51. ロンギヌスの槍

「なんだ、言葉もないか? 百目鬼君、この優秀なハッカーが作り出した革新的なシールドだよ。これで君らの攻撃は一切通用しない。どうだ? ミリエル、降伏するか?」

 くっ!

 ミゥはギリッと奥歯を鳴らしてにらみつけ、叫ぶ。

「ミリエルの答えは一つ。死んでも降伏などしないのだ!」

「ふーん、じゃあ君らには死んでもらおうか……。あ、そうだ、シアン君と言ったね。君凄いね。君は死なすに惜しいな。どうだ、ワシの部下にならんか?」

「部下?」

 シアンが小首をかしげる。

「君の素晴らしい攻撃力、厚遇で迎えてやろう。ザリォ様もお喜びになるだろう」

「ザリォって誰?」

 玲司はミゥに聞いた。

「奴は隣の星系の管理者なのだ。ついに隠す気も無くなったか!」

 要はミリエルのライバルの管理者がゾルタンを引き入れて、ミリエルの足を引っ張っり、担当範囲の拡大を画策しているらしい。

「ザリォ様はお前と違って人間というものが何かよく分かっておられる。きっとシアン君の力も存分に引き出してくれるだろう。どうかね、シアン君?」

「だって、ご主人様どうする?」

 シアンはそう言って玲司の方を見た。

 えっ。

 悲鳴にも似た声がミゥから漏れ、ミゥは玲司の袖をつまんでうつむいた。シアンはミリエル側の切り札である。ここでシアンが寝返ってしまったらもはやミリエルは滅ぶしかない。

 まさか生殺与奪の判断が自分に来るとは思ってなかった玲司はちょっと驚いたが、ミゥの細かく震える手をぎゅっと握りしめると、

「人命を尊重できない人たちとは絶対組みません!」

 と、力強い声で言い放つ。

 ミゥは何も言わず両手で玲司の手を包んだ。

「と言うことなので、僕は寝返らないぞ! きゃははは!」

 シアンは楽しそうに笑った。

「ふーん、惜しいな。じゃが、仕方ないか。ワシの究極奥義で葬ってやろう」

 そう言いながらゾルタンたちは何やら攻撃の準備を始める。

 勢いで断ったはいいが、このままでは殺されてしまう。

「シアン、逃げよう!」

 玲司が言うと、シアンは不思議そうに返す。

「え? 倒さないの?」

「倒せるの?」「えっ!?」

 驚く二人。

「倒せるゾ! でも、この星がどうなるか分からないけどね! きゃははは!」

 不穏なことを言うシアンだったが、倒せるのだったらここで倒してしまう以外ない。逃げ続けててもいつかは追い詰められてしまうのだから。

「行ける、大丈夫、これ言霊だから!」

 玲司はそう言ってシアンの背中をパンパンと叩いてゾルタンを指さした。

 するとシアンはさっき焼け野原で拾った、半分焦げた木の枝を空間の裂け目から取り出すと、ビュンビュンと振り回し、感触を確かめる。そして、ゆっくりと目を閉じると、

「緊急動作モードへ移行します。全リソースをオペレーションへ投入します。周囲の方は十分に距離を取ってください」

 と、合成音声みたいに案内文を棒読みした。

 ぼうっと光を纏うシアン。

 やがて光は強くなり、シアンの色が抜けていき、まるで輝く大理石像のようになると木の枝を高く掲げた。

 すると夕闇の空にいきなり暗雲がたちこめだす。雲がどんどんと集まり、渦を巻きだし、時折稲妻がパリッと走り、その禍々しい渦を浮かび上がらせていく。

 雲はどんどん厚く、渦はどんどん激しく回り、やがて中心部には台風の目のような穴がポッコリと開いた。

 シアンはその穴に向けてツーっと上昇を始めた。

 最初は余裕を見せていたゾルタンだったが、台風の目を見ると途端に焦り始め、

「あいつはヤバい。金星の臭いがする」

 と、言って一斉にシアンに向けて青色に輝く弾を乱射した。

 まるで天使のように神々しく白く光り輝くシアン、次々と襲いかかる弾の青い光跡。

 しかし、青い弾はなぜかシアンに近づくと急速に輝きを失い、そのまま消えていってしまった。

「くぅ! なんだあいつは!」

 ゾルタンは悪態をつくがツールの効かない相手には打つ手がない。苦虫をかみつぶしたような顔でシアンを見上げ、にらんだ。

 シアンは台風の目の近くまで上ると、持っていた木の枝をツーっと台風の目に投げ入れる。

 直後、暗雲全体がまぶしく発光し、激しい雷がシアンに落ちた。

 ピシャーン!

「あっ! シアン!」

 玲司は思わず声を上げる。

 激しく光り輝いたシアンだったが、変わらず微笑みをたたえながら右手を高く伸ばした。

 やがて降りてくる木の枝。しかし、その枝はメタリックに光り輝き、先端には揺らめく炎のようなものがついている。

 玲司は急いでステータスを調べ、その異様な表示に驚いた。

ーーーーーーー
名称:ロンギヌスの槍
種別:???
攻撃力:???
 :
 :
機能:???
ーーーーーーー

 名称以外すべての欄が「???」である。今までこんな表示見たことなかった。

















52. 禁制の品

「ロ、ロンギヌスだと!」

 ゾルタンは驚き固まる。

 シアンはロンギヌスの槍を手にすると、ニコッとほほ笑んだ。石突や口金には見事な浮彫のされた金の金具が付き、穂先は燃えている炎のように赤く光り輝きながら揺れている。これがゾルタンに勝つための武器らしい。そして、この星が滅ぶ原因になるかもしれないという恐るべき伝承の存在。とはいえ、玲司にはさっき拾った木の枝に炎がついたたいまつにしか見えなかった。

 シアンはロンギヌスの槍を丁寧に眺め、満足そうに金の浮彫をそっとなでる。

 そしてゾルタンを見下ろし、ニヤッと笑うとブルンと振り回した。

 すると炎状の穂先からは鮮烈な赤い光線がほとばしり、暗雲は裂けて霧消し、モスグリーンのシールドはあっさり真っ二つに両断された。

「イカン! 百目鬼、撤退だ!」

 ゾルタンがそう叫んだ時、シアンはゾルタンの真ん前にワープして楽しそうに笑っていた。そして繰り出されるロンギヌスの槍。

 くっ!

 ゾルタンはワープのコマンドを発行する。ギリギリ間に合ったはずだったが、なぜかゾルタンはワープできなかった。

 ザスッ!

 炎の穂先がゾルタンの心臓を無慈悲にも貫く。

「ど、百目鬼、貴様! ぐぁぁぁぁ!」

 なんと、百目鬼はゾルタンの腕をガシッと握り、ワープコマンドの発行をキャンセルしていたのだ。

 そして、ニヤッと笑うと、自分は直後にワープして消えていった。

 ゾルタンは断末魔の悲鳴を残し、湧きだすブロックノイズにうもれ、やがて消えていった。


          ◇


「あれ? 百目鬼が見つからないゾ」

 シアンが小首をかしげている。どうやら今までの追跡方法が百目鬼には効かなかったらしい。

「あー! 倒す順番間違えたゾ!」

 そう言ってガックリとうなだれた。

 ミゥはそんなシアンにいきなり飛びついた。

「シアンちゃ――――ん!」

「おぉ、ミゥどうした?」

 ミゥは抱き着いたまま小さく震えている。

 シアンはニコッと笑うと、ポンポンとミゥの背中をやさしく叩いた。

 さわやかな風がビュゥと吹いて二人の髪をやさしく揺らす。

 金星が輝く、群青色への美しいグラデーションの夕暮れ空をバックに二人の美少女が抱き合っている。玲司はそんな尊いシーンを見ながら、『この世界を絶対に守りたいな』とギュッとこぶしを握ったのだった。


        ◇


「はぁぁ、やっぱりここが落ち着くのだ」

 ミゥは窓の外にドーンと広がる海王星の青い水平線を見ながら嬉しそうに言う。街を潰されてしまったEverza(エベルツァ)の時間を止め、一行は海王星のステーションに戻ってきていた。

「おつかれちゃん」

 ミリエルはゾルタンを倒せた一行をねぎらうように丁寧にコーヒーを入れた。

「そうだ! ミリエルは事前にシアンちゃんのことを教えておいてくれないと困るのだ!」

「あー、ごめんね。でも、ミゥのことはあたしが一番分かってる。こうした方が一番成功するのだ」

 それを聞いたミゥはミリエルをジト目でにらみ、口をとがらせる。そして、コーヒーカップをひったくると、

「わかるけど! 文句ぐらい言わせるのだ!」

 そう言って、そっぽを向いてコーヒーをすすった。

「でもまだまだ解決してないよね。百目鬼も残ってるし、ザリォとやらも嫌な感じ」

 玲司もコーヒーカップを取りながら言った。

「一難去ってまた一難。困ったものなのだ。ふぅ」

 ミリエルは首を振った。

「ロンギヌスの槍があれば有利じゃないの?」

「それがねぇ……。あの槍は金星の物なのよ。我々が勝手に使ったのがバレると処分間違いなしなのだ」

 ミリエルはガックリとうなだれる。

「えっ!? そんなにヤバいもの?」

 玲司はシアンに聞くと、

「だから『この星がどうなるか分からない』って言ったんだゾ きゃははは!」

 と、嬉しそうに笑った。

 玲司は渋い顔をしてミリエルやミゥと顔を見合わせた。まさかこの言葉の意味が『規則上どうなるか分からない』という意味だったとは想定外だったのだ。

 ミリエルはふぅとため息をつくと、

「コーヒー飲んでる場合じゃないわね。飲むのだ!」

 そう言ってワインボトルをガン! とテーブルに置いた。

「キタ――――ッ!」「いぇい!」

 シアンとミゥは小躍りする。

「あ、いや、まず、方針を決めてから……」

 玲司は正論を言ったが、飲むモードに入ってしまった人たちは止められない。

「こういうのは飲みながらの方がいいのだ。君も飲む?」

 ミリエルはそう言ってワイングラスを差し出す。

 玲司は渋い顔をして首を振り、コーヒーをゴクッと飲んだ。














53. 魔王城で待つ

「はいはい、じゃぁ乾杯なのだ!」「カンパーイ!」「かんぱーい!」「かんぱい」

 玲司は渋い顔でコーヒーのマグカップをワイングラスたちにぶつけた。

「でさー、シアンちゃん、ロンギヌスの槍ってどうやって出したのだ?」

「そうそう、それ! あれって金星の物でしょ? どうやって出したか不思議なのだ」

 ミリエルとミゥは興味津々である。

「ん? これ? 普通に金星のサーバーにあったゾ」

 そう言いながらシアンは、空間の裂け目からするりとロンギヌスの槍を取り出した。焼け焦げた自然の枝は微妙にうねりながら持ちやすそうな柄となり、穂は赤く炎のように揺れ動いている。

「金星のサーバー!?」

 ミリエルは驚く。海王星は実は金星にあるサーバー群で作られた世界なのだ。金星の衛星軌道上には無数のサーバーが運用されており、その中の一群が自分たちの海王星を合成している。しかし、地球人が海王星にアクセスするのが簡単じゃないように、海王星のミリエルたちにとっても金星はとても行くことができない神域だった。

「どうやって行ったのだ?」

 ミゥは身を乗り出して聞く。

「バグのないシステムはないゾ。システムの隙がありそうなところをチクチクずっと叩いてたらある日通れたゾ」

「すごいすごい! シアンちゃん、すごーい! もう一度カンパーイ!」

「カンパーイ!」「カンパーイ!」「かんぱい」

 女性陣は調子が上がって早速二本目のボトルを開けた。


 結局その晩は遅くまでどんちゃん騒ぎとなり、今後の方針の議論なんて全然されなかった。とはいえ、それほどまでにミリエルたちにとっては辛い時間だったのだろうと思うと、玲司は突っ込めなかった。

 しばらく、酔っぱらいのバカ話を聞いていたが、素面(しらふ)ではいつまでも付き合い切れない。玲司は早めに切り上げ、部屋の隅で勝手にベッドを出して転がる。そして、三人の(かしま)しい笑い声を子守歌に玲司は眠りに落ちていった。

 そして、翌朝――――。

 シアンがいなくなっていた。


       ◇


 シアンが行方不明になるなんてことは初めてで、ミリエルたちもあわてて探し回った。

 八方手を尽くしたが見つからず、諦めかけていたところに一通のメッセージが届く。そこにはただ、

『魔王城に来て』

 としか書いていなかった。


        ◇


「うはぁ! これが魔王城! スゲー!」

 玲司はEverza(エベルツァ)の魔王城そばの丘に立ち、上空にゆったりとたたずむ天空の城『魔王城』を見上げて叫んだ。

 ゴツゴツとした岩肌を晒す空飛ぶ島の上に建てられた白亜の城。それは映像で見た時よりもはるかに荘厳で心に迫る美しさを放っている。玲司はしばらくため息を漏らしながらその神々しい威容に見とれていた。

「でも、本当にこんなところにいるのかなぁ……」

 ミゥは腕を組み、首をかしげながらいぶかしげにつぶやく。

 確かに、シアンがこんなところにいきなりやってきて、三人を呼び出す理由が全く分からない。

 何かのサプライズを企んでいるというのだったら分からなくもないが、百目鬼やザリォの計略だったとしたら待っているのは死……。

 玲司はぶるっと身震いをするとミリエルに聞いた。

「ワナだったらどうするの?」

 ミリエルは魔王城を険しい目で眺めながら、

「そん時はそん時なのだ。どっちみちシアンちゃんがいなかったら、あたしらは百目鬼に勝てないのだ」

 と、腹をくくったように言い切った。

 玲司はふぅ、と大きくため息をつく。

 横ではミゥが画面を展開し、魔王城の内部を必死に解析している。そして、

「今のところは……、特に怪しい気配はないのだ。突入する?」

 と、チラッとミリエルを見た。

 ミリエルはゆっくりとうなずき、玲司を見る。玲司は大きく息をつき、静かにうなずいた。






54. 背徳の美

 一行はエントランスの方へと飛んだ。

 目の前に現れるレンガ造りの巨大な魔王城のファサードは壮大で、あちらこちらに精巧な幻獣の彫り物が施されている。特に、ドラゴンやフェニックスをかたどった壮麗な彫刻が大きく左右に配され、来るものを睥睨(へいげい)させているのは見事だった。

 うわぁ……。

 玲司は思わず感嘆の声を上げる。

 手入れの行き届いた、汚れ一つない天空の城はその壮麗な美しさを余すところなく宙に浮いている。それはまさに異世界ファンタジーそのものだった。

 一行は、静かに玄関の巨大なドアのところに着地する。

 一般に管理者系の建物の周辺は、セキュリティのため、ワープの利用ができないようになっている。だからドアを開けて入っていくしかない。

 ミリエルは辺りを伺い、ドアノブをゆっくりと動かしてみる。

 ガチャリ!

 カギはかかっていないようだ。

 三人は顔を見合わせ、最後の確認をする。ミリエルはミゥに紫色に光る特殊弾を渡し、いざというときは窓や壁を破壊して退路を作ることを命じた。玲司はドアごとにドアが閉まらないツールを仕込んで、閉じ込められないようにする担当となる。トラブったらすぐに逃げ出す、それがポイントだった。

 ミリエルはギギギーっときしむ音をたてながら巨大な木製ドアを引き開けていった。

 中は大理石をふんだんに使った壮麗なエントランスホールだった。優美な階段には赤じゅうたんが敷かれ、施された金の刺繡が、魔法で光るシャンデリアの明かりを反射してキラキラと輝いていた。

「誰かいるのだ……」

 そう言いながらキョロキョロと見まわし、抜き足、差し足でミリエルはなかまで進んだ。

 ミゥは空中に間取り図を浮かべ、

「一番怪しいのは謁見(えっけん)の大広間なのだ」

 と、左側の通路を指さす。


        ◇


 しばらく赤じゅうたんの敷かれた豪奢な長い廊下を進み、突き当りの大きなドアまできた一行。

 するとかすかに人の声がする。

 ミリエルは二人と目を合わせると、うなずいてゆっくりドアを開いた。

 明るく豪華絢爛な室内には、正面奥に段があり、玉座が据えてある。そしてそこに座る一人の男と、その隣には赤い髪の女性が見えた。

 百目鬼とシアンだった。

「やあやあ皆さん、いらっしゃい」

 百目鬼は上機嫌に叫んだ。

 ミリエルは大きく息をつくと、つかつかと奥へと進み、答えた。

「呼びつけて一体何の用なのだ?」

「いやなに今後のことについて相談をしようかと思って」

「相談……、へっ!?」

 ミリエルは辺りを見回し、脇に異様な六角形の氷柱が並んでいることに気が付き足を止めた。

 肌色の何かが入った氷柱。

 ミリエルはダッシュして表面の霜を手で払った。

「ジェンマ! あなた……」

 ミリエルはそう叫んで他の氷柱も確認していく。それは今まで送り込まれた調査隊員の氷漬けだった。

 ステンドグラスの窓から差し込む光が氷柱の裸体に赤や青の鮮やかな色を与え、妖艶な背徳の美を演出している。

 その神々しいまでのおぞましさを放つ人柱に、玲司は顔面蒼白となって唇がこわばっていくのを感じた。

 ミゥは百目鬼を指さし、真っ赤になって叫ぶ。

「なんてことするのだ! この人でなし!」

 しかし百目鬼は、悪びれることなく返す。

「これはゾルタンのオッサンのやらかしたことで、私は関係ない」

「氷漬けの人を放っておく時点で人でなしなのだ!」

 百目鬼は肩をすくめ、首を振ると、面倒くさそうに返す。

「無事相談が終われば、回収すればいい。死んでるわけじゃない」

「で、相談って何なのだ?」

 ミリエルは怒りに燃える目で百目鬼をキッとにらんだ。

 すると、隣に立っているシアンが答えた。

「ミリエル、降伏しよ」

 以前、百目鬼にハックされた時のように髪の毛も目の色も真っ赤になってしまったシアンは、ニコニコしながらいう。

「はぁ? 降伏?」

 ミリエルがムッとした表情で返す。

 玲司は叫んだ。

「おい、シアン、どうなってんだ? また百目鬼に乗っ取られたのか?」

「ご主人様、僕はね、合理的に考えたんだゾ。百目鬼たちと組むと地球一個くれるんだってそれで、正式な管理者にしてくれるって」

「何言ってんだ、今すぐ止めろ! 戻ってこい」

 玲司はシアンに両手を広げて引きつった笑顔で命令する。

「いや、ご主人様こそおいで。どうせ人間は35.3%だゾ!」

 そう言って嬉しそうに両手を広げた。

「ふざけんなぁ!! これは命令だ! 今すぐ戻ってこい!」

 玲司は怒髪(どはつ)天を()く勢いで絶叫した。

 ふぅ、ふぅ、と玲司の荒い息が謁見室にこだまする。








55. ミゥの名残

 すると、シアンは首を傾げ、

「ご主人様、そっち居ると……死ぬゾ?」

 と、右手をすっと差し出した。

 玲司は首を振り、シアンをじっと見据えて、

「いいかシアン、『損得勘定ばっかりしてたら人生腐る』んだよ。例え死のうが、腐った人生に価値などない!」

 と、こぶしを握って見せつけた。

 パチ、パチ、パチ!

「はっはっは! 見事な演説だよ玲司君」

 百目鬼は玉座のひじ当てにもたれかかったまま、気だるげに拍手をしながら言った。

「降伏を断ったらどうするつもりだ?」

 玲司は百目鬼に聞く。

「まぁ、死んでもらうしかないね」

「ザリォか?」

 ミリエルは鋭い目で百目鬼に聞いた。

「そうだ。今さら隠しても仕方ない。最後にもう一回だけ聞いてやる。降伏するか?」

 百目鬼はあごの無精ひげを指先でなで、ニヤニヤしながら聞いてくる。

「バーカ!」

 ミリエルはそう言うと真紅に輝く弾を無数浮かべ、百目鬼に向けて撃つ。同時にミゥも手近なステンドグラスの窓に紫色の特殊弾を放った。

 百目鬼に撃った球は玉座に近づいたあたりでシールドに阻まれ、爆発し、煙幕となり、辺りを白く煙に沈める。

 ミゥの撃った弾はステンドグラスで派手に爆発したが、なぜか傷一つつかず、脱出口は作れなかった。

 玲司はドアまでダッシュして体当たりをしたが……、ガン! と跳ね返されて無様に転がってしまう。

 そう、出口は確保できなかったのだ。

「なんだよぉ!? ロックされない仕掛けをしといたのに!」

 玲司が悲痛な声で叫ぶ。

 二人もドアまで駆け寄り、必死に開けようとあがく。

「ちょっとこれ、なんなのだ!?」「今一生懸命解除してる! 待つのだ!」

 ミリエルは脂汗をかきながら目をつぶって、ドアのシールドの解除にかけた。

 すると煙幕が薄くなっていく向こうで百目鬼が笑い、

「はっはっは! 君らの浅知恵などお見通しだよ。そのシールドは君らには破れん。さて、お別れだ。シアン……、()れ」

 そう言ってアゴでシアンに指示した。

 シアンは、

「きゃははは!」

 と、楽しそうに笑うと青く輝く弾を無数、空中にバラバラと浮かべていく。

「止めろぉ!」

 玲司は必死に作業してるミリエルとミゥをかばい、大の字になってシアンを見据えた。

「ご主人様、当たるよ? どいて」

 シアンは今まさに発射の体制で、真紅のきれいな瞳をギラリと輝かせながら玲司をにらむ。

「シアン! 目を覚ませ! こっちに戻ってこい!」

 玲司は必死に説得をする。

 ミゥは玲司の服のすそをつかみ、ブルブル震えている。

「残念でした! チェックメイト♡ きゃははは!」

 シアンが腕をバッと振り下ろした瞬間、ミリエルの足元に隠されていた魔方陣が紫色に強烈に輝いた。

「きゃぁ!」「いやぁぁぁ!」

 叫び声と同時に魔方陣から立ち上がった漆黒の闇はあっさりとミリエルの身体を飲みこむ。後には漆黒の繭だけが残り、表面のあちこちでパリパリとスパークが走っていた。

「うわぁぁ! ミリエル!」

 玲司は闇に飲みこまれてしまったミリエルを見て呆然とする。自分たちの地球の管理者、大いなる理解者の消滅は八十億人の存亡にかかわる事態なのだ。

 あわわわ……。

 ミゥは目の前で消えていった自分の本体にがく然とし、ユラリと揺れ、倒れていく。

「ミゥ! しっかり!」

 玲司はすかさずミゥの柔らかい身体を支えたが、見ると徐々に透け始めている。

「え? こ、これは……?」

 ミゥは涙を浮かべながら玲司に抱き着いた。

「ミリエルが死んだらあたしも終わり……、なのだ。冷たくして……ごめん」

「おい! ミゥ! ミゥ――――!」

 玲司はどんどん軽くなっていくミゥをギュッと抱きしめる。

「あなたに会えて、良かった……」

 か細い声を残し、ミゥはたくさんの光の微粒子を辺りに振りまきながらこの世から消えていった。

「うぉぉぉぉ! ミゥ――――!」

 玲司は膝からガックリと崩れ落ち、頭を抱えた。

 ツンツンしてるけど憎めない可愛くて生意気な女の子、ミゥが殺された。次々と死んでいく仲間。

 玲司はうるんでにじむ視界の中で、チラチラと輝くミゥの名残の微粒子を眺めながらこの世の理不尽を恨んだ。









56. ミッションコンプリート

 玲司はバッと立ち上がると、

「百目鬼ぃ――――!」

 と、叫びながら目にもとまらぬ速さで飛び、玉座の百目鬼に殴りかかる。

 しかし、百目鬼は顔色一つ変えることなく指先をクリっと動かす。すると三メートルはあろうかというモスグリーンの巨大な手のひらが浮かび上がり、そのまま玲司をひっぱたいた。

 バーン!

 まるでスカッシュのボールみたいに玲司の身体は壁に当たり、天井に当たり、柱に当たって床に転がった。

()れ者が。身の程を知りたまえ」

 百目鬼はそう言って汚いものを見るかのように玲司を見下ろした。

 くぅぅ……。

 玲司が体を起こすと、シアンは、

「ご主人様、静かにしてなきゃだめだゾ!」

 そう言いながら空中に紫色に輝く鎖を浮かべると、素早く玲司に向けて放ち、ぐるぐる巻きにして床に転がした。

「ぐわぁ! シアン、貴様ぁ!」

「はっはっは! 勝負あったようだな」

 百目鬼は嬉しそうに笑う。

 日本からの二人の長い確執(かくしつ)はこうして百目鬼の勝利で終止符が打たれてしまった。

 くぅ……。

 玲司は冷たく固い床の上でうめき、涙をポタポタと落とした。

 なぜ、シアンが裏切ったのか? どこで間違えたのか……。


「カッカッカ! 良くやった! ミリエルは目の上のコブ。よくぞ処理してくれた」

 いきなり部屋に甲高(かんだか)い男の声が響いた。

 見ると、恰幅が良いチビの中年が、脂ぎった顔に笑みを浮かべながら壇上に降り立った。

「こ、これはザリォ様! わざわざいらしていただけて光栄です!」

 百目鬼は急いで玉座をザリォに譲ると、壇を降り、床にひざまずいた。

 シアンも真似するように百目鬼の隣でひざまずく。

「うむ、くるしゅうないぞ。特にシアン君、君の攻撃は見事だった。あのミリエルの間抜け顔、ざまぁ! って感じだったわい。カッカッカ!」

 ザリォは上機嫌に笑った。

「恐縮です」

 その光景に玲司は違和感を覚えた。シアンが『恐縮』と言ったり、ひざまずいたところなど今まで一度も見たことが無かったのだ。やはりシアンはどこか壊れてしまったのだろうか?

「何か褒美(ほうび)を取らそう! 何がいいかね?」

「あ、それでしたら一つお願い事が……」

「何でも言ってみたまえ」

 シアンは百目鬼をチラッと見て、

「お耳をお貸しいただけますか?」

 と、腕で胸の谷間を強調させながら、上目遣いに言った。

「おう、近こう寄れ」

 ザリォは鼻の下を伸ばしながら手招きする。

「はっ、ありがたき幸せ」

 そう言うとシアンは、ツーっとザリォの耳元まで飛んだ。

 そして、とても嬉しそうな顔で、

「死んで」

 と、ささやきながらロンギヌスの槍を出現させ、ザリォを突き刺す。ザリォの下腹部から突き上げるように打ち込まれた槍は玉座ごと心臓を貫いたのだった。

 ゴフッ!

 ザリォはその鮮やかな暗殺テクニックになすすべなく真っ赤な血を吐き、両手を震わせながらシアンの方を見つめ、一体何が起こったのか分からないままこの世を去っていった。

 百目鬼も玲司も一瞬何が起こったのか分からず、ただ、楽しそうに暗殺を遂行するシアンの鮮やかな手口に呆然としていた。

 ザリォの肢体はやがて無数のブロックノイズに埋もれ、霧散していく。

 そして、すぐにシアンは紫に輝く鎖を浮かべると、百目鬼に放ち、唖然としている百目鬼をあっという間にぐるぐる巻きにしたのだった。

「ミッションコンプリート! いぇい!」

 シアンはピョンと飛びあがり、天井高い豪奢な謁見室でクルクルと楽しそうに回った。ふんわりと舞うシアンの髪は光の微粒子を辺りに振りまきながら、赤から綺麗な水色へと戻っていく。

 その神々しさすら感じさせるシアンの変化を見ながら、玲司は自分が騙されていたことに気づいた。シアンが裏切ったとばかり思っていたのだが、それは作戦だったらしい。

「シ、シアン、まさかこれ全部最初から仕組んでたって……こと?」

 玲司は半信半疑で聞くと、シアンはツーっと降りてきて、

「あったり前よぉ。『AIは絶対裏切らない』ってちゃんと言ってたゾ!」

 そう言いながら玲司を縛る鎖をほどいた。










57. 手品ショー

「えっ!? じゃ、ミリエルは?」

 シアンはいたずらっ子の顔でニヤッと笑うと、

「チャラリラリラン! チャラリラリラーララー!」

 と、いきなり手品ショーのBGMを口ずさみながら、脇のキャビネットまで飛んで、扉をバッと開いた。

 すると、笑顔のミリエルが現れて玲司に手を振った。

「えっ! なんだよそれ――――!」

 玲司はガクッと肩を落とし、完全に騙されていた自分の間抜けさに落ち込む。

「ナイス・リアクションだったのだ!」

 ミリエルはそんな玲司の肩を叩いた。

「本当に死んじゃったんだって思って、ひどく絶望してたんだよ? もう……」

 玲司は仏頂面で文句を言う。

「まぁでも、君たちに教えてたら、こんなにうまくはいかなかったのだ。君らに演技なんて無理なのだ」

「んー、まぁそう……だろう……って、ミゥも? 知らなかったの?」

「知らなかったわよ。今知って怒ってるわ。クフフフ」

 そう言ってミリエルは空中に手を掲げる。すると、ポン! という音がしてミゥが現れ、渋い顔をしながら着地した。

 ミリエルはニヤリと笑いながら、

「『あなたに会えて、良かった……』」

 と、ミゥが消える前の言葉を真似し、ミゥは真っ赤になってミリエルの頭をペシペシと叩いた。

「ははははは。痛い、痛い、ゴメンってば!」

「分身をもっと大切にするのだぁ!」

 ミリエルは笑いながらその辺を逃げ回り、ミゥは日ごろのうっ憤を晴らすべく追いかけまわした。


       ◇


 玲司は床で縛られて転がっている百目鬼の悔しそうな顔を眺める。

 何度もどんでん返しが続いたが、これでついに完全終結。止めていた地球も復元できるに違いない。

「あれ? もしかして、これで全部解決? ねぇ解決?」

 玲司はまだ追いかけられているミリエルに聞いた。

「うん、ありがとね。全て解決なのだ」

「やった――――!」「いぇい!」

 玲司はシアンとハイタッチしてお互いの健闘を讃えた。


          ◇


「残念だが、まだ終わってないぞ」

 床に転がっていた百目鬼がニヤッと笑う。

「負け惜しみはみっともないゾ」

 シアンはロンギヌスの槍の柄でパンパンと百目鬼のお尻を叩いた。

「痛て! 痛て! 止めろよ! 俺が自由な行動を制限されて一定時間たつと金星にメッセージが飛ぶようになっている」

「金星?」

 シアンは小首をかしげる。

「そうだ『金星の技術をハックして管理者に危害を加えたものがいる』ってな。いいかお前ら、その槍のことがバレたらおとりつぶし間違いなしだぞ! はっはっは!」

 百目鬼は物騒なことを言って笑う。

「何をそんな都合のいいこと言ってんだ! どうせ今思いついたんだろ!」

 玲司は怒って叫ぶ。

「なら、放っておけばいい。そろそろこの鎖を解かないとメッセージが飛ぶぜぇ」

 嬉しそうな百目鬼。

 玲司はミリエルと顔を見合わせた。ブラフかもしれないが、もし本当にメッセージが飛ぶようなことがあったら厳罰は免れない。特にザリォの死因について調べられては逃れようがない。

「今すぐ俺を解放しろ! 君らと敵対するつもりはない。副管理人として雇ってくれれば大人しくしてる。本当だ」

 叫ぶ百目鬼を見下ろしながらミリエルは腕を組み、考え込んだ。百目鬼のことだ、そのくらいやっていてもおかしくない。しかし、解放して言うこと聞くとも思えない。

「ミリエル、ちょっと拷問(ごうもん)しちゃっていいかな?」

 シアンが楽しそうに言った。

「拷問?」

「ちょっと意識朦朧(もうろう)とさせて本音を言わせるんだゾ!」

 シアンは楽しそうに言った。

「お前! それは人権侵害だぞ! 俺は嘘は言わない! 仕掛けもあるし、もう敵対もしない。本当だ!」

 必死に懇願(こんがん)する百目鬼。

 ミリエルはそんな百目鬼を見て、サムアップでシアンにGOサインを出した。










58. 黄金の惑星

「きゃははは!」

 シアンは嬉しそうに笑うと、空中に黄金色の魔方陣を展開する。魔方陣からはパリパリと金色のスパークが湧き出し、凝縮されたエネルギーのすさまじさが感じられた。

「バカ! ヤメロ――――!」

 百目鬼の叫びが部屋に響き渡った直後、ピッシャーン! と雷が盛大に百目鬼を直撃した。

 ゴフゥ!

 髪の毛がチリチリとなった百目鬼は、口から煙を吐きながらバタリと倒れる。

 シアンはそんな百目鬼の身体を空中にツーっと浮かべると、

「今の話全部ホント?」

 と、好奇心旺盛な目でほっぺたをツンツンしながら聞く。

 百目鬼はうつろな目で朦朧としながら、

「メッセージは……本当……」

 そう言ってガクっと気を失った。

「メッセージ送られちゃう! ど、どうしたらいいのだ?」「いや、参ったな……」「きゃははは!」

 四人は顔を見合わせ、アイディアを募るが、決定的な手段がない。そうこうしているうちにも送られてしまうかもしれないのだ。

 ミリエルは苦虫をかみつぶしたような顔をしてギリッと奥歯を鳴らすと、

「くぅ、仕方ないのだ。交渉しよう」

 と言って、パンパンと百目鬼の頬を叩く。

 だが、反応がない。

「シアンちゃん! やりすぎなのだ! もぅ」

 ミリエルは急いで氷水を生み出して百目鬼に浴びせた。辺りにビシャビシャと水をまき散らしながら、ミリエルは景気よく水をぶっかけていった。

 う、うーん。

 氷水に眉をひそめ、うめく百目鬼。

「おい、起きるのだ!」

 パンパンと百目鬼の頬を張るミリエル。少しかわいそうだったが、多くの地球の命運すらもかかった重大な局面である。玲司はハラハラしながらじっと様子を見ていた。

「う? な、なんだ?」

 意識を取り戻す百目鬼。

「まずメッセージ送信は一旦止めろ。相談するのだ」

 ミリエルは急いで言った。

「メ、メッセージ? 何だっけ?」

 まだ朦朧(もうろう)としている百目鬼は要領を得ない。

「金星に送るメッセージなのだ!」

「き、金星? あ、あー、そうだな……。あれ? どうやって止めるんだったかな?」

「貴様! ふざけてる場合か!」

 ミリエルは胸ぐらをつかんで揺らす。

「ぐわぁ! ま、待て! 今思い出すから……、えーと……確か……」

 百目鬼は眉間にしわを寄せて何かを考えていたが、

「あ……」

 と、気になる声を出し、動かなくなった。

「おい、どうしたのだ? まさかもう送ったんじゃなかろうな?」

 百目鬼は目を閉じて何かを必死に考えているようだったが、やがて諦めたように動かなくなった。

 その姿を見て、一行は顔を見合わせる。明らかにヤバい事態だった。

 その直後、ズン! と魔王城が大地震のように大きく揺れ、壊れたTVのように城内のあちこちにブロックノイズが湧いた。

「きゃあ!」「うわぁ!」「きゃははは!」

 人知を超える現象、極めてマズい事態に引き込まれている。玲司はミリエルと目を合わせ、嫌な予感にお互い冷や汗を浮かべる。

 やがて揺れは収まったが、窓の外が真っ暗になっていた。

「こ、これは……?」

 窓へとダッシュして玲司は驚いた。そこは大宇宙であり、眼下には巨大な金色の惑星が広がっていたのだ。まるで金箔を振りまいたようなキラキラとした黄金の惑星。それは教科書で見た、黄色いガスに覆われた金星とは似ても似つかない、まさに金の星だった。

 海王星とはまた違った魅力を持った美しい星に玲司は言葉を失う。

 しかし、これは金星に呼び出されたということであり、これから処分されるという重い意味を持っている。

「あちゃー……」

 ミリエルはその風景を見ると額に手を当てて動かなくなった。

「お、金星だゾ! すごーい!」

 シアンは目をキラキラさせながら金色に弧を描く美しい地平線を眺める。














59. 雄大なるクジラ

 やがて向こうの方に巨大な構造物が見えてくる。

 極めて大きな長細い流線型のものが、ゆったりと揺れながら徐々に回頭してこっちの方へ進路を変えているようだ。かなりの速度で近づいてくる。

「ちょっと、何あれ?」

 玲司はミリエルに聞いたが、

「金星はあたしらにとっても伝説上の存在。金星に何があるかだなんて聞いたこともないのだ」

 と、ミリエルは渋い顔で首を振る。

「あの動き、生き物だゾ」

 シアンが手をうねうねさせながら言う。

「生き物? 宇宙に生き物なんているのか?」

「いないよ? でもここは金星だゾ。きゃははは!」

 玲司はもう一度目を凝らしてそれを見た。すると確かに円錐状の先頭部分には口らしき筋が入っているように見えないこともない。そして、横とシッポについた巨大な太陽光パネル状のものはヒレにも見える。となると、あれはクジラ型宇宙船、と言うことだろうか。

 ミリエルたちにとっても神の世界である金星。そこに展開される不思議な光景。玲司は想定外の展開にただ茫然として、天の川を背景に悠然と泳ぐクジラの泳ぎに見入っていた。

「幅二十キロ、長さ百キロってとこかな?」

 シアンが両手の親指と人差し指で四角を作り、カメラマンみたいにクジラを捉えながら言う。

「百キロメートルのクジラ!?」

 玲司はその非常識なサイズに絶句する。

 そして、そんな巨体がみるみる近づいているということは、その速度はとんでもない速さに違いない。

「逃げらんないの?」

 玲司はミリエルに聞いたが、ミリエルは肩をすくめ、

「人間にとって管理者が神様なように、管理者にとって金星人は神様。ここは神の世界なのだ。あたしたちは何の能力も出せないのだ」

 と言って、ため息をついた。

「あ、そうだ! シアン! あの槍は金星の物なんでしょ?」

「そうだけど? これであのクジラ真っ二つにするの? きゃははは!」

 シアンは槍をクルクルと回すと、炎状の穂先をゴォォォと大きく燃え盛らせた。

「あ、いや。何かに使えないかなって」

「うーん、魔王城を少し動かすくらいなら……。でも逃げらんないゾ」

「デスヨネー」

 玲司はうなだれる。

 そうこうしている間にもクジラはこちらに一直線に接近してくる。直径二十キロだとすると、ヒレの長さは40キロはあるだろうか? 満天の星をバックに接近してくるクジラは、表面がメタリックで、下腹部は鮮やかな金星のキラキラとしたきらめきを反射し、背中は星空を映している。

「二十キロって大きすぎてサイズ感がわかんないなー」

 玲司がボヤくと、

「東京23区がそのまま飛んでくる感じだゾ」

 と、シアンは楽しそうに言った。

「23区全部がってこと?」

「そう、全部が来るゾ!」

 うはー。

 絶句する玲司。

 音の全くない静けさに沈んだ宇宙で、徐々に大きくなって見える23区サイズのクジラ。その得体の知れなさに玲司はゾッと冷たいものが背筋を流れ、冷汗をポトリと落とした。


         ◇


 クジラの圧倒的な存在感に飲まれ、城内はシーンと静まり返る。

 東京23区サイズのメタリックの巨体はきらびやかな金星の輝きを反射して、満天の星空の中で不気味に輝いている。

 ミリエルもミゥも渋い顔で押し黙り、ただ近づいてくる神判(しんぱん)者の裁きを静かに待っていた。

 眼前に迫り、星空を覆わんとするように迫ったクジラは、さすがに体当たりをするわけではないようで、衛星軌道上にたたずむ魔王城の右側をかすめるように超高速で通過していく。

 クジラのゆったりとした曲面の造形には幾何学模様を描く継ぎ目が無数に走り、鏡のような綺麗な光沢を放っている。そして、継ぎ目からは金色の蛍光がほのかに放たれていた。

 玲司は眼前を超高速で過ぎ去っていく巨大構造物の中に巨大な目を見つける。それは直径一キロはあろうかというサイズで、まるで一眼レフのカメラレンズのように漆黒の闇を内部にたたえ、こちらを凝視しているようにも見えて、玲司はぶるっと震えた。

 しかし、これでは終わらない。胸辺りについた全長四十キロはあろうかという巨大なヒレが、ゆっくりと打ち下ろされてきながら魔王城に迫っていたのだ。













60. 未知との遭遇

「え? あれぶつからない?」

 玲司は冷汗をかきながらヒレの動きを予想してみるが、このままだと魔王城直撃である。

「それが、金星人(ヴィーナシアン)の神判なのかも……」

 ミリエルは青い顔をしてすっかりクジラに圧倒されてしまい、覇気がない。

「ちょ、ちょっと! しっかりしてよ! 地球を元に戻してもらわないと困るよ」

「そうは言うけど、あたしらに何ができるのだ?」

 ミリエルはちょっと悔しそうに玲司を見る。

「諦めちゃダメ! 諦めたらそこで試合終了なの!」

「うーん、しかしなのだ……」

「『できる、やれる、上手くいく!』これ言霊だからね。何とかする道を考えよう」

「うーん、あのヒレぶった斬る?」

 シアンはロンギヌスの槍をブンと振ると、穂先の炎をゴォォォと吹いた。

「いやいや、金星人(ヴィーナシアン)にケンカ売っちゃまずいって!」

「え? 斬れるの?」

 ミリエルは興味津々で聞いてくるが、シアンは、

「わかんない、やってみる? きゃははは!」

 と、楽しそうに笑う。

 玲司とミリエルは顔を見合わせて肩をすくめた。

 そうこうしているうちにもヒレは迫る。厚さが三キロメートルはあろうかという巨大なヒレは、全長数百メートルしかない魔王城全体からしてみたら圧倒的なスケールで、ぶつかったら粉々にされてしまうだろう。

「うわぁ! 下りてくるよぉ」

 ミゥはおびえ、玲司の腕にしがみつく。玲司はそんなミゥの頭をそっとなで、

「ギリ、抜けられないかな?」

 と、シアンに聞く。

「うーん、当たるのは城だけっぽいゾ。みんな、床に伏せて。あと三十秒!」

 そう言って床を指した。

 三人は渋い顔をしながら床に伏せる。

 窓の向こうには金属光沢のヒレが、煌びやかな金星を映し出しながらゆったりと降りてくるのが見える。

「おい! 私はどうなんだよ!」

 縛られて空中に浮かばせられたままの百目鬼が叫んでいるが、誰も相手にしない。全て自業自得なのだ。

「あと十秒だゾ!」

 そう言ってシアンは仁王立ちし、ヒレに備える。

 ミゥは目をギュッとつぶって何かぶつぶつ唱えている。玲司はそんなミゥに、

「大丈夫だよ、これ言霊だからね」

 そう言って優しく頭をなでた。

 するとミゥは今にも泣きそうな顔でギュッと玲司に抱き着き、玲司の胸に顔をうずめる。

「五、四、三、二……」

 カウントダウンが続き、緊張感がマックスに高まる。

 直後、ズン! という轟音と共に大地震のように城は揺れ、部屋の上半分が吹き飛んだ。

「キャ――――!」「うはぁ!」「いやぁぁぁ!」「きゃははは!」

 上層階はヒレの直撃を受け、粉々になりながら吹き飛ばされ、壁や柱が崩落してくる。

 シアンは楽しそうに、落ちてくる瓦礫を吹き飛ばし、切り裂き、獅子奮迅の活躍でみんなを守ったのだった。


       ◇


『な、何とかなったかな?』

 嵐が過ぎ去り、玲司が顔を上げると右にはまだ巨大なクジラの巨体が高速で通過している。ただ、進路は変えたみたいで徐々に遠ざかっている。

 城は粉々にされ、空気も失ったが玲司たちはシールドを纏っていて何とか助かっていた。

『うーん、いや、これからが本番だゾ』

 シアンは通り過ぎていくヒレの方を眺めながら険しい表情で言った。


        ◇


 通り過ぎていくヒレの向こう側から真紅の光が輝きながら城へと飛んでくる。一行は固唾を飲んでその光跡を追った。

 輝きはやがて城までやってくると瓦礫だらけの壇上の上で止まり、しばらく明滅した後、閃光を放ち、その姿を露わにした。

 それは三メートルはあろうかという巨大な水晶のタブレット(石碑)だった。長細い五角形で、下へ行くほど細く、一番下はとがっている。水晶の中には黄金の板が溶け込んでおり、表面に浮き彫りされた幾何学模様のような碑文が黄金の板のラインを屈折させて見せており、現代アートのような美が構成されていた。

 そして、紫水晶の球がほのかに輝きながら、いくつかクルクルと石碑の周りを回っており、近づきがたい印象を受ける。

 こ、これは……。

 玲司はこの得体のしれない未知との遭遇にゴクリと生唾を飲んだ。