まだ夏の始まりには早いのに、今日はやけに暑い日だった。それもあってか、夕方になるにつれ来院する患者さんは少なくなった。

「急に暑くて、みんな屋内に避難かな」

　藤岡先生は、少し肩をすくめながら受付に顔出す。

「定時に帰れそうだね」

　事務長がパソコンに最後の会計処理をして、誰ともなく呟く。

「お二人とも、お疲れさまでした」

　事務長はニコニコして先生の顔を見てから、私に言った。

「じゃあ千菜ちゃん、お言葉に甘えて帰ろっか」

　先生が白衣を脱ぎながら私の前に来ると、立ち止まって返事を待っている。

「は、はい？」

「ちょっと、聞きたいことあるんだ。大学のことで」

　一緒に帰るなんてと少し焦ったけれど、用事があるから。でも理由がどうであれ、先生と帰れることになるなんて。

「なんか雲行き、怪しいなぁ」

　先生は玄関で、私が着替えるのを待っていてくれた。確かに、さっきまで晴れていた空に、濃いグレーの雲が広がっている。なんとなく生暖かい風が、頬を掠める。

　そんな空模様とは裏腹に駅までの15分を先生と歩けると思うと私の足取りは軽かった。何か話さないと私の鼓動が響きそうで、戦士絵の言葉を無理やり思い出す。

「あの、大学のことって…」

　何のことだろう。私が話せることなんて、先生に役に立つんだろうか。

「大学、楽しい？」

「え？」

「彼氏は？できた？…って、今どきはセクハラか」

「…」

　これはこの先、どう展開していく話？そっと先生を横目で見上げると、優しい笑顔が目に入る。

「え、と、大学は大変な授業もありますが、楽しいです。…楽しいというより、有意義ですかね、知ることが増えて」

「なるほど、有意義、か」

　先生はたぶん、わざとゆっくり歩いて私の歩調に合わせてくれている。忙しいから、仕事中はいつだって速足なのに。

「優等生な答えだね。千菜ちゃんらしい」