あれから何日か過ぎて、また元通りに雛子は書庫へ勤めている。
三津島の処分は協議中とのことだが、金輪際雛子に近づくことはないようにするとのこと。
修一郎の正体を知ったことで何か怒られたりはしないかと思っていたが、特にお咎めはなく、これまで通り内密にしていれば良いとのこと。
そういうわけで様々な人の計らいのおかげで、雛子は今日も不思議なくらいに平穏な日常を謳歌している。

「あら京さん。どうされましたか?」

今日は来客がないと思っていたら、午後になって京がやって来た。
京はいつもの仏頂面で、何か手元に小さな紙を持っている。

「これ持ってこいって言われた。悪ぃけど、よく分かんないから探してもらえないか」

受け取った紙にはいくつかの書名が書かれていた。

「もちろんですよ。少し待っていてくださいね」

京に探してもらうより、普段から書庫の棚を触っている雛子の方が早いだろう。
颯爽と本棚の海に消えていく雛子を見送ると、京はおもむろに、机で書類仕事をしていた修一郎に声をかけた。

「おい、鬼野郎」

「なんだ。日中は他人のふりをするんじゃなかったのか」

修一郎は顔を上げずに、淡々とそう答える。

「今だけだ。例の件が無事に解決したはいいけどよ、あんたいつから雛子のこと見てたんだよ。どうせ、書庫への配属もお前が決めたことなんだろ」

「いいや、あれは司令官からだ。憑き物を祓ってやってくれ、ってな。俺としては、願ってもないことだったがな」

雛子を書庫室に配属するよう指示したのは、他でもない司令官だ。
雛子が何者かに術をかけられていることに気づいた修一郎が司令官に報告したところ、なんとかしてやれと任されたという経緯があるが、修一郎にとっては幸運なことだっただろう。

「雛子のことは一目見た瞬間から気に入ったさ。必ずこの娘を嫁にすると決めた」

修一郎はようやくペンから手を離して、そう宣戦布告するかのように言った。

修一郎が初めて雛子を見た時、光輝くような眩い笑顔に心奪われた。
やけに高い霊力をもつ娘がいるなと気になって調べているうちに、だんだん霊力ではなく彼女そのものに惹かれていった。
何事にも真っ直ぐで、周囲から冷たく扱われても祓い師になるべく負けじと努力を積み重ねるその心。
年相応の少女らしい笑顔に、その姿に、深く知れば知るほど虜になるようだった。
昔から他者に興味など一切持たなかったはずの修一郎が、想いを抑えきれずに唇を奪ってしまうくらいには。

「一目惚れかよ。それでずっと執着してたのか、信じられねぇ」

「夜叉だって初恋ぐらいするさ。あれだけ隣にいながら何一つ進展させられなかったお前にとやかく言われたくないな」

「うるせぇ。言っとくけど俺は諦めてないからな」

「そうか。諦めは早い方がいいぞ」

揶揄うような返答ばかり返されて、京は舌打ちをする。
策士な野郎めと、あやかしの頂点に立つ男に悪態ばかりついている。

「だからなんだよ。別に雛子だって、まだお前を好きになったとは限らないだろ」

「いいや。雛子は俺に恋焦がれている。それなのに、想いを伝えることができないでいるままなだけだ。夜叉である俺が見通していないわけないだろう。だが、ああ、悩む雛子も愛らしいな・・・・・・」

「クソっ・・・・・・ムカつく鬼野郎だな」

「鴉もどきが喧しいね」

その言葉に怒りが抑えきれなかったのか、彼の背後にうっすらと黒い羽のようなものが浮かび上がってくる。

修一郎が夜叉ならば、京の正体もまたあやかしで。

彼の正体は鴉天狗だ。
縁あってこの機関で人に化けて祓い師をしているが、彼もれっきとしたあやかしである。
とはいえ京も修一郎と同じく、周囲には正体を隠しているので三津島の件の時は完全に他人として振舞っていたし、とうの昔に知っているはずの夜叉としての修一郎を見て驚いたりもしてみせた。
その甲斐あって雛子には微塵も疑われていないようだが、果たしてそれもいつまで保つものなのやら。

あやかしは人間に惹かれやすい。
それが、霊力の高い少女ならば尚更だ。
雛子の周りは、本人が気づいていないだけであやかしばかりだった。
それも、雛子への愛が強く、獰猛な物の怪ばかり。

「京さん!ありましたよ!」

雛子が戻ってくると、京と修一郎はまた他人の振りをする。
京も羽をすぐさましまい、なんでもないような顔をした。

「あんがとな。そうだ雛子、今度新しくできたカフェーに連れてってやるよ。なんか奢ってやる」

「え!?いいんですか!わぁっ、楽しみです!」

くるりと振り返って雛子に見えないように、京は勝ち誇った顔を修一郎に向けた。
もちろん修一郎は無視である。

だが、それでも少しは機嫌を悪くした様だ。
上機嫌で京が去っていった後、修一郎はガタンと音を立てて立ち上がると、雛子に近づいた。

「少し、失礼する」

驚いている雛子を他所に、修一郎は雛子の髪に何かを括り付ける。
何をつけたのかと雛子がいそいそと手鏡を取り出して確認してみると。

「わぁ・・・・・・可愛いです!」

雛子の髪には、綺麗な赤のリボンが結ばれていた。
可愛らしいデザインで、雛子の黒髪によく映える。

そしてなにより・・・・・・夜叉姿の修一郎の瞳を連想させるような色合いだった。

「君に似合いそうだと思ってな。良かったら受け取ってくれ」

にやり。
修一郎はどこか含みのある顔で笑った。

「そ、それではありがたく頂戴します。大切に使わせていただきますね」

これを付けて鏡を見る度に、嬉しいような恥ずかしいような、浮かれた心地になってしまう。

「雛子」

「はい・・・・・・、っ!」

頬に、柔らかくて暖かいものが当たる感触が。
至近距離に感じる温度に、今自分が何をされたのかをすぐさま理解する。

「好きだ」

切なそうに、恋焦がれるように、修一郎はそう言った。
初めて聞く声色だった。
もはや、雛子が想いを告げずとも伝わっているのではないかと思えるぐらい、二人の距離を隔てるものは何も無い。
また勝手に口付けなんてしてしまって、と言いたくなる気持ちをぐっと堪えて、雛子はただ一言返してやった。

「・・・・・・こっちじゃなくて、いいんですか?」

とん、と指先で自分の唇を指してみる。
今度は修一郎の顔が赤くなった。

「・・・・・・っ、君は、どこでそんなことを覚えたのかな」

「私だって、やられっぱなしは嫌なのです」

彼が普段するように、くすりといたずらっぽく笑ってみせる。
修一郎は最早抑えがきかないと、雛子を強く抱きしめ、今度は迷うことなく正面から雛子の唇を奪った。


書庫室には夜叉が棲む​───────。

どこかで誰かがそんな噂をしていた。
けれども、今ここにいるのは、恋する少女とあやかしだけだった。