翌朝。俺はスッキリとした目覚めを迎えた。

身支度を整えて工房に出ると、メルシアが室内の掃除をしてくれていた。

「おはよう、メルシア」

「おはようございます、イサギ様。お身体の調子はいかがですか?」

「自分でも驚くくらいに絶好調だよ」

「それはよかったです」

昨日までは鉛のように重かった身体がとても軽く、頭痛もまったくない。

魔力も完全に回復しており、体内での巡りもいい。

強化作物による料理を食べ、ぐっすりと眠れたのがよかったようだ。

「イサギ、調子はどう?」

なんてやり取りをしていると、今度はレギナが顔を見せにきてくれた。

「おはよう、レギナ。休ませてもらったお陰で調子はバッチリだよ」

「そう。皆、イサギのことを頼りにしているんだから、あんまり無理をして心配させちゃダメよ?」

「うん。程々にしておくよ」

「もう無理をしないとは言わないのね?」


「そうでもしないと迎撃できそうにないからね」

一国の主戦力と辺境の村が張り合うんだ。無理をしないと勝てる相手じゃない。

レギナもそれをわかっているのか、無理に止めるようなことはなかった。

「帝国の様子はどう?」

「一応、交代で斥候を出しているけど、今のところそれらしい姿は確認していないわ」

「そうか。とはいえ、今日、明日くらいが怪しいね」

「ですね」

そんな俺とメルシアの呟きを耳にして、レギナが小首を傾げた。

「え? 帝国がこっちに到着するには、もう少しかかるんじゃない?」

「それは俺たちが情報を仕入れるより前に帝国が発っていなければの話だよ」

獣王国からプルメニア村に帰還するのに二日、レディア渓谷に砦を作り始めて三日目。既に五日も経過している。

帝国からプルメニア村までやってくるのに俺とメルシアは馬車で一か月ほどかかったが、それは費用を極力抑え、乗り合い馬車の都合などに合わせたからこれほど日数がかかっただけであり、帝国が真っすぐにこちらにやってくるのであれば二週間もかからない。

その日数から察するとまだまだ余裕があるように見えるが、俺たちが獣王国で情報を仕入れた時よりも遥か前に帝国が国を発っている可能性もある。

「それはもちろんあたしも想定しているけど、どう考えてもこっちに向かうのに三週間はかかるわ。帝国領はかなり広い上に、いくつもの険しい山や森があるもの」

国の主戦力が移動するのに容易ではない。距離が遠ければ、兵士は疲弊し、物資も減ってしまう。途中で大きな街などに寄って物資を補給し、兵士を休ませる必要がある。

「うん。だから帝国は国内にある街や村から兵力や物資を徴収して無理矢理突き進んでくるよ」

「え? 帝国軍がそんな無茶をするもの?」

「帝国はそういう国なんだ」

俺の言葉にレギナが唖然とした顔になる。

レギナの主張はもっともであるが、一つ違う点があるとすれば帝国に対する理解の差だろう。こればかりは仕方がない。

「それに帝国にはイサギ様ほどではありませんが、何人もの宮廷錬金術師がいます。それらのポーションを使用して強行軍をしている可能性は非常に高いです」

俺が徹夜をするために作った強壮ポーション。あれらの類を使用すれば、通常の進軍速度を遥かに上回る速度で移動することができる。後回しとはいえ、睡眠を摂る必要がなくなるのは大きい。

「……そう考えると、そろそろ帝国がここに到達してもおかしくはないわね」

「ごめん。俺たちがもっとよく帝国のことを伝えていればよかったよ」

「いいえ、確認を怠ったあたしも悪いわ。今はとにかく、そのことを皆に周知させておくわ」

「うん。お願いするよ」

事の重大さを理解したのか、レギナが血相を変えて工房を飛び出していく。

俺とメルシアは帝国で何十年と過ごしてきたので、帝国のことを当たり前にわかっているが、他の人からしたらそうでもない。これは失敗だったな。

工房の外に出ると、あちこちで職人たちが砦の補強をしたり、迎撃用の兵器を取り付けている姿が見えた。

演習場へと顔を出すと、大勢の獣人たちが武具を纏って連携の訓練をしていた。

それを眺めていると、訓練を中止して先頭にいたケルシーが近づいてくる。

「イサギ君、おはよう!」

「武具の調子はどうですか?」

村長であるケルシーをはじめとする、元兵士、狩人などの荒事に慣れている人には、俺が錬金術で作ったマナタイト製の防具を支給してある。

「絶好調さ。マナタイト製の武器を使えば、石だってバターのように斬れるからね」

「防具だって少し魔力を込めれば、かなりの防御力になる。これらがあれば怖いもん無しだ」

マナタイト製の武具は魔力を込めることで攻撃力を高めたり、防御力を高めたりと様々な変化を起こすことが可能だ。

全員に支給することはできないが、村の最高戦力であるケルシーたちが装備していると非常に心強い。

「そして、最高なのは耳と尻尾が窮屈じゃない。これは我々獣人にとって重要なことだ」

「ありがとうございます。皆さんのご要望に応えた甲斐がありました」

獣人たちに防具を作るに当たって一番苦労したのが、耳や尻尾の稼働問題だ。

今まで人間にしか装備を作ったことがなかったのでこれには苦労した。

それぞれの種族によって耳の長さや稼働域は違うだけに、微妙な個体さもあるときた。すべてがオーダーメイドであり、調整には四苦八苦したものだ。

しかし、その甲斐もあってケルシーをはじめとする獣人の方には評価を貰えたようだ。

「さっきレギナ様から聞いたんだが、我々が予想しているよりも遥かに早くやってくる可能性があるそうだね?」

「はい。俺たちの共有不足でした。すみません」

「いや、我々も状況に浮かれ、どこか楽観的になっていた。二人が悪いなどとは誰も言うまいよ」

「そうですよ。皆、イサギ様を頼り過ぎです。もっと自分にできることをやってください」

「ぬう、そう言われると耳が痛いな」

準備で色々と駆け回っている俺を傍で見ているせいか、メルシアの意見が辛辣だ。

「いいんですよ。錬金術師にとって活躍の場は準備やサポートにあるので。その代わり、戦いになった時は頼りにしていますからね?」

「ああ、必ずその期待に応えてみせよう」

頼りになる笑みを浮かべると、ケルシーは元の集団へと戻って訓練を再開した。

皆が俺のように何かを作れるわけではないし、俺も前線に出て戦えるわけでもない。

適材適所だ。

演習場から農園へと移動すると、ネーア、リカルド、ラグムントがゴーレムと共に農作業に励んでいた。

「イサギさん、体調は大丈夫ー?」

「皆の作ってくれた作物の効果もあって全快です」

「にゃはは、よかった。イサギさんが眠ってる間、メルシアはソワソワして作業も手につかなかったからね」

「ネーア! 余計なことは言わなくていいですから!」

頬をほのかに染めたメルシアが追いかける。

ネーアが楽しそうに逃げ回り、リカルドやラグムントもそんな光景を微笑ましそうに眺めている。

こんな平和な日々が続けばいいのに。

だけど、刻一刻と帝国が忍び寄ってきていて……。

絶対に誰も死なせたくない。

この幸せな光景を守るために俺も覚悟を決めよう。

「メルシア、俺は先に戻って作業に戻るよ」

「それでは私も――」

「いや、今日作るものはそれほど手伝えるものもないし、レギナの補佐をしてあげてくれるかい? 今朝の話で色々と再調整することがあるだろうし」

俺を覗くと帝国について詳しいのはメルシアだけだ。レギナの中で色々と作戦変更もあるだろうし、その時に帝国について詳しい彼女がいてくれた方が修正も捗るはず。

「わかりました」

メルシアが頷くのを確認すると、俺は一人で砦の廊下を歩く。

「……コクロウ」

廊下を歩きながら名前を呼ぶと、影からコクロウがぬっと現れた。

今まで姿を現してはいなかったようだが、ずっと影には潜んでいたらしい。

「なんだ?」

「ちょっとこれから危険な実験をするから俺の護衛を頼めるかな?」

「護衛ならあの小娘に頼めばよかろうに」

「これから行う錬金術はあんまり綺麗なものじゃないから」

なにせこれから行う錬金術は軍用魔道具以上に人の命を奪うためのものだ。

とても醜悪でメルシアに見せられたものではない。

「我ならいいとでも?」

「コクロウならそういうのは気にしないかなって」

「別にあの小娘も気にしないと思うがな」

「男としての意地ってやつだよ。たまにはカッコつけたいんだ」

「今まで散々情けない姿を晒しているようだが?」

「うっ、それについては触れない形で頼むよ」

日頃からメルシアにお世話になりっぱなしだし、魔物からも守ってもらっている。

昨日なんてベッドで寝かしつけられたばかり。とても男の意地なんて言えるものでもない。

それでも男にはカッコつけたい時ってのがあるんだ。

「フン、まあいい。戦争とやらの前の準備運動にはなるだろう」

「ありがとう。助かるよ」

コクロウに礼を言うと、俺は砦の外に出た。

「よし、この辺でいいかな」

そのまま遠くまで移動し、誰にも見られない場所にまでやってくると俺はマジックバッグから種を取り出した。

続けて植物系の魔物の素材と魔石を取り出すと、俺はそれらを合わせて錬金術を発動。

ごく普通の種に魔物に因子が加えられる。

「試作品一号の完成だ」

「随分と禍々しい種だな」

出来上がった種はコクロウが言うように禍々しい形とオーラを放っていた。

「その種で何をするつもりだ?」

「こうやって戦力を生み出すんだよ」

コクロウが首を傾げる中、俺は種をポトリと地面に落とした。

すると、種はずぶずぶと勝手に地面に沈んでいき、急成長。

芽を出し、枝葉を実らせると、茎の中央にぎょろりと大きな目玉を開眼させた。

「なんだ? この醜悪な植物は?」

「錬金術で作った作物さ」

「これが農園と同じ作物とでも?」

「ああ、農園と同じように品種改良をしただけだよ。ただし、改良する方向性を変えただけさ」

作物として収穫させるための成長率、繁殖率、病害耐性、甘み向上、そういったものをすべて切り捨て、魔物の因子をはじめとした、凶暴性、繁殖性、攻撃性などを加えた。

いうなれば、錬金術によって作り出された錬金生物と言えるだろう。

こんなものを何故作れるのかというと、作物の品種改良をする際に試行錯誤をしていたら作れるようになってしまった。

植物、魔物の因子について深く研究した俺だからできる技術だろうな。

「で、コイツは貴様の言う事を聞くのか?」

「多分、聞かないと思う」

俺がその答えを肯定するかのように錬金生物が棘の生えた蔓を振るってきた。

こちらの首を跳ね飛ばそうと迫ってくる蔓だったが、コクロウが割り込んで爪を振るうと綺麗に切断された。

そのままコクロウは着地すると、視線を錬金生物の方に向ける。

気が付けば錬金生物は自らの足元にある影に串刺しにされていた。

「まったく、自分で作っておいて言うことを聞かないとはどういうことか」

ため息を吐きながらコクロウが影の行使を解除すると、錬金生物から紫色の血液のようなものが漏れた。

自分で作っておきながら気味の悪い光景だと思う。

「そのためにコクロウに護衛を頼んでいるんだよ。ある程度の言うことを聞いてくれる個体を生み出すために」

「ある程度でいいのか?」

「味方が大勢いる中で運用するつもりはないからね」

完全な錬金生物を作るにはあまりに時間が足りないのも大きな理由だが、別に敵陣の真っただ中で生み出してやれば、勝手に帝国兵を敵だと認識して攻撃してくれる。

それだけで十分だ。

「フン、人畜無害そうな顔をして中々にえげつないことを考えるのだな」

「あんまりやりたくないけど、大切な人たちを守るためだから。そんなわけでコクロウにはもう少し付き合ってもらうよ」

「この程度の強さならいくら数がいようが問題はない。一気にやれ」

「それじゃあ、ドンドン試させてもらうよ」

俺はコクロウがいるのをいいことに遠慮なく、錬金生物を作り出していくのだった。