しばらくして瞼の裏の眩しさが和ぐのを待って、そろそろと目を開いた時、見えたのが煌々と明かりの点いた大きな病院らしき建物で、全身から力が抜けてほっとする。

「やった! やっぱりすぐに着いた! どう? じいちゃん。瑞穂姉ちゃんの車はすごいだろー!」

 興奮冷めやらぬといったふうの豆太くんに、田中さんが返事をする。

「そうじゃな。すごいな」

 それから私だけに聞こえるような小さな声で、お礼を言われた。

「ありがとう、瑞穂ちゃん……豆太を連れてきてくれて……」
「…………はい」

 自分の選択はまちがっていなかったんだと思えて、こみ上げてきそうになる涙をこらえるのに、私は必死だった。



 救急外来で診察をしてもらった田中さんは、そのまま緊急入院になった。風邪から肺炎を起こしていたそうで、もし病院に来るのがもう少し遅かったら、助かっていたかわからないと医師から説明され、豆太くんを連れて田中さんを訪れて、本当によかったと思った。
 翌日、引っ越しで都会の息子さんが来た時には、手遅れだったなどという事態にならずに済んだ。

 それに関しては、シロとクロにもお礼を言ったのだが、「豆太がうるさかったから追い返しただけだ」と、クロは素直に受け取ってはくれなかった。代わりにシロが、「まにあってよかったね」と二人分喜んでくれた。

 一週間の入院ののち、田中さんが都会の息子さんのところへ行く日は、豆太くんを連れて私も見送りにいった。
 彼が最後に田中さんへ送りたかった荷物は、自分と田中さんの姿を描いた絵だったようで、田中さんはそれが入った筒を大切に握りしめながら、息子さんと都会へ旅立った。

「豆太、またな」
「うん! また姉ちゃんに頼んで荷物送るね!」

 御橋神社のお札の効力が、田中さんがこれから暮らす新しい街まで届くことを切に祈りながら、私も別れを惜しんだ。

 街と山の上を往復するのも、なかなか遠くて、田中さんを助けたあの日のように一瞬で車が移動してくれないかと思ったが、いくら願ってみても、一ミリも動くことはなかった。
 そう簡単に、なんでも神様に頼るなということなのだろう。

「姉ちゃんの車、今日は全然速くない」とぶつぶつ言っていた豆太くんは、長い道のりに飽きたのか、途中で寝てしまい、結局街と山の上をワープしたような気分だったようだが、運転していた私はそうはいかない。長い距離を往復して、翌日はやっぱり体が痛かった。

「あいたたた」

 腰をさする私を、千代さんは「同年代の友だちみたい」と笑うし、みやちゃんは無言で腰を撫でてくれる。

「ありがとう、みやちゃん……」

 頷く彼女に私はそっと顔を近づけて、もう一度お礼を言っておいた。

「車のお札もありがとう……とっても助かったよ」

 感謝されると、わかりやすくはにかんだ笑顔になるみやちゃんが、とても嬉しそうに笑う。
 だから私はこれからも、いざという時には忘れずに、車のダッシュボード裏のお札に祈ろうと心した。



 夕暮れになり、狭間の時間の宅配屋のほうへ顔を出すと、カウンターに二つ並んだ宅配ひき受け窓口が、もう一つ増えていた。

「え……これどうしたの?」

 尋ねると、シロが説明してくれる。

「瑞穂ちゃんもすっかり引き受け業務に慣れたみたいだし、数もこなせるから、新しく、特別受け付け用の窓口を設けてもいいかなって……」
「特別受け付け用……?」

 首を傾げる私に、クロが鋭い目を向けた。

「あやかしから人間宛ての荷物だ」
「えっ……でも……いいの?」

 クロは確か、人間とあやかしが親しくするのをあまり好ましく思っていなかったはずだと思いながら問いかけると、予想通りぷいっと顔を逸らされる。

「豆太の例みたいに、前から需要があったことは確かだからな」

 それきり仕事のほうに集中してしまったクロに代わり、シロが説明してくれる。

「でもこれまでは、引き受けてもお届けできる人がいなくってね……そのてん瑞穂ちゃんは、みや様から『神車』のお札をいただいたんでしょ?」
「え? なんで知ってるの?」

 シロの口からその名前とその話題が出てくるとは思わず、つい問いかける私に、彼はぱちりと片目を瞑ってみせる。

「俺の情報網を舐めてもらっちゃ困るな」

 それきりクロと同じように、仕事のほうへ集中してしまったシロに、うまくはぐらかされてしまったことはなんとなくわかる。

(別にいいけど……隠してたわけでもないし……)

 私も荷物の受け付けをしようと、空いている一番奥の窓口へ向かうと、ちょうど一人のお客さんを応対し終えたところだったシロが、大きな声を上げる。

「そうだ! これが一番大事なんだけど……一つ忠告するならば、瑞穂ちゃんはもうちょっと、あやかしについて学んだほうがいいと思うよ」
「え……」

 突然そういうことを言われても、どうしていいのかわからない。

「私、なんかあやかしの掟を破ったとか……そういうことやった?」
「いや、そうじゃないけど……むしろ逆? 瑞穂ちゃん自身のために?」

 よくわからない説明をするシロが、ガラス扉に目を向け、さっと外を指さした。

「たとえば豆太だけど……瑞穂ちゃんきっと、小さな男の子だと思っているだろうけど、彼、実は俺より年上だから」
「へ?」

 あまりに思いがけない言葉を聞いたために、おかしな声が出てしまった私をぷっと笑い、シロがガラス扉の向こうを見てみるように促した。
 そこにはなかなかに上背のある、茶色い髪の青年が立っている。ふとふり返って私と目があうと、しゅるしゅると身長が縮み、豆太くんの背の高さになった。

「どういうことなのっ⁉」

 叫ぶ私に笑顔で手を振ると、今日は頼む荷物もないのか、豆太くんは鳥居のほうへ帰っていく。

「田中のお爺ちゃんに最初に会ったのが、少年の姿だったからそれを続けてたのか……あれだと瑞穂ちゃんみたいな単純な人に、優しくしてもらえるからわざとなのか……どっちにせよ彼、老若男女どんな姿にも化けられるよ。実年齢は俺より少し上。れっきとした成人男のあやかし」
「ちょっとおおおおお!!!」

 豆太くんは小さな男の子なのだからと、移動の時は抱っこしたり、泣いていたら抱きしめて慰めたり、甲斐甲斐しく世話を焼いてあげていた過去の自分に、今すぐ教えに飛んで行きたい。もちろんそんなこと出来るはずはないのだけれど――。

「うん、だから少し、勉強したほうがいいかなって……」

 シロは憐れむような目で私を見るけれど、クロの鋭いひと言が私の心を抉る。

「考えなしだからだ」

(なんですって!)

 心の中でだけ反駁の声を上げた私は、くじけそうになる自分を励ましながら、あやかしたちの荷物を引き受ける窓口に立った。
 限られたわずかな時間だけ営業する『狭間の時間の宅配屋』は、今日もさまざまなあやかしたちでごった返していた。