解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる


身体が言う事を聞かずに前のめりに倒れ込んでしまう。

呼吸ができ、ドクドクと心臓が震える音がする。俺はどうやらまだ生きているみたいだ。

何もすることができずに倒れ伏していると、地面から激しい振動が伝わってくる。

帝国兵だ。魔力大砲を放って獣人たちを大きく下がらせたんだ。

この機会を逃すわけがない。逃げないと。だけど、身体が疲弊して動かすことができない。

もしものためにライオネルから貰った世界樹の雫を利用したポーションがあるが、使うことができなければ意味はなかった。

「イサギ様!」

遥か後方からメルシアの声らしきものが聞こえる。

最初に感じたのは安堵だった。

「よかった。無事だったんだ」

顔は見えないけど、かなり距離が遠い。

恐らくメルシアが俺を回収するよりも、帝国兵の魔法が先に届くだろう。

帝国兵たちの足音が近づき、ドンドンと大きくなっているのがわかる。

残念ながら俺は助からない。

「だけど、大切な人を守り切れたのなら、ここで死ぬのも悪くはないかな」

最期に男として格好いいところを見せられた気がする。

「なんだ貴様、ここで死にたいのか?」

「えっ!? コクロウ?」

目をだけを動かしてみると、傍らにはコクロウが佇んでおり、哀れな顔でこちらを見下ろしている。

「どうしてここに?」

「我はずっと貴様の影に潜んでいたからな」

「な、なるほど」

それなら魔力砲を防ぐ時に力を貸してくれてもよかったんじゃ……思わず、そんなことを思ったがコクロウにそこまでの力はないし、過度な期待をしてはいけない。

「で、ここで野垂れ死ぬのが望みか?」

「え、いや。生きたいです。助けてください」

「しょうがない奴だ」

コクロウがため息を吐くと、俺の真下にある影が揺らめいてずぶずぶと身体が沈んでいく。

「な、なにこれ!?」

「我の影に入れてやっているんだ。息を止めておけ」

どうやらコクロウやブラックウルフがやっている影移動を行ってくれるようだ。

というか人間である俺も移動できるのか? わからないけど、それしか道がないので従うしかない。

ずぶずぶと沈んでいく得体の知れない感覚に恐怖しながらも、コクロウの言うことに従って息を止めた。

今の俺は指一本動かすことができないんだし、身を任せるしかない。

程なくして俺とコクロウの身体は影に沈んだ。

目を開けても何も見ることのできない完全な暗闇だ。

「チッ、人間を連れて移動するのは難しいな」

傍らにいるコクロウが悪態をついている。

この空間にとって俺は異物なのだろう。妙な圧迫感がある。

俺という異物がいるので移動に苦戦しているようだ。

疲弊している中、息を止めているのはかなり辛い。

「小娘、足を止めろ!」

「コクロウさん!?」

酸欠で意識が遠くなる中、コクロウの声とメルシアの驚く声が響いた。

次の瞬間、俺の身体がふわりと浮上する。

「イサギ様!?」

ちかちかとする視界の中で、こちらを見て驚いた顔をするメルシアが見えた。

どうやらメルシアの影に移動したようだ。

「小娘、さっさとこいつを拾い上げろ」

「は、はい!」

コクロウが俺の身体を押し上げると、メルシアが速やかに回収してゴーレム馬の前に乗せてくれた。

「イサギ様、ご無事でよかったです」

「あはは、心配かけちゃったみたいだね」

「まったくです。あんな無茶をされるだなんて」

「言葉を交わし合うのはいいが、まずは後ろをどうするかが先ではないか?」

コクロウに言われて後ろを振り向くと、帝国兵たちが進軍してきていた。

こちらはゴーレムが全滅し、戦力のほとんどが砦まで引いてしまっている。

中々前に進むことのできなかった帝国からすれば、絶好の機会。

「砦に引き返します!」

メルシアが慌ててレバーを操作して、ゴーレム馬を走らせる。

「コクロウのさっきの技で逃げたりとかは……」

「人間が一緒にというのは無理だ」

さっき苦戦していた様子から、コクロウにとって人間ごと影移動を行うのは負担の大きいことのようだ。あれが使えたら安全に一瞬にして避難できるというのに残念だ。

「このままですと、私たちと一緒に帝国兵まで砦に接近してしまいます!」

俺たちの後方には帝国兵たちがいる。このまま何もせずに砦まで引き返しては、帝国兵まで連れていくことになりかねない。

「コクロウ、あそこの崖に攻撃することってできる?」

「ああ」

俺が指をさすと、コクロウは影の刃を飛ばした。

黒い刃は崖に直撃すると勢いよく爆発し、谷底へと岩を落とした。

「なんだ今の爆発は?」

「撤退する時のために魔石爆弾を埋めていたんだ。あっちとあっちにも埋めているから攻撃して作動させてくれるかい?」

本来ならば、俺が錬金術で遠隔作動させる予定だったのだが、今は魔力が空なのでそれすらもできない。

コクロウに頼むと、彼は次々と影から刃を飛ばして、俺が指定したポイントに命中させてくれた。地中に埋めてあった魔石爆弾が次々と起動し、大量の岩や土砂が谷底を塞ぐ。

だけど、まだ足りない。ちょっとやそっとの岩じゃ帝国はすぐに破壊して進軍してくる。

岩の撤去を妨害するような戦力が必要だ。

俺は気力を振り絞ってポーチの中から瓶を取り出す。

そこにはコクロウと一緒に作成した錬金生物の種が入っているのだが、疲弊しているせいか瓶を開けることすらままならない。

「ええい、じれったい! 撒けばいいのだろう!」

苦戦しているとコクロウが影を伸ばして俺の瓶を回収し、影を操作して器用に蓋を開けると、中に詰まっている大量の種を地面に撒いた。

種はひとりで地面に埋まると、瞬く間に成長して異形の植物と化す。

ある個体は数メートルもある蔓を伸ばし、ある個体は人間のように手足を生やし、ある個体は全身に刺のようなものを生やす。それらに共通している点は、どうみても人と共存できるような見た目ではないことだ。

「イサギ様、あれは?」

「錬金術で品種改良した作物だよ」

「そ、そうですか」

こんなものを作っているとメルシアに知られたくなかったし、彼女の目の前で使いたくもなかったが、俺たちには立て直しをする時間が必要だった。

大量の土砂と錬金生物を谷底に落とすと、俺たちは防衛拠点である砦へと引き返すのだった。





「イサギ! 大丈夫なの!?」

メルシア、コクロウと共に砦に帰還すると、真っ先にレギナが出迎えてくれた。

「ああ、なんとかね」

「よかった」

まったく動くことはできないが無事であることを伝えると、彼女は心底ホッとした顔になった。

撤退する時は冷静にメルシアを止めてくれたが、心配で気が気じゃなかったようだ。

「あの攻撃で怪我をした人はいない?」

「イサギのお陰で全員が無事に撤退できたわ。あなたが防いでくれなかったら、きっとあたしとメルシアも……本当にあなたには感謝しきれないわ」

「なら、よかった」

そう言ってもらえると身体を張った甲斐があるものだ。

俺の行いは無駄じゃなかったらしい。

「ごめん。先にポーションを飲ませてくれるかな? さっきから身体の痛みやら、魔力の欠乏でしんどくて」

「ご、ごめんなさい! 好きにどうぞ!」

レギナに断りを入れると、俺はマジックバッグから一つのポーションを取り出す。

それは他の治癒ポーションや魔力回復ポーションとも色が違う、透き通るような青色をしていた。

これはライオネルから貰った大樹の雫や枝葉を利用して作成したポーションだ。

これを飲めば傷だけでなく魔力さえも全快するだろう。

震える手で持ち上げると、後ろにいるメルシアが蓋を開けてくれた。

それだけじゃなく、俺の口へと瓶を傾ける。

「はい。イサギ様」

「いや、自分で飲めるんだけど……」

「稀少なポーションを万が一落とすようなことがあってはいけませんから」

確かに満足に一人で蓋を開けることができない奴が言っても説得力がないのかもしれない。

俺は素直に口を開けて、メルシアにポーションを飲ませてもらった。

すると、俺の身体が青い光に包まれる。

魔力大砲による攻撃で負ってしまった火傷、切り傷、打撲といった外傷は綺麗さっぱりと治ってしまい、空になっていた魔力が満たされていく。

魔力回復ポーションを摂取した時のような、急激な魔力生成による魔力器官への負担や、気持ち悪さといったものは一切ない。

「わっ! イサギの傷が治った!」

「それだけじゃなく、魔力も全部回復したよ。さすがは大樹の素材を使ったポーションだ」

「すごい効果ね!」

「興味本位で使っちゃダメだよ? ここぞという時に使ってね?」

「わかってるわよ」

俺だけじゃなくレギナにもこのポーションは持たせてある。

作成できたのが二本しかないので、もう一本はケルシーかメルシアに持たせようとしたが、全力で反対されたので二本目は俺が持っていたのである。

結果的に死にかけていたので持っていた良かったと思う。

「イサギ、あそこにいる生き物たちは、あたしたちの味方っていう認識でいいのよね?」

谷底に見える錬金生物を見下ろしながらレギナが強張った顔で尋ねてくる。

渓谷では、帝国兵が魔法や魔道具を使った岩の撤去作業をしており、その作業員に錬金生物が襲いかかる形で妨害をしていた。

「うん。そうだよ」

姿が姿だけに誤解してしまうのも仕方がない。

味方であることがわかると、レギナは一安心している様子だった。

「でも、あの錬金生物は暴れ馬だから、あくまで時間を稼ぐための戦力としてカウントしてほしい」

「……そう。こうして無事に撤退して時間を稼ぐことができたのだから、それだけで十分だわ」

ゴーレムのような運用はできないと告げると、レギナは少し残念そうにしたものの気持ちを切り替えるように呟いた。

「さて、こうしてイサギのお陰で態勢を立て直すことができているけど、帝国の引っ張り出してきた、あの魔道具が問題ね」

レギナが厳しい表情を浮かべながら帝国の陣地へと視線を向ける。

「イサギ、あの魔道具が何かわかる?」

「俺がいた時には無かった軍用魔道具だから、細かいことはわからない。だけど、さっきの一撃を受けてどんなものかはわかったよ」

「推測でもいいから教えてくれるかしら?」

「あれは膨大な魔力を圧縮させ、それを放つことで敵を殲滅する軍用魔道具だ。単純だけど、帝国の潤沢な物資と魔力が合わされば、とんでもない威力になる。仮定して名付けるとしたら魔力大砲かな?」

「で、その魔力大砲とやらだけど、イサギの作った砦に直撃したとすれば保つかしら?」

「間違いなく木っ端微塵だね」

実際に攻撃を防いでみた俺だからわかる。

あれは個人の力量ではどうすることのできない類の攻撃だ。

さっきは大量のゴーレムとアダマンタイトの障壁で逸らすことができたが、もうそれらは手元にはないし、短時間で作り直すことは不可能だ。

「あれって連発できる?」

「無理だと思う。できれば、すぐにやっているだろうし、あれだけの魔力を収束させて放つんだ。構造上、砲身に大きな負担がかかっているはずだよ」

砲身を冷却させるか砲身を取り換えるかしないと撃つことはできないはずだ。そこからさらに魔力を収束させる時間を考えると、すぐに撃てるものではない。

「それを聞いて安心したわ」

だけど、どれくらいの時間かは不明だ。

半日ほどかかるかもしれないし、数時間もしないうちに放つことができる可能性があるのだから。

「ですが、次の発射までに対抗策を考えなければいけません」

「その通りね」

帝国が前に進めば、魔力大砲も前に進むことになり、この砦が射程範囲に入ってしまう。そうなってしまえば、お終いだ。

「魔力大砲を近づかせないように帝国兵を食い止める、あるいは魔力大砲そのものを無力化する必要があるね」

「前者については難しいと言わざるを得ないわね」

先程の攻勢はゴーレムがいてこそのものだ。魔力大砲によってそれらがすべて破壊されてしまった以上は、砦に残っている戦力だけで食い止めることになる。

それでもいくらか持ちこたえることはできるが、戦力や物資に限界がある以上はそう長くはもたない。仮に持ちこたえたとしても、魔力大砲の再充填がされれば、前に出た俺たちの軍勢は殲滅されることになるだろう。対処のしようがない。

「だったらやるべきことは魔力大砲の無効化だね」

「しかし、あれは帝国の陣地の真っただ中にありますが……」

「厳しい道のりだけど、あたしもそっちの方が希望があると判断するわ」

当然、帝国も切り札である魔力大砲を壊されないように警備を厳重にしているだろう。

陣地の真っただ中に設置されており、あそこまでたどり着くのは困難だ。

しかし、あれをどうにかしないことには俺たちに希望はない。

それは誰もがわかっていることだ。

「魔力大砲を無効化するとして、問題は誰がどうやってやるかよね……」

レギナが腕を組みながら呟く。

周囲にはたくさんの獣人がいるが、誰も妙案を思いつくことがないのか難しい顔をしている。

「俺が引き受けるよ」

「どうにかする算段があるのかしら? 正面には大勢の帝国兵がいて、他に迂回することもできないわよ?」

「道がなければ作ってしまえばいいんだよ」

「なるほど。ラオス砂漠で水を引いた時のように道を掘るのね?」

「そういうこと」

ラオス砂漠で彩鳥族の集落に水を引くときに、俺は錬金術を駆使して土を掘削して水道を作成した。その時と同じ要領で崖をくり抜いて迂回すればいい。

「それなら帝国兵に気付かれずに魔力大砲の近くに出ることができるかもしれないわ!」

「ですが、またイサギ様にそのような危険を負わすなんて」

メルシアの悲痛な叫びに、レギナをはじめとする獣人たちが顔を俯かせる。

「少し待ってください。イサギ様だけが無理をしなくていいように代案を……」

「悪いけど時間はないんだ。帝国が砦に近づかれる前に、魔力大砲が動き出す前に仕掛けないといけない」

こうして考えている時間すら惜しい。俺たちには時間がない。

「誰かが一番危険だとかそんなことは関係ないよ。これは俺にしかできないことであって、俺が皆を守るためにやりたいんだ」

「ズルいです。そんな風に言われてしまっては反対できないじゃないですか」

「ごめん」

メルシアが俺を案じてくれる気持ちはわかる。

だけど、ここで仕掛けないと俺たちに勝ち目はないんだ。

「私も同行します。今度こそイサギ様をお守りいたします。もう無茶はさせません」

「ありがとう。メルシアも来てくれると心強いよ」

「ならオレも付いて行ってやるぜ、イサギさんよ!」

「微力ながら力になります」

「リカルド、ラグムントもありがとう!」

まさか、農園の従業員二人が志願してくれるとは驚きだった。

「掘削できる範囲と隠密性を考えると四人が妥当かしら?」

「うん。俺たち四人で魔力大砲を無効化してくるよ」

俺たちは真正面から魔力大砲を破壊しようというわけじゃない。

壊すことができなくとも俺が触れて錬金術を発動すれば、こっそりと無力化することができる。

求められるのは戦力よりも隠密性と連携力だ。そう考えると、気心の知れている三人が味方にいるのは実に頼もしいことだった。

「わかった。なら、あたしたちは帝国を食い止めることに専念するわ!」

「魔力大砲の方は任せてくれ」

やるべきことが決まれば、早速と行動あるのみだ。

俺、メルシア、リカルド、ラグムントは速やかに砦を出ると、崖の目の前へと移動。

そこに手をついて錬金術を発動して掘削。

「おお、硬い岩なのにあっさりと穴が空くんだな」

崖にぽっかりとできた横穴を見て、リカルドが驚きの声を上げた。

「こんな感じでドンドンと掘削して進んでいくよ」

声をかけると、俺は錬金術を発動してドンドンと掘削していく。

「灯りは私がお持ちします」

「ありがとう」

奥に進んでいくと暗くなったので視界を確保するために、メルシアが魔道ランプで前を照らしてくれる。

一応、撤退することも考えてか等間隔で光量となる光石も設置してくれている。

こういった掘削作業はラオス砂漠で経験しているからか、メルシアのフォローがとてもスムーズだ。助かる。

「俺たちに何か手伝えることはありますか?」

掘削しているとラグムントがおずおずと声をかけてくる。

俺とメルシアだけ作業をし、自分たちだけが何もしないのが心苦しいのだろう。

「掘削して地面に転がった土砂なんかを除けてほしい。後は周囲の音を拾って異常がないか確認くれると助かるよ」

「わかりました」

錬金術で地中の情報は拾えるが、外の情報を拾うことはできない。

彼らにはそういった情報収集や雑用を任せたい。

「耳にそこまでの自信はねえし、索敵はラグムントに任せるぜ」

「なら、お前は土砂除けを頼む」

「ああ」

それぞれの役割分担ができたところで俺は再び掘削を進める。

掘り進めると同時に天井や壁なんか魔力で補強し、崩落しないように気を付ける。

「思ったより速いんだな」

「ラオス砂漠に行った時に穴掘りは随分とやったからね」

あの時は山にある水源から集落まで水道を引くものだった。

その時の苦労もあってか掘削作業がかなり上達した。

進行速度は前回の二倍ほどと言っていいだろう。

今回の方が距離は短い上に傾斜もないので実にやりやすい。

ただ、岩盤の強度が脆いのでその分、補強にリソースを割かないといけないが補強するだけなら簡単なので大した苦労ではない。

「左から何かが飛来してきます!」

「え?」

掘削していると、ラグムントが耳をピンと立てて声を上げた。

次の瞬間、壁をぶち破って大きな鉄球が飛来した。

メルシアはすぐに反応すると、鉄球を殴りつけて食い止めてた。

「イサギ様、壁の補強を!」

「あ、ああ!」

周囲を見ると、あちこちで亀裂が入ってミシミシと音を立てている。

このままだと崩落する可能性が高い。

俺は慌てて錬金術を発動し、周囲の亀裂を修復させた。

「ふう、なんとかなったみたい。ありがとう、メルシア」

「いえ、皆さまがご無事でなによりです」

「にしてもなんだ今のは!? 帝国共はオレたちがここにいるってわかってやがるのか!?」

「……いや、追撃の様子もないし、そのような声も上がっていない。恐らく戦場の流れ弾だろう」

俺も一瞬、敵に居場所がバレたのかと思ったが、そうでもないみたいだ。

「レギナたちも戦ってくれているってことだね。作業を再開するよ」

今回は時間との勝負だ。魔力大砲が次の準備を始める前に何としてもたどり着かなければ。

俺は黙々と掘削を続ける。掘削することによって出てくる土砂などは、そのまま利用して壁などの補強に当てるが、中には漏れてしまうものがある。そういった邪魔なものはリカルドやメルシアが率先して取り除くか、砕いてくれる。

周囲の警戒はラグムントが行ってくれているので、本当に俺は掘削に集中するだけでいい。

「イサギ様、もうそろそろ帝国の陣地にたどり着く頃かと思います」

掘削しているとメルシアが地図を広げながら言ってくれた。

俺は錬金術を使いながら何となく進んでいたが、メルシアは進行速度を計算し、おおよその居場所を把握できているようだ。

「ええ、大勢の人の気配がします」

「じゃあ、ここからは静かに進んでいくよ」

壁をぶち抜いてすぐに帝国兵がいるわけではないが、派手に掘削をすれば存在を感知される可能性がある。ここからはできるだけ物音を立てずに進む必要があるだろう。

掘削速度は少し落とし、消音を意識してゆっくり穴を掘り進める。

急いでいる中で進行速度を落とすのがじれったいが、バレたら終わりなので慎重に進まないといけない。焦らずに進む。

「もう五メートルも掘れば、外に出るんだけど問題なさそう?」

「はい。問題ないかと」

壁に耳を当てたメルシアがそう言ってくれたので、俺は最後の掘削をして壁をぶち抜いた。

ガランゴロンと岩が転がってしまって慌てる。

穴から出ずにしばらく様子を窺ってみるも、その音で誰かがやってくる気配はない。

そのことに安堵しつつ、俺はおそるおそる外に出て様子を窺う。

久しぶりの明るい光に目がチカチカとする。それをグッと堪えて視線を巡らせる。

周囲は岩礁地帯になっていたので俺たちはすぐに身を隠し、落ち着いて周囲を確認。

あちこちでテントのようなものが建っていた。周囲には小さな柵が立てられており警戒する兵士が立っているが、こちらにはまったく気付いていない。

「あれは帝国の陣地か?」

「大きな仮設テントなどを見る限り、そうだと思う」

ここだけが戦場のような血生臭い空気が漂っておらず、まったりとした空気が流れている。

前線に出ていないからこその腑抜けた空気だ。

恐らく、ここには軍を率いる王族や、その家臣などが待機しているのだろう。

「魔力大砲はどこなんだ?」

「あそこだ」

ラグムントの指さしてくれた方角を見ると、テントから離れたところに魔力大砲が鎮座していた。その周囲には護衛の兵士が立っており、警備を固めている。

「どうする? 一気に四人で突っ込んで壊すか?」

「いや、私が囮になろう。その隙に三人が近づいて壊すはどうだ?」

リカルドとラグムントが小さな声で魔力大砲を無力化する方法を話し合う。

しかし、それらはどれも危険であり、確実性に欠けると言わざるを得ないだろう。

俺も掘削しながらぼんやりと考えてはいたが、どれも確実性があるとは言いづらい。

「イサギ様、提案があります」

そんな中、メルシアが覚悟のこもった眼差しを向けながら言う。

長年付き合っているだけに彼女が何を考えているか俺にはわかった。

「メルシアが一人で皇族を暗殺するっていうのは無しだよ?」

「ッ!? な、なぜですか?」

「仮に暗殺が成功したとしてもメルシアが犠牲になるからだよ」

「構いません。私一人の犠牲でこの戦いが終わるのであれば安いものです」

「全然、安くないよ。少なくとも俺はそうは思わない」

「俺も同感だ。いくらオレたちより強いって言っても、女だけを犠牲にして助かりたいとは思わねえよ」

「今回ばかりは私も同感です。メルシアさん」

「それに皇族を暗殺したところで帝国の侵略が止まる保障も無いしね」

皇子を暗殺しても、次なる指揮権を持った皇族が控えている可能性もある。

それくらい帝国には大勢の皇族がいるんだ。

皇子の一人暗殺しても終わるとはいえないし、また次の大きな火種になる可能性がある。

「わかりました。ならば、暗殺はやめておきます」

そういった理由も指摘すると、メルシアは納得したのか頷いてくれた。

メルシアだけ犠牲にして、俺たちは助かりましたなんてケルシーに言えないしね。

魔力大砲を無力化しつつ、全員で帰還する方法を俺たちは考える。

「四人で魔石爆弾を投げ込むってのはどうだ?」

「それはアリかもしれない」

「いや、あれほどの巨大な大砲だ。装甲を見る限り、多少の魔法なんかが撃ち込まれることは想定しているだろうから難しいと思う」

チャンスは一度しかない以上、確実性が低いものは採用できない。

「じゃあ、どうしろってんだ?」

「俺が近づいて錬金術で内部から破壊するよ。それが確実だ」

外部からの攻撃が安全性に欠ける以上、内部からの破壊が一番確実だ。

そして、それが実行できるのは魔道具にもっとも精通している俺だけだ。

「周囲には大勢の兵士がいますが……」

「そこはこのローブを使って紛れ込むよ」

魔力大砲の周りには俺と同じローブを羽織った錬金術師たちがいる。

ザッと見たところその中に顔見知りらしきものはいない。

俺が羽織っているのも帝国の宮廷錬金術師のものだ。それとなく入っていけば、警戒されることなく近づくことができる。

「ですが、イサギ様は開戦時や撤退時の活躍で容姿が知れ渡り、警戒されているかと……」

メルシアの言うことはもっともだ。俺の容姿は既に帝国内に共有されている可能性がある。

「ならその容姿を変えればいいんだよ」

俺はマジックバッグから一つのピアスを取り出して、耳につけた。

「うお! イサギさんの髪色が真っ黒になったぜ!」

「それに目の色も黄色から青に……」

これは錬金術で作成したマジックアイテム。カラーピアスだ。

装備した者の髪色と目の色を自由に変えることができる。

「これならぱっと見で俺とはわからないでしょ?」

「ええ、別人ですね」

「……黒髪のイサギ様もアリです」

なんだかメルシアのコメントだけがズレている気がするが、お墨付きがもらえたのならそれでいいだろう。

「オレたちからすれば、匂いで一発だけどな」

「人間族にそこまでの嗅覚は備わってないし、俺の匂いなんてわからないから」

人間族にそのような見分け方はできないので、そこは気にしなくていいだろう。

段取りとしては俺がバレないように近づいて、魔力大砲を内部から破壊する。

メルシアとラグムントには俺がバレた時のために近くに控えてもらう。

場合によってメルシアが敵兵を蹴散らし、ラグムントが魔石爆弾などで牽制することも視野に入れている。

そして、リカルドは洞窟で待機してもらい、確実に退路を確保してもらう。

敵に追いかけられるようなことがあれば、リカルドが魔石爆弾などを投げて誘導をしてもらうという感じ。

「これでどう?」

「異論はないです」

大まかな作戦の流れを説明すると、特に反対の意見が挙がることはなかった。

「決まりだね。じゃあ、行ってくるよ」

「イサギ様、どうかお気をつけて」

メルシアたちに見送られると、俺はこっそりと岩陰から出た。

そのまま帝国兵たちに合流すると、何気ない姿で魔力大砲の方へ向かう。

俺の視界を何人もの帝国兵が闊歩している。

俺がイサギだとバレたら、腰に佩いている剣で斬り捨てられてしまうだろう。

緊張で心臓がバクバクと鳴る。だけど、そんなことはおくびにも出さずに堂々と歩く。

何もないところから現れれば怪しいことこの上ないが、一度紛れてしまえば早々疑われることはない。そう自身に言い聞かせることで、俺は一歩ずつ前に進んでいく。

魔力大砲の傍にやってくると、護衛の兵士がこちらを睨みつける。

その鋭い眼力にビビることなく入っていくと、兵士は軽く頭を下げて通してくれた。

宮廷錬金術師はほとんどが貴族だから。貴族を相手に強く出られる兵士はいない。

そんなわけで俺はあっさりと魔力大砲の傍にやってくることができた。

周囲には俺以外の宮廷錬金術師がいる。幸いにして顔見知りはいない。

いたとしてもカラーリングで変装している俺に気付く者はいないだろう。

気付くほど仲の良かった同僚なんていなかったからね。悲しいぼっちがまさかここにきて役立つとは世の中は何があるかわからないことだ。

俺はシレッと魔力大砲へ近づく。さも軍用魔道具を調整する宮廷錬金術師のように。

魔力大砲に触れた俺は、魔力を流して内部構造を読み取っていく。

ベースはアダマンタイトを使っており、そこに魔鉄、魔鋼といった魔法防御力の高い素材を使っている。もちろん、それらは宮廷錬金術師が加工しており、並の攻撃では傷一つつけることができない硬度に高められている。

上質な素材を用意することはもちろん、これほどの大きさに加工するのも大変だっただろうな。

これを作るのに一体どれほどの金額を注ぎ込んだのか呆れる思いだ。

その資金があれば、大勢の民たちを笑顔にできただろうに。

俺が解雇されてからしばらくの月日が経過したが、帝国は内政にまったく力を入れず、軍事費にばかりお金を注ぎ込んでいるようだ。残念でならない。

そんなことを考えてしまうが、今の俺は帝国の宮廷錬金術師ではない。

プルメニア村に住む錬金術師イサギだ。今の俺がどうこうできるわけもないし、もはや関係のないこと。

余計な考えは捨てて、魔力大砲の構造を把握するべく魔力を浸透させた。

魔道具を破壊するには魔石ではなく、魔力回路を破壊する方がいい。

あれだけの出力を誇る魔石を用意するのは、それはそれで大変であるが、逆に言えば

取り換えるだけで済む。しかし、魔力回路はそうはいかない。

魔力回路はもっとも少ない力で最高率の魔力を供給できるかを錬金術師が練りに練り、多大な魔力と時間をかけて作り上げるものだ。この規模の魔力回路となると、かなり緻密に回路が組まれていることだろう。

そのような工程で作り上げられたものをすぐに修理することは不可能だ。

恐らく、宮廷錬金術師が束になっても一週間はかかるだろう。

だから魔石を破壊するより、魔力回路を壊される方が錬金術師にとっては致命的なのである。

故に錬金術師は魔力回路の破壊を一番に警戒している。いくつもの魔力回路を重ね、つなげ合わせて、どこかに異常をきたしても機能を発揮するように。

しかし、どのような魔道具であっても完全なものを作るのは不可能だ。

どこかに中枢部分となる魔力回路があるはずだ。確実に破壊するにはそれを見つけては買いする必要がある。

中枢部分はどこだ? 闇雲に探っては時間がかかる。製作者の意図を考えろ。

これだけの規模の軍用魔道具を作るのが得意だったのは錬金術師長。

用心に用心を重ねる彼の性格からして表面にあるものは、すべてダミーだろう。

一見して繋ぎにしか見えないこの小さな魔力回路が本命という可能性が、彼の性格からすると高い。

「――あった」

試しに範囲を絞って探ってみると、予想通り何の変哲もない小さな魔力回路が中枢を担うものであった。

他のものは替えが効くが、これだけは壊されてしまえば替えが効かない。

俺の錬金術師としての知恵と経験がそう告げている。

壊すのはこれだ。

「そこのお前、何をしている?」

壊すべき回路を見つけた瞬間、後ろから声がかかった。

ゆっくりと振り向くと、錬金術師課を統括していた元上司のガリウスがいた。

げっ! という言葉が喉まで出そうになったが何とか堪えた。

やや疲れの見える表情をしているが高圧的な態度は変わっていないな。

「先程の発射で魔力回路に負担がかかっていないか確認をしておりました」

「確認作業なら先ほど終わったと聞いたはずだが?」

「ええ、終わっています。後は砲身の自然冷却を待つだけで何も問題もないので勝手に触らないでください」

ガリウスの傍には錬金術師長もいる。

とはいっても、平民である俺はほとんど会話をしたことがない。

向こうも俺に興味はなかったようなので覚えていないはず。

「出過ぎた真似をいたしました」

ここは一旦引き下がって、彼らがいなくなったタイミングで魔力回路を壊そう。

「……待て」

「なんでしょう?」

下がろうとしたタイミングでガリウスが声をかけてきた。

「貴様、どこか見覚えのある顔をしているな?」

今度は何を言われるのかと思ったタイミングでそんな言葉を投げられたものだからドキッとしてしまう。

マズい。ここれでバレてしまえばハチの巣だ。

バレるのであれば、せめて魔力回路を壊してからにしないと。

などと考えるが、まずはここを逃れることが先決だ。

焦りを出せないように意識して表情を繕う。

「そうでしょうか?」

「その顔つき、髪型、背丈、少し前に解雇してやったイサギにそっくりだ」

「というか、カラーリングつけてるので髪色や目の色は偽装です。多分、こいつは本物のイサギですよ」

「「ッ!?」」

ガリウスが確証を持てない中で傍に控える錬金術師長が呑気に言った。

見た目は誤魔化すことはできても、装備しているアイテムを誤魔化すことができない。

くっ、そこを考えるべきだった。

「貴様! イサギか!?」

ガリウスの誰何の声には答えず、俺は魔力大砲の核となる魔力回路へ強引に魔力を流し込んだ。

起動していない状態で行き場のない魔力をねじ込まれたせいか、回路内で魔力が暴発。

魔力回路が砕けてショートする。

「ああああああああああああああああああああ!」

そんな光景を見て、錬金術師長が悲鳴を上げる。

彼は慌てて魔力大砲へ近づくと、内部の魔力回路を確認し始める。

周囲にいる宮廷錬金術師や兵士は何が起こったのか付いていけていない。

「あいつ、よりによって中枢を担う魔力回路を壊しやがった! 人間のやることじゃない!」

「こっちも錬金術師だからね。錬金術師が何をされたら嫌がるのかはわかってるさ!」

俺はそんな捨て台詞を吐くと、背中を向けて一目散にメルシアたちのいる方へ。

「なにをしている兵士共! そいつは賊だ! 取り囲んで殺せ!」

状況に気付いているガリウスが指示を出すと、動揺していた兵士たちが慌てて追いかけてくる。

仮に部下だった者を躊躇なく殺そうとするとはドン引きだよ。

まあ、こっちも間接的ではあるが大勢の帝国兵を殺めているし、今さら手加減してもらえるわけもないか。

リカルドの待機している穴目掛けて走ると、騒ぎを聞きつけたのかテントから帝国兵が出てくる。

「ふふふ、油断したな! 我が剣の錆に――ごはっ!?」

真正面から突然やってきた帝国兵に驚いていると、横からメルシアがやってきて殴り飛ばしてくれた。

「メルシア!」

「魔力大砲は?」

「破壊した!」

「では、撤退を!」

「ああ!」

目的を達成したのであれば、これ以上ここに留まる必要はない。

後は全員が無事に砦へと戻るだけだ。余計な言葉は無用だ。

「その錬金術師と獣人の娘を捕まえろ! 帝国の裏切り者だ!」

ガリウスの大声に反応し、あちこちのテントから帝国兵がやってくる。

後方に控えていた兵士はかなり多い。

メルシアが必死に殿を務めてくれるが、怒涛のような勢い取り囲まれそうになるが、どこからともなく投げ込まれた魔石爆弾が帝国兵たちを襲った。

「二人とも早くこっちに!」

「ありがとう!」

作戦通りにラグムントが魔石爆弾で援護してくれたようだ。

魔石爆弾は敵が密集していると多大な被害を与えることのできる魔道具だ。

魔道具をよく扱うからこそ、その脅威がわかっているのか帝国兵が慌てて散っていく。

俺もそれに合わせて、魔法を使って火球をばら撒いた。

「何の騒ぎだ!」

陣地の後方で爆発が巻き起こったせいかテントから高貴な身分であろう人物が出てくる。

派手な銀色の鎧を纏っているのは、第一皇子であるウェイスだった。

「ウェイス皇子」

「もしや、イサギか!?」

平民にもかかわらずに俺にたった一度の評価の声をかけてくれた人。

しかし、それ以降声をかけてくることはなかったし、俺が解雇された時も声を挟んでくることはなかった。

「捕らえろ! いや、そいつは帝国の害になる! 殺せ!」

現に俺だと気付いたウェイスの口から出た言葉はそんなものだった。

これだけ被害を与えてしまっているので当然だろう。

「イサギ様、また囲まれる前に脱出を!」

「ああ!」

これ以上立ち止まってしまっては皆の力で突破した意味がない。

俺はすぐに足を回転させる。それと同時に火球を作り上げると、空へと打ち上がる。

打ち上った火球は上空で派手に爆発させた。

これはレギナたちへの作戦成功の合図だ。これで彼女たちが無理に前に出る必要はない。

すかさず俺とメルシアはそこに飛び込んで掘削した横穴へと向かう。

「こっちだ! 早くずらかるぜ!」

穴の前ではリカルドがしっかりと退路を確保して待ってくれていた。

「イサギ様、後ろから魔法が!」

「問題ないよ!」

帝国兵が魔法を飛ばしてくるが錬金術を発動し、岩壁を作成。

敵の魔法を防ぐと同時に俺たちを直接追いかけられないようにしてやる。

「うわっ! 壁が!」

「賊はどこに行った!?」

「待て! 押すんじゃない! 俺たちが潰れる!」

「何をやっている! 賊はたかだが数人だぞ!?」

突如隆起した土壁に帝国兵たちのたじろぐ声と悲鳴が上がり、遠くからガリウスの怒声が背中から聞こえていた。

振り返ることなく穴に逃げ込むと、俺は錬金術を発動して出入口を塞ぐ。

それだけだと宮廷錬金術師に侵入経路を捜索され、逆に利用されることもあり得るので前へ進みながら穴を崩落させた。

帰り道のために設置しておいた光源もすべて潰しておく。それだけじゃなく地中に杭を設置し、魔石爆弾を壁に埋めておいた。

暗闇の中、穴を埋めつくすほどの土砂を除去し、杭や罠を回避しながら進むのは困難だろう。

仮に通れたとしても穴に入れるのは二人ずつ。武装している帝国兵だと一人ずつが限界だろ。通ってきたところでこちらのカモになるだけだ。

追跡できないように細工をしながら走り続けると、自分たちの砦の傍に繋がる穴が見えた。

リカルド、ラグムント、メルシア、俺の順番に出る。

すると、砦の入り口からはちょうど退却したらしいレギナをはじめとする獣人たちがいた。

「イサギ! やったのね!?」

「ああ、全員無事さ。魔力大砲も壊したよ」

合図のお陰で結果はわかっているが、それでもしっかりと報告をすると、レギナや砦にいる獣人たちから歓声が上がった。

イサギたちを見失った帝国陣では混乱が起こっていた。

突如として後方にある本陣に敵戦力が出現し、かき乱されたのだ。

帝国兵たちが取り乱すのも無理はない。

そんな中、ウェイスは状況を確かめるべく声を張り上げる。

「侵入してきたイサギと獣人共はどうなった!?」

「見失ってしまいました!」

「この私のいる本陣にみすみす侵入を許すだけでなく、取り逃すとは一体何をやっているのだ!」

兵士の報告を耳にして、ウェイスは激昂する。

「申し訳ございません。ただちに侵入経路を洗い出し、追跡を致します」

兵士たちが慌てて捜索作業に戻ると、ウェイスは自身のテントに戻った。

「まったく無能共め」

「ウェイス様、ご報告があります」

一人で毒を吐くウェイスの元にガリウスと錬金術師長が重苦しい表情を浮かべながら入ってきた。

「なんだ?」

「対獣人用に開発した魔力大砲ですが、先ほどの襲撃で破壊されてしまいました」

「破壊!? あれはそう簡単に壊されないように加工をしていると耳にしたが?」

「内部の魔力回路を破壊されました」

「それがどうした? ここには宮廷錬金術師もいる。なんとか修理しろ」

ガリウスは重苦しい表情で原因を告げるが、ウェイスはまるで理解した様子がない。

それも当然だ。彼はあくまで皇子であって錬金術師ではない。

その辺の者よりも錬金術に対する知識や理解はあるものの専門職でないのだから。

ウェイスが状況を理解していないと察したのか、ガリウスは視線を送って錬金術師長に説明を求める。

すると、彼は気だるそうな表情で口を開いた。

「僭越ながら申し上げますが、それは不可能といいますか多大な時間を必要とします」

「なぜだ?」

「魔力大砲を動かすために中枢機関となる魔力回路を破壊されたからです。こちらの魔力回路は壊れたからといってすぐに作り直せるわけではありません。宮廷錬金術師が総出で取り掛かり、多くの時間と魔力を込めて作成するものでして、このような戦場では到底修復することはできません」

「軍用魔道具が破壊されただと!? 貴様、あれにどれほどの資金をかけたと思っている!? あの魔道具はそれほどまでに脆弱なのか!?」

「そんなわけはありません。こちらもそれを最大限警戒して偽装を施しましたが、今回は敵の錬金術師であるイサギに一歩上を行かれました」

見た目では淡々と語っているように見えていたが、その内心には屈辱で満ちており、イサギに対する激しい怒りと嫉妬を抱いていた。

魔力大砲がなくとも自身の提案する戦術でイサギを上回り、獣人共を追い詰める気持ちでいたのが彼は大きな誤算をしていた。

「ですが、魔力大砲がなくとも十分にイサギや獣人共を追い詰める方法は――あっ!?」

ウェイスは淡々と報告する錬金術師長に接近すると、腰に佩いてある剣を抜き、そのまま胸を突き刺した。

「えっ……?」

「解雇された錬金術師よりも無能な宮廷錬金術師など必要ない。死ね」

ウェイスはそう冷酷に告げると、かろやかな動作で剣を引き抜いて血糊を払った。

そんなまさか、なぜ、どうして……そんな言葉すら呟かれることもなく、心臓を貫かれた錬金術師長は死んだ。

すぐ傍で部下が処分されたことに、ガリウスは顔を真っ青にした。

テントで待機していた兵士たちも時が凍り付いたかのように呆然と見ている。

「さっさと処分しろ」

ウェイスが指示をすると、兵士たちは弾かれたように動き出し、血だまりを広げる錬金術師長の死体を外へと運び出した。

「ガリウス、貴様もああなりたくなければ、宮廷錬金術師共を動かして帝国に貢献をしろ」

「はっ!」

ただの宮廷錬金術師ではなく、それを束ねる錬金術師長をウェイスはあっさりと殺した。次にその刃が向くのがガリウスであってもおかしくはない。

もはや、自分が安全圏であるとは到底思えなかった。

戦場で錬金術師たちを戦わせるなんてしたことはないが、首を横に振ることはできない。

そのようなことをしようものならガリウスの首は飛ぶ。

今のウェイスにはそれをやるくらいの迫力があった。

「我が軍の被害は甚大だが、獣を相手に栄えある帝国が撤退などしない! どれだけ被害を出てもいい! 明朝に全軍前進だ! 戦力の差を生かし、徹底的に獣人共を叩き潰せ!」

戦力が多いということは、それだけ消費する物資も多いということだ。

ウェイスの宣言に反対意見など上がることもなく、帝国は短期決戦を行うことになる。

帝国の本陣に侵入し、魔力大砲を破壊したこともあってか帝国は軍勢を引き上げ、その日は攻勢を仕掛けてくることはなかった。日が沈み、夜になっても帝国は動くことはない。

しかし、その翌朝。

「帝国が動いた!」

見張りの獣人の張り上げた声により、俺たちはすぐに集結をする。

遠見の魔道具で帝国陣の方を見ると、数多の帝国兵がこちらに向かって進軍してきていた。

しかし、その数が尋常ではないくらいに多い。

「……数が多すぎる」

その勢いは帝国兵だけでレディア渓谷を埋め尽くさんとする勢いだ。それなのに後方にはドンドンと帝国兵が続いており、途切れる様子がない。

昨日、様々な策を練り、多大な被害を与えたが、帝国はまったく怯んだ様子を見せていない。むしろ、それがどうしたと言わんばかりだ。

「どうやら帝国はなりふり構わず、圧倒的な物量で私たちを押しつぶすみたいですね」

「最悪だ」

こちらがどれだけ策を弄しても、戦力に十倍もの差があることに変わりはないのだ。

俺たちにとって単純な数によるぶつかり合いはもっとも避けるべきものであり、やって欲しくない戦術だった。

「こうなっては前に出ることはできないわね」

「いいのか、それで!? 昨日みたいにもっと前に出て、色々と何かをした方がいいんじゃねえか?」

レギナの苦しげな決断にリカルドをはじめとした血の気の多い獣人たちが、そんな声を上げる。

「そうしたい気持ちはあるけど、敵がなりふり構わなくなった以上は難しいわ。数で押しつぶされて犬死にするだけよ」

一騎当千の活躍をするレギナやメルシアを投入しても、何千、何万と続けて相手をすることはできない。強化作物を食べた獣人たちなら、協力すれば多大な被害を与えられるだろうが千人も倒すことはできないだろう。

「だったら、イサギの錬金術はどうなんだ? 今日も色々とできねえのか? 森を作って足止めをしたり、錬金術で作った生物をばら撒くとかよお!」

「すみません。あれもそう何度もできるものじゃないので」

最初に森を作った品種改良をした種は、地面に絶大な負担を与えてしまう。

事前に広範囲に肥料を撒いた上での一回きりだ。もう一度種を植えたところで負荷のかかった地面に栄養はなく、昨日のような大規模な森を作り上げることはできない。

小規模な森を作ったところであっさりと粉砕されるだけだ。

錬金生物も獣人たちを撤退させるためにほとんど消費してしまった。

砦の建築や武具、ゴーレムの作成、魔道具の作成、敵の魔力大砲を防ぐために大量のアダマンタイトを使用してしまったために物資も心許ない。

昨日のような大きな動きはできないだろう。

「あたしたちの役目は時間を稼ぐこと。持ち堪えていれば、獣王軍が必ずくるわ」

「本当に獣王様はきてくれるのか?」

「早く情報を知った割にいつまでたってもこないじゃないか?」

「こっちは丸一日帝国を足止めしてるってのによ」

獣人たちから口々に不安の声が上がる。

俺たちと同時にライオネルも侵攻の情報を知っていた。

軍の編成に時間がかかり、獣王都からプルメニア村まで距離があるのは知っているが、それでもそろそろ到着してもいいころだ。

それなのに獣王軍の音沙汰はまるでない。たった一日と思えるかもしれないが、十倍もの戦力差のある帝国を相手に一日も堪えるのは大変で時間が無限のように感じられる。

獣人たちが不安に駆られてしまうのもわからなくもない。

「必ずくる!」

そんな獣人たちの不安をかき消すような声音でレギナが言った。

力強い彼女の声に砦には静寂な空気が流れる。

「今のあたしにはそうとしか言えない。だけど、信じて一緒に戦ってほしいの!」

「王女様にそう言われては男として応えるしかないでしょう」

「そうだな! たとえ死んだとしても王女に請われ、村を守ったと思えば悪くない」

レギナの第一声に俺が反応し、ケルシーが乗っかるように言う。

「そうだな。何を弱気になってるんだ俺たちは」

「ライオネル様は俺たちの力になると言ってくれた。あの方は嘘をつくような人じゃないしな!」

「俺は籠城だろうがなんだろうがやってやるぞ!」

そんな俺たちの声に反応し、次々と獣人たちが協力する姿勢を見せる。

これまで培ってきたレギナの信頼もあるが、前回プルメニア村に訪れた際のライオネルと村人との交流が功を奏したようだ。

俺たちの農園の視察だけじゃなく、村人との交流もしっかりしていたしね。

「皆、ありがとう! ここからは籠城戦になるわ! 苦しいこともあるかもしれないけど、皆で乗り切りましょう!」

レギナの声に砦にいる獣人たちが力強い声で答える。

討って出ることに大きなリスクがあるのであれば、前に出る必要はない。

皆の輪から離れると、レギナがこちらにやってくる。

「ありがとうね、二人とも」

「レギナとライオネル様の人徳があったからこそだよ」

「その通りです」

二人を慕っているからこそ皆は付いていきたいと思うんだ。

俺とケルシーのお陰などではない。

当初の予定通り、俺たちは地の利を生かした籠城戦へ移行することになった。





籠城をすることに決まったとはいえ、錬金術師の俺には他の皆とは違った足止めの方法がある。錬金術を使って谷底に沼を作ったり、ストーンゴーレムなどを潜ませてみたり、崖の至るところに魔石爆弾を仕掛けてみたりと。これらの罠は昨日の大がかりな仕掛けとは違って所詮は一時的な足止めにしか過ぎない。

しかし、一分、一秒といった時間が欲しい俺たちからすれば、十分となる時間稼ぎだ。

手早く罠の設置を終えると、俺はすぐに砦に引き返す。

砦でも俺のやれることは多い。

砦の前に大きな堀を作って、そこに杭を設置したり、防壁の強度を上げたり、防壁の上から射かけるための弓矢を増産したり、熱した油や薬品などを用意したり。隙間時間にはゴーレムを作ったりと錬金術師としてやれることを必死に行った。

そうこうしていると、あっという間に時間は過ぎ去って帝国兵が再びレディア渓谷の中腹にまで迫ってきた。

最初にかかった仕掛けは俺の作り上げた沼だ。

ぬかるみに足を取られ、注意が向いている隙に魔石爆弾を発動させて、崩落を起こす。

足元が悪い中での攻撃に何人もの帝国兵が押しつぶされていくが、すぐに魔道具や魔法が飛んできて落石が破壊される。

さらに魔法使いたちは進軍する前に崖に魔法を放ち、魔石爆弾を誘爆させた。

俺が絶好のタイミングで崩落を起こさせるよりも前に、自発的に爆発させて被害を食い止める作戦のようだ。

確かに兵士たちに当たるよりも前に、作動させれば誰にも被害は出ない。

「妙に魔石爆弾の位置が当てられるな」

一発の爆発の傾向から予測して放っているのかと思いきや、妙に的確に魔石爆弾だけを破壊している。まるでわかっているかのようだ。

「イサギ様、軍勢の中に宮廷錬金術師がいます!」

メルシアに言われて魔道具で覗いてみると、軍勢の中に俺と同じローブを纏う数人の宮廷錬金術師がいた。

「宮廷錬金術師が戦場に出てくるなんて、これは本当になりふり構っていないようだね」

宮廷錬金術師は貴族の豪商の子息ばかりだ。

鉱山採掘といった泥仕事や命の危険が大きい仕事は嫌がって出てこない。

そんな彼らが前線に出ている状況は異常だ。

恐らく、彼らよりも権力が強い、第一皇子であるウェイスがよっぽどの圧力をかけたのだろう。

錬金術師がいれば、地中を探って罠があるか探るかも可能だ。

錬金術によって沼と杭は土に戻され、魔石爆弾や潜ませていたストーンゴーレムが次々と発見されていく。

「これは罠の類はほとんど時間稼ぎにならないね」

敵に錬金術師がいるってだけで、こうも厄介とは思わなかった。

昨日の俺の活躍を目にして、帝国もそんなことを思っていたのかもしれない。

俺の仕掛けた罠をことごとく無効化して、帝国兵たちが砦へと徐々に近づいてくる。

三百メートルほど近づいてくると、帝国兵の足が止まった。

代わりに至るところで魔法の光が輝いた。

「レギナ!」

「総員遮蔽のある場所に隠れて! 敵の魔法が飛んでくるわ!」

状況を察したのかレギナが声を張り上げた。

すると、外に獣人たちが慌てて砦の中に避難する。

俺もレギナもメルシアも慌てて砦の中へ入り込んだ。

防壁の上に立っていた獣人は、壁にぴったりと身をくっつけて大盾を空へ構えることで備える。

程なくして帝国兵の光が強く輝き始める。次の瞬間、光が弾けて大量の魔法が砦へと降り注いだ。

火級が防壁を焼き、雷が奔り、氷槍が突き刺さる。あらゆる属性の魔法の多くは防壁へと直撃する。

砦の内部に籠っていても振動が伝わってくる。すぐ近くで大量の魔力が渦巻いては散っていくのがわかる。

「イサギ様、この砦は耐えられるでしょうか?」

「大丈夫なように作ったつもりだけどね」

かなりの魔力と素材をつぎ込んで作ったが、

なんて会話をしている間に地響きは続いており、継続して魔法が直撃する音がする。

息を潜ませてジッと待っていると、ようやく振動が止み、魔力が霧散していくのを感じた。

「……収まったかしら?」

三十秒ほど経過したがが、それ以上の魔法が飛んでくることはない。

魔力を浸透させてすぐに砦の内部を把握。

各連絡通路や廊下、農園エリア、武器庫などの重要なエリアから調査してみる。

「今、調べたけど砦は崩壊していないよ。防壁の一部が欠けたけど、すぐに補修できる範囲だ」

安全性が確保されたことで俺たちは砦の外に移動。

レギナが村人たちの無事を確認するために声をかけていく。

獣人の大半は砦に引きこもることができたお陰で一切の怪我を負っていない。

ただ防壁の遮蔽に隠れることしかできなかった者は、すべての魔法から身を守ることはできなかったらしく炎で身を焼かれたり、爆風で防壁から落下して亡くなった者もいたそうだ。

とても悲しいが死者を悼む暇はない。なにせ帝国軍が近くまでやってきているのだから。

「レギナ! 帝国兵が進軍を開始している!」

「総員配置について!」

おそるおそる砦の上部に移動して俯瞰してみると、帝国兵がこちらの砦へと進軍してくるのが見えた。

遠くから魔法を撃ち続ければ、砦を崩せる可能性もあるだろうにその優位性を攻めてやってきた。

徹底的なまでの物量戦。帝国はよほど早く俺たちを倒したいようだ。

物量戦は俺たちがもっとも恐れていること。それに対する仕掛けがないわけではない。

「開門! それから大岩用意!」

レギナが声を張り上げると、獣人たちが防壁を開門して二メートルほどの大きな岩を並べ始める。

レディア渓谷から俺たちの谷底までは緩い傾斜になっている。つまり、俺たちが位置する場所から岩を押してやれば、帝国兵に向かって転がっていってくれるのだ。

「転がせー!」

レギナが号令の声を上げると、獣人たちが大岩を転がす。

コロコロと進んだ大岩は傾斜のよって徐々に速度を上げ、帝国兵へと迫る頃には加速して驚異的な速度となって襲いかかった。

坂上から転がってくる大岩に多くの帝国兵が押しつぶされていく。その勢いは前列だけで留まらず、二列目、三列目と勢いのままに転がっていって帝国兵を押し潰していく。

遠目に見ただけでもえげつない被害だ。人がぺしゃんこになる光景はかなりグロテスクではあるが、こちらも命がかかっている以上は容赦しない。

俺たちは次々と大岩を転がしていく。この時のために砦にはたくさんの大岩を置いているし、俺も錬金術で切り出したものを保存しているのでマジックバッグからじゃんじゃんと放出していく。

大岩もかなり重いので獣人でも押すのは一苦労であるが、強化作物で身体能力がアップされているのですぐに疲労することはない。迫りくる帝国兵たちに次々と大岩を転がしていく。

帝国兵も転がってくる大岩をなんとかしようと魔法で破壊しようとしてくるが、変則的に転がってくる大岩のすべてを破壊することは難しいのか、かなりの打ち漏らしが出て被害が出ている。いい感じだ。

「せいっ」

メルシアの転がした大岩がとんでもない速度で押し出されて転がっていく。

中列にいる大きな盾を手にした重騎士が五人がかりで受け止めようとするが、あまりの威力に弾くことも減衰させることもできずに仲良く潰れることになった。大岩はそのまま減速することなく中複の騎士たちもひき潰してようやく止まった。

彼女の押し出した大岩はとんでもない威力だ。

「次をお願いします」

「あ、はい」

俺はマジックバッグから大岩を取り出していく作業に従事する。

とはいえ、大岩を置いていくだけというのも物足りないので、メルシアの転がす大岩にだけ棘を生やしてみたりと威力の向上に努めた。

その結果、さらなる被害を生み出すことができたので最小の労力で成果を発揮できたと言えるだろう。

「うん? なんか大岩が転がらねえぞ?」

そんな風にサポートを行っていると、獣人たちから訝しげな声が上がるようになった。

防壁を登って確認してみると、俺たちの押し出した大岩が最初のように転がらなくなってしまい途中で止まったり、引っかかることが多くなった。

というか、よく見ると傾斜の確度が穏やかになっている気がする。

不思議に思ってあちこちを確認してみると、坂下に手をついている宮廷錬金術師の姿が見えた。

「錬金術師で傾斜をなだらかにしたんだ! レギナ、これ以上の大岩は効果がない!」

「そういうことね! だったら防御陣よ! ここからはひたすらに防御に徹するわ!」

レギナの指示ですぐに門が閉じられて、獣人たちは砦にこもって防御耐性に入る。

ここからは防壁や砦にある設備だけで帝国の進軍を食い止めるのだ。

帝国兵がなだらかになった傾斜を駆け上がってこちらに近づいてくる。

それに対してこちらは防壁の上にズラリと弓兵隊を並ばせる。

「よーく狙って放て!」

レギナの指示の元、狩人などの弓の扱いに慣れている村人たちが一斉に弓を発射。

山なりに飛んでいった矢が前列にいる帝国兵を打ち抜いていく。

傾斜がなだらかになったとはいえ、俺たちの砦は遥かに高いところに位置している。

駆け上がってくる帝国兵たちを打ち下ろすことのできる構図となっているので防御は硬い。

弓兵隊以外にも魔石爆弾を手にした投擲部隊や、俺の作った軍用魔道具などを運用している獣人たちが防壁から打ち下ろす形で帝国に被害を与えていく。

地形の有利もあって俺たちの防御は鉄壁だ。

あれだけいる帝国兵がロクに近づくことすらできていない。

しかし、それでも帝国兵は前進することはやめない。

理不尽に殺されようとも、前へ前へと進んでくる姿は異様だった。

「こいつら一体いつになったら退くんだよ」

「仲間の死体を盾にしてやがる」

どれだけ被害が出ようとも着実に近づいてくる姿は狂気的だった。

帝国兵の得体の知れない迫力に、どれだけ数を減らしても群がってくる光景に獣人たちは呑まれていく。

そんなゴリ押し戦法によって帝国兵が掘へと近づいてくる。

堀がある以上は楽に進むことはできないのだが、敵には宮廷錬金術師がいる。

俺が錬金術で堀を作ったように錬金術でそれを埋めることも簡単だ。

「あそこにいる宮廷錬金術師たちを近づけないでください! 堀を埋められてしまいます!」

こっそりと重騎士たちに護衛されて近づいてくる宮廷錬金術師のローブを羽織った一団。

そいつらは錬金術で堀を埋めようとしているので絶対に近づけてはいけない。

俺の指示を耳にして弓兵たちが一斉に矢を射かける。

重騎士たちは盾をかざして宮廷錬金術師たちへの攻撃を守ろうとするが、大量の矢の雨を防ぎきることができずに倒れ伏す。

「ざまあみろ! オレたちの堀は埋めさせねえぜ!」

なんてリカルドが威勢のいい声を上げた時だった。

俺たちの足元にあった堀が突如として隆起し、溝が埋まってしまった。

「ああっ!? なんで堀が埋まってやがるんだ!」

宮廷錬金術師はリカルドをはじめとする弓兵たちが仕留めてくれた。

熟練の土魔法使いでもあれだけの規模の堀を埋めるには時間がかかる上に、魔法陣が浮き上がったりなどの兆候が見える。しかし、それがなかった。

だとしたらこの現象は錬金術以外にありえない。一体どこに錬金術師がいたというのか。

「イサギ様! あそこです! 兵士の姿をした宮廷錬金術師が!」

メルシアの指さした地点を見ると、ただの歩兵の格好をした男たちが掘に手を当てていた。

「しまった! やられた!」

宮廷錬金術師のローブを羽織っていた男たちは囮で、こっちが本物だったのか。

道理であっさりと仕留められたわけだ。

兵士に紛争した錬金術師たちは堀を埋めると踵を返して去っていく。

俺ならすぐに堀を作ることができるが、帝国軍が目の前にいる状況で外に出るのは無理だ。

掘の再生はできない。

「こうなったら帝国兵が少しでも近づけないように俺たちも応戦するしかないね」

「お供します」

ここからは純粋な防衛戦。どれだけ帝国兵の勢いを削いで、足止めをできるかだ。

レギナやケルシーは全体の指揮を執るのに忙しい以上、自由に動ける俺とメルシアが積極的に攻撃を仕掛けるしかない。

帝国兵が数十人がかりで巨大な槌を運んでくる。

破城槌と呼ばれる城門を破壊し、突破することを目的とした攻城兵器だ。

弓兵たちも破城槌を運ぶ兵士を優先的に狙うが、人員が倒れるとまたすぐに別の人員が入れ替わる。

やがて門の前にたどり着いた破城槌の部隊が槌を打ち付けようとするところ、俺は錬金術を発動。砦の防壁から杭が隆起、破城槌の部隊が吹き飛んでいく。

「堀がなくなっても近づけるとは思わないことだね」

「さすがはイサギ様です!」

この防壁も砦も俺が錬金術で一から作り上げたものだ。すべてに俺の魔力が浸透しているのでそれを操作するのは造作もない。

「イサギ様、今度は矢の雨が!」

破城槌を撃退していると、今度は帝国陣地から矢の雨が飛んでくる。

防壁の上で攻撃を仕掛ける俺たちを排除したいようだ。

「屋根を作るから問題ないよ」

俺は錬金術を発動し、防壁についている壁をさらに高くし曲線上の屋根をつけた。

すると、俺たちの頭上に降り注いだ矢が屋根に吸い込まれた。

風魔法で散らすこともできるが、何度も飛んでくることを考えると屋根を作った方が魔力の消耗は少ない。

「お返しに射ち返してやろう」

「そうしたいところですが、弓兵隊の矢が尽きそうです」

弓兵隊の矢筒を見ると、中に入っている矢がかなり少なくなっている。

さっきから何度も矢を運んでいる者がいるが、それでも補給が追いついていないようだ。

弓兵隊は帝国兵を砦の近づけないための要だ。ここで攻撃の手を緩めることはしたくない。

「問題ないよ。ここにたくさんあるから」

俺はマジックバッグを解放すると、そこからたくさんの矢を取り出した。

この日のために錬金術で矢は大量に生産していたからね。

「おっしゃ! これなら帝国兵共に思う存分に食らわせてやることができるぜ!」

弓兵たちは素早く矢を補充すると、すぐにポジションに戻って矢を射かけ始める。

地の有利はこちらにある。それを崩すことなく徹底的に防戦するんだ。

そうすれば、きっとライオネルをはじめとする獣王軍が駆けつけてくれる。

そう信じて俺たちは遅滞戦闘に務めた。





太陽が中天を過ぎた頃になっても激しい攻防は続いていた。

未だに帝国の攻撃は止むことがなく、俺たちは消耗を抑えながら遅滞戦闘に務めている。

それでもこちら側には限界が近づき始めていた。

帝国には万を越える軍勢がいるのに対し、こちらは千人にも満たない戦力。

あちらは休憩を挟み、交代をしながら攻めることができるが、こちらは常に全員がフル稼働だ。誰かを休めようものならば、どこかで綻びが出る可能性が高いほどにギリギリの沿線だ。休みや交代を挟むような予知はない。

幸いにして砦内にある農園によって食料などは供給されるお陰で、長期戦になっても飢える心配はない。強化作物もあるお陰で身体もよく動く。

しかし、どれだけ物資があっても精神までは回復することは難しい。時間が経過するにつれて獣人たちの動きが悪くなっているのを感じた。

はじめての戦争ということもあってか獣人たちも酷く疲弊しているようだ。

獣人たちだけじゃなく、もはや俺の限界も近い。

なにせずっと錬金術を使い続けては、防壁から魔法を使うことで敵を迎撃している。

魔力には自信のある俺だったが、さすがに長時間使い続けると限界だ。

魔力が減ったことにより、頭痛、めまいといった魔力欠乏症の症状が出始めている。

魔力回復ポーションを飲めば少しは回復するだろうが、度重なる服用のせいで動悸がする。これ以上の服用は間違いなく身体に影響が出るだろうな。

防壁に火炎弾がぶち当たる。

「イサギ様! 防壁に亀裂が!」

「わかった。すぐに補修をするよ」

度重なる帝国からの魔法、魔道具による攻撃により、俺が作成した防壁にはボロが出ていた。

こうやって敵の攻撃でヒビが入るのも何度目だろう。その度に錬金術を使って、補強をしながら騙し騙しでやっているが、そろそろ限界だ。

もう一度防壁を補修しようと思ってマジックバッグに手を入れるが、欲しい魔力鉱、魔力鋼、魔鉄といった素材が出てこない。つまり、補修のための物資が底を尽きた。

「イサギ! 防壁の補修をお願い!」

「ごめん、レギナ。もう素材がないからできない」

「ええ? じゃあ、その辺にある土や石を代用するのはダメなの?」

「それじゃすぐに壊される。焼け石に水だ」

魔法耐性のない素材を使用して作っても、帝国の魔法や魔道具によってすぐに破壊される。

たった一回や二回しか機能しない防壁を作っても何の意味もない。

防壁は今も帝国からの攻撃に晒されて耐えてくれているが、いつ壊れたとしてもおかしくはない。

「防壁が壊れちまったらどうなるんだ!?」

俺たちの会話が聞こえたのか、リカルドが取り乱した声を上げる。

周囲にいる獣人たちも不安になりながら聞き耳を立てているのがわかる。

「あとに残されているのは砦だけね。そこに帝国兵がなだれ込んできてしまえば、あたしたちは囲まれて集中砲火で終わりね」

そうなってしまえば、逃げることもできない完全な敗北だ。

「イサギ様! 危ない!」

次の瞬間、俺たちのいた防壁の壁に火炎弾が着弾。その一撃は防壁に入っていた亀裂に着弾したようで、傍にある壁が見事に破砕した。

「いてて……」

急にメルシアに押し倒されることになったので腰やお尻が痛い。

レギナとリカルドも俺と同じく無事だったようで、呻き声を上げながら起き上がる。

俺も起き上がろうとするが覆いかぶさったメルシアが退いてくれない。

「メルシア?」

「…………」

返事がないことを不審に思って、そのままの状態で上体をむくりと起き上がらせる。

メルシアの顔を見ると、額からは一筋の血を流しており気絶していた。

後ろを見ると背中の服は破れ、爆破による熱と衝撃によって火傷を負ってしまっている。

どうしてそうなってしまったのかを俺は瞬時に理解した。

「メルシア!」

彼女は俺を庇って負傷してしまったのだ。

必死に声をかけてみるが、彼女が返事をすることはない。

「イサギ! どうしたの!?」

「メルシアが俺を庇って負傷したんだ」

「――そんな!」

「と、とにかく、治癒ポーションで治療を――」

俺は急いでマジックバッグを漁ってポーションを取り出そうとするが、帝国からの魔法攻撃が続けて防壁に直撃した。

今度は近くで直撃こそしなかったものの激しい爆風が俺たちを襲う。

それと同時にまた大きな破砕音が響いた。

「マズい! 防壁にまた大きな亀裂が!」

防壁には内側から見てもわかるほどに大きな亀裂が入っていた。

それにより帝国も防壁を破壊するべく、亀裂部分を集中砲火しているらしい。

激しい魔法の雨が亀裂目掛けて降り注ぐ。

これ以上ここを守ることはできない。撤退という二文字が浮かび上がる。

しかし、その決断をするには遅かった。

真正面にある防壁の一角が崩れ落ちた。

どうやら帝国の破城槌によって派手に穴を開けられてしまったらしい。

それは一か所だけじゃなく、何か所も同時に穴を開けられてしまう。

その穴から数多の帝国兵が突入してくる。

「て、帝国兵が入ってきやがった!?」

防壁が破られてしまえば、俺たちは砦に籠るしかない。

「総員撤退! 砦に逃げ込んで!」

レギナが必死に声を上げて、獣人たちに指揮を飛ばす。

しかし、砦に籠ってしまえば、周囲を大勢の帝国兵に包囲されて逃げ場がなくなってしまう。四方八方から魔法を撃ち込まれて外から砦を壊されるか、圧倒的な兵力差によって蹂躙される未来しかない。

それでも獣王軍がやってくるという最後の希望を信じるしかない。それ以外に道はないのだから。

「イサギ! 早く下がって!」

俺は負傷しているメルシアを抱きかかえると必死に砦に向かって向かう。

ただ疲労していることもあってか、今の俺の体力では人を運ぶことすらままならない。

女の子一人さえ満足に運ぶことができないんだから情けない。

メルシアはあんなにと軽々と俺を運んでいたのに。本当にすごい。

俺がメルシアを担いでのろのろと撤退している間に後方からは帝国兵が迫ってくる。

「イサギさん! なにやってんだ!? 早くしろ!」

リカルドの言いたいことはわかる。

俺の下がる速度が遅すぎてこのままじゃ帝国兵に追いつかれるってこと。

レピテーションは人体に作用しない以上、メルシアを運ぶことはできない。

このままじゃ共倒れになってしまう。

だからといって俺の中にメルシアを置いていくなんて選択肢はあり得ない。

メルシアは俺を助けるために傷付いたんだ。そんな彼女を置いて一人だけ逃げるなんて男としてできるはずがない。だからといってこのまま俺が運んでいては共倒れだ。

たとえ俺だけが死ぬことになっても、メルシアだけは助ける。

「ウインド!」

俺はなけなしの魔力を振り絞って風魔法を発動。

目の前に発生した風はレギナの身体をふわりと持ち上げて前方へと飛ばした。

落下先にはこちらを心配そうに見るレギナがおり、彼女の腕の中にすっぽりと収まった。

怪我人を運ぶのに大変乱暴なやり方ではあるが、非常事態なので許してほしい。

「受け取ったわ!」

「早くイサギさんもこいよ!」

「ごめん。それは無理かも」

なけなしの魔力を使い切ったからか足からガクッと力が抜ける。

俺の身体が前のめりに倒れる。

自分の命の危機が迫っているというのに身体が言うことを聞いてくれない。

帝国兵がゆっくりと迫ってくる。どうやら俺はここまでのようだ。

でも、悔いはない。やるべきことはやったんだ。

漫然と迫りくる帝国兵を見つめていると、視界が急に曇った。

「王を差し置いてこんなところで昼寝とはいい身分ではないか、イサギ」

呆然と見上げると、そこには緑のマントを羽織った大柄な獣人が立っていた。

「ライオネル様?」

「お父さん!?」

「ああ、ようやく追いついたぞ!」

「遅いです!」

「どれだけ時間かけてるのよ! ホントに遅い!」

「なんか当たりが強くないか?」

俺とレギナの抗議を受けて、ライオネルが若干凹んだ様子を見せる。

それくらいこちらとしては大変だったのだ。俺もレギナも何度も死にかけたし、多少の文句には目を瞑ってもらいたい。

「これでも様々な工程を吹っ飛ばして急いでやってきたつもりなんだがなぁ」

獣王都からプルメニア村まで二週間はかかる道のりだ。

ライオネルが軍を編成して、ここまでやってくるのに時間がかかるのも仕方がないだろう。

「イサギ、ポーションを飲め」

「すみません。これ以上の服用は身体がもたないので」

「……そうか。無理をさせてしまってすまない」

ライオネルが治癒ポーションを渡してくれるが、俺はゆっくりと顔を横に振った。

ポーションに頼ることができない以上は、強化作物を口にし、自然回復に身を任せるしかない。

「とりあえず、目の前にいる奴等が帝国兵ということで間違いないな?」

「ええ、そうよ」

「俺たちよりも前に味方は?」

「いません」

「で、あれば派手に暴れてもいいということだな」

レギナと俺の報告にライオネルは不敵な笑みを浮かべる。

突如として目の前に現れた獣人を前にして帝国兵は警戒感を露わにしている。

相手は目の前にいるのが獣王とは気付いていないだろうが、その佇まいや雰囲気からして只者じゃないことはわかっているのだろう。

わかる。ライオネルって立っているだけで圧が半端ないからな。

そんな中、帝国兵は顔を見合わせると一斉に魔法剣を構えた。

身体能力の高い獣人とは下手に接近戦をせずに遠距離からの魔法攻撃で仕留めることにしたらしい。

数多の魔法剣が煌めく中、ライオネルは両腕を組んでジッと立っているだけだった。

回避運動をする素振りや攻撃を仕掛ける素振りはまったくない。

そんな中、帝国兵の魔法剣から様々な魔法が放たれる。

真正面から迫ってくる各属性魔法の嵐に対して、ライオネルはフッと息を吐いた。

それだけで魔法がかき消された。

「はっ?」

俺だけじゃなく魔法剣の力を放った帝国兵からも間の抜けた声が上がる。

あれだけの魔道具による攻撃の束が、ただの息だけでかき消された? 意味がわからない。

何か強力な魔法で相殺するならまだしも、ただの息だけで相殺するなんて悪夢だ。

「ハハハ! 今度はこっちの攻撃の番だな!」

ライオネルは豪快に笑うと、深く息を吸い込んでお腹を膨らませた。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

次の瞬間、ライオネルから咆哮が放たれた。

それはただ大気を震わせるだけでは留まらず、音の奔流となって帝国兵たちを吹き飛ばした。後ろにある防壁が余波で倒壊し、傍にいた帝国兵たちに被害をもたらしていく。

「どうやったらただの咆哮でそうなるんです?」

「闘気と魔力を体内で練り上げて放つだけだ」

そもそも闘気ってなんだ。そんな力は初めて聞いたんですけど。

「なんか色々と生物としての各が違い過ぎる気がする」

「そりゃそうよ。お父さんは獣王国で最強の戦士だもの」

レギナが胸を張ってどこか誇らしそうに言う。

そうこう話をしている内にライオネルは地面に片手を差し入れると、直径十メートルほどの大岩を引っ張り出し、そのまま帝国兵たちに投げつけた。

圧倒的な質量を誇る巨大物が帝国兵に襲いかかる。

軽い攻撃がそこらの軍用魔道具を遥かに凌駕する一撃となる。

彼が本気で戦えば、どのようなことになるか想像ができないな。

砦に籠っている獣人たちが総出になっても抑えることができなかったのに、ライオネルはたった一人で食い止めるだけでなく壊滅させようとしている。

恐らく、獣王国にとっての獣王という存在は、たった一人で大きな戦を左右できるほどの戦術的な活躍ができる英雄であることを指すのだろうな。

「レギナ! 今のうちにメルシアに大樹ポーションを!」

冷静に分析をしている場合じゃなかった。ライオネルが帝国兵を止めている間に、メルシアの治療をするべきだ。

「そ、そうね! え、えっと、この場合は飲ませればいいのかしら? それとも傷口にかけた方が?」

「ごめん。ちょっと借りるね」

あまりこういった怪我人にポーションを使ったことがないのだろう。

慌てた様子のレギナからポーションを拝借すると、俺はメルシアに錬金術を発動。

彼女の腕、肩、背中などに刺さった石材の破片を錬金術で抽出して抜き出す。

メルシアが痛みでうめき声を上げるが、体内に残留したまま治療することはできないので我慢してもらう。

すべての破片を体内から除去すると、俺はメルシアの背中を中心とした傷口に大樹ポーションをかけてやる。

すると、ポーションは効力を発揮させ、痛々しいまでの背中の火傷や切り傷が綺麗に治った。

「……イサギ様?」

程なくすると、メルシアの瞼がゆっくりと持ち上がって綺麗な青い瞳が露わになる。

「よかった、メルシア。意識が戻ってくれて」

メルシアが目を覚ますと、俺はその嬉しさから思わず抱き着いてしまう。

「あ、あの! イサギ様!?」

「ごめん。メルシアが無事だったのが嬉しくて。俺を守ってくれてありがとう」

「い、いえ。メイドとして当然のことをしたまでなので! あ、あの、それよりも状況を教えていただけますか?」

メルシアが顔を真っ赤にしてあわわとするので、とりあえず俺は身体を離して落ち着いてもらうことにした。

「ライオネル様がやってきたんだ!」

「ということは獣王軍はやってきたのですね!?」

メルシアがホッとしながら言うが、俺たちの目の前にはライオネルはいるものの他の獣王軍らしき存在を目にしてはない。

「お父さん! 獣王軍は?」

「遅いから置いてきた!」

「え? 王なのに軍勢を置いて一人で来ちゃったんですか!?」

「そのお陰でイサギたちが助かったのだからいいではないか」

思わず突っ込むと、ライオネルがややムスッとした顔で言う。

いや、そう言われるとこちらは何も言えないのだが、王が軍勢を置いてきていいんだろうか? なんて思っていると、不意に地面が激しく揺れた。

「こ、この揺れは?」

「まさかこんな時に魔物?」

周囲の魔物は駆除しておいたはずがだ、血の匂いに誘われて集まってきてもおかしくはない。サンドワームのような魔物が襲いかかってくるのかと地面を警戒するが、いつまで経っても地面が盛り上がることはない。

「いいえ、これは魔物じゃないわ! 二人とも後ろを見て! 獣王軍よ!」

レギナに言われて振り返ると、砦の遥か後方に激しく砂煙が上がっている。

そこには鎧を纏った大勢の獣人が整然として並んでおり、大きなカバのような動物に跨って疾走していた。

「ライオネル様ー!」

整然と並ぶ兵士たちの中央には小柄な初老の獣人――ケビン宰相がいた。

「おお、ケビンか! 遅いぞ!」

「遅いですじゃありませんよ! まったく我々を置いてお一人で先行されるなんて!」

ライオネルの独断専行に案の定、宰相であるケビンはお怒りのようだ。

そりゃそうだよ。軍勢を率いる王が先に前に出ちゃっているんだもん。無茶苦茶だよね。

「やった! 獣王軍だ!」

「獣王軍だけじゃねえぜ!」

獣王軍の到着に喜んでいると、不意に空から誰かが下りてきた。

その人物の頭には巨大な牛角が生えており、纏っている皮鎧には一族の象徴色である赤いのラインが入っていた。

「キーガスさん!?」

「おうよ!」

不敵な笑みを浮かべて自身の身長ほどある戦斧を肩に担ぐキーガス。

彼はラオス砂漠に住む赤牛族の族長だ。

ここよりも遥か遠いところに住んでいるキーガスの登場に驚いていると、今度は頭上でバサリと羽ばたく音がした。

「彼だけじゃなく、私たちもいますよ」

見上げると、鮮やかな翼を動かしてこちらにやってくるティーゼがいた。

「ティーゼさん!」

「どうしてここに?」

そうだ。二人と会えたのは嬉しいが、どうしてこんなところにいるのか。

「獣王に礼を伝えるために獣王都に向かったらイサギたちの故郷が大変なことになってるって聞いよ。集落の戦士を率いてやってきたぜ」

「ええ!? ラオス砂漠からプルメニア村までかなり遠いのに!?」

「遠いとか関係ねえよ。お前たちは命の恩人だからな」

「今度は私たちがイサギさんたちをお助けする番です」

キーガスの後ろには大勢の赤牛族がやってきており、上空にはティーゼ率いる彩鳥族たちが空を飛んでいた。二人だけでなく、集落にいる戦士たちも駆けつけてくれたようだ。

二人の温かな言葉の戦士たちの雄叫びに目頭が熱くなる。

「……皆、本当にありがとう」

「おいおい、もう泣いてるのかよ!? 泣くのは戦いが終わってからだぜ」 

「キーガスの言う通りですよ。涙は戦いに勝利したその後にまで取っておきましょう」

「うん。そうだね」

援軍がきてくれたとはいえ、まだ戦争の最中だ。喜び泣くのは後にしておこう。

「獣王軍たちよ! こうして今まさに卑劣な帝国が我らが領地を侵略している! 王国民としてこれが許せるものか!?」

「否!」

「そうだ! ここは獣王国! 我らが国の領土だ! 帝国になどくれてやるつもりはない! 獣王軍よ、今こそ日頃の訓練の成果を見せる時! 我らの民を、領土を守るために戦え! 総員突撃!」 

「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」」

ライオネルの号令によって獣王軍たちが雄叫びを上げて前に進んでいく。

その戦力は帝国に勝るとも劣らない。そんな数の獣人たちが雪崩れ込んでいく。

帝国兵士が獣人の操る騎獣に踏み潰されていく。

少数の相手を追い詰めたと思いきや、自分たちと同等のあるいはそれ以上の戦力が現れたのだ。混乱するのも無理はない。

「……すごい戦意だ」

「獣王軍の戦士には、イサギに恩のある人も多いからね」

「恩?」

レギナによると、どうやらうちの農園の作物や救荒作物によって戦士たちの故郷や家族が救われたようだ。そのため戦士たちは俺やプルメニア村に多大な恩を感じており、恩を返すべく奮闘してくれているようだ。

まさか、自分の行いがこのように巡り巡ってくるとは思わなかった。

やっぱり、最後に大事なのは人と人の繋がりなのだな。

「イサギはどうするんだ?」

「見たところ疲弊されているようですし、後ろに下がっていても構いませんよ?」

「いや、俺も戦うよ。俺にだってまだできることがあるからね」

全快には程遠いけど、それなりに魔力は回復した。

これだけの頼もしい仲間がいるのであれば、やれることはたくさんある。

「ようやく遠慮なく戦えるのよ? 後ろでジッとなんてしていられないものね!」

「私もお供します!」

レギナだけでなく、メルシアもすっかりと戦う気は満々のようだ。

戦力も十分にあるし、頼りになる仲間も大勢いる。

ここからは耐えるための戦いじゃない。帝国に勝つための戦いをするんだ。