(5)
 走るとき、いつも思い出すのは一周一キロメートルのあの校舎の外周だった。陸上競技場でも、他県の道路でも、いつもあの校舎の外周を思い浮かべて走る。
 走ることが楽しい。何も考えなくていいから。それに、体が風と一体化するような不思議な感覚をたまらなく爽快だと感じる。
 講義あと、キャンパスの外周をランニングする。これが大学生になった俺の日課だった。高校生のときから変わらない。ここまでくると、もう走らないことのほうが異常になってしまった。
 ただ、一つ。あの頃と変化したことがある。
 俺の周りには、仲間が増えた。

 外周を終え、部室に戻ると同期が談話していた。今日は練習もオフの日なのに、わざわざ部室に集まって話す物好きたちだ。
 蒸し暑いのに、よくやるなぁ。ちっぽけな扇風機ひとつじゃ、この人数の熱を冷却するには不十分なのに。
「今日、練習オフの日だったよな?」
 念のため確認する。輪の中のひとり、佐々はあっけらかんと答えた。
「樹。知ってるか? とりあえずここに来れば誰か来るし、最悪おまえはいる」
「なんだよ。その謎の信頼」
 確かに、いつでも誰かはやって来るし、最悪俺は帰って来る。
「それより、最近おまえオーバーワーク気味じゃね? 今日もオフなのに走ってるし」
「そうか? 気を付ける」
「気を付けろよ、これから試合も多くなるんだし、怪我なんてしたら、俺がメンバー貰っちまうぞ」
 冗談めいていて、それは冗談ではない。きっとここにいる全員がメンバーの座を狙っている。緊張感と安心感が同居していた。

 高校二年の冬、俺は短い期間になることわかって陸上部に所属した。そして高校での部活を引退して、受験勉強に励み、入学した大学で再び陸上部に入部した。
 それなりに名門と称さられる大学の陸上部で、長距離を専門としている。駅伝メンバーを目指して、切磋琢磨する日々だ。

 着替え終わり、なんだかんだと雑談していると同期の羽田が「なぁ」と呼びかけた。
「このあと飯行くんだけど、樹もいかね?」
「いや、今日は辞めとく。先約があるんだ。また誘って」
 断りを入れると、羽田を含めた同期たちは含み笑いを浮かべる。
「お、例の彼女か?」
「弁当作ってくれる彼女か」
「高校時代の先輩なんだろ!」
 口々に冷やかしを入れるが、先輩はまだ彼女ではない。
「彼女じゃないけど、その人。大切な仲間なんだ」
「なんじゃそれ、なに仲間になるんだよ」
「雲を掴み隊」
「わけわかんねぇ、しかも絶妙にだせえ」
 羽田たちは、面白くないと騒いだ。
 人の恋愛話を肴に盛り上がろうとするな。
「うるせぇ。ま、そういうことだから」
 部室の扉を閉めると、また羽田たちが違う話題で盛り上がる声が漏れ出てきた。それはやっと手に入れた幸せだった。
 腕時計を見ると、十二時三十分を少し過ぎている。
 俺は慌てて走り出した。顔に当たる風が気持ちいい。調子がいい時は、ずっと走っていたいと思うことさえある。それを聞いた部員たちは顔をしかめて賛同はしてくれなかったけど。ここでもやっぱり俺は変人扱いされている。
 走ることが好きだ。
 でも、きっとこれも競技に対する純粋な愛ではないと思っている。バレーボールとどちらが好きかと言われても答えられないし、大学卒業して続けるかもわからない。その程度の愛だ。

 結局、俺が好きなのは仲間と何かをする時間。
 でも、それでいい。
 俺が描いた雲は、仲間がいなくちゃ掴めない。