初めまして、ぱせりです。
カンザキイオリさんに気持ちを伝えるためにどうしたらいいか考えたとき、自分の人生を語った上でカンザキイオリさんにどう助けられたかを話したいと思いました。

文章力がないため、お見苦しいものですが私の愛が伝わればいいなと思います。

ずっと子供ができず悩んでた家に産まれた。
だからとても大切にされた。
異常なくらいの愛をもらった、
けど、同じ歳の子が離乳食を普通に食べている頃、私はスプーンひとすくい分も食べられなかった。
みんなが走ってる頃、身体障がいのある子どもが通う施設に通ってようやくつかまり立ちが出来た。
平仮名も書けなかった。
椅子に正しく座れなかった。
いつになっても右左が分からなかった。
黒いクレヨンでしか人の絵が書けなかった。
保育士だった親は、私の発達の遅れにすぐに気が付き「扱いにくい子」と認識した。

私が生まれた3年後、妹が産まれた。
私への愛情はすべて妹に移った。
異常なくらいの愛が全て移行した。
実際、母は私が伸ばした手を振り払い後ろで父と歩いている妹と手を繋ぐ動画が残っている。私は母と妹の後ろを、唇を噛んで泣くのを堪えて歩いていた。誕生日ケーキを作る動画では、つまみ食いをする妹を父と母が可愛いと言いながら笑っていた。注目を浴びたかった私は隣で必死に笑いを取ろうと同じことをするが誰も見てくれなかった。
他にもたくさん。記憶にはないが、きっとこんなことか何度もあったから両親を好きになれず、愛着障がいになったんだと思う。

それから数年。父と母は仲が悪くなった。
いつもイライラしている父を、母が嫌ったのだ。
くしゃみをしただけで殴ってくる父。
被害妄想が激しく、なにか言うとすぐ俺が悪いのか!!と怒鳴りお皿を割る父。
だから、父がいる時はみんなひっそりと生活した。そのぶん、父がいない時間は母が怒った。
何度も怒られた。妹より下手くそだ。と怒鳴られるから大好きだったピアノを弾くのが怖くなった。
ベースもギターも大好きだった。でも母はどーせいくらやっても無駄だ、下手くそだと言うので辞めた。
デブだ、ブスだと言われるから自分の見た目が大嫌いになった。
臭いと言われるから、4回シャンプーしないと気が済まないようになった。
どーせあんたは友達が居ないんでしょ、と言われるから、私はみんなから嫌われてるんだって思った。
あんたはなにも出来ないからと、家事はさせて貰えなかった。
だけど妹は家事をして偉いわね、なのにあんたはお手伝いをなにもしないと怒られた。

そんな日々が続き、小学生の頃から一人暮らしを夢みてた。それだけでは無い。自殺願望を初めて持ったのも小学生のとき。小学2年生の夏、初めて死にたいと思った。今隣を走る車が私を轢き殺してくれたらどれだけいいだろう。
そんなことを思って生きてきた。
中学進学時も、高校進学時も寮がいいとお願いしたが通らず。あと何年で一人暮らし…。と誕生日の度に考えていた。
高校卒業は夢を諦め、進学せず一人暮らしを選んだ。社会人になって初の誕生日に、一人暮らしをスタートするという夢を叶えた。

それから1年。私は学生に戻った。貯金とバイト代で一人暮らしが出来そうだったから、私と同じように辛い思いをしながら生きている子どもたちを助けたいと思い、夢は保育士では無いが資格を取るため保育学生となった。学生をしながらバイトを掛け持ちして頑張っていた。
忙しくて、寝不足の毎日だがそれでも充実していて死にたいと思わなくなった。

そんな時、父が失踪したと連絡があった。
いなくなった父。生きてるか死んでるかも分からず。それから、私は実家に戻らないといけなくなった。それだけは絶対に嫌だったけど、父がいないのであれば戻るしかない。何日も泣いた。生きてる意味が分からなくなった。
母は気が狂ったように、あなたがいないと。あなたは居なくならないで。とLINEをしてくる。
ご飯食べに行く?部屋の片付け手伝おうか?これいる?お土産買ってきたよ。と今まで言われたことも無い優しい言葉をたくさんくれる。
誕生日パーティもする気なかったのに父が失踪してから、しようと言い出した。誕生日プレゼントはなにがいい?と誕生日が過ぎてから言い始めた。
そんなのなにも嬉しくない。
今まで通り、私には暴言吐くか無視でいいから
一人暮らしだけは継続したい。
あんな牢獄に戻りたくなかった。
今更仲のいい家族になんて戻れない。

戻れないまま、実家に戻って半年が経とうとしている。一人暮らし前と変わったのは、イヤホンをして良くなったこと。だから私は家にいる時イヤホンしている。
カンザキイオリさんの曲を聴くために。

カンザキイオリさんの曲を聞いている時間は、2歳からピアノ、小学校から吹奏楽をやり高校では軽音部に入り、音楽が大好きだった私、音楽が好きだと言うと母に笑われるから、音楽が嫌いだと言って生きることで自分を守っていた私が、唯一音楽を好きでいられる時間だった。
音楽が好き。演奏したい。
そんな感情が溢れてきて、そのせいで涙も溢れてくる。

カンザキイオリさんの音楽は、曲と言うよりも小説だった。小説というのも違う気がする。私の心を動かすなにか。私はカンザキイオリさんがなにを伝えようとしているのか100%理解することは出来ないけど、だけどカンザキイオリさんは曲を通してなにかを伝えようとしてくれている。そんな感じがするから、私は家にいる間イヤホンをしてカンザキイオリさんの曲を聞き続けた。ひとりじゃないと思えた。実家にいるのになぜか、生きたいと思えた。

こんな自分語りの文章、なににもならないけど少しだけ生きにくい人生を歩んできた人間が、カンザキイオリさんの曲、小説に心動かされていると知っていただけたら嬉しいです。

知的障害、ADHDだと診断された20歳の冬が終わりました。そんな冬の終わり、私はフェスで初めてカンザキイオリさんの声を生で聴きました。
ずっと私を助けてくれたカンザキイオリさんの声が聞けると思うと、まず会場に入ってから号泣。キーボードが準備されている時にも号泣。そして声を聞いた瞬間、泣き崩れてしゃがみこんでしまいました。立ち上がることが出来ず、カンザキイオリさんを直視出来ず、涙も止まらず、せっかくのフェスが最悪の状態でした。
すると、見ず知らずの人が背中をさすって立たせてくれました。その後もずっと背中をさすってくれて。
周りの人は、しゃがみこむ私がカンザキイオリさんを見えるように動いてくださり。
フェスで、カンザキイオリさんを通して色々な方の優しさに触れました。背中をさすってくれたその方とは仲良くなり、フェスのあと朝までカラオケでJOYSOUNDに入っているカンザキイオリさんの曲を全て歌い尽くし、語り合いました。
カンザキイオリさんが出会わせてくれた大切なお友達です。

私は20歳という節目を迎えて初の夏です。
父が失踪して1年。
今年の夏が綺麗に飽和してくれたらいいなと思います。だから今年も「あの夏が飽和する」や「親愛なるあなたへ」を持って夏探しの旅をしようと思います。

あああ、本当はもっとちゃんと愛を伝えたかったのに支離滅裂になってしまいました。

自分語りをしてしまいましたが、こんな人生を歩んだ人の命を救ったんだと思っていただけたら嬉しいです。 生きたいと思えたのは私の力ではありません、カンザキイオリさんのおかげです。
もう全部、カンザキイオリさんのおかげなんです。バイト先で、私は知的障害があるから上手くいかないことが多くて虐められています。でも、フェスがあるから頑張れました。カンザキイオリさんの曲を歌って頑張りました。全部全部、カンザキイオリさんが私の活力を作ってくださっているんです。

ありがとうございます。
大好きです。

今日のフェスも、最高に楽しみます。