解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる


「迎撃用の魔道具は作ってくれないかしら?」

レギナが真剣な表情で俺にそんな言葉を放った。

彼女が指している迎撃用の魔道具とは、帝国でいう軍用魔道具のことだろう。

生活を豊かにするための魔道具ではなく、人を傷つけるための魔道具。

俺が作るのをあまり好まない魔道具だ。

なぜならば、それは人々を幸せにしたいという俺の錬金術師としての方針と、真反対を突き進むものだから。

「ごめんなさい。イサギが人を傷つけるための魔道具を作るのが嫌いだって知っているのに、こんなことを頼むようなことをして」

「いや、レギナは悪くないよ。王女としてこの国を守るために必要なことを言っているだけだから」

俺がレギナの立場でも同じことを頼に違いない。

これから始まるかもしれないのは命を奪い合う戦争なんだ。作るのが嫌いだとかいう個人的な理由で放置していい問題ではない。

大人数での争いで活躍するのは魔法による範囲攻撃。

戦争で軍用魔道具がどれほどの効果を発揮するのかは、言うまでもないだろう。

ただでさえ、獣人は人間に魔力の保有量も劣っており、魔法の文化も遅れている。

魔法で太刀打ちするのは不可能に近い。そんな絶望的な差を埋めるのが、軍用魔道具だ。

軍用魔道具さえあれば、魔石の魔力が切れない限りは獣人でも魔法の力を振るうことができる。魔力の少ない獣人だろうと大魔法に匹敵する威力の攻撃を放つことができる。

そんな重要なものを使用しない手はない。

そんなものは俺が一番にわかっているはずだった。

「本来ならばすぐに作成に取り掛からないといけなかったはず。それをしていなかったのは俺が嫌なことから目を背けていただけにすぎないんだ」

「……イサギ様」

本当の意味で俺の覚悟は決まっていなかったのかもしれない。心のどこかでまだブレーキを踏んでいた自分がいた。

でも、そんな甘い気持ちじゃ大切な人を守れないんだ。

「もう目を背けるのはやめる。軍用魔道具を作るよ」

軍用魔道具だけじゃなく、武具、アイテム、あらゆるものを錬金術で作り上げて帝国に対抗する。それが俺のできる村の守り方だ。

「ありがとう、イサギ」

「礼を言うのはこっちだよ。レギナのお陰で目が覚めた」

彼女が意を決して言ってくれなければ、俺はズルズルと後回しにしていたかもしれない。

自分のできる最大限のことをせずに敗北したとあっては悔やんでも悔やみきれないし。

早めに気付かせてくれたことに感謝だ。俺は俺のできることのすべてやろう。

「早速、作ってみるよ」

そのために俺は先ほど強化したばかりの剣を取り、再び錬金術を発動。

作り出すのは剣に魔法の力を宿す魔法剣だ。

刀身に炎の魔法式を刻み始める。

魔力の偏りが出ないように集中。

込める魔力は常に一定で、ひと払いまでしっかりと意識して刻み込んでいく。

最後の文字を刻み終えると明滅し、刀身が淡い水色へと変色した。

魔法式と魔力が刀身にしっかりと馴染んだ証だ。

最後に魔法式が消えないようにしっかりとコーティングを施せば……。

「完成。氷結剣」

ただの魔力鉱でできた剣は、俺が魔法式を刻み込むことによって氷属性の力を宿した魔法剣へと姿を変えた。刀身は淡い水色に変化しており、ほのかに冷気が漂っている。

「続けて何本か作ってみようか」

氷結剣をメルシアに渡すと、二本目はマナタイトで加工された剣を手にして魔法式を刻み込む。

やっぱり、マナタイトは魔力鉱よりも魔力伝導率が高いので、魔力の馴染みもいいな。

しっかりと呼吸を意識しながら一文字一文字を丁寧に。ちょっとした文字や魔力の乱れが、そのまま武器へと影響するので片時たりとも気を抜くことはできない。

二本目も完成し、三本目、四本目にも着手していく。

半年ほどのブランクがあったが五本目にもなると、俺の身体も徐々に作り方を思い出してきたのか魔法式を刻む速度は最初に比べて二倍ほど早くなっていた。込められた魔力にムラなどは一切ない。

「とりあえずはこんなものかな」

氷結剣、雷鳴剣、火炎剣、風刃剣、土精剣といった各属性の魔法剣が完成した。

「えっ? 魔法剣ってこんなにも早くできるものなの?」

「もうちょっと数をこなせば、もっと早くなるよ」

「そ、そう」

たった五本ではウォーミングアップにもならない。

あと二十本ほど作れば、身体も温まってもっと早く生産できるようになると思う。

「二人ともちょっと魔法剣を使ってみてくれないかな? 久しぶりに作ったから感触を確かめておきたいんだ」

「あたしでいいのなら」

「もちろん、私も協力いたします」

「ありがとう。ここじゃ危ないし、砦の外で使ってみようか」

砦の内部にもちょっとした演習スペースはあるけど、今はそっちで訓練をしている村人もいるので使用することはできない。

魔法剣の危険性から砦の外で実験するのがいいだろう。

そんなわけで、俺とレギナとメルシアは魔法剣を手にして砦の外へ。

砦の外には谷底しかなくロクな障害物もなかったので、俺が錬金術を使用して土を隆起させ、五つほどの標的を作った。

「それじゃあいいかしら?」

「どうぞ」

「まずは火炎剣からいくわ!」

レギナが火炎剣を上段に構えて、ゆっくりと魔力を流していく。

赤い刀身から熱気が放出されると同時に勢いよく発火。燃え盛る炎が刀身をとぐろまく。

……うん、炎の発動もスムーズだし、制御もちゃんとできている。

火炎剣は正常に作動している。

「はっ!」

レギナがこちらに視線を送ってきたので、こくりと頷いてやると、彼女は勢いよく火炎剣を振り下ろした。

刀身を纏っていた炎が射出される。

勢いよく迸った炎の大砲は標的へと着弾し、爆炎を撒き散らしながら岩を破壊した。

「使い心地はどう?」

「バッチリよ! とても使いやすいわ!」

魔法剣を使って興奮しているのか、レギナは楽しそうに感想を述べた。

「では、私は雷鳴剣を……」

メルシアが翡翠色の剣に魔力を込めると、青白い雷の力が刀身にまとわりついた。

バチバチと音を立てながら雷を収束させると、メルシアは魔法剣を薙ぎ払う。

収束された雷が一気に解放され、一直線に突き進んだ雷は岩を貫通させた。

「さすがはイサギ様の魔法剣ですね。そこらのものとは物が違います」

刀身の電気を振り払いながらメルシアがうっとりとした様子で呟く。

「なんかメルシアとあたしで魔法剣の使い方が違う?」

レギナに手元にある火炎剣とメルシアの雷鳴剣を見比べながら言った。

一目見ただけでそのことに気が付くとはセンスがある。

「それは使い方の問題です」

「使い方?」

「魔法を放つ時と同じように魔力の操作をすることで変化を起こすことができます。私はただ雷を放つのではなく、一度収束させることによって威力と貫通力を高めました」

もちろん、魔法剣の属性によって威力などに変化が出るが、二人の威力に大きな差が出たのはそういった応用技術の差だ。

メルシアはあまり魔法が得意ではないが、俺の作った魔法剣をよく振っていたのでそういった運用は得意だ。

「あっ、本当だわ! 炎の威力が上がった!」

メルシアの解説を聞きながらレギナが火炎剣を振るうと、さっきに比べて炎がより大規模な大きさになって岩を呑み込んだ。

「魔力を限界まで収束させて解き放つイメージで操作すれば、爆破が強化されるよ」

「やってみる!」

アドバイスを送ってみると、レギナに実際にそのように魔力を込めて火炎剣を振るう。

すると、炎は控え目であったが、岩に着弾した瞬間に爆発を起こした。

「……すごい。魔法剣といってもこれだけ性質に変化を加えられるんだ」

「魔力の扱いに長けている人だからできる技術だけどね」

魔法の素養がなかったり、魔力操作に慣れていない一般の兵士ではこのような性質変化を起こすことはできない。この二人だからいとも簡単にできるだけ、難しい技術だ。

「こんなに使いやすい魔法剣は初めて」

「今までの魔法剣はどんな感じだった?」

「魔力を流した時の違和感があるっていうか、込めた魔力に対して起こる現象が小さいって感じ?」

「それは単純に錬金術師の技量でしょう」

「そうなの?」

「刻み込んだ魔法式の魔力が乱れていたり、魔法式そのものが間違っていたのかもしれないね」

魔法剣の要は刻み込む魔法式だ。

それに乱れがあれば、魔力を流す使用者が不快感を覚えたり、魔力のロスを感じるのは当然と言えるだろう。

仕組みが単純故に、製作者の技量が問われるのが魔法剣だったりする。

帝国では少しでも淀みがあれば、貴族や騎士団の方々が文句を言ってくるので大変だったものだ。そのお陰で鍛えられたとも言えるけどね。

「これだけ使い勝手がいいなら、自分で魔法を付与するよりもいいかもしれないわ」

ラオス砂漠にてレギナは大剣に炎を付与して戦っていた。

その一撃はとても強力でキングデザートワームを一撃で屠るほど。

「さすがにそれは言い過ぎだよ」

「あの技は連発できないし、人間を相手にするならこっちの方が魔力も抑えられるのよ」

確かにレギナのあの一撃は強力だが、人間を相手にするには明らかにオーバーキルだ。

逐一魔法を発動し、加減をしながら戦うよりも威力の調整が楽な魔法剣にしてしまう方がストレスなく戦えるのかもしれない。

「……ならレギナのために大剣用の魔法剣を作っておこうか?」

「ありがとう。とても助かるわ!」

お世辞などではなく本当に必要としているのであれば、錬金術師としてそれに応えるまでだ。

火炎剣、雷鳴剣、風刃剣、土精剣の試運転が問題なく終わると、最後に残っている氷結剣だ。

「最後は氷結剣ね。使ってみてもいいかしら?」

「いいよ。ただそれだけはマナタイトを使っているから魔力の消耗には注意してくれ」

「わかったわ」

五本作った魔法剣の中で、氷結剣だけはマナタイトで作ってある。

魔力鉱で作った魔法剣と比べると、魔力伝導率は桁違いなので圧倒的な威力が出るはずだ。

レギナは氷結剣を上段に構えると、魔力を込めて一気に振り下ろした。

魔法剣から冷気が迸り、視線の先にあった岩は一瞬にして呑み込まれた。

岩が凍り付くだけで減少は収まらず、その先にある谷底まで一気に凍り付く。

気が付けば、俺たちの視界は一面の氷景色が広がることになった。

そんな魔法剣の威力に驚く俺とメルシアだったが、レギナがよろめくように片膝をついた。

「大丈夫かい? レギナ!?」

「……はぁ、はぁ、大丈夫よ。すごい威力だけど……かなり魔力も持っていかれるわね……」

どうやら魔法剣の使用による急激に魔力を消耗してしまったようだ。

「魔力回復ポーションです」

「あ、ありがとう」

メルシアが魔力回復ポーションを渡すと、レギナは瓶を開けてこくりと呑んだ。

時間が経過すれば、レギナの魔力も完全に回復するだろう。

「これは俺のミスだ。もう少し魔法式を調整するべきだった。ごめん、レギナ」

「いいえ、あたしも浮かれて多く魔力を流しちゃったわ。イサギが謝ることじゃないわ」

帝国にいた騎士、魔法使いなどに比べると、獣人の魔力総量は少ない。

そのことを念頭に考えた上で魔法式の調整をしなければならなかった。

獣人にしては魔力総量が多いレギナが少し多めに魔力を込めて振るっただけで、ここまで消耗してしまうなんて使い物にならない。

「強化食材で魔力を増やせばどうかしら?」

「それなら倒れずに済むけど、消耗はかなり大きいよ?」

「それでもこの威力の武器は使う価値がある。だから、念のために何本か作っておいてほしいわ」

「わかった。レギナがそう言うなら……」

あくまで戦争の指揮を執るのはレギナだ。

指揮官である彼女が必要だというのであれば、作っておくことにする。

「魔法剣は絶大な効果があるけど、獣人の特性を考えると合っているとは言い難いな」

魔法剣は他の魔道具と違って、魔石が魔力を補ってくれるわけではない。自前の魔力が必要になるのであれば、魔力総量の少ない獣人には合っていると言い難い。

「そうね。できれば、魔力を消費しないものがいいわね」

「でしたら、投擲魔道具を作ってみるのはいかがでしょう?」

レギナと唸っていると、メルシアがそのような提案をした。

「投擲魔道具?」

確かに魔力を使用しないし、使いやすい魔道具の一つだが、戦争で役に立つのだろうか?

「人間でしたら投擲できる距離に限界があるので使用が難しいですが、我々獣人の膂力を持ってすれば……」

俺のそんな疑問を解消するようにメルシアが足元にある石を拾い上げて投擲。

それだけで五十メートルほど先にある岩が破砕された。

「長距離魔法並の威力が出せます」

「そうか。獣人の長所を伸ばす形で魔道具を作ってやればいいのか」

獣人の持ち前は、鋭敏な感覚機能と驚異的な身体能力だ。身体を使う、単純な魔道具の運用こそ真価を発揮すると言えるだろう。

「だったら単純に身体能力を強化する魔道具を作ろうかな。他にも安全に敵に接近できるように魔力障壁を生成する魔道具もあると便利そう」

「あっ、それなら障壁を宙に展開して、足場とか作れるようにしてくれると嬉しいかも! ラオス砂漠でイサギが砂とかを足場にしてくれるがすごく便利だったのよね」

「魔力障壁を足場にするか……その発想はなかったよ」

「他には熱などの属性を無効化する魔道具などもあると有り難いですね。多少の攻撃は無視して、突っ込むことができます」

「確かにそれは便利ね! 敵の意表も突けそうだわ!」

メルシアの意見にレギナが深く同意するように頷く。

爆炎に突っ込むなんて無茶なことはそもそもしてほしくないんだけど、前線で戦う彼女たちにとっては切実な問題のようだ。

一応、そういった属性攻撃などを軽減する魔道具も用意しておこう。

にしてもこうやって魔道具の話をするのは楽しいものだ。

できれば、その魔道具が軍事的なものではなく、生活を豊かにするための話し合いであれば、とても幸せだったのだけど状況的に仕方がない。

今は生き残るための魔道具を作るけど、落ち着いたら皆で人々を笑顔にするための魔道具談義をしたいものだ。





レギナ、メルシアと話し合って、生産する魔道具の主な方向性を決めると、俺は砦に籠ってひたすらに作業に没頭していた。

魔法剣の生産、村人の使う武具の強化、障壁の魔道具、耐性魔道具などと俺が作るべきものはたくさんある。

そんな中、今作っているのは魔石爆弾だ。内部には属性魔石が埋め込まれている。

微量な魔力を流すことで臨界寸前の魔石が起動状態となり、後は敵のいるところに投げ込んでやれば衝撃で自動的に爆発する仕組みだ。

錬金術による魔力加工を応用して兵器化した魔道具である。内部に埋め込む属性魔石を変えれば、それぞれの用途に変えた属性爆弾へと変化させることができる。

人間だと精々数十メートルほどしか飛ばせないので、ちょっとした飛び道具や自衛用の魔道具といった位置づけであるが、獣人が使えば恐ろしい性能になるのはメルシアの実例で立証済みだ。

生産された魔道具や武具のいくつかは戦う村人に配布されており、レギナやケルシーの監督の元に配布されて練習を行っているようだ。

いくら身体能力の高い獣人とはいえ、使ったこともない武具や魔道具を実戦で使うのは危険だからね。

しっかりと魔道具やアイテムの特性を把握した上で使ってもらえたらと思う。

「ただいま、戻りました」

「お帰り、メルシア」

魔石爆弾を作っているとメルシアが工房に戻ってきた。

「魔物の数はどうだった?」

「今日はほとんどおりませんでした。ここの二日の間引きによって、この辺りが我々の縄張りだと理解できたのでしょう」

彼女は砦の安全確保のために、周囲にいる魔物の討伐をしてくれていたのだ。

「それはよかった」

前から帝国、後ろからは魔物が襲ってくるなんて事になればシャレにならないからね。

「魔石は八個ほど手に入りました」

「ありがとう。無属性の魔石でも十分な効果を発揮するから助かるよ」

あまり質のいい魔石で加工すると、魔石爆弾は取り扱いが難しくなってしまう。

魔道具の扱いに慣れていない人には、普通ぐらいの質の魔石がちょうどいい。

テーブルの上に並べられた魔石に手を伸ばすと、その上に手が重なる。

思わず顔を上げると、メルシアがこちらを覗き込んでいた。

「……イサギ様」

「ど、どうしたのメルシア?」

尋ねるもメルシアは真剣な表情でこちらを覗き込んでくる。

思わず仰け反って距離を取ろうとしても、手を抑えられているために逃げることができない。

一体どうしたというのか。

メルシアの綺麗な顔が近づいてくる。

このままいくとキスでもされるんじゃないか。

そんな思考がよぎってしまって心臓がドキドキする。

「イサギ様、もしかして寝ていませんね?」

こちらを凝視しながらの言葉にさっきとは別の意味でドキッとした。

「そんなことはないよ」

「私の目を見て言ってください」

メルシアが両手で俺の顔を挟んで無理矢理にこちらを向かせる。

抗えば、首の骨が折れるんじゃないかって力だった。

「……ちゃんと寝てるよ? ほら、顔色だって悪くないでしょ?」

なんて言ってみせると、メルシアは悪徳錬金術師を見るような目になった。

「ポーションを飲みましたね?」

「飲んでないよ」

「いいえ、飲みましたよね?」

確信があるのかメルシアが語気を強めて再び問いかける。

これ以上誤魔化したら本当に怒られてしまいそうだ。

「……はい。ポーションを飲んで二徹しました」

「やっぱり」

「なんでわかったの?」

強壮ポーションを飲んだために目にクマができていたり、顔色が悪くなるようなことはない。疲労は一切感じさせていないはずなのだが、なんでわかったんだろう?

「イサギ様のことは毎日見ていますから私にはわかります」

「そ、そうなんだ」

毎日見ていればわかることらしいが、俺にはわかる気がしないな。

「やはり、父さんを無理矢理にでも説得して、イサギ様と同室にさせてもらうべきでした。男女で寝室を分けるから私が目を離した隙にイサギ様がこのような無茶を……」

「いや、いくら戦時中でも寝室は分けないとダメだよ」

帝国と戦うよりも前にケルシーと戦うことになって大変なことになるから。

「二徹はやり過ぎです。今日のところはこの辺りにいたしましょう」

「もう少しだけ作業をさせて! 今日はまだ三百個しか作れていないし!」

プルメニア村や近隣に住む集落の人たちが終結し、この砦に集結している戦力はおよそ千人ほどだと聞いた。

全員が戦う人員ではないが、魔石爆弾は獣人ならば誰でもある程度の威力を発揮する強力な魔道具だ。可能なら全員が二個は所持できるだけの数を作っておきたい。

本当はもっと持たせられるように生産したいし、皆が正しく使いこなせるように練習分も作っておきたい。

いくらあっても足りることはないという状況なので、不足している現状で休むなんて選択はあり得ない。

「今日、あるいは明日にでも帝国が姿を現したらどうするのですか? そんな状態で戦いに加わっても十分に力を発揮することはできませんよね?」

「その時はポーションを重ねて無理矢理にでも――」

「ただでさえ魔力消費と生成を繰り返して身体を酷使しているのに、その上にさらに重ねるのですか? 間違いなく倒れますよ?」

ポーションが誤魔化しにしかならないことは俺がよく知っている。所詮は先送りにしているに過ぎないのだ。

「で、でも……」

「イサギ様が私たちを大切に思ってくださるように、私たちもイサギ様のことを大切に思っています。そのことを忘れないでください」

メルシアが真剣な顔で訴えてくる。

そうか。俺なんかのことを心配してくれる人が今ではたくさんいるんだ。

こんな大事な時に倒れて、皆に不要な心配はかけたくない。

「ごめん。また一人で焦ってた。作業はやめて眠ることにするよ」

「そうなさってください」

作業を中断すると、俺は顔を洗って歯を磨くと工房の奥にある寝室へ移動。

ローブを脱いでハンガーに掛けると、そのままベッドに寝転がる。

「……ところで、なんでメルシアがいるの?」

ベッドの脇のチェアにはメルシアが腰かけている。

「私が目を離すと、イサギ様はまた作業を再開される恐れがありますから。ここで眠りにつくのを見守らせていただきます」

正直、異性が目の前にいると非常に眠りづらいのだが、彼女の目を盗んで無理をしていた俺が悪いので反論の余地はない。

「ほら、目を瞑ってください」

メルシアが俺の髪を優しく撫でながら言う。

口を開いて子供じゃないんだけどと言おうとしたが、やはり体力のない俺の身体に二徹の負荷は大きかったらしく睡魔が襲ってくる。

強烈な眠気に俺は抗うことができず、俺はゆっくりと瞼を下ろすのだった。

これじゃ子供のようだな。





目を覚ますと、すっかりと工房の中が薄暗くなっていた。

ゆっくりと上体を起こす。

眠り始めた時刻が昼間だったから、半日くらいは眠っていた計算になるなぁ。

傍らに置かれてあるチェアにメルシアの姿はない。

俺が眠ったのを確認して自分の仕事に戻ったのだろうか。

ボーッとする頭でそんなことを考えていると、寝室の扉がノックされた。

タイミング的に俺が目を覚ましたのを察知したのだろう。すごい聴覚だ。

「イサギ様、お目覚めでしたら食事などいかがでしょう?」

朝も昼も食べていなかったために食事と言われた瞬間に、俺の胃袋が訴えを上げた。

「お願いするよ」

「かしこまりました。温めますので少々お待ちください」

「うん」

返事をすると、メルシアが遠ざかっていく。

俺はその間に軽く寝癖を直し、壁にかけてある魔道ランプを起動して、部屋に灯りを点けた。

こんなに長い時間眠ったのは久しぶりだ。それでも、まだ少し眠気があって頭が重い。

まだ完全に疲労が取れてはいないのだろう。

それだけ俺の身体に疲労が溜まっていたということだろう。

メルシアの言う事を聞かずにあのまま作業を続けていたら間違いなく倒れていたな。

彼女の言うことを聞いてよかった。

しみじみと思っていると、メルシアが扉を開けて入ってくる。

トレーに載っている深皿からは湯気が上っており、優しい野菜の香りがした。

「砦の農園野菜を使ったスープです」

「砦のってことは強化作物?」

「はい。ダリオさんやシーレさんがイサギ様のために調整して作ってくださいました」

「それはありがたいや」

「他にもレギナ様から要望のあった強化作物を即座に補給できるように兵糧丸やシリアルバーが作成されていますよ」

メルシアが兵糧丸とシリアルバーらしきものを見せてくれながら言った。

「それもできたんだ!?」

「はい。皆さん、一丸となって頑張ってくださっています」

「そうか」

俺だけでなく砦にいる他の皆も各々ができることをやってくれている。

強化作物でできた携帯食を見ると、それが実感できたような気がした。

「どうぞ、召し上がってください」

「ありがとう」

メルシアからお皿を受け取る。

「大きなタマネギだ」

お皿には大きなタマネギが浮いており、ブロッコリー、ニンジン、キャベツ、ベーコンといった具材が入っており、とてもいい香りを放っている。

匙を手に取ると、中央にある大きなタマネギを崩す。

しっかりと煮込まれたタマネギはとても柔らかく、匙で簡単にほぐすことができた。

スープと一緒にほぐしたタマネギを口へ運ぶ。

「甘くて美味しい!」

タマネギの濃厚な甘みが口の中へ広がる。

スープにはタマネギだけでなく、ブロッコリー、キャベツ、ニンジンと言った他の野菜の甘みや旨みが染み込んでおり、噛みしめるために濃厚な味を吐き出す。

タマネギだけでなく他の具材も柔らかくて美味しい。ベーコンの程よい塩気が食欲をさらに増進させるようだ。

ひとしきり具材を味わうと、今度はスープだけを飲んでみる。

甘い。だけど、砂糖のようなしつこさはない。身体に無理なく吸収されるような透明感のある甘さだ。自然と喉の奥へ通っていく、胃袋へと治まっていく。

栄養に飢えていた身体が喜ぶのがわかる。

お腹が空いていたこともあり俺の匙は止まることがなく、気が付けばお皿の中は空っぽになっていた。

「ごちそうさま」

「お粗末様でした。もうひと眠りされますか?」

「うん。もう少し寝るよ」

食べたら胃袋も満足したのか、またしても眠気が襲いかかってきた。

身体が本能的に休息を欲しているのだろう。

食べ終わったお皿をメルシアが回収してくれる。

「ダリオとシーレにお礼を言っておいてくれるかな?」

「はい。確かに伝えておきます。今夜はしっかりと休み、万全になった明日から頑張りましょう」

メルシアの心地良い声を耳にしながら、俺はまたしても意識を落とすのだった。

翌朝。俺はスッキリとした目覚めを迎えた。

身支度を整えて工房に出ると、メルシアが室内の掃除をしてくれていた。

「おはよう、メルシア」

「おはようございます、イサギ様。お身体の調子はいかがですか?」

「自分でも驚くくらいに絶好調だよ」

「それはよかったです」

昨日までは鉛のように重かった身体がとても軽く、頭痛もまったくない。

魔力も完全に回復しており、体内での巡りもいい。

強化作物による料理を食べ、ぐっすりと眠れたのがよかったようだ。

「イサギ、調子はどう?」

なんてやり取りをしていると、今度はレギナが顔を見せにきてくれた。

「おはよう、レギナ。休ませてもらったお陰で調子はバッチリだよ」

「そう。皆、イサギのことを頼りにしているんだから、あんまり無理をして心配させちゃダメよ?」

「うん。程々にしておくよ」

「もう無理をしないとは言わないのね?」


「そうでもしないと迎撃できそうにないからね」

一国の主戦力と辺境の村が張り合うんだ。無理をしないと勝てる相手じゃない。

レギナもそれをわかっているのか、無理に止めるようなことはなかった。

「帝国の様子はどう?」

「一応、交代で斥候を出しているけど、今のところそれらしい姿は確認していないわ」

「そうか。とはいえ、今日、明日くらいが怪しいね」

「ですね」

そんな俺とメルシアの呟きを耳にして、レギナが小首を傾げた。

「え? 帝国がこっちに到着するには、もう少しかかるんじゃない?」

「それは俺たちが情報を仕入れるより前に帝国が発っていなければの話だよ」

獣王国からプルメニア村に帰還するのに二日、レディア渓谷に砦を作り始めて三日目。既に五日も経過している。

帝国からプルメニア村までやってくるのに俺とメルシアは馬車で一か月ほどかかったが、それは費用を極力抑え、乗り合い馬車の都合などに合わせたからこれほど日数がかかっただけであり、帝国が真っすぐにこちらにやってくるのであれば二週間もかからない。

その日数から察するとまだまだ余裕があるように見えるが、俺たちが獣王国で情報を仕入れた時よりも遥か前に帝国が国を発っている可能性もある。

「それはもちろんあたしも想定しているけど、どう考えてもこっちに向かうのに三週間はかかるわ。帝国領はかなり広い上に、いくつもの険しい山や森があるもの」

国の主戦力が移動するのに容易ではない。距離が遠ければ、兵士は疲弊し、物資も減ってしまう。途中で大きな街などに寄って物資を補給し、兵士を休ませる必要がある。

「うん。だから帝国は国内にある街や村から兵力や物資を徴収して無理矢理突き進んでくるよ」

「え? 帝国軍がそんな無茶をするもの?」

「帝国はそういう国なんだ」

俺の言葉にレギナが唖然とした顔になる。

レギナの主張はもっともであるが、一つ違う点があるとすれば帝国に対する理解の差だろう。こればかりは仕方がない。

「それに帝国にはイサギ様ほどではありませんが、何人もの宮廷錬金術師がいます。それらのポーションを使用して強行軍をしている可能性は非常に高いです」

俺が徹夜をするために作った強壮ポーション。あれらの類を使用すれば、通常の進軍速度を遥かに上回る速度で移動することができる。後回しとはいえ、睡眠を摂る必要がなくなるのは大きい。

「……そう考えると、そろそろ帝国がここに到達してもおかしくはないわね」

「ごめん。俺たちがもっとよく帝国のことを伝えていればよかったよ」

「いいえ、確認を怠ったあたしも悪いわ。今はとにかく、そのことを皆に周知させておくわ」

「うん。お願いするよ」

事の重大さを理解したのか、レギナが血相を変えて工房を飛び出していく。

俺とメルシアは帝国で何十年と過ごしてきたので、帝国のことを当たり前にわかっているが、他の人からしたらそうでもない。これは失敗だったな。

工房の外に出ると、あちこちで職人たちが砦の補強をしたり、迎撃用の兵器を取り付けている姿が見えた。

演習場へと顔を出すと、大勢の獣人たちが武具を纏って連携の訓練をしていた。

それを眺めていると、訓練を中止して先頭にいたケルシーが近づいてくる。

「イサギ君、おはよう!」

「武具の調子はどうですか?」

村長であるケルシーをはじめとする、元兵士、狩人などの荒事に慣れている人には、俺が錬金術で作ったマナタイト製の防具を支給してある。

「絶好調さ。マナタイト製の武器を使えば、石だってバターのように斬れるからね」

「防具だって少し魔力を込めれば、かなりの防御力になる。これらがあれば怖いもん無しだ」

マナタイト製の武具は魔力を込めることで攻撃力を高めたり、防御力を高めたりと様々な変化を起こすことが可能だ。

全員に支給することはできないが、村の最高戦力であるケルシーたちが装備していると非常に心強い。

「そして、最高なのは耳と尻尾が窮屈じゃない。これは我々獣人にとって重要なことだ」

「ありがとうございます。皆さんのご要望に応えた甲斐がありました」

獣人たちに防具を作るに当たって一番苦労したのが、耳や尻尾の稼働問題だ。

今まで人間にしか装備を作ったことがなかったのでこれには苦労した。

それぞれの種族によって耳の長さや稼働域は違うだけに、微妙な個体さもあるときた。すべてがオーダーメイドであり、調整には四苦八苦したものだ。

しかし、その甲斐もあってケルシーをはじめとする獣人の方には評価を貰えたようだ。

「さっきレギナ様から聞いたんだが、我々が予想しているよりも遥かに早くやってくる可能性があるそうだね?」

「はい。俺たちの共有不足でした。すみません」

「いや、我々も状況に浮かれ、どこか楽観的になっていた。二人が悪いなどとは誰も言うまいよ」

「そうですよ。皆、イサギ様を頼り過ぎです。もっと自分にできることをやってください」

「ぬう、そう言われると耳が痛いな」

準備で色々と駆け回っている俺を傍で見ているせいか、メルシアの意見が辛辣だ。

「いいんですよ。錬金術師にとって活躍の場は準備やサポートにあるので。その代わり、戦いになった時は頼りにしていますからね?」

「ああ、必ずその期待に応えてみせよう」

頼りになる笑みを浮かべると、ケルシーは元の集団へと戻って訓練を再開した。

皆が俺のように何かを作れるわけではないし、俺も前線に出て戦えるわけでもない。

適材適所だ。

演習場から農園へと移動すると、ネーア、リカルド、ラグムントがゴーレムと共に農作業に励んでいた。

「イサギさん、体調は大丈夫ー?」

「皆の作ってくれた作物の効果もあって全快です」

「にゃはは、よかった。イサギさんが眠ってる間、メルシアはソワソワして作業も手につかなかったからね」

「ネーア! 余計なことは言わなくていいですから!」

頬をほのかに染めたメルシアが追いかける。

ネーアが楽しそうに逃げ回り、リカルドやラグムントもそんな光景を微笑ましそうに眺めている。

こんな平和な日々が続けばいいのに。

だけど、刻一刻と帝国が忍び寄ってきていて……。

絶対に誰も死なせたくない。

この幸せな光景を守るために俺も覚悟を決めよう。

「メルシア、俺は先に戻って作業に戻るよ」

「それでは私も――」

「いや、今日作るものはそれほど手伝えるものもないし、レギナの補佐をしてあげてくれるかい? 今朝の話で色々と再調整することがあるだろうし」

俺を覗くと帝国について詳しいのはメルシアだけだ。レギナの中で色々と作戦変更もあるだろうし、その時に帝国について詳しい彼女がいてくれた方が修正も捗るはず。

「わかりました」

メルシアが頷くのを確認すると、俺は一人で砦の廊下を歩く。

「……コクロウ」

廊下を歩きながら名前を呼ぶと、影からコクロウがぬっと現れた。

今まで姿を現してはいなかったようだが、ずっと影には潜んでいたらしい。

「なんだ?」

「ちょっとこれから危険な実験をするから俺の護衛を頼めるかな?」

「護衛ならあの小娘に頼めばよかろうに」

「これから行う錬金術はあんまり綺麗なものじゃないから」

なにせこれから行う錬金術は軍用魔道具以上に人の命を奪うためのものだ。

とても醜悪でメルシアに見せられたものではない。

「我ならいいとでも?」

「コクロウならそういうのは気にしないかなって」

「別にあの小娘も気にしないと思うがな」

「男としての意地ってやつだよ。たまにはカッコつけたいんだ」

「今まで散々情けない姿を晒しているようだが?」

「うっ、それについては触れない形で頼むよ」

日頃からメルシアにお世話になりっぱなしだし、魔物からも守ってもらっている。

昨日なんてベッドで寝かしつけられたばかり。とても男の意地なんて言えるものでもない。

それでも男にはカッコつけたい時ってのがあるんだ。

「フン、まあいい。戦争とやらの前の準備運動にはなるだろう」

「ありがとう。助かるよ」

コクロウに礼を言うと、俺は砦の外に出た。

「よし、この辺でいいかな」

そのまま遠くまで移動し、誰にも見られない場所にまでやってくると俺はマジックバッグから種を取り出した。

続けて植物系の魔物の素材と魔石を取り出すと、俺はそれらを合わせて錬金術を発動。

ごく普通の種に魔物に因子が加えられる。

「試作品一号の完成だ」

「随分と禍々しい種だな」

出来上がった種はコクロウが言うように禍々しい形とオーラを放っていた。

「その種で何をするつもりだ?」

「こうやって戦力を生み出すんだよ」

コクロウが首を傾げる中、俺は種をポトリと地面に落とした。

すると、種はずぶずぶと勝手に地面に沈んでいき、急成長。

芽を出し、枝葉を実らせると、茎の中央にぎょろりと大きな目玉を開眼させた。

「なんだ? この醜悪な植物は?」

「錬金術で作った作物さ」

「これが農園と同じ作物とでも?」

「ああ、農園と同じように品種改良をしただけだよ。ただし、改良する方向性を変えただけさ」

作物として収穫させるための成長率、繁殖率、病害耐性、甘み向上、そういったものをすべて切り捨て、魔物の因子をはじめとした、凶暴性、繁殖性、攻撃性などを加えた。

いうなれば、錬金術によって作り出された錬金生物と言えるだろう。

こんなものを何故作れるのかというと、作物の品種改良をする際に試行錯誤をしていたら作れるようになってしまった。

植物、魔物の因子について深く研究した俺だからできる技術だろうな。

「で、コイツは貴様の言う事を聞くのか?」

「多分、聞かないと思う」

俺がその答えを肯定するかのように錬金生物が棘の生えた蔓を振るってきた。

こちらの首を跳ね飛ばそうと迫ってくる蔓だったが、コクロウが割り込んで爪を振るうと綺麗に切断された。

そのままコクロウは着地すると、視線を錬金生物の方に向ける。

気が付けば錬金生物は自らの足元にある影に串刺しにされていた。

「まったく、自分で作っておいて言うことを聞かないとはどういうことか」

ため息を吐きながらコクロウが影の行使を解除すると、錬金生物から紫色の血液のようなものが漏れた。

自分で作っておきながら気味の悪い光景だと思う。

「そのためにコクロウに護衛を頼んでいるんだよ。ある程度の言うことを聞いてくれる個体を生み出すために」

「ある程度でいいのか?」

「味方が大勢いる中で運用するつもりはないからね」

完全な錬金生物を作るにはあまりに時間が足りないのも大きな理由だが、別に敵陣の真っただ中で生み出してやれば、勝手に帝国兵を敵だと認識して攻撃してくれる。

それだけで十分だ。

「フン、人畜無害そうな顔をして中々にえげつないことを考えるのだな」

「あんまりやりたくないけど、大切な人たちを守るためだから。そんなわけでコクロウにはもう少し付き合ってもらうよ」

「この程度の強さならいくら数がいようが問題はない。一気にやれ」

「それじゃあ、ドンドン試させてもらうよ」

俺はコクロウがいるのをいいことに遠慮なく、錬金生物を作り出していくのだった。

それから俺は魔道具やアイテムを作ったり、砦をさらに堅牢にしたり、軍用ゴーレムを生産したり、レギナのための魔法大剣を作ったり、コクロウと一緒に様々な錬金生物を作ったりと自分にできることを行っていく。

慌ただしくも準備に奔走していると、あっという間に時間は経過していき……。

そして。

「て、帝国の軍勢が見えました!」

遂に斥候に出ていた獣人からそのような報告が入った。

「落ち着いて。帝国兵を目視した場所を教えてちょうだい」

帝国の襲来にレギナは動揺することなく冷静に尋ねた。

「帝国と獣王国を隔てるテフラ山脈の中ほどで目視しました! このまま行けば、あと半日もしないうちにレディア渓谷に足を踏み入れると思われます!」

「総員戦闘配備! 帝国を迎え撃つための準備を!」

「「「おおっ!」」」

レギナの力強くも透き通るような声は砦中にいるすべての者たちの耳に届き、それに応える形で獣人たちが勇ましい声を上げた。

砦にいる獣人たちがテキパキと動き出す。

「さすがはレギナ様です。しっかりと獣人たちを纏めているようで」

「獣人って纏めるのが難しいの?」

「獣人には我が強く、血の気の多い者も多いですから」

普段接している人を見ると、そんな人が多いようには見えないが、実はそういった一面があるようだ。

「へー、レギナはそんな彼らをどんな風にまとめたの?」

「文句がある人を片っ端からねじ伏せただけ。強い者が上に立つ。単純でしょ?」

「な、なるほど」

元々、レギナには第一王女というわかりやすい肩書きがある上に、ライオネルからの命令書もある。別にレギナが上に立つことに正当性は多いにあるのだが、それでも文句のある者の挑戦を受けてたったというわけか。

確かにそこまでされて敗れたのなら、血の気の多い者も従順になるわけだ。

別に上に立つつもりはないが、俺には到底できない纏め方だな。

多くの者が忙しく動き回る中、俺とメルシアがやることは何もない。

この日のためにやれるべきことはやった。これ以上の余計な作業は悪戯に魔力を消費するだけだ。

他にやるべきことがあるとすれば、それは砦にいる非戦闘員を避難させることだろう。

「俺はダリオとシーレに話をしてくるよ」

「では、私は従業員に話を……」

メルシアと別れ、俺は砦の内部にある厨房へと移動する。

様々な料理と調味料の香りがする厨房にはダリオとシーレだけでなく、村の女性たちもいた。

「イサギさん! ついに帝国がやってくるんですね!?」

「うん。もう半日もしない内にレディア渓谷にやってくる。だから、二人には避難してほしいんだ」

ダリオとシーレはコニアに紹介してもらったプロの料理人であり、非戦闘員だ。

これ以上の協力は命を落とす可能性が高くなる。

「……あの、イサギさん、やっぱり僕も――」

「中途半端なことを言わない。私たちにできることはやった。ここで引き上げるわよ」

ダリオがこちらを伺うようにしながら口を開くが、それを覆いかぶせるようにシーレがきっぱりと告げた。

「でも! ここまで来たんだし、僕たちだけが避難するなんてできないよ!」

「馬にも乗れず、剣もロクに触れない癖に何を言ってるのよ。あんたなんて戦場に出たところで真っ先に死ぬだけ。むしろ、前に出たら邪魔になる。それくらいわからないの?」

「う、うう」

シーレの厳しい言葉にダリオは反論すらできないようで涙目になってしまった。

ダリオが真面目ということもあるが、それほどまでにプルメニア村のことが大好きで、守りたい気持ちがあるんだろう。

それが痛いほどに伝わってきて俺も嬉しい。だからこそ、無理強いさせるわけにはいかない。

「危なくなったら避難する。それが最初に交わした約束ですから」

「本当にすみません」

これ以上の言葉はダリオの罪悪感を増幅させるだけだろう。俺はダリオの肩をポンと叩くと、シーレに任せたとばかりに視線を向ける。

すると、彼女はこくりと頷き、ダリオの背中を押して厨房の外に出ていった。

厨房にはプルメニア村に住む女性たちが残っている。

「あたしたちはここに残るよ。あたしたちまで逃げ出したら、ここの男共は身の回りのことができなくなっちまうからね」

彼女たちも戦うことはできないが、ずっとここに残ってくれるようだ。

「ありがとうございます。皆さんがいてくれるだけで百人力です」

「その代わり、帝国兵を倒してくるんだよ!」

「はい! 頑張ります!」

女性たちに見送られて厨房を出ると、ちょうど農園から戻ってきたらしいメルシアと合流。後ろにはリカルドとラグムントがいるが、ネーアの姿はない。

「……ネーアには避難してもらいました」

「わかった」

ネーアはラグムントやリカルドのようにいざという時に戦うことができないからね。

農園の方は既に栽培も落ち着いているし、作業用のゴーレムだっている。

従業員を三人ともと留めておく理由がない。

「二人とも配置についてくれていいよ」

「おう」

「わかりました」

俺とメルシアと動き方が特殊なので、リカルドとラグムントもケルシーたちの方へと合流をしてもらう。

そんな風にやるべきことを済ませていると、半日という時間はあっという間に過ぎてしまい。

「さあ、帝国のお出ましよ」

程なくして俺の視界に帝国兵の軍勢が見えてきた。

防衛拠点を作成してから一週間。俺とメルシアが懸念していた日にやってくることはなかったが、その日数は驚異的な進軍速度と言えるだろう。

恐らく国内で兵力と物資を徴収し、錬金術師の作り出した強壮ポーションを飲んで、進軍しているのだろう。

前を歩くのは皮鎧や鉄の胸当てを装備した歩兵たち。身の丈よりも大きな槍を掲げて前進している。その後ろには剣を装備した歩兵などが続き、その後ろには馬に跨った騎士が続いていく。

あちこちで帝国旗が上がり、あっという間にレディア渓谷を埋めていく。

帝国兵の威容とその膨大な数を見て、砦にいる獣人たちが息の呑むのが伝わってくる。

とんでもない数だ。ざっと見ただけで俺たちの数倍の戦力。しかも、それはほんの先頭部分でしかないために、全体の数はもっと多いだろう。最低でも二万ほどいることは確定だ。

「獣王軍は間に合いませんでしたね」

帝国兵がたどり着く前にライオネルをはじめとする獣王軍が到着してくれるのが理想だったが、残念ながらそうはいかなかった。

先触れの者もやってきていないので近くまで来ているというわけでもないのだろう。準備と移動に時間がかかっているのかもしれない。

「うん。だけど、それは初めから想定していたことだから」

たとえ、獣王軍がこなくともやるべきことは変わらない。

村の皆と帝国兵を追い返すまでだ。

「あたしたちがするのはただの籠城じゃない! 持ちこたえていれば、必ず獣王軍はやってくる! だけど、あたしはそんな弱気でいるつもりはないわ! あたしたちだけで帝国を撃退するくらいの気持ちでいくわよ!」

「「おお!」」

帝国の軍勢にやや呑まれ気味だった獣人たちだが、レギナのいつもと変わらない明るい言葉に調子を取り戻したようだ。あちこちで雄叫びのようなものが上がる。

そのために色々と準備をしてきたんだ。絶対にここで食い止める。

プルメニア村に進ませはしない。

「それじゃあ、帝国に先制攻撃を仕掛けてくるよ」

レディア渓谷にはいくつかの仕掛けを施しているが、帝国もそれを一番に警戒しているし、最初に起動させても与える被害はたかが知れている。発動するなら敵がもう少し進み、混乱に陥った時が望ましい。だから、その混乱を防ぐために俺は一つ策を使うことにした。

「本当にイサギだけで大丈夫なの?」

「コクロウたちがいるから大丈夫だよ」

「……イサギ様」

「大丈夫だから心配しないで。ちょっと安全な位置から攻撃を仕掛けてくるだけだから」

メルシアが付いてきたそうな雰囲気を出してくるが、これから行う攻撃のことを考えると味方は一人でも少ないに越したことはない。

「コクロウ!」

コクロウの名を呼ぶと、俺の影からぬっと姿を現した。

俺は遠慮なくその背中に跨る。コクロウのもふもふとした体毛の感触が心地いい。

「言っておくが貴様を背中に乗せるのは今日だけだからな?」

「わかってるよ」

俺を背に乗せることが大層不服らしい。

本音を言えば、これからもずっと背中に乗せてほしいくらいの心地良さだが残念ながらそれは敵わないようだ。

「それじゃあ、行ってくるよ」

「ええ」

「お気をつけて」

「では、行くぞ」

「えっ、ちょっと待って!」

レギナとメルシアに見送ってもらうと、次の瞬間コクロウが防壁へと跳躍し、そのまま砦の外へと落下。

え? こんな高いところから飛び降りるなんて聞いてない。

防壁の周囲にはむき出しになった岩や傾斜があり、まともに着地などできるはずもないが、コクロウの強靭な脚はそれらをものともせずに柔らかく着地。そのまま地面を蹴って、跳躍を繰り返し、谷底へと一気に駆け下りた。獣人であるメルシアとは違った変幻自在な動き。俺は振り落とされないようにするので必死だ。

「着いたぞ」

気が付くといつの間にか谷底までやってきていたのか、視界の彼方には帝国の軍勢が見える。

「……もうちょっと快適なルートを通ってくれないかな?」

こんなルートを通っていたら命がいくつあっても足りないし、心臓が持たない。

「知るものか。これが我にとっての進みやすいルートだ」

メルシアだったら俺が落ちないように安全なルートで気を遣って走ってくれるだろうが、魔物であるコクロウにそこまでの気遣いを求めるのも酷なのかもしれない。

コクロウが足を止めると俺は背中からゆっくりと下りた。

視界の彼方では土煙を上げながら帝国兵が前進してくる姿が見える。

谷底にポツリと佇む俺とコクロウの姿を確認したのか、歩兵が槍に光を灯した。

魔法槍。槍の先端に魔力を集め、込めた属性魔法を解放するシンプルな仕組みの魔道具。

俺たちが射程範囲に入れば、一斉に魔法を叩きつけるつもりだろう。

敵は万を越えるような大軍な上、抱えている魔法使いの数も質も桁違いであり、その上莫大な数の軍用魔道具を所持している。たとえ、有利な位置に砦を構えていようと真正面からぶつかってしまえば勝ち目はない。

だったら帝国が魔法や軍用魔道具が使えない状況に、かき乱してやればいい。

前を見据えながら立っていると、帝国兵がドンドンと近づいてくる。

ジリジリと距離が縮まると、魔法槍を装備した歩兵たちが穂先をこちらに向けてくる。

魔法槍は俺が宮廷錬金術師だった頃に何度も作った魔道具だ。どこまでが射程範囲なのかは理解している。

「そろそろかな」

「ああ」

俺は帝国をギリギリまで引き付けると懐から種を取り出し、レディア渓谷の谷底へと撒いた。

たった一つの種は地面に埋まると、ひとりでに地面に埋まっていく。

種はすぐに芽を出すと、あっという間に枝葉を茂られて木立へと成長。

その木立は実を地面に落とすと、はじけ飛んで周囲に種を撒き散らす。その種たちはひとりでに地面に埋まっていき、同じように枝葉を茂られて木立へと成長。

木々が増えるごとに飛び散る種の数は増えていき、爆発的な速度で木立が増殖していく。

それは俺の周囲に留まらず、こちらに向かって進軍している帝国兵たちも巻き込まれる。

地面から突如屹立する木々に帝国兵が吹き飛ばされ、次々と悲鳴が上がる。

魔法槍を振るって木々に攻撃を加える兵士もいるが、増殖する木立の勢いには逆らうことはできない。増殖した木々はあっという間に帝国兵の軍勢を呑み込み、レディア渓谷に森を作り上げた。

「帝国兵の様子はどう?」

「多くの者が森に囚われ動揺している」

「なら混乱している今の内に奇襲を頼むよ」

「ああ」

クロウの影が大きく蠢き、大量のブラックウルフが森へと入っていった。

帝国を出立したウェイスは、招集した自らの軍を率いて獣王国へと進軍していた。

「ガリウス、プルメニア村まではあとどのくらいだ?」

馬を歩かせるウェイスの隣には追従するようにガリウスがいた。

「このテフラ山脈を越えれば、獣王国の領土であり、半日ほどでプルメニア村に到着するものかと」

「ようやくか……まったく、帝国を出るだけでこれだけの時間がかかるとは、国土が広いというのも考え物だな」

帝都からテフラ山脈に移動するのに二週間。錬金術師が開発したポーションによって無理な行軍を繰り返し、倒れた者は捨てて、立ち寄った街や村などで補給する。

そんな犠牲によって成り立った行軍だが、ウェイスはそれを当然と捉えているために罪悪感を抱くことはない。

「獣王国は四方を山に囲まれた要塞国ですからね」

「それ故に今まで本格的な侵略はできなかったが、プルメニア村にある大農園とやらを押さえてしまえばこちらのものだ。そのためにお前がすることはわかるな?」

「村を占領した後にイサギが作り上げた農園の作物を解析し、我々だけで栽培できるようにすることです」

「わかっているのならばいい。作物を無限に生み出せる術さえ手に入れれば、帝国の食料事情は改善されるからな。その上、獣王国を手に入れるための足掛かりを築き上げることさえできる。それが叶えば、私を糾弾する声は収まり、一転して名声が高まるであろう」

そんな未来を想像してか、ウェイスが不敵な笑みを浮かべる。

ライオネルやイサギが予想していた通り、ウェイスの狙いはイサギの大農園を自らのものにし、国内へ作物を還元しつつ、進軍のための軍事拠点とすることだった。

「その時は何卒、錬金術課の拡大の方もお願いいたします」

「そうだな。農園を手に入れば、多くの宮廷錬金術師がそちらに配属されることになる。予算の増額と人員の増員を検討しよう」

「ありがとうございます」

「まあ、まずは大農園を手に入れることだ。この山を下り、レディア渓谷を抜ければ、プルメニア村までは一直線だ。一気に行くぞ」

「問題はレディア渓谷での待ち伏せですね」

「フン、仮に我々の動きを察知していたところで相手ができることはたかが知れているだろう」

実際にウェイスの思考は正しい。障害となるのは辺境にある村一つだ。大きく見積もって数は千。万を越えている帝国にかかれば、一ひねりである。

「とはいえ、無用な被害を出しては他の者に小突かれる原因となる。斥候を出しておくか」

ウェイスは兵士に素早く指示を出すと、斥候に選ばれた兵士が馬を操作して山を駆け下りていく。

やがてウェイスたちがテフラ山脈の中ほどを抜けた頃に斥候は戻ってきた。

「報告です! レディア渓谷に巨大な砦が築かれております!」

「巨大な砦だと!? そんなものがあったか?」

「私の記憶でもそのようなものはなかったかと……」

斥候からの報告にウェイスとガリウスは目を瞬かせる。

ウェイスたちもプルメニア村に進軍するに当たって、国境に位置する周辺の街や村から地形の情報収集くらいはしている。しかし、情報の中にレディア渓谷に巨大な砦ができたなどというものは一つもなかった。

「とにかく、実際に確認してみるしかあるまい。このままレディア渓谷に入る」

ウェイスの指示の元、帝国兵たちはテフラ山脈を抜けて、レディア渓谷に足を踏み入れる。

すると、視界の遥か先に巨大な砦が鎮座しているのが目視できた。

「……想像以上に堅牢な砦だな」

「本陣と防壁には魔力鉱が含まれています。ただの獣人にこのようなものを作れるはずがありません」

錬金術師ではないものの、数々の錬金術をこの目にしてガリウスには砦を構成する素材の色合いで判断することができた。

「となると、あれを作ったのはイサギか。厄介なことをしてくれる」

左右にそびえ立つ大きな谷の長さは軽く百メートルを越えており、急な斜面な上に岩肌の凹凸も激しいので人間が登ることは不可能だ。多くの軍勢を率いるウェイスは回り道をすることもできず、平坦な谷底の道を通るしかない。

しかも、谷底の幅はそこまで広いものでもなく数百人単位で通れず、大きく展開するといった動きができない。

情報にないものの存在に帝国兵たちがざわめく。

「狼狽えるな! たとえ有利な位置に砦を築こうが、こちらには圧倒的な軍勢がいるのだ! あそこに籠っているのは千にも満たない烏合の衆! 真正面から叩き潰してやればいい!」

ウェイスの冷静な声音と明確な方針の決定により、帝国兵たちの動揺はすぐに収まった。

たとえ、堅牢な砦があろうともあそこにいるのは獣人の村人だ。

数では大いに勝っている上に、こちらには精強な兵士や騎士、魔法使いなどの人員が豊富におり、支給されている装備も一級品のもの。徴兵されたただの平民でさえ、魔道具を持たされているので、強引な行軍をしたとはいえ帝国兵たちは強気だった。

「落石や罠には注意しろ!」

ウェイスが逐一指示を飛ばしながら帝国兵は谷底を通って進軍。

唯一の通り道であり、やや曲がりくねっているが一本道だ。当然、ウェイスたちも罠を警戒する。

魔法使いや錬金術師に指示を出して、すぐに迎撃できるように準備をしながらゆっくりと進んでいくが、想像していたような攻撃は見受けられない。

「罠はないのか?」

進めど何も起こらないことにウェイスが拍子抜けしていると、兵士たちの行軍速度が遅くなった。

「何事だ?」

「人間と黒い狼と思われる魔物が進路を塞ぐように立っております!」

兵士に言われて、ウェイスは遠見の魔道具で覗き込む。

すると、兵士の言う通り、前方にはポツリと佇む一人の人間がいた。

銀色の髪に黄色い瞳をした十代中頃の少年は、帝国の宮廷錬金術しであることを表すローブを羽織っている。

「イサギか!」

「宮廷錬金術師のローブを羽織っておりますが、どういたしましょう?」 

「レディア渓谷に砦を築いたのは帝国に敵対するという意思表示でしょう。たとえ、どのような者であっても帝国に牙を剥く以上は、ねじ伏せなければなりません。そうですよね、ウェイス様?」

「素直に大農園を差し出すのであれば、命くらいは拾ってやろうと思ったが我々の前に立ちふさがるのであれば容赦はせん。大農園が手に入る以上、イサギはもう帝国に必要ない。構うことなく殺してしまえ」

「はっ!」

ウェイスの速やかな決定により、帝国兵の進軍速度が元に戻る。

一人の男と一匹の魔物を潰すことに躊躇いはない。

「魔法槍、構え!」

兵士長の言葉が響くと、前線の兵士が魔法槍を起動しながら前に進む。

魔法槍の穂先に様々な属性の光が宿る。

(イサギ、魔法槍の射程に入った瞬間に終わりだ。お前が無様に散っていく様を見てやろう)

馬上にいるガリウスが暗い笑みを浮かべながら遠見の魔道具を覗くと、突っ立っていたイサギが懐から何かを取り出したのに気付いた。

手の平に握りしめたものはあまりに小さくて何かはわからない。だが、小さな何かが地面に落ちた瞬間、とんでもない勢いで木が生えていく。

それらは増殖を繰り返し、数百メートル空いていた彼我の距離をあっという間に埋め尽くした。

正面や側面からの攻撃に警戒してはいたが、まさか地面から木々が生えてくるとは思いもしない。

突起してくる木々に帝国兵が次々と吹き飛ばされ、あちこちで悲鳴が上がった。

「なんだ!? なにがどうなっている!?」

王族であるウェイスや、それに従うガリウスは遥か後方に陣取っているために呑み込まれることはなかったが、そびえ立つ木々によって戦況の把握がまったくできない。

「イサギの攻撃です!」

「だからどんな攻撃だと言っている!?」

「恐らく、なにかしらの植物を錬金術で改良し、森を作り上げたのかと……」

「戦場に森を作りあげるだと!? 中はどうなっている!?」

「わかりません! 中の様子を窺おうにも木々が襲いかかってきます!」

ウェイスの視界では森に突入しようとした兵士たちが、木々から伸びた蔓や枝葉に妨害されている姿が写っていた。

「ウェイス様! 崖から石が転がり落ちてきます!」

「くっ! 奇襲を一切仕掛けてこなかったのは混乱をつくためか! 魔法部隊は石を砕け!」

ウェイスの指示によって魔法を待機させていた魔法使いの部隊が杖を掲げた。

「……森の中はどう?」

ブラックウルフたちが森に入ってしばらく。俺は中の情報を拾うべく、傍らに佇むコクロウに尋ねた。

「ブラックウルフたちの襲撃は成功だな。あちこちで人間の手足が食いちぎられ、阿鼻叫喚の声が響いている」

大きく発達した犬歯を見せつけながら笑みを浮かべる。

いや、そんなグロテスクな報告は求めていないんだけどなあ。

俺が錬金術で森を作り上げ、森に閉じ込めた帝国兵をブラックウルフたちが奇襲する。これが俺の考えた作戦だ。

当初はレギナやメルシアといった獣人も加えるつもりだったが、コクロウが自分たちだけでやった方がやりやすいと意見したので魔物たちだけでの奇襲となっている。

野生の中を生き抜いてきたブラックウルフたちにとっては森の中は庭のようなもの。薄暗くとも夜目が利く上に、匂いでも相手の位置を把握することができる。

反対に帝国兵は薄暗い森の中では見渡せる視界の範囲も狭く、仲間の位置も把握しづらいために連携もとりづらい。加えて、生い茂る木々や枝葉のせいで武器を満足に振り回すことができない。ブラックウルフたちにとってはカモでしかないだろう。

「順調なようなら何よりだよ」

魔法や魔道具を発動しようにも同士討ちや火事を恐れて迂闊に放つこともできないからね。

この辺りの地面にはあらかじめ調整を施した肥料を撒いておいたけど、俺が開発した繁殖の種はそれを越える速度で土から栄養を吸い上げている。遠目にも既に地面が灰化しているのがわかり、栄養が吸い尽くされてしまっている。

数年は草木すら生えない不毛の大地になってしまったかもしれないが、皆を守るためだ。仕方がない。

「負傷しているブラックウルフはいる?」

「いないな」

「森の中とはいえ、これだけの帝国兵を相手に?」

「危ない位置にいる奴は我が影で移動させている」

「そんなこともできるんだ」

襲撃に加わることもなくジーッとしていると思ったら、どうやら影を通じてサポートをしているらしい。影を操作しての遠隔攻撃、ブラックウルフの位置入れ替え、緊急回避、指示とこう見えて忙しく活躍しているようだ。

森の中には無数に影がある。影を操るコクロウにとっても森の中は独壇場だろうな。

それだけの支援があれば、ブラックウルフたちに一切の負傷がないのは当然か。

コクロウの報告によると、既に二百人以上の人間が犠牲になっているとのこと。

こんな強大な魔物を相手に過去に二人で挑んだのかと思うとすごいな。

「もし、怪我を負ったブラックウルフがいたらすぐに下がらせてくれ。俺がポーションで治療するから。とにかく、無理はしないように頼むよ」

影でブラックウルフの位置を変えることができるのなら、一時的な帰還もできるはずだ。生きてさえいれば、俺がポーションで治療をすることができるので無理だけはしないでほしい。

「魔物である我々のことを心配するとは相変わらず変な奴等だ。安心しろ。このような状況で我らが負けるはずがない――ッ!?」

余裕な笑みを浮かべていたコクロウであるが、突如として耳を震わせて俺の股下に入ってきた。

「ええっ!? なになに!?」

股下から無理矢理背中に乗せられる方になってしまった俺は混乱する。

そんな混乱の声を無視し、コクロウは無言で後ろへと走る。

次の瞬間、俺たちの立っていた場所に火炎弾が落ちてきた。

「ええ!」

離れている俺たちの位置にまで爆風がやってきて、思わず腕で顔を覆う。

安全な地帯まで移動して振り返ると、前方の空に次々と赤い光が浮かび、それらが森に着弾するのが見えた。

「帝国の魔法!? まだ森の中には大勢の帝国兵がいるのに!?」

「恐らく、味方もろとも我々や森を焼き払うつもりだろうな」

コクロウが冷静に述べる中、二発目、三発目、四発目と続けて火炎弾が撃ち込まれる。

爆発の衝撃で木々がへし折れ、枝葉に炎が燃え広がる。

錬金術で調整し、炎への耐性を上げているが、さすがにここまで派手に火魔法を撃ち込まれては木々も無事では済まない。

爆発する森の中から帝国兵と思われる悲鳴が聞こえる。

って、冷静に観察している場合じゃない。

「ブラックウルフたちは!?」

「無事だ。既に我の影を通じて下がらせている」

コクロウの影が蠢く、そこから大勢のブラックウルフが出てくる。

どうやら火炎弾が着弾してすぐにブラックウルフたちを影に回収していたようだ。

あっという間に大勢のブラックウルフに囲まれて、もふもふ空間が出来上がった。

ほぼ全員が口元や爪を真っ赤に染めており、どこか誇らしげにしている。

思う存分に蹂躙できたようだ。

中には炎が掠ってしまったのか、お腹の辺りが焼け焦げている個体がいる。

「おいで」

「ウォン!」

俺が回復ポーションを振りかけると、綺麗な毛並みに戻ってくれた。

自慢の毛並みが再生して嬉しいのか、ブラックウルフが嬉しそうに走り回る。

よかった。誰も欠けることがなくて。

「それにしても、まさか味方ごと森を焼き払うなんて……ッ!」

「迂闊に森に入れば、死ににいくようなものだ。前の者は見捨て、進軍させることを選んだのだろう」

確かに逆の立場だと突破をするのは困難かもしれないが、帝国がここまで非道で強引な攻撃を仕掛けてくるとは予想外だ。

俺が歯噛みしている間に森の中には火炎弾、火球、火矢が次々と撃ち込まれていく。

俺はすぐにコクロウの背中に跨った。

「コクロウ、俺たちも撤退しよう」

「ああ」

このまま森の傍にいては、俺たちも帝国の魔法に巻き込まれてしまう。

コクロウは頷くと、すぐに砦に向かって走り出した。

ブラックウルフたちもすぐに後ろを付いてくる。

すると、後方で魔力の収束を感じた。恐らく、魔法使いたちによる複合魔法だろう。

程なくして魔法が完成し、森に火炎嵐が撃ち込まれる。

早めに撤退をしてよかった。あのままボーッとしていたら複合魔法に巻き込まれているところだった。

しっかりとコクロウの背中に掴まっていると崖を登り終わったのか、降りろとばかりに体を揺すられる。

やっぱり必要な時以外は人間を背中に乗せたくはないようだ。せっかくなら顔を埋めたりしてもうちょっと堪能しておけばよかった。

「イサギ様!」

などと呑気なことを思っていると、砦の防壁からメルシアが顔を出していた。

メルシアに寄っていこうとすると、彼女が防壁から飛び降りてきた。

「イサギ様! ご無事ですか!?」

「あ、うん。俺は大丈夫だよ」

俺よりも防壁から飛び降りたメルシアの方が心配なのだが、彼女の剣幕を見るとそんなことは尋ねられなかった。

とりあえず、どこも怪我をしていないことを伝えると、メルシアはホッとしたように胸を押さえた。

「森に火が放たれた時もそうだけど、イサギたちの近くに魔法が落ちた時は肝を冷やしたわよ」

「あはは、コクロウに助けられたよ」

入り口から俺たちのことを心配してレギナをはじめとする村人たちがやってくる。

砦の高い位置からはしっかりと帝国の魔法軌道が見えていただけに、よりヒヤヒヤとしたに違いない。

「それにしてもあんな強引な手を使うなんてね」

「うん。でも、森を消火するのに時間もかかるし、時間は稼げそうだよ」

森が燃えている間は帝国兵たちも進軍することはできない。

魔法使いが水魔法を使えば、鎮火することはできるが、先ほどの複合魔法のせいで即座に放つことはできないだろう。

「帝国が動くのにどのくらいかかると思う?」

「半日ほどだと思う」

敵も魔力回復ポーションを所持しているはずだ。複合魔法によって消費した魔力をある程度回復させたら、すぐに鎮火のための魔法を放つだろう。

「これだけの仕掛けをしても半日しか時間が稼げないのね」

これだけの火事を起こせば、二日くらいはまともに通れなくなるはずだが、それを何とかできるのが帝国の豊富な人員と物資である。

「でも、帝国にかなりの被害を与えることができたよ」

「コクロウやブラックウルフたちにも怪我はないみたいだし、先制攻撃はあたしたちの完全勝利ね! まずはそのことを喜びましょう!」

レギナの声に応じ、砦から村人たちの勇ましい声が上がった。

獣王軍たちがやってくるまでの時間を稼げれば、俺たちの勝率はグンと上がる。

ここで無理をする必要はない。

森火事によって帝国が動けない間に、俺は工房に籠ってゴーレムを作成していく。

もちろん、作っているのは農園にいる作業用ゴーレムではなく、戦うためのもの。

器用さではなく頑丈さや攻撃力に特化しており、俺が錬金術で作り上げた武具を装備している。たとえ、遠方から魔法や魔道具を撃ち込まれようが、お構いなしに突き進んでくれる頼りになるゴーレムである。

戦力の少ない俺たちにとって、ゴーレムはとても頼りになる。

ゴーレムならば素材と俺の魔力さえあれば、いくらでも作り出すことが可能だ。

だからこうして空いた時間ができると、俺はちょくちょくとゴーレムを作成するようにしている。

「イサギ様、帝国が動きました」

「わかった。すぐに向かうよ」

メルシアに呼ばれたので俺はゴーレムをマジックバッグに収納する。

本当はもう少し細部の調整をしたかったが、帝国に動きがあった以上は中断するしかない。

魔力回復ポーションを口にし、俺はメルシアと共に渓谷を俯瞰できる防壁に移動。

そこには既にレギナやケルシーをはじめとする村人たちが集結していた。

レディア渓谷の谷底に広がる森は半日ほど経過してなお燃焼しており、赤熱した木々が転がっており、激しい煙を上げていた。

帝国兵の姿は見えない。

しばらく見守っていると、燃焼している森の上空に大きな円環が広がった。

巨大な円環の輪は青い光を灯すと、そこから激しい風雨を注いだ。

水と風による複合魔法だ。

魔法による激しい風雨によって鎮火し、煙は遥か彼方へと飛ばされた。

魔法が終わった後に炭化した木々が転がっていた。

帝国と俺たちの間を埋め尽くしていた森はもうない。阻むものがなくなった。

「帝国が進軍を再開したぞ!」

「なにあれ? 人間じゃない?」

獣人が声を上げ、レギナが小首を傾げた。

遠見の魔道具を覗き込むと、そこに写ったのは帝国兵ではない。

「ゴーレムだ!」

痛痒を一切感じないゴーレムを前面に押し出した戦略。

先程の攻撃による大きな被害もあってか、帝国側はゴーレムを使うことにしたようだ。

「レギナ、こっちもゴーレムを使うよ」

「ええ、お願い!」

そっちがゴーレムを出すのであれば、こちらもゴーレムを出すまでだ。

俺はマジックバッグから大量の武装ゴーレムを取り出すと、一斉に起動させた。

「いけ! 敵を蹴散らしてくれ!」

俺が指示を飛ばすと、武装ゴーレムたちはこくりと頷いて、一斉に前へ進み始めた。

「頼もしい光景だが、敵の方が遥かにゴーレムが多いな」

ケルシーがゴーレムたちを見送りながら言う。

準備期間中に俺が作成することのできたゴーレムは五百体だ。それに対して帝国側のゴーレムはその三倍以上だ。圧倒的な戦力差に不安になるのも仕方がない。

「問題ありません。質ではイサギ様のゴーレムの方が勝っています」

「そうは言うが、敵のゴーレムは三倍だぞ?」

「問題ありません」

ケルシーが不安げな声を上げるが、メルシアがきっぱりと否定した。

「ケルシーはイサギの作ったゴーレムと戦ったことがないから不安に思うのも仕方ないわね。とりあえず、今はゴーレムに任せましょう」

「レギナ様がそうおっしゃるのであれば……」

レギナがそう言うと、ケルシーは不安そうにしながらも頷いた。

自分の作ったゴーレムだけに自信満々な言葉は言いづらいが、この日のために備えた作ったゴーレムだ。たとえ、帝国の宮廷錬金術師が作り上げたゴーレムだろうと負ける気はしない。

砦から見守っていると両者の距離があっという間に縮まる。

そして、帝国のゴーレムと俺の作った武装ゴーレムがぶつかり合う距離になる。

最初に動いたのは相手側のゴーレムだ。

帝国は射程距離に入るなり、剣、槍、斧などの魔道具を突き出し、様々な属性魔法を放ってきた。どうやら帝国はこの数のゴーレムにも魔道具を装備させているらしい。

それに対し、俺の作った武装ゴーレムは両腕を前に突き出して防御姿勢となり、その身体で受け止めた。

何百もの魔法が着弾し、激しい土煙が舞い上がる。

その威力に砦から見守っていると獣人たちが呆然とするが、次の瞬間煙を突き破る形で俺の武装ゴーレムが跳躍した。

武装ゴーレムは素早く駆け出して帝国ゴーレムに近寄る。当然、敵のゴーレムも装備していた魔法剣で応戦するが、武装ゴーレムの剣は魔法剣ごと敵を切り裂いた。

それは先陣を切った一体だけでなく、あちこちで同じような展開が繰り広げられる。

「こ、これは?」

「先ほど言ったじゃないですか、父さん。帝国のゴーレムとイサギ様のゴーレムでは質が違うと」

「いや、そうは言っていたが、まさかここまで一方的とは」

「あたしでもイサギの武装ゴーレムを抑えるのは三体で精一杯だからね。並のゴーレムや兵士だととても太刀打ちできないと思うわ」

レギナのあっさりとした言葉にケルシーは戦慄しているようだ。

俺がやってきてからプルメニア村では大いに活躍しているが、軍用となるとそこまでのスペックになるとは思っていなかったのだろう。

ライオネルから融通してもらったありったけの素材と、俺の莫大な魔力を注ぎ込んでいるからね。

魔力鉱をはじめとする、アダマンタイト、魔力鋼などふんだんに使用して強化している。

ちょっとやそこらの魔法ではビクともしない。

「それにしても帝国のゴーレムがやけにあっさりと倒れていくものだ」

「元は俺も帝国にいた人間ですから。帝国がどのような構造のゴーレムを作っているか、どんな動かし方をするかはお見通しです」

帝国の軍用ゴーレムの運用の仕方は、とにかく多くのゴーレムを作り、そこに魔道具を装備させるといった方法だ。その方法は理に適っているが、肝心のゴーレム作りの技術自体は低い。なぜならば、帝国の宮廷錬金術師は軍用魔道具の開発や作成には熱心であるが、ゴーレムの作成自体にはあまり熱心ではない。

ゴーレムなど先頭に立たせて、魔道具を発射するだけの固定砲台、あるいは肉壁、そのような思想しか持っていない。

それ故に、ゴーレム同士の激しい戦闘などは想定されておらず、実際に戦闘を行うとこのようになるわけだ。

仮に対応できたとしても、手足の可動域が狭かったり、可動域に限界があったりと稚拙だ。

そこを一方的に突いてやれば、簡単に倒すことができる。

「さ、さすがはイサギ君だな」

「イサギがこっち側にいてくれて本当に助かるわ」

帝国ゴーレムの弱点を解説すると、ケルシーとレギナがやや畏怖のこもった表情で呟いた。

そう言ってくれると俺も頑張った甲斐があるというものだ。

「ゴーレムの脆弱性については過去にイサギ様が何度も訴えていたことですのに……」

脆弱性を突かれ、バッタバッタと倒れていく帝国ゴーレムを見て、メルシアが哀れな視線を向ける。

ゴーレムの脆弱性については何度も訴えたんだけど、ガリウスに却下されたんだっけ。

あの時はなんて言われたんだっけ……確か魔道具を持たせるだけの飾りに労力を割くよりも、軍用魔道具の開発に力を割けみたいなことを言われた気がする。

今思い出すと、ちょっとむかつく出来事だが、目の前で繰り広げられている光景が俺の主張の正しさを証明してくれているのでスッキリとした気分だった。

「あれほどいた敵が、みるみるうちに数を減らしていく!」

当初はこちらの三倍以上の数がいた帝国ゴーレムであったが、こちらの武装ゴーレムによって蹴散らされ、その数を半分以下に減らしていた。

敵側の攻撃はこちらに一切通らない上に、こちら側の攻撃は敵にとって一撃必殺となる。

武装ゴーレムが剣を一振りするだけで、三体から五体ほどの数が沈んでいくのだ。

戦力が半数以下になるのも無理はない。

唯一の利点で数の利も道幅の制限された谷底では生かすことができない。接近されれば、満足に魔道具を放つこともできず、戦いは一方的なものになっていた。

「レギナ様、我々も押し込みましょう!」

俺の武装ゴーレムの勢いは止まらず、このままいけば敵のゴーレムたちを殲滅するだろう。

武装ゴーレムと一緒に前に進めば、帝国の陣地に大打撃を与えられる可能性が高い。

いくら堅牢な砦を築いているとはいえ、敵の数は膨大だ。なんとかして敵を押し返す、あるいは、進軍を鈍らせるためには、大きなきっかけが必要である。

仕掛けるならここだろう。

ケルシーの提案にレギナはこくりと頷く。

「ええ! イサギのゴーレムによって帝国の前線は崩れている! このまま押し込んで帝国の本陣に大打撃を与えるわよ!」

「「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」

大剣を掲げながらのレギナの言葉に、砦にいた獣人たちも武器を掲げながらひと際大きな声で答える。

戦が始まったとはいえ、ずっと俺の独壇場だった。血の気が多い獣人たちはずっと戦いたくて仕方がなかったのだろう。

「総員、強化丸薬を摂取!」

レギナが声を上げながら革袋の中から取り出した丸薬を口にする。

ダリオとシーレが強化作物を元に、より効果のあるものに作成したものだ。

獣人たちもそれらを口にすると、あちこちで遠吠えのようなものが上がった。

獣人たちの興奮している姿を見ると、ヤバい薬でも作ってしまったんじゃないかって思う。

「だ、大丈夫!? なんか皆、すごく興奮してるけど!?」

「戦っていうこともあって、ちょっと昂ってるかもね。でも、問題はないわ」

隣にいるレギナも昂っているせいか尻尾が激しく動いているが、理性が飛んだりしている様子はない。皆、戦の熱気に当てられているんだろうな。

「開門だ!」

防壁に設置された門が上へと上がっていき、砦の中に待機していた獣人たちが勢いよく出ていく。雑然と出ていっているように見えるが、進行中はそれぞれが固まって進んでいる。

事前に打ち合わせを重ね、陣形通りに動いているようだ。

「あたしも行ってくるわ!」

獣人たちが門から出ていくのを見ていると、隣にいたレギナがゴーレム馬に跨って駆け下りていく。

「ええ!? 指揮官なのに前に出るの!?」

「指揮官だからよ!」

いや、その返しは意味がわからない。指揮官だから後ろにいるものじゃないの!?

「獣人族では、もっとも強い者が先陣を切る役割を担うのです」

あんぐりとしているとメルシアが解説してくれた。人間族との文化の乖離が激しい。

「砦の方はどうなるの?」

「そちらは父さんが担うことになります」

ふと視線を向けると、少し寂しそうな顔をしたケルシーがいた。

さすがに攻めるとはいえ、すべての戦力を出せるわけじゃないからね。いつでも退避できるように指揮のとれる人材が残ってくれてよかった。

「この場合の俺たちってどうなってる?」

砦から討って出るタイミングは特殊で、その時の動きは臨機応変となっている。

俺は準備に奔走していたので、状況が動いた場合の具体的な動きを知らない。

「イサギ様は既に獅子奮迅の活躍をなされているので後方で待機となります」

「そうなんだ」

「ですが、イサギ様はそれでは堪えられないのですよね?」

俺が神妙な顔で頷くと、メルシアがしょうがないといった様子で言う。

どうやら俺の心中などメルシアにはお見通しらしい。長年、俺の助手をしてくれているだけある。

「……うん。皆が命を懸けて戦っているのに、俺だけが後ろで見ているだけっていうのは我慢できないんだ。だから、メルシアも付いてきてくれるかい?」

「ッ!」

「あはは、メルシアは危ないからここに残ってくれって言うと思ったかな?」

「……はい。ですので、どうやってイサギ様を説得するか考えていたところでした」

「自分一人じゃ何もできないのはわかっていることだからね」

プルメニア村にやってきてコクロウと遭遇した時も、ラオス砂漠を横断する時も、キングデザートワームを討伐する時も俺はメルシアに助けられてばかりだ。彼女がいなければ、今頃ここにいれたかもわからない。

そんな経験を何度もしてきたんだ。今更、メルシアは後ろに下がっていてなんて言えるはずもない。

「メルシアがいるから俺は安心して前に進むことができる。だから、メルシアにはずっと傍にいてほしい」

「ああ、うええ、イサギ様……」

手を差し伸べると、メルシアはなぜか上ずった声でこちらを見上げてくる。

あれ? また何か変な言い方をしてしまっただろうか? 

言葉を振り返ってみると、なんだか告白みたいな感じな気がする。

でも、今更言葉を取り下げることもできないし、ここで狼狽えるのもカッコ悪い。

堂々とした様子でいると、頬を赤く染めたメルシアがおずおずと手を重ねてくれた。

「おっほん!」

「わっ!」

突如、すぐ傍から上がるケルシーの声。

そうだ。ケルシーが傍にいたんだった。

かしこまった会話を見られて、少し恥ずかしい。

「……父さん」

「私が止めても無駄だろう。ここにメルシアを連れてきた時点で覚悟はしている。二人とも無事で戻ってくるんだぞ?」

「はい!」

メルシアを溺愛しているケルシーのことだから前線行きを大反対するかと思いきや、すんなりと認めてくれたようで安心した。

ホッと心の中で安堵していると、ケルシーの鋭い視線がこちらを射抜く。

言葉では何も言ってこないが、娘に怪我をさせたらただじゃおかないって顔だ。

俺は苦笑しながらもアイコンタクトで無事で帰ってくることを約束した。というか、しないとここで殺されるからね。

「じゃあ、行こうか!」

「はい!」

マジックバッグから二頭のゴーレム馬を取り出すと、俺とメルシアはそれぞれに乗り込む。

そのまま砦を出ると、谷底へと一直線に下りていく。

急な斜面を駆け下りるのは操縦技術と度胸がいるが、この日のために何度も練習したので問題ない。

今もちょっと怖いけど、コクロウの背中に乗って下りた時より十倍マシだ。

谷底に下りると、メルシアと共に道なりに真っすぐに進んでいく。

武装ゴーレムは帝国のゴーレムを殲滅し、帝国兵へと距離を詰めていく。

「総員、魔道具を放て!」

帝国兵が一斉に魔道具を放ってくるが、武装ゴーレムはそれをものともせずに突き進んでいく。中にはゴーレムとの戦闘で負傷していたのか、崩れ落ちる個体は微々たるものだ。

「ダメだ! 効かねえ!」

「ゴーレムに人間が勝てるわけがねえ!」

損害はほとんど無しの状態で武装ゴーレムは帝国兵と接敵し、そのことごとくを吹き飛ばしていく。中には騎士らしき者もいたが、たとえ魔力で肉体強度を上げようとも、ゴーレムとはスペックが違うのだ。一に一を出しても微々たるものでしかないので無駄だ。

「先手必勝!」

ゴーレムが切り開いたところにレギナが飛び込む。

レギナが振りかぶっている大剣には、炎の力が宿っており、彼女は帝国兵の密集する場所にそれを叩きつけた。

次の瞬間、大きな爆炎が上がり、帝国兵たちが冗談のように吹き飛んだ。

そんな光景が後ろにいる俺たちにもよくわかる。

あの大剣はレギナのために俺が調整して作った魔法体剣。炎属性を付与されている。

試運転でも問題ないことは確認済みだが、実戦で問題なく稼働している姿を見ると、錬金術師としては安心できるものだ。