昨日までの景色が、突然変わること。
　まさか自分の毎日にもそんな日が来ることを想像できるほど、俺は大人になってはいなかった。当たり前の日々が、ささやかな幸せだという事にも気付かずに。

　背中を地面に引っ張り降ろされるような絶望感と、それに抵抗して前に進まなければならない現実に、自分の意識とは違う場所で足掻(あが)いていたあの感覚。

　あれからもう10年近くたった今でも、眠りの浅い夜には、まるでその時間(とき)にいるように深い溜息に包まれて、誰かの温もりに頼りたくなることもあった。

　それでも。

　明日は今日になり、昨日になる。そのまま、息を殺した場所に時を止めることはできない。

　あの朝も、眠りの浅い夜を過ごしたせいで、どこかぼんやりしていた。職場に着くまでには、何とかクリアな感覚を取り戻さなくてはと、コンビニで濃いめのコーヒーを買う。
　そのコーヒーを一口飲んで何気なく店の外に目をやると、登校途中に小学生が二人、楽しそうに通り過ぎるのが見えた、と思ったら一人の子が転んだ。運悪く、両手に持った荷物のせいで上手く手を付けなかったのか、膝をすりむいている。

　出血しているのを見て、職業柄放ってはおけない。

　急いで店を出ようとした時、女性が駆け寄った。彼女はカバンから何か取り出すと、小学生に話しかけながら傷の手当てをしたようだった。

　出鼻をくじかれたような、ぼんやりしていた頭の中に気持ちのいいシャワーを浴びたような、不思議な感覚になった。小学生を見送った彼女の、まだどこかあどけなさの残る横顔とそっと振った手の柔らかさに、傍から見れば恐らく俺は見惚(みと)れていた。

　まるで、欲しかったものがそこにあるような彼女の雰囲気。

　すっかり気持ちよく眠気が飛んだのは良かったけれど、慌てて店の外に出てもういなくなってしまった彼女を、忙しく行きかう朝の人ごみの中に探した。

　見惚れていなければ間に合ったか。

　後悔して、少し自分を責めた。

　一目惚れとはいかなくても、明らかに一目で記憶に刻まれた横顔を、あれから2年になる今でもまた思い出して、後悔の溜息をついた。