2
(警察なんて、信用ならないな)
飲み干されたカップを置き、僕は筆を執る。僕にできることはただ一つ。この残虐非道な事件を調べ、世間に警告することだ。我らが街の警察はこんなにも無能なのだと、残酷な人間から自分たちが彼らを守るのだと。そう世間に伝えるべきだ。
「君は本当に真面目だね」
「僕は当然のことをしているだけさ」
目の前で呆れたようにため息を零すちゅう秋に一瞥をくれてやり、僕は真白いノートに『土鳩殺害事件の調査』と殴り書いた。──これが僕の人生を大きく揺るがすひとつになるとは、知らず。

僕は早速、土鳩が殺害されていたという現場に赴いた。幸い、新作を出したばかりで本業の小説の執筆スケジュールも空いている。怒られることも、締切で急かされることも無いはずだ。僕はメモ帳と財布を持って、身一つで一番近い事件現場に辿り着いた。
──寂れた公園の、ブランコの上。今は赤いカラーコーンとキープアウトのテープがその場を区切るように貼られており、本来のイメージにそぐわない、物々しい雰囲気となっている。僕は歩みを止め、じっと見つめた。
「……夥しい血の量だな」
一つだけ黒く染まったブランコに、眉を顰める。まるで赤黒い絵の具をぶちまけたかのようだ。地面に流れ落ち、染みついた血液らしき物も色を変えて赤黒い斑点を作っている。──随分と凄惨な現場だったのだろう。住宅街ではない為に通報が遅れたこともあり、当時は酷い悪臭が立ち込めていたらしい。今日この現場に来てわかったが、確かに人通りは少なく、精々通勤通学のサラリーマンや学生がチラホラと通る程度だった。
「可哀想に……」
『KEEP OUT』と書かれた黄色いテープの前に跪き、両の手を合わせる。祈りを捧げ、ふと振り返れば少女と目が合った。
(この子、いつから……)
驚いたのも束の間。少女の美しさに息を飲む。──まさに“絶世の美女“。そう言わんばかりの見目の良さに、僕は直ぐに反応することが出来なかった。数十分にも感じる時間、僕達は見つめ合い……最初に折れたのは、僕の方だった。
「えっと……何か用かい?」
「……」
3
じっとこちらを見据える彼女に、僕は躊躇う。整った顔と真正面から長時間向き合っていられるほど、図太い神経をしていない。
綺麗な黒曜石のような瞳に、腰まで伸びた鴉の羽毛のような艶やかな黒髪。雪のように白い肌に乗る、桜色の唇。そして細い四肢と文句の付けようがないプロポーションが、彼女を神秘的に魅せている。年齢は――高校生くらいだろうか?
彼女のあまりの美しさに、妻がいる身ながらも見惚れてしまう。しかし、そんな愛らしさとは裏腹に、少女らしからぬ表情をする彼女に僕は眉を顰めた。
(何かしてしまったのか?)
まるで睨みつけられるような、鋭い瞳。……もしかしたら、悪戯をしていると思われているのかもしれない。僕は両手を上げ、何も持っていないことを示すと、ゆるりと首を振った。
「大丈夫、悪戯をしている訳じゃない」
それを聞いた少女は、驚くように目を見開いた。的外れなことを言ってしまったのかもと思うと、ぶわりと変な汗が出てくる。ごほんと空気を帰るように咳払いをしたのは、自然だろう。
「……君は、どうしてここに?」
僕は少女に声を掛ける。彼女の様相から内心で『天使』と名付けると、ゆっくりと立ち上がった。少女は応えない。僕は彼女の手元を見て、再び彼女を見る。
「君は、土鳩供養をしにきたのかい?」
続けて、僕は美少女に声をかける。彼女はぴくりと肩を跳ね上げると、視線を逸らした。向かっている先には、土鳩の亡骸があったブランコが鎮座している。ゆっくり戻ってくる視線が、かち合う。ビビッと走った電流に、僕は知らず背が伸びる。……出会ってから既に数十分見つめ合っているはずなのに、初めて視線があったような気がした。少女は自身の持つ花を見下ろすと、ゆったりと桃色の唇を開いた。


「時間がありません」
「今は何も聞かないでください」と言って彼女は直進するとテープの前に花を添え、両手を合わせた。数秒祈りを捧げたかと思えば、早々に立ち上がり踵を返した。僕は一連の流れを見送り、ハッとする。
「待ってくれ!」
「……何ですか?」
「あ、えっと……君は、土鳩の殺害事件について何か知っているのかい?」
彼女の腕を取り、問う。自身でも思った以上に必死な声が出てしまったような気がするが、気にしている余裕はない。ぐっと腕を掴んだ手に、上から彼女の手が被せられる。宥めるような手に力が抜け、徐々に手が下ろされる。少女は少しの間、沈黙を置き、ゆっくりと口を開いた。

4
「……知らないと言えたら、どれだけよかったか」
「何だって……?」
「ですが、気軽に話すには私はまだあなたを信じ切れていない。どうか、今日は見逃してください」
ぺこりと下げられた頭に、僕は目を見開く。僅かに見えた、泣きそうな顔に慌てて彼女の腕を離した。
(僕はなんてことを……!)
「す、すまない! 脅えさせるつもりはなかったんだ! ただ……その、さっきの言葉が気になっただけで……」
「わかっています」
そう告げる少女は、どこか緊張した様子で視線を逸らしている。その様子にやはり脅えさせてしまったのではないかという罪悪感が僕の中に込み上げてきた。
(何やってるんだ、僕は……!)
自分よりも年下の、しかも可憐な少女を虐めるような事……妻に知られたら、それこそ叱りを受けてしまう事だろう。もしかしたら晩飯も無くなってしまうかもしれない。どうしたら伝わるだろうかと思考を巡らせ――だが、それよりも早く、少女の足が土を擦った。土が擦れる音がし、僕は顔を上げる。指先を弄りながら言い淀む少女は、先程のような緊張はどこへやら。へらりと笑みを浮かべた彼女は、その美しいかんばせで、こちらを見上げてきた。
「私は近くの神社によく居ます」
「えっ」
「もし良ければ立ち寄って、貴方のお話を聞かせてください」
どこか恥じらうように、しかし小さな声で言い切った少女は、今度は勢いよく頭を下げると走り出してしまった。その後ろ姿を、僕は茫然と見送る。美少女の赤面というのは、とてつもない破壊力があるようだ。
(……顔が熱い)
ここにいたのが、自分一人でよかった。既婚者でありながら小さな少女にときめくだなんて、笑い話にもならない。ドクドクと脈動する心臓を、深呼吸することで落ち着かせる。そして少女の言葉を思い出し、首を傾げた。
「神社……?」
そういえば、この辺りに古びた神社があったような気がする。あまり行くことの無いそこは、神主が一人だけだったと思うが……。
(もしかして、神社で巫女を務めているのか?)
黒い髪を靡かせて去って行く後ろ姿を見つめ、僕は想像を膨らませる。……確かに、似合う。純日本ともいえるその姿は、日本人であれば誰でも好感を持つだろう。
僕は想像を振り払うと、事件現場をカメラに収め、その場を後にした。
5
「それで、君は何しに来たんだ?」
ちゅう秋の家の居間で、お茶請けの煎餅をぼりっとかじる僕に彼は言った。その表情はやはりというか、不機嫌気味で眉を顰めている。
「あまりにも暇だったから、つい来てしまった」
「調査に行ったのに暇ってどういうことだい?」
「そのまんまの意味さ」
ずずずと茶を啜って、僕は淡々と言葉を続ける。元々、調査と言っても現地を見に行ってみようという思いつきだったのだ。それが果たされ、現地に情報がないとわかっただけ、儲けものではないか。
(収穫といえば、あの少女だけだな……)
えらい別嬪の高校生。そして巫女をやっているらしいという情報を脳で再生しながら、僕は次のお茶請けを手にする。ぽりっと軽快な音を立てて、煎餅を齧る。この煎餅、美味しいなぁ。妻の分としていくらか包んでもらえないだろうか。
「……もしかして、誰かに会ったのかい?」
ぽつりと呟くように口にした言葉に、茶請けを口に運んでいた手が止まる。……どうしてそれがわかるのか。もしかして付いてきていたのかと疑いの目を向ければ、ちゅう秋は首を振る。
「そんな顔をしないでくれ。それに、君は私の親友なんだ。わかるに決まってるだろう?」
「……随分と好かれているらしいな、僕は」
「馬鹿言え。嫌いになるものか」
ははっと笑みを浮かべる彼に、僕は肩を竦める。自分の親友はどうやらいろいろと鋭いらしい。彼のブラウンの目が僕を貫き、にやりと弧を描いた口元は嫌な予感を掻き立てた。
(相変わらず、性悪な顔で笑うなあ)
「ずばり。出会ったのは美しい女性だろう?」
「よくわかるじゃないか」
「だろうと思った」
軽快に笑みを浮かべる彼に、僕はニヤリと笑みを浮かべると差し出された茶を再び啜る。少し濃い茶を舌の上で転がし、僕はラジオから流れる今日の天気や道路状況などに耳を傾けた。
彼の妻が料理をする音が僅かに聞こえる中、僕はどうこの場を切り抜けるか思考を巡らせた。女性絡みだと気づいた瞬間、明らかに弧を描く彼の口元に、苦い思いが込み上げる。……面白がっているのが伝わってくる。
「奥さんがいるくせに不貞を働くなんて、私は親友として情けないよ」
「何言ってるんだい、相手はまだ高校生だよ。そんな事あるわけないじゃないか」
「本当か?」
「もちろん」
「それにしては頬が赤い気がするが」
そう言われて僕は一気に居心地が悪くなった。
6
……確かに彼女はかなりの美人で、年齢と環境さえ違えば口説いていたかもしれない。故に、正直にバツの悪そうな顔をしてしまったのは、仕方がないだろう。ことりと置かれたパスタから芳しい香りが漂い、僕は顔を上げた。黒髪をひとつにまとめた彼の奥さんが、ニコリと細い目で笑む。
「どうぞ。お昼ごはん、食べるでしょう?」
「どうもどうも。ありがとうございます」
「あなたも」
「ああ、ありがとう」
サラダを受け取り、僕は頬を緩める。こうして食事を頂くのはそう珍しい事ではないが、やはり美味しそうな香りに空腹が刺激されてしまうのは仕方がないだろう。そんなことを思っていれば、ちゅう秋は面白がるように声を上げた。
「そうだ、君も聞いてくれないか」
「なんですか?」
「おいやめろって」
「こいつ、美人を見て浮足立っているらしいんだ。美人な奥さんがいるっていうのに、酷いと思わないか?」
「まあ」
ちゅう秋の声に、彼の奥さんは声を上げる。からかうような声に、夫婦になるとそういう所も似るのかと言いたくなってしまう。
「奥さんに告げ口してしまいますよ~」
「いやいや、そんなつもりは」
「ははっ、いやいや、そうだったね。君は何だかんだ言って、一途だもの」
「ふふっ。ええ、そうでしたね」
「おいおい、恥ずかしい事を言うなよ」
「違うのかい?」
「う……その言い方は卑怯じゃないか?」
「字書きが言葉で負けてどうする」
心底楽しそうな声で笑い、こちらを見つめる彼に、僕は肩を落とす。彼のこういったところは、何年経っても慣れない。それに、残念ながら字書きだからといって、口達者なわけではないのだ。
ふるりと首を振って、僕はパスタを口に放り込んだ。

僕は昼食をちゅう秋の家で摂ると、再び調査と言う名の聞き込みに回る事にした。――というのは言い訳で、実際は彼らからの追求から逃れたいだけだったのだが。
しかし、こちらも残念ながら元々聞いていた情報以外、得られたものはなかった。完全に無駄足となってしまった現状に、落胆した僕は今度こそ家へと帰った。
「おかえりなさい、あなた。思ったより早かったんですね」
「ただいま。調査が上手くいかなかったんだ」
「あら、それは残念でしたね」
眉を下げる自身の妻は、僕の手から鞄を受け取ると「お夕食、出来ていますよ」と声を掛けてくれた。
7
僕は礼を告げ、早々に準備を済ませると食卓につく。準備を進めてくれる妻の横顔を見て、ふとちゅう秋との会話が脳裏を過った。
(いやいや。そういう訳ではないし)
そうは思っても、過ぎった思考は中々止まらず。果てには少女——『天使』を思い出すにまで至った。それは自然と自身の妻に重ねてしまい――。
(……やっぱり、違うな)
あの少女に見た、若気だけにあるあの瑞々しい美しさとは違う、清廉で凛々しい横顔。酸いも甘いもを知った彼女は人間的な奥深さを垣間見せるが、天使のような初々しさは見えない。――それもそうだ。一回り以上違うのだから。
(……僕は何を考えているのか)
二人の魅力の違いをまざまざと見せつけられたようで、僕はざわつく心を抑えるように、揃えられた料理へと両の手を合わせた。

翌日。世間では週末の休みが訪れる中、僕は再び取材に出る為の用意を進めていく。時間は朝十時。僕は鞄を持ち、家の中に声を掛けた。
「取材に行ってくる」
「はい、お気をつけて」
にこりと健気に玄関口で笑う妻に笑いかけ、勇む足取りで家を出た。
結局、一晩考えた末に決めたのは、あの天使に会いに行くことだった。無論、初対面のおじさんに彼女が正直に言ったという証拠はない。だが、それでも何か知っている様子の彼女に、話を聞く必要性があると思ったのだ。天使を疑う気はないが、やはり疑わずには居られないのが記者というものである。最悪、彼女が居ないことを覚悟して僕は先へと進んでいく。
昨日行ったばかりの公園を通り過ぎ、住宅をいくつか越えれば、見えてきたのはこの辺りに唯一存在する小さな神社だ。午前中であることもあり参拝客がちらほらと見えるが、その人口は十にも満たない。事前の認識通り、廃れた神社だ。


「こんにちは。いらしたのですね」
――予想に反して、天使はそこにいた。
鳥居の傍。箒を持った彼女は鬱蒼とした木々の下で佇んでいた。
「おや、どうも」
被っていた帽子を取り、小さく会釈する。あの時と同じ黒いセーラー服に身を包んだ彼女は、ふわりと笑みを浮かべた。
「まさかこんなに早くお会いできるとは思ってもいませんでしたよ」
「僕もだよ。てっきりいないものだと思っていたから」
「……いないと思っていて、来たんですか?」
「まあね。でも、よく言うだろう? 信じる者は救われるって」
「なんてね」と笑えば、少女も驚いたように目を見開いて、次いで笑みを浮かべた。
「おかしな人ですね」
「そうかい?」

8
「ええ。とても」
くすりと笑みを浮かべる彼女に、思わず心臓が高鳴る。……絶世の美女というのは、どこで見ても変わらない美しさを持っているらしい。僕は一つ咳ばらいをして意識を逸らすと、天使の持つ物へと目を向けた。箒を持つ手の反対には、汚れた雑巾が握られている。それは既に使われた後だったようで、彼女はそれを用意していたバケツの縁へと引っ掛けた。その様子に、純粋な疑問が浮き上がる。
「何をしていたんだい?」
「土鳩たちが寝泊まりする場所を掃除していたんです」
「君が?」
「おかしいですか?」
苦笑いを浮かべる彼女に、僕は眉を寄せる。おかしいわけではないが、巫女服を着ていないまま掃除しているのは服が汚れてしまうのではないだろうか。僕はふるりと首を横に振って、否定する。
「いいや。おかしくはないと思うよ」
「何ですか、その含みのある言い方は」
むっと頬を膨らませる天使に、思わず笑みが浮かぶ。可愛らしい反応に満足していれば、天使は小さく息を吐く。
「鳩達は夕方に餌を食べにここへ帰って来るんですよ」
「へえ」
「根倉にもなっているんですよ」と言って空を見上げる少女は、まるで何かに想いを馳せるようで。自然を背景にして佇むその姿に、見惚れてしまう。——気がつけば、僕は「手伝うよ」と声を掛けていた。
彼女の足元に置いてあるバケツにかかっていた雑巾を手にして洗うと、まだ汚れている石畳へと手を伸ばした。白くなった糞に少し尻込みしてしまうが、此処で引いては男が廃る。
「……別に、いいのに」
そう言う彼女の独り言を聞こえていないふりをし、僕は掃除をする手を動かした。少しして、天使も掃除に取り掛かった。もちろん、二度目に会う僕たちに盛り上がる話題があるわけもなく、黙々と時間は過ぎていく。
――どれだけ経っただろうか。
「これくらいかな」
「そうですね」
掃除を終えた天使と僕は、掃除用具を片づけると彼女が用意したらしいブルーシートに腰を下ろした。神社の土は柔らかくて、どこか優しい感覚がする。大きく息を吸い込めば、緑の良い香りが鼻腔を擽る。
「手伝ってくれて、ありがとうございます」
「いや、なに。突然押し掛けて来たのは僕の方だからね。これくらいは当然さ」
嬉しそうに微笑む彼女に、僕も笑みを浮かべる。空は既に天辺を回っており、時間は一時を過ぎているか否かくらいだろう。

9
鞄から魔法瓶を取り出し、乾いた喉へと流し込む。隣で少女も自身の鞄から取り出した魔法瓶を煽っていた。もし持っていないのなら分けてあげようと思っていたが、その必要はなさそうだ。
「また、取材ですか?」
「おや。よく気が付いたね」
「女の勘です」
ふふと笑う天使を、改めて見つめる。美しく、可愛らしい容姿に思わず目が釘付けになる。桜色の唇が可愛らしい魔法瓶から外されるのを見て、ドクリと心臓が高鳴る。……意識してしまうのは、男の性か。それとも全人類に共通するものなのか。そんなどうでもいい事を考え、僕は視線を無理矢理外すと少し汚れた指先を見つめる。こんなにしっかりと掃除をしたのは、何時ぶりだったか。どっと襲い来る疲労に、重い息を吐く。
(これでは取材どころじゃないな……)
確かに彼女の言う通り取材に来たのだが、思わぬ労働に僕は疲れその気力を失ってしまっていた。少女にそう告げれば、くすりと笑みを浮かべられた。
「ふふっ。思ったより自由な人なのね」
「そうかい?」
「そういうとこ、嫌いじゃないかも」
くすくすと、どこか上機嫌に笑う少女は再び空を見上げる。釣られるように上を見れば、木漏れ日を作る木々の奥に見える空。清々しいそれは、どこまでも広がっているように見えた。少女が口を開く。
「土鳩を世話しているのは、私なんです」
「そうなのかい?」
「ええ。ここの神主さんに許可を頂いて、毎日餌やりと掃除をしているんです」
「へえ」
意外な事実に、僕は感嘆の声を零す。まさかこの少女が土鳩の保護紛いの事をしているなんて、思わなかった。
(けど、野鳥への勝手な餌やりは禁止されているはずだけれど……)
特に、今話題になっている土鳩への接触は以前よりも更に強く規制が敷かれているはず。……なんて言ったところで、僕には彼女の行為を誰かに告げ口する気もないのだけれど。
「それじゃあ、今日のところは取材はお休みとしよう」
「えっ。いいんですか?」
「君と土鳩の憩いの時間を邪魔するわけにはいかないからね」
「そう、ですか」
そう言って視線を下げる天使。俯いた彼女の表情は見えず何を思っているのかよくわからないが、嫌そうな雰囲気は感じないので大丈夫だろう。
(今時の子は何を思うんだろうか)
少しばかり気になってそんな事を考えたのは、自分だけの秘密だ。流れる沈黙に、僕は徐々に居心地が悪くなり、話題を探すように思考を巡らせた。……確かに自身は記者ではあるものの、本業は期日に追われる小説家。そんな、ほとんど家に籠っているような男に、少女のような若い子の流行りがわかるわけもない。小説のターゲット層ですらないのだから、仕方ないだろう。……そう思いたい。
10
どう声を掛ければいいのかと悩んでいれば、ふと目の前に茶碗が差し出された。僕は勢いよく起き上がると、零れる前にと茶碗を受け取った。そこに盛られていたのは、生の玄米。
「これは?」
「鳩たちのご飯です」
(ほう、これが……)
じっと玄米を見ていれば、天使がくすりと笑って「食べちゃだめですよ?」と告げる。それに慌てて首を振れば、「冗談です」と笑われた。
「年上を揶揄うんじゃないよ」
「すみません、つい」
くすくすと楽しそうに笑う彼女に、僕は毒気が抜かれてしまう。可愛らしい悪戯は、僕にとってはちょっとした刺激でしかない。つまり、怒るほどの事でもない。
「それじゃあ、お詫びに鳩達にご飯あげてみませんか?」
「えっ。いいのかい?」
「はい。とはいっても、そんなに面白いものでもないですけど」
「いやいや、そんなことは」
謙遜する言葉に否定を重ねる。玄米をからりと茶碗で転がし、僕は笑む。
「ぜひ見学させてくださいな」
そう告げれば、天使は嬉しそうに顔を綻ばせた。僕は写真を撮る機会もあるかと荷物からカメラを取り出すと木の根元に置き、茶碗を持ち直す。土鳩が向かってくるのを待ち構えるように空を見上げる。
「とはいっても、見られるのは夕方からなんですけどね」
「そ、そうなのかい⁉」
「はい」
クスクスと聞こえる微かな笑い声に、羞恥で顔が熱くなってくる。さっきといい今といい、どうやら彼女は美貌だけではなく、お茶目さも揃えているようだ。片手で頭を押さえ、息を吐く。
(してやられたなぁ)
そう思うのに、何故か嫌な気分にはならないのだから不思議だ。
「うーん……流石に時間が空いてしまうなぁ」
「そうですね」
(どうしたものか……)
唸り、思考をめぐらせる。このままここで天使と話していてもいいのだが、さすがに彼女の仕事の邪魔になってしまうだろう。大人として、それはいけない。
「それじゃあ、僕はここで待っているよ。君は仕事に戻りなさい」
「えっ」
驚いたように声を上げる天使。僕の顔を真っすぐ見つめた彼女は、少し考えるような素振りをしたかと思うと僕をじっと見つめた。思いのほか熱烈な視線に居心地が悪くなる。——しかし、かけられた言葉に、僕はその熱が増すことになった。
「私、巫女さんじゃないですよ」
「……え?」
「私の通っている学校、バイト禁止ですもん」
そう告げる彼女に、僕はもう顔を上げることが出来なかった。
(勘違いしていたのか僕は……っ!)