解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる


「イサギ! どうしたの!?」

「メルシアが俺を庇って負傷したんだ」

「――そんな!」

「と、とにかく、治癒ポーションで治療を――」

俺は急いでマジックバッグを漁ってポーションを取り出そうとするが、帝国からの魔法攻撃が続けて防壁に直撃した。

今度は近くで直撃こそしなかったものの激しい爆風が俺たちを襲う。

それと同時にまた大きな破砕音が響いた。

「マズい! 防壁にまた大きな亀裂が!」

防壁には内側から見てもわかるほどに大きな亀裂が入っていた。

それにより帝国も防壁を破壊するべく、亀裂部分を集中砲火しているらしい。

激しい魔法の雨が亀裂目掛けて降り注ぐ。

これ以上ここを守ることはできない。撤退という二文字が浮かび上がる。

しかし、その決断をするには遅かった。

真正面にある防壁の一角が崩れ落ちた。

どうやら帝国の破城槌によって派手に穴を開けられてしまったらしい。

それは一か所だけじゃなく、何か所も同時に穴を開けられてしまう。

その穴から数多の帝国兵が突入してくる。

「て、帝国兵が入ってきやがった!?」

防壁が破られてしまえば、俺たちは砦に籠るしかない。

「総員撤退! 砦に逃げ込んで!」

レギナが必死に声を上げて、獣人たちに指揮を飛ばす。

しかし、砦に籠ってしまえば、周囲を大勢の帝国兵に包囲されて逃げ場がなくなってしまう。四方八方から魔法を撃ち込まれて外から砦を壊されるか、圧倒的な兵力差によって蹂躙される未来しかない。

それでも獣王軍がやってくるという最後の希望を信じるしかない。それ以外に道はないのだから。

「イサギ! 早く下がって!」

俺は負傷しているメルシアを抱きかかえると必死に砦に向かって向かう。

ただ疲労していることもあってか、今の俺の体力では人を運ぶことすらままならない。

女の子一人さえ満足に運ぶことができないんだから情けない。

メルシアはあんなにと軽々と俺を運んでいたのに。本当にすごい。

俺がメルシアを担いでのろのろと撤退している間に後方からは帝国兵が迫ってくる。

「イサギさん! なにやってんだ!? 早くしろ!」

リカルドの言いたいことはわかる。

俺の下がる速度が遅すぎてこのままじゃ帝国兵に追いつかれるってこと。

レピテーションは人体に作用しない以上、メルシアを運ぶことはできない。

このままじゃ共倒れになってしまう。

だからといって俺の中にメルシアを置いていくなんて選択肢はあり得ない。

メルシアは俺を助けるために傷付いたんだ。そんな彼女を置いて一人だけ逃げるなんて男としてできるはずがない。だからといってこのまま俺が運んでいては共倒れだ。

たとえ俺だけが死ぬことになっても、メルシアだけは助ける。

「ウインド!」

俺はなけなしの魔力を振り絞って風魔法を発動。

目の前に発生した風はレギナの身体をふわりと持ち上げて前方へと飛ばした。

落下先にはこちらを心配そうに見るレギナがおり、彼女の腕の中にすっぽりと収まった。

怪我人を運ぶのに大変乱暴なやり方ではあるが、非常事態なので許してほしい。

「受け取ったわ!」

「早くイサギさんもこいよ!」

「ごめん。それは無理かも」

なけなしの魔力を使い切ったからか足からガクッと力が抜ける。

俺の身体が前のめりに倒れる。

自分の命の危機が迫っているというのに身体が言うことを聞いてくれない。

帝国兵がゆっくりと迫ってくる。どうやら俺はここまでのようだ。

でも、悔いはない。やるべきことはやったんだ。

漫然と迫りくる帝国兵を見つめていると、視界が急に曇った。

「王を差し置いてこんなところで昼寝とはいい身分ではないか、イサギ」

呆然と見上げると、そこには緑のマントを羽織った大柄な獣人が立っていた。

「ライオネル様?」

「お父さん!?」

「ああ、ようやく追いついたぞ!」

「遅いです!」

「どれだけ時間かけてるのよ! ホントに遅い!」

「なんか当たりが強くないか?」

俺とレギナの抗議を受けて、ライオネルが若干凹んだ様子を見せる。

それくらいこちらとしては大変だったのだ。俺もレギナも何度も死にかけたし、多少の文句には目を瞑ってもらいたい。

「これでも様々な工程を吹っ飛ばして急いでやってきたつもりなんだがなぁ」

獣王都からプルメニア村まで二週間はかかる道のりだ。

ライオネルが軍を編成して、ここまでやってくるのに時間がかかるのも仕方がないだろう。

「イサギ、ポーションを飲め」

「すみません。これ以上の服用は身体がもたないので」

「……そうか。無理をさせてしまってすまない」

ライオネルが治癒ポーションを渡してくれるが、俺はゆっくりと顔を横に振った。

ポーションに頼ることができない以上は、強化作物を口にし、自然回復に身を任せるしかない。

「とりあえず、目の前にいる奴等が帝国兵ということで間違いないな?」

「ええ、そうよ」

「俺たちよりも前に味方は?」

「いません」

「で、あれば派手に暴れてもいいということだな」

レギナと俺の報告にライオネルは不敵な笑みを浮かべる。

突如として目の前に現れた獣人を前にして帝国兵は警戒感を露わにしている。

相手は目の前にいるのが獣王とは気付いていないだろうが、その佇まいや雰囲気からして只者じゃないことはわかっているのだろう。

わかる。ライオネルって立っているだけで圧が半端ないからな。

そんな中、帝国兵は顔を見合わせると一斉に魔法剣を構えた。

身体能力の高い獣人とは下手に接近戦をせずに遠距離からの魔法攻撃で仕留めることにしたらしい。

数多の魔法剣が煌めく中、ライオネルは両腕を組んでジッと立っているだけだった。

回避運動をする素振りや攻撃を仕掛ける素振りはまったくない。

そんな中、帝国兵の魔法剣から様々な魔法が放たれる。

真正面から迫ってくる各属性魔法の嵐に対して、ライオネルはフッと息を吐いた。

それだけで魔法がかき消された。

「はっ?」

俺だけじゃなく魔法剣の力を放った帝国兵からも間の抜けた声が上がる。

あれだけの魔道具による攻撃の束が、ただの息だけでかき消された? 意味がわからない。

何か強力な魔法で相殺するならまだしも、ただの息だけで相殺するなんて悪夢だ。

「ハハハ! 今度はこっちの攻撃の番だな!」

ライオネルは豪快に笑うと、深く息を吸い込んでお腹を膨らませた。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

次の瞬間、ライオネルから咆哮が放たれた。

それはただ大気を震わせるだけでは留まらず、音の奔流となって帝国兵たちを吹き飛ばした。後ろにある防壁が余波で倒壊し、傍にいた帝国兵たちに被害をもたらしていく。

「どうやったらただの咆哮でそうなるんです?」

「闘気と魔力を体内で練り上げて放つだけだ」

そもそも闘気ってなんだ。そんな力は初めて聞いたんですけど。

「なんか色々と生物としての各が違い過ぎる気がする」

「そりゃそうよ。お父さんは獣王国で最強の戦士だもの」

レギナが胸を張ってどこか誇らしそうに言う。

そうこう話をしている内にライオネルは地面に片手を差し入れると、直径十メートルほどの大岩を引っ張り出し、そのまま帝国兵たちに投げつけた。

圧倒的な質量を誇る巨大物が帝国兵に襲いかかる。

軽い攻撃がそこらの軍用魔道具を遥かに凌駕する一撃となる。

彼が本気で戦えば、どのようなことになるか想像ができないな。

砦に籠っている獣人たちが総出になっても抑えることができなかったのに、ライオネルはたった一人で食い止めるだけでなく壊滅させようとしている。

恐らく、獣王国にとっての獣王という存在は、たった一人で大きな戦を左右できるほどの戦術的な活躍ができる英雄であることを指すのだろうな。

「レギナ! 今のうちにメルシアに大樹ポーションを!」

冷静に分析をしている場合じゃなかった。ライオネルが帝国兵を止めている間に、メルシアの治療をするべきだ。

「そ、そうね! え、えっと、この場合は飲ませればいいのかしら? それとも傷口にかけた方が?」

「ごめん。ちょっと借りるね」

あまりこういった怪我人にポーションを使ったことがないのだろう。

慌てた様子のレギナからポーションを拝借すると、俺はメルシアに錬金術を発動。

彼女の腕、肩、背中などに刺さった石材の破片を錬金術で抽出して抜き出す。

メルシアが痛みでうめき声を上げるが、体内に残留したまま治療することはできないので我慢してもらう。

すべての破片を体内から除去すると、俺はメルシアの背中を中心とした傷口に大樹ポーションをかけてやる。

すると、ポーションは効力を発揮させ、痛々しいまでの背中の火傷や切り傷が綺麗に治った。

「……イサギ様?」

程なくすると、メルシアの瞼がゆっくりと持ち上がって綺麗な青い瞳が露わになる。

「よかった、メルシア。意識が戻ってくれて」

メルシアが目を覚ますと、俺はその嬉しさから思わず抱き着いてしまう。

「あ、あの! イサギ様!?」

「ごめん。メルシアが無事だったのが嬉しくて。俺を守ってくれてありがとう」

「い、いえ。メイドとして当然のことをしたまでなので! あ、あの、それよりも状況を教えていただけますか?」

メルシアが顔を真っ赤にしてあわわとするので、とりあえず俺は身体を離して落ち着いてもらうことにした。

「ライオネル様がやってきたんだ!」

「ということは獣王軍はやってきたのですね!?」

メルシアがホッとしながら言うが、俺たちの目の前にはライオネルはいるものの他の獣王軍らしき存在を目にしてはない。

「お父さん! 獣王軍は?」

「遅いから置いてきた!」

「え? 王なのに軍勢を置いて一人で来ちゃったんですか!?」

「そのお陰でイサギたちが助かったのだからいいではないか」

思わず突っ込むと、ライオネルがややムスッとした顔で言う。

いや、そう言われるとこちらは何も言えないのだが、王が軍勢を置いてきていいんだろうか? なんて思っていると、不意に地面が激しく揺れた。

「こ、この揺れは?」

「まさかこんな時に魔物?」

周囲の魔物は駆除しておいたはずがだ、血の匂いに誘われて集まってきてもおかしくはない。サンドワームのような魔物が襲いかかってくるのかと地面を警戒するが、いつまで経っても地面が盛り上がることはない。

「いいえ、これは魔物じゃないわ! 二人とも後ろを見て! 獣王軍よ!」

レギナに言われて振り返ると、砦の遥か後方に激しく砂煙が上がっている。

そこには鎧を纏った大勢の獣人が整然として並んでおり、大きなカバのような動物に跨って疾走していた。

「ライオネル様ー!」

整然と並ぶ兵士たちの中央には小柄な初老の獣人――ケビン宰相がいた。

「おお、ケビンか! 遅いぞ!」

「遅いですじゃありませんよ! まったく我々を置いてお一人で先行されるなんて!」

ライオネルの独断専行に案の定、宰相であるケビンはお怒りのようだ。

そりゃそうだよ。軍勢を率いる王が先に前に出ちゃっているんだもん。無茶苦茶だよね。

「やった! 獣王軍だ!」

「獣王軍だけじゃねえぜ!」

獣王軍の到着に喜んでいると、不意に空から誰かが下りてきた。

その人物の頭には巨大な牛角が生えており、纏っている皮鎧には一族の象徴色である赤いのラインが入っていた。

「キーガスさん!?」

「おうよ!」

不敵な笑みを浮かべて自身の身長ほどある戦斧を肩に担ぐキーガス。

彼はラオス砂漠に住む赤牛族の族長だ。

ここよりも遥か遠いところに住んでいるキーガスの登場に驚いていると、今度は頭上でバサリと羽ばたく音がした。

「彼だけじゃなく、私たちもいますよ」

見上げると、鮮やかな翼を動かしてこちらにやってくるティーゼがいた。

「ティーゼさん!」

「どうしてここに?」

そうだ。二人と会えたのは嬉しいが、どうしてこんなところにいるのか。

「獣王に礼を伝えるために獣王都に向かったらイサギたちの故郷が大変なことになってるって聞いよ。集落の戦士を率いてやってきたぜ」

「ええ!? ラオス砂漠からプルメニア村までかなり遠いのに!?」

「遠いとか関係ねえよ。お前たちは命の恩人だからな」

「今度は私たちがイサギさんたちをお助けする番です」

キーガスの後ろには大勢の赤牛族がやってきており、上空にはティーゼ率いる彩鳥族たちが空を飛んでいた。二人だけでなく、集落にいる戦士たちも駆けつけてくれたようだ。

二人の温かな言葉の戦士たちの雄叫びに目頭が熱くなる。

「……皆、本当にありがとう」

「おいおい、もう泣いてるのかよ!? 泣くのは戦いが終わってからだぜ」 

「キーガスの言う通りですよ。涙は戦いに勝利したその後にまで取っておきましょう」

「うん。そうだね」

援軍がきてくれたとはいえ、まだ戦争の最中だ。喜び泣くのは後にしておこう。

「獣王軍たちよ! こうして今まさに卑劣な帝国が我らが領地を侵略している! 王国民としてこれが許せるものか!?」

「否!」

「そうだ! ここは獣王国! 我らが国の領土だ! 帝国になどくれてやるつもりはない! 獣王軍よ、今こそ日頃の訓練の成果を見せる時! 我らの民を、領土を守るために戦え! 総員突撃!」 

「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」」

ライオネルの号令によって獣王軍たちが雄叫びを上げて前に進んでいく。

その戦力は帝国に勝るとも劣らない。そんな数の獣人たちが雪崩れ込んでいく。

帝国兵士が獣人の操る騎獣に踏み潰されていく。

少数の相手を追い詰めたと思いきや、自分たちと同等のあるいはそれ以上の戦力が現れたのだ。混乱するのも無理はない。

「……すごい戦意だ」

「獣王軍の戦士には、イサギに恩のある人も多いからね」

「恩?」

レギナによると、どうやらうちの農園の作物や救荒作物によって戦士たちの故郷や家族が救われたようだ。そのため戦士たちは俺やプルメニア村に多大な恩を感じており、恩を返すべく奮闘してくれているようだ。

まさか、自分の行いがこのように巡り巡ってくるとは思わなかった。

やっぱり、最後に大事なのは人と人の繋がりなのだな。

「イサギはどうするんだ?」

「見たところ疲弊されているようですし、後ろに下がっていても構いませんよ?」

「いや、俺も戦うよ。俺にだってまだできることがあるからね」

全快には程遠いけど、それなりに魔力は回復した。

これだけの頼もしい仲間がいるのであれば、やれることはたくさんある。

「ようやく遠慮なく戦えるのよ? 後ろでジッとなんてしていられないものね!」

「私もお供します!」

レギナだけでなく、メルシアもすっかりと戦う気は満々のようだ。

戦力も十分にあるし、頼りになる仲間も大勢いる。

ここからは耐えるための戦いじゃない。帝国に勝つための戦いをするんだ。

「獣王軍だと!? そんな奴等が来るなんて聞いてないぞ?」

獣王軍の加勢によって帝国は明らかに浮足立っており、みるみるうちに兵を後退させる。

砦から追い出すことができれば、帝国はまたしても傾斜での戦闘を強いられることになりこちらの追い風となっていた。

騎獣に乗った獣人たちが坂を下りながら、一気に帝国兵を渓谷へと押しやっていく。

「獣王軍に続き、私たちも前に出ましょう」

「待って。ティーゼたちにはこれを使ってほしいんだ」

「これは?」

「魔石爆弾さ。衝撃を与えれば、内包されている属性魔石が爆発する」

「なるほど。飛行できる私たちの特性を生かし、上空から落下させるのですね」

「そういうこと」

空を自由に飛べるティーゼたちなら、空を飛んで一方的に攻撃ができるはず。

正面からは獣王軍、上空からはティーゼをはじめとする彩鳥族で挟撃し、相手を混乱させてやるのだ。

「爆弾を落とす時に狙われると思うから障壁の魔道具も渡しておくよ」

「ありがとうございます」

魔石爆弾を落としやすいように一つ一つ分離したポーチに入れてあげ、首輪型の魔道具をかけてあげた。

他の彩鳥族にも魔石爆弾などを渡すと、装備の完了したものから空へと飛び立つ。

ティーゼたちは翼をはためかせると、素早く帝国兵たちの頭上へ移動。

ポーチの蓋を開けると、上空から魔石爆弾を落としていく。

帝国軍の各地で巻き起こる爆発に悲鳴が上がる。

「爆弾!? どこからだ?」

「上です! 上! 空を飛ぶ獣人が爆弾を落としてきます!」

「魔道具で撃ち落とせ!」

死角となる真上からの攻撃を驚異に感じた帝国兵たちが、魔法剣、火炎砲などの各々の魔道具を使って反撃をする。

数々の魔法の雨をティーゼたちは急上昇、急加速することで回避。

「そんな攻撃では私たちを捉えることはできませんよ?」

念のために障壁の魔道具を渡してはいるが、誰一人として展開している様子はない。

もしかしたらいらないものだったかもしれないな。

とはいえ、上空に魔法の弾幕を張られてしまうと降下しにくくなるのだろう。

魔石爆弾が直撃する頻度が下がってしまう。

そんな時、彩鳥族とは別の黒い体毛に翼を広げた獣人たちが前に飛んでいく。

翼を広げると、つんざくような声を上げ始めた。

「不愉快な音だ! あの蝙蝠たちを落とせ!」

「魔法と魔道具の発動できません!」

「なんだと!?」

帝国兵たちは宙に浮く蝙蝠の獣人を仕留めようと奮起するが、どれもが空回りになっている模様。

帝国が魔法を発動できない間に、ティーゼたちは再び降下しながら魔石爆弾を落としていく。

「魔法が発動しないみたいだけど、どうなってるんだろう?」

「あれは黒蝙蝠族の特殊能力よ。魔力をかき乱すことのできる音波を放つことができるわ」

首を傾げていると、レギナが教えてくれる。

「すごい! そんな能力があるんだ!」

「発声器官を酷使するようだからずっと発動はできないけどね」

それでもここぞという時に相手の魔法を無効化できるというのは大きい。

現に帝国は魔法による迎撃も防御もできない。

空から一方的に魔石爆弾を落とされ続けており、甚大な被害が帝国にもたらされているのだから。

解析して魔道具に利用したら、魔法を無効化するような魔道具ができるかもしれないな。

なんて思考が脳裏をチラつくが、さすがに今は戦争中なのでやめておこう。

「わははは! 俺の名はライオネル! 六十二代獣王だ! 総大将の首が欲しければかかってくるがいい!」

「獣王がどうしてこんな前線に出てきてるんだよ!? 国王だろ!?」

前線ではライオネルが帝国兵を千切っては投げてを繰り返している。

遠くから魔法を撃ち込むが咆哮であっけなくかき消され、火炎弾も拳で弾かれる。

あまりにも圧倒的だ。

「くたばれ! 獣王!」

「させん!」

ライオネルを何とかするべく帝国兵は徐々に包囲網を形成。彼の背後から攻撃を仕掛けるが、それを二人の獣人が阻んだ。

あの二人は大樹の入り口を守っていた猿の獣人と犬の獣人の門番だ。

全身鎧に身を包んでおり、巨大な槍と剣を装備している。

「おお、ゴングにソルドムか」

「ライオネル様、前に出過ぎです」

「後ろにお下がりを」

「それはできない相談だ。なにせ俺は獣王。誰よりも先頭に立って戦うのが義務だ」

「であれば、私たちがライオネル様の前に進みましょう」

「ほほう? そう簡単に行くとでも?」

「大樹を守ることに比べれば、ライオネル様おひとりを守ることの方が簡単です」

「わはは! それは違いない!」

ライオネルが呑気に笑う中、ゴングとソルドムが前に出る。

ゴングは密集している帝国兵のど真ん中に飛び込むと、大きな槍を振り回して帝国兵を蹴散らす。猿特有の長い腕から繰り出される鋭い槍は、まさに変幻自在で間合いを計ることすら混乱だ。

帝国兵が魔法剣を突き出すも、その巨躯に見合わない軽やかな動きで回避し、槍を振り回す。

一方でソルドムは帝国の魔法部隊へと突き進む。

帝国の魔法使いたちが詠唱を開始し、ソルドムへと魔法を放つ。

それに対してソルドムは回避運動を取ることもせず、その巨大な鎧で受け止め、そのまま斬り込んだ。

「二人ともかなりの力量です」

「大樹の守りを任されているだけあって二人ともかなり強いわ」

俺たちが大樹に入ろうとした時はお堅い残念な門番といったイメージだが、戦士としての実力はかなりの一級品らしい。

「門番の二人だけじゃなく、獣王軍は戦士のひとりひとりが圧倒的に強いね」

帝国の兵士とぶつかり合っている様子を見ると、勝つのはほとんど獣王軍の戦士だ。

「日頃からお父さんが厳しく稽古をつけているからね」

統率の取れた動き、種族の特性に合わせた部隊の編制と戦術。どこからどう見ても獣王軍の方がレベルが高いと言わざるを得ない。

「逆に思うんだが、帝国の兵士が弱すぎねえか? こんな奴等、集落の戦士見習いでも余裕で勝てるぜ」

キーガスが戦斧で何十人と薙ぎ払いながら言う。

君たちが強すぎるっていうのもあるんだけど、彼の言うことにも一理あると俺は思う。

「帝国兵は悪く言えば装備頼りなところがあるからね」

宮廷錬金術師の作り出す軍用魔道具がなまじ強力なせいか、帝国の戦術はそれに合わせたものになっている。

個人の力量というよりかは、いかに上手く魔道具を使いこなせるかといった面に焦点を当てられており、個人の実力よりも集団行動の方が重視されているからだ。

そのせいかライオネル、メルシア、レギナ、キーガス、ティーゼのような一騎当千の戦士はいない。いや、育つ環境ではなかったと言うべきか。

「ふーん、いくら強い武具があっても個人としての基礎能力が低ければ、発揮できる力は低いと思うけどね」

「そういった主張をした人は上に疎まれて飛ばされるから」

俺のように解雇されるだけならいい方で、殉職と見せかけた暗殺まがいのこともあったと噂で聞いた。

「本当に帝国ってロクでもないわね」

「イサギ様と一緒に出てきて正解です」

前をゴング、ソルドムがこじ開けて、その後ろからやってくるライオネルがさらに大きな穴へと広げる。大きくできたスペースには騎獣に乗った獣王軍をはじめ、俺やメルシア、レギナ、キーガスといった面々がサポートしながら全体を押し上げる。

後退するための道は谷底の一本道だけだ。敵は傾斜を下ることになり、こちらは駆け下りる形で優勢となる。

「た、退却だ!」

「こんなの勝てるわけがない!」

圧倒的に不利な地形や俺たちとの攻城戦によって消耗をしていたこともあり、帝国兵たちは瓦解をはじめた。

「今だ! 帝国兵を逃がすな! 一気に攻め落とせ!」

背中を見せて陣地まで退却をはじめる帝国兵に獣王軍は追撃をする。

獣王軍全体のラインが上がり、遂には帝国の陣地が見えるところまできた。

砦まで一気に押し込まれていたが、ライオネルをはじめとする獣王軍のお陰で一気に形勢逆転といったところだろう。

しかし、そんなタイミングで帝国の陣地から魔力大砲が顔を覗かせた。

「魔力大砲!? あれはイサギたちが壊したはずじゃ!?」

その絶大な攻撃力を知っているレギナをはじめとする村人が一気に顔を青くする。

「正確に言うと、魔力大砲にある魔力回路を壊した。本来ならとてもじゃないけど、使用できるはずがない。ただの脅しという可能性もあるけど、魔力大砲としての用途を変えて、別の軍用魔道具に作りかえることができた可能性もある!」

なにせ帝国陣にはガリウスや宮廷錬金術師長もいた。

錬金術で魔力大砲を改良し、別の軍用魔道具に仕立て上げた可能性も無視はできない。

「ライオネル様、あの軍用魔道具は危険です! もし、発射されれば獣王軍に甚大な被害が!」

「ならば、単純だ。あの軍用魔道具を稼働させなければいい!」

俺が忠告の声を上げると、ライオネルはそのような返事をして魔力大砲目掛けて大跳躍をした。

魔力大砲の斜線上へと一人躍り出るライオネル。

帝国側も獣王が斜線上に入ったことを確認したのか、砲身を上に向けてここぞとばかりに魔力砲を放った。

俺たちに向かって放ったものよりもかなり威力は落ちるが、それでも魔力大砲は軍用魔道具に相応しい威力を誇っていた。

しかし、それよりもライオネルの方が上だった。

「『獅子王の重撃』!」

彼は獅子王に相応しい金色のオーラを身体に纏わせると、そのまま魔力の奔流に突っ込んで魔力大砲を殴りつけた。

アダマンタイトをはじめとする頑強な鉱石で加工されていた装甲が、あっけなくへし折れた。

魔力大砲の装甲の厚さをよく知っているからこそ驚かざるを得ない。

まさか、たった一発で破壊されるとは。さすがは獣王だ。

魔力大砲を完全に破壊されたことで精神的な支えを失ったのか、帝国兵が今度こそ瓦解する。

ライオネルと共に帝国の陣に踏み入ると、そこには第一皇子であるウェイスがいた。

「あいつは?」

「第一皇子であるウェイスです。恐らく、今回の軍勢を率いている総大将でしょう」

「そうか。ならば、こいつを倒せば終わりだな」

「貴様、何者だ!?」

つかつかとライオネルが近づくと、ウェイスが剣を抜きながら誰何の声を上げた。

「獣王ライオネルだ」

「獣王だと!? 貴様、王とあろうものが前線に出てくるとは何を考えているのだ!?」

「お前こそ皇族なのだろう? 兵士にばかりに前に立たせて、自分はこんな安全圏にいるとは恥ずかしくないのか?」

「貴様は何を言っているのだ? 尊き一族に生まれたのであれば、それが当然であろう? 民は我らに仕えるために存在しているのだから」

ライオネルの問いかけに対し、ウェイスは心底理解できないものを見るかのような目で言う。きっと彼ら皇族にはライオネルの信念は理解できないに違いない。

獣王国では民は獣王のために力を貸す代わりに、有事の際に獣王は民を守るために全力で守る。互いに助け合うという信頼で成り立っている。

一方、帝国の皇族たちは自分たちばかりの事を考えており、民のことをいくらでも生まれてくる資源のようにしか思っていない。民から搾取をすることはあれど、民のために尽くすようなことはない。

「それがお前たちの国の考え方か。相容れぬわけだ」

「のこのこと獣王が敵陣にやってくるとは愚か者め! 貴様さえ倒せば、この戦いは我らが帝国の勝利となる! 私が帝位につくための礎となれ!」

ウェイスが声を上げると、テント内に隠れていた帝国兵たちが一気に斬りかかってくる。

が、ライオネルを相手にたった数人の兵士が不意打ちしたところで敵うわけがない。

俺が手を出す必要もなく、ライオネルは一瞬で兵士たちを殴り倒した。

「ま、待て! 話せばわかる! 落ち着いて話し合おうではないか!」

ライオネルのあまりの戦闘力の高さに怖気づいたのか、ウェイスが情けない台詞を言う。

危機に陥った時がもっとも本性が出ると聞くが、これは情けない。

帝城にいた時はもっと威厳に溢れていたような気がしたんだけどな。

「話し合いをすることなく、いきなり攻めてきたのはそちらではないか」

ウェイスの話し合いに応じることもなく、ライオネルは無造作に近づくと彼に顔面に拳を叩き込んだ。

「イサギ!」

これで終わりかと思ってテントの外に出ると、そこにはガリウスがいた。

「……知り合いか?」

「ぶん殴ってやりたいと思っていた帝国の元上司です」

「なるほど。ならば、手を出さないでおこう」

「ありがとうございます。過去の確執なので俺一人でケリをつけさせてください」

「いいえ、殴ってやりたいと思っていたのは私もです。私も戦います」

前に出ると、メルシアも隣に立ってくる。

そうだ。あいつに酷い目に遭わされたのは俺だけじゃない。

ガリウスの無茶な仕事をこなすためにメルシアだって何度も徹夜をしたことがあるし、俺の助手をしていたことで圧力がかかったり、メイドから嫌がらせを受けたこともあると聞く。メルシアにだってガリウスをぶん殴る権利はあるだろう。

ライオネルは俺たちの様子を見ると、ニヤリと笑って傍の岩に腰を落とした。

優雅に見学するらしい。いい趣味をしている。

既に戦いは終わっているが、ここで決着をつけないとスッキリしない。

申し訳ないが少しだけ皆の時間を貰うことにした。

「イサギ、メルシア……薄汚い孤児と獣の血を引く獣人でありながら帝国で働かせてやったというのにその恩を忘れ、帝国にたてつくとは恥ずかしくないのか?」

「「ええ? 働いてあげていたのはこっちで働かせてもらっている気持ちなんて一度も抱いたことないんですけど」」

俺とメルシアの口から一言一句違わぬ言葉が出た。

そんな素の言葉を聞いてライオネルが後ろで爆笑し、ガリウスが羞恥で顔を真っ赤に染める。

大体、俺たちを雇用したのはガリウスではなく先進的な考えを持っていた前任者だ。その人に感謝することはあってもガリウスに感謝するような謂れはない。

「その生意気な言葉と態度……貴様は本当に変わらないのだな。貴様たちのせいで私がどれだけ苦労したことか!」

「え? 一方的に解雇しておきながらそんなこと言われても知りませんよ」

俺としては引継ぎくらいはしたいと思っていたが、すぐに出て行けといったのはガリウスの方だ。俺がいなくなって業務に支障が出たとか言われてもどうしようもない。

「もしかして、この方はイサギ様がどれだけ帝国に貢献していたか知らずに解雇されたのでしょうか? 生活魔道具の作成、マジックバッグの作成、魔道具の修繕、素材加工とイサギ様がお一人で行っていた作業はかなり膨大です。宮廷錬金術師の方が道楽で軍用魔道具を作っていられたのが誰のお陰か知らなかったのですか?」

「そんな報告は受けてないぞ!」

「でしょうね。貴族たちはご自分たちの都合のいい報告しか致しませんから」

あー、ガリウスからの評価がやけに低いと思ったが、そんな背景もあったんだな。

とはいえ、ここで誤解が解けたところで何もかもが遅い。

俺とメルシアは既に帝国と縁を切ったのだから。

「もう決着も着いたところですし、大人しくお縄についてくれませんか? かつての部下

のよしみで殴るのは一発だけにしておきますよ」

「うるさい! 薄汚い孤児が私に哀れみの視線を向けるな! 跪くのはお前たちの方だ!」

ガリウスはマジックバッグから長細い銀の棒を取り出して、こちらへと振るってきた。

明らかに届かない間合いであるが、銀の棒は途中で形状を変化させて鞭のようにしなってくる。

慌ててその場を飛び退くと、俺たちのいた場所を鋭い鞭が穿った。

「気を付けてメルシア。ミスリルに魔力を流して形状変化ができるようになっている」

「あの人は錬金術師じゃないですよね?」

素材を瞬時に形状変化させて戦うのは錬金術師の得意分野だ。メルシアが驚くのも無理はない。

「うん、錬金術師じゃないよ。多分、形状変化を記憶させて魔道具化しているんだと思う」

「その通りだ」

ガリウスは錬金術課を統括する貴族であるが、錬金術師ではない。

大体、錬金術師であれば、他の錬金術師に対して敬意があるはずだからね。

「私が前に出ます。イサギ様はサポートをお願いします」

「わかったよ」

俺は頷くと同時に地面に手をついて錬金術を発動。

ガリウスの足元にある地面を形状変化させて、杭として打ち出す。

「そんなもの見え透いた技に当たるか」

一応、錬金術師がどのような攻撃を繰り出してくるかは知っているらしい。

ガリウスはその場から素早く跳躍することで躱す。

その隙にメルシアが地面を蹴ってガリウスに接近する。

ガリウスは素早く魔道具を起動させると、鞭として振るう。

メルシアは接近するのを中断すると、身を屈ませて鞭を回避。

同じく俺も身を低くして伸びてきた鞭を避けた。

ガリウスが広範囲に鞭を振るってくる。

いくら素早いメルシアでもあれだけの広範囲をカバーされては近づくことができない。

一度は回避した鞭であるが、軌道を変えてメルシアの後方へと回り込む。

「くっ……!」

予想外の攻撃に反応が遅れたのか、メルシアの脇腹をミスリルが掠める。

恐らく魔道具の力でミスリルの硬度を変えて、軌道を自在に操っているのだろう。

器用な男だ。

またしても軌道を変えて振るわれるガリウスの鞭。

死角から回り込もうとする鞭の軌道を読み切った俺は、彼女の背後に移動して剣で弾く。

「イサギ様!」

「援護は任せて!」

俺は錬金術師。戦士であるメルシアが前に進むようにサポートするのが役目だ。

このまま俺が死角かたの攻撃を弾いて、メルシアを前に進ませればいい。

「そうはさせるか」

そうやってメルシアを襲う鞭を弾いていると、突如として俺の剣に鞭が絡まってきた。

そのまま手まで絡め取られそうになったので慌てて剣を手放した。

「ははは、戦場で剣を手放していいのか?」

「俺は錬金術師。素材さえあれば、剣なんていくらでも作り出せます」

俺は即座に錬金術を発動させると、先ほどと同じサイズの剣を土で構成した。

先程の剣に比べると切れ味は劣るが、魔力圧縮によって作り上げた剣なので強度はこちらの方が上だ。鞭を弾くにはこちらの方がいいだろう。

すぐに錬金術で武器を補強すると、ガリウスは忌々しそうな顔を浮かべて鞭を振るってくる。広範囲の攻撃にメルシアと俺は近づくことができない。

「イサギ様、どういたしましょう?」

「俺がガリウスの鞭を何とかするよ」

「わかりました」

それがどのようにやるのかメルシアは尋ねてこない。

どのような方法であれ、俺が攻撃を止めてくれると信じてくれているからだ。

さて、彼女に信頼に応えないとね。

「火炎級」

ガリウスが鞭を振るいながら火魔法で牽制してくる。

戦闘能力の高いメルシアを最大限に警戒しているらしく、彼女は回避に専念せざるを得ない。

貴族なので一応は魔法を使ってくると、想定していたが鞭を振るいながら発動するとは器用な奴だ。

俺は錬金術を発動し、再びガリウスの足元の地面を操作する。

杭を打ち出そうとしたが、それはガリウスが強く地面を踏み、魔力を流すことで発動することはできなかった。

「フン、小手先の技を食らうか」

一応は錬金術師を統括しているだけあって、どうやって対処すれば無効化できるか知っているようだ。

しかし、それはこちらも織り込み済みだ。

俺の狙いは彼の狙いをこちらに向けることだ。

「先に貴様から処分してくれる!」

火炎弾をメルシアに連発しながら、ガリウスがミスリルの鞭を振るってくる。

俺は伸びてきた鞭に手を差し出すと、自ら鞭を握り込んだ。

「私の鞭を掴んだところで武器を奪えるとでも――うがッ!?」

ガリウスが力任せに引っ張ろうとしたタイミングで俺は錬金術を発動。

彼が握っているミスリルの柄から鋭い刺が生え、手の平の皮膚を貫いた。

その痛みにガリウスは思わず魔道具を手放す。

その隙をメルシアが逃すはずがなく、彼女は地面を強く蹴って前に出るとガリウスの腹に拳を突き刺した。

「おっ!? おおっ……」

メルシアの重い一撃にガリウスが身体をくの字へと折り曲げる。

「イサギ様」

「ああ。どうもお世話になりましたっと!」

悶絶しているガリウスに近づくと、俺はそのまま接近して顔面に拳を叩き込んだ。

解雇された時に敢えて言わなかったお別れの台詞を添えて。

軟弱な俺の拳だが弱っていたガリウスには致命傷だったらしく、彼は地面をゴロゴロと転がると白目を浮かべ、立ち上がることはなかった。

「最後にいいものを見せてもらった! これにて戦争は終結だ! 我らが獣王軍の勝利である!」

既に総大将であるウェイスが捕らえられ、軍勢のほとんどが敗走、捕虜となっている帝国側に抵抗する気力はない。

ライオネルが正式に戦争の終結を宣言すると、獣王軍から勝鬨の声が上がった。

レムルス帝国を退けることに成功した俺たちは、プルメニア村へと帰還した。

獣王軍を伴っての帰還にプルメニア村に残っていた人は驚いていたが、ケルシーやメルシア、ラグムント、リカルドといったお馴染みの面子を見ると安心したのか続々と家から出てきた。

帝国を撃退したことを聞くと、村人たちは大いに勝利を喜び、抱き合った。

相手はこちらの何十倍もの戦力を誇る大国。獣王軍が途中から駆けつけてくれたとはいえ、たった一つの村がそれを跳ね除けたというのだからこれは歴史的快挙と言えるだろう。

俺も今でも生き残っているのが信じられないくらいだ。

しかし、村人の中には純粋に勝利を喜べないものもいた。

それは今回の戦で亡くなってしまった戦士の家族だ。

レディア渓谷で有利になるように防衛拠点を築き、できる限りリスクを犯さないように戦っていたが、時には前進して帝国兵の戦力を削ったりと、魔力大砲を撃たせないように敵の注意を引き付ける必要性があり、俺たちは何度か帝国兵と接敵した。

その時に犠牲になってしまった者が二桁ほど。

数万もの戦力を誇る帝国を相手にしたとは思えないほどの少ない数であるが、死傷者が少なくて良かったとはならない。大切な人を失った人からすれば、引き裂かれるような痛みだろう。

だが、それでもプルメニア村の人たちは強く前に進むことを選択した。

死傷者を速やかに回収すると、丁重に墓を作って弔った。

死者に埋葬が済むと、プルメニア村の人たちは避難している人たちを呼び戻した。

ひとまずの戦が終わった以上はこれ以上の避難生活を続ける必要もない。

そんな感じでプルメニア村には少しずつ避難していた人が戻ってきて、いつもの日常が戻りつつあった。

しかし、それで終わりとはならない。

俺たちの手元には帝国の第一皇子であるウェイスがおり、つい先日攻め込まれてしまったばかりなのだから。

そのことについて考えるべく、ライオネル、レギナ、俺、ケルシー、メルシアといった村の中心人物が話し合うべくケルシーの家で話し合うことに。

「ライオネル様、この後の動きはどうなるのでしょう?」

ケルシーが尋ねると、ライオネルが難しい顔をして腕を組む。

「むうう、帝国の第一皇子を捕らえていることだ。今回の戦について帝国に確認し、交渉をする必要があるだろう」

「皇族が捕らえられたことで奪い返しにくる可能性もあります」

「そうなるとまたすぐに戦争になる可能性があるというわけですか?」

「あくまで可能性の話だ。皇子が捕虜にいる以上、帝国も迂闊な報復行動には出ないだろう」

ウェイスは第一皇子であり、皇位継承権も一位とかなりの地位にいる男だ。

いくら帝国でも捨て駒にするには惜しいはずだし、外聞も悪過ぎるだろうか。

「とはいえ、今後攻め込まれることを想定して備える必要があるわ」

「ああ、当分の間は俺もここを離れるつもりはない。それに獣王軍の戦力の半分はここに駐留させておきたい」

「それは大変心強いのですが、獣王軍の方々に泊まっていただく場所が……」

プルメニア村は小さな辺境の村だ。数万もの獣王軍の戦士を養えるだけの建物がない。

「それなら今回の戦争でイサギが作った砦を修繕して使うのはどう?」

どうするか唸っていると、レギナがそんな提案をする。

なるほど。戦争の時に使った砦を改良すれば、そこが戦士の詰め所となるだろう。

「名案だな。イサギよ、できるか?」

「可能です。できる限り、多くの獣王軍が駐留できるように改良も致します」

「助かる」

「砦に収まらない人員はミレーヌをはじめとする周囲の街や村に分散させることにしましょう」

「そうだな。そのように進めよう」

「それとイサギさんにもう一つお願いがあるのです。駐留する戦士たちの食料を大農園から援助してもらえないでしょうか?」

ライオネルの傍らに座っているケビンが尋ねてくる。

確かにこのような辺境で獣王軍の食料を賄おうとするとかなり大変だ。

「もちろんです。獣王軍の方には村を救っていただいた恩があるので農園の食材は無料で提供いたします」

「いや、すべて無料というのはだなぁ」

などと渋ってみせるが、戦士たちの食費を考えると頭が痛いのか複雑そうな顔をする。

恩があるのですべて無料にしてあげたいのだが、ライオネルにも面子というものがあるのだろう。

「では、イサギ様に支援していただいた素材の金額分は無料というのはいかがでしょう?」

「なるほど。それなら貸してもらった分を返す形になるから自然だね」

メルシアの名案に俺は同意するように頷いた。

俺が急いでプルメニア村に帰還する前に、ライオネルは錬金術に使えそうな素材を片っ端から用意して渡してくれた。それらを無料で貰った恩があるので、今回の食料の費用に充ててしまえばいい。そうすれば、ライオネルの面子も立つだろうし、互いに大きな負担を負うこともない。

「そうだな。そうしてもらえるとこちらとしては非常に助かる」

「では、そういうことに致しましょう。正式に書面としてしたためますね」

互いの状況を考えた上で上手い落としどころを見つけてくれた。さすがはメルシアだ。

そんな風に慌ただしい生活を送っているうちに避難していた村人たちが戻ってきて、プルメニア村は以前と変わらない生活が戻ってきた。

俺もレディア渓谷の砦の修繕と改良が終わると、いつも通りに大農園で野菜を作りながらのんびりと作りたい魔道具を作る日々だ。

「うおおお! これがイサギの作った大農園か!」

「ここにある全てが農作物だなんて素晴らしいです!」

直近で変わったことと言えば、キーガスやティーゼをはじめとする赤牛族と彩鳥族の人たちが、農園の仕事を手伝ってくれているところだ。

元々、こちらにやってきて農業を学びたいと言っていた彼らは、戦が終わっても帰ることはなくそのまま村に泊まって農業を学ぶことになった。

今日は記念すべく大農園の見学会。

ネーアやラグムント、リカルドをはじめとする従業員たちが、赤牛族や彩鳥族の人たちを案内してくれている。

獣王軍が駐留することになって農園の生産量を増やす必要があったので、彼らが手伝ってくれるのはこちらとしても嬉しい話だった。

こちらは労働力を確保でき、彼らはお金を稼ぎながら技術を学ぶことができる。互いにwinwinな関係と言えるだろう。

それにしてもこうやって皆で農園に集まることができると、改めていつもの日常が戻ってきたんだと実感できる。

「イサギ様、どうかされましたか?」

トマトを収穫しながら農園の景色眺めていると、メルシアが横にやってくる。

手を止めてボーッとしていたので気になったのだろう。

「こうやっていつもの日常を見ることができてよかったなって」

「そうですね。色々とありましたが、無事にイサギ様とこの村に戻ってくることができてよかったです」

「……身体の方は大丈夫?」

「はい。イサギ様に適切な処置をしていただけましたから」

「ポーションで治癒したとはいえ、疲労は残っているんだよ?」

「理解しております。ですが、程々に動いておかないと落ち着かないのです」

「無理はしないようにね」

「もちろんです」

まあ、ずっと大人しくしているのも身体に悪いし、程よく動かすくらいであれば問題ないか。

「どうしたの?」

「傷が綺麗さっぱりと治ってしまったのが残念だなと思いまして。これでは傷物になったのでイサギ様に責任を取ってくださいなんて言えませんね」

肩や腕の辺りを擦りながら恥ずかしそうに呟くメルシア。

異性との恋愛に乏しい俺だが、さすがに彼女がどのようなことを意図して言ったのか何となく理解できた。

「あ、えっと……そんなことがなくても責任を取るつもりというか……」

「え?」

そんな返答をすると、メルシアがきょとんとした顔になる。

素直に気持ちを伝えるなら今だ。

「メルシアが俺を庇って傷付いた時に気付いたんだ。俺にとってメルシアの存在がどれだけ大事だったかってことに」

メルシアは俺が帝国にいた時からずっと傍にいてくれた。

錬金術で人々の生活を豊かにしたいという思いに賛同してくれ、メイドとして身の回りお雑用をやってくれただけでなく、助手としても錬金術の補佐をしてくれた。

ガリウスをはじめとする貴族に嫌がらせをされても、メルシアが傍にいてくれたから平気だった。孤独じゃなかったから、同じ想いを抱いている人がいたから堪えられた。

過酷な仕事を振られてもメルシアが手伝ってくれたから何とかやり遂げることができた。

宮廷錬金術師を解雇されても離れることなく、プルメニア村に移住しようと誘ってくれた。

プルメニア村に住むことになってもメルシアはメイド兼助手をやめることなく、ずっと傍にいて支えてくれた。

今、こうして俺がここにいられるのは紛れもなく彼女のお陰だ。

「辛い時も悲しい時も倒しい時も一緒に乗り越えてきたメルシアだからこそ、この先も一緒に過ごしたい。だから……その、これからは恋人になってくれませんか?」

「…………」

「え? まさかの無言!?」

俺としては一世一代の告白だったのだが、まさかの返事無し。


「イサギ様、今のお言葉も大変素敵なのですが、私としてはもう少し直接的な言葉を聞きたいです」

「え!?」

直接的な言葉ってなんだ? 前半の言葉が堅苦しいからもっと短く纏めろってことかな?

「違います。イサギ様のシンプルな気持ちが聞きたいのです」

グルグルと思考していると、メルシアが不満そうな顔で頬を突いてきた。

……俺のシンプルな気持ち?

「メルシアが好きです。だから、付き合ってください」

「はい! 喜んで!」

なんていってみると、メルシアが嬉しそうに笑って抱き着いてくる。

俺はなんとか身体を受け止めるが、メルシアの勢いが強くて尻もちを突いてしまう。

理由もへったくれもないシンプルな言葉だが、メルシアが求めていた言葉らしい。

確かにさっきの言葉は堅苦しいし、好きっていう言葉が抜けていた気がする。

「本当にいいの? 俺はメルシアよりも弱いけど……」

「強さなど関係ありません! イサギ様は私が守るので関係ないです!」

獣人の男は強い者が好まれると聞いたが、メルシアにとって異性に求める者は強さではないらしい。

女性なのに、むしろ男を守る宣言。うちのメルシアは実に頼もしい。

そうか。初めからそういう嗜好をしていれば、彼女が俺の傍にいてくれるわけがないか。

「ありがとう。単純な強さではメルシアを守ることができないかもだけど、俺にしかできないことでメルシアに幸せにしてみせるよ」

俺には錬金術がある。単純な戦闘で役に立つことは難しいが、これからも美味しい作物を作ったり、生活に便利な魔道具などを作ったりとして彼女を支えよう。

そんな決意を表明すると、こちらを見つめていたメルシアが顔を近づけてそっと唇を重ねてきた。驚きつつも俺は彼女の唇を受け入れる。

程なくして唇を離すと、二人して顔を真っ赤にする。

生まれて初めてキスをしてしまった。

大好きな人とキスをすることがこんなにも心地いいとは思わなかった。

もう一度してみたい。

メルシアも気持ちは同じだったのか、ゆっくりと顔を近づけてくる。

が、不意に誰かがこちらを覗いている気配があった。

二人して顔を上げると、そこには満面の笑みを浮かべているネーアがいた。

「にゃー! メルシアとイサギがこんなところでラブラブしてる!」

「ちょっと、ネーア!?」

「皆、聞いて聞いて! メルシアとイサギがついにくっ付いた!」

「ネーア! 言い触らすのはやめてください!」

走りながら大声で叫ぶネーアをメルシアが顔を真っ赤にしながら追いかけていく。

色々と空気が台無しだが皆のいるところでキスをしてしまった俺たちも悪いか。

今後、帝国と全面戦争になるのか、それとも講和の余地があるのか。

ライオネルとしては賠償金を貰い、停戦協定を結びたいと考えているが、すべては帝国の動き方次第となるだろう。

国同士のことは偉い人同士が何とかするだろうし、ただのしがない錬金術師でしかない俺が何かをやれるわけじゃない。

俺は解雇された宮廷錬金術師であり、今はプルメニア村のしがない錬金術師。

皆と一緒に大農園を運営しながら、これからも人々を豊かにするために錬金術を使おう。

自分のやりたいことや、やれることを大切な人たちとやるだけだ。

それが俺の理想の生活。錬金術師のスローライフだ。

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