彩鳥族と赤牛族の祝宴のあった翌日。俺とメルシアとレギナは獣王都へ帰還することにした。
「もう帰っちまうのか?」
ティーゼの家で帰り支度を整えて外に出ると、ふらりとやってきたキーガスが言う。
昨日の祝宴の時から今日には帰ることは伝えていた。
遅くまで飲んでいたはずだが、見送りにきてくれたのだろう。
「ええ、ライオネル様に報告を入れないといけないですから」
育てられる作物の数はまだまだ少ないが、ひとまず彩鳥族と赤牛族の集落に農園を作るという最大目標は達成した。目標を達成した以上は依頼者であるライオネルに報告をするのが筋だ。
本当はプルメニア村のようにたくさんの果物や野菜を育てられるようにしたいのだが、さすがにそこまで仕上げるには多くの時間がかかってしまうからね。獣王都を出立して一か月くらい経過しているし、そろそろ報告に戻るべきだろう。
あと長期間メルシアを連れ出しているとケルシーさんがどう動くかわからない。
やけを起こす前に急いでプルメニア村に戻って、メルシアの姿を見せてあげるべきだろう。
「もう少しイサギさんやメルシアさんから農業を学びたかったのですが……」
「俺とメルシアはあくまで錬金術に詳しいだけで農業についての知識はそれほどですよ。俺たちに聞くよりも、現場で働いている人に教えてもらう方がいいかもしれません」
「つまり、イサギさんの大農園で働いていらっしゃる従業員の方に教えてもらえればいいのですね!」
「おお、そりゃあいいな! うちもイサギのお陰で農業ができるようになったが、根本的な知識はまったく足りてねえからな」
「まずは私たちが視察に向かい、その後に集落の者を派遣するというのはどうでしょう?」
「そいつはいいアイディアだな!」
あれれ? 適当に他の土地で農業をやっている人から学ぶことを勧めたつもりが、なぜかうちの大農園で学ぶようなことになっている。おかしい。
というか、二人とも仲が良すぎない? ちょっと前まで険悪な感じだったよね? いや、仲良くなってくれたのは本当に嬉しいんだけど。
「いや、さすがにそんなことを急に決めるわけには……ねえ? メルシア」
「良いのではないでしょうか? 大農園もかなり広がり、そろそろ新しい人員が欲しいと思っておりました」
メルシアに伺いを立てるように視線を向けると、彼女はあっさりと許諾した。
「ありがとうございます。では、集落の農業が安定しましたら、改めてお伺させていただきます」
「おう。こっちも落ち着いたら行くからな」
「は、はい」
こんなにもあっさりと外部からの従業員を受け入れてしまっていいのだろうか?
まあ、ずっとこちらに住むのではなく、技術や知識を学ぶための研修生のようなものだ。
そこまで深く考える必要はないか。
「なんだか楽しそうね!」
「レギナの本業は王女だよね?」
すっかりと俺たちの一員として馴染みつつあるレギナだが、本業はこの国の第一王女だ。
今はライオネルの命で自由に動けているが、彼女がやるべきことはきっとたくさんあるに違いない。
「そうだけど、たまに遊びに行くくらいはいいでしょ?」
「そうだね。遊びにくるのなら大歓迎だよ」
拗ねたような顔をしていたレギナだが、そう答えると嬉しそうに笑った。
会話が一区切り着いたところで俺はマジックバッグからゴーレム馬を取り出して跨った。
これ以上話していると、名残惜しくなっていつまでもここにいたくなってしまいそうだから。
メルシアとレギナもゴーレム馬へと跨る。
「それじゃあ、俺たちは獣王都に帰ります」
「はい。次は大農園でお会いしましょう」
「次までにはもっと上手いカッフェを用意してみせるからな!」
ティーゼとキーガスに手を振ると、俺たちはゴーレム馬を走らせた。
あっという間にティーゼとキーガスの姿が見えなくなる。
彩鳥族の集落の外に出てしばらく走らせていると、あっという間に岩礁地帯から砂漠地帯へと変わっていく。
賑やかな人たちが減ると、こんなにも静かになるんだな。
「なんだかあんまりお別れって感じがしなかったや」
「お二人ともすぐに大農園に来る気満々でしたからね」
ポツリとそんな感想を漏らすと、並走しているメルシアがクスリと笑った。
落ち着いたらすぐにやってくると豪語しているんだ。
今生の別れみたいにならないのは当然だった。
「にしてもどっちの集落でも農業ができるようになって本当に良かったわ。あんなに楽しそうにしているティーゼたちを見られたのはイサギのお陰よ。改めてお礼を言うわね」
レギナは過去に彩鳥族の集落に訪れている。
過去の状況をその目で見ていたからこそ、農業ができるようになった時の変化が一番わかっているに違いない。そんな彼女から礼を言われるのは素直に嬉しいことだった。
良かった。今回も力になることができて。
確かな充足感を胸に抱きながら俺はゴーレム馬を走らせた。
●
「大樹が見えた!」
ラオス砂漠からゴーレム馬を走らせること一週間。
俺たちはようやく獣王都に戻ってくることができた。
街を覆う城壁を突き抜けて見える大樹は獣王都を見守るように屹立していた。
「獣王都を離れた期間はそれほど長いわけでもないのに随分と久々に感じるわ」
「ラオス砂漠の仕事はそれほど濃密でしたからね」
一か月と少しほど前に獣王都を出発したというのに随分と久しぶりのように感じる。
メルシアの言う通り、それだけラオス砂漠での仕事が濃密だったということだろう。
プルメニア村に帰ってきたわけでもないのに、なんだかちょっと懐かしい気分。
城壁の前には今日も獣王都に訪れている商人や旅人、冒険者などの入場待ちの列が見えている。
本来であればその後ろに並ぶべきだが、俺たちには第一王女であるレギナがいる。獣王都への入場は顔パス状態だ。
入場門を守る警備の者にレギナが軽く手を振ると、俺たちはあっさりと中に入ることができた。
獣王都に入ると、俺たちは一直線に大樹へと向かう。
今すぐに適当な宿にでも泊まって身体を休めたいところだが、まずは国王であるライオネルに報告をしないとな。レギナは一応第一王女だし、早くお返ししてあげないと。
昼間なせいか大通りには多くの獣人で賑わっていたが、そこは馬上からレギナが声を上げるとすんなりと道が開いた。
帝国の大通りだと怒鳴りつけるくらいじゃないと道が開くことはない。これだけスムーズに道が空くのは国民の九割が獣人である獣王都だからだろうな。
大通りを突き進み、大樹へと続いている蛇行坂を上り切ると、俺たちは大樹へとたどり着いた。
「おお! お前たちよくぞ戻ってきた!」
入り口を守護している犬獣人と猿獣人に声をかけて大樹に入ろうとすると、そんな声を上げながらライオネルが降ってきた。
最初にやってきた時もこんな感じの登場だった気がする。
「父さん! ただいま!」
「ああ、お帰り。イサギたちとの旅を随分と楽しんでいるようだな」
「まあね」
第一王女の帰還なのにライオネルの様子が軽い。
結構な危ないところに派遣した気はするけど、娘の実力を信頼しているのかあまり心配はしていなかったようだ。ケルシーとは大違いだな。
「ライオネル様、ただいま帰還いたしました」
「うむ! イサギとメルシアも無事でなりよりだ! それでどうだ? ラオス砂漠の様子は? 厳しい環境でさすがのイサギでも何かと厳しいだろうが、途中経過を教えてくれ」
あれ? この様子だとライオネルは俺たちが経過報告のために戻ってきたと思っているのだろうか?
「父さん、あたしたち途中経過の報告にきたわけじゃないからね?」
「どういうことだ?」
まあ、二つの集落ではまだプルメニアの大農園ほど豊富に作物を栽培することができていないので途中といえば途中ではあるが、ライオネルの要望は既に達成しているので報告をさせてもらおう。
レギナに変わって俺は前に進み出て口を開いた。
「彩鳥族、赤牛族の集落で農園を作ってきました」
「うん?」
「それぞれの集落で小麦、ジャガイモ、ブドウ、ナツメヤシの栽培に成功し、既に二回ほど収穫を迎えています」
「……ちょっと待て? もう農園が出来たというのか?」
「そうなります」
「…………」
農園ができたことを報告すると、ライオネルが固まって動かなくなった。
よくわからないが農園の状況を説明させてもらおう。
「栽培している作物の種類は少ないですが、少なくとも先ほど述べた四種類の作物は栽培することに成功しています。さらに付け加えますと彩鳥族の集落ではカカオという食材を栽培し、赤牛族の集落ではカッフェの実の栽培に成功しました」
「こちらがカカオ豆を加工して出来上がったカカレート、こちらがカッフェの実を加工することで出来上がるカッフェという飲み物です」
特産品がどのようなものかわからないライオネルのためにメルシアがどこからともなく用意したカカレートとカッフェをライオネルに差し出す。
呆然としながらもライオネルは差し出されたカカレートを口に含み、カッフェを飲んだ。
「甘くて美味い! それにこのカッフェという飲み物も独特の苦みやコクがあっていいな!」
「合わせて飲むとさらに美味しいです」
「本当だ! カカレートをもっとくれ!」
「どうぞ」
メルシアが追加でカカレートを渡すと、ライオネルはパクパクとカカレートを食べる。
かなり気に入ったようだ。ちゃっかりとレギナもカカレートを摘まんで食べている。
「これらの品々は二つの集落で大量生産し、それぞれの集落で加工の後に特産品として輸出する予定となっております。現在では貨幣を得る手段に乏しい二つの集落ですが、特産品を生産し、輸出することで数多の人々が集まり活性化するのではないかと思っています」
「イサギ様のご活躍によりそれぞれの集落で新しい水源が発見さえ、集落へと引き込むことに成功しております」
「それとティーゼの集落の近くにある山でマナタイトがあったわ! もしかしると、マナタイトの鉱脈があるのかも!」
「待ってくれ。一度に多くの出来事があり過ぎてパンクしている」
俺、メルシア、レギナが口々に行いを説明すると、ライオネルが頭を抱えてしまった。
冷静に考えると一度にたくさんのことが起きているな。彼が戸惑うのも無理はない。
「おーい、ケビン! 来てくれー!」
「何事ですかライオネル様」
大樹に向かってライオネルが叫ぶと、程なくして宰相であるケビンが大樹から出てきた。
怪訝な顔をしていたケビンだがライオネルから俺たちの為してきたことを聞くと、間抜けな表情になってしまった。
「まさかたった一か月と少しでこれ程の成果を上げとこられるとは予想外です。お早めに戻ってこられたので砂漠で食べられる食材の一つや二つを見つけてくるくらいだと」
「イサギなら砂漠であろうと農園を作り上げることができると思っていたが、こんな短期間で成し遂げるとは思っていなかった」
自分たちで送り出しておきながら酷くないだろうか? まあ、でもティーゼたちが快く協力してくれることがなければ、もっと時間がかかっていたことは確かなので二人の読みも間違いではないだろう。
「こちらがラオス砂漠での詳細な活動報告書になります。ご確認ください」
「確かに受け取りました。後でゆっくりと確認させていただきます」
さらっとメルシアがケビンに歩み寄って報告書の束を用意していた。
「ごめん。そういうのを書いておくのをすっかりと忘れていたよ」
「お気になさらず。こういう事は私のお役目なので」
宮廷錬金術師を辞めてから割と自由にやっていたので報告書という概念をすっかり忘れていた。
やっぱりメルシアは頼りになる。
「ゴホン、ひとまずはよくやってくれたイサギ。報酬については詳しく報告書などを読み込んでから渡したい。それまでは大樹でゆっくりと身体を休めてくれ」
「ご配慮いただき感謝いたします」
ライオネルが直々に面倒を見てくれるのであれば辞退する必要もない。今から街に降りて宿を探すのも面倒なので素直に厚意に甘えることにした。
「イサギさーん! ちょうどいいところにいたのですー!」
ゾロゾロと大樹に入ろうとしていると、後ろからそんな特徴的な声が聞こえた。
振り返ると、コニアがゴーレム馬に乗ってこちらにやってきていた。
「わっ、ライオネル様、レギナ様! お話しの最中に大変申し訳ないのです!」
俺の他にライオネルやレギナがいることに気付くと、コニアは慌てて馬上から降りて頭を下げた。
「良い。俺のことは気にするな。急いでやってきたということは重大な話があるのだろう?」
「そうなのです! 聞いてください! レムルス帝国が獣王国に向けて侵略の準備をしているとの情報が入ったのです!」
コニアのもたらした情報に俺たちは誰もが固まってしまうのであった。
「レムルス帝国があたしたちの国に侵攻するつもりですって!?」
コニアからの報告を聞いて表情を険しくさせるレギナ。
キングデザートと相対した時のような……いや、それ以上の殺気を振り撒いている。
愛国心が強い彼女だからこそ、帝国の動きに許せないものがあるのだろう。
そんな中、隣にいるライオネルはレギナの頭にポンと手を置いた。
「落ち着け、レギナ。王女たるものみだりに取り乱すべきではない。上の者が取り乱せば、他の者にも不安が広がってしまう」
「ご、ごめんなさい」
チラリとこちらに視線を向けるライオネルの意図に気付いたのか、レギナがハッと我に返って謝った。
さすがは獣王だ。こんな緊急な報告を入ったというのに非常に落ち着いている。
王だけあって、こういった緊急事態の対処にも慣れているのだろう。
「詳細については今からコニアが説明してくれる。だろう?」
「はい。情報源につきましては帝国に出入りをしているうちの従業員からの報告なのです」
「侵略を前によく獣人族の出入りが許されましたね?」
メルシアが疑問を投げかける。
仮にもこれから侵攻する敵国の種族だ。
いくら帝国といえど、この時期に獣人の商人の出入りには警戒しているので情報を掴んでくるのは難しいのではないか。
「その従業員さんは人間族と獣人族のハーフなので」
「なるほど。獣人族の特徴の薄い方でしたら紛れ込むことも可能ですね」
大国であるからこそ、どうしてもひとつひとつの検問は緩くなってしまう。人間族と変わらないほどの容姿であれば見分けることは難しいだろう。
ワンダフル商会は国内だけでなく、国内外にも根を張っているようだ。
「……ふむ、それだけではうちへの侵略へと断定するには薄いな」
「父さん! コニアが貴重な情報を持ち帰ってくれたのになに悠長なことを言ってるの!?」
「国軍を動かすには明確な大義名分がいるのだ。迂闊に軍を動かせば、無為に周辺諸国を警戒させることになる」
貴重な情報を持ち帰ってくれた手前言いづらいが、王として本格的に動くには足りないのだろう。
「気になって調べてみたところ帝国のお抱え商人が周辺から大量に穀物や鉄製品、魔石などの買い上げをしており、貴族たちが領地から兵力を動員している動きも確認できたのです」
通常ならそういったケースでは内乱といったケースも考えられるが、帝国の場合は侵略を繰り返して領土を拡大してきた歴史がある。
内乱ではないかと楽観的に構えるよりかは、侵略への動きだと疑って準備する方がいいだろう。
「そこまでの大きな動きとなると間違いなく侵略だな! すぐにケビンを呼べ!」
「はっ」
コニアの報告に先ほどまで慎重な態度を見せていたライオネルが、嬉々として部下に指示を飛ばした。
あまりの変わりように俺とメルシアは目を白黒とさせてしまう。
「こうまで慎重にしないとケビンをはじめとする部下が怒るのだ。断定できない状況で勝手に動くなと」
妙に慎重な態度だと思ったら、過去にやらかしたことからの反省だったらしい。
こっちの方がいつものライオネルらしくて安心するな。
「一つ気になるとすれば、どうして俺の国なのかだな……」
「急にあたしたちの国を狙ってきた理由がわからないわね」
確かにライオネルの言う通りだ。
帝国と隣接している国は、獣王国以外にもある。
その中で獣王国が侵略の対象として選ばれた理由がわからない。
帝国が獣王国を侵略しようとする理由を考えてみる。
帝国は慢性的な食料不足を抱えていた。
そんな時、帝国近くの獣王国の辺境に大農園ができた。
その大農園は獣王国をも襲った飢饉を賄えるほどの肥沃な食料の生産地だ。
帝国ならば、その肥沃な土地となったプルメニア村を奪おうと考えるのも無理はない。
むしろ、自然とくる。帝国にいたからこそわかる。
「イサギ様!」
メルシアも俺と同じ思考に至ったらしい。血相を変えてこちらに視線をやる。
「なにか理由が思い当たるのか?」
「もしかすると、俺の作った大農園が狙いかもしれません」
「イサギの作った大農園? そうか! 帝国の奴等はプルメニア村にある大農園を手に入れることで国内の食料事情を改善しようとしているのか!」
彼も今回の飢饉には大きく悩まされ、周辺国の情報は常に仕入れており、大農園の重要性を認知していた。だからこそ、俺の一言を聞いて、ライオネルも同じ結論へと至ってくれたようだ。
「ということは、俺が大農園を作ったせい?」
俺がメルシアの故郷で農園なんてものを作ったから帝国の標的にされてしまった。
俺が帝国から追い出されて余計なことをしなければ、獣王国の人たちは今も平和な暮らしを……。
「そんなことはありません!」
などといった思考を巡らせていると、傍にいたメルシアが声を大にして言った。
落ち着いたメルシアの言葉とは思えないほどの声量だった。
「イサギ様が大農園を作ってくれなければ、私たちは明日に怯えながら生活をし、緩やかな滅びへと向かっていました。それを救ってくださったのはイサギ様です! イサギ様のお陰でプルメニア村には希望の光が灯り、笑顔で満ち溢れました。だから、イサギ様がご自身を責めないでください!」
「……メルシア」
涙を流しながら訴えるメルシアに俺は驚く。
「耳が痛い話だな。俺がもっと国内の隅々まで力を行き渡らせることができれば、そんなことにもならなかったのだがな。プルメニア村だけでなく、イサギの大農園のお陰で多くの国民が救われた。どうかその行いを忘れないでほしい」
「そうよ! ティーゼたちの集落もイサギの錬金術のお陰で生活が豊かになって喜んでいたじゃない! それを忘れないでよ!」
「ライオネル様、レギナ……」
三人が言ってくれたように俺たちが作り上げた大農園は、たくさんの美味しい食材を作り出し、多くの人を笑顔にしてきた。
その事実を忘れることはメルシアをはじめとする救われた人にとっても傷つくものだ。
「そうだったね。ありがとう、メルシア。ライオネル様、レギナ」
だから、卑屈な思考をするのはやめよう。
皆の笑顔や感謝に恥じない行動ができたと堂々と胸を張っていくんだ。
「にしても、イサギの大農園はすごいけど、あたしたちの国も大国よ? 大国に正面から喧嘩を売ってまで手に入れようとするものかしら?」
「帝国なら間違いなくするよ」
「私もイサギ様の意見に同意します」
「えぇ……」
俺とメルシアが即答すると、レギナが驚く。
「レギナ、お前はまだ若いからわからぬかもしれないが、レムルス帝国とはそういう国なのだ」
厳かな口調でそう告げるライオネルの言葉には決めつけではなく、経験を元にした深い含蓄があるようだった。
「なんかうちの国がすみません」
「イサギが謝る必要はない。まったく、あの国はいつになったら落ち着くのやら」
帝国は大国相手には控え目ではあるが、ちょっかいをかけ続けていた。
今さら帝国に愛国心はないが、自分が生まれ育った国だけあって申し訳ない気持ちで一杯だ。
「ライオネル様、申し訳ありませんが俺たちはプルメニア村に戻ります」
帝国の狙いが俺の大農園である可能性が高いとなると、プルメニア村が危険だ。
仮に大農園が狙いじゃなかったとしても、プルメニア村は帝国と一番近い場所。用心をするに越したことはない。
なにより、村の人たちにいち早くこの情報を伝えないと。
「本来でなら宴でも開いて三人の話を聞きながら、功労を称えたいところだが今はそんな場合ではないな」
「はい、そういうわけなので、俺たちはこれで……」
「待て」
ゴーレム馬に乗り込もうとしたところでライオネルに裾を掴まれた。
「ライオネル様? 急いでるんですが!?」
「錬金術師であるイサギにとって物資は重要であろう? 大樹の中に大量の物資がある。必要だと思うものを持っていけ」
「私も急いで物資をかき集めさせているのでもう少しだけお時間をくださいなのです」
「イサギ様、私たちはラオス砂漠で多くの物資を消耗いたしました。ここはお二人のご厚意に甘えて、物資を補充しておくのが賢明かと」
自分の故郷であるメルシアが一番焦っているだろう。それなのに村のことを考えて最善を尽くそうとしている。そんな彼女の姿を見ていると、慌てている自分が情けなく思えてきた。
「冷静に考えればそうだね。二人ともありがとうございます」
何も考えずに突っ走ってもいいことはない。錬金術師は無から有を作り出せるわけではないのだ。どれだけ素材を用意しているかでできることの幅は広がる。
焦る気持ちはあるが、ここは先に物資を補充する方が先決だ。
ライオネルに案内されて俺たちは大樹に入った。
急いで階段を上ろうとしたところで俺以外の三人が足を止めた。
あれ? 三人ともどうしたんだろう?
「物資の保管庫は上層にある。メルシア」
「かしこまりました」
ライオネルの言葉にメルシアが頷いてこちらに寄ってくる。
「あれ? どうしたの?」
今のやり取りで何が決定されたんだ?
「イサギ様、失礼いたします」
「え? なに? わわっ!」
怪訝に思っていると、メルシアにいきなり抱き上げられた。
帝国で言う、お姫様抱っこというやつである。
普通は男性が恋仲である女性を運ぶときするものであるが、俺たちは恋仲ではないし、抱える方も逆だ。
「あの、えっと、メルシアさん?」
「イサギ様、しっかりと私に掴まっていてくださいね」
俺が動揺している間にメルシアは身体を沈めて跳躍の姿勢に入る。
喋っていては舌を噛むかもしれないので、俺は喋るのをやめた。
「――ッ!?」
次の瞬間、メルシアが地面を蹴って宙へ上がった。
腕の中にいながらも感じる急上昇。
下を見ると一階の大広間が遠く、五メートルを越える高さを跳躍していることを理解した。
一回のジャンプでこんな高さにまでやってこられるんだ。
なんて呑気に思っていると、メルシアは階段の手すりを足場にして次の跳躍へ。時には壁を、時には階層の床を、魔道ランプの出っ張りをあらゆる場所を足場として跳躍を繰り返す。
視界の端ではライオネルとレギナもそれが当然のように跳躍していた。
「ふはは! 久しぶりにやると楽しいな!」
「緊急時以外にやるとケビンに怒られるもんね!」
そりゃそうだ。王族がこんな風に落ち着きなく跳躍していると、臣下の人がビックリする。
陽気に笑う二人は、大義名分を得た田舎の悪ガキのようだった。
「イサギ様、到着いたしました」
「あ、ありがとう」
気が付くと目的の階層にたどり着いたらしい。
大きな扉の前でゆっくりとメルシアに下ろされる。
ライオネルは懐から取り出した鍵で解錠すると、大きな扉を勢いよく開け放った。
開け放たれた保管庫には大量のショーケースが設置されており、中には貴重な魔物の素材らしきものや魔石が収められており、壁や棚には高名な鍛冶師が打ったと思われる武具や、錬金術師が作ったと思われる魔道具などがあった。
「これはすごいや!」
「帝国では手に入らない稀少な魔物の素材や魔石で溢れています!」
錬金術師にとって涎を垂らしてしまうくらいに稀少なものだったり、高価な素材で満ち溢れている。
帝国の物資の保管庫だってすごいのかもしれないが、俺は平民であり、ガリウスに疎まれていたせいかこういった保管庫に入らせてもらったことはなかったので判断はつかない。
「必要だと思うものは好きに回収してくれ」
「イサギのマジックバッグであれば、全部いけるはずです。やってしまいましょう」
「そうだね」
ライオネルの言葉を聞いた瞬間、メルシアが大量の魔石が入った宝箱を俺のマジックバッグにねじ込んだ。俺もマジックバッグの口を広げて、稀少な魔物の素材が入ったショーケースごと収納した。
「こっちにマナタイトをはじめとする稀少な鉱石があるわよ! これも持っていってイサギの錬金術で武器を作りましょう!」
「それいいね!」
「……訂正する。さすがに全部は勘弁してくれ」
楽しくなって大容量のマジックバッグに詰め込みまくっていると、ライオネルが血涙を流すかのような振り絞った声を上げた。
ちょっと調子に乗り過ぎたみたいだ。
さすがに全部は可哀想なので、ライオネルと相談しつつ収納することにした。
「よし、これくらいあれば十分かな」
「イサギ、まだ渡していない大事なものがある」
必要と思えるものを譲ってもらうと、ライオネルがさらに奥へと進んでいく。
そこは何もない行き止まりであったが、ライオネルが壁を押すと扉が出てきた。
「こんなところに隠し扉なんてあったんだ」
どうやらレギナも知らなかったらしい。
扉を開けて中に入っていくライオネルに続くと、薄暗い広間にたどり着いた。
広間の壁には苔がびっしりと生えており、淡い燐光を放っていた。
「ここは?」
「大樹の素材を保管している場所だ。ラオス砂漠での仕事が成功すれば、大樹の素材が欲しいと言っていただろう?」
確かにラオス砂漠での依頼を受ける前にそう言った。
砂漠での仕事に夢中ですっかりと忘れていた。
「ありがとうございます!」
ライオネルから許可の貰った大樹の素材をマジックバッグに収納させてもらう。
「それとこれも渡しておこう」
すると、ライオネルが小さな瓶を手渡してきた。
瓶の中には透き通った翡翠色の液体が満たされている。
まるでポーションのような透明性であるが、錬金術師である俺にはそれが何かわかった。
「大樹の雫ですか?」
「ああ、大樹から五十年に一度だけ採取される雫だ。ポーションとして加工すれば、重度の怪我を治癒させるだけでなく、魔力だって回復させることができる。イサギほどの腕があれば、役立てることができるだろう?」
「かなりの価値になりますがいいのですか?」
これを原料にして作れば、手足が吹っ飛ぼうとも生やすくらいの治癒能力をもったポーションを作ることができる。通常のポーションと比べれば、破格の治癒能力であり価値も絶大だ。こんなものを俺に託してもいいのだろうか?
「ラオス砂漠に農園を作ってくれた礼の一つとして受け取ってくれ」
「でしたら遠慮なく活用させていただきます」
依頼への報酬というのであれば、素直に受け取る他にない。
俺はマジックバッグに丁寧に収納した。
「では、下りましょうか」
必要な物資の受け取りが終わって保管庫から出ると、メルシアがそう言った。
「ええっ、下りるのはちょっと怖いかも……」
「時間短縮のためですので」
「はい」
頷くと、メルシアは俺をひょいと抱え上げて大樹の上層階からジャンプした。
「うわわわわわ!?」
ふわりと高所から落下していく感覚が身体に襲いかかる。
手すりにぶつかってしまうんじゃないかと危惧するが、メルシアは柔軟な足腰を使って衝撃を吸収し、僅かな足場を使って下っていった。
下りは上りよりも一瞬で気が付けば、メルシアは一階のホールへと着地していた。
「イサギ様、大丈夫ですか?」
「な、なんとか」
「よろしければ、このまま私がお運びしましょうか?」
「い、いや、自分で歩けるよ」
ちょっと足腰が抜けている感じはあったけど、いつまでも女性にお姫様抱っこをされているわけにはいかないという男の矜持が勝った。
すると、メルシアは何故か残念そうな顔をして俺を下ろした。
「イサギさーん! ワンダフル商会から急ぎで食料を持ってきたのです!」
大樹の外に出ると、コニアをはじめとするワンダフル商会の馬車がいくつか並んでいた。
「野菜や果物はプルメニア村にたくさんありますので、不足しがちな肉や魚をたくさんご用意したのです!」
コニアがそう言うと、従業員の人たちが荷台から冷凍された肉や大きな魚を出してくれた。
「それだけじゃなく不足していた鉄、銅、鋼、魔石、木材などもたくさんありますね」
メルシアが別の荷台から下ろされた物資を確認しながら言う。
ライオネルが譲ってくれた素材に比べれば性能や稀少性は劣るが、それらの素材は錬金術師にとって非常に使い勝手のいい素材なのだ。
汎用性の高い素材はいくらあっても困らない。
「全部マジックバッグに収納しちゃってくださいなのです!」
「いいんですか!?」
「イサギ大農園から仕入れた作物は、今やワンダフル商会でも欠かせないものの一つなので、窮地にお助けをするのは当然なのです!」
「……で、本音のところは?」
「イサギさんやプルメニア村の人たちに恩を売りつけて、今後もワンダフル商会をご贔屓にしてもらうのです!」
なんて尋ねてみると、コニアは悪びれる様子もなく爛漫とした様子で言った。
「さすがは商人。どんな時も抜け目ないです」
「まあ、純粋な善意って言われるより、こっちの方がわかりやすくていいかな?」
どんな状態でも商人としてのスタンスを貫くコニアの態度には清々しさすら覚えるものだ。
「落ち着いたらワンダフル商会に恩返しをしないとね」
「……私としては先程陛下と話していたカカレートとカッフェというのが気になるのです!」
どうやら到着する直前の会話を耳で拾っていたらしい。
コニアの商売魂には感心を通り越して呆れすら出てくる。
「ひとまず、試供品を渡しておきますね」
「わーい! ありがとうございます!」
物資を用立ててくれたお礼として、俺はカカレートとカッフェのセットをコニアに渡した。
「イサギ様、必要な物資の詰め込みが終わりました」
「マジックバッグがパンパンだね」
触ってみるとなんとなくわかる。マジックバッグが容量のギリギリだということが。
これ以上無理に物資を詰めると、マジックバッグが破裂してしまうだろう。
ここまでパンパンに膨れたのはプルメニア村で初めて農業をして、作物を作り過ぎた時以来じゃないだろうか。
「……まさか持ってきた物資のすべてが収納できるなんて驚きなのです」
コニアがまじまじと俺のマジックバッグを見つめる。
小さな尻尾をフリフリとしており、全身で欲しいと訴えかけている。
「さすがにこれを作るのは時間がかかるので今すぐは勘弁してください」
「そうですか。でしたら落ち着くのを楽しみにしているのです」
これはその辺にあるマジックバッグと違って、大容量が入る特注品だ。
空間拡張の付与は、拡張する空間が大きければ大きいほどに技術と時間が必要となるのだ。
そのこと説明すると、コニアは素直に引き下がってくれた。
「イサギ様、準備が整ったことですし行きましょう」
「そうだね」
「あっ……」
俺とメルシアがゴーレム馬に乗り込むと、レギナがそんな小さな声を漏らした。
思わず振り返るが、レギナは第一王女だ。
彼女が付いてきてくれれば心強いことこの上ないが、戦争の前線になるかもしれない場所に付いてきてくれと言うわけにもいかない。
これはラオス砂漠に農園を作るのとは違うんだ。
「……レギナ、イサギたちに付いていって力になってやれ。お前が最前線で指揮を執り、村人の避難および防衛ラインを作り上げるのだ」
レギナに別れを告げようとしたところでライオネルがそう言った。
「はい!」
呆気に取られていたレギナであるが、すぐに意味を理解したのか嬉しそうに頷いた。
「ライオネル様、いいのですか?」
「俺たち王族には国民を守る義務がある」
「しかし、だからといって王女であるレギナ様を派遣するなんてあまりにも危険では……」
「これは義務だけの話ではない。今の獣王国にとって、イサギ大農園のあるプルメニア村には重要な価値があるというわけだ。帝国に大農園を奪われ、食料を無尽蔵に生産する攻撃拠点になってしまえば、帝国はさらに勢いづいて被害は広まる。イサギならば、その危険性はわかるだろう?」
うちの大農園の重要性は獣王国で起きた飢饉を救ったことで証明されている。つまり、プルメニア村を抑えることで、帝国は一国を賄うほどの生産拠点を手に入れたことになる。
最前線に食料拠点が築き上げられる。それがどれだけの悲劇を生み出すことになるのか。
ライオネルに指摘されて、俺は自分の作り上げた大農園がどれだけ重要なのか再認識させられた思いだった。ただの田舎の農村を切り取られることとはワケが違う。
第一王女であるレギナを派遣する意味は十分にあると判断されたようだ。
「あたしの覚悟はラオス砂漠の案内役を買って出た時に聞いたわよね? あたしにも王女としての誇りがあるの」
ラオス砂漠で行動を共にしてレギナのことはわかっている。
これ以上の声は覚悟を示した彼女を侮辱することになるだろう。
「……わかった。なら付いてきて力を貸してくれ」
「レギナ様が付いてきてくださるならとても心強いです」
「ええ、任せて!」
俺たちが頷くと、レギナは俺たちと同じようにゴーレム馬に跨った。
「俺も国軍を編成次第、すぐにプルメニア村へと向かうが、帝国の侵攻の方が早い可能性が高い」
戦の準備を整えるには膨大な時間がかかる。
既に帝国は侵略の準備を完了させつつあるので、ライオネルが率いる国軍が到着するよりも早くにプルメニア村へとやってくる可能性の方が高い。
つまり、プルメニア村とその周囲の集落の戦力だけで、帝国とぶつかる可能性があるというわけだ。
「すまないな。俺が国王でなければ、俺も今すぐに一緒に向かうことができるのだが……」
どう返事しようかと迷っていると、ライオネルが悔しそうに言った。
「ライオネル様は国王なのですから仕方がないですよ」
俺からすれば、王が率先して前線に出てこようとするのが驚きだ。
「国軍が到着するまでに何とか持ちこたえてみせるわ」
「俺もできる限りのことをします」
「ああ、任せたぞ」
どれだけのことができるかはわからないが、メルシアの大事な故郷を――今となっては俺の大事な居場所を失くしたくはないからね。
「イサギさん、少しいいですか?」
「なんです? コニアさん?」
「ダリオさんとシーレさんについてです」
「ああ、そうでした! お二人については獣王都に戻るように促しますね!」
二人はワンダーレストラン所属の料理人で、コニアさんに紹介してもらった。
仕事としてプルメニア村に来てもらっている二人を危険な目に遭わせられない。
「二人についてですが、それぞれの意見を尊重しますとだけお伝えしてくださいなのです」
「ええっ? 戻らせなくていいんですか?」
「あくまで私は商人ですし、二人に命令できる立場じゃないのです」
「わ、わかりました」
それって丸投げなんじゃないかと思ったが、その時の判断は現場の者じゃないとしにくい時もある。コニアの言う通り、二人の意見を尊重することにしよう。
「じゃあ、行きましょう!」
「あ、その前にレギナのゴーレム馬のリミッターも外しておくね」
「リミッター?」
レギナが小首を傾げる中、俺は彼女のゴーレム馬に触れて錬金術を発動した。
「安全性を高めるために速度制限をかけていたんだけど、それを今外したんだ」
「よりスピードが出るのは嬉しいけど、ゴーレムは大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないよ。でも、今は少しでも時間が惜しいから」
魔石は使い捨てになるだろうし、高い負荷がかかることによってゴーレム馬に内蔵している魔力回路が焼き切れたり、機体に大きな歪みができたりなどの異常が起こるだろう。
だけど、今はそんなことは気にしていられない。ゴーレム馬の予備はマジックバッグにあるし、作り直すための素材は十分にある。
より早くプルメニア村に到着することが最優先だ。
「わかった!」
レギナがスロットルを回し、ゴーレム馬が走り出す。
俺とメルシアもすぐにスロットルを回してゴーレム馬を走らせた。
大通りを真っすぐに進んでいき、レギナの第一王女としての権力によって顔パス状態で獣王都の外に出る。
「それじゃあ、飛ばすわよ!」
周囲に誰もいなくなったタイミングでレギナがスロットルを回し、急加速した。
リミッターが解除されたゴーレム馬はドンドンと加速していき、あっという間に距離を離される。
俺とメルシアも置いていかれないようにフルスロットル。
魔力回路が唸りを上げて、ゴーレム馬がグングンと加速していく。
「あはは、すごい! これならプルメニア村まで一瞬よ!」
「かなりのスピードが出て気持ちがいいですね」
並走しているレギナが楽しげな声を上げ、メルシアが涼しげに感想を呟いた。
俺も何か言葉を返したい気持ちはあるが、地面からの衝撃と風圧でそれどころではない。
スピードは一級品だけど、普通の人間族が乗りこなすには難しいかもしれない。
……ゴーレム馬よりも俺の身体が持つかが心配になってきた。
それでも今の俺たちには時間が惜しい。
一分でも一秒でも早く、プルメニアの皆に情報を伝えなければ。
そんな一心で俺はゴーレム馬を爆速で走らせ続けた。
「あれがイサギとメルシアの住んでいる村?」
「はい。プルメニア村になります」
俺たちの目の前にはプルメニア村の風景が広がっていた。
少し前まで建物が連なり、多くの人で賑わう獣王都にいたので、だだっ広い平原や延々と続いていく畑を見ると懐かしく思えた。
「まさか、たった二日で獣王国の端にくることができるなんてね」
ゴーレム馬の魔石や魔力回路を交換したり、本体がダメになってしまえば予備のゴーレム馬を引っ張り出すという無茶な進み方だった。
その甲斐はあって爆速で進み続けることができ、俺たちは獣王都からプルメニア村まで僅か二日という驚異的な時間で戻ってくることができた。
「……でも、途中で死ぬかと思ったよ」
「急にゴーレム馬が爆発したもんね」
道中、爆速でゴーレム馬を走らせていると、急に魔力回路から異音が響き出した。
原因は魔石から過剰に供給された魔力によって、回路が熱暴走によるものだと思う。
メルシアが咄嗟に俺を持ち上げて、レギナが本体を蹴り飛ばしてくれたから俺は無事だったものの、二人がいなければ大怪我、あるいは命を落とすようなことになっていただろう。
やっぱり、よほどのことがないとリミッターは外すべきじゃないや。
「あそこがイサギの作った大農園?」
「そうだよ」
しみじみと思っていると、レギナが指差しながら尋ねてくる。
村の中心部から少し離れたところには俺の家、工房、販売所などが建っており、その傍には巨大な農園が広がっている。
こうして小高い丘から見下ろすと、あそこが俺の作った大農園であるのはひと目でわかるものだ。
「平時ならこのまま見学といきたいけど、今はそれどころじゃないわね」
帝国に不穏な動きなどなく、レギナが遊びにきてくれたのであれば、ゆったりと農園を案内し、オススメの野菜や果物を観察。その後に農園カフェでゆっくりと農園の食材を使った料理を堪能といったおもてなしをしたかったのだが残念ながらそんなことをしている暇はない。
「そうだね。まずは村長であるケルシーさんのところに行こうか」
今はなによりもケルシーさんに帝国の情報を伝え、村全体でどうするのかの意思決定をしないと。
俺たちはゴーレム馬を動かして丘を駆け下り、ケルシーさんの家があるプルメニア村の中心部へと向かった。
「にゃー! イサギにメルシアちゃん! 獣王都から帰ってきたんだ!」
村の中に入ると、俺たちの進行方向にネーアがいた。
「急いでいるから後で!」
「ごめんね」
「えー!? 二人とも冷たい!」
減速することなくネーアの横をゴーレム馬で突っ切ると、ネーアの悲しそうな声が響いていた。
ごめんね。獣王都のことラオス砂漠のこと、色々と話したり聞いたりしてみたいことはあるけど今は優先することがあるんだ。
村の中を走っているとネーアだけでなく、プルメニアの住民たちが声をかけてくれるが、対応は基本的にネーアと同じように謝っておく。
申し訳なく思いながら突き進んでいると、俺たちはケルシーの家の前に到着した。
「こちらです。すぐにご案内しま――」
「メルシアああああああああぁぁぁぁーッ!」
ゴーレム馬から降りてメルシアが案内しようとしたところで唸るような声と足音が響いた。
多分、ケルシーだ。
玄関の扉が勢いよく開くと、ケルシーがメルシアの元へと勢いよく近づいてくる。
メルシアは一瞬避けるか迷ったものの、俺とレギナが真後ろにいることから回避することを諦めた。
「メルシア! よくぞ帰ってきた! どこも怪我はないか!? 獣王都で変な男に言い寄られなかっただろうな!?」
「ちょっ、お父さん! 落ち着いてください! 今はそれよりも大事な用がありますし、お客人もいますから!」
「二か月もの間メルシアがいなくて父さんは寂しかったぞ! 獣王様も酷なことをされるものだ。こんなにも可愛らしいうちのメルシアをラオス砂漠になど派遣するなんて。メルシアの綺麗な肌が焼けたり、シミでもできちゃったらどうするつもりなんだ」
メルシアが諫めの言葉をかけるが、娘の帰還を喜ぶ父親の耳にはまったく入っていないようだ。抱きしめたり、すりすりと頭や耳を撫でたりと好き放題の上、離れ離れになってしまった原因に対する愚痴や心配の言葉を呟いている。
その獣王の娘が目の前にいるんだけど、まったく気付いていないようだ。
しばらくはされるがままにされていたメルシアだが、ついに我慢できなくなったらしい。
「もう! お父さん、いい加減にして!」
わなわなと身体を震わせたメルシアがケルシーの頭を叩いた。
「い、痛い! 酷いじゃないか、メルシア! 久しぶりに再会した父さんを叩くなんて!」
「王女様の御前です!」
「はい?」
尻もちを突いて目を白黒させているケルシーの前に苦笑していたレギナがやってくる。
この上ないほどの獅子の特徴を目にし、ケルシーも目の前にいる人物がどういった人か理解したのだろう。すぐに片膝を地面につけて頭を下げた。
「大変お見苦しいところをお見せいたしました。遅れながらご挨拶させていただきます。メルシアの父であり、プルメニア村の村長を務めておりますケルシーと申します」
「メルシアとの感動の再会を邪魔してごめんなさいね。獣王ライオネルが長女、第一王女のレギナよ」
「あ、あの、このような辺境の村にどうしてレギナ様のような御方が? 大農園の視察ですか?」
「いいえ、違うわ」
前回、ライオネルが農園の視察にやってきたが、今回はそれとはまったく事情が異なる。
「父さん、急いで伝えたいことがあるので中に入れてもらえますか?」
「……わかった。入ってくれ」
メルシアの真剣な表情から重要な話があると理解したのだろう。
ケルシーは取り乱すことなく、俺たちを離れにある集会所へと案内してくれた。
「それで話というのは?」
それぞれが腰を下ろすとケルシーが尋ねてくる。
誰が口火を切るか迷うようにレギナとメルシアが視線を動かしたが、故郷ということもあり俺が言うことにした。
「帝国が獣王国へ侵略の準備をしています」
「……それは本当なのか、イサギ君?」
「ワンダフル商会が掴んだ確かな情報です。帝国では兵力が動員され、物資の買い上げが始まっています。これは過去の情報であり、今となっては軍の編成を終え、こちらに向けて侵攻しているかもしれません」
「なるほど……」
俺の説明を聞いて、ケルシーが腕を組みながら頷いた。
突然の話だ。信じることができていないのかもしれない。
「お願いします、お父さん! 信じてください! でないと村が大変なことになってしまいます!」
「――信じるさ。愛する娘が言っている言葉だ。これを信じないでどうする」
「……父さん」
「なんて親バカな部分だけでなく、わざわざレギナ様がいらっしゃったことから、その話が真実であると判断した次第です」
少し気恥ずかしそうにしながらもケルシーはレギナの方にも視線をやる。
「話が早くてとても助かるわ」
なるほど。ライオネルがわざわざレギナを派遣してくれたのは、情報に真実味を持たせる意味でもあったのか。
ここでもたついてしまうと、取り返しのつかないことになるので非常に助かる。
「帝国の狙いは恐らく大農園です」
「大農園? つまり、うちの村が標的なのか!?」
「はい。帝国は元々食料生産に難を抱えており、春先の飢饉で大きな打撃を受けました。俺とメルシアの読みが正しければ、ここの大農園を奪うことで問題を解決しようとしているはずです」
「イサギ君の作った大農園はプルメニア村を豊かにしただけでなく、獣王国全体の飢饉をも退けた。帝国が手に入れようとするのも無理はないか」
実際に村が豊かになっていく様を目にしたからか、ケルシーはそれを大袈裟だと切り捨てることなく真摯に受け止めてくれた。
「俺たちはこの情報を急いで伝えるべく戻ってきました」
「わかった。急いで村人を招集して状況を伝えるとしよう」
ケルシーはこくりと頷くと、村人たちを集めるべく集会所の外へ出ることに。
「手分けして声をかけよう。ゴーレム馬を使えば、村の端にいる人も速やかに集めることができるはずだ」
「大丈夫です、イサギ様。この村にはこういった非常事の決め事がありますから」
「決め事?」
招集を手伝おうとするが、メルシアに静止される。
「イサギ君、両手で耳を押さえていなさい」
「あ、はい」
よくわからないがケルシーに言われた通りに両手で耳を押さえておく。
メルシアとレギナも耳をペタリと閉じて、大きな音に備えるかのようだった。
ケルシーは俺たちから少し離れると、スーッと大きく息を吸い込んだ。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
ビリビリと大気を震わせる遠吠えがケルシーから放たれる。
その声には魔力が乗っており、ただでさえ大きい遠吠えを倍増させていた。
そんなケルシーの遠吠えが響いたかと思うと、村の各地で同じように遠吠えの声が聞こえてくる。老若男女問わず、ケルシーに負けない遠吠えが色々な方角から響いてくる。
「こ、これは?」
「非常時の招集を知らせる合図の声です。非常時であることを告げる遠吠えを上げれば、それを耳にした者は同じく遠吠えを上げ、離れた者に伝えていきます」
「なるほど、獣人ならではの合図だね!」
声量があり、聴覚の鋭い獣人族だからこそできる招集方法だろう。人間じゃとても真似できないな。
「こんな風に思いっきり遠吠えをするなど子供の頃以来だ。大人になっても最高に気持ちがいいな!」
感心していると、ケルシーが生き生きとした表情で戻ってきた。
「皆、面白がってあちこちで遠吠えをしていますね」
メルシアの言う通り、村の至るところで遠吠えが上がっている。
あちらの畑で作業をしている家族なんて一人が遠吠えすれば十分に聞こえるはずなのに全員がやっていた。
全力で遠吠えするなんてことはないから、皆ここぞとばかりにやっているのだろうな。
「あはは、イサギたちの住んでいる村って面白いわね」
そんな光景を見て、レギナはクスクスと笑っていた。
「よし、これで村人たちは中央広場に集まってくるはずだ。俺たちも向かうぞ」
「はい!」
俺たちの目の前にはプルメニア村に住んでいる獣人たちが集結していた。
獣人たちによる遠吠えのバトンはきっちりと村の端まで届いていたようだ。
俺の農園で作業してくれているネーア、ラグムントをはじめとする従業員や、農園カフェで働いてくれているダリオとシーレも来てくれている。
他にも農作業をしていた獣人族の家族、夜行性なのか眠気眼をこすって寝間着姿で来ている村人もいた。
こんなにも村人が集まるなんて宴の時以来だ。
「俺、非常時の遠吠えをしたの初めてだ!」
「俺もだ! 最高に気持ちよかったよな!」
「魔力を込めて思いっきり吠えてやったわよ!」
非常時の招集にもかかわらず、村人たちは賑やかだった。
ケルシーが言っていたように思いっきり遠吠えができたことにより高揚しているらしい。
「……皆、すごくソワソワしてるね」
「思いっきり叫びたいと思うのは獣人族ならば、誰もが持つ欲望ですから」
「そうなんだ」
じゃあ、メルシアも思いっきり遠吠えしてみたいとか思うんだろうか?
クールなメルシアにそんな欲望があると思えないけどなぁ。
「にしても、このままじゃケルシーさんの話ができないね」
まだ遠吠えの興奮が残っているのか、村人たちはあちこちで好きに会話をしている。
中には静かにするように声を上げている者もいるが、焼け石に水だ。
ざわざわとした声があちこちで響いており、壇上にケルシーが上がっているのに話をするどころじゃない。
「……イサギ様、音玉を放り投げてくださいますか?」
「あ、うん。わかったよ」
音玉というのは俺が錬金術で作った、音を拡散させるアイテムだ。
聴覚の鋭い獣人が炸裂音を耳にすれば、結構な衝撃になると思うのだが、メルシアの有無を言わせない迫力に俺は素直に頷いた。
マジックバッグから音玉を取り出すと、俺はそれを宙へと放り投げる。
本来は聴覚の鋭い魔物などを怯ませるためのアイテムだが、直接投げつけると音で失神してしまう可能性があるためにできるだけ宙高くへと放り投げ、錬金術で起動させた。
音玉は宙で炸裂し、周囲に大きな音を撒き散らす。
強烈な甲高い音を耳にし、獣人たちの多くが身体を震わせて反射的にこちらを向いた。
「皆さん、話を聞く準備はできましたか?」
シーンッと静かになる中、メルシアの冷ややかな声が響き渡る。
メルシアから静かな怒りを感じたのだろう。集結した村人たちは首が千切れるんじゃないかと心配するほどの勢いで縦に振った。
「どうぞ」
「あ、ああ」
娘の迫力に驚きつつも壇上に上がっていたケルシーは咳払いし、非常招集をかけた経緯を話した。
帝国が獣王国へ侵略しようとしていること。その狙いが大農園である可能性が高く、プルメニア村へやってくるかもしれないことを。
突然の情報に村人たちは困惑を露わにする。
プルメニア村は戦争といったものとは無縁だったとメルシアから聞いた。
こんな事態に直面するのは誰もが初めてだろう。
「この情報は獣王ライオネルも認めており、第一王女であるあたしがここに派遣された。これで嘘や冗談じゃないってわかるわよね?」
壇上に王族であるレギナが上がりながら言うことにより、村人たちにも実感が得られたようだ。
「私は戦うぞ」
ざわめきが広がる中、ケルシーの声がハッキリと響いた。
「ここは私たちの生まれ育った村であり故郷だ! イサギ君やメルシアの活躍で大農園が出来上がり、皆で協力してようやく豊かになったんだ! 帝国などに奪われて堪るものか!」
「そうだ! オレも戦うぞ!」
「帝国が攻めてくるからといって尻尾巻いて逃げられるかっての」
「ここは私たちの村だもの! 戦うわ!」
ケルシーの覚悟を聞いて、村人たちが勇ましく声を上げた。
血の気の多い男性はともかく、老人、女性、子供までも呼応しているのはどういうことか。
「待ってください。俺たちには戦うだけじゃなく逃げるという道もあります! 皆さんの命は一つなんです。建物や大農園と違って作り直すことはできません。一旦退避して、もっと大きな街で立て直すという手もあります!」
俺たちの本来の役目はプルメニア村に帝国を寄せ付けないように防衛線を築くこと。
この発言は俺たちの目的やライオネルの命に背くことになるが、一つの盲目的な意見だけで行動を決定してほしくはないと思った。
「でも、大農園を奪われれば、帝国は益々勢いづくことになり侵略は獣王国全土に広がることになるわ」
「大農園は俺の錬金術で潰すこともできます」
大農園は俺が作物に改良を加えたものだ。どこに手を加えれば、壊れるかも熟知しているので潰すのにそう時間はかからないだろう。
大農園が無くなれば敵の手に渡ることはないし、目的を見失った帝国が撤退する可能性もある。
「イサギ君、俺たちのことを案じてくれるのは嬉しいが、それはできない話だ」
「どうしてです?」
「矜持の問題だ。生まれ育った故郷を捨てて逃げるなんてことはできない。作り直せるとかそういう問題じゃないんだ」
他の獣人たちも気持ちは同じなのか反対意見が上がることはなかった。
「私もイサギ様と同じ案を考えましたが無理だと思いました。それが獣人という種族なのです」
「そ、そうなんだ」
「それに別の街に退避しても、帝国がさらに侵略してこない保証はありません。いえ、むしろ成果を求めてより深く侵略を仕掛けるでしょう。だとしたらなおさら弱みを見せることはできないと思いました」
確かにメルシアの言う通りだ。長年、帝国にいたからこそしっくりくる。
大農園が無くても獣王国には豊富な自然と広大な土地がある。
侵略によって繁栄してきた帝国がそれを狙わずに撤退するなど、俺たちの都合の良い希望でしかなかった。
「すみません。皆さんの矜持を侮辱するようなことを言ってしまって」
「いや、イサギ君が私たちのことを想って言ってくれているのはわかっているからな。それを怒るようなことはしないさ」
「ありがとうございます」
「それよりも私はイサギ君が心配だ」
「俺ですか?」
「帝国はイサギ君の故郷だ。同郷の者と矛を交える覚悟はあるのかね?」
これから戦争になるかもしれないということは、帝国にいた顔見知りや同じ人間族と命を奪い合うことになるということだ。
今までのように魔物を退治するのとはワケが違う。
獣王都から情報を持ち帰るのに精いっぱいで肝心の覚悟が抜けていた。
俺に人の命を奪い、奪われるかもしれない覚悟が備わっているのか。
「俺は戦争に参加したことがないので覚悟があるのかと言われるとわかりません」
俺は宮廷で軍用魔道具の作成などに従事していたが、実際に戦争に参加したことがあるわけでもない。
実際に命のやり取りが発生したら怯えるかもしれない、逃げ出したくなるかもしれない、混乱するかもしれない、動けなくなるかもしれない。
「だけど、一つだけ心で決まっていることがあります。それは大好きなプルメニア村を守りたいって気持ちです」
帝国に見捨てられて行く当てのなかった俺をメルシアはプルメニア村に誘ってくれた。
村長であるケルシー、シエナをはじめとする多くの村人たちが俺を受け入れてくれた。
メルシアが支えてくれたお陰で長年の夢だった錬金術による農業が完成し、大農園を作り上げることができた。ネーア、ラグムントといった従業員や多くの村人が協力してくれたお陰で大農園は経営ができ、販売所、農園カフェといった施設まで作ることができた。
こんなにも充実し、幸せな生活を送れたのは生まれてから初めてだ。
「もはや、俺にとってプルメニア村は帝国以上に大切な場所であり、故郷です。皆と気持ちは同じで村を失いたくありません。それにここはメルシアの故郷です。大切な彼女の悲しむ顔は見たくないですから」
そんな素直な気持ちを伝えると、村人たちから大きなざわめきが起こった。
ただ単に一人の男が戦う覚悟を決めた言葉にしては、妙に雰囲気が明るいというか浮ついた感じだ。
「え? なんか異様に盛り上がっている? なんで?」
「…………」
メルシアに尋ねてみるが、彼女は顔を真っ赤にして俯いてしまっている。
耳や尻尾もへにゃりとしており、明らかに正常な様子とは思えない。
一体、どうしたというんだろう?
レギナに視線をやると、彼女は呆れた様子で肩をすくめていた。
周囲の村人やメルシアの反応に理解ができずいると、荒々しい動作でケルシーが歩み寄ってきた。
「……イサギ君、うちの村のために戦う覚悟を決めてくれたのは大変嬉しいが、どさくさに紛れて愛する娘を口説くとはどういう了見かね?」
「えっ? メルシアを口説く? 別に俺はそんなつもりで言ったわけじゃッ!」
「どうやら帝国と戦争をする前に、イサギ君と戦う必要がありそうだな!」
「はいはい、その戦争はまた今度にしてくださいね」
ケルシーが暴れ出しそうになったが、妻であるシエナさんが後ろから羽交い絞めにして退場させる。
「離せ、シエナ! 敵が! 倒すべき敵が目の前にいるんだ!」
「落ち着いてください。その敵はいずれ身内になりますから」
ケルシーを宥めるためのシエナの言葉がちょっとおかしい。
「あ、あの、メルシア」
「だ、大丈夫です。イサギ様が天然だということはよくわかっていますから」
おずおずと声をかけると、メルシアが慌てたように顔を背ける。
なにが天然なのか意味がわからないが、顔を背けられるとショックだ。
「少しだけ時間をください。それで落ち着きますから」
「う、うん。わ、わかったよ」
俺はメルシアが落ち着くまで話しかけるのをやめておくことにした。
村人が一丸となって戦うことになった。
とはいえ、全員が戦いに対しての適性があるわけではない。
種族的に性格的に戦うことに向いていない少数の人や、女性、子供たちなんかは近くにある街に避難することになった。
必要最低限の物資を馬車に積み込んでいると、避難組に老人があまりいないことに気付いた。彼らはなぜか自らの荷造りはすることはなく、避難組の荷造りを率先して手伝っている。
「あのお爺さんたちは避難しないの?」
「獣人族は人間族と違って、肉体の老いが遅いですから思っている以上に彼らは動けますよ」
尋ねてみると、メルシアはもう落ち着いたのかいつもと変わらない様子で答えてくれた。
ええ? とはいっても背中とか結構曲がってるけど?
あんなので積み荷を持ち上げられるのだろうか?
なんて思っていると、老人の筋肉が急激に膨れ上がり軽々と積み荷を持ち上げた。
背筋もピンと伸びており、荷物を運ぶ動きに頼りなさは欠片もない。
発達した筋肉を見ると、明らかに俺よりも力がある。
……なんか色々とすごい。
俺の心のページにまたしても獣人のすごさが更新された。
「……確かにあれなら避難を促す必要はないね」
「はい」
むしろ、彼らからすれば、ひ弱な俺の方が心配だろうな。
「イサギさん、少しいい?」
荷物を軽々と運ぶ老人を見つめていると、シーレが声をかけてきた。隣にはダリオもいる。
「どうしました?」
「あ、あの、僕たちに関することでコニアさんは何か伝言とかありませんか?」
ダリオが不安そうな表情を浮かべながら尋ねてくる。
どうしよう。何も聞いてないなんて言いづらい。
メルシアに視線をやると、彼女も気まずそうな顔をしている。
「何も聞いてないです」
「なにも!? 戻ってこいとか、村人たちと協力しろとか何もないの!?」
きっぱりと告げると、シーレが慌てた様子で問い詰めてくる。
いつも冷静な彼女にしては珍しいが、戦が迫っているかもしれないので仕方がない。
「すみません。俺もそこまで気が回っていませんでした」
急いで村に情報を持ち帰り、備えようという気持ちで精一杯で気付かなかった。
二人のことを考えて、俺からコニアに聞いておくべきだった。
「シーレさん、イサギさんは悪くないですよ」
「……そうね。ごめんなさい。冷静さを欠いたわ」
ダリオがたしなめると、シーレが深呼吸をして感情を落ち着かせたようだ。
「二人は農園カフェの経営のために派遣された料理人ですし、避難をするべきだと思います」
ダリオとシーレはコニアが紹介してくれた大事な料理人だ。
あくまでこちらに仕事をしにきてくれているだけであり、村のために命を懸けて協力してくれなんてことは言えるものではない。
「そうなのよね。私も大した腕前じゃないし、ダリオは運動神経がない上に性格的にも戦いなんてできっこないからてんで役に立たないわね」
「シーレさん、事実とはいえ傷付くんですが……」
シーレの容赦のない言葉にダリオが肩を落とし、尻尾をしょんぼりとさせる。
「でも、帝国が攻めてくるかもしれないからって尻尾を巻いて逃げていたらワンダーレストランの料理人の名折れだわ。たとえ、戦いでは役に立てなくても料理を作ることで力になることはできる」
「そ、そうですね。僕たちのお料理で皆さんの役に立てるのなら力になりましょう!」
シーレの力強い言葉に感化されたのか、ダリオも表情を明るくして握りこぶしを作る。
「後方にいたとしても危険があるかもしれないですがいいんですか?」
「覚悟の上です!」
「私は本当に危なくなった時は逃げる」
「ええ! シーレさん!?」
「私たちはあくまで料理人よ。戦うことなんてできないから」
シーレのあっけからんとした物言いに思わずクスリと笑ってしまう。
命がかかっているのだ。盲目的な言葉よりも、それくらい割り切ってくれた方がこちらも助かる。
「そうですね。もしも、そのような状況になった場合は逃げてくださって構いません。お二人のような料理人が後方で支えてくれるだけでも心強いですから」
「そうと決まったらいつも通り料理を作るだけね」
「ですね! 美味しい保存食を作っておきましょう!」
行動方針が決まったのか、二人は農園カフェへと戻っていく。
その後ろ姿は最初に見た時よりも何倍も大きく見えた。
「イサギさん、あたしたちも戦うからね!」
振り返ると、ネーアをはじめとする農園の従業員たちがいた。
「戦うのはあんまり得意じゃないけど力仕事には自信があるんだな」
「オレとラグムントは勿論、前で戦うけどな」
「……ああ、こういう時のために鍛えてあるからな」
「私は戦うのも力仕事も得意じゃないですけど、細かい作業や調整をするのは得意なので」
ネーアだけでなく、ロドス、リカルド、ラグムント、ノーラまでもがそんな覚悟を示す。
ノーラは元々体力も少なく、明らかにこういった荒事には向いていないようだが、彼女なりに村の力になりたいようだ。
その気持ちは痛いほどにわかるので、俺が覚悟を決めている彼女を静止するようなことはしない。
「ありがとう。皆でプルメニア村を、俺たちの農園を守ろう」
「「おお!」」
皆で拳を突き上げて声を上げると、不思議と勇気が湧いてくるようだった。
「とりあえず、あたしたちが今できることってなんだろ?」
「避難する方の荷造りの手伝いは、もう人手が足りている様子ですね」
「戦う準備でもすりゃいいのか!?」
「でも、これから何もするかも決まっていないんだなぁ」
「具体的に何をするかはレギナ様や村長が話し合って決めるだろう。それまでの間に俺たちにできることは……いつも通りに農園の仕事をするだけだな」
ラグムントの溜めに溜めた台詞にずっこけそうになる。
「確かに! 戦になってもお腹は空くし、農園の新鮮な作物が食べられないのは困るもんね」
戦をしている最中でも農園からの作物の供給は必要となるので、ゴーレムがいるとはいえある程度の作業員は必要だ。そういった意味でも従業員たちが全員残ってくれるのは非常に助かる思いだ。
「なんだよ。こんな時でもやることはいつもと一緒かよ」
「みたいだね。さあ、いつも通りに仕事しよう!」
「やることが決まって、人手が欲しい時は声をかけてほしい」
「わかった。その時は遠慮なく声をかけさせてもらうよ」
リカルドたちが苦笑しながら農園へと歩いていく。
いつも通り出勤していく彼らの姿を見ると、なんとなくいつもと同じ毎日がくるんじゃないかと錯覚しそうになるな。
でも、この一瞬のうちにも帝国はこちらに迫っているんだ。のんびりとはしていられないな。
「イサギ様、農園といえばコクロウさんたちにも話をしておいた方がいいかと」
「そうだったね」
彼らは魔物であり、そもそも人間たちのいざこざに巻き込まれるいわれもない。
早めに教えて山に避難してもらうように言っておかないと。
そんなわけで、俺とメルシアもコクロウたちのいる農園へ向かうことにした。
農園にあるスイカ畑にやってくると、作業用ゴーレムがスイカの収穫をしているだけでコクロウをはじめとするブラックウルフの姿は一匹も見えなかった。
しかし、これは誰もいないわけではなく、皆暑いので影に沈んだりしているだけだ。
「コクロウ! ちょっと話せるかい? 大事な話があるんだ!」
声を張り上げると、すぐ傍にあるスイカの影から漆黒の体毛をした狼がぬるりと出現した。
「貴様か……長らくここを離れていたようだが帰ってきたのか」
「うん。ライオネル様の仕事がようやく終わってね」
「それで大事な話というのは、村人共とやかましく話していた帝国がここに攻めてくるという話だな?」
コクロウの話の早さの俺は驚く。
「聴いていたんだ」
「影がある限り、音を拾うくらいは造作もない」
シャドーウルフであるコクロウは聴覚が鋭いだけでなく、影を介して移動することができる。その能力を使って、村での話を聴いていたようだ。
「へー、それでも前よりも影で影響を及ぼせる範囲が広くなってない?」
少し前までコクロウが自在に移動できるのは、農園内だけだったと記憶している。
農園といっても、その敷地の広さは膨大なのでその範囲を移動できるだけでもすごいのだが、村の中心部にまで移動できるようになっているとは知らなかった。
「……影が馴染めば移動もしやすくなる。それにこれだけ潤沢な食材を毎日口にすることができているのだ。否が応でも魔物としての力は増す」
「私たちの作った食材が魔物であるコクロウさんたちに、そのような影響があるとは思いませんでした」
「うん、興味深いね。ゆっくりと時間があれば、じっくりとデータを取ってみたいところさ」
しかし、残念ながら帝国が迫っている今にそんな悠長なことをしている暇はない。
「本題に戻るけど、帝国がこの農園を狙って攻めてくる可能性が高いんだ」
「ほお、それで?」
「コクロウたちには危険の低い森に戻ってもらおうと思ってね」
「……我らに泣きつき、力を貸せとは言わぬのだな?」
どうやらコクロウは俺が助力を請うと思っていたらしい。
「コクロウたちがいてくれれば心強いけど交わした契約は、あくまで農園の警備だからね。俺たちの問題である戦争に巻き込むつもりはないよ」
気さくに接しているので忘れそうになるが、コクロウたちは魔物だ。
人間と獣人に争いに肩入れする理由も義理もないからね。
「だから、状況が落ち着くまでは森に避難するか、どこか遠いところで過ごしてもらって――」
「この農園を狙っているのであれば、帝国の人間は我たちにとっても敵ということになるな」
「ええ? それはそうだけど……」
「言ったであろう。ここは既に我の縄張りだと。それを侵そうとする人間がいるのであれば、蹴散らすまでだ」
「それは協力してくれるって認識でいいのかい?」
「そうだ。ただし、魔物だからといって都合よく扱おうとすれば、我らも容赦はしない」
コクロウが瞳を細めて威圧をしてくるが、そのような心配をする必要はない。
「わかってる。コクロウたちが魔物だからといって、その命を無駄にさせることはしないと誓うよ」
「私たちにとってコクロウさんたちもプルメニア村の立派な住民ですから」
「……フン、わかっているのであればそれでいい」
俺だけでなくメルシアもそう言うと、コクロウは表情を穏やかなものにして威圧を引っ込めた。
視線を逸らしているコクロウであるが、尻尾を左右に軽快に揺れている。
俺たちの言葉が照れくさかったのかもしれない。
指摘すればへそを曲げそうなので黙っておいた。
「あっ! いたいた! イサギ、メルシア、村の方針について会議をするからきてくれない?」
コクロウとの話を終えると、レギナがこちらに駆け寄って声をかけてくる。
「メルシアはともかく、俺もいいんですか?」
村長の娘であるメルシアはともかく、ただの住民でしかない俺が村の会議に参加してもよいのだろうか?
「当然じゃない。イサギは帝国の内情についても詳しいでしょうし、やり方次第では錬金術を頼りにすることもある。むしろ、いてくれないと困るわ」
「わかった。そう言ってくれるなら参加させてもらうよ」
「決まりね。急いで集会所に集かいましょう!」
レギナの後ろを追いかける形で俺とメルシアは集会所へ向かうことにした。
集会所にやってくると、ケルシー、シエナをはじめとする村長夫妻や、村の顔役と呼ばれる男性や女性が数人ほど並んで座っていた。
入り口に近い場所にある座布団が空いていたので俺とメルシアは腰を下ろし、最後に上座にレギナが腰を下ろした。
「面子も揃ったことだし対策会議を始めることにするわ」
レギナが厳かな口調で切り出すと、ケルシーが深く頭を下げて、それに倣う形で顔役たちも深々と頭を下げる。
「あたしは第一王女ではあるけど、今は非常事態。礼節を重んじるよりも忌憚ない意見を聞かせてもらいたいから口調については不問とするわ」
「ありがとうございます」
レギナのそんな言葉にケルシーをはじめとする多くの顔役たちがホッとしたように顔になった。
ここは辺境にいる小さな村だ。
貴人と会話も交わすことなどそもそもないので、王族への話し方や態度が身に着いている者がいるはずがない。
俺だって宮廷で働いていたけど、工房にこもって錬金術ばかりをやっていたのでそういった作法については自信がないからね。
レギナのそういった配慮は非常に有り難いものだった。
「さて、初めにレムルス帝国というものが、そもそもどういう国なのか皆に共有しておきたいわね。イサギ、帝国どんな国か教えてくれるかしら?」
俺とメルシアは帝国で働いていたので当然知っているし、レギナは俺たちから話を聞いただけでなく、ライオネルからも言い含められているので概要は知っている。
しかし、ケルシーをはじめとするプルメニア村の人たちは帝国とは親交がないために、どのような国なのか一切わからない状態だ。
何かを決めるにも基礎となる情報は共有できた方がいい。
「わかりました。帝国で生まれ育ち、宮廷で働いていた過去のある俺が帝国とはどのような国なのかを大まかに説明いたしましょう」
レギナに名指しをされた俺は立ち上がって、帝国がどのような国なのかを語ることにした。
レギナは口調についてはいつも通りと構わないと言ってくれたが、顔役の全員と親しいわけでもないし、公的な場ではあるので一応は丁寧めな口調を心掛ける。
「レムルス帝国は数ある人間族の中でもっとも大きな国土を所有している国です。人口についても獣王国と同じ、あるいはそれを上回るほどでしょう」
「……帝国とはそれほどなのか?」
顔役の一人が信じられないとばかりに尋ねてくる。
獣人は人間族よりも繁殖力が強い上に、獣王国は国土もかなり広い。
世界でも人口はトップクラスだと言える。
たった一つの人間の国が、獣人の国と人口で張り合えるのは驚異的だ。
「しかし、実際に人口こそは多いものの実際に動員できる兵力は少ないと思います」
「それはどうしてなの?」
俺の言葉にシエナが不思議そうに小首を傾げる。
それほどの人口があれば、動員できる人数も多いと考えるのが普通だ。
「帝国が侵略を繰り返して領土を拡大し続けている国だからです」
「つまり、奪い取った領地を完全に制御しきれていないってことね?」
「そういうことになります。その上、帝国は特権階級を持つものが腐敗しているためすべての民を養うことができていない状態です。国土こそ広いものの安定しているとは言えません」
俺とレギナの会話を聞いて、シエナをはじめとする顔役たちも帝国の内部状況を少し把握できたようだ。
「だったら我々にも勝機はあるのではないか? 敵は寄せ集めの上に、纏まっているとは言い難いのだろう?」
顔役の一人がそのようなことを述べるが、その考えは非常に甘いと言えるだろう。
「いいえ、満たされていないからこそ、帝国は死に物狂いで領土を奪いにやってくるでしょう。餓死しそうな時に目の前に豊富な食料のある土地があれば、あなたは我慢して野垂れ死にますか?」
「……いや、メルシアの言う通りに死に物狂いで奪いにいくな」
メルシアの説明に質問した者だけでなく、他の者も状況を深く理解してくれたようだ。
「加えて帝国の恐ろしいところは魔法文明が発達しているところです。多くの優秀な魔法使いがいるだけでなく、俺と同じ錬金術師も数多く存在し、兵士たちが高度な魔道具を所持しています」
「つまり、敵にはイサギ君のようなものが何人もいるということかね?」
「はい。そのような認識で――」
「いいえ、イサギ様ほど優れた錬金術師は帝国にもいません」
身を乗り出しながらのケルシーの言葉に答えようとすると、なぜか横からメルシアが口を挟んだ。
「そ、そうか。安心した」
「さすがにイサギみたいな錬金術師が何人もいたら絶望的だものね」
「メルシアちゃんの言葉を聞いて安心したわ」
メルシアの言葉にケルシー、レギナ、シエナといった面々が心底ホッとしたような顔になる。
「いやいや、さすがにそんなことはなくない?」
「私は帝城で使用人として働いていたので、イサギ様よりも多くの宮廷錬金術師を目にする機会がありましたので断言します。宮廷でイサギ様ほどの錬金術師はいないと」
メルシアの過大評価に物申したいところであるが、実際のところ俺はガリウスをはじめとする他の宮廷錬金術師に疎まれていたせいで一緒に仕事をすることもなかったし、他人の作業風景を見る機会も少なかった。
そのことを考えると、俺よりもメルシアの方が判断の方が正しいのかもしれない。
「そ、そうなの?」
「そうなのです」
メルシアが胸を張り、堂々とした仕草で頷いた。
「とはいえ、帝国には錬金術師が多いことは事実なので、軍用魔道具の装備や運用によって一般的な兵士よりも手強いことに変わりはありません」
「訓練されていない兵士であっても、魔道具を振りかざすだけでかなりの戦闘力を発揮できるとは恐ろしいものだな」
人間に比べると、獣人の方が遥かに身体能力が高い。
まともに相対すれば、間違いなく獣人が勝つだろうが、相手はその身体能力の差を埋めるために魔法や魔道具といった様々な工夫をしている。
ケルシーの言う通り、楽観的な戦いではないことを皆に知っておいてほしい。
「イサギの見立てでは、プルメニア村に攻めてくるに当たってどれほどの兵力を集めてくると思う?」
「推測ですが、最低でも二万はあるかと」
俺の言葉に全員が呻き声のようなものを漏らした。
プルメニア村の人口は千人にも満たないくらい。
周辺の集落や街から増援を呼んだとしても二千人に届くことはないだろう。
帝国の比べると、その兵力の差は最低でも十倍となる。あまりにも絶望的な数字だった。
俺は戦争に同行することはなかったが、過去に繰り返し行った侵略ではそのくらいの数の兵士を動員していた。
「……二万ね。さすがに多いわね」
「前回の飢饉が帝国にどれだけの影響があるかは不明ですが、場合によって食料事情の改善のために更なる増員もあり得ます。あくまで最低値だという認識をしてもらった方がよいかと」
「都合のいい解釈はあたしたちの首を絞めることになるものね。貴重な忠告をありがとう」
レギナだけでなく、ケルシーたちの表情も引き締まっている。
きちんと忠告を受け取ってくれてよかった。
「さて、帝国がどんなに強大な国かわかったところで、あたしたちがどう動くかね」
帝国についての概要説明が終わったところでレギナが本題とばかりに口を開く。
「敵は最低でも二万もの兵士がいる。まともにやって勝てるのだろうか?」
「あたしたちがやるべきことは敵軍を抑えること。真正面から打ち勝つ必要はないわ」
不安がる顔役の一人にレギナがきっぱりと告げた。
そして、「もちろん、勝てるに越したことはないけどね」と笑いながら言う。
彼女の気遣いに顔役の一人は少し不安が和らいだのか顔色が少し明るくなる。
「あたしたちが持ちこたえることができれば、獣王ライオネルをはじめとする獣王軍がやってくる」
「おお、獣王様や獣王軍がやってくるのであれば心強い!」
絶望的な状況だったが、しっかりと増援があると聞いて、皆の瞳に希望の光が灯る。
プルメニア村の戦力だけでは、帝国を打ち破ることは難しいが、そこにライオネルをはじめとする獣王軍が加われば、蹴散らすことは可能だと俺も思う。
シャドーウルフであるコクロウを赤子のように流してみせたりと、ライオネルの実力は戦略級だ。
大樹を守っている門番の獣人もかなりの実力者のようだったし、そんな彼らが揃っている兵士が精強じゃないわけがない。
合流すれば、帝国を打ち破れる可能性は十分に高い。
「しかし、大勢の軍を相手に我々だけで抑えきることができるでしょうか?」
問題はそこだ。ライオネルたちが到着するまでに帝国の大軍勢を相手に持ちこたえることができるかどうかだ。
最悪の想定をして獣王軍は間に合わないと想定して動く必要がある。
「真正面から戦うことになったら無理ね。だから、地の利を生かして真正面からぶつからないようにするわ。地図を見てちょうだい」
レギナはきっぱりと告げると、大きな地図を広げた。
そこにはプルメニア村を中心とした地図が書かれており、詳細な地形などが記されている。
「帝国と獣王国の間には大きな山が横たわっている。帝国が山を抜けて、プルメニア村にやってくるには、ここにあるレディア渓谷を通ってくるしかない」
「なるほど。プルメニア村を要塞化するのではなく、このレディア渓谷で防衛拠点を築き、敵を撃退するというわけですな?」
「そういうこと!」
ケルシーが意図を読み取った発言をすると、レギナがそうだとばかりに頷いた。
「一度に何万、何千もの兵士を相手にしてしまえば、瞬く間に飲まれてしまうでしょうが道幅によって相手の人数を制限してしまえば、そのような恐れはありませんね。名案かと思います」
「迂回しようにも周囲は山や森に囲われている。それほどの大人数で迂回することはできないな」
メルシアだけでなく、周辺の地形を理解している顔役たちからも納得の声が上がる。
プルメニア村の周囲は山や森に囲まれているために帝国は、そこを通るしかない。
そのような天然の要塞だったからこそ、今まで帝国は獣王国に進軍することはなかったのだろう。
「でも、問題は防衛拠点を作るような時間があるかということだ」
「ああ、とてもではないが時間が足りない」
「それについては問題ないわよね? イサギ」
顔役たちが不安の声を上げる中、レギナが期待のこもった眼差しを向けてくる。
「はい。拠点については俺の錬金術ですぐに作り上げてみせます!」
「すぐとはどのくらいでできるんだ?」
「大まかなところだけでいいのであれば、半日程度でできます」
帝国に備えるために完全な状態となると時間はかかるが、使い物になる程度の土台であれば半日もあれば作り上げることができる。
「半日で!? そんなことが可能なのか?」
「イサギ様なら余裕です」
「なにせ自分の家や工房だって間に作っちゃえるものね」
「販売所だってイサギ君が一人であっという間に建てていたからな」
顔役の人たちは驚いているが、メルシア、シエナ、ケルシーといった俺が錬金術で建物を作っているところを間近で見ているので信頼がとても厚かった。
まあ、建てるところを見ていないと不安に思うのは仕方がない。
「だとしたら、早めに動いた方がよさそうですね」
防衛拠点を作るとなれば、時間は少しでも多い方がいい。刻々と帝国が迫っているのであれば、尚更だ。
「ええ、イサギには一刻も早く防衛拠点の作成に取り掛かってもらいたいわ」
「防衛拠点だけど、その辺りに作ればいいでしょう?」
建てたはいいが、実際には違う場所の方が良かったなどとなったら目も当てられないからね。俺とメルシアがプルメニア村にやってきた時は、地元の獣人だけが知っている狭いルートを通ってきたので、渓谷がどのような地形をしているかまるでわからない。
「村長」
レギナは地図で全体を把握しているものの、実際に地形を目にしているわけではない。
周辺の地形に詳しいであろうケルシーに尋ねた。
「……ここがオススメだ。渓谷は微妙に傾斜になっているからな。ここに防衛拠点を作れば帝国は辛いだろう。プルメニア村から少し離れているが、我々獣人の足ならすぐにたどり着ける上に物資の輸送も容易い」
ケルシーがそう言いながら、渓谷の上部を指さした。
なるほど。地図だけではわからなかったが、そんな地形の特性があったのか。
「メルシアなら具体的な場所はわかるよね?」
「はい。お任せてください」
尋ねると、メルシアは笑みを浮かべながら頷いてくれた。
「イサギが防衛拠点を作っている間に、あたしたちは万が一を考えてプルメニア村の方も要塞化しておくわ」
「それなら俺もそっちを手伝って――」
「いいえ、イサギは防衛拠点に専念してちょうだい。村の防衛強化については万が一のような保険のようなものだから」
「わかりました。防衛拠点の作成、強化に専念致します」
確かに戦場とするべきはレディア渓谷であり、そこが最終防衛ラインだ。そこを越えられてしまうと、後は数による蹂躙しか待ち受ける未来はない。多少、プルメニア村を要塞化しようとも焼石に水だろう。
あくまでプルメニア村は守るべき場所であって、絶対に防衛拠点を通してはいけないんだ。
「後は余裕があればだけど、守るだけでなく帝国に奇襲も仕掛けられるといいわね。ずっと防衛拠点に籠っていても帝国に打撃は与えられないから」
「そうですね。その辺りも考えていきましょう」
レギナの言葉に同意するようにケルシーが頷く。
「ひとまず、あたしたちがやるべきことは三つよ」
・プルメニア村を要塞化すること。
・防衛拠点を作ること
・帝国の侵攻ルートを予測し、そこに罠を仕掛ける、あるいは奇襲を仕掛けること。
この三つが俺たちの方針だ。これを持って村全体で協力し、帝国に立ち向かおう。
「それじゃあ、俺とメルシアは防衛拠点の作成に向かいます」
「人手はいるかね、イサギ君?」
「土台作りが終わったらお願いします」
大まかな土台を作る作業はすべて俺の錬金術とゴーレムで作成することができる。人手がいれば、むしろ邪魔になってしまうので俺一人の方が都合がいい。
「わかった。必要になったら遠慮なく声をかけてくれ」
「ありがとうございます。では、行ってきます」
「頼んだわよ、イサギ」
レギナ、ケルシーをはじめとする顔役の人たちに見送られ、俺とメルシアはレディア渓谷へ向かうことにした。
「ここがレディア渓谷か……」
ゴーレム馬に跨ってプルメニア村から西へ移動をすると、数時間ほどで森林地帯を抜けて、景色は荒野へと変わり、レディア渓谷へたどり着いた。
俺たちの目の前には険しい谷が広がっており、長大な岩壁が遥か先まで続いている。
「谷底には少し川が流れているね?」
「はい。ですが、気持ち程度のものでほとんどが地面です」
メルシアの言う通り、谷底に流れる水は少量でほぼ剥き出しの地面となっていた。
水の流れが敵の足止めになるなんて期待はしない方がよさそうだ。
とはいえ、ラオス砂漠の時のように水源を探り当てることができれば、いざという時の切り札になるかもしれない。
そう思って地面に手を当てて錬金術を発動。魔力を地面に浸透させ、この付近に水脈がないかを調査する。
「うーん、付近に水脈もないね」
「上流の方に行けば、可能性はあるかもしれませんね」
「うん。でも、今は防衛拠点を作る方が先決かな」
場所を変えて調査していけば見つかるかもしれないが、すぐに発見できるとは限らない。
優先度は防衛拠点の方が高い以上、水源の調査については後回しだ。
「ケルシーさんの言っていた地点はどこかな?」
「あちらになります」
メルシアに先導してもらって少し移動する。
「なるほど。確かにここだと見下ろすことができるね」
移動する前の位置の辺りから谷底の傾斜がついていき上り坂になっている。俺たちのいる地点に防衛拠点を作れば、さらに高さはつくことになり、敵を打ち下ろす形で迎撃できだろう。矢を射かけるも良し、岩を転がしてやるもよし。これは大きな利点だ。
微妙な坂のように思えるかもしれないが、一本道を通ってくるしかない帝国からすれば、その微妙な坂が追い打ちとなるだろう。
「よし、ならここに防衛拠点を作るよ!」
「お願いします」
俺とメルシアはゴーレム馬を使って谷底へ駆け下りた。
まずは整地だ。どのような拠点を作るにも土台が不安定では意味がない。
ゴーレム馬を下りると、俺は地面に手を当てて錬金術を発動。
表面を滑らかなものにすると、防衛拠点の範囲を決めるように防壁を作り出す。
地面がせり上がって四方を囲う壁となった。
防壁がそびえ立つとその中心部分に移動して、周囲にある土、石、岩を操作して砦となるものを作り上げていく。
「さすがに魔力の消費が激しいな」
今まで自分の家、工房、販売所、宿泊拠点などと様々な建物を作ってきたが、今回作る砦はそれよりもスケールが何倍も違う。
地面に干渉する力も強く必要だし、物質を操作する量も甚大となっており、必要とされる魔力も膨大になるわけである。
レピテーションを駆使し、基礎のパーツを組み上げるだけで体内にある魔力がゴリゴリと減っていくのを知覚する。こんなにも一度に魔力を消費するのは初めてな経験かもしれない。
「イサギ様、お辛いのであれば無理はなさらずゆっくりにでも――」
「心配してくれてありがとう、メルシア。でも、それじゃダメなんだ。帝国がいつやって来るかわからない以上、防衛拠点は早く作らないといけない」
防衛拠点を早く作り上げることができれば、速やかに迎撃態勢が整う。
ひとまずの迎撃態勢が整っていれば、レギナたちが作戦を考えたり、作戦のための練習を重ねることができる。他にもプルメニア村からの物資を運び込んだり、皆で武器を作ったりとやれることはたくさん。それらができるほどに帝国との戦いが有利になる。
俺がちょっと無理をするだけで生き残る確率を、勝つための確率を上げることができるんだ。だったら、ここで無理をしないわけにはいかない。
錬金術で周囲にある岩を変形させ、魔力を浸透させることによって圧縮し、硬質化。それらの岩をレピテーションで次々と積み上げていく。そんな作業の傍ら、俺はマジックバッグから瓶を取り出して緑色の液体を呷る。
魔力回復ポーションだ。魔力を消費したすぐ傍に体内で無理矢理に魔力が生成される。
その感覚がとても気持ち悪い。
「イサギ様! それではお体に大きな負担が!」
本来、魔力回復ポーションというのは、失った魔力をゆっくりと回復させるものだ。
だけど、俺は錬金術によって回復能力を無理矢理に高めたものを使用している。
魔力使ってすぐにまた魔力を生成。
当然、そんなことをすれば、体内にある魔力器官への負担は大きくなる。
気持ちが悪いというのは、俺の身体が悲鳴を上げているということだ。
戦場に出る魔法使いが魔力器官を壊し、寿命を縮めてしまう一つの原因でもある。
助手であるメルシアはそのことを知っているので俺を止めようとする。
だけど、今回ばかりは素直に頷くわけにはいかない。
「錬金術師にとっての戦争は準備にある。ここが俺の頑張りどころなんだ!」
「……イサギ様」
戦争が始まってしまえば、俺はメルシアやレギナみたいに最前線で戦って活躍することはできない。できることが少なくなる以上、今が俺の頑張りどころなんだ。
周囲にある土、岩、石が少なくなってきたが心配はいらない。俺のマジックバッグにはライオネルやコニアから貰った物資がたくさんある。
必要となる物資も無尽蔵だ。
だから、あとは俺の魔力が持つ限り、組み立て続けるだけだ。
●
「ふう、ひとまず完成かな」
半日ほど錬金術を使い続けると、ようやく防衛拠点といえるものができ上がった。
切り立つような崖に挟まれた谷底はせり上がり、レディア渓谷を見下ろすかのように砦が鎮座しており、周囲には二十メートルを越える高さの防壁が存在していた。
前方には曲がりくねった谷底による一本道しかないが故に、正面から見た時の迫力は半端ないな。
砦や防壁の作成に使用した素材はレディア渓谷にある土、岩、石が中心だが、錬金術による魔力圧縮により、硬度がかなり高められているので想像以上に硬い。
特に砦の前部や城門などには加工した鉱石などが混ぜられているので、より堅牢だ。
一般的な攻城兵器をぶつけられた程度ではヒビ一つ入らないはずだ。というか、そういうように作った。
「おっとと」
立ち上がろううとすると不意に身体から力が抜けた。なんとか踏ん張ろうとするも身体が酷く重く、思うようにバランスが取れない。
地面に衝突することを覚悟していると、ポスリと身体が受け止められた。
「ありがとう」
「いえ」
視線を上に向けると、メルシアの顔が映った。
どうやら彼女が咄嗟に受け止めてくれたらしい。
「あれ? 身体が動かないや」
感謝しつつ、ゆっくりと離れようとするが身体がまったく動かないことに気付いた。
「魔力欠乏症ですね。動けるようになるまで少し休憩いたしましょう」
「そうだね。そうさせてもらうよ」
頷くこともできないので言葉で返事をすると、メルシアはゆっくりとその場で俺を寝転がせてくれる。それはいいのだが、なぜか自分の太ももを枕替わりにさせた。
これは俗に言う膝枕という奴ではないだろうか?
「……あのメルシアさん? どうして膝枕を?」
「イサギ様を地面に寝かせるなんてできませんから」
視線を上げると、メルシアがこちらを見下ろしながら微笑んだ。
碧玉のような瞳がとても綺麗だ。
「別にメルシアの膝じゃなくてもマジックバッグから適当にクッションでも取り出してくれればいいんだけど――」
「私がこうしたいからしているんです。それじゃダメでしょうか?」
「……いや、別にダメじゃないです」
真正面からそんな風に言われてしまうと、断れるはずもない。
クッションよりもメルシアの膝枕の方が絶対に心地いいだろうから。
そうやって小一時間ほど休憩していると、魔力が回復して身体の自由が利くようになった。
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
「かしこまりました」
立ち上がると、身体の調子を確かめるように肩を回す。
メルシアが膝を貸してくれたお陰で身体に痛いところはどこにもなかった。
素直にされるがままになってよかったのかもしれない。
身体をほぐしていると、プルメニア村の方角から何かが近づいてくる気配がする。
振り返ると、レギナとケルシーがゴーレム馬に乗ってこちらにやってきた。
俺たちの作業の様子を見にきてくれたのかもしれない。
「イサギ! あれがあたしたちの防衛拠点なの!?」
「そうだよ」
「「…………」」
こくりと頷くと、二人があんぐりとした顔で拠点を見上げる。
「たった半日でこれほどのものを作り上げたというのかね?」
「そうなります」
「これほどのものを作るとなると、さすがのイサギでも魔力が足りなかったでしょ?」
「うん。そうだね。でも、そこはポーションで補ったよ」
「……無理をさせちゃったわね。ごめんなさい――いいえ、この言葉は相応しくないわね。ありがとう」
「どういたしまして」
レギナは俺が無理をしたことに気付いたのだろう。
謝りかけたが、すぐに言葉を言い直してくれた。
うん、謝ってもらうよりも、ここはお礼を言ってくれる方が俺も嬉しい。
これが俺の役目なのだから。
「まさか、たった半日でこれほどの防衛拠点を完成させてしまうとは、これは嬉しい誤算だ」
「あっ、すみません。まだ完成じゃないです」
「ええ!? これで完成じゃないのかね!?」
防衛拠点を見上げていたケルシーが勢いよく振り返る。
「ひとまず、全体を整えることを先決にしたので、利便性や強度についてはこれから高めていく必要があります」
「どう見ても完成しているようにしか見えないんだけど……」
「まだまだ防壁の強度を上げないといけないからね。防壁の上から撃退できるように足場を作らないといけないし、安全に矢を射かけられるように覗き穴なんかも作っておきたい」
他にも周囲を見渡せるように監視塔を作らないといけないし、村人たちが寝泊まりできるような寝室、料理ができるような厨房、医務室などとやるべきことはたくさんある。
「そのレベルまでいくと一種の砦ね」
だが、帝国を相手にやり過ぎということはない。
帝国と俺たちの間に絶望的な戦力の差があるのだから。
「イサギ君、ここまで整っているのであれば、物資を運び込んでも問題ないだろうか?」
「はい。構いません」
ここまで作り上げてしまえば、錬金術で大規模な作成をすることはない。
周囲に人がいても問題なく作業を行うことができる。
「あっ、ケルシーさん。村に戻るのであれば、うちの従業員を三人呼んできてもらえますか?」
「真っ先に呼ぶのが農園の従業員なのかね?」
俺の要望にケルシーは若干呆れている様子。
防衛拠点を作成したというのに、真っ先に農家を呼ぶというのだから怪訝に思うのも無理はない。
「城塞の中に小さな農園を作りたいと思いまして」
「ふむ、イサギ君のことだ。ただ城塞で作物を作る以外にも大きな目的があるのだろう。わかった。従業員たちも連れてくるとしよう」
「ありがとうございます」
ケルシーはそう言って頷くと、ゴーレム馬に跨って村の方へと戻っていった。
「砦の中を案内してくれる?」
実質的な指揮をとってくれるレギナは砦の構造を把握する必要があるだろう。
名乗りを上げようとすると、メルシアがスッと前に出る。
「私が案内いたしますね。イサギ様は魔力を消費しているのでもう少しお休みください」
「ああ、ありがとう」
俺も案内したい気持ちはあるけど、魔力を消費したせいでようやく立ち上がれるようになったばかりで無理は禁物だ。
この後にやるべき作業もあるので、ここは素直にメルシアに任せることにした。