数百年に一度、大きな災いが起きる。それは旱魃や大雨など人の手ではどうにもできないことで、神が荒れ狂うから起こるのだと人々は考えた。
 神を鎮めるために人々は若い娘を神へと捧げることにした。
 神へと嫁いだ娘は、その御許で永遠に幸せに暮らすのだという。
 だがそれ即ち、人身御供――人間を神への生贄とすることを意味する。
 今時、そんなことが行われているなんて普通なら思わないだろう。
 けれど、この村は違った。山の中にある閉鎖的な村では今でもその風習が続いているのだ。
 そんな村でかやのは育った。神への捧げもの――生贄として、だ。
 物心が付く頃には、それは決定事項とされていた。
 生まれた時から父はおらず、母はかやのが生贄になることに反対してくれていたが、結局村の意見を覆すことはできなかった。
 そんな母も数年前に病に蝕まれてこの世を去ってしまった。「神の花嫁となるのだから死という穢れに触れさせる訳にはいかない」と村の偉い人に言われ、かやのは母の最期を看取ることも許されなかった。
 それからかやのは一人でこの小さな家に住んでいる。
 幸いにも、ガスや水道や電気をとめられることはなかった。いや、幸いとは言い難いかもしれない。それはかやのが生きているかどうかを確かめるための監視の手段の一つに過ぎなかったのだから。
 もしも、それらが全く使われなかった時は、かやのが何らかの理由で死んだかもしれないことを意味する訳で。
 生贄に死んでもらわれては困るというのが、村人たちの意見であった。

 ――『だから、気にせずに自由に使うが良い』

 ありがたく思えよと言わんばかりの態度とその言葉の裏側には、自由なんてものはなくて。

「……何が『自由』よ!」

 ダンッと煮物に使うカボチャを切る。その次はじゃがいもを手に取った。
 必要最低限の食材は届けられる。形の悪い物や大きさが小さい物等、どう見ても見切り品ばかりだったが、かやの一人には十分の量だ。

「はぁ……何処か遠くへ行きたい」

 それは、かやのの小さな願いだった。その『何処か』はここではない場所のことで。ここ以外なら、彼岸でも構わなかった。

 ――いっそ、自害でもしてやろうかしら。

 野菜を切る手を止めて包丁をじっと見つめる。
 生贄なんかにされる前に、自分で選んで自分の意志で此岸を離れることができたのなら、村の奴らに一泡吹かせるくらいはできるだろう。
 そう何度も考えたが、その度に亡くなる前に母が言った言葉が頭を過ぎり、思いとどまった。

 ――『貴女から、幸せを奪う権利なんて誰にもないのよ。だから、幸せになることを諦めないでね』

 頭を優しく撫でられつつ言われた言の葉は、今ではある意味でかやのの呪いにもなっていて。

「幸せになんてなれるのかしら……」

 その言葉に返してくれる者など誰もいない。
 一人での食事は酷く味気ないものだった。


   *


 家の外にある大きな置き型の宅配ボックスを開ける。中には米やらたくさんの野菜やら調味料が入っていた。
 かやのが食するものは主に米と野菜だ。動物性の食べ物――肉や魚や卵――や五葷――ニラやねぎやにんにく――は食べてはならないと決まっている。「どうして食べてはいけないの?」と大人に訊いたことがある。返って来た言葉はみな「そういう決まりだから」だ。しつこく訊ねれば、「食材を与えられるだけでもありがたく思え」と一掃されてしまった。

「まあ、宅配ボックスの中に生魚や肉を入れられても困るしね」

 豆腐等には一応保冷剤がついており、大体決まった時間に投函されるので腐る前に回収はできている。
 段ボールに入った食材を持ち上げようとしたその時、こつん、と頭に何かが当たった。え、とかやのが振り返る。
 そこにいたのは数人の子供だった。

「やーい、生贄!無表情ー!」
「薄汚い奴!」
「早く神様のところにでも行けば?」

 心ない言葉とともに、次々と硬い石を投げつけられる。

 ――ただ食材を回収しようとしただけなのに……ほんと、家から出ると嫌なことばかりだわ。それにしても、いつまで経っても馬鹿なことをしてくる奴は減らないわね。

 実はこうした嫌がらせは初めてではない。
 かやのが生贄であることを村中が知っている。大人からそれこそ子どもまでかやのを蔑み、嘲笑う。「あいつに近づいたら呪われる」とか訳の分からない噂を流されたり、こうして石を投げつけられたり、お清めだとか言われて水や塩をかけられたりもした。
 大人たちはかやのが話し掛けてもかやのの存在などないかのような態度を取り、子どもたちはかやのを傷つけても構わない対象として見ている。
 昔からそうだった。だから、今更驚くことも怯えることも怖がることもない。

「あっ、ヤバい……!」
「おいバカ!逃げるぞ!」

 ずっと石を投げつけていた子どもたちが慌ててこの場を去って行く。
 何だと思っていたら、たらり、と額から何かが流れ出た。
 そこに手を持って行くと、赤い血がべっとりとついていた。

「……全く、面倒くさいことをしてくれたわね。怖気づいて逃げ出すくらいならこんなことするんじゃないわよ」

 血を落とすのは大変なんだからと文句を言いつつ、ポケットからハンカチを取り出して額に押し当てる。
かやのの言葉に温度はなく、とても淡々としていた。
 そう、今更驚くことも怯えることも怖がることもない。
 怪我をして――させられたと言った方が正しいだろうか――血が流れることも、昔からのことだ。ちょっとした痛みなどたいしたことじゃない。
 かやのの体も心も痛みに慣れてしまっていた。
 深く溜息をついて、段ボールを持って家の中へと入る。
 どんっと段ボールを土間に置いて、鏡を見て額の傷を確認する。幸いにも傷は浅く、血は止まっていた。
 血がついてしまったハンカチを早く洗わなければと思うのだが、何だかやる気が起きなくて、かやのは床の上へと転がる。この後、ご飯を作らなければならないが、そんな気も起こらない。

「ほんと、面倒くさいなぁ……」

 ご飯を作ることも、食べることも、生きることも、何もかもが面倒だ。
 かやのは現実から逃げるようにそっと瞼を閉じた。