その後は適当な話題とトークで乗り切った私達。

顔の熱も引いていつも通りの体温に戻った。

住宅街に入ると一際目立つ建物がある。

モダン風でとても大きい家。

庭も豪華で一面が綺麗な芝生だ。

そこまで大きくはないがお洒落な門の前でヒロくんが止まる。



「ここ…?」

「はい。ここが俺の家です。ほら、表札に九音って書いてあります」



KUON。

お洒落なローマ字で書かれている表札。

私の家みたいに漢字の鈴木とは全く違かった。

お洒落に塗れているこの家は雰囲気からして違う。

若干周りの家とは浮いていた。

ヒロくんが門を開けて入ると、整備された庭がお出迎えする。

ヒロくんのお母さんが手入れしているのだろうか。

私の家とは別物だった。

私が庭に見惚れているとヒロくんは玄関を開けて私を入れてくれる。



「どうぞ」

「お、お邪魔します…」



室内に入ると良い香りが私の鼻を抜けた。

そして目に入るのは広い玄関。

家族4人で埋め尽くされる我が家では考えられない。

私はまた見惚れてしまった。



「ただいまー」



ヒロくんが大きめな声でそう言うとスリッパの音がこちらに向かってくる。

私は姿勢を正してお母さんが来るのを待った。



「いらっしゃ……」

「はじめまして!ヒロくんの一個上で3年の鈴木藍子です!今日はお時間とっていただきありがとうございます!」

「あらあらあらあらあら!」

「母さん?」



自己紹介が変ではなかったかと心配になる。

しかしそんな私とは別にお母さんは嬉しそうな声を出していた。

私は下げた頭を上げて見る。

綺麗なお母さんだった。

洋服も落ち着いているが品がある。

優しそうな顔立ちでヒロくんに似ている気がした。



「私てっきり男友達かと思ったわ!まさかこんな可愛い子だなんて!ヒロあんたやるわね!」

「勘違いしてるかもしれないから訂正するけど、藍子先輩は友達。最近仲良くなって意気投合したんだ」

「藍子ちゃん!はじめまして!ヒロの母です。気軽にお母さんと呼んでね!」

「……絶対都合よく変換してるな」

「はじめまして。お母さん。今日はよろしくお願いします」

「先輩、乗らなくて良いですよ」



私とお母さんはヒロくんの声も聞かずに握手をする。

細く綺麗な手は私を迎え入れてくれた。

私とヒロくんは靴を脱いで家へ上がる。

お母さんに連れられてやってきたのはグランドピアノが中央に置いてある部屋だった。

壁を見ればさまざまな楽器が飾られている。

特に目を引くのはバイオリンだった。



「ここは防音だから好きなだけ歌って良いよ。あ、そうだ藍子ちゃん。好きな飲み物ある?お菓子も用意したから食べていって」

「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ?」

「そうだよ母さん。目的は歌なんだから」

「はいはい。あんたはもう少し人とのコミュニケーション能力を身につけなさいよ」



お母さんの言葉にヒロくんは顔を歪ませて私は苦笑いする。

お母さんは椅子を2つ持ってくると私の近くに置いた。



「藍子ちゃんは座って歌う派?それとも立って歌う派?」

「えっと、いつもは立って歌います。座っては歌わないですね…」

「そうなんだ。中には座った方が綺麗に出せるっていう人もいるから一応確認でね。どうする?今すぐ歌っちゃう?」

「お母さんが大丈夫なのであれば今すぐでも」

「私はいつでも聴けるわ。そうだ。この子はどうする?退出させる?」

「ヒロくんはどちらでも…」

「先輩が良ければ聴かせてください」

「うん、わかった」

「さぁ自分のタイミングでお願い」

「はい」



お母さんは持ってきた椅子に座る。

ヒロくんは私の持ち物を預かるともう1つの椅子に置いた後、お母さんの隣に立った。

どちらも聴く準備は出来ているようだ。

私は一回深呼吸をして落ち着かせる。

今の私はまだ発展途上だ。

下手でも大丈夫。

いつも通りは難しくても、点数が下がることはない。

今回が初めてなのだから。



「よろしくお願いします」



歌う。

何を考えているかと言われたらわからない。

ただ歌詞が流れ込んでくるのを頭の中で読み取って音に乗せるだけ。

どういう感情を込めればいいのかも知らないし、考えれば余計に混乱してしまう。

それなら歌詞だけを浮かべれば良い。

お母さんはどう思っているのだろう。

ヒロくんはどう感じているだろう。

不安要素は溢れるばかりだ。

1番のサビに辿り着く頃には伸ばす部分の震えは無くなり安定してくる。

それでも言葉一語一語に力はなかった。

応援曲というわけでもないけど、練習よりも力が感じられない。

それでも私は音に乗せた。



「……ありがとうございました」

「先輩はやっぱり凄いですよ」



歌い終わるとヒロくんが拍手をして真っ先に感想を述べてくれる。

この部屋にヒロくんも同席してくれたから意外とスムーズに歌えた気がした。

ヒロくんなら嬉しい感想をくれるって確信していたから。

1番気になり心配なのはお母さんだ。

私はチラッと顔を見ると、視線を下に逸らして考えているように黙っている。



「母さん?」



ヒロくんが尋ねてもすぐに返答はしなかった。

数秒が数分に感じる。

プロからの採点を貰うまでの時間がこんなにも怖く、恐ろしいなんて。

最悪、歌を辞めろと言われるかもしれない。

汚い歌と言われるかもしれない。

私の脳内はネガティブな考えで埋め尽くされた。



「1つ聞かせて。藍子ちゃんは何を目指しているの?」



やっと口を開いたお母さんは真剣に私を見てそう言った。

私は一瞬怖気付いたがすぐに答える。



「アイドルです」

「そう、理由は?」

「夢だからです。アイドルは私の憧れなので」

「やめときなさい」



お母さんの言葉にこの部屋の空気が変わる。

私は何を言われたのか分からなかった。

「やめときなさい」確かにお母さんはそう言った。

先程の優しい雰囲気とは別に冷たく。

何故そんなことを言うのか。

言葉を失った私の代わりにヒロくんが言ってくれる。



「母さん、どう言うこと?なんで先輩の夢を否定する」

「現実的じゃないからよ。藍子ちゃんの歌はとても綺麗だった。少しコツを掴めば自分のものに出来るくらいにね」

「それじゃあなんで…!」

「アイドルだからよ」

「は?」

「アイドルは歌だけじゃ生きていけない。ダンス、ファンへの対応、スタイル維持にスタッフとの連携。芸能界でも大変な職業なの」

「それは、わかっています…」



私は声を出すけど、弱々しい声になってしまう。



「藍子ちゃん。悪いけど貴方はアイドルには向いてない。こんなこと言いたくないけど、貴方は弱いの」

「………」

「そんなの…母さんはわからないだろ!」



ついに声を荒げるヒロくん。

初めて聞く怒りの声。

私はやっと自分はアイドルになれないと言ったことを理解して涙が出てきた。



「先輩がアイドルになれないなんて母さんが言える立場じゃない!応援してやれよ!アドバイスくらいやれるだろ!」

「私からのアドバイスは諦めること。それだけ」

「ふざけるな!」

「ヒロくん…いいよ…大丈夫」

「でも先輩!」



私は涙を流しながらヒロくんを止める。

それでもヒロくんの怒りは収まらなかった。

親子で喧嘩してほしくない。

部外者の私のために声を荒げてほしくない。

ただその一心でヒロくんの腕を握ってやめさせる。

ヒロくんはお母さんを睨んで、お母さんは無表情で私達を見た。

私は下を向いて涙が流れるのを止めたかった。