「・・・・・・そうだと言ったらどうするつもりだ?」
ふわりと風が吹いたと思ったら、一瞬で彼の姿が変化する。
瞳は赤く染まり、長い爪と頭部の角。
人とは違う妖しくも美しい瞳に、雛子の鼓動が早くなる。
冷たい瞳で見下ろされ、雛子は我を忘れたかのように見蕩れることしかできない。
「遥か昔、まだあやかしと人が争いあっていた時代のことだ」
透き通る声で、修一郎は高らかに語る。
「長きに渡る争いを終わらせるため、人間と手を結んだ夜叉一族がいた。彼らはあやかしから強い非難を受けたが、それらは全て力でねじ伏せてきた」
その時代のことは雛子も知っている。
宮中では貴族たちが政治の実権を握る傍ら、外では祓い師とあやかしたちの戦が耐えなかったという時代を。
「夜叉一族は全てのあやかしを平伏させ、人とあやかしが憎みあう時代を終わらせた。そしてこの時代も、夜叉はあやかしの頂点に君臨し続けている」
さて。
ここまで話せば、流石に雛子だって察しがつく。
「俺が、今の一族の当主だ」
「・・・・・・っ!」
やはりそうであった。
書庫の夜叉の正体は、あやかしの頂点に君臨する夜叉だった。
そして自分は、とんでもない方を相手にしていたということに気づく。
そう、自分は夜叉の主に対してとてつもなく無礼な態度であったということに。
修一郎が正体を隠していたせいでもあるが、夜叉に対して、かわいく見えてきたなんて思ったり、『もしかして掃除苦手ですか?』なんて失礼なことを聞いてしまっていたなんて。
「ど、どうして今まで正体を隠していたんですか・・・・・・?」
そんな身分を持っているのなら、わざわざ正体を隠してこんな機関の隅に拠点を構える必要は無いはずだ。
それとも、機関内に潜入でもしなければならない事情であるのだろうか。
だが、雛子の予想とは違い、修一郎の話す理由は単純なものだった。
「最初は、夜叉一族に生まれただけで偉そうに振る舞うのが嫌だっただけだ。媚びへつらう連中と付き合うのにうんざりしていたのもある。それで、人間の姿で機関に紛れ、祓い師として人間に関わる道を選んだ」
ここでなら自分らしく好きに生きられる、と。
「俺の正体を知っているのは、機関の司令とわずかな隊員のみ。俺は司令と取り引きをして、この書庫に居る代わりに偽名を使って祓い師として行動する許可をもらった」
普通、権力のある立場に生まれたのなら思う存分それを行使するものなのだろうが、修一郎はそうではない。
わざわざ名前を偽ってまで機関で祓い師として働く道を選んだ。
彼が鬼神と称されるのは、あながち間違いではなかったようだ。
「まあ、誰にも明かすつもりはなかったんだが・・・・・・」
(もしかして、正体が知られるのも構わず助けてくれたってこと・・・・・・?)
それなのに、自分は修一郎のことを疑ったりして。
恥ずべきことだった。
いくら夢のことがあるとはいえ、やはり、修一郎という人は雛子のことを大切にしてくれていた。
後悔と同時に、胸の中に嬉しさが広がっていく。
「それで、夢見が悪いのだったか」
「大方、俺が夜叉の力を使い君の夢に入り込んだと思っているのだろう」
雛子は恐る恐る首を縦に振る。
修一郎は、ふっと小さく笑った。
「半分正解で半分間違いだ」
それはどういうことだろうか。
首を傾げる雛子に、修一郎は説明をする。
「君が書庫へ来る以前から、君は誰かに術をかけられていた。夢見の術だ。君の夢の中に入り、術者に従うような暗示をかけるという術だが、気づいていなかったか」
「え」
もっと前から誰かに術をかけられていた・・・・・・?
そんな馬鹿な。
全くの初耳である。
それはつまり、雛子は昨夜以前から術をかけられ続けていたのに、何一つとして気づいていなかったということで。
(とんだ大間抜けじゃないですか私・・・・・・っ!)
祓い師見習いとしても大失格だろう。
術者に従うような暗示をかける術だなんて危険なものをまるで知らないで、変な夢ばっかり見るなぁなんて思っていた。
「俺はそのことにすぐに気づいたが、だからといってすぐさま術を解いてしまえば術者に気付かれる。だから俺は、術に上書きをして夢見の術を無効化したんだ。上書きだけなら、相手に気付かれることない。そうすれば、誰がこんな術を君にかけたのか探り出す鍵になると思ってな」
なるほど。
確かに、断ち切ることは簡単でも、犯人の手がかりを失ってしまうのなら切るわけにもいかない。
誰の仕業か分からなければ、何度切ってもまた同じことの繰り返しになってしまうからだ。
修一郎がこんなにも考えてくれていたというのに、肝心の本人は何一つ知らなかったわけだが。
「ですが、それならどうしてあの夢を見るんです?あれこそよっぽど体に悪いと思うのですが・・・・・・」
「上書きした方の夢の内容は俺も詳しくは知らなかった。俺の深層心理が君の安眠を妨害してしまったようですまない」
「い、いえ・・・・・・でも、深層心理って」
「俺が君を愛しく思う気持ちが現れてしまったのだろう。意図してやったわけじゃない。本当にすまなかった。今日からは内容を変えておこう」
さらりととんでもないことを言われた。
あの夢の内容は修一郎が意図的にしたものではないとしても、つまり、あれは全て彼の本心ということになる。
「えっと。あの、修一郎さんって私のこと・・・・・・す、好きなんですか」
「そうだな。端的に言えばそうなる。俺は君のことが好きだ」
赤い瞳に真っ直ぐ見つめられ、雛子はさすがにたじろいだ。
なんとなくそうではないかと思っていたが、いざ本当にこんな美形に正面から好きだと言われて、動揺しないわけがない。
(なら、口づけも現実のこと・・・・・・?)
自分が修一郎に抱いていた淡い感情を思い出す。
好きだ、なんて。
あまりにも雛子にとって都合が良すぎて不安なぐらい。
ともかく、自分も正直に気持ちを告げなければと雛子は決心したが。
「だが、この気持ちを君に押し付けることはしない。それに、上司に好意を寄せられたところで君も嬉しくはないだろう。ただの上司じゃなくて、鬼だしな」
雛子が修一郎を好いているなんて微塵も考えてなさそうに、一刀両断されてしまった。
恋が叶うどころか終わりそうな急展開に、雛子が慌てて否定しようとすると。
───────ドン、ドンドンっ。
書庫の扉を叩く音が聞こえる。
相当切羽詰まったように、何度も繰り返し強く叩いているようだった。
「なんだ?誰か来たな」
どうしてこんな時に限って邪魔が入ってしまうのか。
修一郎の姿が、一瞬にして普段の人間のものに戻る。
雛子は歯がゆい思いを抱えながら、修一郎と共に扉を開けに行く。
「・・・・・・っ、雛子ちゃん!」
そこに居たのは、上官の三津島だった。
先程の呪詛の件で修一郎の言葉を思い出し、少しドキッとするものの、三津島はなにかあったのか、雛子を見るなり焦ったように駆け寄ってきた。
「三津島さん!どうしたんですか、こんなに朝早くから・・・・・・」
「いやいや、聞きたいのはこっちだよぉ!雛子ちゃん、君、一晩中どこにいたんだい?」
「ここにいたが。何か用か」
三津島に押し退けられた修一郎が、冷めた声でそう言う。
雛子に対する態度とまるで違うものだから驚いたが、彼は元々他人が嫌いだと言われていた。
おそらく、この態度が人嫌いと言われる所以であろう。
「・・・・・・やあ、綾代。久しぶりだね。いや、京くんが十二時を過ぎても君が寮に戻ってきてないからってすごく心配していて。何かあったんじゃないかって探してたんだけど、書庫にいたのかぁ」
京とはよく食堂で一緒に夕飯を食べたりしている。
おそらく夜になっても雛子の姿が見えず、探したらどこにもいないと気づいたのだろう。
京は勘が鋭く、こういうときはとても頼りになる。
きっと三津島は京の話を聞いて、一晩中駆け回ってくれたのだろう。
そうとは知らず、雛子は応接室でぐうすか眠りこけていたわけだが。
「昨日の夜にここも来たんだけど、鍵が閉まってたし誰もいないみたいだったからさ・・・・・・」
何時頃のことか分からないが、確か雛子に術をかけた人物は、誰かに邪魔をされないように結界でも貼っていた。
その結界も修一郎には通用しなかったが。
(あ、そうか。私お風呂も入っていし髪もぐちゃぐちゃだ)
話を聞きながら、今更気づいだ。
そんな状態で修一郎からの告白を聞いていたなんて、なんとも言えない気分になる。
「綾代。雛子ちゃんは若い女の子なんだから気をつけてよね」
「言われなくとも分かっている。さっさと出ていけ」
(修一郎さん・・・・・・)
恐るべき夜叉になったと思ったら、拗ねた子供みたいにもなる。
そんなに突き放さなくてもと思うが、自分の好きな人と親しい人と仲良くしろなんて言われても、そんなの嫌だろう。
ひとまず、寮で身なりを整えてから京に謝罪をするべきだ。
三津島に連れられて雛子は書庫を後にした。
ふわりと風が吹いたと思ったら、一瞬で彼の姿が変化する。
瞳は赤く染まり、長い爪と頭部の角。
人とは違う妖しくも美しい瞳に、雛子の鼓動が早くなる。
冷たい瞳で見下ろされ、雛子は我を忘れたかのように見蕩れることしかできない。
「遥か昔、まだあやかしと人が争いあっていた時代のことだ」
透き通る声で、修一郎は高らかに語る。
「長きに渡る争いを終わらせるため、人間と手を結んだ夜叉一族がいた。彼らはあやかしから強い非難を受けたが、それらは全て力でねじ伏せてきた」
その時代のことは雛子も知っている。
宮中では貴族たちが政治の実権を握る傍ら、外では祓い師とあやかしたちの戦が耐えなかったという時代を。
「夜叉一族は全てのあやかしを平伏させ、人とあやかしが憎みあう時代を終わらせた。そしてこの時代も、夜叉はあやかしの頂点に君臨し続けている」
さて。
ここまで話せば、流石に雛子だって察しがつく。
「俺が、今の一族の当主だ」
「・・・・・・っ!」
やはりそうであった。
書庫の夜叉の正体は、あやかしの頂点に君臨する夜叉だった。
そして自分は、とんでもない方を相手にしていたということに気づく。
そう、自分は夜叉の主に対してとてつもなく無礼な態度であったということに。
修一郎が正体を隠していたせいでもあるが、夜叉に対して、かわいく見えてきたなんて思ったり、『もしかして掃除苦手ですか?』なんて失礼なことを聞いてしまっていたなんて。
「ど、どうして今まで正体を隠していたんですか・・・・・・?」
そんな身分を持っているのなら、わざわざ正体を隠してこんな機関の隅に拠点を構える必要は無いはずだ。
それとも、機関内に潜入でもしなければならない事情であるのだろうか。
だが、雛子の予想とは違い、修一郎の話す理由は単純なものだった。
「最初は、夜叉一族に生まれただけで偉そうに振る舞うのが嫌だっただけだ。媚びへつらう連中と付き合うのにうんざりしていたのもある。それで、人間の姿で機関に紛れ、祓い師として人間に関わる道を選んだ」
ここでなら自分らしく好きに生きられる、と。
「俺の正体を知っているのは、機関の司令とわずかな隊員のみ。俺は司令と取り引きをして、この書庫に居る代わりに偽名を使って祓い師として行動する許可をもらった」
普通、権力のある立場に生まれたのなら思う存分それを行使するものなのだろうが、修一郎はそうではない。
わざわざ名前を偽ってまで機関で祓い師として働く道を選んだ。
彼が鬼神と称されるのは、あながち間違いではなかったようだ。
「まあ、誰にも明かすつもりはなかったんだが・・・・・・」
(もしかして、正体が知られるのも構わず助けてくれたってこと・・・・・・?)
それなのに、自分は修一郎のことを疑ったりして。
恥ずべきことだった。
いくら夢のことがあるとはいえ、やはり、修一郎という人は雛子のことを大切にしてくれていた。
後悔と同時に、胸の中に嬉しさが広がっていく。
「それで、夢見が悪いのだったか」
「大方、俺が夜叉の力を使い君の夢に入り込んだと思っているのだろう」
雛子は恐る恐る首を縦に振る。
修一郎は、ふっと小さく笑った。
「半分正解で半分間違いだ」
それはどういうことだろうか。
首を傾げる雛子に、修一郎は説明をする。
「君が書庫へ来る以前から、君は誰かに術をかけられていた。夢見の術だ。君の夢の中に入り、術者に従うような暗示をかけるという術だが、気づいていなかったか」
「え」
もっと前から誰かに術をかけられていた・・・・・・?
そんな馬鹿な。
全くの初耳である。
それはつまり、雛子は昨夜以前から術をかけられ続けていたのに、何一つとして気づいていなかったということで。
(とんだ大間抜けじゃないですか私・・・・・・っ!)
祓い師見習いとしても大失格だろう。
術者に従うような暗示をかける術だなんて危険なものをまるで知らないで、変な夢ばっかり見るなぁなんて思っていた。
「俺はそのことにすぐに気づいたが、だからといってすぐさま術を解いてしまえば術者に気付かれる。だから俺は、術に上書きをして夢見の術を無効化したんだ。上書きだけなら、相手に気付かれることない。そうすれば、誰がこんな術を君にかけたのか探り出す鍵になると思ってな」
なるほど。
確かに、断ち切ることは簡単でも、犯人の手がかりを失ってしまうのなら切るわけにもいかない。
誰の仕業か分からなければ、何度切ってもまた同じことの繰り返しになってしまうからだ。
修一郎がこんなにも考えてくれていたというのに、肝心の本人は何一つ知らなかったわけだが。
「ですが、それならどうしてあの夢を見るんです?あれこそよっぽど体に悪いと思うのですが・・・・・・」
「上書きした方の夢の内容は俺も詳しくは知らなかった。俺の深層心理が君の安眠を妨害してしまったようですまない」
「い、いえ・・・・・・でも、深層心理って」
「俺が君を愛しく思う気持ちが現れてしまったのだろう。意図してやったわけじゃない。本当にすまなかった。今日からは内容を変えておこう」
さらりととんでもないことを言われた。
あの夢の内容は修一郎が意図的にしたものではないとしても、つまり、あれは全て彼の本心ということになる。
「えっと。あの、修一郎さんって私のこと・・・・・・す、好きなんですか」
「そうだな。端的に言えばそうなる。俺は君のことが好きだ」
赤い瞳に真っ直ぐ見つめられ、雛子はさすがにたじろいだ。
なんとなくそうではないかと思っていたが、いざ本当にこんな美形に正面から好きだと言われて、動揺しないわけがない。
(なら、口づけも現実のこと・・・・・・?)
自分が修一郎に抱いていた淡い感情を思い出す。
好きだ、なんて。
あまりにも雛子にとって都合が良すぎて不安なぐらい。
ともかく、自分も正直に気持ちを告げなければと雛子は決心したが。
「だが、この気持ちを君に押し付けることはしない。それに、上司に好意を寄せられたところで君も嬉しくはないだろう。ただの上司じゃなくて、鬼だしな」
雛子が修一郎を好いているなんて微塵も考えてなさそうに、一刀両断されてしまった。
恋が叶うどころか終わりそうな急展開に、雛子が慌てて否定しようとすると。
───────ドン、ドンドンっ。
書庫の扉を叩く音が聞こえる。
相当切羽詰まったように、何度も繰り返し強く叩いているようだった。
「なんだ?誰か来たな」
どうしてこんな時に限って邪魔が入ってしまうのか。
修一郎の姿が、一瞬にして普段の人間のものに戻る。
雛子は歯がゆい思いを抱えながら、修一郎と共に扉を開けに行く。
「・・・・・・っ、雛子ちゃん!」
そこに居たのは、上官の三津島だった。
先程の呪詛の件で修一郎の言葉を思い出し、少しドキッとするものの、三津島はなにかあったのか、雛子を見るなり焦ったように駆け寄ってきた。
「三津島さん!どうしたんですか、こんなに朝早くから・・・・・・」
「いやいや、聞きたいのはこっちだよぉ!雛子ちゃん、君、一晩中どこにいたんだい?」
「ここにいたが。何か用か」
三津島に押し退けられた修一郎が、冷めた声でそう言う。
雛子に対する態度とまるで違うものだから驚いたが、彼は元々他人が嫌いだと言われていた。
おそらく、この態度が人嫌いと言われる所以であろう。
「・・・・・・やあ、綾代。久しぶりだね。いや、京くんが十二時を過ぎても君が寮に戻ってきてないからってすごく心配していて。何かあったんじゃないかって探してたんだけど、書庫にいたのかぁ」
京とはよく食堂で一緒に夕飯を食べたりしている。
おそらく夜になっても雛子の姿が見えず、探したらどこにもいないと気づいたのだろう。
京は勘が鋭く、こういうときはとても頼りになる。
きっと三津島は京の話を聞いて、一晩中駆け回ってくれたのだろう。
そうとは知らず、雛子は応接室でぐうすか眠りこけていたわけだが。
「昨日の夜にここも来たんだけど、鍵が閉まってたし誰もいないみたいだったからさ・・・・・・」
何時頃のことか分からないが、確か雛子に術をかけた人物は、誰かに邪魔をされないように結界でも貼っていた。
その結界も修一郎には通用しなかったが。
(あ、そうか。私お風呂も入っていし髪もぐちゃぐちゃだ)
話を聞きながら、今更気づいだ。
そんな状態で修一郎からの告白を聞いていたなんて、なんとも言えない気分になる。
「綾代。雛子ちゃんは若い女の子なんだから気をつけてよね」
「言われなくとも分かっている。さっさと出ていけ」
(修一郎さん・・・・・・)
恐るべき夜叉になったと思ったら、拗ねた子供みたいにもなる。
そんなに突き放さなくてもと思うが、自分の好きな人と親しい人と仲良くしろなんて言われても、そんなの嫌だろう。
ひとまず、寮で身なりを整えてから京に謝罪をするべきだ。
三津島に連れられて雛子は書庫を後にした。