作り上げたばかりの販売所にコニアと謎の大柄な獣人がやってきた。
ワンダフル商会の従業員だろうかと思ったが、ワンダフル商会は犬系獣人のみで構成された商会だと聞いている。
隣に立っている獣人の男性は荒々しいブラウンの髪をしており、丸い耳を生やしている。
その見た目を形容するのであれば獅子だろう。とてもではないが犬系獣人には見えない。
となると、ワンダフル商会の従業員ではないだろう。
というか、身長が二メートルを越えているし、全身の筋肉がかなり隆起している。
内包している魔力も尋常じゃないし、一従業員にはとても見えない。
……二人の繋がりがわからないな。
「はーい、ここにいますよー」
とりあえず、隣の男性のことは横に置いておいて返事をする。
すると、コニアと隣にいた獅子獣人がこちらにやってくる。
「ねえ、メルシア。コニアの隣にいる人は――って、ええ?」
その間に俺は傍にいるメルシアに獅子獣人のことを尋ねようとすると、メルシアをはじめとする従業員たちが跪いていることに気付いた。
「ど、どうしたの急に?」
メルシアや従業員たちのいきなりの低身具合に驚いてしまう。
「イサギ様、数多の見た目を持つ獣人の中で、獅子の血を引くものは王族だけです」
って、ことはコニアの隣にいる人は王族なのか。
メルシアの説明を聞いて、俺はすぐに片膝をつけて跪いた。
「そなたがこの大農園の支配者であるイサギか?」
「はい、イサギと申します」
「俺は六十二代獣王、ライオネルだ」
辺境の村にくるくらいだから王位継承権の低い王族かと思いきや、正真正銘の国王だった。
「そう畏まらなくてもいい。今日は噂の大農園とやらが、どのようなものか気になってな。ワンダフル商会に頼み込んで連れてきてもらったのだ」
一応、後方には王族専用の馬車や臣下たちがいるようだが、最小限といった様子。
帝国の皇族と比べると、あり得ないフットワークの軽さだ。
獣人の中でも最強種と呼ばれる獣王だからこそできることなのだろう。
王族の頼みとなると実質的には命令のようなもの。案内するハメになったコニアも気の毒だな。
「では、お望み通り農園の中を案内いたしましょうか?」
「そうしてもらえると助かる」
俺の言葉を聞いて、満足そうに頷くライオネル。
そんなわけで俺とメルシアはライオネルを農園に案内することにした。
「コニアさんも付いてきますか?」
ここまでライオネルを連れてきてくれたのはコニアだ。一応、付いてくるべきなのではないだろうか?
「いえ、私はこちらで従業員の方たちとお話するのです。農園にできる販売所とやらが気になりますので!」
なんて建前らしく物言いをしているが、きっぱりと断った様子からすると付いていきたくないことがわかった。
ワンダフル商会の人でも王族の接待なんて荷が重いよね。
俺も同じ立場になったからこそコニアの気持ちが痛いほどわかった。無理強いはできない。
販売所を出るとライオネルの臣下らしい、髭を生やした初老の獣人や、鎧などを身に纏った兵士たちが付いてくる。
「宰相のケビンです。可能であれば、私と護衛の者たちも同行させていただきたい」
「……とのことですが?」
「すまんが入れてもらえると助かる」
「わかりました」
宰相であるケビンや護衛の者たちを連れて、農園の敷地内に入っていく。
とはいえ、うちの農園の敷地は膨大だ。
相手は王族なので長々と歩かせるのも申し訳ない。
俺はマジックバッグからゴーレム馬を取り出すことにした。
「ぬ? この馬のようなものはなんだ?」
「錬金術で作成したゴーレムの馬です。徒歩では移動は大変かと思い、こちらの乗り物をご用意させていただきました」
「ほう! ゴーレムで馬を再現したのか! 面白い! 乗らせてもらおう!」
ニヤリと獰猛な笑みを浮かべると、颯爽とゴーレム馬に跨るライオネル。
ライオネルは身体がかなり大きく、通常サイズのゴーレム馬では乗ることができないので、以前メルシアと二人乗りした時に使った大型のゴーレム馬だ。
俺とメルシアは普通の一人乗りの方に、ライオネルの臣下の方たちにも同じように一人用のものに乗ってもらうことにした。
「右足のペダルを踏みこむと進み、左足のペダルを踏むと止まります。方向については手綱を引くことで調整できます」
「おお! 理解した!」
軽く説明をすると、ライオネルはすんなりとゴーレム馬を走らせてみせた。
運動神経の悪い人だと乗りこなすのに時間がかかるのだが、ライオネルの心配はいらないようだ。
家臣の人たちは初老の人が少し勝手に戸惑っているようだが、他の人たちがサポートすることによって何とか乗ることができた。
「イサギ! 俺はこれが気に入った! 是非ともほしいぞ!」
軽く周囲を走り回ってくるなり、ライオネルが実に活き活きとした顔で言った。
まるで新しい玩具を見つけた少年のようだ。
「正式に発注していただけるのであれば、ライオネル様に相応しいゴーレム馬をお作りいたしますよ?」
別に今の個体を渡してもいいのだが、ライオネルが乗るには窮屈感だ。
それに彼の見た目に迫力がありすぎるので、見た目負けしている。
国王である彼が乗るのであれば、もっと威厳ある見た目のものがいいだろう。
となると、ライオネルのためにちゃんと作り直した方がいい。
「では、そうしてくれ! あと、そっちの小さい馬も欲しい! 娘の誕生日が近いのでな!」
「でしたら、こちらのゴーレム馬に関しては、ご息女様の誕生日祝いとして献上させていただきます」
「さすがにそれは――いや、わかった。有難く受け取っておこう」
遠慮しようとしていたライオネルだが初老の獣人が咳払いして睨むと、慌てて言い直した。
まあ、これに関しては俺から言い出したことなので遠慮なく受け取ってもらえると助かる。
王族の誕生日と聞いて、こっちもお金を払えなんて言うのは無粋だしな。
「では、農園を案内しますので付いてきてください」
話に区切りがついたところでゴーレム馬を走らせる。
「……イサギ、もっと速くても構わんぞ?」
ゆったりとゴーレム馬を走らせていると、後ろにいるライオネルが言ってくる。
とてもウズウズしている。速く走らせたくて堪らないのだろうな。
気持ちはわからなくもないし、できるだけリクエストに応えてやりたいが、こればかりはそうはいかない。
「農園内は道幅も狭く、農作業用のゴーレムもいますので、これぐらいの速度でお願い申し上げます。申し訳ありません、ライオネル様たちの安全が何よりですので」
「……それは非常に残念だ」
「安全な場所であれば、いくら速度を出してもらっても構いませんので」
「そうか!」
シュンとしていたライオネルだが、小声でそう言うとすぐに元気になった。
厳めしい見た目や肩書きもあって萎縮してしまいガチだが、こうして話してみると妙に親しみを感じるな。帝国の皇族たちとは大違いで、なんだか不思議な感じだ。
そうやってゴーレム馬を走らせると、野菜畑の区画にたどり着いた。
「こちらは野菜畑の区画となります」
「おお! かなり広いな!」
野菜区画を見るなりライオネルが感嘆の声を上げた。
「この辺りはかなり土地が痩せており、まともに農業ができない土地だと聞いていた。それなのにこれほど多種多様な作物が栽培されているとは驚きだ。これを可能にしたのは錬金術だな?」
コニアには錬金術で農業を行っていると告げている。
視察にやってきた国王に嘘をついて良い事はないだろう。
「はい。錬金術で作物に品種改良を行い、繁殖力を上げ、痩せた土地に強く、病害、虫害などに強いものへと作り変えました」
「口にすることは容易いが、完成させるのはさぞかし大変だっただろうな。そなたはとても優秀なのだな」
「恐縮です」
地位の高い人からそんな風に言われたのは初めてだ。
誰かに褒められたくて行ったわけではないが、それでも褒めてもらえるというのは嬉しいものだ。胸の奥がジーンッと温かな気持ちになった。
「む? もうトマトが生っているのか……季節外れの作物があるというのは本当だったのだな」
噂を聞きつけてきただけあって、うちの農園のある程度の特徴は知っているようだ。
「よろしければ、おひとつ食べてみますか?」
「貰おう」
ゴーレム馬から降りると、収穫期のトマトを一つ収穫した。
布でトマトの汚れを拭って渡すと、ライオネルは豪快にトマトに齧り付いた。
さすがは獣王、食べ方もワイルドだ。
「うおおお! トマトとは思えないほどの甘さだ! 今まで食べてきたトマトの中で一番美味い!」
「ありがとうございます!」
そう言ってもらえるように日々改良を重ねているので、非常に嬉しい感想だ。
現在は糖度の高いトマトだけでなく、果肉がしっかりとしていて煮崩れしづらい調理用トマトなんかも開発中だ。ただ甘いだけでなく、色々な料理に使えるような汎用性の高い品種も作っていきたいものだ。
「……今日は妙に騒がしいな」
ライオネルの世話をしていると、トマト畑の影からコクロウが出てきた。
「陛下! お下がりください!」
農園内に突如魔物が出現したことにより、ライオネルの護衛たちが武器を構え出して物々しい雰囲気となる。
しまった。農園内にコクロウやブラックウルフたちがいるのを伝え忘れていた。
「申し訳ありません! 彼らは農園内を警備してもらっている魔物ですので、どうか武器をお納めください!」
「あくまでそっちが手を出してこない場合だがな」
「こら、コクロウ。相手を挑発するようにことを言うな」
せっかく諫めているのに、余計なことは言わないでほしい。
お陰で護衛の人たちがムッとしているじゃないか。
「ブラックウルフの上位個体、シャドーウルフか……」
そんな中、ライオネルは平然とコクロウの前に歩み寄る。
護衛の人たちが口々に下がるように言うが、まるで気にしていない。
ライオネルとコクロウは睨み合う。
固唾を呑んで見守っていると、ライオネルが不敵な笑みを浮かべながら右手の人差し指をくいくいっと動かした。
かかってこいと言わんばかりのわかりやすい挑発。
コクロウは喧嘩を売られたと感じたのか即座に影に潜る。
どこに行ったと思った次の瞬間、コクロウは護衛の影から飛び出し、無警戒なライオネルの背中へと襲い掛かった。
「甘いな」
ライオネルは一切の視線を向けることなく、丸太のような左腕を振るってコクロウを吹き飛ばした。
二メートル近い体躯を誇るコクロウが紙切れのように飛んでいく。
吹き飛ばされながらもコクロウは畑の影へと避難。
すると、次はライオネルの真下にある影から姿を現した。
影から身体を出すのは最小限にし、僅かに影から出して前脚の爪でライオネルの足を斬り裂くつもりだ。
「ぐっ!?」
「だから甘いと言っておろうが」
ライオネルは即座に反応して、真下から奇襲してきたコクロウを蹴り飛ばした。
「ずっと影の中でジッとしているからイライラするんだ、犬っころ。俺が存分に相手してやるから能力を使わずに挑んでこい」
「殺す」
ライオネルから犬っころと誹りを受けたことで頭にきたのか、コクロウが知性をかなぐり捨てるようなけたたましい咆哮を上げて襲い掛かった。
コクロウが本気で牙や爪を向けるが、対するライオネルは笑いながらそれらを跳ね除けている。
しかも、コクロウをできるだけ傷つけないように手加減をしながらだ。両者の力量の差は素人でもわかるほどだろう。
「コクロウがあんな風に遊ばれるなんて……」
「さすがは最強種と謳われる獣王様ですね」
コクロウは冒険者ランクの定める討伐ランクBの上位個体だ。
実際に森で対峙した俺とメルシアだからこそ、コクロウの恐ろしさ知っている。
そんなコクロウがライオネルの前では犬っころ扱いとは……。
無邪気で気さくなライオネルだが、人の上に立つ才能を立派に兼ね備えた王なのだな。
コクロウと素手での取っ組み合いを繰り広げるライオネルを見て、しみじみと思った。
「ハハハ、久しぶりにいい運動になったぞ! コクロウとやら!」
「…………」
爽快そうな顔で告げるライオネルとは正反対に、コクロウはすっかり疲労困憊といった様子だった。
いつも澄ました様子で農園を闊歩しているだけに、これほどまでに疲弊しているコクロウを見るのは新鮮だ。
「コクロウ、大丈夫か?」
「心配しているフリをしながら撫でるな」
バテてしまっている今ならイケるんじゃないかと思ったがダメだった。
俺の撫でようとした手が尻尾に阻まれる。
そんなやり取りをしていると、ライオネルがコクロウの元に歩み寄る。
「そなたの影移動はとにかく便利だが、だからこそ能力に頼りすぎるきらいがある。接近戦についても能力ありきなせいか、実にお粗末だ。能力だけに頼らず、基本的な戦い方を学び直すことだな」
「……次は殺す」
ライオネルが助言に対して、コクロウは有難がることもなく、物騒な言葉を残して影に沈んでいった。
これ以上ライオネルに突っかかるのはやめたようだ。
「すみません、捻くれた奴で」
「上位個体になる奴は得てしてああいう性格をしているものだ」
そういうものなのか。コクロウ以外の上位個体に会ったことがないので、俺にはわからないがああいうのがたくさんいると色々な意味で苦労しそうだな。
「素晴らしい農園だけに警備が心配だったが、頼りになる者が守っているではないか」
「ライオネル様にコテンパンにされていましたけど」
「それは仕方ない。俺は強いからな!」
腕を組んで豪快に笑うライオネル。
これだけハッキリと言われると、まるで嫌みに感じないものだ。聞いていて妙な清々しさを覚える。
「野菜畑以外のところも回ってみたいのだが案内してくれるか?」
「わかりました。他の区画にも案内いたしましょう」
●
「いやー、イサギの経営する農園は素晴らしいな! 特に果物が素晴らしい! あれはもう別物だ! とにかく美味い!」
薬草園、小麦畑、果物畑などの案内を終えると、ライオネルは実に満足そうな表情で語った。
彼が特に気に入ったのは果物畑で栽培されている果物だ。
それがとにかく気に入ったようで食べてからというもの、ずっと果物の感想を述べてくれていた。
「ありがとうございます」
「よければ、お土産として包みましょうか?」
「そうしてくれると助かる! これだけ美味しいものを俺だけ食べて帰ってきたとあっては妻や娘たちに怒られてしまうからな」
メルシアが気を利かせて提案すると、ライオネルは殊更に喜んだ。
獣王は愛妻家であり、子煩悩であるようだ。
こうやって家族のことを考える一面を見ると、王とはいえ彼も普通の獣人なんだな。
「陛下、そろそろ本題の方を……」
「わかっている、ケビン」
しみじみとした感想を抱いていると、ずっとライオネルに付き添っていた初老の獣人が声をかけた。
やはり、視察にきたのとは別の大きな目的があってやってきたのだろう。
なんとなくそのことについては察していたので特に戸惑うようなことはない。
ライオネルは咳払いすると、表情を引き締め、厳かな口調で語りかける。
「イサギ、今年は農作物が凶作だということは知っているか?」
「つい先ほど知ったばかりですが存じております。具体的にどれほどの規模かまでは存じ上げておりませんが……」
「実はそれは一部の地域だけでなく、獣王国各地で起こり始めている」
想像しているよりもずっと広範囲で凶作が起こっていることに驚いた。
国を統治しているライオネルが言うことなので、国全体というのは確かなのだろう。
「それが確定された未来なのかは精査中だが、かなり確率は高い。国を治める王として民を救うために打てるべき手は打っておきたいのだ。イサギ、申し訳ないが国民に作物を分配するために我らに作物を売ってくれないだろうか?」
ライオネルが頭を深く下げて頼み込んでくる。
まさかの頼み事と一国の王が、たかだか平民に頭を下げることに俺は驚いた。
「陛下、頭をお上げください! 国王が平民に頭を下げるなど、あってはならないことです! 国王としての威厳が落ちます!」
「国王としての威厳がなんだ! ふんぞり返って食料をよこせと要求するのなんて俺はしたくない!」
宰相のケビンが注意するが、ライオネルは腕を組んでプイッと顔をそむけた。
断固拒否といった態度のライオネルにケビンは大きくため息を吐いた。
自由に振舞う国王と、それに振り回される真面目な臣下といった関係性だろう。
「どうだろうか、イサギ?」
ライオネルが改めて尋ねてくる。その表情は真剣そのものだ。
一国の王として、民のことを考え、救うための手立てを打ちたいという彼の想いがヒシヒシと伝わってくる。
民を切り捨て、自分たちの利益や名声ばかりが考えている帝国の上層部とはまるで違った。
通常なら国王ほど権威ある立場であれば、国を守るために徴収するということもできるはずだ。帝国ならきっとそうするだろう。
しかし、獣王国の国王であるライオネルはそんなことはせず、平民である俺の元にわざわざ足を運んで買い取らせてほしいと頼み込んできてくれた。一方的に自分たちの都合を押し付けず、きちんとこちらに配慮をした上で。
真摯な態度を見せられれば、こちらもそれに応えたくなるというものだ。
「いいですよ。うちの農園の作物で多くの人々を救えるのであれば、喜んでお力になりましょう」
「本当か! 恩に着る!」
返事をすると、ライオネルは喜びと安堵の混ざった笑みを浮かべて頭を下げた。
プルメニア村に住んでいる以上、俺も獣王国に所属する人間だ。
別に獣王国には恨みなどまるでないし、協力しない理由もない。
農園の生産量は常に右肩上がり。優先してライオネルたちに供給するにはまったく問題がなかった。
「メルシア、現段階でどれだけの量の生産できているか、継続してどのくらい量を輸出できるかライオネル様に教えて差し上げてくれ」
「かしこまりました」
細かい農園の数字はメルシアの方が把握しているので、細かいところを詰めるのであれば彼女に任せるのが一番だ。
メルシアがライオネルと話しをする中、俺はそこに加わろうとしていたケビンを呼び止める。
「ケビンさん、少しよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「獣王国全体の大まかな土質とかって把握されていますか?」
「隅々まで把握しているとは言えませんが、それぞれの大まかなものであれば」
「その中で比較的多い土質の特徴を教えてもらえませんか?」
「なんのためにかお聞きしても? 立場上、なんの意味もなく情報をお教えするわけにはまいりませんので」
「作物を売り渡すだけでは、もしもの際に備えることが難しいと思い、うちの同じように品種改良した作物を直接お渡ししたいと思いまして」
「それは願ってもないことですがいいのですか? 品種改良した作物を引き渡すということは農園の優位性と利益を大きく低下させることになりますが……」
本当にいいのか? といった表情をしているケビン。
賢く立ち回るのであれば、彼が指摘するように需要が高まっている時に値段を釣り上げ、売りつけることで利益を得るべきだろう。
だけど、俺は農業で荒稼ぎをしたいわけでもない。
「そうかもしれませんが、私はそんなことよりも飢えに苦しんでいる人々を救いたいのです。元々は孤児だったので、お腹を空かせる苦しみは痛いほどわかるので……」
「イサギさんの善意に心から感謝いたします。私の知識でお力になれるのであれば、お教えいたしましょう」
そのように伝えると、ケビンは獣王国各地の土質を教えてくれる。
どうやら獣王国の大部分は多雨であり、よその国などに比べて二倍から三倍ほどの雨が降るようだ。
プルメニア村ではそこまで雨は降らないが、それはこの辺りの土地の特徴であり、獣王国からすると例外な場所のようだ。
まあ、国全体がここまで痩せた土地だと、そもそも生活ができないだろうから納得だ。
その他にも土の栄養の多さや、気候、育てられている作物の種類など、ケビンは丁寧に教えてくれた。
「ありがとうございます。ちょっと工房で調整をしてきます」
「そんなにすぐにできるものなのですか?」
「少しでも早く安定して作物を供給できるようにしたいんで!」
ケビンが懸念するようにすぐにできるかはわからない。
だけど、プルメニア村にやってきて、俺も伊達に品種改良を繰り返していない。
帝都で研究していた時よりも多く改良を加えているし、知識も遥かに増えている。
実際に訪れたことのない土地に合わせて調整をするのは至難の業だが、今の俺ならばできるような気がした。
獣王国全体で凶作が起こっており、人々が困窮する未来が近づいているんだ。ゆっくりとなんてしていられない。
いても立ってもいられなくなった俺は、ゴーレム馬を走らせて工房へと向かった。
工房に戻ると、早速と俺はマジックバッグから品種改良に必要な素材を取り出す。
選定する作物はジャガイモ。どれだけ荒れ果てた土地や気候でも力強く育つからな。
ベースとするのはプルメニア村で育つように品種改良させたもの。
とはいえ、これはここで育つように調整されたもので、ケビンが教えてくれた他の土地で育てるには適していないので、改良した部分はそのままに調整する必要があるだろう。
道筋を口にするのは簡単だが、酷く道筋が険しい。
プルメニア村で育つように改良を加えた、このジャガイモですら繊細な積み木を積み上げて完成されたものだ。単純に今の利点をそのままに、微調整すればできるというわけではない。
ひとつの因子を抜けば、他の因子が嚙み合わなくなってしまうことがザラに起こってしまうだろう。
通常は育てたい土地の土を利用し、何度も栽培実験を行ってから調整を繰り返すものだ。
それにケビンから聞いた土質は、プルメニア村や帝国の土質とまるで共通点がなかった。
今までやってきたデータはまるで当てにならない。
「だけど、ここで作ってきた多くの経験が俺にはある」
データ上の数値は参考にできなくとも、この村にやってきて何十種類もの作物に改良を加えてきた経験が俺にはある。
それは帝城での仕事に忙殺されながらやっていた研究とは数も質も段違い。
それにケビンが各地の土質をかなり詳細に教えてくれた。
宰相としての蓄えたケビンの知識はかなり豊富なもので、聞いただけでその土地の土質がイメージできるほど。
帝国にいた頃の俺ならば、多大な時間がかかったであろうが、いくつもの経験を得てきた今の俺ならきっとやれるはずだ。
そう自分に言い聞かせると俺は錬金術を発動し、ジャガイモの品種改良に取り組んだ。
「イサギ様、そろそろ国王陛下がお帰りになられるそうですが……」
「できた!」
メルシアが俺を呼びに工房に入ってきたと同時に、俺は最後の作物の品種改良を完成させた。
「……国王陛下にお渡しするための品種がもう完成したのですか?」
テーブルの上に並んだ作物を見て、メルシアが驚きを露わにする。
「そうだよ。とはいっても、実際にその土地で育つかは、ぶっつけ本番になるんだけどね」
「ですが、自信があるのでしょう?」
謙遜してみせるが、メルシアには内心がバレバレのようだ。
「うん、伊達に品種改良で失敗を繰り返していないからね。多分、このジャガイモなら他の土地でも問題なく育つはずだよ」
日頃、改良で失敗を繰り返しているが、だからこそどのような因子を加えれば、どのような変質を起こすのかわかるものがある。今回、これだけの速さで改良することができたのは、数々の失敗を経験してきたからに他ならない。
「では、ライオネル様の元に急ぎましょうか」
「うん。あんまり待たせたら悪いしね」
メルシアに促された俺は品種改良したジャガイモを手にすると外に出た。
販売所の前に行くと、ライオネルの馬車とワンダフル商会の馬車がズラリと並んであった。
馬車の前にはライオネルとケビンと少数の護衛が立っている。
「イサギ、他の土地でも育つための作物を作っているとケビンから聞いたが、もしや完成したのか?」
「はい。一種類だけで大変申し訳ないですが、何とか完成させました」
「いやいや、たった一種類でも凶作になる心配のない作物を貰えるのは有難い! それをこの短時間で作り上げてくれたのだ。誰が文句をつけるものか!」
「ありがとうございます。こちらが改良を加えたジャガイモです」
ライオネルに改良したジャガイモを手渡す。
彼の大きな手の平の上に乗ると、ジャガイモが小さな石ころのように見えてしまうな。
「おお! ジャガイモか! これなら誰でも育てやすく腹も膨れる! して、このジャガイモにはどのような特性があるのだ?」
「獣王国に比較的多い土質に合わせて調整いたしました。そのジャガイモを植えれば、三日ほどで収穫を迎えることができます」
「三日だと!? そのような短期間で収穫ができるのか!?」
短期間で収穫を迎えられるジャガイモにライオネルが驚く。
「可能です。しかし、それはあくまで救荒作物です。短期間で収穫が行えますが、強い成長力故に土地の栄養を強く吸い上げてしまいます。一度収穫した際は、同じ場所で繰り返し栽培しないようにお願いします」
「うむ。これだけ収穫が早い作物だ、育てた土地の栄養を急激に吸い上げるのは何らおかしいものではないな。わかった。栽培する際は厳命しておこう」
「では、念のために他の種類のジャガイモをお渡ししておきます」
最初に渡したものとは別に、二つのジャガイモを手渡しておく。
すると、ライオネルは不思議そうな顔をした。
「他の種類とは?」
「調整した一つ目のジャガイモが土に合わず、思うような成長をしなかった場合の保険です」
「おお、それは有難い」
俺はプルメニア村周辺以外の土地を知っているわけではないからな。
念のために異なる方向性の因子を持たせたジャガイモを作っておいた。
数を打てば当たるというわけではないが、そういった保険をかけておくにこしたことはない。
「そして、最後に大事な忠告をいたします。改良したジャガイモにもし違和感を抱いたら、すぐに破棄してください。予期せぬ成長を果たした作物は、思いもよらない危険を振りまく可能性がありますので」
「わかった。その時は申し訳ないが、すぐに破棄させてもらうことにしよう」
大事な注意事項を告げると、ライオネルは深く頷いてくれた。
思いもよらない力の危険性を彼は十分に理解しているようだ。
「大量の作物だけでなく、このような貴重な作物をくれたことに感謝する。イサギのお陰で我が国は餓死者を出さずに済みそうだ」
思わず安堵の息を漏らすライオネル。
彼も国民を脅かす凶作に大きな不安を抱いていたのだろう。
そんな優しい彼の力になれたのであればよかった。
「イサギやここの農園のものたちには大きな借りができたな。この借りは獣王の名に置いて必ず返すことを誓おう」
「国民として当然の協力をしたまでですが、何かありましたらよろしくお願いします」
丁寧に固辞することも考えたが、プルメニア村全体のことを考えると、少しずる賢くするべきだろう。
「うむ、それでいい」
素直にお願いしてみせると、ライオネルは満足そうに笑った。
どうやら無駄に遠慮しなかったことは正解らしい。
「お節介かもしれないが忠告しておく。不毛の大地として見られていたこの土地だが、イサギの活躍によって農園地帯となった。これだけの農作物をひとつの農園で賄えるとなると、豊かな穀倉地帯と同義。侵略する価値のある土地だと思われれば、野心のある国が侵略してくる可能性があるぞ」
「ッ!」
プルメニア村は獣王国の中でも最西端に位置する辺境。
隣接しているのは、侵略によって国土を拡大し続けた帝国だ。
今までは旨みのない土地故に無視していたかもしれないが、奪う価値のある土地と認定すれば侵略してくるかもしれない。
「とはいえ、獣王国内には他にも資源がたくさんある。帝国が凶作にでもならない限り、可能性とは低いだろうな」
あくまで侵略の可能性のある土地として浮上したのであって、優先順位が高いわけではない。いくら帝国でも早々にこの村を狙うわけはないだろう。
「ご忠告、ありがとうございます。念のため村の防備も上げておきます」
「うむ。それがいいだろう。何かあった時は頼ってくれ」
ライオネルはそう言うと、颯爽とマントを翻して自らの馬車へと乗り込んだ。
ケビンや護衛の兵士たちも乗り終えると、ライオネルを乗せた馬車はゆっくりとプルメニア村を離れていった。
●
馬車の一団が去っていく、今日は少し早いが農園全体の仕事を切り上げた。
今日は販売所を作ったり、獣王国の国王であるライオネルが視察にきたり、作物を売ってくれと頼まれたりと色々なことが起きた。
従業員たちも急遽と収穫作業が増えたり、作物を馬車に積み込んだりと大変だっただろう。
こんな日は早めに休むに限る。
そんなわけで俺とメルシアも家に帰ってきた。
慣れ親しんだ場所に戻ってくると、心からホッとする。
「お疲れのようですね」
「今日は色々と濃い一日だったからね。それに偉い人と話すのは久しぶりだったし緊張したよ」
「私も獣王様がいらっしゃったことには驚きました」
気さくだったとはいえ、相手は一国の王だ。
友好的とはいえ、節度は弁えないといけないからね。
帝国では上司や貴族を相手に毎日のように気を遣っていたものだが、久しぶりにやるとドッと疲れるものだ。
縦社会に振り回されることのない、普段の生活がどれだけ尊いものか実感したものだ。
「……イサギ様はこの村での生活に苦痛はありませんか?」
イスの腰掛けて伸びをしていると、不意にメルシアが問いかけてきた。
「え? 急にどうしたの?」
「イサギ様をこの村にお連れしてずっと思っていたのです。イサギ様は優秀な方なので、このような小さな村でなく、もっと大きな場所で活躍されるべきではないのかと。それなのに私が半ば強引に誘ってしまって……」
俯きながらのメルシアの言葉を聞き、俺はゆっくりと首を横に振る。
「そんなことはないよ。帝城では異端で爪弾きにされているのにメルシアはずっと支えてくれた。宮廷錬金術師を辞めさせられた時でさえも、メルシアは態度を変えことなく、プルメニア村に誘ってくれたことに感謝しているんだ」
確かにプルメニア村は農業に限っては豊かじゃないけど、それを錬金術でどうにかしたいのが俺の願いだった。
帝国では出来なかった目的の一つをメルシアのお陰で叶えることができた。そんな彼女には感謝することはあれど、迷惑だなんて思ったことは一度もない。
「今ここにいるのは自分の意思で決めたことだから、メルシアはそんな風に思い悩まなくて大丈夫さ」
「……そうでしたか。そうだったのであれば、本当に良かったです」
素直な気持ちを伝えると、メルシアは心の底からホッとしたように呟いた。
彼女がそんな風に思い悩んでいたなんて全く気付かなった。
ずっとお世話をしてもらって、一緒に仕事をしていたというのになんだか申し訳ない。
そこまで考えてくれていたメルシアに報いてあげたいな。
そんな気持ちが頭の中を過った瞬間、俺はある果物の存在を思い出した。
「あっ、そうだ! メルシアに渡してあげたいものがあるんだった!」
「渡したいものですか?」
「ちょっと付いてきて」
怪訝な表情を浮かべながらのメルシアを連れ、俺は渡り廊下を渡って工房へ。
工房に入ると、奥に進んで地下の実験農場へと至る階段を下る。
実験農場のさらに奥にあるスペースには、無数のブドウ畑が広がっている。
「渡したいものというのはもしかして……?」
「うん、ブドウだよ。この村に誘ってくれたことや、日頃支えてくれている感謝の気持ちを伝えたいと思ってね」
「私のためにわざわざご用意してくださるなんて感激です」
贈る意図を伝えると、メルシアは感激の表情を浮かべた。
目の端から若干涙が出ているが、それだけ喜んでくれていると思うので変に茶化すのはやめておく。
「ここにあるものすべてイサギ様が改良を加えたものなのですよね?」
「うん、ブドウが大好きなメルシアには生半可のものを贈るわけにはいかないからね。味の方を優先させると、大量生産が難しくなっちゃってこれだけしか栽培できなかったけど」
「それでも嬉しいです」
メルシアがブドウ畑の中に入っていく。
新緑の葉や蔓が生い茂る中、艶やかな黒い髪をしたメルシアが濃紫のブドウを見上げる姿は不思議と絵になる光景だと思った。
「食べてみてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
頷くと、メルシアが収穫期を迎えたブドウを一粒口に含んだ。
目を瞑って丁寧に味わうように食べるメルシア。
呑みこむとゆっくりと目を開いて、
「……とても美味しいです。今まで食べたブドウの中で最上の味です」
とびっきりの笑顔を見せてくれた。
今までにメルシアの笑顔は見たことがあったが、現在浮かべている笑顔に勝るものはない。
そう思えるくらいに自然で素敵な笑顔だった。
「そう言ってもらえて安心したよ」
そうじゃなきゃ、メルシアのために用意した意味がないからな。
数々のブドウを食べた彼女が、心の底から美味しいと言えるものが作れて良かった。
本当はもっとたくさんのブドウを用意してあげたかったが、今の俺の技量ではそれが限界だ。もっと技量が上がったら、最上の味を追求しつつ、大量生産できるようにしたいや。
「イサギ様がやってこられるまでは、日常的に豊かな食事はできませんでした。こんな風に楽しく食事ができるのはイサギ様のお陰です」
俺はこの村にやってきて、すぐに品種改良した作物を育てたから実感がないが、貧しい状態をよく知っているメルシアだからこそ深く思うところがあったのだろう。
確かにこの村の食生活は変わったと思う。
品種改良された作物と、良質な肥料のお陰で誰もが農業ができるようになった。
俺が大農園を作り上げたことによって、食料の供給が滞ることはなくなった。
生きるための食事ではなく、美味しいものを食べる余裕が生まれた。
だけど、それは決して俺一人の力じゃない。
「品種改良にはメルシアも手伝ってくれたし、俺が研究に専念できるように農園の管理をしているのはメルシアじゃないか。決して俺だけの力じゃないよ。メルシアも胸を張って」
「そう言っていただけると私も頑張った甲斐がある気がします」
この村にやってきてメルシアだけでなく、ケルシー、シエナ、ネーアをはじめとする従業員にコニア、自分を慕って認めてくれる人がたくさんできた。それがとても嬉しい。
錬金術で皆の役に立てることはとても楽しく、やり甲斐がある。
少なくとも帝城で宮廷錬金術師として生活していた時の俺よりも紛れもなく幸せだと言い張れるだろう。
「これからも色々と迷惑をかけるかもしれないけど、よろしく頼めるかな、メルシア?」
「はい、イサギ様。どこまでもお供いたします」
イサギが獣王ライオネルの来訪を受けてしばらく――
レムルス帝国では深刻な食料不足に苛まれていた。
それは各地で見舞われた凶作のせいだ。
凶作は獣王国だけでなく、帝国を含める世界各地で被害を受けており、例年よりも激しい食料生産の落ち込みを見せていた。
「食料生産の施策を却下し、軍事に費用を注いだ余の決断を責める声も多く上がっている。早急に何とかする必要があるぞ」
イサギの研究を当てにしていたウェイスは、ここ数年食料生産案が出ていたにもかかわらず権力によるゴリ押しで却下し、軍事に力を注いでいた。
その結果、民の生活や保障や施策に力を入れていなかった国内は、生活の防波堤機能がまったく機能せず、既に各地で多くの餓死者を出している状態となっている。
凶作というどうしようもないことだとはいえ、間接的に現状を引き越した当事者の原因としてされていた。
このままさらなる被害を増大させてしまえば皇位継承権にも響く可能性が高く、ウェイスは焦っていた。
「ガリウス、なにか良案はないか?」
「申し訳ございません。早急に効果のあるものはありません。ですが、気になる情報を耳に入れました」
「それはどんな情報だ?」
ガリウスの返答に落胆しかけたウェイスだが、後半の言葉を聞いて瞳に好奇の光を宿す。
「広い範囲で起こっている凶作ですが、なぜか隣国の獣王国では大した食料が不足していないのだそうです」
「それは獣王国自体が凶作に見舞われなかったということか?」
「いえ、獣王国も凶作に見舞われたようですが、食料不足にはなっていないようなのです」
「一体なぜだ?」
帝国同様に凶作に見舞われているのであれば、国内で食料不足になっていないのはおかしい。
ウェイスが首を傾げる中、ガリウスは待ってましたとばかりに深い笑みを浮かべた。
「調べましたところ、どうやらプルメニア村にあるイサギ大農園から大量の作物が供給されているようでした」
「ほう? それはどこかで聞いた名前の農園だな?」
「間違いなくイサギかと」
イサギが独自に研究を行っていた作物の品種改良と、突如獣王国に出現したイサギ大農園という大量の作物供給地。
その二つを聞いて聞き、完全にイサギの関与があるとウェイスは確認した。
「奴の研究とやらが完成しているのであれば、凶作に影響されず、あり得ない速度での作物を生産できるのも納得ということか……」
「はい。ウェイス様にご提案なのですが、獣王国にあるイサギ大農園を侵略すれば良いかと」
「なるほど。余、自らが指揮を執り、イサギ大農園を奪い、その作物を帝国内に供給すれば、軍事費拡大の件について大きく責められることはないか……」
思い立ったようにウェイスはテーブルの引き出しから、帝国周辺の地図を広げてみせる。
「幸いにしてプルメニア村とやらは、帝国からほど近い場所にある辺境。侵略するのも容易いな。貴様にしてはいい考えではないか」
「ありがとうございます」
ウェイスの労いの言葉にガリウスは深々と頭を下げた。
「そうだ。我ら帝国は侵略によって拡大を繰り返してきた大国。食料が足りないのであれば、よそから奪えばいい。食料生産施策をああだこうだと考えるよりも簡単ではないか」
それが古来からの帝国のやり方。
歪な国であるが、それで大成している国だった。
活路を見出し、ウェイスが高笑いをする中、傍で佇むガリウスはほの暗い笑みを浮かべていた。
獣王であるライオネル一行が帰還した後。
ありがたいことに俺の大農園の作物は大好評で、プルメニア村の住民だけでなく、外部からも買い求めに来る人も増えた。
しかし、俺の大農園は外部の者との売買を受け入れる体制を作っておらず、商人などが来るたびに責任者である俺やメルシアがいちいち対応しなくてはいけないという問題が起きた。
そもそも俺が大農園を作り上げて従業員を雇ったのは、俺が錬金術の研究や仕事に専念するためだ。
それなのに俺が頻繁に駆り出されては意味がない。
そんな問題を払拭するために作り上げたのが販売所。
大農園の敷地の外に販売所を設置することで、プルメニアの住民や外部の客との売買をそこで完結させるのが狙いだ。
錬金術で販売所を作り上げ、内装を固めていこうとしたところでライオネルの訪問により中断になったが、あれから二週間が経過して販売所は本日が開店だ。
工房を出て、販売所の前にたどり着くと俺は驚いた。
販売所の外に長蛇の列ができているからである。
「うわっ、すごい行列だ」
ざっと数えただけで五十人くらいはいるんじゃないだろうか。
今日が販売所の開店日だとは、プルメニアの村人に伝えてはいたが、まさかこんなに早い時間から並ぶとは思っていなかった。
これだけ大勢の客がいるのであれば開店を急がなければいけない。
俺は並んでいる人たちに軽く挨拶をしながら足を速めて販売所の中へ。
「すごい。しっかりと販売所になってる」
二週間ほど前までは倉庫を思わせるくらいに何もなかったけど、今ではしっかりと陳列棚、会計所などが作られており、しっかりと販売所と胸を張れるような内装になっていた。
呆然とフロアを見渡していると、真っ黒な髪に猫耳を生やしたメイド姿の女性がやってくる。
「イサギ様、おはようございます」
「おはよう、メルシア」
彼女はメルシア。
俺がレムルス帝国の宮廷錬金術師だった時から、助手として錬金術のサポートをしてくれたり、身の回りのお世話をしてくれた頼りになる女性だ。
俺が宮廷錬金術師を解雇されたのを機に、自身も宮仕えを辞めてプルメニア村へと誘致してくれた人物である。
そして、今はただの錬金術師となった俺の助手兼、身の回りのお世話をしてくれるメイドだ。
フロアには陳列棚には大農園で収穫された野菜、果物、山菜、麦などといったものがズラリと並んでいた。
「これだけたくさんの種類の作物が並んでいる光景は壮観だね。帝都の市場にも匹敵するんじゃないかな?」
「単純な量では敵いませんが、季節外れの作物も揃っているので品数の豊富さでは上回っているかと」
錬金術によって品種改良を加えることで、俺は農業に適さない土地での栽培に成功した。
既存の作物の性質に縛られない栽培は、季節に関係なく作物を育てることができるというわけだ。
辺境の販売所なのに大国の首都の市場よりも品数が多いって、なんだか不思議な話だ。
「開店準備の方はどう?」
「できております。店員たちの準備も問題ありません」
メルシアの後ろには、グリーンのエプロンをした男女が六人並んでいる。
「イサギさん、私の異動を許可してくださりありがとうございます」
嬉しそうな笑みを浮かべて前に出てきたのはノーラだ。
「元からノーラさんは販売や経理といったものが得意でしたから適材適所ですよ」
他の五名は販売所を営業するにあたって雇用した店員だが、ノーラだけは従業員から店員へと異動させた形となる。これはノーラ自身が強く望んでいたことであり、俺とメルシアも望んでいたことだ。
ノーラの家は雑貨屋を営んでおり、彼女はそこで販売や経理などの仕事をこなしていた経験もある。
力仕事よりも、そういった内作業に適性があるのはわかっていたことだ。
「むしろ、今日まで力仕事に従事させることになってすみません」
「いえ、農作業の方も楽しかったですから気になさらないでください」
申し訳なく思いながら言うと、ノーラはクスリとした笑みをたたえながら答えた。
「ちなみに農作業の方に戻りたいとかいう気持ちはありますか?」
「微塵もありません」
笑みを浮かべながらの即答。
俺と同じくらいの体力と力しかないノーラは、よく作業中にばてていた。あそこに戻りたくないと思うのは当然だろうな。
「販売所の営業は任せてくださいな」
「ええ、頼りにしています」
他の店員はプルメニア村に住んでいるご婦人たちが中心なので、ほとんどが顔見知りだ。
従業員であるネーアやラグムントたちのようにガッツリと農園の仕事を行うわけではないが、販売所での接客、販売、品出しなどの業務を行ってもらう予定だ。
「では、早速開店といきましょうか。お客様をお出迎えしましょう」
今日は記念すべき販売所の開店日。外に並んでいるお客を出迎えるために、俺とメルシアと店員たちは入り口へと移動。
メルシアと顔を見合わせ、せーのでガラス扉を解放。
「お待たせいたしました。イサギ販売所の開店となります」
「「いらっしゃいませ!」」
メルシアとノーラが開店の声をあげ、店員たちが歓迎の声をあげて入り口で出迎えた。
なんだか自分の名前が入っていると恥ずかしい。
販売所の扉が開くと、外で待っていた村人たちが一斉にフロアに入ってくる。
幸いにして販売所はとても広く余裕もあるので、入場制限をかける必要はないだろう。
入ってきた客たちは販売所の雰囲気を楽しむように視線を巡らせ、陳列棚に並んでいる作物を思い思いに眺める。
並んでいた客がフロアに収納されると、出迎えていた店員たちはそれぞれの定位置に戻ったり、客への接客を始めていた。
店員も村人なのでお客である村人も気軽に質問したりしている。とてもいい雰囲気だな。
「開店おめでとう!」
フロアの様子を見守っていると、メルシアの母であるシエナに声をかけられた。
「お母さん」
「俺もいるぞ」
「見ればわかります」
娘に素っ気なく扱われて、ちょっと悲しそうな顔をする父であるケルシー。
ただ、父さんって呼んでほしかったのだろうな。
親から巣立ってしまった子供というのは、こんなものなのかもしれない。
「イサギ君、かなり賑わっているようだな」
「はい。想像以上の来店客に驚いています」
うちの大農園と村人の間では売買などが日常的に行われているので、販売所に関してそこまで大きな注目を集めないのではないかと思ったが、俺の予想は大きく外れて初日から賑わっている。
「立派な建物をしており、商品の品揃えが豊富ということも大きな要因だが、一番はイサギ君が築き上げてきた信頼があってこそだと思うぞ」
「……ありがとうございます」
ケルシーの賞賛に俺は目頭が熱くなるのを感じた。
「ねえ、イサギ君。この大きなイチゴはなにかしら?」
シエナが指さしたのは、握りこぶしほどの大きさをしている角ばったイチゴだ。
「ああ、それはロックイチゴです」
「聞いたことのない品種だわ」
「レムレス帝国にあるロックイチゴに品種改良を加えたものです」
これは俺が同時に品種改良を加えたものだ。
「へえー、結構値段が張るのね」
通常のイチゴが銅貨三枚なのに対し、ロックイチゴは銅貨八枚。値段の差に呻いてしまうのも無理はない。
「ロックイチゴの成育には魔力が必要になります。ただ魔力を込めればいいというわけでなく、その日の状態を見て、繊細な魔力込めが必要となるのでイサギ様しか作ることができません」
「なるほど。育てるのが難しくて手間のかかるイチゴなのね」
メルシアの丁寧な説明をざっくりとまとめてしまうシエナ。
簡単に言うと、そういうことになる。
「高いけど、それに相応しい美味しさがあるってわけよね?」
「そう自負しております」
「じゃあ、買っちゃうわ」
「ありがとうございます」
しっかりと頷くと、シエナはお買い物バッグにロックイチゴを入れてくれた。
きっと食べてくれればシエナは喜ぶに違いない。
そう思えるほどに品種改良した果物の味には自信があるからね。
「ところでさっきから気になっていたのだけれど、あっちのスペースはなんなの?」
ロックイチゴをバッグに入れてほどなくすると、シエナが尋ねてきた。
彼女の指さした先には、イスとテーブル、ちょっとした販売用のカウンターなどがあるが、仕切りで区切られているためにお客は入ることができない。
「あっちは農園カフェのためのスペースですね」
「農園カフェ?」
「大農園で収穫した作物を使った料理やお菓子、飲み物などを提供するカフェのことです」
「え! いいじゃない! すぐにでも開いてほしいわ!」
などと農園カフェの説明をすると、シエナが近づいてきてガッシリと肩を掴んできた。
「農園カフェを開くの? いいわね! とても素敵だわ!」
「開店したら毎日通うかも!」
それだけじゃなく、フロアで買い物に勤しんでいた他の女性たちもゾロゾロと集まってきてそんな声をあげた。
「そんな大きな声で話していたわけじゃないのに、なんでこんなに!?」
「獣人であれば、フロア内にある会話のすべてを聞き分けることも可能です」
驚く俺の隣でメルシアが冷静に説明してくれる。
恐るべし獣人の聴覚。
反対側の方にいた女性まで、わざわざこっちにまでやってくるなんて異常な食いつきだ。
「えっと、あくまで予定であって、まだ目途も立っていないんですが……」
「なら急いで!」
将来的にやれたらいいなと考えているだけで、今のところいつ開店させるかなんてことはまったく考えていなかっただけに強い要望に驚いてしまう。
「どうしてそんなに急いでいるんですか?」
「こんな田舎だと飲食店なんてほとんどないから、皆で気楽に集まれる場所もないじゃない? 私たちもオシャレなカフェで美味しい料理を食べながらお喋りとかしたいのよ」
シエナの言葉に後ろにいる女性たちが深く同意するように頷いた。
女性たちから数多の視線が飛んでくる。とても圧が強い。
それほどプルメニアの女性にとって農園カフェは悲願のようだ。
助けを求めるようにケルシーに視線をやると、彼はぷいっと視線を逸らした。
特に夫として妻を諫めたり、村長として俺に助け舟を出すつもりはまったくないらしい。
「では、皆さまのご要望にお応えして、早急な農園カフェの開店を目指します」
販売所の開店日に、もっとも強い盛り上がりを見せた瞬間だった。
販売所が好調なスタートを切った中、俺は悩んでいた。
それは開店初日に約束してしまった農園カフェの開店を急ぐというものである。
「うーん、どうしようかな……」
シエナや村の女性たちの勢いに押されて約束してしまったものの、まったく開店の目途は立っていない。
販売所の店員を回すことで稼働できるものなのか? いや、開店してすぐに異動させるようなことはしたくないし、そもそも農園カフェで必要とされるスキルは従業員とは異なる。
とても販売所の営業をやりながら片手間でこなせるものだとは思えない。
「イサギ様」
「あっ、メルシア! ごめん、考えごとをしていて気付かなかったよ」
ふと気が付くと、工房にメルシアが入ってきていた。
律儀な彼女がノックをしないなんてことはあり得ないので、俺が生返事をしてしまったのだろう。
「考えごととは農園カフェのことですか?」
「うん。どうしたものかなーって」
「無理に開店を急ぐ必要はないのでは?」
「ええ?」
「ただでさえイサギ様はやることが多忙なのです。無理に仕事を増やし、手を広げる必要はありません。別に断っても問題ありませんよ。母さんと村の女性たちには私が言っておきますので」
そんな風に言ってくれるのは、農園カフェの発端が母親であるシエナという責任感なのかもしれない。
「メルシアの言うことは正しいと思う。でも、やっぱりあんなに熱望されたら応えてあげたいなーって思っちゃったんだよね」
自分でも効率の悪いことをしている自覚はあるが、あれほど強い想いを受け取ってしまうとそれに応えたいと思う自分がいるのだ。
たとえ、それで自分が苦労することがわかっていても、やりたいと思える自分が。
「イサギ様は優し過ぎます」
「そうかな?」
「はい。ですから、そんなイサギ様が過労で倒れてしまわないように私もお手伝いいたします」
「いつもありがとう」
「いえ、私はイサギ様のメイドであり、助手でもありますから」
礼を告げると、メルシアが誇らしげに微笑んだ。
いつも通りのクールさを保っているが、よく見ると頬のところがちょっと赤い。
なんだかんだ照れくさかったのかもしれないな。
「で、イサギ様は農園カフェを開店するにあたって、何をお悩みになっているのですか?」
「やっぱり、料理人かな」
農園カフェでは大農園で収穫した作物を扱った料理を提供する。
その目的は召し上がってもらったお客に、大農園の食材の良さを知ってもらうことだ。
「メルシアに作ってもらうわけにもいかないしなぁ」
「過分な評価を頂けるのは嬉しいですが、私の実力では販売所への購入に繋げるには足りないかと」
首を横に振っているメルシアだが、尻尾がご機嫌そうに左右に揺れているのが可愛い。
「そうかな?」
「仮に一般的な料理は作れたとしても、イサギ様が改良した一点ものの食材は扱い切れません。そちらに関しては専門的な調理スキルと知識、経験に裏打ちされた対応力が必要かと」
大農園で生産している作物の中には、メルシアにプレゼントしたブドウのように俺が時間と手間をかけて調整しているものがある。
そういったものは普通のものとは特性が大きくかけ離れているために、既存の調理の仕方では美味しく味わうことができないのだ。
「でも、農園カフェにそこまでのレベルが必要かな?」
「これから先、大農園は益々発展していき外部から多くの人がやってくることになりますので、そういった名物があるとより賑わうかと」
「なるほど」
メルシアの言う通り、プルメニア村に訪れる人は増加している。
商人のコニアがやってきて、獣王のライオネルまでもやってきた。これからも外からたくさんの人が訪れるだろうし、賓客がやってきてもおかしくはない。
「調理スキルの高い料理人は絶対必要として、後はどうやって調達するかだね。メルシアに宛はある?」
「ありません。が、調達できそうな人物なら心当たりがあります」
「お! 誰かな?」
「もう間もなくやってくる頃かと」
「……?」
メルシアの言葉に首を傾げていると、ほどなくして工房の扉がノックされた。
「こんにちはー! ワンダフル商会のコニアなのです!」
●
「販売所が稼働していたのですね! フロアがとても綺麗な上に品数もとても豊富で驚きました!」
応接室のイスにちょこんと腰掛けたコニアが興奮したように言う。
どうやらここにやってくる前に販売所の様子を見てきたようだ。
「ありがたいことに村人たちがよく買いにきてくれています」
「となると、私も今後はあちらで取り引きした方がいいですかね?」
「定期売買はあちらでやってくださると助かりますが、コニアさんに個人的な買い物を頼みたい時もありますし、情報交換もしたいので遠慮せずこちらに顔を出してくださると嬉しいです」
「嬉しいのです! メルシアさんの出してくださる紅茶は、とても美味しいので楽しみなので!」
ちょうどメルシアが、差し出したティーカップを嬉しそうに両手で持ち上げるコニア。
にっこりとした笑みを浮かべるコニアに、メルシアは微笑む。
「あ、もちろん、イサギさんとの会話も有益なので大好きなのですよ」
「光栄です」
付け足したようなコニアの言葉に思わず苦笑するが、商人との関係は互いに利益があってこそだ。
ハッキリとした物言いだけど変に持ち上げてきたり、迂遠な物言いをしないので帝国にいた時よりも遥かにやりやすい。
「コニアさんに相談があるのですが、聞いていただけませんか?」
軽い近況の会話が終わったところで俺は本題を切り出した。
「私で力になれるかはわかりませんが、ひとまずお聞きするのです」
ティーカップをソーサーの上に置いたコニアに、俺は農園カフェについての説明や、必要な料理人のことを話す。
「……なるほど。それでしたらワンダフル商会と契約している料理人を二名派遣するのです!」
一通り説明が終わると、コニアがきっぱりと言った。
自分から相談しておきながら、想像以上にあっさりとした返答に困惑する。
プルメニア村も賑わってきたとはいえ、獣王国の端にある田舎だ。
商会と契約しているような料理人が果たしてやってきてくれるものなのだろうか?
それは否だ。商人である以上、コニアはプロの料理人を派遣するに値する対価を求めている。
「条件はなんでしょう?」
「話が早くて助かるのです。イサギさんの作ったミキサーという魔道具をうちの商会に売ってほしいのです」
「ミキサーですか?」
農園カフェの説明で、ミキサーで作った野菜ジュースやフルーツジュースを振る舞うと言っただけなのに、そこまで食いつくとは思わなかった。
「はい! あれは間違いなく売れるのです! ぜひ、ワンダフル商会で売り出していければと! 希望としてはまずは五十台ほどで、好調なら追加で五十か百は欲しいのです!」
「そんなにですか!?」
宮廷時代ならともかく、個人の注文でそれほどの数の魔道具を生産するのは初めてだ。
「難しいです?」
「いや、あれは複雑な造りをしていないのでそれくらいなら可能です」
「あくまでイサギ様にとっては……という注釈がつきますが」
控えていたメルシアがそっと口を挟む。
そうなのだろうか? あまり他の錬金術師についてよく知らないので特別なのかわからないな。
「しかし、ミキサーがあるとはいえ、料理人は納得してきてくれますかね?」
条件として提示したとはいえ、それで商会と契約している料理人がモチベーションを持って取り組んでくれるかが気になる。
農園カフェも客商売。
腕がいいとはいえ、接客に難があったり、態度が悪かったりすると困る。
農園カフェは大農園の食材の良さを知る場所であり、訪れた人にとっての憩いの場であってほしいので、そこはどうしても譲れない。
「確認なのですが農園カフェで働くことになる料理人は、大農園の食材を好きに扱うことができるのですよね?」
「ええ、大農園と農園カフェは提携しているので可能な限り食材を供給しますが、それが魅力になるのでしょうか?」
「イサギさんはご自身の作り出した作物への認識が低いと見えます。今や大人気のイサギ大農園の食材を好きに扱えることは獣王国の料理人にとって憧れなのです!」
「そ、そうなのですか? うちの食材がそこまで……?」
「はい。通常の食材とは比べ物にならない品質ですからね。料理人がそれらを使って存分に力を振るいたいと思うのは当然かと思うのです」
うちの大農園の食材を褒めてくれ、良い物だと思ってくれるのは嬉しいが、そこまでの評価を受けているとは思わなかった。
「錬金術師にたとえると、高品質な素材が使い放題で調合し放題の場所があると考えるとわかりやすいのではないのでしょうか?」
「それは最高だ。行きたくなる」
メルシアのたとえ話を聞くと、妙にしっくりときて納得できた。
そんな場所があれば、世の錬金術はどんな辺境だろうと向かうに違いない。
「さらにイサギさんが特別に調整を施している食材を扱うことができるのも大きな魅力なのです!この先イサギ大農園の食材が広まるにつれて、その調理技術の需要は高まるでしょうから!」
堂々と胸を張り、鼻息を漏らしながら言うコニア。
かなり長期的な利益を見越しての承諾のようだ。
どうやら今回の相談はワンダフル商会やその料理人にとっても利益のあるものらしい。それならこちらとしても遠慮する必要はないな。
「では、料理人の派遣をお願いします」
「任せてくださいなのです!」
俺とコニアはにっこりと笑みを浮かべて握手する。
こうして農園カフェ最大の障壁である、料理人確保の目途はついたのだった。
笑みを浮かべてコニアと握手すると、料理人派遣についての細部を詰めることになった。
「イサギ様、コニアさんが農園カフェの料理人を連れてまいりました」
コニアに料理人の派遣を頼んで二週間。
工房で頼まれていたミキサーを作っていると、メルシアがノックしながら言った。
早速、コニアは料理人をプルメニア村に連れてきてくれたらしい。
「わかった。ミキサーの処理を終わらせたら行くよ」
「かしこまりました。応接室でお待ちしております」
メルシアの気配が終わると、俺は最後のミキサーにブレードを取り付けて蓋をした。
無属性の魔石をはめて、魔力を流すとしっかりとブレードが回転することを確認。
最後にミキサーの表面にワンダフル商会の紋章を刻み込むことで完成だ。
「うん、これで五十台目が完成だ」
農園カフェの準備をしていたせいでかなり遅れてしまったが、ちょうどコニアがやってくるタイミングで完成させることができたようだ。
工房内にあるすべての五十台のミキサーがしっかりと稼働することを確認すると、俺はすべてをマジックバッグへと詰めて応接室に向かった。
「遅れてすみません」
「いえいえ、突然やってきたのはこちらなので気にしていないのです」
応接室に入ると、コニアがティーカップを優雅に傾けていた。
傍らには茶色い髪に垂れ耳をした犬獣人の男性と、桃色の髪を肩口で切り揃えた犬獣人の女性が座っている。
どちらも真っ白な料理人服を身に纏っている。恐らく彼らがコニアの連れてきてくれた料理人だろう。
「そちらのお二方がコニアさんの連れてきてくださった料理人の方ですか?」
「そうなのです! さあ、自己紹介をお願いするのです!」
コニアが言うと、二人の料理人とイスからスッと立ち上がった。
が、垂れ耳の勢いをつけ過ぎてしまったのかテーブルの端に足を打ち付けてしまった。
ガンッとテーブルから音が鳴り、その上に乗っているティーカップやらお茶請けのお皿が震えた。
「わ! ごめんなさい!」
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です!」
心配の言葉をかけると、男性は恐縮したように頭を下げた。
外見に見合わず、気は小さいようだ。
隣の女性はドンくさいものを見るような冷たい目をしている。
男性がこんな風にやらかすのはいつものことなのかもしれない。
改めて男性が立ち上がる。
デカいな。座っている時から高身長だと思っていたが、立ち上がっている姿を見るとさらに大きく見える。隣に立っている女性が小柄だというのもあるが、それを抜きにしても大きい。
「獣王都にある『ワンダーレストラン』からやって参りましたダリオと申します。よ、よろしくお願いします!」
「……同じく『ワンダーレストラン』からやってきましたシーレです。よろしくお願いします」
「『ワンダーレストラン』ですか!?」
ダリオとシーレの自己紹介を聞くなり、控えていたメルシアが驚きの声をあげた。
「メルシア、そのレストランはそんなにすごいのかい?」
雰囲気からしてすごいっぽいレストランなのだが、俺は獣王国出身ではないのでどのくらい人気なのかまったくわからない。
「獣王都にある高級レストランの一つです。予約しようにも一年は待たされるほどに人気だとか」
「え? 本当に?」
「本当なのですよ! ワンダーレストランはワンダフル商会が出資しているレストランなので、これくらい造作もないのです!」
尋ねると、コニアが薄い胸を張って堂々と答えた。
名前が似ていることから何となく察していたが、ワンダフル商会とワンダーレストランの繋がりは密接なようだ。
だとしても、高級レストランレベルの料理人がくるなんて思っていなかったので驚きである。
「はじめまして、錬金術師であり大農園の管理をしていますイサギと申します」
「ダリオとシーレは幼い頃からワンダーレストランで修行しており、真面目なだけでなく調理の腕も保証できるのです。きっと、農園カフェの開店の役に立つのです」
「……えっと、本当にいいのですか?」
「なにがです?」
「二人は有名なレストランで働く期待の料理人じゃないですか。人の少ない場所で農園カフェの営業をしてもらうのが申し訳ないなーっと思って」
言えば、ダリオとシーレは歴としたところでキャリアを積んだエリートだ。
そんな二人がこんな田舎で働いてもらってもいいのだろうか。
「そんなことはありません! これは僕たちが望んで選んだ道です!」
「そうなんですか?」
「ここの大農園の食材を食べた時に感動しました。今まで扱っていた食材と同じでも、まさかこんなにも違いがあるなんて思いもしなくって。それと同時にこの食材の美味しさを、自分で表現したいと思ったんです」
「こちらの食材を扱えることは私たちの料理人生においてかけがえのない経験になると思っています。ですから、イサギさんがそのような心配をする必要はありません」
大きな声で熱い想いを語るダリオと、淡々としながらも瞳の奥にある炎を燃え上がらせているシーレ。
どうやら二人がきちんと考え、目標を定めた上でここにやってきてくれたらしい。
だとしたら、これ以上変に心配するのは彼らにとって失礼だろう。
「わかりました。では、改めてお二人を歓迎いたします。これからよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします!」
改めて手を差し出すと、ダリオが両手で包み込むようにしながら大声で返事した。
うん、君は声がデカいや。
「コニアさんもご紹介していただきありがとうございます」
「気にしないでほしいのです。それよりも頼んだミキサーの方はできるだけ早くお願いするのです」
改めて連れてきてくれたコニアに礼を言うと、彼女が念を押すように頼んできた。
「ああ、それなら既に完成させてありますよ」
「はえ? たった二週間なのですよ? いくらイサギさんでも魔道具を五十台も用意するのは無理なのでは?」
コニアが間抜けな声をあげる中、俺はマジックバッグからミキサーを取り出した。
「無理じゃありませんよ。こちら注文してくださったミキサー五十台分です」
「ひゃええええ! もうできたのですか!? しかもひとつひとつにうちの商会のマークが入っているのです!」
ミキサーを確認する中、コニアは俺の施したサービスに気付いてくれたようだ。
「そちらは特別サービスですよ。いつもコニアさんにはお世話になっているので」
こういう施しをするのなら追加料金をちょうだいするのだが、コニアには大農園の立ち上げの助言をしてくれたり、今回のようにすぐに料理人を確保してくれたりと恩があるからな。
「わー! ありがとうなのです! イサギさん!」
商会マークの入ったミキサーを胸に抱いて、コニアは子供のように喜んだ。
●
「こっちの区画が農園カフェの営業予定場所になっています」
ダリオ、シーレとの顔合わせが終わると、俺たちは販売所にやってきていた。
こちらは二人たっての希望で職場となる場所を見ておきたかったのだろう。
「思っていたよりも広いですね」
「これなら思っていた以上に色々なことができそう」
農園カフェのスペースを見て、ダリオとシーレが感心したように呟く。
田舎にあるカフェなので、もっとこじんまりとした職場をイメージしていたのかもしれない。
いい意味で期待を裏切れたようで嬉しい。
「販売所の方に食材がたくさんありますね!」
「あっちを見ると、あっという間に時間が終わるから今日は内装」
「……はい」
明らかに販売所の食材を見たそうにしているダリオだが、シーレにそう言われて肩を落とした。
ダリオの方が明らかに年上であり強そうなのだが、力関係はシーレの方が上のようだ。
不思議なコンビだ。
「イサギさん、少しいい……ですか?」
見守っていると、シーレが声をかけてきた。
言葉が詰まっていることから、あまり敬語を使うことに慣れていないらしい。
「いつもの口調でも結構ですよ」
相手に敬意を持つことは大切だが、込み入った話をする際は邪魔になる。
誤解なくやり取りをするために、それを取っ払うことを俺は気にしない。
もともと、そこまで敬語を気にするタイプでもないしね。
「……後でコニアさんにチクったりしない?」
「しませんよ。というか、あの人ってそんなに偉い立場なんです?」
この場にいないコニアのことを気にする意味が気になった。
「知らないの? ワンダフル商会にいる五人の幹部のうちの一人だよ」
「……そんなに偉い人だとは思っていませんでした」
ワンダフル商会は獣王国の中でもかなり大きい商会だとメルシアに聞いた。
そんな大商会の重役のポジションに収まっているとは思わず、絶句してしまった。
「まあ、コニアさんのことはおいておいて農園カフェの内装についての話。どんな風にしたいか要望はある?」
「清潔感があり、販売所の雰囲気を壊さず、お客さんがリラックスできる場所になればいいと思っています」
「なるほど」
俺が要望を伝えると、シーレはカウンターに画用紙を広げ、ペンでなにかを書き始めた。
「こういうイメージはどう?」
シーレの提示した画用紙には、農園カフェのイメージとなる内装がイラストとして描かれていた。
自然素材を生かしたナチュラル系デザインである。
販売所の内装と非常に合っている。
実際に農園カフェが開店した時のイメージを想像すると、自然と溶け込んでいるように思えた。
「はい! まさにそんな感じです! というか、イラストがお上手ですね!」
「……食材や料理のスケッチをしていると、ある程度は描けるようになる」
錬金術師も素材を覚えるためにスケッチすることがある。
料理人とは、そういうところが似ているなと思った。
「必要な調理器具、食器、家具についてはワンダフル商会から仕入れても構わない?」
「構いませんが、家具と魔道具に関してはできるだけ俺が錬金術で作ったものを活用してくださると助かります」
調理器具や食器については仕方がないし、ありがたいことにコニアが割引を申し出てくれている。
大農園が潤っているお陰で資金については余裕があるが、だからといって大胆に使えるわけじゃない。必要なところにお金をかけ、節約できる場所については節約するべきだ。
「こういうL字のカウンターを作ることってできる?」
「大まかにであれば、すぐにできますよ」
俺はマジックバッグから木材を取り出し、錬金術を発動。
シーレの描いてくれたL字カウンターのように変質させた。
出来上がったL字カウンターに近寄ると、まじまじと見つめながら手で触れるシーレ。
「イメージ通り。なるほど、これならわざわざ商会に家具や魔道具を発注する必要はなさそう」
どうやら彼女の期待に応えることができたようで安心した。
「他に要望はある?」
「さっき言ったことを守ってくだされば特に注文をつけるつもりはありません。お二人の働きやすいようにしてくださればと」
「つまり、それ以外は僕たちの裁量で内装を決めていいってことですか!?」
気楽に丸投げしてみると、傍で話を聞いていたダリオが食いついてきた。
「そういうことになりますね」
頷くと、シーレとダリオの目が強く輝いた。
「やった! じゃあ、私の好きなようにする!」
「ズルいですよ、シーレさん! 俺にも店の内装を考えさせてください!」
ある程度の裁量を持って自由に内装をいじれるのが嬉しいのだろう。
俺もプルメニア村にやってきて、自由に家を改造し、工房を作っていいと言われた時はワクワクしたのですごく共感できた。
嬉しそうに話し合う二人を見ていると微笑ましくなるのであった。
●
「二人とも今日はもう遅いし、このくらいにしておこうか」
「それもそうですね」
いつの間にか太陽の光がすっかりと赤く色づいている。
フロアにいたお客たちもすっかりと姿を消しており、店員たちが店仕舞いの準備をしていた。
一斉に立ち上がって帰る準備をする中、シーレが「あっ」と間の抜けた声を漏らした。
「そういえば、私たちってこれからどこで寝泊まりするの?」
あっ、二人の生活場所についてすっかり忘れていた。
うちに泊めるか? ダリオはともかく、シーレは女性だしそれは良くない気がする。
「お二人が寝泊まりする場所については、販売所にある二階のお部屋をご用意させていただいております」
どうしようかと迷っていると、ひょっこりとメルシアが姿を現せた。
「本当ですか!?」
「ここに泊まれる部屋があるんだ」
「ただいまご案内いたしますね」
メルシアの後ろを付いていって階段を上ると、そこにはいくつかの私室がある。
そのうちの二つの扉を開くと、室内にはテーブル、イス、ベッド、本棚、ソファーなどのある程度くつろげるだけの環境が整っていた。
「こんなに広い部屋を好きに使ってもいいんですか?」
「どうぞ。お好きなように使っていただいて構いません」
メルシアが頷くと、ダリオとシーレは上機嫌な様子で部屋に入っていった。
販売所の倉庫兼、従業員が寝泊まりできるように広めの部屋を作ってはいたが、生活できるような準備は整えていなかった。
二人の生活場所を考えて、メルシアがなにからなにまで用意してくれたのだろう。
「助かったよ、メルシア。農園カフェのことに夢中で二人がどこで生活するなんてまったく考えてなかったからさ」
「そういったところを補佐するのが私の仕事なのでお気になさらず」
礼を告げると、メルシアがにっこりと微笑みながら言う。
なんて気遣いのできるメイドなんだろう。本当にメルシアには頭が上がらないや。
「ねえ、ここには厨房ってある?」
「一階の従業員フロアの奥に簡易的なものがありますが……」
チラリとメルシアの視線がこちらに向いた。
使用の許可については俺の判断にゆだねるということだろう。
料理人の二人にとって料理とは生活の一部。農園カフェが開店するまでに自由に厨房を使えないのは不自由だろう。
「ダリオさんとシーレさんなら好きに使っていいですよ。ただし、きちんと戸締りや後片付けの方をお願いします」
「ありがとう。本当に助かる」
「使う前よりも綺麗にする! 料理人の鉄則ですからね!」
真面目なシーレとダリオであれば、厨房を汚したりすることはないだろう。
他の従業員もあまり使っていないことだし、遠慮なく使ってほしい。
「イサギ様、浴場についてはどういたしましょう?」
「どうせなら販売所内に作っちゃおうか」
「「はい?」」
俺の言葉を聞いて、ダリオとシーレがなぜか間抜けな声をあげた。
販売所の一階には農作業で付着した土や泥を落とせるように洗い場を作ってあるのだが、どうせなら身体を丸ごと洗いたいという要望がネーアをはじめとする数人の従業員から要望が入っていた。
せっかくだし、これを機会に浴場へと変えてしまおう。
俺は一階にある従業員区画にある裏口へ向かう。
作業が気になるのか、後ろにはメルシアだけじゃなく、ダリオやシーレもいる。
見ていて楽しいものになるかはわからないが、錬金術師がどんなことをできるのか理解してもらうのは悪いことではない。
気にしないことにして外に出ると、手足を洗うことのできる小さな洗い場がある。
大農園の作業で手足や靴、衣服などを汚してしまった時は、ここの洗い場で汚れを落としている。簡単に汚れを落とすだけなら外でもいいが、裸で湯船に入る以上は外から丸見えにするわけにはいかない。
俺はマジックバッグから木材を取り出すと、錬金術で変質、変形させて丸太小屋を組み立てた。
「う、うわわわ! 木々が勝手にくっ付いてく!」
錬金術で家を作る光景を見るのは初めてだったのか、ダリオが驚きの声をあげた。
彼の新鮮な反応にクスリと笑いつつ、俺は作り上げた丸太小屋の内装をいじっていく。
脱衣所を作ると、浴場に大きな湯船を錬金術で作る。
浴場や湯船からお湯を排水できるようにパイプを繋げると、最後に温水の出る魔道具を設置。
魔力を注ぐと、魔道具からお湯が流れて湯船に溜まっていく。
「うん、こんなものかな!」
温度を確認してみると、大体四十度くらい。
個人によって温度の好みはあるが、標準的な温度のお湯が出ていると言えるだろう。
浴場を作り上げると、ダリオとシーレがポカンとした顔になっていた。
もしかして、即興で作ったが故にクオリティの低さに呆れてしまっているのだろうか。
「すみません。急いで作ったせいでこんなに低いクオリティで。明日にはきちんと手を入れて、もっと使いやすいものにするので今日はこれで勘弁を……」
「いやいや、どうしてそうなるんですか!? むしろ、その逆ですよ! 一瞬で立派な浴場ができてしまったので驚いちゃいました!」
「……もしかして、イサギさんってすごい錬金術師?」
宮廷錬金術師であれば、胸を張ることもできたのかもしれないが、生憎と解雇されてしまった身だ。
すごい錬金術師と言われると、首を傾げざるを得ないだろう。
「はい、その通りです」
どう答えるか迷っていると、控えていたメルシアが何故か誇らしげに答えた。
翌朝、俺とメルシアはダリオとシーレを大農園に案内することにした。
工房を出て、販売所の前までやってくると、既にダリオとシーレは準備を整えて待っていた。
「おはようございます!」
「おはようございます」
近寄ると、ダリオが大きな声で挨拶をしてくれた。
とても元気なのはいいが、もうちょっと声量は抑えてもらいたい。
だけど、本人に悪気がないだけにちょっとだけ言いづらかった。
シーレはダリオが大声を出すことを予期していたのか、両耳を手で覆って守っている。
しれっとこういうことができる辺り、世渡りが上手なのかもしれない。
昨日は二人とも料理人服だったが、今日は動きやすい私服へと変わっている。
大農園の見学に向かうためだろう。こうして私服姿を見ると、プルメニア村の村人に溶け込んでいるように見えて微笑ましい。
「昨日はよく眠れたかい?」
「はい、お陰様でぐっすりと眠れました!」
「久しぶりにきちんとしたベッドで眠れたし、お風呂も用意してくれたから」
ダリオとシーレの顔色はすこぶる良い。お世辞などではなく、ゆっくりと身体を休めることができたようだ。
「それはよかった。早速、大農園に向かおうか」
「お願いします!」
雑談もほどほどに切り上げて、ダリオとシーレと合流すると俺たちはそのまま大農園へ。
とはいっても、販売所のほぼ目の前なのですぐに到着となる。
柵扉を解錠すると、入ってすぐ傍のところにある厩舎に向かった。
厩舎といっても馬が飼育されているわけではない。俺が錬金術で作り上げたゴーレム馬がズラリと並んでいる。
「これは?」
「ゴーレム馬です。園内はとても広いので、これを使って移動します」
実演するために俺がゴーレム馬に跨ってみせ、メルシアがゴーレム馬の扱い方を二人に説明すると、それぞれがゴーレム馬に跨り、走らせ始めた。
「これ、すごく楽しい」
「う、うわわわわわっ!」
シーレは難なくとコツを掴んで適度な速さでゴーレム馬を走らせたが、ダリオは明らかにスピードの出し過ぎだった。
「ダリオさん、右足のペダルを踏み込み過ぎです。落ち着いて右足の力を緩めるか、ゆっくりと左足のブレーキを踏み込んでください」
などとアドバイスを送るが、ダリオはすっかりと慌ててしまっているのかとても実行に起こせる状況ではなかった。
近づいて止めようにもダリオが強くペダルを踏み込んでいるために、迂闊に近づくことができない。ヘタをすれば、猛スピードで駆け回るゴーレム馬に跳ね飛ばされることになるだろう。
そんな中、傍にいたメルシアがダリオのゴーレム馬へと近づく。
「メルシア、危ないよ!?」
「心配はいりません、イサギ様」
俺の声にメルシアは平然と答えると、駆け寄ってくるゴーレム馬を前にして跳躍。
暴走状態になっているダリオの後ろに飛び乗ると、ダリオの足を蹴って退かし、的確な力加減でブレーキを踏んだ。
すると、ゴーレムの馬のスピードが落ちて、ゆっくりと停止した。
「……なに今の?」
「シーレさんでもああいうのはできたりします?」
「いや、無理だから」
「ですよね」
同じ獣人だからといって、メルシアのような身のこなしができるわけではないようだ。
薄々と思っていたが、やはりメルシアの身体能力は獣人の中でも別格のようだ。
「お怪我はありませんか?」
「お陰様で無事です。あ、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げるダリオの姿に怪我らしいものはなくて安心した。
従業員や村人も含めて、あっさりとゴーレム馬を乗りこなしていたものだから油断した。
中には操縦が苦手な人もいるだろうし、しっかりと配慮しないとな。
「ダリオは鈍くさいから、こういうのに乗らない方がいい」
「……うっ」
シーレのハッキリとした物言いにダリオはショックを受けているようだが、自覚があるのか反論はしなかった。肩を落とし、尻尾がへにゃんとしている。
「ひとまず、ダリオさんは俺の後ろに乗りましょうか」
「ぜ、ぜひ、そうさせてもらえたらと……」
先ほどの暴走でゴーレム馬が少しトラウマになったのだろう。
ダリオは頷くと、俺のゴーレム馬の後ろに跨った。
「その方法がありましたか……ッ!」
そんな光景を見て、メルシアが衝撃を受けたような顔で呟いた。
「どうしたの、メルシア?」
「いえ、なんでもありません」
尋ねてみたがメルシアは回答を濁し、自らのゴーレム馬に乗り込んだ。
まあ、別に気にするほどのことでもないか。
「それじゃあ、大農園の中を案内するので付いてきてください」
準備が整うと、俺はペダルを踏み込んでゴーレム馬を走らせる。
続いてシーレがゴーレム馬を走らせ、その後ろをメルシアが付いてくる。
しばらく道を進んでいくと、大農園の野菜畑が広がった。
「うわあ、すごい……ッ! 食材がこんなにもたくさん!」
「こんなにも広い農園は初めて」
真後ろからダリオとシーレの感嘆の声があがった。
料理人である二人から褒められると嬉しいものだ。
「こちらは大農園の野菜区画となります。錬金術で品種改良された様々な野菜が栽培されています――なんて概要を説明するより実際に近くで見てもらった方がいいですね」
「なんかすみません」
まずはザッと農園全体を回ろうと思ったが、ダリオから近くで見たいというオーラを感じ取ったのでここらで降りることにした。
意思を汲み取ると、ダリオが恥ずかしそうにしながら頭を下げる。
あぜ道でゴーレム馬から降りると、目の前にはキュウリ畑が広がっていた。
青々としたキュウリの苗が空へと伸びており、形のいいキュウリがいくつも生っている。
「わっ、キュウリだ!」
「普通のキュウリよりも生っている数が遥かに多い」
「改良して、従来のものよりも収穫を増やせるようにしましたから」
「錬金術って、そんなこともできるのね」
とはいっても最初からできたわけじゃない。
研究を重ね、徐々に収穫できる量が増えるように試行錯誤したのだ。
今、育っているキュウリは最初に植えた苗よりも一・五倍くらい収穫量があるんじゃないかな。
とはいえ、まだまだイケる気がするんだよな。もっといい因子を組み込めば、二倍くらいの収穫量を目指せる気がする。
「あっ、イサギさんだ」
なんて思考の渦を漂っているとキュウリの葉や蔓をかき分けて、ネーアが姿を現した。
メルシアと仲が良い幼馴染であり、うちの農園の従業員だ。
今日のノルマである収穫作業をしていたのだろう。
「どしたの? 畑の視察?」
「いえ、農園カフェで働いてくださるお二人を案内しているところです」
「おお! ということは君たちがコニアさんの連れてきた料理人なんだ!」
ダリオとシーレを見るなり、ネーアが人懐っこい笑みを浮かべた。
「はじめまして、ダリオといいます」
「シーレです」
「はじめまして! あたしはネーア! よろしくね!」
「「よろしくお願いします」」
「お、おお。なんだかキッチリしてるね」
キッチリと挨拶をするダリオとシーレにやや驚き気味のネーア。
前の職場では上下関係に厳しかったのかもしれない。
「農園カフェが開いたら、二人にはぜひとも美味しいランチやお弁当を作ってもらいたいな!」
「ランチはわかりますが、お弁当が充実するとネーアさんは嬉しいのですか?」
「うん! もちろん、店に行ける時は店で食べるけど、農作業なんかをしているとそんな余裕がない時もあるからね。自分で作れたらいいんだけど、あたしは料理が苦手だし、そもそも朝が早いお弁当を作る気にもならないから」
少し気恥ずかしそうにしながら生活事情を語ってくれるネーア。
基本的に作業が安定しているうちの農園だが、たまに収穫期がいくつも重なってしまう場合がある。そういった時にゆっくりと農園カフェまで足を伸ばすことは難しい。仮にできたとしても、作業が押している中ゆっくりとくつろぐのは心理的に難しいに違いない。
サッとお弁当を取り出して、すぐに食事できる方が望ましいだろう。
「お弁当販売は盲点でした。貴重なご意見をありがとうございます」
「役に立ったならよかったよ。それじゃあ、あたしは作業に戻るから」
ダリオとシーレに頭を下げられ、ネーアはあっさりと収穫作業に戻った。
多分、ちょっと気恥ずかしかったんだろうな。
そんなネーアの心中をメルシアも察していたのか、クスリと笑っていた。
「ネーアさんの他にも従業員は四人ほどいますが、残りの方たちとはおいおい顔合わせができればと思います」
「四名? これだけ広いのにたった四名だけなんですか?」
「ああ、獣人の従業員が四名というだけで、実質的にはもっとたくさんの従業員がいますよ」
ダリオとシーレが小首を傾げる中、俺は畑の奥にいたゴーレムを呼び寄せた。
「これって、もしかしてゴーレムですか!?」
「はい、俺が錬金術で作った農作業用のゴーレムです。大農園の中には至るところにゴーレムがいて収穫作業を手伝ってくれているんです」
「こんなにも精緻な動きができるゴーレムは初めて見た」
錬金術師のことをあまり知らない二人でも、ゴーレムについての知識はあったようだ。
世間では錬金術師=ゴーレムを作れるみたいなイメージが大きいからね。
「獲れ立ての野菜です。味見でもいかがです?」
「ありがとうございます!」
「食べる」
ゴーレムが収穫していた籠を差し出すと、ダリオとシーレはひょいと手を伸ばしてキュウリを食べた。
「美味しい! こんなにも瑞々しくて、しっかりとした旨みのあるキュウリを食べたのは初めてです!」
「……曲がり、色むら、果形に一切の崩れがない。すべてがこの品質かと思うと恐ろしいわね」
キュウリを食べた瞬間、ダリオが感激し、シーレが真面目な表情で感想を漏らす。
高級レストランで働いていた料理人が、目の前でそう評価してくれると嬉しいもので、こちらとしても自信がつく。
「メルシアも食べる? 水分補給にもいいよ」
「いただきます」
籠から拝借した一本をメルシアに手渡し、俺もキュウリを食べる。
パリッとした小気味のいい音が響き、口内で豊富なキュウリの水分と旨みが弾けた。
瑞々しいながらもしっかりとしたキュウリの味がある。とても歯切れも良く癖も少ない。
ドレッシングなんて必要ないくらいの美味しさだ。
「うん、外で齧ると気持ちがいいね」
「暑くなってきた今の季節にピッタリです」
小さな口を動かしてポリポリと食べるメルシア。
可愛らしい耳と尻尾もあってか、なんだか小動物っぽいな。
「ここまで食材が良いと、もう手を加えないのが最上なんじゃないかって思うわね」
「わかります」
どこか遠い目をしながらしんみりと呟くシーレとダリオ。
「いや、それじゃ困りますよ?」
料理人が手を加えない方がいいなんて言ってしまうと、本当にどうしようもなくなってしまう。
「冗談。そこを何とかするのが私たちの役目だから」
「この美味しさをより活かせる料理を作ってみせます!」
先ほどの遠い目から一転し、シーレとダリオの瞳には熱い炎が宿っていた。
きっと、この二人なら美味しい料理を作ってくれる違いない。
二人の作った料理を食べるのが楽しみだ。