日が沈みきった。
 月は欠け、普段とは異なる夜だった。服の上に一枚羽織りたいくらいには肌寒いが、昼間は雲一つなかったため、空一面に星々が煌めいている。これ以上ない星月夜だった。
 すると今まで黙っていた凛が、口を開いた。
「あれが夏の大三角形なのかな」
 西の空を指差して言う。
「夏の大三角形って、夏にしか見えないんじゃないの?」
「でもさ、ほら。見てみろよ」
「どれのこと?」
 ほらと指を差されてても、その先には幾つもの星が輝いていて、どれのことを言っているのか分からない。
「あそこと、あそこと、あそこ。ほら、夏の大三角形」
 指で空に描いて説明したが伝わらない。三角形は彼の頭の中だけに形成されていた。
「星なんてどれも一緒だよ。夏の大三角形なんてこじつけだと思うな」
「そんなこと言ったら星座全部こじつけになるぞ」
「そうだよ。星座なんて全部こじつけだよ」
「夢ねぇな」と、小さく笑う。
 そして凛は一度、ベンチに座りなおした。咳払いをし、背筋を伸ばして、制服の皴を整えた。これから何かをしようというのが分かる。
「……なぁ、ひまり。話があるんだ」
 わざわざ顔を向けて言ったからには、言うべきことがあるのだろう。その表情はいつになく真剣で、心なしか身体が少し震えているように見えた。
 凛が何を考えているか、ひまりにはよく分かった。
 ひまりも、同じことを考えていたから、
「俺と――」
「――ねぇ、凛」
 だからこそ、彼よりも大きな声でその先の言葉を遮った。もし聞いてしまったら、もう二度と戻ることが出来ないと思ったから。
「凛、本当に聞いて欲しい話があるの」
 凛は驚いた表情を見せた後、すぐに真剣な表情へと変えた。
 それは同じ告白だ。
 しかし罪の。
「今から話すことは全て本当の話。私は凛に絶対に嘘をつかない。嘘も誇張もなしに、ありのままの体験を話す。……聞いてくれる?」
「……それくらい大事な事なんだろ?」
 うん、と頷いた。
 どうして彼に言おうと思ったのだろう。それはきっと、彼だからだ。
 生まれ変わってもう十六年が経過しようとしているが、今まで誰にも言ってこなかった。勿論、家族にも。一人の時だって、一言たりとも口に出したことは無い。
 ずっと、抱え込んできた。
 でももう、いいんじゃないか。そう思った。
 だってひまりにはこんなに素敵な人がいるから。これから話すことを受け止めてくれるか分からないけれど、これ以上ないほど惹かれてしまった。
 彼にはひまりという人物を知っていて欲しい。
 彼だから、知っていて欲しい。
 本当の私を。
「私ね、人を殺したことがあるの――」

      *

 そんな衝撃的な話の始まりにも、口を挟むことなく聞いてくれた。
 自分が「秋村翔太」だということ。親父はどうしようもないクズだったこと。そのクズを殺めてしまったこと。引きこもっていたのは人殺しによる罪悪感からだということ、それを言い訳にして、自分は何も出来ない人間だと思い込んでいたこと。
 他、その全てを伝えた。全部、余すことなく。
「……そ、そのうえで、さっきの言葉の続き、言える?」
 自分でも驚くほど、その言葉を言うのが躊躇われた。それはきっと凛に嫌われたくないという心の表れなのだろう。
 そして凛がすぐに言葉を紡がなかったから、つまり拒否されたのだと、ひまりは諦めたように微笑んだ。しかし、
「……それでも。俺は、凛が好きなんだ。だからさ、俺と、俺と付き合ってください!」
 頭を下げて、手を差し出しながら言った。
 想定外だった。あまりにも流れるように言うものだから、ひまりの頬は紅潮していく。自分でも分かるくらいに頬が熱い。そんな真っ赤になった頬を、夜の闇が隠した。
 顔を下に向けている凛も、顔を真っ赤にしているのだろうか。
「付き合う……こんな人殺しの私と? 一人じゃ何もできない私と? 家から出られない私と?」
「そうだ。俺はひまりと付き合いたい」
「どうして?」
「好きだから」
「……何で好きなの?」
「そりゃ、惹かれたから」
「なんで惹かれたの?」
「……ひまりはもしかして、付き合いたくないの?」
 しばらく黙った。
 遠くの方で鳥が鳴いた。公園の後ろの道を、原付が通り過ぎる。
「…………付き合いたい」俯いて、小さく呟いた。「ずるい」と小さく付け加える。意地悪、とも。
 すると身体を、文化祭の時に感じた温もりが包み込んだ。ひまりもゆっくりと、凛の背中へと手を回す。そのままじっと動かない。
「……俺たち、カップル成立だな」
「普通のカップルは、絶対にそんな事言わない」
 顔を見て、笑いあった。
「あーあ。折角のロマンチックな雰囲気が、凛のせいで台無し」
「別にいいじゃん。これから先があるんだし。そういうのはこれから作ってけばいいんだよ」
「まぁそうだね」
 抱擁を解く。
 そして再びベンチに、並ぶように座る。
 どちらからでもなく、互いから手を握ろうとした。視線は空に向けたまま、しばらく指でじゃれあった後、ゆっくりと手を繋いだ。
「これからゆっくりと時間をかけて、二人で過ごしていけばいいんだよ」
 確かにそうだと、心の中で頷く。
 凛の瞳は、未来を見据えていた。
 真似するようにひまりも、凛との未来を描いてみる。幸せな未来。
「……なんか、いいね」
 彼にはきっと、この言葉の意図は伝わっていない。
 けれど夜空を見たまま、幸せそうに笑うのだから、凛との未来はきっといいものになると思えた。
 あぁ、そうだ。きっといいものになるに違いない。
 ひまりはその手を、ぎゅっと握りしめた。
 彼もまた、ひまりの手をぎゅっと握り返した。