やっと彼女と帰れた。恐らく、何カ月もグズグズしたいる俺を見かねて、チャンスを作ってくれた事務長の和人叔父さんに感謝した。
何をきっかけに誘えばいいか、自分の立場で誘ったらいやでも断れないだろうし…なんてわざと理由を作って逃げて、とにかくさんざん考えた。
ヤバいよな、こんなアラサー。
正直、今まで誘われたことはあっても、自分から女性を誘いたいと思ったのは初めてだった。つまり、どんな風な流れできっかけを作ればいいのか、どうすれば自然に誘えるのか、よくわからなかった。
彼女は、残業はしないで帰ってしまう。仕事が揃って終わりそうなチャンスは、次にいつ来るかわからない。(言い訳をすると、夕方6時過ぎまで診察が続くことがほとんどだったし)
一年ほど前。いつも通り金曜日に成田整形に行くと、受付にちょこんと座った彼女が、”こんにちは、診察までもう少しお待ちくださいね”と、患者と間違えて声をかけてくれた。苦笑いをしていた俺に、和人叔父さんが、
「新しく、受付のバイトをしてくれることになった須藤さんです。こちら、藤岡先生」
と紹介してくれると、彼女は真っ赤になって謝った。そして、”須藤千菜です、よろしくお願いします”と小さな声で、でも丁寧にお辞儀をしながら言った。その所作は、大学生とは思えないくらい綺麗で、こっちのほうが気後れする感じだった。
ニコニコして受付の仕事をする彼女は、ひと月もするとすっかり患者さんのアイドルになった。可愛らしい外見とは裏腹に、受付の仕事は完璧で無駄がなく、患者さんへの気遣いも自然とできている。なかには、診察室に入る前に彼女と話をして気分が良くなり、痛みが軽くなった、なんて言うお年寄りもいた。(こちらとしては、商売上がったりだけど)
これまで、女性に縁がなかったわけではない。これ見よがしに、お世話を押し売りされたことも多々あった。頼んでいないのに、私がやっておきましたとばかりに、書類の整理や机の上のカップの片付け、白衣や上着の整頓、そのお礼をねだる看護師たち。ありがたいとは思ったけれど、わざわざお礼をする気にはなれなかった。
それからしばらく経って、金曜日のこの時間に、脱ぎ捨てた白衣が同じように畳まれていても、出しっぱなしにした薬の箱がきちんと戻されていても、てっきり看護師をしている綾香叔母さんの手を煩わせていると思っていたのに。
叔母さんに何気なく確認すると、『そんな甘やかすようなことするわけないでしょ。自分で片付けなさい』と、一喝だった。
…じゃあ、誰が?
そう思って、わざと診察室のベッドに白衣を放り投げ、コーヒーを飲みに行くふりをして様子を伺っていると、次の患者さんの書類を持ってきた彼女が、きちんと白衣を畳んで椅子の背もたれにかけてくれた。
それがわかってよくよく見ていると、彼女は行く先々で気付いたことを何気無く、当たり前のようにこなしている。
待合室に行けば散らかった雑誌を整理し、スリッパを揃える。レントゲンを撮る必要があるとわかると、忙しい看護師より先に部屋の準備をしに行く。歩くのが大変な患者さんの姿が見えると、玄関まで迎えに行っていた。
それは彼女の動きと一緒に無駄なく流れて、本当に自然で、だから気付かなかったのかもしれない。
診察を終えた患者さんに挨拶をしている彼女をぼんやり見ていた時、帽子を振る患者さんに応えるように、彼女がそっと手を振った。
その光景を目にした時、吸った空気が体の中にサーっと溶けていく感じがした。
あの時の、あの場面が浮かぶ。人生初、女性に見とれた瞬間。
あの彼女は、この彼女だ。もう会えないと思っていたのに、こんなところで奇跡だろ。
あのコンビニの前を通る度に、無意識に姿を探していた。ずっと忘れられなかった、横顔。…間違えない。
こんなに近くにいたのにと気付かなかった自分を責めて、でもまた出会えたことに感謝して、とりあえず週に一度のこの時間を楽しみにするようになった。でも如何せん、相手は大学生で八つも下だ。彼女をもっと知りたいとは思っていても、誘ったりするのはありなのか…。大体大学生活なんて、イヤでも毎日が出会いの場だろうに。
とにかく、金曜日のわずかな時間の彼女しか知らない自分は、圧倒的に不利な立場にいる気がした。何とかして、彼女と一緒にいる時間を作りたかった。
何をきっかけに誘えばいいか、自分の立場で誘ったらいやでも断れないだろうし…なんてわざと理由を作って逃げて、とにかくさんざん考えた。
ヤバいよな、こんなアラサー。
正直、今まで誘われたことはあっても、自分から女性を誘いたいと思ったのは初めてだった。つまり、どんな風な流れできっかけを作ればいいのか、どうすれば自然に誘えるのか、よくわからなかった。
彼女は、残業はしないで帰ってしまう。仕事が揃って終わりそうなチャンスは、次にいつ来るかわからない。(言い訳をすると、夕方6時過ぎまで診察が続くことがほとんどだったし)
一年ほど前。いつも通り金曜日に成田整形に行くと、受付にちょこんと座った彼女が、”こんにちは、診察までもう少しお待ちくださいね”と、患者と間違えて声をかけてくれた。苦笑いをしていた俺に、和人叔父さんが、
「新しく、受付のバイトをしてくれることになった須藤さんです。こちら、藤岡先生」
と紹介してくれると、彼女は真っ赤になって謝った。そして、”須藤千菜です、よろしくお願いします”と小さな声で、でも丁寧にお辞儀をしながら言った。その所作は、大学生とは思えないくらい綺麗で、こっちのほうが気後れする感じだった。
ニコニコして受付の仕事をする彼女は、ひと月もするとすっかり患者さんのアイドルになった。可愛らしい外見とは裏腹に、受付の仕事は完璧で無駄がなく、患者さんへの気遣いも自然とできている。なかには、診察室に入る前に彼女と話をして気分が良くなり、痛みが軽くなった、なんて言うお年寄りもいた。(こちらとしては、商売上がったりだけど)
これまで、女性に縁がなかったわけではない。これ見よがしに、お世話を押し売りされたことも多々あった。頼んでいないのに、私がやっておきましたとばかりに、書類の整理や机の上のカップの片付け、白衣や上着の整頓、そのお礼をねだる看護師たち。ありがたいとは思ったけれど、わざわざお礼をする気にはなれなかった。
それからしばらく経って、金曜日のこの時間に、脱ぎ捨てた白衣が同じように畳まれていても、出しっぱなしにした薬の箱がきちんと戻されていても、てっきり看護師をしている綾香叔母さんの手を煩わせていると思っていたのに。
叔母さんに何気なく確認すると、『そんな甘やかすようなことするわけないでしょ。自分で片付けなさい』と、一喝だった。
…じゃあ、誰が?
そう思って、わざと診察室のベッドに白衣を放り投げ、コーヒーを飲みに行くふりをして様子を伺っていると、次の患者さんの書類を持ってきた彼女が、きちんと白衣を畳んで椅子の背もたれにかけてくれた。
それがわかってよくよく見ていると、彼女は行く先々で気付いたことを何気無く、当たり前のようにこなしている。
待合室に行けば散らかった雑誌を整理し、スリッパを揃える。レントゲンを撮る必要があるとわかると、忙しい看護師より先に部屋の準備をしに行く。歩くのが大変な患者さんの姿が見えると、玄関まで迎えに行っていた。
それは彼女の動きと一緒に無駄なく流れて、本当に自然で、だから気付かなかったのかもしれない。
診察を終えた患者さんに挨拶をしている彼女をぼんやり見ていた時、帽子を振る患者さんに応えるように、彼女がそっと手を振った。
その光景を目にした時、吸った空気が体の中にサーっと溶けていく感じがした。
あの時の、あの場面が浮かぶ。人生初、女性に見とれた瞬間。
あの彼女は、この彼女だ。もう会えないと思っていたのに、こんなところで奇跡だろ。
あのコンビニの前を通る度に、無意識に姿を探していた。ずっと忘れられなかった、横顔。…間違えない。
こんなに近くにいたのにと気付かなかった自分を責めて、でもまた出会えたことに感謝して、とりあえず週に一度のこの時間を楽しみにするようになった。でも如何せん、相手は大学生で八つも下だ。彼女をもっと知りたいとは思っていても、誘ったりするのはありなのか…。大体大学生活なんて、イヤでも毎日が出会いの場だろうに。
とにかく、金曜日のわずかな時間の彼女しか知らない自分は、圧倒的に不利な立場にいる気がした。何とかして、彼女と一緒にいる時間を作りたかった。