夕餉も済み、夜の帳も降りた頃。夕花姫は狸寝入りをして暁が下がるのを待っていたところで、簾越しに「姫君」という声を聞く。
簾越しに浜風が部屋を抜け出てきたのを確認して、夕花姫はほっと息を吐いた。
「浜風……暁はもう下がったわ」
「うん、そのようだね。それじゃあ姫君、探しに行こうか」
「……ええ」
なるべく衣擦れの音が出ぬようにと、袿を脱ぎ、袴と白衣の姿で出てくると、浜風は当然ながら苦笑した。狩衣は音が出なくても、擦っていては暁以外の侍にも気付かれるおそれがあるのだから、仕方がない。
ふたりでそろそろと蔵へと向かう。普段夕花姫は蔵の入り口付近にある楽器以外に触れたことがなく、この奥に羽衣があると言われても、やはり未だに信じられない。
「そういえば、うちの女房たち。どうしてこの蔵に羽衣があるなんてこと知っていたのかしら……?」
「あの国司も人がいい顔をしながら嘘つきなようだからね。案外皆で姫君を騙していたのかもしれないよ?」
「……そう、なのかしら」
「姫君がなにも知らないほうが、幸せな人が多かったのかもしれないね」
浜風にそう指摘され、チクリと胸が痛むのを感じていた。
たしかに夕花姫は脱走癖があり、拾いもの癖がある、我ながら変わり者の気質だとは思っていたが、周りからは慕われているものだとばかり勘違いしていた。たしかに女房たちは口さがないものも多いが、それは自分が変わり者のせいだろうと納得していた。
まさか皆でよってたかって嘘で嘘を塗り固められて、それで夕花姫がなにも知らないようにしているなんて、思ってもみなかったのだ。
父の国司どころか、幼い頃からずっと一緒にいたはずの暁にまで、嘘をつかれ続けているなんて信じたくはなかったが。どうして自分の住んでいる屋敷のことまで自分は知らなかったのか。
暗くなっても仕方ないとばかりに、夕花姫は蔵の戸に手をかけた。いつものように開く。既に外は暗く、油の入った器に火を点して隠し戸を探しはじめる。
琴や琵琶、大陸からの贈り物、都からの調度品……それらの棚を眺めている中、ひとつだけなにも置かれていない棚があることに気が付いた。
「ここだけ、なにもないわね……」
「侍たちが掃除を任されている場所があると、女房たちも言っていたしね。どこからどう見てもここが怪しいけれど……」
浜風は棚を一段一段触れはじめる。棚もひとつだけ妙に古いし、それでいて埃が積もっていない。使用人たちが掃除するにしても、ここだけなにも置いてないのもおかしいだろう。やがて浜風が三段目の棚に触れたとき。
棚がガタリ、と音を立ててふたつに割れた。
「わ、割れ……!」
「いや姫君。これは割れたんじゃない。これは隠し戸だったんだ」
「え……?」
「暗くて見えにくいけれど、この棚自体が、壁にめり込んでいる」
たしかにこの棚だけ壁にめり込み、ふたつに割れた途端に中から空洞が見えてきた。明かりを照らしてみると、蔵の中に調度品以上に綺麗に物が並んでいるのがわかる。
「私、蔵がこうなっているなんて全然気付かなかったわ」
「前にご老人も言っていたね。昔はこの国も海賊が多かったし、民同士で争いがあったと。万が一屋敷に火を付けられても大事なものが燃えないように、隠し戸をつくって大事なものを隠していたのかもしれないよ」
「なるほど……大事なものばかりがあるから、使用人じゃなく侍しかここの管理を任されていなかったのね」
使用人たちは基本的に位がないのに比べ、侍はそもそも貴族からの信頼がなければ傍仕えを任されることはない。国司からの信頼に足る人物以外は、ここの管理をさせていなかったというのが、そもそもの問題なのだ。
ふたりは中に足を踏み入れ、調度品のひとつひとつを調べる。
なにかの帳簿、日記。これらはこの国を治めるために、都に送った書類の写しだろうと察する中、ひとつ紙束でもなければ価値があるのかさえわからないものがあることに気が付いた。
その重箱はひどく軽く、なにも入ってないようにも感じるが。箱を振ってみれば、たしかにカサカサと音がするのだ。
「これって……」
「姫君、中を開けられるかい?」
「ちょっと待ってね」
箱には細工が施されていて、開けるには困難を極めそうに思えたが。何故か夕花姫が触れた途端に、その重箱の蓋は取れて簡単に開いた。
その中身を見て、夕花姫と浜風は言葉を失った。
中に入っていたのは、わずかな明かりでもわかるほどにひどく薄くて軽い布であった。触ってみると絹の手触りにも思えるほどに滑らかだが、それよりはもっと薄くて軽い。
夕花姫は夢に出てきた天女の羽衣を思い浮かべた。多分これが問題の羽衣なのだろう。これがこの国に富をもたらししけや嵐を鎮めていたなんて、いまいちピンと来ないが。
「これが……羽衣。天女の羽衣は、本当に……」
浜風は震える手で、天女の羽衣に触れると、腹から笑いはじめた。
「ふふふふふふ…………はっはっはっはっはっはっはっは……! 遂に……遂に羽衣を、この手に……!!」
「は、浜風?」
普段の物腰柔らかな彼はどこに行ったのだろうと、夕花姫は彼の豹変の仕方に途方に暮れるが、浜風の高笑いは止まらない。
「これで、見返してやれる! 私を陥れた奴らも、都の連中も、なにもかも……!」
「あのう……浜風……?」
「あははははははは…………!!」
まるで狂ったかのように笑いはじめる彼を、夕花姫は困った顔で眺めていた。
暁は何度も何度も口酸っぱく言っていた。浜風は口から生まれたような男だから、あの男の言うことを信用するなと。でも浜風は浜風で、夕花姫は騙されていると言っていた。たしかに今まで周りが黙っていたことがどれだけ多いかということは、彼と交流してから嫌というほど思い知った。
でも。この場合はどっちの言い分を聞くのが正解なんだろうか。どっちが嘘つきで、どっちが本当のことを言っていたのかもう、今の夕花姫にはわからなかった。
と、そのときだった。
「……姫様、お下がりください」
「え……?」
夕花姫は急に背後から腕を取られたかと思ったら、そのまま暁の腕の中に引き寄せられていた。夕花姫は驚いて目を見張る。
「暁……? あなたいったい今まで……」
「……とうとう正体を現したか。下郎が」
暁は唸る声を上げて、浜風を睨んだ。浜風は恍惚な表情を浮かべて、羽衣に頬擦りをしている。
「なんだ、このまま嫉妬に駆られて我を忘れてくれていたら、こちらも楽だったのに。そうはいかないようだね」
「……俺のことをいくら馬鹿にしてもかまわない。だが、姫様のことを悪く言うことだけは許さん」
そう言うと、暁は夕花姫をそっと隠し戸の外へと押しやった。
「あ、あの……暁?」
「姫様、危ないですので、どうか中に入っては来ないでください」
「ちょっと待って、ちょっと待ってったら……!!」
浜風の抱きしめていた羽衣が飛び、それは夕花姫の手元にやってきた。
暁はすらりと佩いた刀を抜くと、そのまま浜風に斬りかかっていたのだ。だが、浜風は蔵の中にあった刀に手を伸ばすと、暁のその刃を受け止める。
ガンッガンッガンッガンッ。
刀と刀のぶつかり合いは激しく、下手をしたらどちらかの刀が折れそうな音が響き渡る。武官である暁はともかく、浜風も刀の腕に覚えがあったことには驚いたが、ただの風流なだけでは都で貴族は務まるものではないのだろう。
その光景に、夕花姫はますますもって混乱していた。
暁はいったい、いつから浜風のことを疑っていたのだろう。浜風はいったい、いつから自分を利用しようとしていたのだろう。わからない。わからないが。
このままいったら、ふたりのどちらかが斬られてしまうのではないだろうか。どちらを信じればいいのか、どちらの言葉が正しいのか、もう夕花姫にはわからなくなってしまっていたが。
ふたりが仲良くなれないのなら、それでもう構わない。ただ、ふたりに殺し合って欲しいなんてそんなこと、誰も望んではいない。
全ての元凶は、夕花姫が貴族を拾ってきて浜風と名付けたことが原因ならば、一番悪いのは夕花姫本人なのだから。
「お願い……! 私が全部悪いんだから! 全部私のせいなんだから、ふたりが殺し合うのだけは、やめて……!!」
暁に止められたのも無視して、隠し戸の向こうへと割って入った。途端に、暁の刀が夕花姫の袖を裂く。彼女の腕に刃が食い込み、血が滲む。
「……姫様……!!」
「姫君……!!」
暁は目を大きく見開いて、夕花姫を見る。
斬られた場所は、かまどの前に立っているよりも焼けるように熱く、血を流しながらも鋭い痛みを与え続ける。すぐに傷が治ってしまう体質とはいえども、さすがに肩を袈裟懸けに斬られたのでは、そう簡単に塞がることもないらしい。
今にも泣きそうな顔をする暁は、血塗れのまま無理矢理刀を鞘に収めて、夕花姫を抱き締めた。血が止まるようにと腕を押さえ込む。
「……どうしてあなたは、そんなに無茶ばかりするんだ……!!」
「へーきよ、暁。私、いつもすぐに傷が治るじゃない……痛い……」
「さすがにあなたでもこの傷がすぐに治る訳がないでしょう!? それに、あなたは……」
いつもいつも、無愛想で口が悪い暁が、ここまで激高するのを初めて見たような気がする……そう夕花姫は思ったが、すぐにいや、と訂正する。
この黒目がちな目が、今にも溶けそうなほどに涙を溢していたのを、夕花姫はたしかにはっきりと見たことがあった。
そしてこの傷。天女もまた、羽衣を奪われた際に、これほどジンジンと熱と痛みに苛まれていたのを思い出した。
これは傷を負ったせいだろうか。それとも羽衣を奪われたせいだろうか。
どうしてこの屋敷の人間が、よってたかって夕花姫に羽衣伝説を語らなかったのか。どうして国内だと常識だとされている羽衣伝説を夕花姫はほとんど知らなかったのか。どうして国司に連れて行かれた天女が行方不明になったのか。どうして老婆は夕花姫を「天女様」と呼んだのか。
簡単な話だったのだ。
夕花姫こそが、記憶を失っていた天女だったのだから。
簾越しに浜風が部屋を抜け出てきたのを確認して、夕花姫はほっと息を吐いた。
「浜風……暁はもう下がったわ」
「うん、そのようだね。それじゃあ姫君、探しに行こうか」
「……ええ」
なるべく衣擦れの音が出ぬようにと、袿を脱ぎ、袴と白衣の姿で出てくると、浜風は当然ながら苦笑した。狩衣は音が出なくても、擦っていては暁以外の侍にも気付かれるおそれがあるのだから、仕方がない。
ふたりでそろそろと蔵へと向かう。普段夕花姫は蔵の入り口付近にある楽器以外に触れたことがなく、この奥に羽衣があると言われても、やはり未だに信じられない。
「そういえば、うちの女房たち。どうしてこの蔵に羽衣があるなんてこと知っていたのかしら……?」
「あの国司も人がいい顔をしながら嘘つきなようだからね。案外皆で姫君を騙していたのかもしれないよ?」
「……そう、なのかしら」
「姫君がなにも知らないほうが、幸せな人が多かったのかもしれないね」
浜風にそう指摘され、チクリと胸が痛むのを感じていた。
たしかに夕花姫は脱走癖があり、拾いもの癖がある、我ながら変わり者の気質だとは思っていたが、周りからは慕われているものだとばかり勘違いしていた。たしかに女房たちは口さがないものも多いが、それは自分が変わり者のせいだろうと納得していた。
まさか皆でよってたかって嘘で嘘を塗り固められて、それで夕花姫がなにも知らないようにしているなんて、思ってもみなかったのだ。
父の国司どころか、幼い頃からずっと一緒にいたはずの暁にまで、嘘をつかれ続けているなんて信じたくはなかったが。どうして自分の住んでいる屋敷のことまで自分は知らなかったのか。
暗くなっても仕方ないとばかりに、夕花姫は蔵の戸に手をかけた。いつものように開く。既に外は暗く、油の入った器に火を点して隠し戸を探しはじめる。
琴や琵琶、大陸からの贈り物、都からの調度品……それらの棚を眺めている中、ひとつだけなにも置かれていない棚があることに気が付いた。
「ここだけ、なにもないわね……」
「侍たちが掃除を任されている場所があると、女房たちも言っていたしね。どこからどう見てもここが怪しいけれど……」
浜風は棚を一段一段触れはじめる。棚もひとつだけ妙に古いし、それでいて埃が積もっていない。使用人たちが掃除するにしても、ここだけなにも置いてないのもおかしいだろう。やがて浜風が三段目の棚に触れたとき。
棚がガタリ、と音を立ててふたつに割れた。
「わ、割れ……!」
「いや姫君。これは割れたんじゃない。これは隠し戸だったんだ」
「え……?」
「暗くて見えにくいけれど、この棚自体が、壁にめり込んでいる」
たしかにこの棚だけ壁にめり込み、ふたつに割れた途端に中から空洞が見えてきた。明かりを照らしてみると、蔵の中に調度品以上に綺麗に物が並んでいるのがわかる。
「私、蔵がこうなっているなんて全然気付かなかったわ」
「前にご老人も言っていたね。昔はこの国も海賊が多かったし、民同士で争いがあったと。万が一屋敷に火を付けられても大事なものが燃えないように、隠し戸をつくって大事なものを隠していたのかもしれないよ」
「なるほど……大事なものばかりがあるから、使用人じゃなく侍しかここの管理を任されていなかったのね」
使用人たちは基本的に位がないのに比べ、侍はそもそも貴族からの信頼がなければ傍仕えを任されることはない。国司からの信頼に足る人物以外は、ここの管理をさせていなかったというのが、そもそもの問題なのだ。
ふたりは中に足を踏み入れ、調度品のひとつひとつを調べる。
なにかの帳簿、日記。これらはこの国を治めるために、都に送った書類の写しだろうと察する中、ひとつ紙束でもなければ価値があるのかさえわからないものがあることに気が付いた。
その重箱はひどく軽く、なにも入ってないようにも感じるが。箱を振ってみれば、たしかにカサカサと音がするのだ。
「これって……」
「姫君、中を開けられるかい?」
「ちょっと待ってね」
箱には細工が施されていて、開けるには困難を極めそうに思えたが。何故か夕花姫が触れた途端に、その重箱の蓋は取れて簡単に開いた。
その中身を見て、夕花姫と浜風は言葉を失った。
中に入っていたのは、わずかな明かりでもわかるほどにひどく薄くて軽い布であった。触ってみると絹の手触りにも思えるほどに滑らかだが、それよりはもっと薄くて軽い。
夕花姫は夢に出てきた天女の羽衣を思い浮かべた。多分これが問題の羽衣なのだろう。これがこの国に富をもたらししけや嵐を鎮めていたなんて、いまいちピンと来ないが。
「これが……羽衣。天女の羽衣は、本当に……」
浜風は震える手で、天女の羽衣に触れると、腹から笑いはじめた。
「ふふふふふふ…………はっはっはっはっはっはっはっは……! 遂に……遂に羽衣を、この手に……!!」
「は、浜風?」
普段の物腰柔らかな彼はどこに行ったのだろうと、夕花姫は彼の豹変の仕方に途方に暮れるが、浜風の高笑いは止まらない。
「これで、見返してやれる! 私を陥れた奴らも、都の連中も、なにもかも……!」
「あのう……浜風……?」
「あははははははは…………!!」
まるで狂ったかのように笑いはじめる彼を、夕花姫は困った顔で眺めていた。
暁は何度も何度も口酸っぱく言っていた。浜風は口から生まれたような男だから、あの男の言うことを信用するなと。でも浜風は浜風で、夕花姫は騙されていると言っていた。たしかに今まで周りが黙っていたことがどれだけ多いかということは、彼と交流してから嫌というほど思い知った。
でも。この場合はどっちの言い分を聞くのが正解なんだろうか。どっちが嘘つきで、どっちが本当のことを言っていたのかもう、今の夕花姫にはわからなかった。
と、そのときだった。
「……姫様、お下がりください」
「え……?」
夕花姫は急に背後から腕を取られたかと思ったら、そのまま暁の腕の中に引き寄せられていた。夕花姫は驚いて目を見張る。
「暁……? あなたいったい今まで……」
「……とうとう正体を現したか。下郎が」
暁は唸る声を上げて、浜風を睨んだ。浜風は恍惚な表情を浮かべて、羽衣に頬擦りをしている。
「なんだ、このまま嫉妬に駆られて我を忘れてくれていたら、こちらも楽だったのに。そうはいかないようだね」
「……俺のことをいくら馬鹿にしてもかまわない。だが、姫様のことを悪く言うことだけは許さん」
そう言うと、暁は夕花姫をそっと隠し戸の外へと押しやった。
「あ、あの……暁?」
「姫様、危ないですので、どうか中に入っては来ないでください」
「ちょっと待って、ちょっと待ってったら……!!」
浜風の抱きしめていた羽衣が飛び、それは夕花姫の手元にやってきた。
暁はすらりと佩いた刀を抜くと、そのまま浜風に斬りかかっていたのだ。だが、浜風は蔵の中にあった刀に手を伸ばすと、暁のその刃を受け止める。
ガンッガンッガンッガンッ。
刀と刀のぶつかり合いは激しく、下手をしたらどちらかの刀が折れそうな音が響き渡る。武官である暁はともかく、浜風も刀の腕に覚えがあったことには驚いたが、ただの風流なだけでは都で貴族は務まるものではないのだろう。
その光景に、夕花姫はますますもって混乱していた。
暁はいったい、いつから浜風のことを疑っていたのだろう。浜風はいったい、いつから自分を利用しようとしていたのだろう。わからない。わからないが。
このままいったら、ふたりのどちらかが斬られてしまうのではないだろうか。どちらを信じればいいのか、どちらの言葉が正しいのか、もう夕花姫にはわからなくなってしまっていたが。
ふたりが仲良くなれないのなら、それでもう構わない。ただ、ふたりに殺し合って欲しいなんてそんなこと、誰も望んではいない。
全ての元凶は、夕花姫が貴族を拾ってきて浜風と名付けたことが原因ならば、一番悪いのは夕花姫本人なのだから。
「お願い……! 私が全部悪いんだから! 全部私のせいなんだから、ふたりが殺し合うのだけは、やめて……!!」
暁に止められたのも無視して、隠し戸の向こうへと割って入った。途端に、暁の刀が夕花姫の袖を裂く。彼女の腕に刃が食い込み、血が滲む。
「……姫様……!!」
「姫君……!!」
暁は目を大きく見開いて、夕花姫を見る。
斬られた場所は、かまどの前に立っているよりも焼けるように熱く、血を流しながらも鋭い痛みを与え続ける。すぐに傷が治ってしまう体質とはいえども、さすがに肩を袈裟懸けに斬られたのでは、そう簡単に塞がることもないらしい。
今にも泣きそうな顔をする暁は、血塗れのまま無理矢理刀を鞘に収めて、夕花姫を抱き締めた。血が止まるようにと腕を押さえ込む。
「……どうしてあなたは、そんなに無茶ばかりするんだ……!!」
「へーきよ、暁。私、いつもすぐに傷が治るじゃない……痛い……」
「さすがにあなたでもこの傷がすぐに治る訳がないでしょう!? それに、あなたは……」
いつもいつも、無愛想で口が悪い暁が、ここまで激高するのを初めて見たような気がする……そう夕花姫は思ったが、すぐにいや、と訂正する。
この黒目がちな目が、今にも溶けそうなほどに涙を溢していたのを、夕花姫はたしかにはっきりと見たことがあった。
そしてこの傷。天女もまた、羽衣を奪われた際に、これほどジンジンと熱と痛みに苛まれていたのを思い出した。
これは傷を負ったせいだろうか。それとも羽衣を奪われたせいだろうか。
どうしてこの屋敷の人間が、よってたかって夕花姫に羽衣伝説を語らなかったのか。どうして国内だと常識だとされている羽衣伝説を夕花姫はほとんど知らなかったのか。どうして国司に連れて行かれた天女が行方不明になったのか。どうして老婆は夕花姫を「天女様」と呼んだのか。
簡単な話だったのだ。
夕花姫こそが、記憶を失っていた天女だったのだから。