私の軽自動車の助手席に乗りこんだシロは、シートベルトを締めながら明るく笑う。
「よし、出発進行ー!」
仕事の時の和装ではなく、細身のダメージジーンズに丈の長いシャツ姿の彼は、同じ年ぐらいの若い男の子にしか見えなくて、普段は感じたことのない緊張を覚える。
「う、うん……」
頬杖を突きながら窓の外を眺めている横顔には、白狐の姿になっている時の面影など微塵もなかった。そう思うと、ますます緊張が増す。
「田中庄吉さんねー」
ふいに話しかけられて、思わず声が裏返った。
「ふぁい?」
「ぶっ、何その声?」
ふき出されて我に返った。こんなことでは事故を起こしてしまうと、私は頭を左右に振って気持ちを切り替え、ハンドルを握り直す。
「たまに出張所の裏の家にも来ることがあってね……だから気配を追えると思うんだけど……」
「……そうなんだ」
『気配』というのがどういうものなのか私にはわからないが、だからシロは出かける前に念入りに作った髪形がぐしゃぐしゃになるのも構わず、車の窓を開けて外をうかがっているのだと察する。
「あやかしって、いろんなことが出来ていいね……」
あまり気の利かない褒め言葉だとは自分でも思ったが、シロが私の賞賛を喜ぶことはなく、ずっと窓の外へ目を向けている。
「そうでもないよ。人間のほうがよっぽど……」
言いかけてはっとしたように口を噤み、それから急に話題を変えた。
「クロはさ……人間とあやかしが関わるのをあまりよく思っていないんだ。お互いのためにならないって……豆太に厳しくしたのはそういうわけだから、大目に見てやって……」
「うん……」
頷きながらふと気になって、訊ねてみた。
「シロくんは? やっぱりあやかしと人間はあまり関わらないほうがいいと思ってるの?」
「……俺?」
訊ねられたのが意外とばかりに形のいい眉を片方上げて、シロは苦笑いの表情になった。
「俺の場合は、それを否定すると自分の存在を否定することになっちゃうからなぁ……」
「え?」
いったいどういう意味だろうと、思わず彼のほうへ顔を向けてしまった私に、シロは慌てて前方を指さした。
「前! 前見て運転して、瑞穂ちゃん!」
「う、うん」
若干道の端に傾きかけていた進行方向を、私は急いで道路の中心へと修正した。
ほっと溜め息を吐いたシロが、明るい声で語る。
「俺は、学校の友だちと楽しく騒ぐ程度には、人間と仲良くやってるよ」
街でその友人たちと偶然遭遇した時の、シロの様子を思い出し、私はなぜだかほっと胸を撫で下ろす。
「そうか。そうだよね……」
「うん」
声音は明るかったけれど、シロがこの時本当に笑っていたのかは疑問だったし、出来れば顔を見て確かめたかった。
しかしそう何度もよそ見運転で注意されるわけにもいかない。
(大丈夫……だよね……?)
その不安が、予感めいた虫の知らせだったということを私が知るのは、もっと後のことになる――。
「瑞穂ちゃん、そこ。その狭い道を登って」
「はい」
「次は左。道沿いに進んで、右」
「…………はい」
シロの案内に従って車を走らせ、出発してからもうどれほどの時間が経ったのだろう。
軽く一時間を越えたことは確かだ。その間に山を一つ下り、別の山を登って更に下った。
出た先は、私がこれまで来たことのない集落であり、一人で帰れと言われても山の上出張所まで帰れる気がしないほど、複雑に入り組んだ山道を辿ってきた。
「あのう……シロくん……」
本当に田中庄吉さんの家へ向かえているのかと、緑が濃くなったり、県境を越えたり戻ったりするたびに私が尋ねているので、シロもすっかり慣れてしまっている。
先回りして答えられる。
「大丈夫! 合ってる! きっともうすぐ見えてくるはずだから……ほら! 見えた!」
彼が指さす先には、住宅なのか作業小屋なのか判断に困るような、いかにも手作りふうの小さな建物が建っていた。山の斜面を切り開いて建てられており、玄関へ向かうには、かなり急な角度のスロープを登らなければならない。
(私の車で登れるかな……?)
不安だったので車は道路脇に止め、歩いて坂道を登った。
玄関の前には軽トラックが停めてあり、確かにこれならば急な坂道も平気だろうと感嘆する。
「ごめんくださーい」
ガラス製の引き戸に向かって声をかけると、違うほうから声がした。
「はーい」
コの字型の建物の反対側から、小さな籠を手に持った老人が歩いてくる。
大きな麦わら帽子を被って、首にタオルをかけた老人は、私の制服を見ると目尻を下げて笑った。
「あー、そよ風宅配便の社員さんやねー、わしの代わりに来てくれた……」
少し腰の曲がった田中さんに、私のほうからも歩み寄った。
「後任の芦原です。はじめまして」
「はじめまして。よろしくお願いしますねー」
タオルで汗を拭いている田中さんに促されるまま、私もシロも日当たりのいい縁側に座る。
「何もないけんど……」
そう言いながら田中さんは縁側から家へ入り、何度も行ったり来たりしながら、お茶やお菓子や漬物を運んでくれる。
「あの、どうぞ、お構いなく……私たち、荷物を届けに来ただけなんで……」
そう言っても「いいから、いいから」とお茶を勧めてくれる田中さんは、この家に一人暮らしで、時々お茶を飲みに来る近所の人以外は、話し相手もいないのだという。
「定年過ぎても出張所で働かせてもらえたおかげで、寂しいと思ったことなぞ今までなかったけどね……腰を痛めたから……いたた、さすがにもう潮時やな」
「そうだったんですか……」
「あ! 俺が持ちますよ」
シロは腰をさする田中さんの横に付き添い、いろいろなものを運ぶ手伝いをしている。
その気遣いが、いかにも今風な彼の風貌とちぐはぐで、私は心があったかくなりながら、それより温かい出されたばかりのお茶に手をつける。
「……おいしい!」
「だろ? わしが手揉みした茶じゃけんね」
「手揉み?」
田中さんが視線で示した先を見てみると、向かいあった建物の入り口で、ざるに緑の葉っぱが山盛りになっていた。
「お茶、米、里芋、玉葱……今の季節は、きゅうりとへちまも……」
さまざまな箱やかごやざるに盛られた農作物を指さしながら、指折り数える田中さんに、私は驚きの思いで問いかける。
「そんなに作ってるんですか?」
「そうよ、もう何十年も作っとる」
誇らしげに胸を張る田中さんは、逆に私に尋ねた。
「それで……? なんか荷物をだったけ?」
「あ……!」
危うく、仕事で訪問したことを忘れてしまいそうになったことを反省しながら、私は豆太くんから預かった小さな包みを、田中さんに手渡した。
「これです」
長くそよ風宅配便で働いていた大先輩なので、伝票を貼っていないことを怪しまれるかと思ったが、そういうことはなかった。持ち上げた時にからからと小さな音がしたので、思い当たることがあったらしく、田中さんの皺深い顔が喜びに輝く。
「ひょっとして……!」
田中さんが大切そうに膝の上で開けた小箱の中身は、大きなさつまいもだった。それから綺麗な色の木の葉が数枚と、どんぐり。
「豆太が……あの子が頼んだんか?」
「え……はい」
田中さんが豆太くんのことをどういうふうに解釈しているのかわからないので、私は曖昧に頷いた。
田中さんはとても嬉しそうな顔で、てのひらに載せたどんぐりを見つめる。
「わしが営業所で暇をしとると、よく遊びに来てな……葉っぱやら、木の実やらいっぱい集めて、遊んどるのは変わらんみたいじゃな……豆太は元気かい?」
「はい」
田中さんはほっとしたように笑って、それから大きなさつまいもを手に取る。
「芋を持ってきたら、千代さんが焼き芋にしてくれるのを、喜んでの……わしに送ってきても、焼き芋にはできんぞ、豆太、ははは」
その時の豆太くんの姿を頭に思い描いたのか、懐かしそうに――けれど寂しそうに、笑った田中さんは次の瞬間、縁側で立ち上がって、また家の奥へ向かう。
「そうじゃ……」
田中さんが家の中から持ってきたのは、綺麗な洋菓子の箱だった。
「都会に住んどる息子が送ってきての……一人じゃどうせ食べきれんけえ……」
個包装された焼き菓子を次々と取り出して、私とシロの手に載せる。
「食べていきんしゃい。そして、豆太や千代さんにも持っていってほしいんじゃが……」
田中さんがちらりと私の制服を見るので、それは宅配便として仕事で引き受けるべきなのかと一瞬頭をよぎったが、私が口を開く前に、シロがさっさと引き受けてしまった。
「いいですよ! 今度豆太が遊びに来たら、渡します。瑞穂ちゃん、千代さんに渡せる?」
「あ、たぶん明日も来ると思うから……」
私が出張所で暇を持て余していると、千代さんは必ず顔を出して話し相手になってくれるのだ。その際いつも、田中さんが残していったと思われる道具でお茶を飲んでいることに思い当たり、私は慌てて田中さんへ向き直った。
「そういえば、出張所のお茶セットお借りしてます。いつも助かってます」
「そうかい、そうかい。じゃあこれも持っていって千代さんと飲みんしゃい」
田中さんは手揉みだというお茶も一缶くれ、これもこれもと野菜を私の車に積んでくれた。
「こんなにたくさん新鮮な野菜が……きっとクロが喜ぶね」
「うん、そうだね」
シロと笑いあって、田中さんに何度もお礼を言う。
「本当にありがとうございました。こんなにお土産をいただいて……」
「なんの! 遠いところを来てくれたけんね。またいつでも遊びに……」
そう言いかけて、田中さんは言葉を切った。
「いや、なんでもない……豆太と千代さんによろしく。出張所の仕事、ほどほどにがんばってなー」
「はい。ありがとうございました」
道まで出て手を振る田中さんに見送られ、私とシロは帰路についたが、車が見えなくなるまでずっと見送ってくれている田中さんの姿が印象的だった。
「喜んでもらえてよかったね」
「そうだね」
来る時よりも言葉数が少なくなったシロと二人、山の上の出張所までの長い道のりを帰った。
「よし、出発進行ー!」
仕事の時の和装ではなく、細身のダメージジーンズに丈の長いシャツ姿の彼は、同じ年ぐらいの若い男の子にしか見えなくて、普段は感じたことのない緊張を覚える。
「う、うん……」
頬杖を突きながら窓の外を眺めている横顔には、白狐の姿になっている時の面影など微塵もなかった。そう思うと、ますます緊張が増す。
「田中庄吉さんねー」
ふいに話しかけられて、思わず声が裏返った。
「ふぁい?」
「ぶっ、何その声?」
ふき出されて我に返った。こんなことでは事故を起こしてしまうと、私は頭を左右に振って気持ちを切り替え、ハンドルを握り直す。
「たまに出張所の裏の家にも来ることがあってね……だから気配を追えると思うんだけど……」
「……そうなんだ」
『気配』というのがどういうものなのか私にはわからないが、だからシロは出かける前に念入りに作った髪形がぐしゃぐしゃになるのも構わず、車の窓を開けて外をうかがっているのだと察する。
「あやかしって、いろんなことが出来ていいね……」
あまり気の利かない褒め言葉だとは自分でも思ったが、シロが私の賞賛を喜ぶことはなく、ずっと窓の外へ目を向けている。
「そうでもないよ。人間のほうがよっぽど……」
言いかけてはっとしたように口を噤み、それから急に話題を変えた。
「クロはさ……人間とあやかしが関わるのをあまりよく思っていないんだ。お互いのためにならないって……豆太に厳しくしたのはそういうわけだから、大目に見てやって……」
「うん……」
頷きながらふと気になって、訊ねてみた。
「シロくんは? やっぱりあやかしと人間はあまり関わらないほうがいいと思ってるの?」
「……俺?」
訊ねられたのが意外とばかりに形のいい眉を片方上げて、シロは苦笑いの表情になった。
「俺の場合は、それを否定すると自分の存在を否定することになっちゃうからなぁ……」
「え?」
いったいどういう意味だろうと、思わず彼のほうへ顔を向けてしまった私に、シロは慌てて前方を指さした。
「前! 前見て運転して、瑞穂ちゃん!」
「う、うん」
若干道の端に傾きかけていた進行方向を、私は急いで道路の中心へと修正した。
ほっと溜め息を吐いたシロが、明るい声で語る。
「俺は、学校の友だちと楽しく騒ぐ程度には、人間と仲良くやってるよ」
街でその友人たちと偶然遭遇した時の、シロの様子を思い出し、私はなぜだかほっと胸を撫で下ろす。
「そうか。そうだよね……」
「うん」
声音は明るかったけれど、シロがこの時本当に笑っていたのかは疑問だったし、出来れば顔を見て確かめたかった。
しかしそう何度もよそ見運転で注意されるわけにもいかない。
(大丈夫……だよね……?)
その不安が、予感めいた虫の知らせだったということを私が知るのは、もっと後のことになる――。
「瑞穂ちゃん、そこ。その狭い道を登って」
「はい」
「次は左。道沿いに進んで、右」
「…………はい」
シロの案内に従って車を走らせ、出発してからもうどれほどの時間が経ったのだろう。
軽く一時間を越えたことは確かだ。その間に山を一つ下り、別の山を登って更に下った。
出た先は、私がこれまで来たことのない集落であり、一人で帰れと言われても山の上出張所まで帰れる気がしないほど、複雑に入り組んだ山道を辿ってきた。
「あのう……シロくん……」
本当に田中庄吉さんの家へ向かえているのかと、緑が濃くなったり、県境を越えたり戻ったりするたびに私が尋ねているので、シロもすっかり慣れてしまっている。
先回りして答えられる。
「大丈夫! 合ってる! きっともうすぐ見えてくるはずだから……ほら! 見えた!」
彼が指さす先には、住宅なのか作業小屋なのか判断に困るような、いかにも手作りふうの小さな建物が建っていた。山の斜面を切り開いて建てられており、玄関へ向かうには、かなり急な角度のスロープを登らなければならない。
(私の車で登れるかな……?)
不安だったので車は道路脇に止め、歩いて坂道を登った。
玄関の前には軽トラックが停めてあり、確かにこれならば急な坂道も平気だろうと感嘆する。
「ごめんくださーい」
ガラス製の引き戸に向かって声をかけると、違うほうから声がした。
「はーい」
コの字型の建物の反対側から、小さな籠を手に持った老人が歩いてくる。
大きな麦わら帽子を被って、首にタオルをかけた老人は、私の制服を見ると目尻を下げて笑った。
「あー、そよ風宅配便の社員さんやねー、わしの代わりに来てくれた……」
少し腰の曲がった田中さんに、私のほうからも歩み寄った。
「後任の芦原です。はじめまして」
「はじめまして。よろしくお願いしますねー」
タオルで汗を拭いている田中さんに促されるまま、私もシロも日当たりのいい縁側に座る。
「何もないけんど……」
そう言いながら田中さんは縁側から家へ入り、何度も行ったり来たりしながら、お茶やお菓子や漬物を運んでくれる。
「あの、どうぞ、お構いなく……私たち、荷物を届けに来ただけなんで……」
そう言っても「いいから、いいから」とお茶を勧めてくれる田中さんは、この家に一人暮らしで、時々お茶を飲みに来る近所の人以外は、話し相手もいないのだという。
「定年過ぎても出張所で働かせてもらえたおかげで、寂しいと思ったことなぞ今までなかったけどね……腰を痛めたから……いたた、さすがにもう潮時やな」
「そうだったんですか……」
「あ! 俺が持ちますよ」
シロは腰をさする田中さんの横に付き添い、いろいろなものを運ぶ手伝いをしている。
その気遣いが、いかにも今風な彼の風貌とちぐはぐで、私は心があったかくなりながら、それより温かい出されたばかりのお茶に手をつける。
「……おいしい!」
「だろ? わしが手揉みした茶じゃけんね」
「手揉み?」
田中さんが視線で示した先を見てみると、向かいあった建物の入り口で、ざるに緑の葉っぱが山盛りになっていた。
「お茶、米、里芋、玉葱……今の季節は、きゅうりとへちまも……」
さまざまな箱やかごやざるに盛られた農作物を指さしながら、指折り数える田中さんに、私は驚きの思いで問いかける。
「そんなに作ってるんですか?」
「そうよ、もう何十年も作っとる」
誇らしげに胸を張る田中さんは、逆に私に尋ねた。
「それで……? なんか荷物をだったけ?」
「あ……!」
危うく、仕事で訪問したことを忘れてしまいそうになったことを反省しながら、私は豆太くんから預かった小さな包みを、田中さんに手渡した。
「これです」
長くそよ風宅配便で働いていた大先輩なので、伝票を貼っていないことを怪しまれるかと思ったが、そういうことはなかった。持ち上げた時にからからと小さな音がしたので、思い当たることがあったらしく、田中さんの皺深い顔が喜びに輝く。
「ひょっとして……!」
田中さんが大切そうに膝の上で開けた小箱の中身は、大きなさつまいもだった。それから綺麗な色の木の葉が数枚と、どんぐり。
「豆太が……あの子が頼んだんか?」
「え……はい」
田中さんが豆太くんのことをどういうふうに解釈しているのかわからないので、私は曖昧に頷いた。
田中さんはとても嬉しそうな顔で、てのひらに載せたどんぐりを見つめる。
「わしが営業所で暇をしとると、よく遊びに来てな……葉っぱやら、木の実やらいっぱい集めて、遊んどるのは変わらんみたいじゃな……豆太は元気かい?」
「はい」
田中さんはほっとしたように笑って、それから大きなさつまいもを手に取る。
「芋を持ってきたら、千代さんが焼き芋にしてくれるのを、喜んでの……わしに送ってきても、焼き芋にはできんぞ、豆太、ははは」
その時の豆太くんの姿を頭に思い描いたのか、懐かしそうに――けれど寂しそうに、笑った田中さんは次の瞬間、縁側で立ち上がって、また家の奥へ向かう。
「そうじゃ……」
田中さんが家の中から持ってきたのは、綺麗な洋菓子の箱だった。
「都会に住んどる息子が送ってきての……一人じゃどうせ食べきれんけえ……」
個包装された焼き菓子を次々と取り出して、私とシロの手に載せる。
「食べていきんしゃい。そして、豆太や千代さんにも持っていってほしいんじゃが……」
田中さんがちらりと私の制服を見るので、それは宅配便として仕事で引き受けるべきなのかと一瞬頭をよぎったが、私が口を開く前に、シロがさっさと引き受けてしまった。
「いいですよ! 今度豆太が遊びに来たら、渡します。瑞穂ちゃん、千代さんに渡せる?」
「あ、たぶん明日も来ると思うから……」
私が出張所で暇を持て余していると、千代さんは必ず顔を出して話し相手になってくれるのだ。その際いつも、田中さんが残していったと思われる道具でお茶を飲んでいることに思い当たり、私は慌てて田中さんへ向き直った。
「そういえば、出張所のお茶セットお借りしてます。いつも助かってます」
「そうかい、そうかい。じゃあこれも持っていって千代さんと飲みんしゃい」
田中さんは手揉みだというお茶も一缶くれ、これもこれもと野菜を私の車に積んでくれた。
「こんなにたくさん新鮮な野菜が……きっとクロが喜ぶね」
「うん、そうだね」
シロと笑いあって、田中さんに何度もお礼を言う。
「本当にありがとうございました。こんなにお土産をいただいて……」
「なんの! 遠いところを来てくれたけんね。またいつでも遊びに……」
そう言いかけて、田中さんは言葉を切った。
「いや、なんでもない……豆太と千代さんによろしく。出張所の仕事、ほどほどにがんばってなー」
「はい。ありがとうございました」
道まで出て手を振る田中さんに見送られ、私とシロは帰路についたが、車が見えなくなるまでずっと見送ってくれている田中さんの姿が印象的だった。
「喜んでもらえてよかったね」
「そうだね」
来る時よりも言葉数が少なくなったシロと二人、山の上の出張所までの長い道のりを帰った。