あまりにも濃すぎる二日間だった。時の流れもこの日は大いに早く過ぎたであろう。これこそまさに夢と言っていいほどだ。

 あの二日で彼女の普段見せない内面を知り、僕自身彼女にまた気づかされた。

 その余韻がひどく、手に持つシャープペンシルが、融通利かず走らせてくれない。

 きっと彼女もそうだ。

 今日から、一週間の夏期講習が始まった。八月も第一週を迎え夏一番の暑さを感じる。しかし、僕の心情はこれいって落ち着きがあるようには見えない。

 それは無論余韻もだがもう一つ。今朝から彼女の姿が、ないことだ。

 午前中終わりで彼女は一向に顔を出さずで帰路する中、ふと思う事と似てることがわかった。

 それはスマホのバイブレーション。画面には彼女からのメッセージで短文としてこう、告げられた。

入院することとなったと。

 一週間経過し夏期講習も終える日に見舞いに行く時間が取れた。彼女の入院先の病院は彼女が以前運ばれたところでもあった。昼下がり一度足を入れた院内は記憶を頼りに病棟へと進む。

 そして彼女の部屋である場所へと足を着く。そこは相部屋らしくドア横に六名名簿が記載されてる。その中に、彼女の名を見つけここだと確信しすぐさま入る。部屋全体カーテンで覆われる構造でプライベート空間はある程度なら保てるようだ。

 そのまま奥に一つだけカーテンを使用していないベッド。身を現す事が好きな彼女のベッドなんだとすぐにわかった。

「やぁ! 元気?」

 カーテンでの死角を抜けた際、桃色の入院着姿の彼女が挨拶がてらベッドに座ったまま訊いた。

「それはこっちが言う台詞さ」

 入院している者とは思えないほどすっきりとした態度。むしろその姿に、安堵できる。彼女にどうぞどうぞと言われるまま、ベッド隣の丸椅子へと腰掛ける。

 カーテンを閉めてももって三人ほどしか入れそうにないこの場は、確かにプライベート空間だが、一人にしては少し窮屈でもあり、退屈でもあるだろう。彼女の横にある棚の上に設置された小さなテレビしか娯楽はなく、まるっきり彼女のような人には不向きな場所だと指す。

「いやぁー、実は定期入院となりましてー。それをすっかり夏期講習と重なること度忘れしてたんですよー」

 ひやはやと述べる彼女はあっけらかんとしている。

「異常があるとかではないんだね」

「そ! 心電図とかも家にはおけないからこうやってたまに入院する事があるの! 学校ある時は土日使ったりとかね!」

「そ、なんだ」

「うん。今は夏休みだから二週間は必要だって」

「そうだけど、君の入院は学校にはどう説明したの?」

「学校も上手く急な時も対応してくれてって事になってる。今度は身内の不幸という事にしてる」

「引っ越しした上に、勝手に誰かを犠牲にしたのね。よくもまぁ学校もその理由を正当化してくれたもんだ」

「でもさーそれしかなくない? それによく使うあるあるでしょ? バイトとか、社畜で過労に嫌気を指した社会人も上司に身内の不幸でお休みいたしますなんて休暇とる人だっていることだし」

「そんな部下、僕なら真っ先に切り捨てるよ」

「酷い! 社員に少し労りなさい!」

 思うほど普段と変わらない声を持ちやれやれと、少しばかり溜息を吐いた。少し彼女から目を移す。裾から出た腕を見るともちろんだが点滴が繋がれている状態。そして、その管の先には、何かしら透明な液体が微量となっている。

 その隣には置いてあるテレビのほかに心電図。恐らく平行線か過度に波乱がなければ正常に近いのだと思うが少し目を疑いつつもその小さくもなれば時々大きくも揺れるところが、彼女のようにも感じた。

 そして僕がここに来た目的の一つとして、学校で起きた事を僕なり観察記憶し彼女に伝える。これが彼女から出された宿題だった。最初は面倒な事を考えたと思ったが、逆にすると土産話程度に話題にもなると考えれた。

 言い終えたのち、彼女はよくできましたとわざとらしく褒めてくる。そして閉めていたはずのカーテンが風に靡かせる。首を向けるとパソコンを載せたサイレントワゴンを押した玲奈さんがいた。

「和葉ちゃーん。点滴変えるお時間でーす……ってあら桑原君!」

「……こんにちは」

 久しく見た玲奈さん。思わず息を呑んでからそう一瞥すると驚く顔を取り、そっとこっちへ微笑する。僕はそれを避けながら彼女の方を見ると彼女も彼女で、掌にポンと当てたまま。

「あっそっか! 二人はお知り合いだったか!」

「…最初君が訊いてきたんでしょ」

「ははぁ。そうでしたそうでした」

 その反応に玲奈さんは小さくだが嬉しそうに口角を上げて、笑う。僕は位置的にも邪魔そうで何より、玲奈さんからはもう関わるなと一度言われた。それ以降の再会で僕にはこの場が遠のい。

 帰るべく立ち上がろうとすると玲奈さんが咄嗟に僕を再び椅子に座らされる。

 どういうつもりなのかわからないまま僕は口が閉じじっと何かに耐えるようだった。

 そしてラックに載せてきた『生食』と黒字で記載された点滴パックを取り、今搭載してる空寸前になったのと、交換作業を淡々と行った。その手際良い無駄がない動きに看護師としての患者に対する律儀で俊敏とした行動があると、圧倒と実感させられた。

「じゃあ僕そろそろ」
 
 点滴を変え終えたと同時に僕も本格的に帰路しようとようやく立ち上がる。

「うん。ありがとね」

 彼女にそれに僕の目を見ながらそっと笑みを浮かべてくれた。

 学校鞄を持ち、玲奈さんに向かって一瞥すると。

「なら下まで送ってくわ」

「…っ」

「どうしたの?」

「あぁ。いえわざわざどうも。ありがとうございます」

「いいえ。じゃ行こっ!」

 玲奈さんの全く読めない目を見たのち、背中を見ることに。

「えー! 玲奈さんだけずるい! 私ももちろん行く行くー」

 彼女が自分余るのを嫌がったか、点滴を繋げたまま無理やりベッドから起き上がろうとした。それに僕も焦り止めようとはした。

「だーめ! 和葉ちゃん、あなたは今点滴変えたばっかなんです。今はそこで大人しく寝てなさい!」

「えぇ……ずるーい大人ばっかー」

「――返事?」

「………はぁーい、わかりましたぁー」

 玲奈さんの一声に彼女が初めて自らの行動を取りやめた。普段忠告をも無視するようなあの彼女がだ。彼女にとって玲奈さんとは、親しい間柄でもあり、逆らえない人物なのだろう。

 彼女が頬を膨らまし、ふて寝するように僕らに背を向け毛布に丸まったが、僕はまた来ると言い残し下のフロアまで玲奈さんと同行した。

 思考を回すうちに、気づいたら一階のインフォメーションセンターを通り、玄関先の自動ドアへと抜けた中、僕は改めてお辞儀を通した。

 すると首を上げた時の玲奈さんの表情がさっきとは変わっていることに気づいた。

「○○君」

「…はい?」

「この前はごめんなさい。それと来てくれてありがと。あの子の事情誰も知らないはずだから、きっと寂しかったはず。君がいてくれて喜んでくれたわ」

「いえ。そんな恐縮です」

「でも………あまり無理されないでくださいね」

「……」

「自分の事を優先していいんですからね。あの子にばっか囚われず……ね?」

 まるで彼女との関係を指すかのような台詞だ。玲奈さんの深刻そうな表情がそうと言っているもよう。そういえば玲奈さんと前話した時はあの喫茶店以来。僕の心情が乱れた事を未だに心配している様子。

「僕は無理何て一切してるつもりはありません。あの時は正直驚きが隠せない程の事実で僕こそ失礼な態度を取りました。でも今は、違います。僕が彼女といたいとそう思っているから優先してここへ来ているんです。僕のような人柄でもそのくらい思えるようになったんです。ご心配かけてすみません」

「…そうなんだ。あの時は君になんて事しちゃったっとも思ってたし、あの子も時々君の名前出すから、大丈夫かなってずっと心配してたの。でも君がそうならもう大丈夫そうね」

「はい―――」

「でもほんと無理だけは、お願いします。あの子の為にも」

 玲奈さんの最後の一言は、心配よりも忠告に近いと感じた。彼女を見ている事が多いからこそ、まるでわが子のように彼女を大事にしているのかもしれない。時々彼女と似たような仕草を取ったりもする。それからもだいぶ長く彼女を知る一人なんだと僕は思う。

 後日再び彼女の顔を見に行く予定を組んだ。生憎その日は朝から悪天候。雷雨にまでは到達しないものの最低条件として傘は必須となる。

 今日は土曜で、午後からの面会ができなく午前から病院へ向かうことにした。朝起きると母は仕事の疲れで睡眠を長く取っており、起こさないよう足を立てずに過ごす。朝食を得て、向かおうとしたその時。

「……い……樹生……………」

「ど、どうしたの?」

 廊下からする声に目を向けるとそこにはうつ伏せになって寝込んでいる兄の姿。顔が酷く青ざめ、体調を崩したみたいだ。

「今朝から寒気がして………ゴッホ! ゴッホ!」

「もしかして夏風邪でも引いた?」

「ご、ご名答。クーラーつけっぱで寝たらこうなっちゃった」

 呆れた。自分の行いが原因ではないか。そんな指パッチンを決める割には、鼻水をだらだら垂らすとなんとも情けない面。でもほおっておく事なんてできず。僕が傍に寄り、一旦肩を貸して立たせる。

「大丈夫…? 部屋まで歩ける…?」

 そう聞くも兄の膝はやや中腰のように曲っており、無茶すれば危ないと判断した。母に任せようとも考えるも休日くらいはゆっくりさせたく、薬箱を探しに行くも風邪薬は切らしてと不幸の連鎖。僕は仕方なしに家にタクシーを手配した。

 数分で玄関前にブレーキ音が鳴り、ワンクラクションで着いたと確認。肩を貸したまま長袖を着させた兄と一緒に病院まで行くことに。

「すまんな、ありがと」

「いいよ別に…。移されなければどおってことないから」

 彼女には今日は時間が取れないと連絡しよう。万が一僕が移ってそこから彼女に移るリスクも含めて。スマホを取り出し、今朝来ていた返信ついでに今の現状を伝えた。すると彼女は返信が早く一言だが、兄を励ますようなメッセージも届いた。

 病院の窓口へと受付を済まし、番号札が呼ばれるまで長椅子で待った。兄は何度もマスクを外して鼻を噛み、横から響く音が増える分兄の鼻は次第に腫れ真っ赤に染め上がる。

 次期呼ばれ、内科へと受診するよう案内を受けた。

 家を出る時よりは怠い気が消え、ようやくまともに足を進めれるようになった兄。でも鼻だけは一向に止まらなく可哀そうだが少し不潔にも感じた。

 診察室へと進み、僕は待合の席で待つよう言われた。ドア前の長椅子で一人ただ兄を待っている中数分は経った。

「やぁ桑原君! 元気してるかい?」

 突如横から声と共に肩に触れられ思わず静電気が流れたかのように一瞬の驚き一瞬心臓が揺さぶられた。僕をそう呼ぶ名は少ない。横を見ると同じ長椅子に膝をそろえて座る玲奈さんがいた。

「…ビ、ビックリしたじゃないですか」

「ごめんごめん。和葉ちゃんが君を結構驚かすと、案外いい反応してくれるって言ってたから、遂」

 それに何気のない笑顔にアハハ…と苦笑いをし出す僕。彼女は言い口も叩けばその分余計な口が多い。
これが憎めない部分が。僕も玲奈さんももう何も絡まる事のない間柄へとなったようだ。


「和葉ちゃん、診察終えたばっかだからちょうど今いるよ? 会いにきたんでしょ?」

「あぁ…いえ。ほんとはそのつもりでいたのですが、急用が重なってしまい………」

「え…? じゃあなんでここに?」

「実は兄が今朝、風邪をひきまして。その付き添いで」

「え、おにい…さん?」

「はい…?」

 玲奈さんの顔が突如固まった。何かまずいことでも口にしたのだろうか。会話を思い返しながら探していくと目の前のドアが開き兄が出てきた。ドアの隙間に見える医師にお辞儀をしこっちへ振り向くと。

「おぉーやっと終わったぁ………………って、え……えっ?!」

 兄が言葉を詰まらせるほど、緊迫とした表情で固まった。まさかと思って玲奈さんの方へ首を交差させると兄と全くもって同じ表情を取っていることに気づく。
 
 僕にはそれが理解できず混乱という思考に飲まれていくと。

「玲奈……さん?」

 突如として兄の口からは想像もしない名を口に出した。すると今度は反対から。

「しょ…省吾君…?」

 玲奈さんからも出す事がないでろう者の名が。二人が知り合いだなんて今知り、今気づいた。それだけがわかりまだ混乱を続ける中兄が緊迫とした衝撃とも言える顔を辞め、苦笑しながら言った。

「久しぶり…ですね。お元気されてましたか…?」

「…………えぇ、何とかまぁ」

 この気まずいように感じるお互いの言い方から大体何があったかなんて想像は着く。僕はその二人を観るだけの傍観者となってしまいいっその事、しばらく再会を見て過ごすことにした。

「えっと……ひとまず会計と薬、貰…ってくるわ」

 兄はそのまま病院の廊下を軽い急ぎ足で向かって言った。

 そんな元気な人でもまれにしない姿に口がポカンと開かされる。廊下奥へと消えた兄後、居座る玲奈さんを見ると唇のゆがみが酷かった。

「ごめんね樹生君。今まで黙ってて。実は私あの人と高校時代先輩後輩だったの。それで…半年だけお付き合いしたことがあったの………」

 僕は意を呑んだまま聞いていた。それは、あまりにも世界が狭く、そして世間というのは紙一重なんだということを知る。兄がそのような関係を持つ人がいたなんて聞いた事もない話だが。恋人関係なんて持ったこともない僕からしたら全てを理解納得なんてできないがあまりいい形つまり和解はせずに終えたような感じだとそこだけ確信した。

 その後は大急ぎで兄はこっちへ帰還し、また改まる二人を観る中玲奈さんは休憩時間を終え職場に戻る事に。

 兄の何やら無念を顔に表したまま帰りのタクシーへ乗車した。

「はぁ…まさかあんな時に再会するなんて。もう風邪治っちゃったかも」

「それは……いいことなんじゃない?」

「おう………ってか! なんでお前玲奈さんと知り合いなんだ? なんか二人で話してたじゃないか」

「えぇ? あっいや祭りの後に病院寄ってそこで一回話した事があったから」

 唐突に訊かれた質問に嘘っぱちに感じるが事実に近い事を述べた。彼女の病気については公言を禁止としている為、僕はそれを守らなければならない。兄も普段のようなしつこい追及などはする元気もなくそれでなんとか誤魔化せた。兄は酷く落ち込む様子が家でも続く、よほど自分の無力さを実感したのだと思う。そしし後日二人は直接会う約束をしたといい兄の機嫌も増していく一方だった。

 とある晩。彼女がから着信を得る。

『やぁ元気かい? 私は順調順調』

『だからそれは僕が最初に訊く台詞だってば』

『お兄さんもう体調良くなった?』

『あぁもうばっちりと。薬よりも効果ある事を知ったから』

『えぇ何それ気になる気になる。教えて』

『見舞いの土産話としてとっておくよ』

『そかそかぁ。でもそれだけど私明後日退院することとなりました』

『何改まった言い方するの。でもおめでとう。ようやく解放されるね』

『そ! わかるー。売店すら行く時間決められてもうとばっちりよ!』

『それは大変でございましたね』

『もー。他人事ー。君も一度入院するといいよ。患者の暇を持て余す気持ちがわかるから』

『僕はごめんだよ』

『じゃあ明後日退院した次いでにどっか行こ』

『もちろん。その為に明日洗車しとくよ』

『えぇ? 最近火山灰振ったけ?』

『んーん。君の退院祝いも込めて』

『……』

『どしたの…?』

『いやなんだか今の君、ちょっとかっこつけたんだなぁとは思ったけど、意外と嬉しくて』

『そりゃどうも』

『なら明後日の昼頃』

『わかった。首を長くして待つよ』

 退院する日を知った途端、僕は特にその日を楽しみにしていた。彼女がいない日を僕は最近、退屈なのだと感じ始めた。

 そして翌々日。時間というのは意外にもあっさりとすぎ、いつもの駅でひるで人手が多い中、待ち合わせをしていると、先に着いた僕は陰のあるベンチで一人座った。

 視界には無数に流れゆく人。その行方を追い少し悪趣味に感じるがどこへと予想と想像を立てていた。今日は彼女の退院を込めて、動物園に行く。子供じみた発想にもなるが彼女が本物の白熊を観に行きたいと考案し、僕も否定する事なく賛同した。

 ……………しかし集合時間が過ぎても彼女は一向に現れない。今朝届いたメール一通だけでその他もない。

 三十分が過ぎようとした頃、ようやく僕のスマホに数少ないメールを受信した。

 それを開いた途端思わず息が詰まった。数秒声が発せれないほどで、まさかとも思ったその内容は退院が急遽遅れたということだけだった。

 その原因としての理由は、血糖値の上昇だと後に彼女が言う。後日病院に伺う。しかし今度はというと、彼女の病室は、個室へと移動させられてもいた。

 個室と知るだけでも。僕の心臓にやな音が立て始める。彼女がそう希望したのかもしれないのに。

 嫌な予感は持っている事にした。

 指裏で軽くドアを叩き、重い手のまま入ると、まず彼女の横顔が目に入った。ベッドの上で布団を下半身にかけ、窓を開けた景色を一目している。まだ僕の存在には気づいていないようだ。そのままゆっくりドアを閉め一歩近づくと、彼女の眉がピクリと動き、ようやく気づけた。

 よ! なんて、いつも会う友達のような台詞を口にし始めその笑顔だけは、変りないなと悟り、何故か安心する自分がいた。

 今度の部屋はまぁ広く、彼女だけでは贅沢なのではとも思える間取り良さでもあった。

「ごめんなさい、この前はドタキャンして。朝からちょっと体調悪くて病院行ってて連絡が遅くなっちゃった」

 彼女が軽く頭を降ろしてきた。

「謝らないで。それより体調はどうなの?」

「んー。少しむかむかは続く感じ。血糖値に異常が出たんだ。今はどうもないらしいけど、それが上がり続けると急性障害とかにかかるリスクが高まるって」

「そう、なんだ」

 彼女は、何も隠さずその事情を次々、まるで世間話程度の口調で話し、終えた。

 説明も含め、彼女の生涯が明らかに減り始めているのはわかる。それでも彼女は笑顔を絶やさない様子。

 彼女は一体、あとどれくらい生きているのであろう。あと、どれだけ僕は君を見ていられるのだろう。あとどれくらい君は僕を見るのだろう。

 これ以上思考を回してもわからないことだし返って気を悪くしそうな感がするから一旦捨て、からってたバッグから、あるものを取り出した。

「さっき来る途中、コンビニ寄ってこれ買ってきた」

 付属の木製スプーンも同時に渡すそれは、いつの日か彼女と口にした ‟白熊”のカップアイスバージョン。初めて彼女とまともな会話を交わした日でもある。

 あれから、もう二か月近くとなると、ほんと彼女との時間が早いような、早いような。僕はここまでの時間無駄にしてきたことが多々あっただろう。それを彼女から知り、そして僕自身それに気づけた。

 今度こそは、僕が君を支えていく番なのだと改めて緊張感を抱く。

「おぉ!! 久々の白熊じゃん! わざわざありがとー!」
 
 彼女はそれに一目散視線を当て、無邪気にはしゃぎだした。白熊を観に行けないものの意を理解し、大袈裟に笑った彼女であった。

 外は異常にも蒸し暑く、誰もが嫌がる真昼間の中、僕らだけ涼んだ病室で、贅沢な好物を食す。

 もう、あの日からだが、僕はこの白熊を好物として見ていた。店には劣るかもしれないが、それなりのアイスの甘さと酸っぱい果実が合わさう事で、心身共に冷え込んだ。

「そいえば今度私に会ったらするって言ってた話今聞いて言い?」

「あぁ実は…………」

 病院で兄と玲奈さんの関係性が発覚したこととと二人の表情と心情を合わせそこに居合わせた話を数分にわたって話続けた。

「なるほどねぇ。君のお兄さんとあの玲奈さんが………って! 君はどうしてただ傍観者でいたわけ? なんですぐ私を呼ばなかったの?」

「呼んでって…。君はあの看護師さんからは単独行動を制限されてたじゃないか」

「そーだけどー……。そんな愛し合う者同士の思わぬ再会なんて、一度は生で見て見たかったよぉ」

 ずるいと妬ましい視線を指され僕は自分に決まづくなる。

 彼女は別にその場で野次馬になろうとは思っていない。僕からすれば驚かれっぱなしで済むが彼女にとってはそれが恋愛ドラマかのように想像しているのだろう。普段彼女が朗らかさも出るところはその辺も含めてなのかも。

「もぉー。みんなずるいなぁ。玲奈さんも何も言ってくれなかったし。なんで私だけ病人なんだろ」

 彼女は自分の病にやけになり、またスプーン名いっぱいに掬い出した。

「…退院した君が飽きるほど好きなとこへ連れて行くから」

「う、うん」

「どしたの?」

「いや、ちょっと喉につっかえちゃっただけ」

「大袈裟に一口が大きいからなのでは?」

「お黙り!」

 彼女は僕を一度睨んでから再び食べ始め、また時に僕を睨んできた。

 そしてお互い空になったアイスを、入れたビニール袋へと包み込む最中、彼女がお腹を摩りながら一人口にした。

「でもさぁ。その二人を引き合わせたのって君は偶然だと考える?」

「偶然…ではないのかな」

「違うよ――――。玲奈さんも君のお兄さんもその日偶然鉢合わせたんじゃないよ。君が私のお見舞いをキャンセルした。キャンセルせず家で安静に看病していれば、起きる事もなく、二人の心も何も揺さぶることもなかった。そして病院でお兄さんの診察を待つ君へと玲奈さんは声を掛けに言った。見かけるってだけでもできる。でもそう自分の選択をしたからこそ今こうやって二人はいるんだと思う。それは君とも」

「僕も…?」

 そう疑心を持って訊くと彼女は優しく顔を降ろした。

「君があの日、私のところへ駆け寄ってくれた。あのお姉さんが言ってたけど君が誰よりも動いたって。君がそうすると選んだからこそ、私はいる。私はその後君にお礼をしたくなんとか話しかけた。ありがとうの一言だけなら、私たちはこうして共に過ごすことなんてなかったんだ」

 彼女からほんとに多くの事を学ぶ。人間としての感情から人間としての選択肢まで幅広く僕は知ってばかりだった。

「………君の言う通だ。その通りだ」

 僕は気づいたら下に笑みを零していた。普段見せた事のない笑顔を初めて彼女の前で見せることになった。羞恥はない。これほど解放感が増し、楽しい事はないだろう。

「フハハハ。フッハハ……」

「え?! どしたの君」

 僕は彼女の質問にも笑い声だけ返した。腹からこみあげて出てきた今まで溜まった笑いが僕にはまだ制御できていなかった。

 楽しい。今の僕が。楽しい、君といることが、どれほど僕の世界を広げてくれたか。ほんとに君には感謝しかない。

 僕がようやく笑い枯れると彼女は微笑んだまま僕をじっと見つめていた。

「最近の君何かあった?」

「え?」

「あっ、なんか変わった感じがするなって。この前もだけど、なんだか私も君の笑った顔みて嬉しくなった」

「君のおかげさ。君と過ごしたおかげで僕が今笑えた。ありがとう」

「フフフ。もー、急にそんな事を言われると私は恥ずかしくてたまりませんよ? 君の顔写真で収めればよかったよ。君は見た、目よりもはるかに凄いね。もうギャッパー要素埋まりきらない」
 
 ニコッと首を傾けながら言って来るが、何そのステータスと返したくなった。

「その『ギャッパー』って言葉、君の生前する間に辞典にでも追加したらいいよ。きっと世に憚り、世界が君を見てくれる」

「フハハ! そーだね! そしたら私がノーベル賞だぁぁ……きゃっ! むし!」

 彼女の笑い声と同時に窓を開けた外から流れてきた風が、一枚の緑の葉を乗せてやってきた。彼女は虫がついたかのように一瞬飛び上がり、必死に頭を掃いたがそれが葉なのだとすぐにわかった。頭で止まった葉は、そのまま揺らりゆらりと、ひざ元へ落ちていった。

「あ…葉っぱか」

 緑という色、全くニュアンスがないが無色透明なほど、色鮮やかで、淵も綺麗なその葉は、数々の自然における試練をいくつも乗り越えここへやってきた。

 それを拾い上げる彼女は、天井にあげ、嬉しそうに口角上げながら透かすように覗いた。

「葉っぱもしっかり生きているんだね」

 旅立つ雛へと向けるようなその優しい微笑みと言葉。その葉を大事そうに手の内に入れ、胸元に寄せこう呟いた。

「私、だ」

「ん………」

 その発言の意図を知らず、軽くポカンとなる僕。彼女はその葉にしか目を向けていない。

「……隕石じゃなかったの?」

「ムム! ちがう流れ星ー! あの時はそうだけだけどでも私昔から葉っぱや、咲く花とかを見ると何故か私そっくりなんだと思うの。ほらだって、私の名前、そうじゃない?」

 確かに彼女の名前には葉の字が付く。由来というものか。和むに葉。天真爛漫なイメージ的にその緑葉とそっくりにも合うし、イメージ通りに見える。

 しかし性格はともかく現状を知る人からすればそのイメージは少し遠くも感じる。和めないという現実があるからだ。神はやはり彼女にだけ、意地悪なのか。

「単純すぎない?」

「そお? でも私この名前すっごく気に入ってる」

「気にいるのはとても良いことだと思う」

「君だって樹がつくもんね」

「そしたら僕の樹に生える葉っぱは君だと? とんだご冗談を…」

 彼女は僕の下らない冗談でも大袈裟に笑う。

「でも春の桜もこの夏の緑葉、そして秋の紅葉。君はこの葉たちがどうして短いと思う? 季節の天候とかそんなありふれた事でもあるけど、ほんとは全てが一瞬だけの輝きを秘めているの。冬には色ある葉が存在しないからね。たった短い期間だからこそ、その輝きをために貯め発揮するの。その一瞬を無駄にしないって強く意思を持っているの。だから私も見習った」

 そう言って再び葉を掲げた。

「この一瞬しかない、人生で私は輝こうって。私が葉になって、笑っていつか花を変わってみんなを咲かせようって!」

 外から流れた風が彼女の言葉と共に、僕を髪をオールバックにするほど強く、靡かせていた。

 葉に向けてそう言う彼女の笑顔が僕には太陽のように眩しくて上手く見れなかった。そんな事も考えた事もなかったからだ。これが普段彼女が穏やかで、皆と笑う理由。そして皆をも笑顔という輪に巻き込める理由だった。病気で幾ばくも無いのにもこんなに強い意志を持つ彼女に、僕は見習った。

 内的だからこそ、実は彼女のような存在がどこか欲しかったんだ。

 それなら、僕のやるべき事はただ一つ。

「それじゃあ、観に行こう」

「え? 今から?」

「まさか。秋の紅葉も春の桜も、僕が全て連れて行く。君を見に、ね」

 先が遠く、少し残念そうな顔を浮かべる彼女だったが、すぐにまた晴れた。

「約束…?」

 そう言いながら短い小指を僕に向けてきた。

「うん。約束」

 そう言いながら僕も小指を立て、伸ばし、約束と言いながら彼女と契約を結んだ。この指が鎖なほど固く結ばれた。この一瞬時が止まったかのようにも感じた事は、彼女も感じただろうから内緒にしとく。

「それで、紅葉なんだけど。紅葉巡り次いでにキャンプなんてどうかな? 紅葉に囲まれながらとか」

 すると彼女の目は光らせ四つん這いになって近づいてきた。

「おぉ! 特大イベント設けるね! ぜひ賛成します!」

「こちらこそ光栄だよ」

 そういう間にも僕の口角は上がっていた。初めてだ。初めて堂々と人の前で思いっきり笑う姿を見せれる。こんなにも心が透き通る事なのか。

 僕の樹から本当に、君の芽が生えたのかもしれない。

「楽しみにしとくね! それなら早く秋になってほしいなぁ!」

「うんそうだね。だから―――――」

 笑いを一旦置くよう一拍子、小さい息を吸って吐くとともに意を決した。

「生きて。僕は君の、生きる姿をまだ見たい――――――」

「………」

「どうしたの?」

 僕の言動に何も反応を見せてくれなくなった彼女は、口を強く結び始めた。次第に顔に熱を持ち始め、それを隠すよう髪を満遍なく降ろした。

 それでも彼女はフフ、小さく笑い出した。

「嬉しいなぁぁ。君にそこまで想われていただなんて。私幸せ者だ」

「僕も」

「キャー! 言われちゃった! 卑屈で根暗な君からこんな事言われるなんてー! 信じられなーい!」

「誰が卑屈で根暗だ……」

 照れ隠しをしながらも、ちらちらと見返してくる彼女。それで僕も気恥ずかしさを感じた。僕自身彼女をそこまで想うようになってきたというのにも驚くがそう自分で、ここまで選んできたのだと改めて確信した。

「……本当はね。今日君を追い返すつもりだったの」

「えっ…急にどうしたの?」

 思いもしない発言に、少し動揺した僕。彼女は頬に赤みを残しながらも、顔を曇らせつつだった。

「ごめんね。君といると私辛くなるの。君にしか言わないって決めたけど、私のワガママでここまで巻き込んでしまったし、退院もできずにまた入院になってもうここらで終わらせようと思った。もう一人になった方がお互いの為にいいんじゃないかって。でないと君まで辛くなるでしょ? それを、私見たくないの」

 恥ずかし気な表情から少し俯く表情になった彼女。これが彼女の抱えてた本心というものか。この日まで彼女は僕といてそこまで考えていたのか。彼女は表情に出るような人でないから全然気づけなかった。

 ここでも兄の言う通り彼女という人間は、初めて僕を見てくれる人間なんだ。こんな影も薄いような存在をここまで大切に想ってくれる人なんだ。

「そうかもな。君の言う通りここらでなくても辛くなるかも。今まで散々君に振り回されてきた。ほんと君のせいだよ。ここまで僕が来たのは。でも、僕が君といたいんだ。君と過ごしてきた日常が、僕にとって何より宝だ」

「僕にはしっかりやるべき事がある。そう覚悟を持って今もここにいる。だから、今更路線変更なんて絶対許さない」

「もぉ…。嬉しいけど、また私の台詞を盗んだね。盗賊さん」

 彼女の顔に曇りが消えたがまた紅潮し始めた。それでも微笑みは見え、僕もそれにニコっと顔を向ける。

「何より大切な言葉だからだよ」

 彼女の顔に笑みが浮かび始め、僕も。初めて彼女と笑い合った。病室にその声が包まれ、声が枯れるまで喉元からは明るい声しか出てこなく、このまま彼女の病気も消し去りたいほどだった。

「じゃあ、そろそろ帰るね」

「うーん……。ちょっと待って」

 椅子から立ち上がった僕を引き留めるように裾を掴む彼女は、なんだか物寂しい表情を浮かべ出す。

 どうしたのと、優しく返すと、彼女は言葉を上手く出そうとするが、出せず、目線だけ僕と正面の壁を交差した。

「いや…なんでもない。でもあと五分、ここにいて」

 何故かわからないが、軽くトクンと胸に響いた気がした。

 無言で椅子に座り、彼女を見ると、やはり物寂しい感じではなく、俯く表情を取ってた。

「何か……あった?」

 何も言わない彼女にそう訊いた。まさか悪化したのかと思った。心臓が嫌な音が立つ前に彼女は首を軽く横に振りそれを否定した。

「一人になると寂しいから、いてほしい」

 裾を掴む手はそう優しく言っている感じではなかった。

「わかった」

 何か隠すような様子にも感じたが探るのをやめ、すっと腕の伸ばし今度は僕が彼女の手の上に、重ねた。しかし、ここで違和感に気づいた。彼女の体温が少し冷たくなっているような気がした。それに不信に感じもう一度さっきと同じ質問を訊こうとしたが、それをすると何かが壊れるような気がして辞めた。

 ただ静かなさっきとはまるで音のない部屋で、僕は彼女の手を握ったまま三十分は居座っていた。

 お互い言葉を出さず、ただ黙々としていた。それは時を止めた空間にも似る。

 彼女は眠るように瞳を閉じそっと微笑むが前に彼女から貰った体温よりも明らかに今は下がっていた。


 結局、僕が抱く疑問は解けることはなかった。彼女の口車にまんまと乗せられ上手くはぐらかされてしまった。いや、それか僕自身、僕をはぐらかしたのかもしれない。彼女は一体、最近の様子がおかしいけど何があったのか。それを思考に持ちながら、ベッドに横たわる。照明を消し、ただただ何もない天井をひたすらに見つめ、考え、思ういつの間にか眠りに就いてしまった。暗闇には何も映らずただただ思考も止まったまま深い眠りだった。しかしそんな中にわずかに振動を覚えた。それは夢の外、現実からだった。咄嗟に目を覚ますと、部屋が、揺れ出していた。地震だ。

 思わず狭いベッドの下に潜り込み、身を守るため隠した。

 真上のベッドにが揺れるがそこまで大きくはない。それでも恐怖というのは覚え、それが数十秒続いた。廊下から兄や母の声もし出し、飛んで起きたであろう。やがて収まり一呼吸した後、ベッドへと再び上がった。

 スマホを見ると、日付も変わる寸前となっていた。

 様々なニュースアプリや天気アプリから地震速報を見ると、震源は、二つ離れた県らしくここはそこまで被害が薄いみたい。しかし通知をスクロールさせる中、もう一つ、目覚ましかのような通知が三十分程前に届いていた。

 それを見た途端、僕は更に恐怖を覚え、咄嗟に着替え、夢中に家を飛び出した。

 人並ないただの無色な街並みを、必死にバイクで駆け巡った。ポール状の街灯を一瞬で通りすぎる程、アクセルを異常に回し加速させ、僕の心情は何ぴたりとも落ち着いてなんていなかった。

 僕はまた誰かに、ここまで必死に動かされた。

 彼女からだ。三十分程前に、【駅にいるから来て】とそう僕にメッセージを残していた。

 それに不安でしかなかった。駅にいるという謎な行動も、そしてなにより…………

 彼女の身に、間違いなく危険が晒されてる可能性が。

 日付も変わる直前だ。駅周辺でも誰も人一人いやしない。まるであの時と同じ光景を見ているかのようだ。信号が変わり出し、走行させる中、駅の方へと首を向けると、ハッと息を呑んだ。

 いた。時刻を表す壁に貼られた電工パネルの下に、一人のシルエットが分かった。急いでバイクを路肩へ止め、懸命に走った。足の回転が遅くなっても無理やり加速させ、まさに死に物狂いとなった。

 しばし見えてきたシルエットを数メートルほどの距離となった今、突然僕の足が止まった。

 視界に映るその彼女に、思わず二度見をして、口が開いてしまうほどだった。彼女は、何一つなかったのようにいつもの表情で、空に浮かぶ月を眺めていた。

 ゴクリと唾を飲み込み、一歩一歩近づいてみると、彼女が僕に気づき、首を向けた。

「あぁ! やっと来てくれたぁ!」

 沈んだはずの太陽と並ぶ笑顔で、そんな遠くでもないのに大袈裟に手を振ってくる彼女。僕はそれよりも服装に驚いていた。

「大丈夫だった…?」

 思考を無理やり拗らせ、まずそう聞いた。

「あー! さっきの地震? 急に揺れ始めたからめちゃビックリしたよぉ。少しの間改札の方に避難してた!」

「そう、だったんだ。でも、君が無事ならなによりだ。生きててくれてよかった」

 大きい地震ではないとわかっていても本当によかった。君が無事で。それが何より一番の幸いだ。

「…っ」

「どうしたの?」

 彼女の目が突然全開きし、一瞬狼狽えるような顔になった。

「うんん。なんでもないよ!」

「そうか」

 そしてようやく言いたい言葉を口から並べる。

「その服………」

「あぁ…うんっ。実はね、あの後またお母さんと行ったの。そこで買っちゃいまして……」

 彼女が恥ずかしそうに照れだした。彼女の服装は、病院着ではなく私服。そして何より、それは初めて彼女と服屋に入って一発目に着替えた時の白のワンピース。買わなかったはずのその服を今目の前でまた着ている。

 夜空に下に映るその姿は、七夕の織姫のように清く美しく。

「死ぬまでに一度君にサプライズとかしてみたくて…!」

 僕はそれに目を奪われてしまい、手に汗握るほど、もう口が止まらずにいた。

「凄くすごく似合ってるよ。とても綺麗だ」

 もう手遅れだったことに気づいた。僕は彼女を一人の女性として見るようになってしまったのかも。走ったという汗や体温の上昇よりも彼女に緊張する方が高い。

 それでも想いは伝えない。彼女との約束は破ってしまうと、必ず何か壊れてしまうはずだから。

「…っ! あっ、ありがと」

 彼女も唐突に言われた褒め言葉で口数が減り、そのせいでしばしお互い目を合わせる事に困った。咄嗟に首を振って緊張を消した。

「大分脱線しちゃったけど、夜中にまでどうしたの?」

「えへへー。実はねもうおわかりだろうけど、病院抜け出してきちゃいまして!」

 そうだと根本を忘れていた。昼間病院にいた彼女が今は駅の広場にいる。

「……外出するってちゃんと言ってきたの? あの看護師さんにも」

「聞いてた? 抜!け!出!し!たの! 玲奈さんは今日別の病院にも用事あるみたいでいないの。なんだかスパイみたいな感じだったけど案外楽勝だった」

「点滴……とかは…?」

「夜は基本的点滴は付けないよ。寝返って奥に刺さる事もあるみたいだし、第一そこまでする必要もないし! さっ、行こ! そのために服も張り切ったんだもん!」

 そんなあっけらかんとしすぎる様子に何か込み上げるような気がした。それが不安によるってのが大きい。今の彼女の姿はいわば無防備、そう、もし何かあった場合、どうしても取返しつかないこととなってしまう。それが何より一番怖い。

「ダメだよ――――――――」

「え………」

 淡々と進められる中、突如遮り、彼女の言動は止まった。僕は彼女を守る、それはあくまで病気は例外なのだ。だから、少しでも君に長く生きていられるために、僕は化けの皮でもなんでも剥ぐ。

「病院を抜け出すのはいくらなんでも良くない。君に何かあった時、僕はどうもできない。今から病院まで送る。一緒に帰ろう」

 彼女に手を差し伸べ、今は現実を与えた。いくら彼女の時間を無駄にさせなくてもこれだけは、無駄でも良いと思えた。時間よりも命の方がよほど重いし、価値があるのだから。

 しかし彼女は手を出してくれずむしろ身を引いた。

「やだよ…。私、君とまだ海行ってないもん…。他にも行きたいところだってあるのに」

 寂しく感じる表情を目の前にし、僕の感情が更に高ぶり、逆に粗ぶってしまった。

「ダメだ…! 戻るんだ!」

 必死に声を上げ彼女の腕を掴んだ。怖いんだ。そうでないと君が今にでもいなくなってしまうかもしれない。それが僕による失態で起こる可能性があるのだと悟り。とにかく彼女のその行動が怖いんだ。

「痛いっ‼ 離して!」

 その本気とも言える叫び声に、僕はあるものが目覚め、咄嗟に解放した。そこで僕は自分の侮差に気づいた。彼女の服に似る白い細い腕は、掴んだ場所が一気に血流が溜まった真っ赤に染まる派手な跡がついてしまっていた。感情によるコントロールを見失い、本気で帰すよう握っていたんだ。手もかなりしびれているし。

 彼女はその手を強く抑え、苦いように口を縛り、その綺麗な目元にわずか涙を浮かべていた。そんな姿に僕の胸が一気に強く締め付けられた。

 僕が、誰かを傷付けてしまった……………

 初めて誰かを力でねじ伏せた。こんなに華奢な僕に女子一人くらいは、できるんだ。

 人を傷付けることが自分をも苦しめるだなんて。

「ご、ごめん…」

 咄嗟に深く謝罪を述べると、彼女は強く口を結んだまま言った。

「どうして君まで染まっちゃうの…………」

「…………え」

 彼女がまるで吐き捨てるかのように言った。

 染まるとは何か。僕が暴行的に突っ走るような人へとなったからか。それとも、前言った医者は現実しか言わないと言ったそれに含まれるのか。

 僕の心情を彼女に悟られているのだろうか。

「君はいつでも私に現実ではなく日常を与えてくれた。私をどんだけ治そうと投与してくる薬よりもそれが何より効いて、嬉しかった。だから私、最後まで君がくれる日常を何一つ後悔したくないの!」

「…別に今でなくても」

「今じゃないとダメなの! 桑原君だって同じ人間だよ? 私に限らずいつ死ぬかなんてわからないんだよ? 私は今という時間を大切にしたいの」

 彼女が必死になって嘆くよう声を荒げた。

 確かにそうだ、僕も彼女も約束された死の日なんて存在しない。

 彼女はただ毎日死のリスクが高いというだけで、僕が何かしらの原因で先に死ぬ可能性だってあり得る。

 感情的になって、本来の意思を忘れていた。

 彼女は今を大切にしたい人だってことを。

「本当に…何かあったの?」

「うんん。大丈夫だよ。たださっきの君の表情が本気で私を連れ変えそうとしてちょっぴり怖くなっちゃって、遂反論しちゃっただけ。だから行こう、海」

「私を連れてって――――――――」

「でも…どうやって。ここから海水浴場までは少し遠いよ」

 僕の家の近辺とは違い立派な砂浜のある海水浴場は、少し市街を抜けた先にある。ここから行っても往復一時間程度。歩きならその三倍。

「知ってるよ。だから…」

 彼女が口を尖らせながら、右手で何かを捻る動作を加えてきた。それがアクセルなのだと悟る。

「そりゃ…地震もあった上に駅にいるだなんて知ったら言われたら、バイク以外使う手がないよ」

 彼女は普段通り今すぐ乗せてと言うだろうが、僕はその薄着にも近い姿を見て、乗せることを深く躊躇してしまう。

 それに気づいた彼女が察したかのように、少し俯くような表情と共に、遠慮し始めた。

「流石にこの服じゃダメ…だよね。危ないし」

 地面に言葉を捨てるとともに肩の裾を軽く摘まみ、あまりにもリスクが高い事を十分理解し出した。

「――――もういいよ」

「…え?」

「何がどうであれ、万が一の際、僕が全ての責任を持つ。だから君も…せめて緊張感ぐらいは、肝に銘じていてほしい」

 ほんと彼女にはかなわない。こんな危ない状況でも僕を君の道へと引き込めるのだから。

 すると彼女は顔を上げ、空に浮かぶ月とも並ぶような満面の笑みへと変わった。

「うん! ありがとう!」

 僕らはそのまま路肩に止めたバイクへと足を運んだ。

「あー! やっぱり! なんだかんだ言って持ってきてんじゃーん! 私のご愛用!」

 後輪に付けてた予備のヘルメットをすぐに見つけ、普段通りのおちょくり状態へと戻り、さっきまでの感情を返せと言わんばかり、少しムッとした。

「かけっぱなしだったんだよ。君はちくちく突いてくるな、ほんと」

「ふぅん、そうなんだぁ。さぁーて今日は何が入ってるのかな~? また覗かせていただきまーす!」

 そう言い残ししゃがみヘルメットホルダーの隣のサイドバッグに手を伸ばした。

 僕は咄嗟にそれを止めるよう先に手を伸ばした。

「ダメ―」

 そう言葉を漏らした僕。少し息が切れる程かなり今の彼女の行動に焦りを出した。彼女は状況を把握できず少し困惑とする顔を浮かべ出す。

「え…なんで?」

「いや、その…今はダメだ。最近色々と工具使ったりしてそれをまだ入れっぱなしにしてるの思い出した。君がそれで触れて怪我でもしたら危ないし」

「そかそか、君の優しさに応じるよう開けません!」

「うん、その方が助かる」

 彼女は素直に言う事を聞いてくれて僕は非常に安堵できた。

 工具は間違いなく入ってはいる。でも本来の目的とはかなり異なる………


「乗る前にこれを――――」

 上着を脱ぎ、彼女へ渡した。ワンピースという事で露出もだが、生地がまぁ薄い。だからせめてもの情けと言わんばかり。

 受け取った彼女は、服と僕の今の半袖状態を交差し始め、お人よしが出たのか僕に心配顔を向けた。

「…でもいいよ。君のでしょ? 私は大丈夫」

「さっき言ったばかりだろ。緊張感を持てって。背中にいる以上、僕は手が塞がってどうしても守れないだからそれを着て自分の身を纏ってくれ」

「うん…なら着させてもらう。ありがと」

 袖を通し始めるが僕の服では、彼女にサイズが合わないようだ。

 まるで入学時にもうワンサイズ上にしたちょっとダボっとした制服を着た新入生かのように、肩は収まるが袖からは、指先しか見えてこなかった。

 ここから一番近い、海水浴場へと走り出した。

 夜の繁華街通りを抜けるよう一直線に進む中またインカムを通じて彼女の声を聞き取った。

「なんか久しぶりな感じがするね!」

 そう活気あふれた声から始まり、いつもの明るさしかなかった。

「そうだね。ついこの前なのになぜか懐かしい気分を味わってしまう」

 彼女を乗せたのはあの時以来。それから数週間は経った。その味わったバイクに当たる風が、あの日を吹き返すように蘇らせてくる。

「か弱い病気の少女が夜中に病院を抜け出し一人の男の子にさらわれるだなんて、私、罪な女!」

「少なくとも罪は多いのは間違いないね。でもほんとに連れ出したくなってきたかも」

 らしくもない事を考えつつ初めてそれを肯定したいと感じた。彼女を連れ出す。いっその事遠く離れた国にでもなんて思う。

「でしょでしょ! だから行こうって言ったのに君があんな怖い顔するなんて、ちょっと幻滅しちゃうなぁ」

「さっきごめんって言ったでしょ。君の行動が今まで以上だったから僕なりに焦ったんだよ」

「へぇー、君もねぇそういう事考えれるとはぁ。でもナイトツーリングだなんてまさにあれしかないね!」

「…ロマン…チック?」

 わからないが彼女が思想する言葉に合わさるピースはこれだと考えた。

「そーそー当たり! 玲奈さんとお兄さんの再会見れなかった分これで巻き返せそ! それと……さっきからずっと思うんだけどさっ。車どこにもいないのよ。もうちょいスピード上げない?」

 繁華街を抜け、辺りを見てもこの時間帯だと車も音沙汰なく、動くのは信号の点滅だけだった。

「ダメに決まってるだろ。いくらいなくても法定速度っても…っ」

 咄嗟に過去を思い出し言葉が詰まった。

 僕がそれを言える立場ではないことは、二年前から存在していた。それを彼女に隠すよう言葉を濁らし、間を開けた。

「……少しだけ、だぞ」

 決してよくはないが、それでも今は目を盗むことにする。

「おぉ! やった!」

「絶対落ちないよう努力してね」

「ふふ、そのくらいわかって―――きゃあああああ!」

 彼女が僕の腰回りをぎゅっと閉めると同時に、捻り一気に加速させた。

 夜の音沙汰ない無人の街を、全速といえるスピードで駆け巡る。全ての光景が一瞬で闇へと消えてしまう。

 ほんと、僕らは悪い人間だ。補導対象な上、法律違反、そして今は掟すら危うい。

 ほんと自分が自分を裏切っているようだ。

「怖くないか?」

 ヘルメットまでも僕の背中に密着させ懇親でしがみつく彼女に一応訊いた。

「ぜーんぜん! ジェットコースターよりも、こっちの方がスリル満点! もう最高!」

「そうか……ほらもう見えてきた」

 信号は守りつつも加速させたおかげでだいぶ早めに着くこととなった。でもそれでいい。彼女は一秒でも早く眺めたのだから。

 右に映る海水浴場をアクセルとは逆の手で指し示した。

「おぉ!」

 彼女も首を上げ、そこに向かってすごく喜んだ。

 徐々に減速を始め、海水浴場横の駐輪場へとバイクを停めた。

「とうちゃーく!」

 彼女は降りた途端真っ先に海へと、走り出す。

「気を付けてね」

「その言い方だと君は来ないの?」

「まさか。行く以外ないだろ」

 僕もヘルメットを置き、彼女の影を追いかけるとともに、砂浜へ向かった。

 着くとそこには暗闇で辺り一本の街灯で全面照らされた、一面クレーターのように凹凸だらけの砂場はかなり足場が不安定だと知った。

 そしてその奥に進むと、静かな波で広がる海が見えた。彼女はサンダルを脱ぎ、海の中へと溶け込む勢いで走った。

「うわ! 冷た!」

 彼女の足がさざ波に打たれ、少し驚き、片足が上がった。

 僕は入らず、砂浜の上に一人体育座りをしりながら黒海の中に映る、月明かりが白の光を引き立てる彼女を眺めていた。そんなはしゃぐ姿に初々しく感じ、僕も嬉しいようなそしてなんだか切ないような。

「君もそこに座ってるだけじゃなくて一緒に入ろーよ!」

 彼女が笑顔で手を振り僕を海上へと招いた。
 
「うん。すぐ行く」

 靴と靴下をその場に脱ぎ捨て、波の中へと足を入れた。

 確かに足先がひんやりする。まるで水風呂だ。日中は天気もあって水温も丁度いいのだろう。

「水着持ってくれば良かったなぁ」

 地平線のような沖を見ながら言う名残惜しい顔する彼女。

 僕をも同じとこを見ながら。

「夜中に遊泳するなんて危なすぎる」

「確かにそだね。クラゲとかいるかもだし」

「うんそれに」

 彼女の横顔を見ながら言葉を発した。

「君のその恰好の方がこの場で一番似合う」

「そう、なの?」

「その服を着る君とこの広大な夜の海が合わさってこそ、君の描くロマンチックさが誕生すると思うんだ」

 月明かりの灯された暗闇で、表面の波打ちが小さく輝かしい海の上に、光輝く君のその姿が、どうもロマンチックとしか思えなくなる。そう微笑みを向けたが、彼女は片側頬を膨らませ、軽く横目で見つめてきた。

「だーかーらぁ……。急にそういうことポンポン言うの辞めてよぉ…」

「もしかして…照れてるの?」

「もー! 言わないの! 君のせいなんだから………あっ! 貝殻見っけ!」

 誤魔化すようにも見えるが本当に貝殻を見つけたようでしゃがみ込み、波の中に手を入れ真珠のように輝きを放つわずかな小さな貝殻を拾った。

 それを月に向け「うわぁ…!」なんて子供じみた声を漏らしながら、反射するよう覗いた。

 その透き通る光が彼女の服装にも負けないくらいで、両者輝いていた。

「綺麗…!」

「うん。綺麗だ」

 僕はどっちを見てそう言ったのかわからない。

「…あっ!」

 彼女が不意に手を滑らせ、貝殻を落っことしてしまった。

 僕らは咄嗟に漁り拾い返そうとしたが、既にそれは波の奥へと消えていた。まるで幻覚でも見ていたかのようだった。

「あーあ…」

 そんな深く名残惜しそうな顔をする彼女に僕も同情というのか感傷というか移ってしまった。

「ちょっと寂しいね…」

 そう声をかけると、彼女は首を振り、突如声を上げた。

「そうでもないよ! 一瞬だからこそ、より価値があるんだと思う。私は一生残る幸せも好きだけど、一瞬だけの幸せも大好きだよ!」
 
「そう、だね」

 一瞬だけしか輝けない彼女の方が人としてもより価値があるのだと思う。

 少しの間、何も言葉を交わさず、ただ海を見つめた。足元は闇に包まれるが、光が僕らを救ってくれる。

 そんな事を考えながら潮風に吹かれていると、彼女は言った。

「今日を私史上、最高の青春、一ページとして刻めます!」

「それは光栄だよ」

 彼女の思い出は、まるで遺産のようだ。後書きのように残し、先に消えてしまう。それがどれだけ辛く悲しい事だろうが、彼女が笑顔で迎えれるなら僕はそれを何より肯定し、全力を捧げて支える。僕にしかできない事なのだから。

「一旦上がろっか」

 そう彼女の言葉で、海を出ようと振り返ったその時だった。横にいる彼女が振り返る途端、スカートの裾が回転に追いつけず、そのまま足を前に出そうとして重心が崩れ、前へ倒れそうになった。

 僕がそれを咄嗟に抱え、転倒を阻止しふと感じる。彼女の身体が少し弱い。

「……気を付けて」

 そう腕を回され抱えられる彼女は僕の裾を強く摘まんで返した。

「ありがとっ…」

 その隠すような表情のまま彼女を安全な体制へと、戻した。

「あのさ…………突然変な話しちゃうけどいい?」

「……どうしたの改まって」

 彼女のその何かを隠すような表情と、共に胸のリボンに触れた。

「私ずっとシンデレラに憧れてるの」

「……俗に言う、ガラスの靴のお姫様?」

「うんっ。正確に言えばお姫様。女の子にとっては夢でもあり一度は経験してみたいものなの。でもガラスの靴なんてないし、どうするの?って話なんだけど。せめて……アレくらいはできたらいいなって」

 アレって言うのは、そのストーリーに出てくる何かなのだろう。確かシンデレラは姉兄弟に虐められ一人だけパーティーに行けず、そんなところに魔法使いの人物が現れ、魔法でドレスとガラスの靴に変身させられ、参加する…………。しかしあくまでお姫様。彼女がしたいという事は……まさか…………アレ、か。

 咄嗟に思いついた僕とちらちら見てくる彼女。僕にはまだ緊張はなかった。

「君が仮にお姫様だとして、僕は……どうなるの?」

「えっーと…。使用人? なーんて……………きゃぁ!」

 そして躊躇なく、彼女が思考する間に僕は彼女の背中に手を回し、そのままひょいと持ち上げるよう持った。まるで引っ越し業者の気分だが、その答えは。お姫様抱っこというのだろう。

 すると顎下から突如唸り声がしだし、覗くよう顎を引きながら見下ろすと、彼女の頬が腫れあがりふくれっ面となってしまった。

「え…」

 まさかこれが間違いなのかと思った。思考を回す中彼女が言った。

「もぉー! 急なのは、口だけじゃないんだね……! 心臓止まらす気? まったくー」

 どうやら間違いではなさそうで軽く安堵した。

「行くよだなんて、そんなダサい事言えない…。でも急にしたのは僕がいけなかった」

 抱えた彼女が軽く感じる。お世辞ではなく本当にそう思った。これは彼女の身体付きもあるだろうが、そうとは、思わない。この軽さは、彼女にあと少しの命の重さなのだと、そう思ってしまった。

 そんな照れ隠しできない顔する彼女を見ると、やはり世界は残酷なのかと思う。こんな子が、先に命を殺めてしまう事になるのか。運命という、誰もが逆らえないものを背負わされたのか。神という存在は彼女を見てくれないのか。

 僕が目を合わそうとして彼女に向けると丁度合う。そして自然に笑いも漏れる。

「なにやってるんだろうね私たち」

 何処かで訊いた二度目の台詞。本当だよと笑い交じりで返した。

「ベンチ座ろっか。ずっといても冷え込むだけだし」

「うん」

 そう言って彼女を降ろそうとすると彼女がそれを拒むようしがみついた。

「まだ……」

「ん…?」

「まだこのままじゃ、ダメかな?」

「…これ以上どうしろと」

「ほら下にクラゲがいるかもしれないよ? いたら怖いし危ないよ! 刺されたりなんてしたら私、痛いでしょ??」

「なら僕が刺されてもいいと」

「守るんでしょ? 君はだからあの日覚悟を見せてくれたもんね」

 返す言葉がない僕には、どうしようもなくそのまま水面を大きく足で掻くように砂浜へと、付近ベンチへと歩き始めた。砂場はいくら軽い分加重はするから足が思わず、アリジゴクにでも嵌るかのように深くめり込む。

 気を付けてなんて心配も受けながら、華奢の力を僕なりに見せつけた。まるで引っ越し業者でもなった気分だ、ほんと。

 そして転倒もせず、なんとか無事にベンチへ着き、座面へと抱える彼女をゆっくり、置くように降ろした。

「あーあ、もう終わりか。あっとゆーま」

 彼女が貧乏ゆすりをしながら、口を尖らせた。

「アトラクションじゃないんだから…。僕もずっとは疲れる」

「そーだね! ここまでありがと!」

「どういたしまして」

 その後僕は彼女の分のサンダルもまとめて取りに帰り二度手間を経験した。そして彼女の隣に座り、他愛もない会話をし始めた。

「でもさー。しばらく入院したせいで花火大会も行けなかったね。私他にも夏のイベントもっとしたかったー」

 風に吹かすよう言った。元々彼女が再入院する予定がなかったら僕らは県内最大の花火大会に出かける予定だった。彼女がこの前夏祭りを台無しになったせいでやり直しを僕としたかったみたい。僕もだがそれを楽しみに待ち望んでいた。

 そしてもうそれも終わって何日たち、八月も終盤を迎える。祭りなんてどこもかしこも全て終わってしまい日中も蝉の鳴き声も薄々減ってきている。

「それは僕も残念だと思うよ。ちょっと、手洗い行ってきていい?」

「漏れそうなの?」

「一々水を差さないでくれる? すぐ戻るから」

 立ち上がり彼女の後ろを周って、そのままトイレにある方に進んだ。そして着いたと思いきや、そこを過ぎ、ましてや海浜公園の入り口すら通り抜けた。どこに向かうかというと駐輪場だ。

 サイドバックを開け、中に入れたある物を取り出した。

 それをシャツに入れ込み、隠し持つよう戻った。

 目の前に見える彼女は呑気に鼻歌を奏でながら首を上げ月を見ながら待っていた。その姿がまた斬新さを覚える。すると僕の足音に気づいたか、突如鼻歌を辞め、首だけ後に向けた。

「あっ、やっと来た! おかえり!」

 そんなただ用を求め一旦席を外しただけなのに、彼女はこうして笑顔で迎えてくれる。最近彼女の笑顔に目を奪われそうになる余りだ。

 少し心が温まった。

 再び座ると彼女はすぐに僕の異変に気付いた。首を近づけ何か隠してる? なんて聞いてきてなんだと思うと言い返す。するとますます彼女は興味をむき出し、僕はそれを取り出した。

「おぉー。花火だぁ……………っえ! 花火!」

 お手本とも言える見事な二度見を。彼女のよくある大袈裟なリアクションに初めて気持ちが浄化されたような気がする。

 彼女はいつも以上で、僕とその花火が入った一面の袋を首で往復するよう何度も見返した。

「えー! どこから持ってきた? まさか今買ってきた?」

 そんな言葉が度々投げてくる。

「まさか、さっきは危うく君のせいでネタバレしそうになってほんと焦ったよ。まぁ…僕なりのサプライズ的なやつ。たまには僕がこういうことするのもいいと思って」

 受け取った彼女はそれをまるでぬいぐるみかのように胸へと押し込むようギュッと抱きしめ、嬉しそうに口角を上げた。

「嬉しいありがとう」

 なんて心が籠った優しい声色で言われ、僕の胸がまた温かみを感じてしまう。持ってきて正解だと思った。元々買っていつかできるかと低いが期待を込め入れておいたのだ。僕なりの彼女に思考を回した。

 僕らは早速するためまずは必要なバケツがないか、そこらを探し回った。そんな都合よく見つからないと考える者の彼女の一声で変えた。

「あったよ!」

 彼女が廃棄場所に放置されたのを拾った。アルミ製の少し凹みがるが使えそうな代物だった。

 僕はバケツに水を汲みに行きその間彼女には花火セットを開封するようお願いした。そして汲んだ重いバケツを肩を落としながら運んでいると近くにあった看板に目が入り途端足を止めた。

「どうしたの?」

 彼女が聞いてくると僕は何も言わず、その看板を指した。

「あ…」

 同時に声が漏れた。その看板には、【夜間に通常の燃焼音以外の音を発する花火はしてはならない】と書かれてあった。そう辿る手元にある花火は、かなり限られるであろう。ねずみ花火、ましてや打ち上げ花火までと豪勢に積み込まれているのだから。

 その中で唯一見つけた花火。

「今日は、線香花火だけにしとこっか…」

「そだね…」

 普段なんでもワガママな彼女でもここは意見を飲み込んでくれるようだ。僕は線香花火だけを取り出し、他のねずみ花火などは奥へとしまい込んだ。

「付けるよ―――」 

 ポケットに入れてたミニライターを取り出し、彼女が僕に構える線香花火へと、着火。

 灯るとすぐに、たっぷりと膨らんだ火の玉はそのまま無数の光の線を飛ばし始めた。こんなにも文化や明るい光景が見えるのは初めてだった。

 彼女はそれにとても喜び、持ったままその場でくるりと回り始めた。

「ちょっ、危ない」

 振り回す花火から、火の粉が飛んでくる。

「見て綺麗ー!」

 彼女は言葉も聞かず今度は軽やかに回し、それが僕には新体操で見るリボンのように炎の円を描いた。

「うん…綺麗だ」

 僕も焦る表情をそれを見て控えるようになり、その線香花火とそれに喜ぶ彼女に見つめることにした。

 しかし、その花火も永遠には灯れず、徐々に薄れそのまま地へと火の玉が落ちた。彼女がその地に落ちた燃え尽きる球に向かって言った。

「なんだか…線香花火って私の一生みたいだよね」

 まだ赤く、まるで灯に対し悔いが残っているようにも感じた。きっと彼女も似たこと思想し言ったのだろう。

 しかしそれに返す言葉が上手く見つからない。励ましとか、慰めという安直に過ぎず。ちょっと卑怯になるが、軽く俯いた。

「もちろんいい意味で言ってるの! 私が葉や花のように笑顔で生きている時がさっきのように一番輝いていた時! でもそれは花火も一緒。一瞬でしか灯されない。その火を灯してくれたのが、数ある入る君なんだよ―」

 彼女はいつも想像を覆す逆のような事を言ってくる。彼女を初めて笑顔を自分を守るためにしていると思った。それは僕の勝手な解釈だった。彼女は言った。私のような人が増えない世の中になるためにも私が笑顔の花を咲かせると。

 こんな僕が君に火を与えたというのか。彼女のその穏やかな表情は、嘘を表していなかった。

「そう、か。一瞬だからより特別に感じ、むしろいいのかもしれないね」

「そーそー! 君も少しはわかっているじゃない! でもせっかくだしまた勝負しない? 賭けは無しで、どっちが長持ちするか対決!」

 勿論相槌を打ち僕も線香花火を手に取る。彼女の合図で、両方着火させた。僕は花火の理論状斜めに持つと長く火を保つ事を知っており、僕の花火の方が彼女より長く灯った。

 彼女と時間を忘れる程、夢中になって一本一本少ない花火を何回も灯していった。

 その時間はあまりにも僕にはもったいないほど長くも感じ、淡くは気づいたら、最後の一本となっていった。

 時の流れに逆らえない当たり前の事実にちょっと名残惜しくなった僕は、その花火を彼女へ。

「最後は君で終わろう」

 すると彼女が一瞬目を開くほど驚き、しかし全力で首を横に振った。

「ダメダメ! それじゃ気持ちよく終われないじゃない! 最後は二人で持つー!」

「…そう、だな」

 彼女の心優しい言動に遂動揺してしまった。隣り合わせでその場でしゃがみピタと肩を密着させながら二人で細い一本を指先で摘まむように持った。

 初めてでもないのに僕の心臓はやけにうるさくなり始め、彼女に聞こえていないか心配になる。そして手が震えたままだが、彼女の好奇心に満ちた目を見て、最後を着火させた。

 この花火が灯る一瞬の時間を何よりも大事にしたいと僕は彼女と線香花火に全力で視線を集中させた。時には火の粉が跳ね、驚き、そしてまた笑みが生まれた。その花火は何ぴたりとも離さず離したくなかった。

 僕はそれが何本も灯した中でも一番長く続いたような気がした。

 全ての線香花火が枯れ、持ってきたビニール袋に入れ片づけた。そして再びベンチへと戻る。

「すっかり遅くなっちゃったね」

 既に海浜公園の時計台の針は、三の文字を上回るほどだった。もうすぐ夜明けだ。

 正直眠気も来ているがそれよりも彼女は大丈夫なのかと思った。こんな夜中に病人であるのに、ここまでずっとはしゃいで睡眠を削って。

 でも彼女の様子からはそんな雰囲気すら感じなかった。

「大分早かったね。ここに来であっという間だった」

 彼女と過ごしてきて、今この時間が一番早く過ぎた僕はそれに同感を示した。

「うん………」

 そうトーンを落とし返す彼女にどうした言わんばかり、首をゆっくり向けた。

 すると彼女も僕を見つめていて、それに驚く間にも置いた右手に圧のようなのがかかり始めた。

 彼女が僕の手に置いた。いやそれはちょっと違う、握るよう置いた。

「ど、どうしたの…?」

 彼女はこの灯りでもわかるほど潤った唇を少しゆがめ、眼を泳がせた。

「私。まだお姫様じゃダメかな?」

 優しい声元、でも瞳の奥だけは情熱で本気のような眼差しを向けていた。

 まさかと思った。一度見たことあるその瞳には前とは少し上回るような気もした。

「それならまた僕は使用…………」

「違う――――――」

 彼女が全力で声を上げ、僕の言動を奪った。

 すると握られる手が更に強くなり、より熱く、僕の腕に蔦るよう感じた。

「違う。違うよ? 君は使用人なんかじゃない。自由を与えてくれる魔法使いでもない…………私だけの、王子様」

「……」

「何か言ってよ。ものすごく恥ずかしいじゃん……」

「…君がそんな発言したのにびっくりしたんだよ。第一僕にそんな器があるようには」

「ちゃんとあるよ。適当なわけない。本気だもん、真剣だもん。君が私を助けてくれたあの日から君は王子様的な素質があるんだと思った。あの一人で取った行動は、私の中にはそうとしか思えない」

「だとしても僕が君にやれることは、もう」

 彼女が逆手を胸に添えながらシャツを掴んだ。

「キスしたいの。死ぬまでに一度君としたい」

 その瞬間僕は何も言葉が出なかった。頭がまっ白となり。

 声帯を奪われ声が枯れたかのように喉から全く出てこず反応すらできない。

「………それをすると君は消えない?」

 彼女は紅潮を見せながらも、小さく横に振った。

「私、もう君といられないから」

「どうして」

「痛いの……………………」

「最近ものすごく痛むの。今もずっと、息するだけで苦しい」

 綺麗な布生地のワンピースをしわを造るほど胸元で掴みまるで僕に訴えるかのように言った。

「……それはちゃんとあの人も」

 彼女が黙ったまま、唇を強く結び、首を横へと振った。

「………なんで」

「私しか、まだ知らないから。定期的に受ける検査も…ずっと異常が見つかないの。変だよね、体はもう痛くて苦しいの感じるのにそれが中身だけで留まるって。目に見える物として現れないなんて」

「人間ってやっぱ………未知な生き物なんだね。自分にしか気づかない事だってたくさんあるんだね」

 その言葉を聞いて僕は悲しかった。僕だっていつも彼女を見てきた。自信を持てるほど、君を見てきた。でもそこまでひどくなっているなんて知らなかった。ましてやそれを直す医者にさえ見えていないものが、彼女を侵略している。身を滅ぼしている。誰にも止めることができないのが、彼女の見て伝わる。それが悔しい。君を助けて挙げれないことが何より一番悔しい。

「三日後にまた検査がある。退院も遅れる程だし年の為今度は『PET』ってので撮るって今日言われた。いつもより精密な機械で撮るみたいだから等々発覚するかも。だからもう君に会えない。きっと隔離部屋に入ることになるから。だから今までありがとう」

 彼女が、僕の腕を離し、胴へと腕を伸ばした。僕は受け入れた。その体温を僕にはどうも冷たくも感じる。そして、なんだか彼女の手が震えている。僕はそれを必死に、必死に温めた。

 届かないとわかっていても何も言わず、僕も彼女の胴へと手を回し、そのままその小さな頭も全て、彼女を僕の胸へと入れた。

 離れてほしくなかった。遠くへ言って欲しくなかった。君のやりたいことや、やれることをもうできないと感じ、これで少しは良くなってほしい、なんとバカな発想もだが、それでも僕は本気で体温を与え続けた。何度も。何度も。頭に血が上るくらい僕は。君に体温を全て譲渡したい。

 例え消えてしまっても、君にだけには、あげたい。

 言葉を交わすことないまま。彼女はその想いと共に、一つ残さず受け取ってくれた。

 君にだけ、あげたかった。