フライパンとコンロが擦れる音が絶え間なく聞こえる。キッチンでは人が忙しなく行きかっており、昼食時の賑わいを示している。
ひまりがオーダーの入った料理を取りに向かうと、また新しいオーダーが入り、フロアへと行かなければならなくなる。
白のブラウスに身を包み、黒のパンツとスカートを重ね着たひまりは、呼ばれた席の方へと向かった。
「ご注文はお決まりでしょうか」
カップルらしき二人組は、メニューを開いて「これを二つ」と指を差しながら言った。そこにはクリームがふんだんに乗せられたパンケーキの写真が載っていた。
「承知いたしました。ご注文は以上でしょうか」
「あ、あとイチゴパフェもください」
「かしこまりました。以上でよろしいでしょうか」
カップルは声を揃えて「はい」と言った。それから注文を繰り返して、間違いがないかを確認してからキッチンへと戻る。
高校に入学して五か月が経とうとしていた。
眩い空、油蝉の合唱。涼しい店内の壁一枚向こうは、身体の水分を奪いつくす暑さに覆われていた。残暑が厳しい季節、夏休みは決して自堕落な生活を送っていなかった。
ひまりは人と関わることにある程度の耐性がつき、日常的な接触ではもう拒絶反応は起きなくなっていた。日常生活は人並みに送れているといってもいい。それでもいつ再発するかは分からないので、数か月前、リハビリを兼ねてカフェでアルバイトを始めた。
そのとき、内山さんはお金持ちであるため無理してお金を稼ごうとしなくていいよ、と言ってくれた。しかし自分はお金のためでなく、変わるためにやるのだと言うと喜んで許してくれた。小さなころからひまりを見てきた内山さんは、「大きくなったなぁ」と感慨深げに言った。
そうして許してもらったアルバイト先のカフェは、拒絶反応を起こしている暇がないくらいに忙しかった。本当は少し息苦しさを感じることもあったが、職場の温かさもあって、人に触れることによる拒絶反応を少しずつ克服していっている実感があった。
高校に入学してひまりは、ようやく学生らしいことができた。
本当に、両親と灯花には感謝しなければならないと思った。
店が混雑するのは昼食時だ。そこさえ乗り越えてしまえば、キッチンは二人でも回るしフロアも二人で回せる。
ここは田舎にある小さなカフェで、各段有名というわけではないがそれなりに繁盛していた。その客の大半は地元の人だ。こんなアクセスの悪い県北の地に来ようという人は少ないが、全くいないという訳ではない。通向けのカフェといったところだろう。
ひまりは休憩室でコーヒーを頂いて休んでいた。同室には誰もおらず、一人取り残されたような気分になる。
その時、扉が開いた。
「なんだ、ひまりも休憩だったのか」
「あ、うん。凛も休憩?」
「まぁね。ひまりも夜までシフト入れたのか?」
「夏休みは暇だからね。凛こそ、そんなシフト入れて大丈夫なの?」
「部活は辞めたんだ。集団スポーツは性に合わなくて。やっぱ野球はやるもんじゃないな」
「大変だね」
「いや、別に。今こうして楽しく高校生活を送れるからいいんだよ」
「友達少ないのに?」
「ひまりだってそうだろ。俺くらいしか友達いないくせに」
こうして冗談を言い合えるほどには、ひまりは普通の人間らしく生活していた。
凛と呼ばれた人物は、ひまりは不登校を引退した日、生徒指導室で出会った彼だった。あれから一度たりとも話したことも無かったのだが、応募したアルバイト先に後から彼が来たのだ。
中学生時代の彼は、いわゆる不良と呼ばれるような恰好をしており、素行も悪く、ひまりが知らなかっただけで悪い方で有名だったらしい。彼は頭がよかった。しかし進学校に入学できる学力を持ちながら、その素行の悪さで不合格になった。
その結果、ひまりと同じ高校に入学した。そして反省し、彼は真面目な生徒に見える格好をした。加えて真面目に授業を受けるようになったのだが、一度不良としてラベリングされた凛は、誰からも近寄られることがなかった。
それはひまりも同じで、一度不登校とラベリングをされたら二度と剥がれることは無かった。知らない間に勝手にありもしない噂を流されていた。
その常識は、田舎だからこそ深く浸透していた。
ひまりは中学校では上手く馴染めず、高校に入学しても面子があまり変わらないため、その印象のままだった。そうして学校という社会からは少し外れて生活していた。
きっと、はみ出し者同士気が合ったのだろう。ひまりと凛は、アルバイト先で出会ってから急速に仲良くなっていった。
「そういや、もうすぐ学校始まるな。宿題終わったか?」
凛がスマホを眺めながら訊いた。
「やめてよ。学校のことを思い出しちゃうじゃん」笑って言う。
「ちなみに俺は終わってない」
「……私も」
「なら一緒だな」
取るに足らない会話ばかりが続いた。
しかしそれこそが、いつものひまりたちの姿だった。
ひまりがオーダーの入った料理を取りに向かうと、また新しいオーダーが入り、フロアへと行かなければならなくなる。
白のブラウスに身を包み、黒のパンツとスカートを重ね着たひまりは、呼ばれた席の方へと向かった。
「ご注文はお決まりでしょうか」
カップルらしき二人組は、メニューを開いて「これを二つ」と指を差しながら言った。そこにはクリームがふんだんに乗せられたパンケーキの写真が載っていた。
「承知いたしました。ご注文は以上でしょうか」
「あ、あとイチゴパフェもください」
「かしこまりました。以上でよろしいでしょうか」
カップルは声を揃えて「はい」と言った。それから注文を繰り返して、間違いがないかを確認してからキッチンへと戻る。
高校に入学して五か月が経とうとしていた。
眩い空、油蝉の合唱。涼しい店内の壁一枚向こうは、身体の水分を奪いつくす暑さに覆われていた。残暑が厳しい季節、夏休みは決して自堕落な生活を送っていなかった。
ひまりは人と関わることにある程度の耐性がつき、日常的な接触ではもう拒絶反応は起きなくなっていた。日常生活は人並みに送れているといってもいい。それでもいつ再発するかは分からないので、数か月前、リハビリを兼ねてカフェでアルバイトを始めた。
そのとき、内山さんはお金持ちであるため無理してお金を稼ごうとしなくていいよ、と言ってくれた。しかし自分はお金のためでなく、変わるためにやるのだと言うと喜んで許してくれた。小さなころからひまりを見てきた内山さんは、「大きくなったなぁ」と感慨深げに言った。
そうして許してもらったアルバイト先のカフェは、拒絶反応を起こしている暇がないくらいに忙しかった。本当は少し息苦しさを感じることもあったが、職場の温かさもあって、人に触れることによる拒絶反応を少しずつ克服していっている実感があった。
高校に入学してひまりは、ようやく学生らしいことができた。
本当に、両親と灯花には感謝しなければならないと思った。
店が混雑するのは昼食時だ。そこさえ乗り越えてしまえば、キッチンは二人でも回るしフロアも二人で回せる。
ここは田舎にある小さなカフェで、各段有名というわけではないがそれなりに繁盛していた。その客の大半は地元の人だ。こんなアクセスの悪い県北の地に来ようという人は少ないが、全くいないという訳ではない。通向けのカフェといったところだろう。
ひまりは休憩室でコーヒーを頂いて休んでいた。同室には誰もおらず、一人取り残されたような気分になる。
その時、扉が開いた。
「なんだ、ひまりも休憩だったのか」
「あ、うん。凛も休憩?」
「まぁね。ひまりも夜までシフト入れたのか?」
「夏休みは暇だからね。凛こそ、そんなシフト入れて大丈夫なの?」
「部活は辞めたんだ。集団スポーツは性に合わなくて。やっぱ野球はやるもんじゃないな」
「大変だね」
「いや、別に。今こうして楽しく高校生活を送れるからいいんだよ」
「友達少ないのに?」
「ひまりだってそうだろ。俺くらいしか友達いないくせに」
こうして冗談を言い合えるほどには、ひまりは普通の人間らしく生活していた。
凛と呼ばれた人物は、ひまりは不登校を引退した日、生徒指導室で出会った彼だった。あれから一度たりとも話したことも無かったのだが、応募したアルバイト先に後から彼が来たのだ。
中学生時代の彼は、いわゆる不良と呼ばれるような恰好をしており、素行も悪く、ひまりが知らなかっただけで悪い方で有名だったらしい。彼は頭がよかった。しかし進学校に入学できる学力を持ちながら、その素行の悪さで不合格になった。
その結果、ひまりと同じ高校に入学した。そして反省し、彼は真面目な生徒に見える格好をした。加えて真面目に授業を受けるようになったのだが、一度不良としてラベリングされた凛は、誰からも近寄られることがなかった。
それはひまりも同じで、一度不登校とラベリングをされたら二度と剥がれることは無かった。知らない間に勝手にありもしない噂を流されていた。
その常識は、田舎だからこそ深く浸透していた。
ひまりは中学校では上手く馴染めず、高校に入学しても面子があまり変わらないため、その印象のままだった。そうして学校という社会からは少し外れて生活していた。
きっと、はみ出し者同士気が合ったのだろう。ひまりと凛は、アルバイト先で出会ってから急速に仲良くなっていった。
「そういや、もうすぐ学校始まるな。宿題終わったか?」
凛がスマホを眺めながら訊いた。
「やめてよ。学校のことを思い出しちゃうじゃん」笑って言う。
「ちなみに俺は終わってない」
「……私も」
「なら一緒だな」
取るに足らない会話ばかりが続いた。
しかしそれこそが、いつものひまりたちの姿だった。