
どうやらメルシアには俺が疲れていることなどお見通しらしい。
獣人である二人と違って俺は体力が低いのだ。ここで無理に手伝いを申し出て、明日の移動で迷惑をかけるよりも大人しくしている方がいいな。
「……ありがとう。お言葉に甘えてゆっくりさせてもらうよ」
台所に移動するメルシアを見送って、俺はソファーに深く腰かけた。
すると、部屋の隅に大剣を置いたレギナもソファーに腰かけた。
「…………」
「あたしが料理できると思う?」
俺の視線の意味を理解したのか、レギナが言ってくる。
「そうだよね。第一王女だもんね」
「レギナ様もくつろいでくださって大丈夫ですよ」
「ありがとう!」
気さくに会話してくれるのでつい忘れていたが、レギナは第一王女だ。
身の回りの世話は大勢の使用人がやってくれるだろうし、料理だって専属の料理人がいる。
まともに料理をした経験などないだろうな。
「夕食はアウルベアーのステーキがいいわね」
ソファーの背もたれに寄りかかるようにしてレギナがリクエストを述べる。
「申し訳ありません。昼間のサンドイッチでアウルベアーのお肉はなくなってしまいました」
「ええー! 美味しかったのに残念!」
かなりの量の肉があっただけに僅か一日でなくなってしまったことに驚きだ。
俺もアウルベアーのお肉は気に入っていただけに、もうなくなってしまったことが残念だ。
「じゃあ、夕食はスコルピオのお肉なんてどう?」
マジックバッグからずるりとスコルピオを取り出すと、レギナがギョッとした顔になる。
「スコルピオ!? 毒があるけど大丈夫なの!?」
「スコルピオの毒は神経毒だから食べても問題はないよ」
「どういうこと?」
「針で体内に注入されて初めて毒の効果が発揮されるのであって、普通に口から入っても毒にはならないんだ」
むしろ、口から取り入れると薬となると言われており、元気になる栄養素がたくさん含まれているくらいだったりする。とはいえ、スコルピオには細菌や微生物が付着しているから加熱なんかの処理はしないといけないけどね。
「へー、知らなかったわ。イサギはよく知ってるわね」
「解毒ポーションを作るためには、毒について知っておかないといけないからね」
解毒する毒についてわからなければ中和するポーションを作れるわけがない。錬金術師にとって薬学は必須の知識と言えるだろう。
「毒なら食べるのは問題ないとして味はどうなの?」
「さすがにそこまではわからないかな」
さすがに錬金術師の目を持ってしてもその味までは解き明かすことができない。俺にわかるのはこれが食べられるということだけだ。
「他に食料はたくさんあるし、やめとく?」
俺は孤児だったのでこういった節足動物や昆虫といったゲテモノっぽい食べ物にも慣れているが、レギナは第一王女だ。こういったものを口にすることに慣れていないだろう。
マジックバッグの中に普通の食料はたんまりとあるので、別に無理をしてスコルピオを食べる必要はない。
「いいえ、食べるわ」
「本当に大丈夫?」
「大樹で生活していると、こういうのを食べる機会ってないもの!」
物怖じしない性格だと知っているが、こういった食事方面でも肝が据わっているようだ。
「わかった。無理だと思ったら遠慮なく言ってね? 食料は他にもあるから」
「ええ、その時はお願いするわ」
夕食はスコルピオを食べてみるということになり、メルシアがスコルピオを手にして台所で調理を始めるのだった。
「夕食ができました」
リビングで読書をしたり、目を瞑ったりとゆったりしていると、メルシアのそんな声が響いた。
ダイニングテーブルに移動すると、そこにはスコルピオ料理が並べられていた。
「スコルピオの唐揚げです」
「スコルピオだね」
「スコルピオだわ」
思わずそんな感想を漏らしてしまうくらいに並んでいる料理はスコルピオだった。
解体されたスコルピオの腕、脚、胴体、尻尾が茶色い衣を纏って積まれている。
通常のサソリであれば、そのまま全身を揚げればいいのだが、スコルピオは体長八十センチとかなり大きい。全身を揚げるのでは熱が通らないので、部位ごとに分けて揚げたのだろう。
唐揚げの見た目に圧倒されているとメルシアが台所から大きな鍋を持ってきた。
「こちらはスコルピオの鍋です」
蓋を開けると、ふんわりと湯気が立ち上る。
鍋にはスライスされたスコルピオの胴体が入っており、キャベツ、キノコ、ネギ、水菜などといった具材が入っていた。
「こっちは普通に鍋っぽいや」
「スコルピオって茹でると赤くなるのね! 見た目も鮮やかで綺麗だし、美味しそうだわ!」
唐揚げのインパクトに比べると、こちらは見た目が控え目だ。
熱を通されて赤くなった殻はカニやエビのようで普通に美味しそうだ。
「それじゃあ、まずは唐揚げから食べてみようか」
「え、ええ」
席につくと、それぞれが唐揚げを手にする。
俺は腕を選び、レギナは尻尾を選び、メルシアは胴体の部分を選んだようだ。
まずはこういったものに慣れている俺とメルシアが唐揚げを口に運ぶ。
パリパリッと殻を噛み砕くような食感。
「うん、美味しい」
「身はやや小さめですが、しっかりと旨みが詰まっていますね」
殻の内部には柔らかな身が詰まっており、内側からジュワッとエビのような旨みが出てくる。
噛めば噛むほど旨みが広がり、パリパリとした食感と相まって癖になる。
そんな俺たちの様子を見て、レギナが意を決したような顔になって唐揚げを口にした。
レギナは一口目を食べるとカッと目を見開き、レギナはすぐに二口目、三口目と唐揚げに齧り付いていく。
「レギナ様、お味はいかがでしょう?」
「予想以上だわ! まさか、スコルピオがこんなに美味しいとは思わなかったわ!」
おずおずとメルシアが尋ねると、レギナは驚きと興奮の入り混じった顔で答えた。
「帝国でもサソリは食べたことがありますが、スコルピオはそれ以上の美味しさですね」
「動物か魔物かって違いもあるだろうけど、過酷な環境に身を置いているからだろうね」
動植物の中には栄養源が摂取できなくなると、僅かな栄養を体内に溜めたり、自らの体内で作り出す個体もいる。それと同じ原理でスコルピオの身には旨みが詰まっているのだろう。
なんて考察はほどほどにして俺は腕以外の部分も食べてみる。
胴体の部分は腕に比べると殻と身が少し柔らかい。胴体はしなやかな動きを求められるので筋肉のつき方が違うせいだろう。
単純な旨みでは腕にやや劣るが、内臓などの苦みもあって腕とは違った美味しさがあると思った。
尻尾は殻がパリパリとしていて、他の部位と比べると一番食感としての楽しさがある。
腕や胴体に比べると、身が少ないものの凝縮された甘みがあった。
どの部位にも美味しさに違いがあって面白いものだ。
「お次は鍋といきますか」
茶碗を用意すると、メルシアがそれぞれ取り分けてくれる。
「殻は取ってお召し上がりください」
「ありがとう」
熱を通して身が少し縮んでいるからだろうか。スコルピオの身は殻からあっさりと外れた。
ぷっくらとしたピンク色の身を食べてみる。
「柔らかくて美味しい!」
「唐揚げとはまた違った上品な味ね!」
「なによりもスープがいいね」
「ええ、このスープが本当に美味しいのよ」
ほんのりと甘く、それでいてスコルピオの旨みもしっかりとある。それらをキャベツ、キノコ、ネギ、水菜などの具材がたっぷりと吸い込んでいる。
さっきの唐揚げが豪快な旨さだとすると、こちらは上品な美味しさといえるだろう。
飲むとホッと息を吐きたくなるような優しい味がいい。
「味付けはスコルピオから取った出汁を使用しており、そこに少しのハーブや調味料を加えただけですよ」
メルシアはなんてことがないように言っているが、その少しの味付けが難しいのだと俺は思う。
そうやって和気藹々と話しながら食事を進めると、あっという間にスコルピオ料理はなくなった。
「まさかスコルピオがこんなにも美味しいとは思わなかったわ」
「お口に合ったようでなによりです」
「調理してくれてありがとうね、メルシア」
「どういたしまして」
お礼の言葉を言うと、メルシアが嬉しそうに微笑んだ。
いくら食べられるとはわかっていても、初めての食材をこれだけ美味しく仕上げられるのはメルシアの技量があってこそ。
俺とレギナじゃ、絶対にこんなに美味しい料理はできないだろうな。
「ラオス砂漠の夜をこんなにも快適に過ごしているなんて父さんも思わないでしょうね」
「帰って話したらライオネルも驚くかな?」
「ええ。きっと驚くこと間違いないわ。次は俺も同行するなんて言い出しかねないかも」
「さすがにそれは遠慮したいかな」
俺は錬金術師であり、本業は研究だ。今回のような過酷な実地研究はできれば、ほどほどなくらいにしたいものだ。
●
朝日が昇ると同時に出発し、日が落ちる頃には拠点を設営して身体を休める。
そんな風にレギナの案内でラオス砂漠を三日ほど進むと、一面の砂景色から徐々に岩場やサボテンなどの植物が増えていき、さらに進んでいくと大きな湖が視界に飛び込んだ。
「ここは?」
「オアシスよ!」
ゴーレム馬から降りたレギナが凝り固まった筋肉をほぐすように伸びをした。
俺とメルシアもゴーレム馬から降り、初めてのオアシスを観察する。
オアシスの周りには木や植物が生えており、砂漠の動物たちが水面に顔を突っ込んでいた。
砂漠とは思えないほどに長閑な光景だ。
「久しぶりに砂と岩とサボテン以外の景色を見た気がする」
「色彩が豊かというのは素晴らしいですね」
ここにくるまでずっと同じような景色だったので、青や緑といった色彩を見ることができて嬉しい。
人間、同じような景色ばかりを見ていると心が摩耗するものだと思う。
深呼吸をすると乾いた空気の中、僅かに湿った空気が混じっている。
オアシスの水を手ですくってみると、冷たい上に透き通っていて綺麗だった。
そのまま顔を洗ってみると冷たくて気持ちがいい。火照った身体から熱が吸収されていくようだ。
「イサギ様、タオルです」
「あ、ありがとう」
突発的な行動だったのに準備が早い。
俺がオアシスの水で顔を洗うという行動は読まれていたのだろうか。
などと思いながらメルシアに手渡されたタオルで水気を拭った。
「普通だったら一目散に水を補給するところなんだけどね」
俺たちが呑気に顔を洗っているのを見て、レギナが苦笑した。
普通なら我慢に我慢を重ねて水を節約するので、オアシスを目にした途端に水をたくさん飲んだり、補給するだろうな。
しかし、俺たちにはマジックバッグがある。水をけちることなく摂取しながら進んでいるために特別に喉が渇いているなどということはなかった。
「マジックバッグがあるから心配は無用だね。水だけならこのままでも数年は生活できるよ」
「マジックバッグって本当に便利だわ」
特に水は生命線とあってか、マジックバッグの中で大量に保管している。
さらに水の魔道具や魔法という補助も加えれば、数年は水の心配がないと言えるだろう。
マジックバッグさまさまだ。
「獣人たちの集落まであとどれくらいでしょう?」
オアシスで休憩していると、ふとメルシアがレギナに尋ねた。
地図でおおよその地形や位置関係はわかるが、俺たちがどこまで進んでいるかまでは土地勘がないのでわからない。
「半日もしない内に彩鳥族の集落があるはずよ」
前回、レギナが向かった時は一週間ほどかかったと言っていた。
三日目にして残り僅かなところまできているのだからかなり短縮できているだろう。
「赤牛族の集落は?」
「そっちはもう少し南西の方になるわ」
ライオネルに頼まれた援助先の氏族は二つだ。
彩鳥族だけでなく赤牛族の方にも援助に向かわなければならない。
となると、先に彩鳥族の集落に訪れてから赤牛族の集落に向かうことになるだろうな。
「下がって!」
などと今後の方針を考えていると、レギナが鋭い声をあげながら後退。
突然の警告に驚きながらも、レギナの指示に従って俺とメルシアも後ろに下がる。
次の瞬間、俺たちが立っていたところに色彩豊かな羽根が地面に突き刺さった。
羽根の飛んできた方角を見ると、上空に男性が二人浮かんでいた。
顔や身体はメルシアのように人間がベースになっているが背中から大きな翼が伸びており、ふくらはぎより下は鳥のような脚になっていた。
「彩鳥族ね」
空に浮かぶ獣人たちを見てレギナが言った。
二人の彩鳥族の羽根は暖色系、寒色系となっており、それぞれ色が違っていた。
個体、性別などで羽根の色が違うのだろうか。なににせよ、彩鳥族と呼ばれるのに相応しい羽根色だ。
大きな布に穴を空けてすっぽりと被ったような衣服を着ており、腰には曲刀を履いている。
「余所者がここで何をしている!」
「我らのオアシスを荒らすつもりか!」
彩鳥族の二人が翼を動かし、宙に浮かびながら怒鳴り声をあげた。
水が極端に少ない砂漠でオアシスは貴重な水資源であり、生命線だと言える。
ここから近い位置に集落を構えている彩鳥族にとって、ここのオアシスは自分たちの支配する領域なのかもしれない。
「オアシスを荒らすつもりなどありません! ここには獣王様の頼みで彩鳥族の集落に向かうために立ち寄っただけです!」
「人間族が我らの集落に用だと? 信じられんな」
「しかも、獣王様の頼みなどとは大きく出たものだ」
「嘘じゃありませんよ! ほら、証拠に第一王女であるレギナ様がいます!」
「「第一王女?」」
こういった摩擦が起きるのはこちらとしても想定済みだ。
これを解決するために俺たちには案内役であり、第一王女であるレギナがいる。
王族である彼女が同行していることこそ、ライオネルから頼まれたという証拠だ。
「ふふん、あたしのこの耳と尻尾をよく見なさい! 立派に獅子の血を引いているでしょ? これであたしたちが怪しいものじゃないってわかったでしょ?」
頼られて嬉しそうなレギナが前に出て、自らの耳や尻尾を指し示した。
これで彩鳥族の二人は俺たちを怪しむことなく平和に話し合うことができるはずだが、何やら二人の様子がおかしい。
「……おい、獅子の獣人を見たことがあるか?」
「いや、ない。そもそも獅子ってどんな獣だ?」
どうやら彩鳥族の二人は王家のことをまったく知らないようだ。レギナの姿を見てもまったくピンときている様子はなかった。
「ええ!? そんなことある!? 獣人族たるもの王の血を引く獅子くらい知っておきなさいよ!」
「レギナ、本当に彩鳥族の集落に行ったことがあるの?」
「あるわよ!」
「でも、あの二人は知らないって言ってるけど……」
「あの二人が世間知らずなだけだってば!」
思わず疑いの眼差しを向けると、レギナが頬を真っ赤に染めながら言った。
「俺たちを愚弄するか!」
「確かに頭が足りないだとか思慮が浅いだとか族長によく言われるが、余所者に言われる筋合いはない!」
レギナに負けないくらい顔を赤くして怒りを露わにしている。
沸点が低い。
「ほら、あの二人が特別にバカなだけよ!」
「うるさい! 王族の名を語る無礼者たちめ! 我らが成敗してくれる!」
「覚悟しろ!」
売り言葉に買い言葉というやつだろうか、レギナの言葉ですっかり頭に血が上った彩鳥族の二人が腰にある曲刀を抜いて襲いかかってきた。
「こういう摩擦を回避するためにレギナがいるんじゃないの?」
「だって、あたしのことを知らないなんて言うから!」
「ひとまず、応戦しましょう!」
誤解を解くにも相手はすっかりと頭に血が上っている。
武器を手にしている以上、冷静に話し合える状況ではない。
不本意ながらも俺たちは覚悟を決めて彩鳥族を迎え撃つことにした。
「おやめなさい!」
俺たちと彩鳥族の間に割って入るように一人の女性が現れた。
プラチナブロンドの髪に色彩豊かな虹色の羽根が特徴的だ。
華奢な身体つきをしており、胸元やお尻には最小限の衣服が纏われていた。
「「げっ、族長!」」
突如として現れた彩鳥族の女性を目にして、男性たちがギョッとしたような顔になる。
「リード、インゴ、あの御方は獣王ライオネル様のご息女であるレギナ様です。武器を収めなさい」
「そうなのか!?」
「獅子の特徴を見ればおわかりでしょう?」
「いやー、その、なんというか……」
「前に教えてもらったような気はしたけど、忘れたからわからなかったというか……」
リードとインゴと呼ばれる彩鳥族の二人の釈明を聞いて、族長と呼ばれた女性は大きくため息をついた。
「自分たちで判断できないことがあれば、持ち帰って判断を仰ぐ……いつもそう言っているじゃないですか」
なんだかとても苦労していそうだ。錬金術課の中間管理職の人もよくこんな顔をしていたっけ。
「申し訳ございません、レギナ様。この者たちも決して悪意があったわけではなく、生命線であるオアシスを守ろうという強い想いがあっての誤解です。何卒ご容赦ください」
「申し訳ありません!」
族長が片膝をついてレギナに謝罪の言葉を述べると、リードとインゴも慌てて膝を突いて深く頭を下げた。
沸点が低かったり、思慮が浅いところはあるが根が悪い者たちではないようだ。
「許すわ」
レギナもカッとなったとはいえ、挑発するようなこと言ってしまったんだ。仮に思うところはあっても文句は言えないだろうな。
単なる誤解だということはわかっていたので、俺とメルシアも頷いて謝罪を受け入れる旨を伝えた。
すると、リードとインゴがホッとしたような顔になって頭を上げた。
わだかまりが溶けて一段落したところでレギナと族長が柔らかな笑みを浮かべた。
「久しぶりね、ティーゼ」
「お久しぶりです、レギナ様。前に集落にやってこられたのは五年ほど前でしょうか? 随分と大きくなられましたね」
「まあ、五年も経ったからね」
微笑ましそうな笑顔を浮かべながらの族長の言葉にレギナは照れくさそうに頬をかいた。
どうやら彩鳥族の族長とは以前からの知り合いらしく、とても仲がいいようだ。
こうして和やかに話している姿を見ると、姉妹のような関係に見える。
「レギナ様、お連れの方々に挨拶をしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんよ」
しばらく二人の会話を見守っていると、族長がこちらにやってきた。
「改めまして、私は彩鳥族の代表をしておりますティーゼと申します」
「はじめまして、錬金術師のイサギです」
「イサギ様のお手伝いをしております、メルシアと申します」
「よろしくお願いします」
ティーゼが手を差し伸ばしてきたので、俺とメルシアは順番に手を差し出して握った。
彩鳥族にも握手をする文化があるのか、それとも俺たちの文化に合わせてくれたのか、どちらか不明であるが、ティーゼの様子を見る限り歓迎されていることは確かだった。
王族であり、知り合いのレギナがいるからだろう。俺とメルシアだけじゃこうもスムーズにはいかなかっただろう。
「ゆっくりとお話したいところですが、ここは安全とは言い難いので集落の方までご案内してもよろしいですか?」
「もちろんです」
もともと彩鳥族の集落を目指していたんだ。ティーゼの提案に異論はない。
襲ってくることはないが周囲には水を求めてやってくる野生動物や魔物の気配があった。
実力差を悟って攻撃を控えてはいるが、いつ痺れを切らして襲いかかってくるかわからない。
「ねえ、ティーゼ! 前にやってもらったやつがしたいわ! ティーゼたちの翼なら集落まですぐでしょ?」
「懐かしいですね。いいですよ」
レギナの提案を聞いて、ティーゼがやや苦笑しながら頷いた。
なんとなく彩鳥族の手を借りて移動するのだとわかるが、どうやって移動するのか見当がつかない。
ティーゼたちの身体はとても細く、俺たちが背中に乗れるようには見えない。
首を傾げていると、ティーゼ、インゴ、リードの三人が懐から縄を取り出して足へと結びつけた。
「縄に掴まってください。私たちが飛んで集落までお連れしますので」
バサバサとティーゼが羽ばたいて宙に浮かぶと、足に結びつけられた縄が目の前に垂れ下がる。
縄の先は輪っかとなっており、ちょうど握りやすいようになっていた。
なるほど。これに掴まって空を飛んで移動するのか。
「重さとか大丈夫なんですか?」
「問題ありませんよ」
一見して華奢な女性の身体に見えるが、ティーゼの下半身は鳥類のようになっておりとても発達している。本人も自信満々のようだし、俺が思っている以上に強靭な下半身をしているのかもしれない。
「では、遠慮なく」
一言かけてから俺は目の前に垂れ下がった縄の輪っかに手をかける。
メルシアはリードの縄に掴まり、レギナはインゴの縄に掴まった。
「では、行きますよ」
ティーゼは強く翼を羽ばたかせると俺はいとも簡単に地上から足が離れた。
そして、ドンドンと俺の身体は浮かんでいき、あっという間に空へと上昇した。
彼女の言った通り、本当に人間一人くらいの重さであれば余裕で持ち上げることができるらしい。
ある程度の高さにまで上昇すると、ティーゼは翼を動かして前へと進んだ。
「うわっ、すごいや! 空を飛んでいるみたい!」
彼方まで砂漠が続いており、地平線と空の境目が見えた。
足跡一つない砂山には風紋が走っており、凹凸が光と影を作って独特な立体感を醸し出していた。
三日間の移動で散々見てきた光景なので、もう感動することはないだろうと思っていたが、まさか今更感動することになるとは思わなかった。
「いい景色ね!」
「風が気持ちいいです」
振り返ると、レギナとメルシアも空からの光景を目にして感動しているようだった。
こうやって空を移動していると、まるで自分が鳥になったかと錯覚してしまうほど。
世界中をこんな風に移動できればいいな、などと子供じみた願望を抱きながら俺は景色を眺め続けた。
「集落に到着しました」
砂漠が徐々に薄れ、景色が徐々に岩礁地帯へと変化してきた頃合いになると、ティーゼが声をあげた。
視線を前に向けると、岩場をそのままくり抜いて作ったかのような民家が並んでいた。
雰囲気としては農村にある集落ではなく、紛争地帯にあるような砦のような雰囲気に近かった。
資源が少ない砂漠なので、そこにあるものを利用しているだけだろう。
現に建物からは彩鳥族の子供が出てきて、他の子供と合流して走り回っている。
二階部分の大きな丸い穴からは彩鳥族の大人が顔を出し、鮮やかな翼をはためかせて空の彼方へと飛んでいっていた。
一般的な集落とは気色が違うが、至って普通の集落だ。
集落の周囲には土壁が設置されており、入り口には警備をしている者がいた。
ティーゼはゆっくりと高度と速度を落とすと、入り口の警備たちに手を振った。
警備たちはこくりと頷きながら手を振り返して通してくれた。
普段なら外からやってきた者を検めるところだろうが、族長であるティーゼが連れてきた客人ということで入れてくれたのだろう。
そのまま中高度を維持して進んでいくと、集落の中央にある円形の建物の前で止まった。
ここが目的地だと理解した俺はすぐに縄から手を離して地面に降りた。
岩礁地帯だけあって地面はしっかりとしているようだ。
少し遅れてリード、インゴの連れてきてもらったレギナ、メルシアも同じように降り立った。
「二人ともありがとう。オアシスの警備に戻ってください」
「はっ! では、失礼する」
ティーゼが声をかけると、リードとインゴは俺たちに一礼をすると空へと舞い上がった。
「早っ」
あっという間に空の彼方へ消え去っていく速度を見るに、先ほどは俺たちを安全に運ぶために大分速度を落としてくれていたんだとわかった。
ティーゼの家は藁、粘土、水を混ぜて天日で乾燥させた煉瓦でできている。
断熱効果があるため夏は涼しく、冬は暖かい。
窓が少なくて小さいのは熱風や砂埃、直射日光を最低限にするためだろう。
「どうぞお入りください」
ティーゼに促されて中に入ってみる。
入り口は少し狭かったが奥になるにつれて部屋の面積が広くなっていた。
廊下を抜けると六角形の広いリビングがあり、正面、右、左へとさらに部屋が続いている。
「お好きなところに腰かけてください」
「ありがとうございます」
お茶の準備のためにティーゼが台所に引っ込み、俺たちは中央にあるソファーに腰かけた。
リビングの床には赤いカーペットが敷かれており、精緻な刺繍が施されており綺麗だ。
壁には魔物の頭骨が飾られており、どこか民族的な印象を受ける。
天井が高いせいかリビングにもどこか解放感があった。
俺とレギナがゆったりと視線を向ける中、正面に座っているメルシアはソワソワとしていた。
ピクピクと耳を動かし、奥でお湯を注いでいるティーゼの姿をジーッと見つめている。
「こういう時に待っているのは落ち着かない?」
「……すみません」
「あはは、メルシアは真面目ね」
プルメニア村にいる時も旅をしている時もこういったお茶の準備をしてくれるのはメルシアだ。
こういう時に動いていないと落ち着かないのだろうな。
「どうぞ、お茶です」
ほどなくするとティーゼがお盆にコップを載せてやってきた。
「いい香り」
差し出されたコップを手に取ってみると、果物のような甘いがした。
「何の茶葉を使われているのでしょう?」
「アロマッカスという砂漠に自生している花を乾燥させたものです。食用というよりは香りを楽しむものですね。香油やお茶などに使われます」
口に含んでみると、確かに味はそこまでだった。
ティーゼの言う通り、香りを楽しむものなのだろう。
「じゃあ、そろそろ本題に入ってもいいかしら?」
アロマッカスのお茶を飲んでホッと一息をつくと、レギナが切り出してきた。
「ええ、お願いします。レギナ様は一体どのような用件で私共の集落においでになったのでしょう?」
「獣王ライオネルの命で、彩鳥族と赤牛族の食料事情の改善にきたのよ」
用件を告げると、レギナは懐から書状を取り出してティーゼに見せた。
恐らくライオネルからの正式な書状だろう。
「確かにライオネル様からの書状ですね。私共の状況を憂いて、改善しようとお力になってくださるのは嬉しいのですが、具体的にどうするおつもりでしょう?」
「えっ、書いてないの?」
「レギナ様たちに一任しており、協力してほしいとしか」
ティーゼから戻された書状をレギナが確認すると、ガックリと肩を落とした。
どうやらライオネルからの正式な命令であることを保障しているが、詳しい内容については全く書かれていないようだった。というか、ライオネルの簡素な文面からして説明するのが面倒だったという説があるな。
「詳しく説明すると、ここで作物を育てられるようにしたいと思っているの。自給自足できるようになれば、赤牛族と少ない資源や食料を取り合うことなく暮らせるでしょ?」
「このラオス砂漠では雨がほとんど降らず、空気も乾燥している上に寒暖差も激しいです。作物を育てようにもまともに育たず、厳しい環境に負けて枯れるか病気になってしまいます。このような場所で作物を育てるのは難しいと思うのですが……」
ティーゼの率直な言葉に俺とメルシアは思わず苦笑する。
俺がプルメニア村にやってきて農業をすると言った時も似たような言葉を言われたからだ。
「それを可能にするために凄腕の錬金術師を連れてきたのよ!」
懐かしさのようなものを覚えていると、隣に座っているレギナが俺の肩に腕を回しながら言った。
「ちょっと! ハードルを上げすぎだって!」
それを何とかするために派遣された錬金術師くらいならいいけど、凄腕の錬金術師なんて言われると期待がかなり重くなる。それにもし成果を残せなかった時がとても恥ずかしい。
「不毛な土地と言われていたプルメニア村で農業を始めて、今や獣王国随一といってもいいほどの大農園に成長させたじゃない」
「それは本当なのですか?」
レギナの言葉を聞いて、ティーゼがやや疑念を含ませた表情になる。
ここは
プルメニア村の環境より酷く、まともに農業を行うことのできなかった土地だ。
苦労を知っている分、俄かに信じがたいことだろう。
「本当です。先細りしていく山や森の恵みに不安を抱く中、イサギ様は錬金術によって不毛な土壌でも育てることのできる作物を作り上げてくださいました。お陰様で私の住んでいる村では食料の心配をすることなく生活ができております」
疑念を抱いていたティーゼだがメルシアの言葉を聞いて顔色を変えた。
同じ苦境に立ったことがあるからこそ通じるものがあったのかもしれない。
ティーゼはこちらに顔を向けると、やがて覚悟の決まった表情で口を開く。
「もし、ここでも作物を育てられるのであれば是非とも力を貸してほしいです。もう少ない食料や資源を巡って争うのはこりごりですから」
ティーゼの表情に影が落ちる。
近くの赤牛族とは食料の奪い合いで争いにまで発展していると聞いた。
同じ獣人同士ということもあって、現状にはティーゼも心を痛めていたのだろう。
「任せてください。そのために俺はやってきたのですから。集落の食生活の向上のためにティーゼさんの力を貸してください」
「私なんかのお力でよければ喜んで」
改めて手を差し出すと、ティーゼがゆっくりと手を重ねてくれた。
「最後に一ついいですか?」
「なんでしょう?」
「……不躾ながらイサギさんは彩鳥族でもなく獣人ですらない人間族です。それなのにどうして見ず知らずの集落に手を貸していただけるのでしょう?」
「獣人だろうと人間だろうと空腹は辛いものじゃないですか。苦しんでいる人がいて、自分が力になれるのであれば手助けをしたい。ただそれだけです」
獣人だろうと人間だろうと関係ない。生活に苦しんでいる人がいれば、誰であろうと手を差し伸べる。
世界中の人を救うなどというスケールの大きなことは言えないが、せめて自分の身の周りや、それに関係する人くらいは力になれるのであれば助けたい。
それが俺のシンプルな気持ちであり、行動原理だ。レムルス帝国にいた時と変わりはない。
そんな俺にとっての当たり前の気持ちを伝えると、ティーゼはきょとんとした顔になった。
「何かおかしなことでも?」
「い、いえ。おかしなことは何も……」
おずおずと尋ねるが、ティーゼは歯切れの悪い言葉を漏らすのみ。
「父さんから聞いていたけど、イサギって本当に真っすぐなのね」
「はい、これがイサギ様です」
レギナとメルシアが生温かい視線を向けてくる。
二人の視線にはどうも言葉以上の意味がありそうだが、尋ねるのが少し怖かった。
錬金術による農業計画をティーゼに協力してもらえることになった俺たちは、早速と仕事に取りかかることにした。
長旅を終えたので休みたい気持ちはあるが時間は有限だ。
これだけ過酷な環境に適応できる作物を作ろうと思うと時間はいくらあっても足りない。
そんなわけで、まずは集落の周りにある土壌を調べることにした。
集落からほどよく離れた場所にある土に触れてみる。
「硬くて土が乾燥している」
手で掻いてみたところで掘ることはできない。足で蹴ってみると、僅かに地面が削れるくらいだ。
砕けた砂を持ち上げてみると酷く乾燥しており、パラパラと指の隙間から落ちていく。
「道具を使えば、何とか掘れるってくらいね」
傍ではレギナが背負っていた大剣をスコップ代わりのようにして土を掘っていた。
大事な武器をそんな風に扱っていいのだろうかと思ったが、道中でも地面に刺して背もたれにしていたりと豪快な使い方をしていたことを思い出した。
「普通に作物を植えても育たないことは確かですね」
「そうだね」
作物が育つ良い土の条件には根が十分に張れること、通気性と排水性が良いこと、保水性、保肥性に優れていることといったいくつかの条件があるのだが、ここの土はそれらを満たしていない。
一つや二つ足りないのであれば少しの工夫で何とかできるのだが、多くの条件が足りないとかなり難しい。
とはいえ、ここは砂漠地帯。元から土壌が農業に適していないのはわかっていたことだ。
作物を育てるのに絶望的な土壌だからといって諦めたりしない。
ティーゼもそんなことはわかっているのか、俺たちの正直な評価にガックリとすることもない。
「土が硬くて栄養がないのであれば、土を移したり、肥料を混ぜたりすれば何とかなるかもしれない」
「本当ですか?」
「ええ、錬金術をもってすれば不可能じゃありません。ですが、仮にここで作物を植えられたとして、育てるための水をどうするのかという問題があります」
俺の言葉にティーゼが顔色を明るいものにしたが、新しい問題点に顔色を暗くする。
「ティーゼさん、この辺りにある水源を教えてくれます?」
どれだけ作物に品種改良を重ねたところで完全に水を必要としない植物を作り上げることは難しい。
水が必要となる以上、作物を育てるのであれば水源に近い場所で行うのがいいだろう。
「先程のオアシスがもっとも大きな水源ですね」
やはり集落の周囲にはオアシス以外の水源がないようだ。
いや、完全にないと仮定するのは早急だろう。
「あちらの山には地下水脈などはないのでしょうか?」
俺は集落の北側に見える山を指さしながら尋ねてみる。
「今のところは発見できておりません」
「……今のところというのは?」
ティーゼの引っかかる物言いを聞いて、メルシアがさらに尋ねる。
「御覧の通り、我々の長所は機動力です。山や洞窟などの狭い場所では本来の能力を発揮できず、深いところまで調査できていないのが現状です」
自らの翼を広げながら語ってみせるティーゼ。
空間が広い砂漠では縦横無尽に飛び回ることができるだろうが、洞窟などの狭い場所ではそれを活かすこともできないだろう。
「それにあの山にはスパイダー種の魔物が多く生息しており、私たちと非常に相性が悪いのです」
「スパイダー種の魔物は糸を吐いてくるし、あちこちに罠を張ってるものね。それは彩鳥族と相性が悪いわ」
たでさえ狭くて機動力を長所としている彩鳥族にとって山の探索はかなり厳しいようだ。
それなら探索が進んでいないのも納得と言えるだろう。
「なら、オアシスの傍で作物を育てるのが一番なんじゃない? あれだけ豊かな水源があるんだし、そこで農業をやればいいのよ」
「そうなのですが、オアシスを占領するのには大きな危険が伴うかと」
「どういうこと?」
「過去に何度もオアシスの傍で農業を試してみたのですが、その度に水を求めてやってきた動物や魔物に邪魔をされてしまうのです」
砂漠で水を求めるのは俺たち人間や獣人だけじゃない。
生命線である水源を独占するというのは、この地で生きている動物や魔物にとって看過できないのだろう。
「だからオアシスの傍に集落がないのですね」
「はい。うちの氏族だけでなく、赤牛族の近くにあるオアシスでも同じはずです」
基本的に人間は水源の近くに拠点を作り、そこから集落、村、街へと発展させていく。
水が手に入りにくく貴重なラオス砂漠に住んでいる彩鳥族が、どうしてオアシスから距離がある場所に住んでいるのかを不思議に思っていたが、そういった生態系を考慮しての位置取りだったらしい。
「えー、それじゃどうやって水を確保するのよ?」
「水を生み出す魔道具を俺が設置するっていう方法はあるね」
「イサギさんは水を生み出す魔道具を作ることができるのですか!?」
打開策の一つを述べた瞬間、ティーゼが目の色を変えて詰め寄ってきた。
ティーゼの顔が近い。
彩鳥族の衣服は空を飛ぶことを優先しているせいか布面積が小さく露出が多い。そのせいか近づかれると胸元やおへそなどの部分がもろに見えてしまうわけで、どこに視線をやっていいかわからなくない。
引き離そうにも露出した肌に触ってしまうことになるわけで。
「落ち着いてください、ティーゼさん。イサギ様が困っています」
メルシアが引き離しながら言うと、ティーゼはハッと我に返って小さく頭を下げた。
「も、申し訳ありません。砂漠で生きる私たちにとって水不足は常に付きまとう悩みだったので」
「いえ、お気持ちはわかりますので」
水不足に悩まされる彩鳥族にとって、水をいつでも生み出せる魔道具というのは喉から手が出るほどに欲しいのだろう。
「とはいえ、水の魔道具を設置したところでエネルギー源となる水魔石がここでは入手できないのが難点ですね」
ラオス砂漠のような乾燥した砂漠地帯には水の魔力を宿した魔物はおらず、水魔石を手に入れることができない。
「水魔石については獣王都から輸出することも可能よ」
レギナがそう言うということは、王家として支援することができるのだろう。
「水源についてはそれも一つの案だけど、できれば魔道具に頼らない形も目指したいね」
「魔道具に頼るのはダメなのでしょうか?」
「大きな理由は二つあります。一つはラオス砂漠の環境に耐えきれず魔道具が壊れてしまう可能性が高いことです」
ラオス砂漠は日中の気温が五十度を超え、夜になるとマイナス二十度にまで冷え込む。
改良して魔道具の耐久値を上げたとしても、その寒暖差によってダメになる可能性が高い。
さらに恒久的に漂う砂塵が魔力回路に入り込んで故障するという懸念性もある。
とてもではないが、長期的に考えるのであればメンテナンスができる錬金術師は必須だ。
「これについては錬金術師を派遣できれば解決するのですが……」
レギナに視線をやって問いかけてみると、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「無理ね。獣王都でも錬金術師が不足しているくらいだから。できたとしても短期間の派遣になるし、イサギの作った魔道具をメンテナンスできる技量があるかも怪しいわ」
獣王国ではそもそもの錬金術師の絶対数が少ない様子。帝国のように錬金術師を辺境にまで派遣するというのは無理があるのだろう。
そもそも獣人というのは魔法適性が低い種族だ。
人間族のように技術面で劣ってしまうのも仕方がない。
俺がずっといてやれればいいのだが、俺にはプルメニア村という帰るべき場所もある。それに錬金術師として他にやりたいことがまだまだあるので、ここで滞在するという覚悟は持てなかった。
ティーゼもそれがわかっているのだろう。そのことに関して無理に何かを言うことはなかった。
「そして、二つ目の理由ですが魔道具が壊れてしまえば農業が立ち行かなくなってしまうことの危うさです」
「魔道具が壊れたので一か月は使えませんなんてことになれば、作物が干上がってしまいますからね」
「理想としては魔道具が壊れてもカバーできるように、どこかから水を引っ張ってこれるのがいいんだ」
魔道具が故障したとしても第二の水源で耐え忍ぶことができる。
プルメニア村にある大農園のように、俺がいなくても作物を育てていけるみたいな形が理想だと思う。
「じゃあ、オアシスから集落まで水を引っ張るってのはどう?」
「それはちょっと難しいね。オアシスと集落までの距離が遠い上にずっと平地だから。その上、砂漠には魔物も多くいるし、地中に導管を作ろうにも壊されると思う」
ここにやってくるまで地中を潜行する魔物に何度遭遇したことか。あのような魔物が闊歩していれば、なにかしらの道具を設置したところで壊されてしまうだろう。
「では、イサギさんはどのようにすればいいとお考えですか?」
「北の山に水源があれば完璧だと思います。もし、あそこに水源があれば、傾斜を利用して楽に水を引っ張れますから」
ここから見えている山と集落には高度の差があるので水源を見つけて、後はちょっと錬金術で手を施せば楽に水が流れてくるだろう。オアシス周辺のような砂漠とは違い、岩礁地帯なために地中に魔物が潜んでいる可能性も少ない。
「水源を見つけるというのは、かなり大変なのではないでしょうか?」
「錬金術で地層を読み取り、聴覚に秀でた三人がいれば探せる範囲はかなり広くなります。ある程度、潜ってしまえば、山一つくらいはあっという間に調査できます」
錬金術師がいれば、鉱脈の探査だけでなく水源の探査も楽ちんだ。
「だったら水源調査に向かいましょう! 水源がなかったらその時はその時よ!」
レギナの言葉に俺とメルシアは頷いた。
「私も同行いたします。洞窟内での戦闘力は落ちますが、地形がわかる範囲までなら力になれるはずです」
山の内部がどうなっているかわからない以上、ティーゼの提案は非常に助かるものだった。
「ありがとうございます。では、水源の調査に向かいましょう」
「ええ」
そんなわけで俺たちは集落の北側にある山に向かうことにした。
水源の調査に向かった俺たちはティーゼの案内により、集落の北にある山の麓にたどり着いた。
移動法としてはティーゼに空を飛んでもらいながら先導し、俺、メルシア、レギナがゴーレム馬に乗って追いかけた形だ。
「イサギさんの魔道具はすごいですね。まさか、地上をこんなにも早く移動できるとは……」
「結構な速度を出しましたけど、それでもティーゼさんの速さには敵いませんでした」
移動中、ティーゼを追い抜こうとできる限り速度を上げてみたが、追い抜くことはできなかった。
砂漠地帯であればゴーレム馬の能力を活かせなかったと言い訳もできるが、集落まで山は岩礁地帯であり十全に能力を発揮することができたので言い訳もできないほどに完敗だった。
「地上での速度は他の種族の方に劣りますが、空であれば負けません」
悔しがる俺の様子を見て、ティーゼがクスリと笑った。
物腰が低く、控え目なティーゼがこれだけ堂々と言うということは、それだけ空を飛ぶことに自信と誇りがあるのだろうな。
今はまだ構想段階で実現の目途も立っていないが、いつかは空を飛べるような魔道具を開発してみたいものだ。
なんてことを想いながら俺は視線を前に向けた。
大きな山がそびえ立っている。
仰け反るようにして見上げてみると薄い雲が頂上部を覆っており、頂上がどのようになっているかはわからない。
山肌には一切の植物は生えておらず、傾斜と凹凸が非常に激しい。歩いて登ることは不可能ではないが、ゴーレム馬で駆け上がるというのは難しそうだ。
「ここからは徒歩で向かった方がよさそうだね」
「それでしたら私が運んで差し上げますよ。空を飛べば、洞窟の入り口まですぐですから」
空を飛んで移動すれば障害物などないといって等しい。麓から入り口まで直線距離で進むことができるので大幅に時間を削減できるだろう。
「ありがとうございます。では、順番に……」
「三人一気にで構いません」
「え? 三人となると、さすがに重――」
言葉を言い切ろうとしたところでレギナやメルシアから強い圧が飛んできて、慌てて俺は口を閉じた。
理屈では正しい会話だったとはいえ、さすがに女性への配慮ができていなかったかもしれない。
「このくらいの距離であれば可能です」
失言をしてしまった俺を見て、ティーゼが苦笑する。
「なるほど。では、運びやすいようにしますね」
三人で縄に掴まろうものならば、揺れた拍子に空中で俺たちの身体がぶつかり合うことだろう。
それを避けるためにも運びやすくする道具が必要だ。
俺は錬金術を発動させると、土を変化させて大きな土の箱を作り、上の部分だけを空けて窪みを作る。
あとは縁に穴を空けてティーゼが持ち運びしやすいように縄を二本通せば完成だ。
「ここに俺たちが入れば一度で安全に運べるかと思いまして」
「バスケットのようで面白いですね。やってみましょう」
ティーゼの足に縄を結ばせてもらうと、俺、メルシア、レギナはバスケットの中へと入った。
「では、いきます!」
三人が乗り込むと、ティーゼは勢いよく翼をはためかせて宙に上がった。
それに伴い俺たちのバスケットも地上を離れて宙へと上がる。
「わあ、すごいわ! ちゃんと飛んでるわ!」
「周囲もよく見えます」
バスケットから身を乗り出すようにしてレギナとメルシアが周囲の景色を眺める。
縄にぶら下がって飛ぶ方法も悪くはなかったが腕の筋肉を使うし、安定感に少し欠けている。
遊覧飛行を楽しむのであれば、これくらい安定している方がいいだろう。
「大樹でもこのバスケットを使えば、階層の移動が随分楽になりそうだね」
景色を眺めながらレギナがしみじみと呟く。
「確かに大樹は中の構造が複雑で階段が長いからね。どうせなら大樹だけじゃなくて街の中で試してみるのはどうかな?」
「街の中?」
「ちょっとした移動手段に使うのもいいし、観光名所なんかを空から回ってみるのもいい。あとは俺みたいな戦闘に自信がない人でも外に連れていってもらって採取に向かうなんてこともできると思うんだ」
空ならば地上と違って混雑することもない。
直線距離なので実際に道を進むよりも早く目的地に着くことだってできる。今回のように。
「いいわね、それ!」
「とても素敵なアイディアなのですが、鳥人族の中には空を飛ぶことに誇りを持っている方もいらっしゃるので注意が必要になるかと」
レギナが目を輝かせて強い食いつきをみせる中、飛んでいるティーゼが冷静に言った。
「あー、そういえばそうだったわね」
俺はそれぞれの種族の性格や価値観まで把握していないが、レギナの様子を見る限りそういった人もいるようだ。
確かに便利に使われれば、面白く思わない鳥人族がいるのも納得だ。
「少し軽率な考えでしたかね?」
「いえ、すべての鳥人族がそうというわけではなく、あくまで一部ですから。私のように誰かを運んであげることが大好きな方もいらっしゃいますので慎重に性格を見極めれば問題ないかと。私としてはこの輸送方法には鳥人族にとって大きな可能性があると考えているので賛成です」
よかった。鳥人族の大多数がそういった考えをしているわけでもないようだ。
「ありがとう。その辺りも注意して父さんに相談してみるわ」
移動を楽にするための思いつきだったが、思いもよらない規模に発展しそうだ。
もし、獣王国でこの移動方法が実現するのであれば、ぜひとも体験したいものだ。
「洞窟が見えました。入り口で下ろしますね」
なんて話をしていると、いつの間にか目的地に到着したらしい。
空から直線距離で向かってしまえばあっという間だ。
到着すると俺たちはバスケットから降りる。
「バスケットの方は問題なかったですか?」
「とてもお運びしやすかったです」
即興で作り上げたものだが、ティーゼに負担はなかったようだ。
細かい感想をティーゼから聞き取ると、バスケットをマジックバッグへと収納。
目の前にはぽっかりとした大きな穴が見えている。
高さは三メートルあり、横幅も五メートルほどあるので人間が通るには十分な広さだ。
「さて、水源があるか調査するわよ!」
「待って。その前に灯りを出すから」
レギナは一瞬怪訝な顔をしたものの、俺が夜目が利かないことを思い出したのか納得した顔になった。
マジックバッグから灯りの魔道具を取り出す。
一般的なカンテラタイプであり、内部に光魔石が入っている。
火を使っていないので洞窟内でもガスに引火することもなく安全だ。
「イサギの魔道具にしては普通ね?」
「奇抜な魔道具ばかり作ってるわけじゃないから」
レギナの率直に苦笑してしまう。
とはいえ、錬金術で農業という変わった使い方をしているだけに強くは言えなかった。
「行こうか」
魔道具を用意して中に入っていくと、すぐに太陽の光が差し込まなくなってしまい闇に包まれる。
坑道などと違って定期的に人が出入りするわけではないので、当然壁に魔道具が設置されているわけもない。
魔道具を点灯させると白い光が周囲を照らし、俺の視界でも洞窟内の様子がしっかりと視認できるようになった。
片手がふさがってしまうのは痛いが、これがないと前が見えないのだから仕方がない。
「イサギ様は水源の探索に集中してください。周囲の警戒は私たちが行いますので」
「わかった。任せるよ」
周囲のことは三人に任せ、俺は壁や床に手を触れながら水脈があるかどうかを探りつつ移動。
錬金術師としての能力で山の構造を読み取っていく。
「魔物です」
水脈を探りながら進んでいると、前を歩いているティーゼが小さく声をあげた。
探索を中断して魔道具を前に向けると、灰色の体表をした大きな蜘蛛が三体いた。
スコルピオの大きさを遥かに超えており、子供くらいの大きさはあるな。
「ビッグスパイダーね!」
洞窟内に出没する魔物についてはティーゼから粗方聞いている。
慌てることなく俺たちは戦闘態勢へ移行。
先に動いたのはビッグスパイダーだ。
グッと体を沈めたかと思うと、勢いよくこちらに飛び込んできた。
レギナは前に出ると、襲いかかってきたビッグスパイダーに合わせて大剣を振るった。
ビッグスパイダーの体が半分に割かれ、緑色の体液を撒き散らして地面に落ちた。
続けて二体目、三体目のビッグスパイダーが地面を這うようにして接近してくるが、二体目はレギナの一振りで、三体目はティーゼの射出した極彩色の羽根によって崩れ落ちた。
「さすがですね、レギナ様。まさか一撃とは驚きました」
「ティーゼこそ洞窟内で戦えないなんて嘘じゃない」
「戦闘力が落ちるだけで、戦えないわけじゃないですから」
不敵な笑みを浮かべ合うレギナとティーゼ。
ティーゼに倒されたビッグスパイダーを確認すると、極彩色の羽根がいくつもの急所に正確に刺さっていた。
戦闘力が落ちた状態のティーゼにも俺は敵う気がしないな。
もし、戦うことになったら近づく前に極彩色の羽に刺され、針鼠のようになってしまうことだろうな。