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顔を明るくした僕に気が付いたのか、ちゅう秋は満足げに微笑むと湯呑をゆっくりと置いた。その仕草は、まるで小説に出てくる探偵のようで。
「また会った時にでも、聞いてみるといい」
「……そうするよ」
僕は頷く他、無かった。
「それより、私の最愛の妻が用意した茶請けをひっくり返すとは。君にはマナー講座を開いた方がよさそうかい?」
「す、すまない! 今すぐ片づける」
「ははっ、冗談だよ」
軽く笑みを浮かべる彼に、僕はハッとして苦笑いを返した。心に蟠っていた突っかかりは、いつの間にか消え去っていた。
その後、他愛もない話をした僕たちは、話し込んだ挙句、酒盛りまで始めてしまった。心配した妻からの電話に謝罪と今日はちゅう秋の家に泊まる事を伝えた時は罪悪感でいっぱいだったが、それも夜が更けていく毎に薄れていく。僕は久しぶりに楽しい時間を過ごし、眠りについた。

「おい、おい。起きろ」
「んん……。ちゅう秋か。どうして君がここに……?」
「昨日家に泊まったんだろう。もう昼過ぎだよ」
「昼……あっ!」
バッと勢いよく起き上がった僕は、そのままの勢いで時計を探す。見かけた時計は既に十二時半を指しており、外の陽は高く上りきっていた。昨日、妻に告げたのは『昼前には帰る』という旨。つまり、寝過ごした。
慌てて起き上がり、僕はその勢いで帰り支度を始める。その様子をちゅう秋は茶を啜りながら傍観していた。
「帰るのかい?」
「もちろん。妻には昼前に帰ると伝えていたんだ」
「おや。それは大変だ」
「そう言うのなら、声くらい焦った様子を取り繕ってくれよ」
優雅に珈琲を啜る彼を軽く睨めば、ちゅう秋は「自分も今さっき起きたばかりなんだ」と苦笑いを零した。……まあ、元は飲み過ぎてしまった自分が悪いのだけれど。
「それなら、君の昼飯は要らなさそうだね」
「ああ。何から何まですまないね」
奥さんにも伝えておいてくれと言葉を続け、僕は持って来た荷物を肩に掛けて勝手知ったる家の玄関へと急いだ。
「気にすることはない。それより、道中気を付けて」
「? ああ」
湯呑を置いた彼は玄関へと向かう僕を追いかけてくると、珍しく僕を玄関まで見送ってくれた。玄関先でひらりと振られる手の、何と不吉な事か。
(急にどうしたんだ?)
友人のらしくない反応に、訝し気に眉を寄せる。……わざわざ見送られるなんて、何時ぶりだろうか。
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いつもなら適当にリビングに放って自室へと戻ってしまうし、何なら「気をつけて」なんて気遣いの言葉を掛けてくる事もない。
(何かあったのか?)
自分の知らないうちに、何か、自分に関係のあるようなことが。
「……考えすぎか」
彼の事だ。どうせ気分が向いたとかそういう話だろう。考えたところで気まぐれな彼の心情を悟るのは、無理にも近い話だ。それより、さっさと帰らなければ。妻が心配しているかもしれない。そう思うと足が逸る気がした。

「ただいま」
「おかえりなさい、あなた」
玄関を開けるのと同時に、パタパタと駆け寄って来てくれた妻の姿にほっと胸を撫で下ろす。そして、頭を下げた。
「昨日はすまなかった。急に泊りだなんて……夕食を準備してくれていただろう?」
「ええ、まあ。でも、私が昨晩と朝に頂いてしまいましたから、無駄にはなっていませんよ」
「そうなのかい? それは……本当に悪い事をしてしまったね」
「ふふっ、冗談です。気にしないでくださいな」
「昼食、作ってありますから」といって微笑む彼女に、瞬きを繰り返す。いつもよりとげとげしかった言葉は、どうやら彼女のちょっとした仕返しだったらしい。僕はその事に安堵しつつも、昨夜忘れたはずの罪悪感が再び込み上げてくるのを感じた。
申し訳ないともう一度謝罪をして、家に上がる。掃除をしていたのだろう。掃除機が置いてあるのを見て、僕は彼女に声を掛けるとそれを片づけた。罪滅ぼしにも成らないだろうが、少しでも彼女の助けになれればと思ったのだ。ふと、リビングに戻ってくればテレビの音が聞こえてきた。ニュースでも読み上げているのだろう。無機質な声に視線は自然と引かれる。
(そういえば、あれから土鳩の殺害ニュースは見ていなかったな)
遂に犯人も飽きたのか、それとも世間が飽きたのか。最近のニュースでも新聞でも取り上げられない話題は、次第に犯人像へと視点が移っていた。――曰く、精神の未成熟な少年少女が犯人だとか、曰く病んだ者が復讐を果たすように続けているだとか。ひどい噂であれば、犯人はマッドサイエンティストだとか言う者もいる。見て、考える人の数だけ憶測が飛び交っては、手掛かりの一つも掴めていない状況に地団駄を踏んでいるばかりだ。警察もアテにならないなと思いつつ、僕は今後のスケジュールに想いを馳せた。
「今日は警察に聞き込みに行ってみるか」
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もしかしたら、飽きたのは犯人ではなく世間の方なのかもしれない。そんな予想を立てながら、僕はリビングに戻り——唖然とした。
「……嘘だろ」
『土鳩、またもや残虐死体発見⁉ 犯行現場は神聖な神社で……』堂々と画面の右上に大きく書かれたテロップに、僕は血の気が引いていく思いがした。映像に映るのは、神妙な顔をして状況を伝えるニュースキャスターだけで。
「あ、それ。今日の朝から騒がしかったんです」
「朝から?」
「ええ。てっきりご存知かと」
妻の言葉に、僕はテレビから目を離さないままふるりと首を振る。……自分が寝こけている間に、何があったのか。既に切り替わってしまったニュースから視線を逸らし、妻を見る。焼き魚とみそ汁を置いた彼女は、顔を上げると気の毒そうな顔でテレビに視線を向けた。
「ひどい事件ですよね……」
「見つかったのは何時だって?」
「え? えぇっと確か……昨晩の二十三時過ぎに酔っ払った人が見つけたとかなんとか」
「昨晩の、二十三時過ぎ……」
(僕が酒を飲んでいた時にそんな事が起きていただなんて)
原因を突き止めてやると言ったくせに、何も出来ていないどころか土鳩たちが苦しんでいる間に笑って楽しんでいた自分に、自己嫌悪感が込み上げてくる。——嗚呼、なんと不甲斐ない。はあっとため息を吐いて、僕は食卓に着く。いただきますと両手を合わせれば、向かいで彼女も両手を合わせた。
僅かに重い気持ちで食事を進めていれば、ふと妻が思い出したかのように声を上げる。
「そういえば、犯行現場になった神社ってこの近くなんですって」
「えっ?」
「知りませんか? 近くの住宅地にある小さな神社で、赤い立派な鳥居があるんです」
「!」
ガタンッと大きな音を立てて、僕は立ち上がった。驚いた妻に、僕はまくし立てるように声を連ねる。
「今、なんて言った」
「え、えっと……住宅地で、赤い鳥居のある神社ですけど……」
(住宅街にあって、神社で、赤い鳥居がある……?)
――そんなの、一か所しか知らない。
茫然とする中、妻は思い出したかのように声を上げた。
「そういえば、以前近くの公園でも同じような事件が起きたとか……聞いたのですけれど……」
戸惑う彼女の声が、徐々に小さくなっていく。込み上げてくるのは、殺意にも似た怒りだった。——僕は跳ね上がるように駆け出した。
「すまない!」
「ちょ、ちょっと、あなた!」
「帰ってきたら食べる!」

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「すまない!」と再び声を上げて、僕は自分の鞄を引っ手繰ると再び外へと飛び出した。運動不足が否めない足を必死に動かし、ひ弱な肺に酸素を注ぎ込む。膝が折れそうになるのを何度も堪え、僕は街を走り抜けた。見えた神社の近くには、野次馬とパトカー、そして青色の制服を着た警察で賑わっていた。

――正確にいえば、犯行現場は神社に至るまでの道だったらしい。人々の足元の隙間から見える水たまり程の大きさの血溜まりは、未だ流されていないようだ。そのせいか、どこか血生臭い臭いが周りに漂っている。
「怖いわねぇ……」
「誰がやっているのかしら、こんなこと」
「迷惑よねぇ、ほんと」
ひそひそと話す婦人方に謝罪をしつつ、僕は人混みをかき分けて最前列へと飛び出した。そこに見えた現場は生々しく、凄惨な現状を伝えている。せり上がってくるものを堪え、ふと視線を周囲へと向ける。
「!」
(あれは……)
神社の鳥居から少し離れた、木の下。そこに添えられた花束は、昨日は置かれていなかったはずの物で。
(もしかして)
花束を置いた人物に思い当たった僕は、事件現場を大回りして神社へと向かった。パトカーで塞がれている大通りからではない小道から、足を踏み入れる。ここまで来れば、人通りはかなり少なくなっていた。
神社の本殿の近くまで足を進める。木々が生い茂るそこは神秘的な空気を感じるものの、どこかいつもとは違って見えた。本殿に近づき、中を覗けば神主らしき人間と、数人の警察の人間が見えた。恐らく事情聴取をされているのだろう。……もしかしたら、天使が餌やりをしていたのがバレたのかもしれない。僕は身を潜めてその状況を見送り、警察が後にしたのを見計らって彼に声を掛けた。
「あ、あの、すみません」
「はい?」
「え、ええっと」
振り返る神主に、僕は言葉を詰まらせる。……勢いよく話しかけたのにも関わらず、自分をどう紹介すればいいのかわからず声を止めてしまったのだ。――聞きたいことは決まっている。しかし、どう説明すればいいのか。
(友人……いや、知人か?)
天使と自分は、一体どういう関係なのだろう。
「あの、どうかされましたか?」
「あ、ああ、いえ! えっと……今いらっしゃるのは神主さんだけですか?」
「ええ。そうですが……もしかして、彼女のお知り合いですか?」
「えっ」
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「あの子に会いに来たんでしょう?」
神主の言葉に、僕はハッとして頷く。恐らく彼の言う“彼女”は天使で間違いないだろう。「高校生くらいの」と付け足せば、「存じておりますよ」と微笑まれた。しかし、次の瞬間、神主は申し訳なさそうに眉を下げると恭しく頭を垂れた。
「せっかく足を運んでいただいたのに申し訳ございませんが、彼女は来ていません」
「えっ」
「といいますか……こういった事態になってしまったこともあって、当分来ないようにと言ったんです」
「彼女に何かがあってからじゃあ、遅いですから」と笑う神主に、僕はやっと彼の話を理解した。そして、ほっと安堵の息を吐く。
「そうですか。それは良かった」
徐ろに胸を撫で下ろし、彼女の笑った顔を思い出す。
(巻き込まれていなかったようで、安心した)
会ってしかと無事を確かめられなかったのは些か残念であるが、彼女が無事ならばそれでいい。——そう思った瞬間。後ろから肩が引っ張られ、体が後方に倒れ込む。慌てて足に踏ん張りを利かせたが、一、二歩と後ろに退いてしまった。顔を上げれば、そこに居たのは何時しかの青年だ。
「おい、神主!」
「おや、君は」
「彼女は無事なんだろうな!?」
「ええ、無事ですよ」
「本当か⁉ 彼女は今どこにいる⁉」
「す、少し落ち着いてくださいな」
騒がしく、更に図々しく割り込んできた青年は、神主を睨みつけると声を荒らげた。引き剥がされるように引かれた肩が僅かに痛むのを感じ顔を顰めるが、彼はこちらの動向に気づいてすら居ない。窘めるような神主の声に、しかし彼はヒートアップしていく。
「俺は落ち着いてる! それより彼女を出せ! 早く!」
「か、彼女は今日はここに来ていないですよ」
「はあ!? それじゃあ、彼女は今家で一人だっていうのか!?」
「い、いえっ! 彼女は実家暮らしだそうなので、御家族の方がいらっしゃるかと……」
「うるさいっ! お前なんかに彼女の気持ちの何がわかる!」
神主が胸前で振る手を青年は勢いよく叩き落とす。その勢いは見ているこっちが引いてしまうほど乱暴で、どうやら彼はかなり不機嫌なようだ。そんな青年を見つめ、僕は首を傾げる。
(この青年、どこかで……)
明るい髪に、女ウケのしそうなスタイル。四肢の長さといい、整った顔といい、一般人には到底――。
「あっ、君はこの間の」
「あ? 誰だよ、このおっさん」
「おっ……!?」
(おっさん……!?)

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思いもよらない暴言に、頭の奥でカチンっと金属音が鳴ったような気がした。――若いからといって、言っていい事と悪い事がある。
僕は肩に置かれている手をぐっと握り、ゆっくり下ろしてやるとあからさまに笑みを浮かべた。ぎょっとした顔をする青年だが、彼も負けじとこちらを睨みつけてくる。
「君。どこの誰だか知らないけれど、初対面の人間に対して随分と失礼なんじゃないのかい?」
「はあ? 本当のこと言っただけだろ。言われる方がわりぃんだっつーの」
「君ねぇ、そういう言い方は!」
「やだぁ~、いい男が三人もいるじゃなぁい」
「——は?」
今度は何なのか。甲高い声が媚びるような音色が鼓膜を叩き、思わず荒らげていた声から力が抜けていく。声のした方を見れば、そこには水商売をしている女性のイメージを固めた様な女性が一人、立っていた。大きく開いた胸元からはたわわな胸が惜しげも無く晒し出され、スタイルの出る真っ赤なドレスはいかにもと言わざるを得ない。短い丈のスカートからは細すぎる足が覗いており、ヒールで上げた足元は砂利が敷き詰められたここでは非常に歩きにくそうだ。
「ちっ。なんだよアンタ。ついてきてたのか」
「ひっどぉい! 情報提供したの、私よぉー? むしろ一緒に来るのが当然じゃなぁい」
「ハイハイ。わかったから、くっつくんじゃねぇよ」
くねくねと腰を揺らし、頬を膨らませながら青年に腕を絡ませる彼女に、彼は存外冷たく「しっしっ」と手を振った。女は不服そうに騒ぎ立てるが、青年の機嫌を損ねたくはないのか、ゆっくりと体を離して今度は神主へと絡み始めた。神主は僅かに距離をとりつつも、彼女を邪険にすることなく話に応じている。
(二人は知り合いみたいだけど、女は神主とは初めて会うみたいだな……)
突然出て来た二人の人物に、僕は観察から得た情報を頭のメモ帳に記録していく。女性はどうやらキャバクラで働く女性のようだ。風体がそう告げているし、何より距離の取り方なんかが持っている情報と当てはまっている。彼女にとって青年は良い客なのかもしれないが、どこか距離を置いているのを見るにあまり機嫌を損なわせたくはないのだろう。

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青年の方は天使にしか興味がないらしく、今も神主に詰め寄っている。見た目通りの人間なのだろうと予測を立てた僕は青年を『プレイボーイ』、水商売の彼女を『妖女』と呼ぶことにした。……会話の途中でなんだか名前らしき言葉も聞こえた気もするが、全く覚えられて居ないのだ。——許してくれ。
「それで、お目当ての彼女とは会えたのぉ?」
「いいや。どうやら休みらしい。使えねぇなぁ」
「えー、ざんねぇんー」
(よくもまぁ、そんな声が出るなぁ……)
どこから出しているのか疑問になるような猫なで声に、僕は苦笑いを浮かべる。あまり好ましく思えないが、人によっては好きな人もいるのだろう。……きっと。
妖女は簡単に青年と会話を終えると、神主の首に腕を回してその豊満な胸を押し付けた。たじたじになっている神主に、ご機嫌な笑みを向けている。どうやら彼女は神主を気に入ったらしい。それでも尚、紳士的に対応をしようとする神主に内心で僕は『朴念仁』というあだ名を付けた。三人の名前が決まったところで、僕はゆっくりと青年──プレイボーイへと視線を向けた。不機嫌そうな顔を隠さない彼に思い出すのは、ちゅう秋との会話。僕は深呼吸をすると、プレイボーイに声を掛けた。
「こ、この辺は物騒ですね」
青年は答えない。それどころか不機嫌そうに眉をしかめただけだ。僕は挫けそうになる心を叱咤して、話しかけ続ける。
「君は、その……彼女と仲がいいのかい?」
「あ? 誰の話だよ」
「ほら、よくここに来ている……」
そこまで告げれば、男は見るからに驚いた顔をする。自分以外にも知っている人間がいた事に驚いたのか、それとも話題を振られるとは思っていなかったのか。しかし、彼は数秒後、思い切りこちらを睨みつけて来た。その心境の変化について行けないまま、彼は僕に吐き捨てた。
「彼女は俺のもんだ。手ぇ出したら容赦しねぇからな」
……美形の迫力とは、思っていたよりも凄まじい。ギッと睨んでくる彼に、ひゅっと息が音を立てた。――しかし、此処でひいては男が廃る。そう思った僕はごくりと生唾を飲み込むと、恐る恐る訪ねた。
「君は……あの子の彼氏なのかい?」
「あ? 例えそうであってもそうでなくても、おっさんには関係ないだろ」
「そ、それはそうだが……」
「はっ。それとも何か? あの子にアンタみたいなおっさんが惚れたとでも? その年齢で? 笑わせる!」
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ハハハッ! と豪快に笑みを浮かべる彼に、僕は顔に熱が込み上げるのを感じる。それは怒りにも羞恥にも似ていた。競り合った感情は僕の腹から頭にまで真っすぐ駆け上って来ると、僕に激情を齎した。
「――そうだったとして何が悪い! 人の感情を笑うんじゃない!」
僕は声を荒げた。まるで自分の感情を馬鹿にされたようで、自分の気持ちはくだらないものだと嘲笑われているようで、心底腹立たしかったのだ。
(どいつもこいつも、僕の事を知ったように言いやがって!)
ちゅう秋も、目の前の青年も。人の感情を面白がっているのが透けて見えるのだ。——この感情が、僕が持ってはいけない事だなんてことは、自分が一番理解している。それでも、止められないのだ。理性とは裏腹に、天使への興味も好意も膨れ上がっていく一方で、僕にはどうしようもないのだと。どうしたらわかってもらえるのか。
僕は青年を思い切り睨みつける。一瞬青年が狼狽えたが、やめる気はさらさらなかった。
「君に僕の事なんかわかるわけがない」
「……チッ。いい歳したおっさんがマジになんなよな、だっせぇ」
「っ」
ハッと鼻で笑われ、僕は拳を強く握り込む。このまま振り被りたいのを、必死に抑えつけた。青年はそれを見て更に気に入らなかったのか、踵を返すと後頭部をイラついたように掻く。
「はー、興覚めだ。俺はもう帰る。神主、俺が来た事を彼女に伝えておいてくれ。この俺が、君を心配していたと」
「え、ええ、わかりました。伝えておきます」
背中を向けたプレイボーイは、吐き捨てるようにそう告げると、来た道を戻り始めた。その様子を見ていた妖女は「待ってぇ~」と声を上げながらその後ろ姿を追いかけて行く。台風のような二人の退場に、僕と神主はどちらともなく息を吐いた。
しばしの沈黙ののち、「それじゃあ、僕も」と神主に告げ、家路に戻る。天使が無事であったことに安堵したものの、予期しない騒ぎに巻き込まれてもう満身創痍だった。
「まさかプレイボーイと会う事になるとはなぁ……」
あの光景を見て、そう時間は経っていないのにどうしてこんなことになったのか。はあとため息を吐いて、僕は空を見上げた。既に陽が傾き始めた空は、昼よりも少し雲の量が多くなっているような気がした。どんよりした雲は重く、今にも落ちてきそうである。
(明日は雨か……)
僕はぼんやりと意識を宙へと放る。——しかし、まあ。
「現場を直接見られたのはよかったな」
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調査には、丁度よかったのかもしれない。そう思う僕は、もう立派な記者なのだろう。
帰り際、現場の近くで少なくなった人々から短時間だけ聞き込みをした内容を思い出す。徐ろにメモを書き連ねたノートを見下げれば、走り書きで書かれた文字は到底人に見せられるものではなかったが、情報としては十分な役割を果たしていると思う。
(とはいえ、あまり犯人の手がかりになりそうなものはないんだが……)
書いてある事柄を読み上げ、再度肩を落とす。収集した情報を並べるに、『犯人は不明』である事、『見つけた酔っ払いは近所でもかなりの迷惑男だった。第一発見者となって言い気味だった』事、そして『前日、高校生くらいの女の子が土鳩に餌を上げているのを見かけた』事だけ。……前日に餌をやっていた事がバレているという事は、警察も知っているのだろう。もしかしたらもう天使とあの光景を二度と見ることは出来ないのかもしれないと、僕は更に落胆したのを覚えている。
「せめてこの酔っ払いに話を聞くことが出来ればいいが……」
近所の人曰く彼はかなりのアルコール依存症で、昼間から飲んでいるような人間なのだとか。事情聴取もしっかりと出来たのかすら怪しいと思われるくらいには、普段からだらしない人らしい。話を聞こうにも、しっかりと答えてくれるかどうかは難しいだろう。かといって、彼に話を聞く以外に何か有力な手があるとは思えない。
「締め切りも近づいているしなぁ」
日付を思い出し、更に肩を落とす。……有力な情報がない中、どうやって読者を引き込む様な記事を書けばいいのか。確かに新しい事件が起きた事によってネタは出来たようなものだが、それを面白可笑しく書くのは自分のポリシーに反する。——が、それをしなくてはいけないのが、記者である。
「……仕方がない。神主にインタビューをして、それを掲載するとしよう」
僕は諦めたように呟くと、スケジュール帳に予定を書き込んだ。なんなら、ちゅう秋の知名度を借りて彼の見解を書いてもいいかもしれない。彼はデザイン部門ではかなり有名なのだから、その発言力の大きさにもそこそこ期待が出来るはずだ。しかも顔が良いからお茶の間の奥様方には、非常にウケがいい。僕はそう計画を立てると、彼にスケジュールを確認するために公衆電話へと足を運んだ。