「カメラに狛犬が映ってる」
「は?」
「は?」
師走も差し迫ったある日の事。インターフォンの呼び出し音に応じた彼女の言葉に、彼女の母親と妹は共に画面を覗き込んだ。
「何これかんわいいい!」
「かんわいいい!」
そして両者は歓声を上げた。彼女が言う通り、画面には2体の狛犬が映っていた。大きくつぶらな目にころころとした体形と、何処かマスコット的なユーモラスさも感じられる、非常に愛くるしい姿の狛犬である。
『良かった!我等が見えているようですぞ!』
『突然の訪問に驚かれたと思います!不肖我等イコマとニコマ、人神様をお迎えに上がりました!』
「『ヒトガミ様』?」
『貴方様の事でございます!』
イコマ・ニコマと名乗った狛犬達は確かに口をきいた。鸚鵡返しに疑問符を上げた彼女に、2体揃って声を上げる。
………………………。
彼女達親子は、顔を見合わせた。
「どうする?」
と、彼女の妹の紫苑。
「これが人間だったら『宗教の勧誘ならお断りだ』と門前払いで追い返している所だがな」
辛辣に、彼女。
「うん。でも何か…何かの撮影とか演出とかじゃない…よね?」
と、戸惑い気味に、母の佳乃。
「新年のイベントにはまだ早すぎるでしょー。クリスマスが終わったどころか、始まってすらもいないんだし?」
「あとさ。この狛犬ちゃん達?向こうが透けてない?」
紫苑の言う通り、狛犬達は姿こそ見えているが、身体が透き通って見える。
「…何だか、不思議な事が起こってるみたいだね。落ち着かないとね」
「狛犬と言えば神社だし、少なくとも悪いものじゃないぽいし。とりあえず家に入れよっか」
「寒空の下に放っとくのも可哀想だもんね」
「ねえ。狛犬ちゃん達ってお茶飲めるの?牛乳の方がいい?」
「直接訊いて決めようか」
彼女は言って、家に入れようと言い出した立場だからと、自分からすたすたと玄関へ向かい、三和土に置いてある靴を素早くどけてからドアを開けた。
「まずは中へどうぞ。足を拭くタオルも必要でしょうから、ちょっと玄関で待ってもらう事になりますけど」
『恐れ入ります!』
手で促す彼女と、彼女に続いてきた佳乃と紫苑に、イコマ・ニコマはぴょこんと頭を下げた。
彼女がお湯で温めたタオルでイコマ・ニコマの足を拭っている間に、紫苑は急いで居間を片付け、佳乃は牛乳を温め人数分のお茶を用意する。そのような連携プレーの後、3人と2体は居間に車座になっていた。人間である彼女達親子はともかくとして、2体にテーブルは高すぎるので、出さない事にしたのである。
平皿に注いだホットミルクをそれぞれの前に置く佳乃に、イコマ・ニコマは『どうぞお構いなく!御母堂様!』とこれまた礼儀正しく頭を下げた。2体がホットミルクに口を付けるのを待ってから、彼女は「早速ですが」と切り出した。
「『人神様』とは何ですか?私を指しているようですが、何かの間違いでは?」
『とんでもございません!』
『この度の神議りにて、我等の神社の引き継ぎに、貴方様が選ばれたのでございます!』
「え?神議りってマジであんの?」
「神社の引き継ぎって何です?この子が選ばれたってどういう事ですか?」
紫苑と佳乃のリアクションはそれぞれである。神無月、即ち10月には八百万の神が出雲に集い大会議を開く『神議り』がある事は、自他共に認めるオタクたる彼女は元より、佳乃と紫苑も知識として知ってはいる。だがそれはあくまでも、神話の中の事柄でしかなかったのだが。
『実はこの度、私共の神社の祭神様が隠居なさる事になりまして』
「隠居するのか神様も。てか何処の神社?」
紫苑に問われてイコマは名を告げた。彼女達は「ああ」と何かを思い出す顔になる。
「うちの地元の神社だね。縁結びの神様の」
「あー。七五三とかで行った覚えがあるわ」
「あんた達、何だかんだ世話になってるからね」
ニコマは『左様にございます。その神社にございます』と首肯した。
『隠居なさるにあたり神社の後継となる神が必要ですが、手を挙げて下さる方がおらず…』
『そこで、今を生きる人に神通力を譲渡し後継となって頂いてはどうかと意見がありました。選ばれたのが貴方様なのでございます』
「何故私?」
彼女の最大の疑問である。
「神通力を引き渡すなんて大事じゃないですか。私はただの人間なのに。霊感だとか…まあ何かその手の特別な力を持った人の方がいいと思いますよ。もっと相応しい人がいると思います」
イコマ・ニコマは、揃ってきっぱりと首を横に振った。
『いえ!貴方様でなければ!』
『白銀命様様による、直々の御指名でございます!』
「『白銀命様』?」
「誰それ」
「そんな神様いたっけ?」
古事記でも日本書紀でもついぞ見かけた事が無い名に疑問符を上げると。
イコマ・ニコマ曰く、遥か神話の時代から在り続ける神剣に宿る神霊らしい。要は付喪神である。妖の一種とは言えぬ程に神格は高いらしいが。
何でも「月の光を鍛えた」と称される神剣の化身だけあって美麗な男神で天津神達の代理を務めており、その歴史・立場・神格から、神議りにおいては絶大な発言権を持つのだという。
初めて得た知識に彼女達親子は一様に「へーえ」と頷いた。
「天津神って天照大神…様とかでしょ?その代理って、つまりスーパーエリートじゃん」
「何でまたそんな重鎮が、一般人でしかない私を指名したんですか?」
『そ…それは…』
『申し訳ございません。私共ではわからないのでございます…』
イコマ・ニコマは心底申し訳なさそうに、しゅんと頭を垂れた。彼女は「謝らなくていいですよ」とフォローし「まず一つ」と切り出した。
「ただの人間が後継となる事を、現在の祭神様にはご納得頂けているんですか?」
『勿論でございます!』
『むしろ、今を生きる人が神の立場となる事で新しいものをもたらしてくれるであろうと、期待しておいででした!』
佳乃と紫苑は「随分理解のある神様だね」「そだね」と囁き合っていた。
『お渡しする神通力も預かって参りました!』
『後は貴方様さえご了承頂ければ、すぐにでも宮司達との顔合わせもできます!』
「宮司さん達?つまり我々と同じ現在を生きる『人間』ですよね?祭神が代わる事を把握しているんですか?」
確認の意を込めて訊くと、イコマ・ニコマは『左様にございます』と首肯した。
『私共が特別に顕現して知らせました。人前に顕現したのは初めてでございましたので、いやはや緊張しました』
『本来でしたら神主一同でお迎えに上がるのが礼儀ですが、何分急の事でしたので、私共だけで参った次第にございます』
「宮司さん達めっちゃ驚いただろうね」
「大丈夫かな…」
何名がその場に居合わせたのかわからないが、腰を抜かしたであろう事は伺える。神主達を案じる彼女の横から佳乃が「あの」と口を挟んだ。佳乃の口調は静かだが、眼差しは鋭い。
「発言権を持つ神様からの指名とは、つまり事実上の命令ですよね?断ったら、この子は何かされるんですか?」
『白銀命様様は、そのような事をなさる御方ではございませんが…』
『ですがしかし、御母堂様。この地を守る神の座が空席になってしまう事は、非常に由々しき事態なのでございます』
佳乃は静かに彼女の肩に片手を置いた。
「でも、この子にもこの子の生活があります。いきなり知らない世界で全く違う生活をしろと言われて、親として『はいそうですか』と送り出す事はできません」
『いえ!異なる世界に行く訳ではございません!』
『人神様には人としてのこれまでの生活がある事は、重々承知。人神様にはこれまで通りの生活を送って頂き、同時に祭神としてのお役目を果たす、二重生活を送って頂く事になります』
『ただその、お住まいを神社に移して頂くなど、どうしても今までと変えて頂く事はございますが…』
「ああ。神社に神様がいないなんて変ですもんね」
佳乃は2体の回答に、安堵したように息をついた。
しかし彼女は眉を顰めて2体に問う。
「って、私が住む場所を用意するとか、神社の人達も大変なんじゃないですか?」
『物理的な場所のご心配をなさる必要はございません』
『神器の鏡がございます。お渡しする神通力で、鏡の向こうにご自由に神域を作って頂ければと』
安心させるように答える2体に、彼女は「あー成程」と呟いた。
「鏡の向こうにも神社というか領域が存在すると仮定して、仮想空間を構築すればいいって訳ですか」
「この一瞬でよくそこまで想像できるねお姉ちゃん」
「パソコンで仮想領域を作るようなもんだと思えば変わらんよ」
佳乃と紫苑は「そこはお姉の専門分野だね」「んだね」と頷き合った。
彼女は視線を正面に戻し「もう一つ」とイコマ・ニコマに告げる。
「縁結びの神社である事は承知しておりますが、私が祭神となるからには、私の流儀でやらせてもらいます。なお、詳細は宮司さん達と顔合わせをした時にきちんと話します」
『おお!では、この話をお受け下さるのですか!?』
彼女は「受けるも何も」と目を細めた。
「クリスマスも始まっていないと言えど、初詣なんてすぐそこ。そんな時期に急に話が来るのは、それだけ現在の神様の力が弱まっているという事なんじゃないですか?」
『は、はい…。実を申しますと、その通りでございます…』
最早隠し立てする事も無いと判断したのか、2体は素直に答える。
彼女は「更に一つ」と言った。
「君達、そうやって顕現はしていますけど、向こうが透けて見える。一刻も早く代理の神様を立てないと、君達の存在も危ういのでは?」
「え?何?コマちゃんズ、消えちゃうの?」
紫苑が慌てた声を上げた。イコマ・ニコマは顔を見合わせ、『お見通しでございますか…』と躊躇いつつも頷く。
『仰る通りでございます。私共が消滅してしまうという訳では、流石にございませんが…』
『ですが、此度の顕現は、祭神様のお力をお借りし何とか成り立っているもの。そうでなければ、私共はただの狛犬に戻ってしまいます』
彼女は「そうですか」と返し、片手を2体の前に出した。
「なら早くその預かってきた神通力を譲渡して下さい。特別な儀式か何かが必要なら、必要な場所へ移ります。あと神社の人達に挨拶もして、今後の方針とか神域を作る事だとかを周知します。そうそう。そちらの世界の常識とか流儀とかは、イコマさんとニコマさん。君達を頼りにしますので」
彼女はくるりと、佳乃と紫苑を振り向いた。
「お母さん。紫苑。私、この話を受けるわ。家を出る事になるけど、お金は変わらず家に入れるから安心して。ただどうしてもこれから色々忙しくなるから、そこは迷惑かけると思う」
かくして、彼女は人神となる事を受け入れたのである。
「で、お勤めの帰りに君を見付けて現在に至る、と」
「は、はあ。何と申しますか…とても果断な決断をされたのですね」
彼は感心して頷いた。因みに人の姿である。彼女が「話をするにしても、刀のままというのもどうかと思うから」と人間の姿に顕現してくれたのだ。彼女が鏡を見せてくれたので自分の姿がわかったのだが、10代半ばから後半の青少年の姿である。彼女曰く「持ち主の個性や君自身の来歴を統合した上で、最も相応しい姿になったのでしょうね。私は外見及び外見年齢を操作もしくは調節できる訳ではないので」との事だった。
彼は彼女と向き合う部屋の中を、改めてぐるりと見回した。
「ではここはもしや、貴方様の神域なのですか?」
「ですよ。錆っび錆び状態をどうにかするのも意思疎通をするのも、ここが一番丁度いいと思いましたので」
やはり何の事も無さそうに答えた彼女は「で」と口調を改めた。
「君はこれからどうします?持ち主の所に帰りたいなら、さっきも言った事になりますけど、一番近い御山まで案内しますけど。『今を生きる人類』である私が冥界に入る事までは、流石にできませんが…。まあ冥界は広いでしょうけど、事情を話して地道に探していけば、持ち主ご本人なり、生まれ変わった先なりを突き止めて再会する事は叶うでしょう」
恐ろしく淡々とした物言いだが、彼女の口調には誠意が感じられたし、何より何処までも手厚く彼の面倒を見ようとしてくれている事が、彼にはわかった。
しかし彼は居住まいを正し、きっぱりと首を横に振る。
「いえ。お気持ちは大変嬉しいですが、ここまでして頂いて何もお返ししないのは、武士の名折れ。わたくしは名も無き志士に使われた若輩ですが、端くれとは言え侍でございます」
「動乱の幕末を駆け抜けてきたんですね」
彼女の口調は優しく、労わる響きがあった。彼は目頭が熱くなるのを感じたが、ぐっと堪える。座布団から畳へと身を移して両手を床につき、頭を下げる。
「ただ朽ち行くばかりであった所を、こんなにも立派な姿にして頂いたのです。どうか恩返しをさせて下さいませ。願わくば、貴方様を主と戴き、お仕えしたく存じます」
「とりあえず、頭を上げて下さい」
言われて彼は躊躇いつつも頭を上げる。座布団に戻るように言われて座り直した。勧められて、お茶に口を付ける。そんな彼を前に、彼女は考えるような表情を見せていたが、ふと口を開いた。
「この神社は縁結びの神社ですが、先程も言った通り、私の方針は変わっていましてね。『良いご縁とは悪縁を切ってこそ』を前提にしています」
「は、はあ」
確かにそう言っていた。だが縁結びなのに縁切りとはこれ如何に。彼の疑問符を察したらしく、彼女は「あー例えばですね」と続けた。
「ほら…極端な話。折角の縁談が、素行の悪い親戚だとか、お金の無心ばかりしてくる縁者だとかのせいで台無しになる事もあるでしょう?例え夫婦になれたとしても、そういう人間関係のせいで、できたはずの間柄が壊れてしまう。つまり縁が続かないかもしれない。そういう良いご縁を邪魔する悪い縁を切る事が、縁結びに繋がると私は考えているんです」
確かにある事なので、彼は納得した。彼の持ち主も市井にいた身なので、その手の話は聞くともなく知っている。
「因みに。私の方針は神主さん達にもご理解を頂けています。ああ。そもそも祭神が交代して人神になるという周知は、この神社に仕える狛犬さん達…イコマさんとニコマさんがしてくれていましてね」
「ここの人間達は、貴方様が祭神であると把握しているのですか?」
彼女は「ですよ」と答えた。
遡れば、宮司を始めとする神主達と顔を合わせた日。彼女の『良いご縁とは悪い縁切りから』という方針に、イコマとニコマを始め一同は困惑していた。彼女は「身近な例で言うとですね」と切り出す。
「初詣、すぐそこですよね」
「は、はあ」
「巫女さん達、お守りやお札を渡したりだとか、不特定多数の参拝客に接する事がありますよね」
「え、ええ。はい」
彼女は「嫌な事を思い出させてしまったら申し訳ありませんが」と決まりが悪そうに前置きした。
「お守りやお札を渡したりする時にやたらと手を触ってきたり、気持ちが悪い事を言ってきたりする、罰当たりで変な参拝客は、一定数いると思います」
『います!』
巫女達の声が揃った。宮司が気まずそうに目を伏せる。
「お恥ずかしい事ながら…皆からそのような被害を聞いておりますので、私達としても対策はしているんですが、追い付かないんです」
「私がやろうとしているのは、そういう変な参拝客と神社の縁を切る事です」
彼女は「つまりですね」と続けた。
「そういう変な参拝客は、他の普通の参拝客にも迷惑をかけている可能性が高いです」
なお彼女が言うような人間は、参拝の場でなくても、つまりは日常の一般社会でも誰かに迷惑をかけている可能性もあるのだが、そこまで言及すると話が脱線してしまうので、彼女はあえて言わないでおいた。
「変な参拝客と神社の縁を切る事は、巫女さん達、つまりは女性スタッフの心身の被害を防ぐだけではなく、他の普通の参拝客も安心してお参りができるようになる、要するに神社全体の治安を良くする事に繋がります。神社の治安が良くなれば、ごく普通の参拝客が訪れ易くなる。つまり神社にとっても良い縁を結ぶ事に繋がります。『良いご縁は悪い縁切りから』とは、そういう事です」
そこで一同は初めて納得したようにホーウと頷いた。
彼女は全員を見据え、凄みのある声で宣言した。
「変な人が二度とここに来られないように計らいましょう。手始めに皆さんを守ります」
かくして彼女は、神主達の心を掴んだのである。
時間は現在に戻る。
「お勤めの帰りに君を見付けたと言いましたけど。要するに、悪縁を切るお仕事の帰りでしてね」
「そうだったのですか」
彼女は「ここからが本題なんですが」と口調を改めた。
「先代から譲渡された神通力を縁切りに使用している訳ですが、私としてはやはり『切る』と明確にイメージ…意識できる媒介があった方が助かるんです。ですが切るにしても…例えば鋏だとかは身近ですが、神通力の媒介にするには、どうも物足りない。悪縁を『絶つ』に相応しい物があればいいと思っていた所なんです」
彼女は彼を見据えた。
「勿論、君さえ良ければですけれど。私の神器に、この神社の御神刀になってはもらえませんか?」
「ご、御神刀!?」
そもそもが名も無き志士の刀であった彼としては、あまりにもと言えばあまりにもな展開だ。だが彼女はやはり何の事も無さそうに「ええ」と返す。
「君は私に仕えると言ってくれました。そして私は、仕事の相棒と言える神器が欲しい。君は動乱の幕末を駆け抜けた刀です。つまりは実戦経験があるという事。十分に強みになるでしょう。私は仕事をし易くなって、君は刀として活躍できる。こういうのを現代では『win-winの関係』と言います。悪い話ではないと思いますけどね」
どうも彼女、彼が人斬りに使われていたと承知の上で、むしろその事実すらも買って勧誘してくれているらしい。人神になった経緯といい、これまでの言動といい、彼女は相当図太い人物らしい。
「まあでも、あくまでも『君さえ良ければ』の話です。勿論ですが、強制はしませんし、命令ではありません。最初にも言った通り、元々の持ち主を探したいならそうすればいいですし…んーまあ冥界にまでは入れない身なれど、付き合える所まではきちんと付き合いますから」
同時に彼は気付いていた。彼女は頭ごなしにものを言ってくる訳ではなく、ひたすら相手の目線に合わせて『頼む』姿勢を一貫していると。
彼は「いえ」とゆっくりと首を横に振った。
「武士に二言はありませぬ。再び形を与えて下さり、お役目まで頂けるのです。この身がある限り、貴方様にお仕え致します」
彼は静かに、本体である刀を片手に持った。
「――忠義を」
空いている片手で柄を持ち、刀の鍔を打ち合わせる。澄んだ音が響いた。『金打』である。
「ありがとうございます。助かりますよ」
彼女は安堵したように眉を下げた。
「今まであえて訊かないでいましたけど。君のお名前を教えてもらっても構いませんか?それとも、もしも名前が無いなら、私が名前を付けましょうか?」
「主様から直々に、名を頂けるのですか!?」
彼は目を輝かせた。
「わたくしは無名の刀工に打たれた身。また、前の持ち主と共に在った時も、名を付けられた事はありませんでした。主様の刀としての名を頂けるのは、この上ない名誉でございます!」
「そうですか。では『掬水』なんてどうかなと思うんですけどね」
彼女は手近な筆記用具を引き寄せて『掬水』と書いてみせた。
「『塵芥の中から物理的に掬い上げた』というのもありますけど。君の本体の刀身は水のように潤みがあって美しいですからね」
さりげなく刀剣としての美を称賛され、彼は頬が熱くなるのを感じた。
そんな彼の様子を知ってか知らずか、彼女は「何より」とマイペースに続ける。
「この名前なら、共に人間社会で活動する上で違和感もありませんしね」
「共に活動…ですか?」
「これから相棒になるんです。一緒に現代社会に出て仕事をするんですから、上手く人間に紛れる事ができる名前の方がいいでしょう。まああまり刀ぽくはない名前ですが、これで如何です?」
「――いえ。素晴らしい名です」
彼は畳に両手をつき、深々と頭を垂れた。
「ありがとうございます。頂いた名にかけて、誠心誠意お仕え致します」
「それについてなんですけど。私の相棒となる上で、幾つか絶対に守って欲しい事があります」
「は。絶対に…ですか?」
掬水の緊張を汲み取ったのか、彼女は「いやまあ難しい事ではないんですが」と手を横に振る。
「まず一つ。ここで一緒に住む上でも仕事の上でも『これこれをああして欲しいこうして欲しい』とか要望なり希望なりがあったら、きちんと言って欲しいんです。君はもう意志も感情も持っている身ですからね。何かして欲しい事や欲しい物があれば尊重したいです。んーまあ、主従関係が前提にあるから抵抗はあるかもしれませんけど、言ってもらえると私も助かります」
「は、はい」
確かに、主たる彼女に意見するのはどうかという考えは根底にある。でも同時に、主は自分を思いやってくれているのだとわかったので、掬水は頷いた。
「もう一つ。君の二心を疑ったりしている訳ではなく、私の時代で当たり前になっている『職業選択の自由』から来る考えなんですが。何処かもっといい条件で神器なり神使なりにしてくれる所があったら、そこに行っていいです。また、どうしても前の持ち主に会いたくなったら、それも言って下さい」
「主様、それは」
彼女は「決して二心を疑ったりしている訳ではありませんよ」と言い聞かせるように繰り返した。
「これからきちんとイコマさんとニコマさんと宮司さん達に君を紹介した上で細かい取り決めをしますが、労働条件は考えられる限り良いものにするつもりです。でも世の中にはもっといい条件の神社があるかもしれませんし、君が何処かの神様に引き抜きに遭うかもしれません」
彼女は「現代では『ヘッドハンディング』と言うんですけど」と付け足した。
「君が意志も人格も持つ以上、選ぶ自由はありますから、『ここがいい』と思う所があれば、そこへ行って構いません。また、どうしても前の持ち主に会いたくなる時もあるかもしれません。まあ要は里帰りみたいなものだと私は捉えていますから、それもきちんと相談してくれればいい話なので、君の自由にして下さい。一つ目の話と重複する所がありますが、これも君の自由を尊重したいんです」
「主様…」
武士の心を持つ身としては、主を気安く鞍替えするなど考えられないのだが、しかしこれも主が自分を一人前に扱い尊重してくれているからだとわかる。掬水は躊躇いつつもどうにか頷いた。
「更に一つ。一番重要な事です。私が悪い事や間違った事をして、諫めても止まらないようだったら、私を殺しなさい」
掬水は、ひゅっと息を呑んでいた。
「私は神通力を渡されただけの只の人間です。その気になりさえすれば、どんな悪い事でもできるでしょう。イコマさんとニコマさんにも、私を諫めてくれるよう言ってはいますが、本性が刀である掬水君に頼むのは、また別の大切な意味を持つと思います」
彼女は小さく溜め息をついたようだった。
「掬水君が私の相棒にして側近となる以上、私を最も諫める事ができるのは掬水君です。なので、これは約束と言うより命令です。私が悪事に走って止まらなかったら、掬水君の手で私の首を落としなさい」
掬水は圧倒されていた。彼女は肝が据わっているだけではなく、恐ろしく冷徹な一面も持っている事に。そして理解していた。掬水が成すべき事の大切さを。
掬水は、静かに頭を下げた。
「必ずや、仰せの通りに致します」
だがすぐに顔を上げた。
「しかし、そのようにお考えの主様が、道を違えるとは思えませんが」
「そうですか?うーん。まあ、君達に愛想を尽かされないように、精々頑張りますよ」
彼女が何処までも大真面目なのはわかっているのだが、掬水は思わず笑ってしまった。
こうして、掬水と名付けられた刀の化身は、何とも数奇な経緯で、一風変わった神の神器となったのである。
「…何だか、妬けるな」
「いや何故ですか」
隣に座する美丈夫に、彼女はすかさずツッコミを入れていた。むうと唇を尖らせてむくれた表情を見せる辺り、まるで子供である。これでも神話の時代から在り続ける神様なんだけれどなあと彼女は思う。
青年にしか見えない彼こそが、彼女を人神にと指名した張本人(神)。白銀命である。
彼女が人神となって松の内も終わったある夜の事。白銀命は彼女の夢の中に出てきたのである。夢の中と言えど自由に動く事はできたので、高位の神への礼儀として、彼女はとりあえず平伏しようと膝をついたのだが、そんな事はしなくていいと止められた。
何用かと話を聞いてみれば、自分が直々に指名したからと彼女に会いに来たらしい。本来ならもっと早くに来るべきだったし、直に顔合わせをするべきなのだが、年の瀬の忙しさで遅くなってしまった事、また夢を通しての顔合わせになってしまい申し訳ないと言われてしまった。
以来、夢の中で会う夜が続いている。
こうも高位の神が何故自分に会いに来るのか彼女は怪訝に思ったが、要するに自分が指名した人間が上手くやれているかを見に来ているのだろう、現代の企業で言えば1on1のようなものかと彼女は納得していた。
白銀命は、神通力が人間の彼女の身体に負担になっていないか、神域での生活に不自由はしていないかなど訊いてくるので、目をかけてくれる優しい神様なのだろうと彼女は感謝すらしている。
今日は今日で、掬水即ち御神刀を迎えた話をしたのだが、どういう訳か拗ねられてしまった。
白銀命は、彼女より上背があるにも関わらず上目遣いをするという器用な仕種を見せる。
「だって、一緒に住んでいるんでしょう?」
彼女は「それは」と当然の口調で返した。
「御神刀が神社にいないとおかしいですし」
「その彼、かっこいい?僕よりも?」
「いや三次元の異性の『醜』はともかく『美』はよくわかりません。まあ少なくとも、私の母や妹にはいたく好評でしたが」
「ご家族に紹介もしたの!?」
「はあ。新しい仲間が増えたのは、大きな変化だと思いましたもので」
そう。取り急ぎ、スマートフォンのビデオ通話の機能を使用して、佳乃と紫苑に掬水を紹介したのだ。
『うわ超イケメンじゃん!その辺のモデルとか俳優とかより超かっこいい!』
『こんな美少年見た事ないよ!初めまして!』
「え、ええと…。気さくな御母堂様とお妹君ですね…」
画面の向こうから熱烈に容姿を褒められ手を振られ困惑気味の掬水に、彼女は何の事も無さそうに返した。
「まあ日本刀て武器武具であると同時に美術品芸術品ですし、要は最初から『美しくある』ように作られているんですから、その美しさを人間の姿に反映した場合、我々人類にとって『好ましい』と思う外見になるでしょう」
「あ、ありがとうございます…」
彼女の家族と掬水の顔合わせは、このような感じだった。
なお掬水をイコマ・ニコマと宮司達に紹介した際も、特に巫女達は溜め息交じりに囁き合いながら、熱い眼差しを掬水に向けていた。
関係者各位への紹介は当たり前だと思ったからこそやった事なのだが、何故か白銀命はいたくショックを受けているようである。
「その上デートもしているなんて…」
「いや社会科見学ですから」
彼女は、彼女からすれば懐かしい単語を出して訂正した。
「掬水君は幕末生まれですよ?ジェネレーションギャップ…環境も習慣も何もかも違うから、馴染むのが大変です」
なので彼女は手始めに、自分の意識を通して掬水に現代の知識をインストールした。しかし、知識と経験は全く別物である。
「御神刀としての活躍を期待してはいますが、全然知らない世界でいきなり仕事を任せるのは酷というものですからね。いや私だったら無理です」
自分に置き換えて考えて、彼女は改めて言った。
「なので、現代社会に馴染む事ができるように、色々連れ出してるだけですよ。まあ私自身が東京都は上野を気に入っているのもありますけど。そもそも上野駅近辺が、教育にいい施設が揃っていますからね」
つまり各種美術館や博物館を指している。
「現代の商業施設は勿論ですが、色々な国のお料理を食べられるお店も軒を連ねていますし。うーん。社会科見学と遠足を足したみたいなものです。なので気分は引率の先生ですよ」
余談だが、掬水と共に街中を歩いていると、掬水が女性に声をかけられたり、スカウトと思しき人物に「モデルに興味ない?」と言われたりする事が多い。
彼女は生まれながらの人間として、『人として在る』事は初めてである掬水の保護者であるとも自認しているので、どうにかかわしてはいるが。
「…大切にしているんだね。ボロボロの子を拾って、綺麗にして、お世話をして」
「いや拾ったと言いますか、見付けたのは偶然ですし。世話をしたりするのは、御神刀となってもらう上で当たり前の事をしているだけですよ」
やはり何の事も無さそうに答える彼女を眩しそうに見て、白銀命は呟いた。
「そういう所は、昔から変わらないね」
「神議り?行きませんよ。私は」
『行かないのですか!?』
「行かないのですか!?」
イコマとニコマ、そして掬水は異口同音に声を上げていた。
彼女が人神となり、半年以上が経過した。10月も差し迫ったある日の事。神議りの出欠席を問う書状が彼女の元にも届いたのである。今やすっかり彼女の秘書的な振る舞いも板についた掬水が書状を持ってきてくれたのだが、彼女は迷わず『欠席』に印を付けた。
三者三様に目をむく仲間達に、彼女は「まず一つ」と告げた。
「神議りは縁結びの会議とも聞いた事がありますけど。そんな事よりもっと他にやる事があるでしょう」
「あの。主様ご自身も縁結びの神でいらっしゃいますが」
掬水の言葉にイコマ・ニコマも頷く。
だが彼女は溜め息をついた。
「縁結びがどーたらと言う前に、切らなければいけない悪縁の何と多い事か。本業の前にやらないといけない事がいっぱいあるんです」
彼女は「もう一つ」と言った。
「第一神議りなんて、要はお酒を飲んで騒いで他人の恋を肴に盛り上がるだけの集まりじゃないですか。もっと他にやる事あるだろってのもありますけど、私は賑やかな席が大嫌いなんですよ」
『そうだったのですか!?』
「そうだったのですか」
「苦痛を覚えるくらいに嫌いです」
イコマ・ニコマと掬水に、彼女は顔を顰めて答えた。
もう少し正確に言うと、賑やかな席と言うよりか、飲み会など『いつ終わるかわからない時間の中で、見知った相手でもそうでなくても、不特定多数の相手と雑談を楽しむ』事が、彼女は大の苦手なのだ。
彼女は「更に一つ」と続ける。
「そもそも私は神通力を預かっただけの只の人間です。しかも縁切りばかりしている不吉な存在。いや。掬水君を貶している訳ではなく、私の神としての活動の方針の問題で」
自嘲するでもなく事実を述べるだけの口調だ。だが掬水にフォローを入れる事は忘れない。
「そんな中途半端で不吉な存在を不快に思う神様は確実においででしょ。下手をしたら『穢れ』扱いで叩き出されるかも」
彼女は「おお怖い」と身震いしてみせた。
「しかしながら主様。縁切りで有名な神様は、主様以外にいらっしゃいますよ?」
「あちらは格も歴史も知名度も実力も違いすぎです。比較に出したら向こうに失礼なくらいです。いや。掬水君が失礼だと言ってる訳ではなくて」
彼女はばっさりと切り捨てつつも、やはり掬水にフォローを入れる事は忘れない。
「なので行かない方が無難だと思うんですよ。そういう訳なので返送してきます」
「それはわたくしの仕事ですから!」
「あ。そうでした」
いまいち『主として従者を使う』事に慣れていない彼女を、掬水は慌てて止めた。
そんな主従コンビのやり取りを必然的に傍観する立場となっていたイコマとニコマは、困ったように顔を見合わせたのであった。
「何か来ましたね」
人神としての彼女の感覚は、確実に常と異なる気配を捉えていた。立ち上がりかけた途端、『主様!!』と慌てた声と共に、イコマ・ニコマが勢いよく虚空から出現する。
彼女は無論だが掬水も驚いた。掬水は掬水で、すわ緊急事態かと、本体である刀を手にしている。
何せ普段は『主様〜』とふわりと現れるか、転がるように駆けてくるかのイコマ・ニコマである。驚きつつも平静さを保ち、彼女は何事かと問う。イコマ・ニコマは右往左往していたが、ようやく口を開いた。
『白銀命様がおいででございます!!』
「はい?」
「こうやって、直に顔を合わせるのは初めてだね」
神社の広間は上座に座する白銀命は、平伏する彼女達に顔を上げるように言って切り出した。彼女は「はい」と応じる。
「改めまして、この度推薦を頂きました人神です。こちらは御神刀として迎えました掬水、こちらは神社の番を任せておりますイコマとニコマ。そして私を助けて下さる神主の皆さんです」
流石に本物の神、それも高位の存在を見るのは初めてらしい。宮司一同は色を失っている。掬水もまた、同じ付喪神と言えどまるで比較にならぬあまりの神威に緊張しているようだった。
「うん。話を聞いた事がある子達だね」
「早速ですが、今回は何の御用で見えたのか、お伺いしてもよろしいでしょうか。私は何かしてしまいましたか?」
彼女が一番思い当たるのは、『自分が何かをしでかした』である。しかし同時に、心当たりは全く無い。良縁を結ぶ事を前提に悪縁をひたすら絶ってはいるが、神としては至って普通の活動だと思っている。
しかし白銀命は「そうじゃないよ」と優しく返した。
「君が、神議りに出ないと聞いたから」
「はい。元が只の人間、かつ縁切りをしている不吉な存在はいない方が無難かと思いましたので」
「それはより良い縁を結んで、その縁が良い形で続くように考えての事だよね?」
「確かに仰る通りです。しかし、私の素性とやっている事を不快に思う方は、一定数おいでかと」
白銀命は、悲しげに柳眉を下げた。
「今年の神議りで皆に君を紹介するつもりでいるし、何より、僕の奥さんが自分の事をそんな風に言うのは、僕は悲しい」
「はい?」
さりげない一言に、彼女を始め一同は疑問符を上げた。
白銀命は、はにかむような表情で彼女を見る。
「僕はね。君をお嫁さんにするつもりでいるんだ」
「何故私?」
奇しくもイコマ・ニコマに人神に指名されたのだと言われた時と同じ問いになった。
白銀命は、驚いたように身を乗り出す。
「だって、いつもデートしているよね?夢の中だけど」
「いやあれ1on1…業務の調子を聞き出す為の面談じゃないんですか?」
「夢の中で会ってらしたのですか!?」
『夢で逢瀬を!?』
思わずといった調子で口を開く掬水にイコマ・ニコマと、目をむく神主一同を軽く振り返り、彼女は片手で手刀を切った。
「あーすみません。夢と言えど最高存在と会っているなんて驚かせると思ったから、言わないでいたんです」
「…どうやら、至ってビジネスライクに捉えられていたようですね」
白銀命の横に控える羽々矢と名乗った従者が、『沈痛』としか表現しようの無い表情と口調で告げた。
白銀命は困ったように、形の良い眉を下げた。
「好きでないと、会いになんて行かないよ?夢の中だけど」
「いや。そもそも仕事だと上司に当たると思ってますので、そういう前提自体を思い付かないです」
「君を神に指名したのは、勿論君の器量を見込んでの事だけど、神としての実績を積んでもらって、いずれは正式に神の仲間入りをしてもらって、ずっと一緒にいられるようにしようと思っていたのに」
「いやめっちゃ私情込みの人事ですか」
次々に明かされる事実に反応できているのは彼女くらいである。
「要するに人神指名は結婚が前提だったんですか?」
「うん。人の身のままだと絶対に断られると思ったし、何より、寿命が限られているし」
白銀命は、悲しげに目を伏せた。彼女は「えーと」と頭痛を堪えるような表情で、こめかみに人差し指を当てている。
「事情は把握しましたが、私はそもそも結婚だの恋愛だのに夢も希望も持っていません」
『そうだったのですか!?』
イコマ・ニコマを始め全員が驚いて彼女を見たが、彼女はマイペースに返す。
「私自身が興味が無いだけですよ。でも、そこはそれ。世の中には良縁が必要な人もいますから、仕事としてはきちんとこなします。それだけです」
彼女は白銀命に視線を戻した。
「第一、人神という役目を与えられた以上、やらないといけない事が沢山ですから、結婚なんて考えられません。色々言いましたけど、こうやって拒絶したら、私や神社の関係者は何かされるんですか?」
「そんな!しないよ!」
白銀命は慌てて首を横に振った。
「君に僕を好いてもらって、君の意志で僕の元へ来てくれないと」
「いやですから仕事上の間柄が前提ですし、そもそも三次元の相手と恋愛する機能は、私には搭載されていませんから」
二次元なら愛する者が佃煮にできる程いるのだが。彼女は生粋のオタクである。
「…あの。人間のような事を申しますが、やりもしない内から諦めるのはどうかと」
羽々矢が控え目に口を挟んだ。
「主様。これは、この上なく名誉なお話だと、わたくしは思いますが」
「名誉だって思える価値観を持っていればの話ですけどね」
掬水に彼女は変わらぬマイペースで応じた。
『そうです!まずはお友達からは如何でございましょう!』
『人間の恋の始めは、そのようにすると聞いた事がございます!』
「イコマさんとニコマさんまで?」
如何にも「いい事を思い付きました!」といった表情のイコマ・ニコマがした提案に、白銀命の顔が輝いた。すすすすと上座から彼女に近寄り、彼女の手をそっと握って顔を覗き込む。
「いきなりが無理なら、まずはお友達からで始められないかな?」
羽々矢が応援するかのように両の拳を握っている。掬水も似たようなものだ。イコマ・ニコマは期待に満ちた顔で尻尾をぱたぱたと振っている。後ろから宮司が「何事も経験ですよ」と小さく告げた。
「…上司という前提から切り替えるのが時間がかかりますが、わかりました」
観念した顔で彼女が言うと、一同はわっと湧く。
安堵の表情で息をついた白銀命は、にっこりと彼女に笑いかけた。
「神議りにはきちんと出てね」
「…はい」
かくして、一風変わった付き合いは、それは賑やかに始まったのである。