五人目の被害者、辻浦橙花(つじうらとうか)は凄惨な姿で発見された。
 早朝の神社で見つかった死体は二つ。
 境内で胡座をかいた首の無い警官の死体に、うやうやしく抱えられていた辻浦橙花の頭部は、その閉じる事の無い眼で、色づき始める世界を悠然と見つめていた。
 また「それ」を神と崇めているかのように、胴体は全裸の状態で「それ」と向かい合うようにして参道に座し、黒い糸で乱雑に縫い付けられた警官の頭を垂れていた。
 その異質さは、第一発見者である婦人をしばらくそこに立ち尽くさせてしまったらしい。きっとあの作られた神々しさ、そして禍々しさにあてられてしまったのだろう。
 この事件の被害者は「女子高生」の辻浦橙花だ。警官は巻き込まれただけだと言える。これまでの概要を知っていれば、それが二次被害だと誰しもが理解出来た。
 それこそ、言ってしまえば一人目以外は全て二次被害なのだが。それはきっとまだ誰も知らない。
 ただ、そんな命を玉突きのように転がして穴に落とす、まるでゲームでもしているかのように五度繰り返された殺人はこんな風に呼ばれていた。
  ————カラーネーム事件。
 最近、ニュースを賑わしている連続猟奇殺人事件はいつの間にか、そんな名前を付けられていて、僕の住む町は一挙に注目を浴びていた。
「あーあ、私も殺されちゃうのかなぁ」
 旧校舎のカビ臭い化学準備室で、月ノ瀬緑(つきのせみどり)は言葉とは裏腹の表情で呟いた。この事件は月ノ瀬にも襲いかかる恐れがあるせいか、彼女はいつも以上に注目し、そして次の被害者を待ちわびていた。
「ねぇ。もし私が殺されたらどうする?」
「いつもの事ながら趣味の悪い質問だね。葬式にはちゃんと出るよ」
 僕の答えがつまらなかったからか、はたまた小説を読む手も止めず答えた態度が気に食わなかったからか、月ノ瀬からは何の反応も返って来ず、準備室にはその後しばらく、僕がページを捲る音だけが聞こえた。
「……あれ? この棚。掃除したの?」
 僕は小説を捲る手をピタリと止めた。月ノ瀬は勘が良い。勘が良いけれど詰めが甘いから、そこもまた良い。だから、笑った顔を上げ向けて答えた。
「うん。埃が溜まっていたからね」
「そうなんだー。じゃあ今度、大掃除でもしよっか。いい加減なんとかしないとね。この何とも言えない物置感」
 月ノ瀬につられて部室を見回す。ただでさえ狭い準備室には扉を除く壁全面に、様々な薬品や空き瓶が転がっている棚と、確かめるのも面倒くさくなる程に積まれた段ボールが敷き詰められている為、余計に狭苦しくなっていた。端から見たら中央にある椅子と机だけで十分じゃないかと思うだろうが、僕はこの閉塞感がなかなか嫌いじゃない。
 けれど、月ノ瀬にとっては雰囲気が今ひとつらしく、度々、模様替えを提案されては僕が上手く話をそらしていた。
「亜希(あき)君さ。もしかして何か掴んでたり、しないよね?」
 僕は本を閉じて机に投げ置く。やっぱり月ノ瀬は勘が良い。
「別に。何も掴んでないよ」
「なーんだ。いつもみたいな名探偵っぷりを期待してたのにぃ」
 月ノ瀬はガッカリと言った表情で、背もたれに寄りかかりながら天井を見上げた。
 別に僕は名探偵じゃない。後だしジャンケンのように、解決してから推察を話すのは探偵のやる事じゃないし、何より僕は誰も救えていない。知らない誰かを救おうともしない。
 本当は、こうして事件について話すのもあんまり得意じゃない。と言うより好きじゃない。なのに、月ノ瀬のこの目を見てしまうとウッカリ話してしまう。ついついその目を自分に向けて欲しくて興味を引こうとしてしまうのだ。
 僕はこの目に滅法弱かった。深く、底を見せない真円の漆黒を包む青みがかった白。ひどく澄んでいて、闇に魅入られている瞳。その危うさが僕を離さないのだ。離さないで欲しいのだ。
 おかげで、今もつい話してしまいそうになった。
 僕は月ノ瀬の勘通り、この事件の真相をほとんど知っていた。

 学校からの帰り道、ここ最近は警官とよくすれ違う。厳戒態勢なのは何となく分かるけど、それでもこの町は不気味なくらい静かで、時折、騒ぎ立てているのはテレビ越しの人達だけで、本当は何も起こっていないんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。
 梅雨入り前の空は灰色が多い。
 五月も終わりに差し掛かった今日も、どんよりと曇っていた。
 まるで、いつも通り。
 僕が中学一年に上がるタイミングで越して来たこの町は、それから三年間ずっとこの陰鬱とした雰囲気を持ち続けている。きっとこれからもそうだ。晴れの日も雨の日も四季も関係なく、どこか鬱屈としていて、淀んでいた。
 恐らく、僕がここへ来る前からずっとそうなのだろう。治安が悪いとか、それだけでは説明出来ない何かがこの町にはあった。
 確かに事件そのものも多かったけれど、その中に不可解なものや、猟奇的な事件が過去に三件。僕がこの町に越して来てから起きていた。
 一年に一回の頻度は決して少ないとは言えない。
 それでも、この町には他と変わらず当たり前のように人が住んでいる。もしかしたら、全員おかしいのかも知れない。結局、この町の高校を選んでいる僕が言えた事じゃないけど。
 カラーネーム事件は新たな四つ目だった。まぁ仲間入りしたのは最近だけど。
 簡単な話、連続して起きている女子生徒殺人の被害者が全て名前に色が入っている人物だから「カラーネーム」事件。全く、安易なネーミングだ。
 残虐性としては今ひとつ。この町を囲むようにして建てられている六つの神社のいずれかに、胴体から切り離された生首が祀られるように置いてあり、また、胴体はバラバラに刻まれたり、おかしな装飾をされたりして別の場所に捨てられているというものだった。確かに回を追う事に残虐性も増していっているし、直近の被害者の胴体はそれなりに面白い形で飾り付けられていたけれど、それでもマスコミが焚き付けて煽っている感じは否めない。
 確かに、この二ヶ月の間に五件。というのは異常だけれど、その中から狂気を感じられたのは最近の二件からだ。
 おかげで僕はそれに気付く前に、興味を持つ前に、あっさりと大事なものを失ってしまった。厳密に言えば、気付いた時にはギリギリアウトだったのだ。本当にほんの少しの差だった。でも、取りこぼしてしまったそれはもう二度と完璧な形には戻らない。それが悲しくて、悔しくて堪らなかった。
「お兄ちゃん。こっち」
 式場の前で待っていた雪乃は、歩いてくる僕に気付いて小さく手招いた。
「ごめん。待たせて」
「ううん。行こ」
 雪乃は暗い表情のまま薄く笑って、周りに居る記者やカメラに見向きもせず中へ入った。
 式場の中には僕が一年前に着ていた制服が思った以上に溢れていた。そんな男子よりも、雪乃と同じ制服を着ている女子の方が多いのは当たり前だったけど、それでもこの男子の多さは彼女の分け隔てない人付き合いの賜物と言えるだろう。
 彼女はいつだってそうだった。
 性別も学年も関係なく、その曇りの無い瞳で屈託の無い笑顔を見せながら話してくる。
 親友の兄である僕に対しても勿論そうだった。でも僕にとっては、とりわけ良く話をした後輩だったと思う。特別だったのだ。
 彼女が僕に少しばかりの好意を寄せているのは雪乃から聞いていたし、僕もまた彼女と目が合う度に胸が高鳴った。だから、彼女の特別になりたいと思っていた時期もあった。
 牧原紫(まきはらゆかり)。学校の人気者だった彼女の名前は今や全国区だ。
 カラーネーム事件、四人目の被害者。今日は彼女の告別式だった。

「帰ろっか」
「友達はいいの?」
 僕が何となく見覚えがある女子達に目を投げると、雪乃はかぶりを振って、そのまま僕の腕を引っ張って式場を出た。
 だんだんと灯りや声が遠のいて行く。ささやかな夜に戻って行く。しばらくはそのまま歩いていたけど、会場が完全に見えなくなるとようやく雪乃は僕の腕から手を離して、歩く速度を落とした。
「……何で、泣けないんだろう」
「僕も泣いていないよ」
 斜め後ろから顔を向けて様子を伺うが、雪乃は俯いたまま目を合わせようとしない。仕方なく僕は隣に並んで、歩幅を合わせた。
「お兄ちゃんは、悲しくないの?」
 雪乃は小さく呟く。俯いたままだったからきっと、一瞬、息を詰まらせた僕に気付きはしなかっただろう。
 悲しくない。訳が無い。でも、それ以上に自己に対する嫌悪や、犯人に対する憎悪の方が大きかった。雪乃はそんな僕を知らない。きっとこの先もずっと。
「私は……悲しいよ」
「……僕もだよ」
「でも泣けないんだよ。みんなみたいに。涙が出て来ないんだよ」
「泣けないからって悲しさの度合いが小さい訳じゃないよ」
「わかってる。でも、きっと私はあそこで皆の所に行ってたら、泣いたと思う」
「うん」
「嘘泣きじゃないけど、でも何か違う。そういう涙じゃない気がするの」
「うん。分かるよ。言いたい事」
「良かった……ありがとう」
 雪乃はようやく顔を上げて少しだけ微笑んだ。会場で見かけた見覚えのある泣き顔よりよっぽど悲しそうだった。
 雪乃は誠実だ。真っ直ぐで純粋で。だから、牧原紫と同じくらい人気者なのも頷ける話だ。
 きっと雪乃が何人もの友達とすれ違っても、誰とも話さず、目も合わさずに告別式の会場を出た理由を知る者は僕だけだろう。だからと言って無視された友人達は雪乃を責めたりはしない。都合のいい解釈をして、勝手な理由を捏造して、誰よりも悲しんでいた人間だと思い込んでいる筈だ。親友を殺された悲劇のヒロインだと勝手に認識して、終わり。
 人気者ってのはそういうものだ。善人フィルターとでも言うのか、ちょうど牧原紫もそんなような報道のされ方をしていた。

 月ノ瀬との出会いは今でも忘れられない出来事の一つだ。
 晴れて高校生になった初日。入学式もホームルームも滞り無く終わり、早々に教室を出て帰ろうとした矢先に教室の誰かから呼び止められる。
「ねぇ。君」
 廊下に一歩踏み出した足を止めて、名前こそ呼ばれなかったものの明らかに僕へ向けられた声に振り返る。その瞬間から僕はもう目を奪われていた。
 この高校の制服は、カラスのように黒い。一応、薄くチェックが入っているものの、それはあまりにも薄くて遠目からでなくともほとんど分からなかった。故に、この高校では真っ黒な制服から外さないように新入生のほとんどが黒のタイツをはくのがセオリーになっていた。もしくはそれに准じた暗い色。変わっていても白くらいなものだった。
 しかし、その女子は黄色のタイツを履いていた。
 そんなケミカルな組み合わせも目を引くが、そのセンスに似合わない絹のように真っ直ぐな黒髪や、涼やかで端正な顔立ちの方が際立っていた。それがまるで「作り物」のような違和感を与えていて、何だかそこに居るだけで現実と不釣り合いに見えてしまう。
 ただ、僕がそんな彼女の異彩を放った雰囲気に気付いたのは、その場でしばらく話した後の事だった。
 僕は月ノ瀬にミステリー研究会を作ろうと誘われているそのほとんどの間、彼女の瞳に目を奪われていた。
 瞳を輝かせて、やたらと積極的に誘ってくる月ノ瀬に、二つ返事と言う訳ではなかったものの、僕は結局それを承諾してしまった。
 そうして会員が二人になったミステリー研究会は、その後、会員が増える事はなかった。 月ノ瀬は僕を誘った後、他に会員を募ろうとしなかった。おかげで、今の化学準備室があてがわれて、僕たちの研究活動が始まった後でもあんまり「会」らしい活動はしていない。
「だって他にミステリアスな人いないんだもん」
 僕が他に会員を募らないのかと聞いて、返って来た答えがこれだった。
 全く、勘が良いと言うか、嗅覚が優れていると言うか。この時から詰めが甘いのは変わらないけど、月ノ瀬のそれは正しく天性のものだった。僕は月ノ瀬のそんな所にも興味を持っていた。
 それに月ノ瀬は見た目通り、行動力があった。僕なんかよりずっと。
 気になる事件を探しては現場に行って、殺す側殺される側、その動機や背景など様々な事柄をその類い稀な勘や嗅覚、想像力を働かせて物語を象る。そんなピクニック気分で事件現場へと足を運ぶ彼女に付き合うのがこのミステリー研究会の主な活動だった。
 まるでテーマパークにでも来たかのように、月ノ瀬が楽しそうにはしゃぐその場所のほとんどが殺人事件現場だったのが気になる所だったけれど、彼女にとっては「謎」よりも「死」もっと言えば「殺す、殺される」の方がよっぽど大事なのだと気付いてからはそこまで気にする事もなくなった。
 それに、端から見れば異常な死への執着心だったろうけど、僕は過去の事件から彼女が結局は臆病者だと言う事を知っていた。
 火事は対岸だから楽しいのだ。ただ、月ノ瀬はそれに出来るだけ近づこうとする。でも、僕のようにその中へ飛び込もうとはしない。ギリギリまで近づいて、そこに火があるのを感じたくて触れようとするだけであって、本当に火が目に見える形で襲いかかって来たら彼女は誰よりも「生」に執着した。僕はそれを実際にこの目で見た事がある。だから知っていた。彼女が自分でも分かっていない事を。
 彼女が本当に感じたいのは「生」なのだと言う事を僕は知っていた。

「ここが最初の現場かぁ」
 第一の被害者、黄田茉莉菜(きだまりな)の生首が置かれていた場所。賽銭箱前にある三段程しか無い石段に腰を下ろし、月ノ瀬は曇天を仰いだ。
「うーん。ねぇねぇ! どんな感じだったかなぁ! どんな景色だったかなぁ!」
 月ノ瀬は視線を下ろし、目の前に立つ僕に朗らかな顔を向けて黄色い足を二度、ばたつかせた。それにつられて、鬱蒼と生い茂る周りの草花や木々が生温い風に揺られて笑った気がした。
「ここで切った訳じゃないから、ただ置いただけなんじゃない?」
「なーんかいつにも増してクール。と言うより無関心だね亜希君。割と好きそうな事件だと思ったんだけどなぁ」
 小首を傾げる月ノ瀬に僕は肩をすくめる。
 月ノ瀬の興味は今が正に最高潮だろう。今日から始まったこの放課後ミステリーツアーは、果たして僕が興味を持っている四人目と五人目の現場まで辿り着く事が出来るのだろうか。
 僕の予想だと、恐らく難しい。
 一日に一現場ではきっと全てを回りきらずに終わりを迎える事になるだろう。
 何故なら、それまでに解決してしまうからだ。
 月ノ瀬に火の粉が降り掛かる可能性は言ってしまえば、今が一番高い。だから彼女の興味は今が最高潮なのだ。本能的に感じ取っているのだろう。だが、詰めが甘い。その感覚はしばらく続くだろうが、恐らく数日中には終わってしまうだろう。もうすぐ僕が解決してしまうのだ。そして、予定通りに事件を解決してしまえば、彼女は途端に興味を無くし、どれだけ中途半端でも続きを行う事は無いだろう。
 月ノ瀬は熱しやすく、またそれ以上に冷めやすかった。
「確かこの子だけだよね? 胴体が見つかってないの」
 月ノ瀬は跳ねるように階段から立ち上がって、大きく伸びをした。
「うん。そうだね。まぁその内見つかるんじゃない?」
「うーん。でも何か見つかっても別に普通そうだよねー。最初の被害者だし」
 僕は視線を外す。月ノ瀬の言う事はもっともだった。
 このカラーネーム事件に僕が狂気を感じ始めたのは四人目から。一応、生首は別として胴体は多様な遺棄の仕方をされていたが、それまでの被害者は例えどんな刻まれ方や遺棄の仕方をされていようとも、そこから何かを感じる事は無く、月ノ瀬の言う通り「普通」だった。快楽が溢れている訳でもなく、狂気がほとばしっている訳でもなく、ただ首と胴体を真っ二つにして、何かしらの意味を作る為に生首を神社に置き、胴体は全く別の場所で、いくばくかの時間をかけて装飾した。それだけだった。
「亜希君。まだ時間平気?」
「うん。大丈夫だよ」
「よし! じゃあ二人目の現場も行ってみようよ! ここから近いし、折角来たんだからさ!」
 月ノ瀬は返事も待たずに鞄を拾って、足早に鳥居をくぐって行ってしまった。もう興味は二番目の被害者へと移ってしまったみたいだ。この一番目の被害は直感で大した事件じゃないと気付いたんだろう。
 ここに自分を満足させるような狂気的で猟奇的な背景はないと踏むや、さっさと次へ行ってしまう。しかし、そこに根拠がある訳でもなく、論理的な思考を働かせている訳でもない。ただ、自分の思ったまま誘われるまま動いているだけなのだ。
 野性、天性、そんな言葉では形容しがたい月ノ瀬の類い稀な本能が時々、羨ましくなる。
 本当に大した才能だ。今回に限って言えば本当に羨ましい。
 詰めの甘くない僕にそれがあれば、きっと……何て今更言っても、手遅れには変わりないんだけど。

 第二の被害者、青井優子(あおいゆうこ)の現場にはまだうっすらとチョークの跡が残っていた。学校の物とは違って消えにくい物なのだろうか。別に、どうでも良い事だけど、消えかかったその跡が僕にはまるで子供のイタズラ書きのように見えてしまい、何ともこの事件の浅はかさを表している気がして、胸の内で失笑してしまった。
「うーん。ここも何だかイマイチだなぁ。なーんか思ったより小さい神社だねー」
 月ノ瀬は手に提げた鞄を揺らしながら、御利益もまるで欲しがっていない投げ方でいくらかの小銭を賽銭箱に投げた。カラカラと乾いた音がして、彼女は手も合わせずにクルリと僕に向き直った。
「この優子ちゃんはさ。四肢がバラバラだったんだよね?」
「そうだよ。手足は全て近くの山でバラバラに捨てられていた」
 それぞれ捨てられた場所に理由はないだろう。等間隔でもなく、何の意味も無く適当に距離を取ってランダムに捨てられていたと思われる。とまでは言わないでおいた。
「んで、首はここに。と」
 参道に立つ月ノ瀬は肩幅に開いた足の間を指差す。僕は頷いた。
「猟奇的?」
 小首を傾げる月ノ瀬の真似をして、僕も「さぁ?」と首を傾げた。
 やっぱり月ノ瀬は感覚で気付き始めている。五件の殺人の意味がどこかで決定的に変わっている事に。
「なーんか怪しいなー。実はもう分かってるんじゃないのー? 色々」
「ううん。そんな事ないよ」
「嘘。絶対嘘。だってそんな筈ないもん」
「どうしてそう言いきれるのさ」
 そう言うと、月ノ瀬はニッコリと笑って人差し指を立てた。
「教えてくれたら教えてあげる!」
 屈託の無い笑顔。その目に見つめられると僕は弱い。だが、ここで話して予定が狂うのはこっちとしても困る。
 僕は少しの間考えて、やっぱり少しだけ教える事にした。もちろん確信には触れさせないようにして。とりあえず、月ノ瀬を少し満足させておかないとまずい。そうしておかないと僕はその内、月ノ瀬の攻めに耐えかねて全てを話してしまいかねない。
「はぁ……わかったよ。大した事じゃないけど」
「はいやっぱりー! そうだと思った!」
 月ノ瀬は嬉々とした顔で拍手を送ってきた。風が凪いで木々の音が消え去ると、その音が何だか少しだけ手招きのように感じた。
「じゃあ言うよ? 今日現場を回ったこの一人目と二人目は女子高生って事以外にほとんど共通点が無いんだ」
「うんうん。でもそれテレビでも言ってるじゃん。面識も無いって」
「そう。きっとそこが狙いなんだ」
 月ノ瀬は僕の含みを持たせた言い方に少し訝しげな表情をして腕を組んだ。
「うーん。ん? んー……」
 斜め上に視線を投げながら月ノ瀬は唸った。どうやら色々と考えを働かせているみたいだ。きっと簡単に答えを聞くのが悔しいのだろう。良い調子だ。
「後は宿題にでもしなよ。もう暗くなる」
「えー? まぁいいけどさ。きっと全くタイプが違う事とか、五人ともそうな所も関係あるんだよね?」
「……うん。まぁそうだね」
「んじゃきっと、一人目の体が見つからない事も関係あるんだよね?」
「さぁ。どうだろうね」
 全く、どこまで勘が良いんだ。もう、これ以上ヒントを与えるのは良くない。このままだと思った以上に早く答えが出てしまいかねない。
「さ、行こう」
 踵を返して眼前を下りて行く階段の方へ促すと、月ノ瀬は返事もせずに歩き出した。
 階段を下りている途中、見下ろした道路の先に人影が一瞬、見えたけど、月ノ瀬はまるで気付かないまま階段を下り続けていた。
 階段を下りきって道路に出るが、さっきの人影はもうどこにも見当たらなかった。気配だけは何となく感じられたけど、きっと気付いていなければわからない。今の月ノ瀬はそれよりも僕の言った謎の方に集中してしまっている。
 もしかしたら、これで良かったのかも知れない。

「そう言えばさ。僕が真相を掴んでいない筈が無いって理由をまだ聞いて無いんだけど」
 月ノ瀬を家まで送る道中、僕は沈黙したまま思案を続けている彼女に見返りを忘れている事を優しく伝えた。
「あ、そう言えば! ごめんごめん」
 月ノ瀬は歩を止めずに顔を上げて、悪びれもせず微笑んだ。
「亜希君がさ。後輩ちゃんが殺されて、少し暗かったから」
「それだけ?」
 月ノ瀬は控えめに首を振った。
「それだけじゃないけど。でも亜希君が落ち込むなんて私、見た事無いよ? これは私のイメージだけど、亜希君は後輩ちゃんのお葬式に行くからなんて理由で先に帰るタイプじゃないもん。いつだって私の事を優先してくれてるのに。ちょっと嫉妬しちゃう」
「……そう。かな?」
「そうだよー! だから、その後輩ちゃんはよっぽど気にかけてた子だったんだろうなって。そんな子が殺されたらやっぱり何か行動するんじゃないのかなって。まぁ願望みたいな所もあるかもね。どうでしょう?」
 月ノ瀬はマイクを向けるフリをする。何とも答えづらい質問だ。でも、これで色々とバレバレなのはわかった。僕が彼女の事を良く知っているのと同じく、彼女もまた僕を知っているのだ。例えそれが全てではなくとも、誰よりも理解しているのだ。
 僕は少しだけ嬉しくて微笑んでしまった。
「そうだね。妹の親友だったし。割と仲が良い子だったよ。正直、月ノ瀬の言う通り大分落ち込んだ。って言っても近しい人が死んだのはこれが初めてだったから。彼女に限った事じゃないと思うけどね」
 月ノ瀬の手をやんわりと押し戻す。戻されたその手は見えないマイクを手放してダランと下がった。
「うーん。まーそうだと良いけどね。ま、どっちでもいいけど!」
「変な言い方をするね」
「あ! あともう一つ!」
 月ノ瀬は僕の前に飛び出して振り返った。少しだけ身を屈めて嬉しそうに僕の顔を伺う月ノ瀬の顔はとても無邪気に見えた。
「亜希君も殺されるかも知れないから!」

 牧原紫が殺害された事をニュース番組が報道しだした時は、近所の人に「良かったね」「危なかったね」なんて言葉を頻繁にかけられた。クラスメイトにも少なからず言われた。
 ただ、それらの言葉は僕に対してじゃなくて「妹」に対してだった。
 当たり前だ。僕は男なんだから。イレギュラーでも起きない限り、心配はいらない。
 これは連続「女子」生徒殺人。四人目の被害者は牧原紫。ただ、同じクラスにもう一人、名前に色が入っている女子生徒が居た。しかも同じ「紫」だ。
 それが、僕の妹「紫水(しみず)雪乃」だった。
 悪い予感が当たった時には、妹は家で夕飯を食べていたし、牧原紫は既に殺されていた訳なのだけれども、妹が殺されなかったのはただ幸運だっただけだと言えるだろう。
 きっと、どっちが殺されてもおかしくなかった。妹が助かったのは「たまたま」だ。
 どっちが死んだ方が悲しいかなんて比べられないけど、それでも、やっぱり僕はこの結果を「良かった」とは思えずにいる。本当に兄として最低だと自分でもわかっている。
 でも、それでも、止めるわけにはいかなかった。

「あ、お兄ちゃんまた地図見てる」
 日曜日、リビングのソファで町内地図を眺めていると、雪乃が後ろから覗き込んできた。
「雪乃。出かけるの?」
「うん。今日は友達とバドミントン。大丈夫。ちゃんと早めに帰ってくるから」
「わかった。気をつけて」
 頭の上にポンと手を置いてやると、雪乃は満足そうな笑みを浮かべて「はーい!」とリビングを飛び出していった。
 快活な妹の背中をその場で見送って、僕はまた地図に視線を落とす。この町の配置。神社への近道をインプットする為に、僕はここ最近ずっとこうして頭の中に刷り込んでいた。失敗は許されない。もし、失敗すれば僕は多大な被害を被る事になる。だから、いざって時に覚えた事が出て来ないなんて事態は絶対に避けなければならなかった。
 恐らく、来週中には全てが終わる。
 そろそろ衝動を抑えられなくなってきている筈だ。
 二時間程集中した後、少し脳を休める為に地図から顔を上げて、リモコンを手に取る。
 点いた途端にテレビから間抜けな声が鳴りだす。ワイドショー番組がカラーネーム事件を取り上げていた。僕はそれを景色のようにぼうっと眺める。
 数時間使い続けていた脳みそに、誰かも分からないコメンテーターが口にする下らない理論が止まる事無く通り抜けていく。相も変わらず、被害者に対しての考察がヒドい。
 特に、割と直ぐに報道しなくなったが第一の被害者と第二の被害者の対比をまた関係のない部分を掘り起こして面白おかしく述べていたのには辟易としてしまった。
 一番目の被害者「黄田茉莉菜」は所謂、非行少女だった。
 家出やサボリの常習犯で、特にマスコミがこぞって取り上げたのは彼女が頻繁に行っていた援助交際についてだった。
 対して二番目の青井優子は相反するように真面目な生徒。模範的と言っても良いくらい品行方正な女子だったらしい。
 こんな二人がほとんど同時に別々の神社で生首だけ見つかったのだから、当時はそれこそ一日中このニュースが流れていた。
 首の切断面から見て、黄田茉莉菜の方が一日ほど先に殺されていたのが明らかになったので、青井優子は二番目の被害者として認知されたが、黄田とは違って次々に体の部位が発見されるのでニュースの焦点はどんどん青井の方に集まって行き、多くの同情を集めた。
 比べて、黄田茉莉菜は胴体が全く見つからないのに、余計な情報だけは後からどんどん出てくるので、同情の声は疎か、自業自得なんて言う人まで現れる始末だった。
 これら二つの事件はその殺され方から同一犯の犯行と見られたが、この二人に接点は全く無く、ニュースでは快楽殺人者に偶然選ばれてしまった不運な二人として報道された。名前に色が入っている関連性が浮かび上がるまで、二人は全く別の種類の人間だとキャスターは報道していたのだ。二人とも同じただの女子高生だと言う事に変わりはないのに、その事について意見を述べた人間は、仰々しくコメントをしている専門家達にさえ居なかった。更に「事件の残虐性は増していっている」などと言って、殺し方からその犯人像を推察している番組も後を絶たなかったが、そのどれもが本質にまるで触れられていなかったのだからおかしなものだ。
 残虐性が「増す」事への違和感。
 確実に三人目から「変化」している事に誰も気付いていないのか、それとも報道していないだけなのか。
 どちらにせよ「残虐性」は変わっていない。もとより、胴体と首を真っ二つに出来るだけで一般的には十分残虐な犯人と言えるだろう。
 「増した」と言うより「生まれた」のだ。
 「狂気」が。
 明らかに三人目から違っている殺し方。三人目で気付き、四人目で開花した。そして五人目で定着したのだ。その内に眠っていた紛れもない「狂気」が。自分でもきっと予想だにしなかっただろう。まさかこんな事になるなんて。
 でも、だからこそ犯人はまだ続ける筈だ。
 そこに「こだわり」が生まれてしまった以上は絶対に無視出来る筈がない。
 もうすぐ。きっともうすぐだ。
 沸々と内から沸き上がる感情が抑えきれなくなる前に僕はテレビを消して、家を出る事にした。相も変わらず間抜けな事を言っているテレビのせいで脳を休める他に、気分転換も必要になってしまった。気を落ち着かせなければ冷静な判断は出来ない。僕は地図で思い描いたルートを目視しておくついでで長めの散歩へ出かけた。
 行き先は二カ所。
 牧原紫の首が置かれた神社と、町内で唯一まだ何も起きていない神社だ。
 牧原紫を見つけた神社は自分の家からそう遠くない場所にある。それでも、裏路地を使って少しでも時間を短縮して向かった。
 自分の住む町じゃないと分からないような、路地とも呼べない塀と塀の隙間を縫うようにして向かっていく。数分、数秒を短縮する為にこんな道を通っているのに、更に細く一人分の隙間があるかないかの間に入り込んだ瞬間に、何とも言えない安心感が不意に飛び込んで来て、思わず数分ほどそこで立ち止まってしまった。
 十数分程で辿り着いた神社は、長い石段を上った先に本殿がある割と大きめな神社だ。それでも、上りきって鳥居の真下から見渡す風景に人は居なかった。あんな事件が起きたからではなく、事件が起きる前からここはいつも人気が無い。もしかしたら事件が起きるまで、ここに神社がある事すら忘れられていたんじゃないかと思う程にいつだって静かな場所だった。時折、ここで時間を潰したりしていた僕だって未だにここが何の御利益がある場所なのか知らなかった。
 ただ、地元の人でも通う者が居ないんじゃないかと思える神社はここに限った訳ではない。元々この町に有名な神社など無く、僕だって特に興味も持っていなかった。だから、三つずつ並んだ列に挟まれるようにしてこの町が出来ていると気付いたのは、僕よりも妹の方が先だった。
「何か守られているような感じじゃない?」
 まだ牧原紫が殺される前の出来事だった。今日と同じように、そして今日とは別の目的で開いていた地図を後ろから覗きこんできた妹が放った言葉。
 僕が神社に印を付けていた事も関係するのであろう。他愛の無い会話の中で何となく出てきたその言葉で僕は閃きかけた。そう、まだその時点では辿り着けていなかったのだ。
 そのせいで、僕は牧原紫をここで失ってしまった。
「ごめんね。守れなくて」
 全く自分らしくない一人言を呟きながら、僕は牧原紫の首が置かれた場所でしゃがみ、手を合わせた。
 牧原紫の殺害現場はそれまでの三件と違い、体もそこにあった。
 参道の丁度、真ん中あたりに首が置かれて、それを中心に細かく刻まれた体の部位で大きな五芒星が作られていた。仰々しく五つの頂点には大きなロウソクが立てられて、時折舞い込む風に、目を見開いたままの牧原紫を照らす灯りが揺らいでいた。
 合わせた手を下ろして立ち上がり、ぐるりと辺りを見回す。
 寂しげな短い参道にはまだテープが貼られている。それでも、ここに警察の姿がないのは、次の場所が唯一まだ何も起きていない神社に違いないと踏んでいるからだろうか。
 確かに可能性は凄く高い。でも、まだわからない。そうやってアタリをつけてしまうと、足をすくわれてしまう。
 警察内部の考えや動きは勿論、僕にもわからないが、詳しく知る必要は無かった。
 二つだけわかっていればそれでいい。そしてそれはもう分かっている。
 ここはあまり気分のいい場所じゃないので、早々に退散する事にした。もしかしたら姿を見せないだけで誰かが監視しているとも限らないし。
 次の目的地は少しだけ離れた場所にある神社。月ノ瀬の家の近くだ。
 そこへ向かう前に一度、家に戻って地図を持った。今度は、道筋を地図片手にいちいち確認しながら向かった。
 やはりその周辺は警察も警戒しているのか、近づく程に警官を見かける回数が増えていった。すれ違うといちいち何かを確認してくるあたり、まだ犯人像を特定出来ていないのが分かる。途中、月ノ瀬に連絡して一緒に向かおうかとも考えたけど、まだ何も起こっていない場所じゃきっと彼女は興味を持たないだろうと思い直して、やめた。
 ようやく辿り着いた神社の前は予想通り、私服警官のような、と言っても本当に私服警官かはわからないけど、そのような男性がちらほらとうろついていた。
 この町じゃ、あまり見かけない光景なのできっとそうだろう。僕は参拝者の雰囲気を装いながら、それらを横目に石段を上がった。
 上がりきった先にもやはり、まばらに人が居た。僕が姿を現すと皆、一様に視線を向けて、直ぐにまた視線を戻した。
 何となく様子を伺いながら参道を真っ直ぐ進み、賽銭箱に五円玉を投げ入れる。これが正しい作法なのか、わからないけど、誰から教わったのか「ご縁があるように」五円玉を投げ入れるのがいつの間にか僕の中で当たり前になっていた。
 手を合わせて俯くが、何も願わずに顔を上げる。浅く息を吐いてゆっくりと振り返った。
 さっきの神社とあまり変わらないこの神社の風景。大した特徴も無く、興味が無ければ似たり寄ったりに見える「ここ」で次に殺されるのはきっと「月ノ瀬緑」だ。
 僕にはそれが分かっていた。
 目的も果たしたので、僕は何も気付いていない素振りで石段を下りていく。すると、下りきった所で偶然、雪乃と出くわした。
「あれ? お兄ちゃん何やってるの?」
「雪乃はもう帰り?」
 質問をはぐらかすように質問を返す。雪乃がその質問に「うん」と頷くと、僕は意識を逸らすように二、三言会話して雪乃と一緒に家へ帰る事にした。雪乃はもう僕が質問に答えていない事は疎か、質問した事すらも忘れていた。
 道中、何度も視線に気付く瞬間があった。僕にはそれが自分ではなく妹に向けられたものだと言う事は分かっていた。警官がうろついているエリアを出た後に、不意に振り向いてみると、少し離れた後ろを歩いている男が視線を外した。予想通り。
 僕はそれから振り向くのを止めて、気づいていない振りをして妹に話しかけた。
「楽しかった? バドミントン」
「うん。楽しかったよ」
 雪乃の話によれば、クラスのみんなもどうしていればいいのかわからず、変にみんなで固まって遊んでいるらしい。休日は勿論、ちょっとした休み時間でも、空気は明るいのか暗いのかわからないまま、とにかく話をしているのだとか。
 それは忘れようとしているのか、それとも忘れまいとしているのか。
「早く……終わらないかな」
 雪乃は僕に聞こえるように呟いた。
「きっとすぐ終わるよ。絶対にいつか終わるんだこういうのは」
「そうなんだ。お兄ちゃんが言うならきっとそうなんだろうね」
「そうだよ。僕が言うんだから間違いない」
 雪乃はフフッと笑って頷いた。こんな儚げに笑うような子じゃなかったのに。やっぱりダメージは想像以上に大きいみたいだ。
 きっともうあの頃の、牧原紫が殺される前の雪乃に戻る事は無いのだろう。
 大人になる事が、知らなくてもいい事を知る事ならば、雪乃は確実に一歩進んでしまった。近づいてしまった。
「紫さ。お兄ちゃんの事、本当に好きだったよ」
「そっか」
「うん。だからいっぱいお兄ちゃんの情報教えてあげた」
「そう」
「でも……私も何か張り合っちゃって、教えてない事も沢山あるんだ」
 僕は俯く雪乃の頭をそっと撫でた。
「お兄ちゃん……紫の事、忘れないでね」
「うん。忘れないよ」
 雪乃は小さく頷くと、それ以上何も言わなかった。きっと泣いていたんだと思う。

 放課後ミステリーツアーは二日目。三人目の被害者である赤川瑞穂(あかがわみずほ)の殺害現場で月ノ瀬は一日目よりも少しだけ興奮した表情を見せた。
「雰囲気いいねー! なんか森の中って感じで」
「実際、周りは森だからね」
 木々に囲まれた神社は夕闇に包まれ、方々から聞こえるカラスの鳴き声がとても似合っていた。
 赤暗くなっていく景色で、月ノ瀬は首が置かれた場所の印であろう、チョークの円を見つけて駆け寄った。
「ねぇ亜希君。ちょっとこの被害者の話をしてくれない?」
 目を閉じて少し顎を上げる月ノ瀬に、僕は辺りを伺いながら気付かれないように浅く溜息をついた。
「被害者の名前は赤川瑞穂。中学一年生。首が発見されたのは早朝、お参りに来た老人男性によって。場所は今、君が立っている場所だ。体は数十個に刻まれて彼女が通っている学校の校庭に撒かれていた。こんな所で良いかな?」
「……うん。ありがとう」
 月ノ瀬はそのまま動かず、僕らの周りは少しの間、静寂に包まれた。
「ふふっ! うんうん! 中々だねー」
 月ノ瀬は顔を下ろし、開いた目元を緩ませながら頷いた。視線は僕の方に向けられていたけど、きっと僕じゃなくて別の何かを見ていたように思う。
「亜希君。私だんだん分かってきたよ。この前言ってた事」
「そう。流石だね」
「なーんか。やっぱりまだ隠してる事あるね? もー。いつもなら教えてくれるのにぃ」
 僕は何も答えず視線を逸らした。今、目を合わすわけにはいかなかった。
「きっとさ。ここからだよね始まったのは」
 僕は何も言わない。
「多分、この三回目で変わってる。そして四回目で更に違う何かが目覚めてると思う。だって殺し方が明らかに違うもんね。なーんか分かってきたなぁ。明日はとうとう四人目か。牧原紫……亜希君、一緒に来てくれるよね?」
 僕は視線を外したまま頷いた。
「おっけー! じゃあ帰ろっか! うんうん! いい感じいい感じ!」
 跳ねるように階段を駆け下りていく月ノ瀬の後ろ姿を見て、僕は自分の計算を修正した。
 このままだと、五人目まで回れてしまうかも知れない。それに、この様子じゃ五人目まで回らずとも月ノ瀬は答えに気付いてしまいそうだ。
 僕は月ノ瀬を追いかけながら、もう一人の「緑」について考えていた。
 いや、考えておかなくてはならなかった。

 部屋の灯りは点けず、デスクライトの灯りだけ点けると、暗闇が中まで侵入してきて、机の上以外が夜に感じた。僕はその夜に姿を紛れさせながら、開いたノートにこれからの行動を書き直す。何度か書き直したそれを、また書き直しながら最善の策を練り直した。
 この町に「緑」がつくのはもう一人居る。町内名簿で確認して、それは分かっていた。
 ただ、その子と僕は全く面識もないし雪乃とも中学が違うので、接点を作れないまま、ただ、家の場所と学校の場所を確認しておいただけで止まっていた。
 もしかすると、もう少し手間がかかってしまうかもしれない。
 自分で撒いた種なのだから仕方がないけど。本当に月ノ瀬のあの目は何とかして欲しい。
 いや、何とかしなければいけないのは自分の方か。
 ノートを閉じ、デスクライトを消すと部屋に月明かりがやって来た。まんま夜になった部屋の中で僕は引き出しを開ける。
 月明かりに照らされながら視線を合わせたら、深い悲しみが覆い被さってきた。
 こんなはずじゃなかったのに。
 そっとしまって、倒れ込んだベッドで仰向けになると、真っ暗な天井が広がった。
 悲しいかな。今回の事件で僕も少しだけ「自分」を思い知っていた。

 いつもの昼休み。雪乃の中学のように被害者が出たわけではないこの高校には、今日も変わらぬ日常が訪れている。
 きっと名前に色が入っている者は別だろうが、少なくともこのクラスには僕と月ノ瀬以外に色は入っていないため、変わった空気は生まれない。
 僕は男子だし、月ノ瀬に至っては「まだ」逆に喜んでいるくらいだ。一応、クラスメイトから心配しているような言葉もかけられるが、それも結局は対岸でしかない。
 だから月ノ瀬はその全てを「うん」とか「平気」の一言で断ち切っていた。
 まぁ元々そんなに周りから話しかけられるようなタイプでもないので、クラスメイトもそれで良いのだろう。無視さえされなければそれで。
 だから今日もこのクラスは何も変わらない。何にもならない日常を貪っていた。
「亜希君。これ」
 人も席も乱雑に広がって、めいめいに弁当を広げている教室で月ノ瀬は僕の机に真っ白な封筒を置いた。
「何これ?」
「ん? ラブレター」
 封筒を手に取って眺める僕に月ノ瀬はつまらなそうに吐き捨てて、前の席に腰を下ろした。
「僕に?」
「私に。だよ」
 わかっていたけど、一応確認をとっておく。月ノ瀬は弁当箱を開けて卵焼きを箸で掴むと、こっちも見ずに「読んでみて」とそれを頬張った。
 月ノ瀬のこういった行動は未だに理解が出来ない。
 容姿が良いせいか、その奇抜な雰囲気もそこまでの防御壁にはならず、この月ノ瀬緑に恋心を寄せる者はそれなりに多かった。ただ月ノ瀬はそれを全く意に介さず、直接の告白はことごとく躱して、こうしてラブレターを送ろうものなら何故かいつも僕に中を読ませた。しかもその方法は多岐に渡る。場所を考えずこうして直接持ってくる時はまだ良い方だ。いつだったか、勝手に下駄箱に入れられていた時は危うく勘違いしかけた事もあった。
 僕は封筒の上に手を置いて月ノ瀬に囁いた。
「教室で読むのは悪いよ」
「大丈夫。他のクラスのだから」
 平然と言ってのける月ノ瀬は本当に趣味が悪い。僕が月ノ瀬に面と向かって逆らえない事を知っていてやっているのだから尚、悪かった。
 僕は食べてから読もうか少し迷ったけど、厄介事は先に片付けてしまおうと封を切る。
 中には便せんが二枚。それにびっしりと男子らしい字で月ノ瀬に対する思いがつらつらと綴られていた。これだから読むのが嫌なんだ。月ノ瀬好きは情熱的な奴が多い。
「全部読んだ?」
「……うん。読んだよ」
「よし。おっけー」
 月ノ瀬は一度も手紙に視線を向ける事無く、ラブレターの話を終えた。
 僕は手紙をまた封筒に戻して自分の鞄にしまう。おっけー、とは、捨てておいてという意味だ。誰かに読まれないまま捨てられるのは可哀相だが、自分は読みたくない。だから僕に読ませて後始末も任せる。「手紙」という物に対しての彼女なりの敬意なのだ。
 別に本人からそう言われた訳ではないのだけど、僕は勝手にそう思っている。
弁当を食べ終えると、月ノ瀬は手紙の事なんかすっかり忘れてしまった様子で、微笑みを浮かべながらカラーネーム事件について話し始めた。
「亜希君! 私は今、冴えてるよー? かなり良い線まで来たと言えるね」
「そう。良かったじゃないか」
「なーんか余裕だなー。やっぱりまだ何か隠してるんだ?」
 僕は空になった弁当箱に蓋をして鞄に戻す。ついでに中からさっきのラブレターを取り出して机に置いた。
「亜希君どうしたの?」
「返事。たまには書いたら?」
「返事はノーです」
 その返事が手紙に対してなのか僕の言葉に対してなのかわからない言い方だったが、さっきの微笑みが嘘みたいに月ノ瀬から明るさが薄れた。少しばかり不機嫌になったようだ。
「月ノ瀬はさ。誰かと付き合ったりしないの?」
「何、急に。しない」
「勿体ない。折角モテるのに」
 月ノ瀬は溜息で返事をする。こういった話題を出すと、退屈を態度で表すのは月ノ瀬の分かりやすい癖だ。
「月ノ瀬はどんな人なら付き合うのさ」
「知らなーい。死体だったら付き合っても良いよー」
「そう。難しい恋愛をお望みのようで」
 僕がイタズラっぽくそう言うと、月ノ瀬は弁当箱を持って立ち上がり自分の席に戻ってしまった。去り際に振り返って、べー、と舌を出す様は残念ながら子供っぽくて、まるで怒りを表しているようには見えなかった。が、一応は怒った時にとる行動の一つだ。
 少しやりすぎかたかな、とも思ったけど、そんな心配もよそに放課後になると月ノ瀬の機嫌はすっかり元通りになっていた。この切り替えの早さも月ノ瀬らしいと言えばらしい。と言うより、それ以上にこの放課後ミステリーツアーが楽しみで仕方がないだけなんだろうけど。
「亜希君! 今日は亜希君の知り合いなんだからいっぱい話してね!」
 道すがら、月ノ瀬は何の遠慮も無く僕に言った。昼休みの事もあったので、僕は黙って頷いておいた。
 少し浮かれ気味に歩く月ノ瀬とは対照的に僕は少しだけ憂鬱になっていた。牧原紫が死んだ場所で月ノ瀬と一緒に居るのは何だか気が引けた。
 僕のそんな気持ちなんてどちらも知る由もないのだけど、僕はそんな独りよがりの葛藤に、いくばくか心が揺らいでいた。

「良い! 良いよ! 雰囲気良い!」
 とうとう着いてしまった神社で月ノ瀬はお決まりのごとく、首が置いてあった現場の上に立つと、歓喜の声を上げた。やはり感覚で分かっているらしい。そのまま辺りを見回して深呼吸した後、目を閉じ、また少し顎をあげた。
「亜希君。お願い」
 僕は戸惑う心をどうする事も出来ないまま、何とかバレないようにと、言葉を選びながら約束通りゆっくりと話し始めた。
「牧原紫。中学三年生。学年でも人気者の女子で男女分け隔てなく接する事が出来る社交家。は言い過ぎか。まぁ学校でも割と知られた存在だったよ。僕が居た頃からね。それから、殺されたのはこの場所だ。今、君が立っている場所に首が置かれて、それを中心に細かく刻まれた肉体の欠片で大きな五芒星が描いてあった。五つの頂点には大きなロウソクが立てられて、発見された明け方もしっかりと火が点いていたらしい……こんな所かな」
「確か……彼女からだよね。現場で殺害、解体されるようになったのって。あと、牧原紫にはもう一つ違う所があったよね?」
 月ノ瀬はゆっくりと顔を戻し、目を開く。僕と視線を交わらせると薄く笑った。
「両目ともくり抜かれていた。大事な所じゃん。見落とすなんて亜希君らしくない」
「そうだったね。そしてそれは今も見つかっていない。見つかっていないのは黄田茉莉菜の胴体と牧原紫の両目だけだ」
「その通り! やっぱりいいねーここ。凄く良い。こうでなきゃねー。ねぇ亜希君? 私、明日が楽しみになって来ちゃった!」
 月ノ瀬はそう言うと、また目を閉じてこの場所の空気に浸り始めた。やはり勘が働いているしい。ここに残っている「狂気」を余す事無く全て感じ取ろうとしているのだ。
 しばらく沈黙が流れる。風が吹いていない今日は木々のざわめきも聞こえて来ない。
「あれ?」
 いきなりパッと顔を戻したかと思うと、小首を傾げながら月ノ瀬は呟いた。
「なんか分かりそう……かも」
 月ノ瀬はそう言い残すと「ごめん! 先帰るね!」と突然走り出し、あっという間に居なくなってしまった。僕は返事もせずにただ、その場に立ち尽くしていた。
 何となくもうそろそろ限界な気がしていた。
 胸騒ぎがする中、ベッドで天井を眺めていると携帯が音を鳴らしながら光る。月ノ瀬からのメールだった。真っ暗な部屋で開いたメール画面に目を細める。ぼんやりと視界に入ってきた文面はとても簡潔なものだった。
【わかった。次、殺されるの私だ】
 こうして放課後ミステリーツアーは僕の予想とは違った形で、五人目に辿り着く事無く終わってしまった。
 翌日、学校に月ノ瀬緑の姿は無かった。

「こうなったか……」
 僕は仕方なく放課後まで過ごして、チャイムと同時に学校を飛び出した。巡回がまだ多いのでサボってしまうと見つかる可能性がある。そうやって足止めを食えばそれこそ失敗を招きかねないのでやむを得ない。だから僕は逸る気持ちを抑えて真っ当に学業をこなさなければならなかった。
 家に着いたら早々にノートと町内地図を取り出して、あらかじめいくつか用意した方法を再確認する。その中から選びつつも、この状況下でより確実な物にする為に少々の変更点を加える。
 窓の外に目を投げる。まだ陽は赤く染まっていない。もう少しだけ時間はあるはず。
 ただ、僕は揺らいでいた。まだ「どちらか」わからない。
 別に、もう一人の方は放っておけば色々と手間を取らないで済む。それで犠牲者が増えたとしても僕が耐えれば良いだけの話だ。だが、果たして僕に「これ以上」人を見殺しに出来るのかという疑問、というか、そんな自分を認めたくない気持ちがせめぎあっていた。
 今更こんな感情が湧いてくるなんてむしが良過ぎる事は分かっているが、しかし湧いてきた物はどうする事も出来ない。
 時刻は迫っていく。もしかしたら今日じゃないかも知れないし、今日かも知れない。
 決断しなければいけない。決断するんだ。
 そうだ。僕はあの日に決めたんだ。何が何でもやり通すと。誰を犠牲にしてでもやると。
「ただいまー」
 玄関から母親の帰ってくる声が届いた。僕は再び窓の外に視線を投げる。いつの間にかもう陽はほとんど沈みかかっていて、空は暮れていた。時計を確かめて確信し、僕は階段を駆け下りた。玄関先で母親の姿を確認する。何か聞かれた気がするけど僕は答えずに、脇をすり抜けてそのまま家を飛び出した。
 やはり、そうなるか。そうなるよな。
 もう後はやるしかない。

 日曜日に通ったルートを一目散に走り抜ける。僕は家から一番近い神社へと向かっていた。
 もうほとんど暮れてしまった空の下、僕は息を切らしながら最短時間で神社の石段前に辿り着く。やはり周辺に人気は無い。こんな隙間のような時間帯が果たして偶然の産物なのか、それとも人為的に作られたものなのか知った事ではないが、やはり僕の予想通りだった。深呼吸で息を整えて、長い石段を一気に駆け上がる。
 駆け上がった先の神社には僕が想像していた通りの光景が広がっていた————。

「————おや? 君は……?」
 参道の真ん中に立っていた僕は背中にかけられた声に振り返る。強めの風が吹いて木々がざわめく中、真正面、階段を上りきった鳥居の真下に警官が立っていた。
「初めまして。紫水亜希と言います」
 警官がビクッと肩を一瞬上げて、一歩こちらへ近寄る。
「初めまして。紫水亜希君。僕はえーっと……」
 微笑みを浮かべながらもう一歩、もう一歩とゆっくり近寄ってくる警官に僕は真っ直ぐ視線を向けたまま口を開いた。
「わかってますよ。カラーネーム事件の犯人さん」
 警官はピタリと足を止めた。それは絶妙な距離だった。近過ぎず遠過ぎず、小さな声でも届くけど、物理的には少し遠い距離。正に僕が望んだ距離だ。しかし、安心は出来ない。これ以上、踏み込まれたら警戒しなければならない物が二つになってしまう。僕は慎重に言葉を選んで発した。
「残念ですが、もうお終いです。見えないでしょうけど、ここは既に囲まれていますから」
 僕は警官の意識を言葉に向けさせるように、そしてもう逃げられないと錯覚させる為に嘘をついた。
 もちろん、此処に来るまでにそんな時間の余裕なんて無かった。脇目も振らず全速力で向かって来て、ここに立っているんだから。
「君は一体……何を言っているんだい?」
 警官は足を止めたまま、また微笑みを浮かべて、何も危害を加えるつもりは無いとでも言うように手の平をこちらに向けた。
 違う。これじゃ、ダメだ。目的は達成出来ない。
 僕は覚悟を決めて、目の前に立っている犯人の逃げ場を潰していく。
「思わぬ事態にビックリしているかと思いますが、これは全て僕の予想通りです。あなたは絶対にここに来ると思っていました。まぁ、あなたが。ではなく、警察関係者が。と言った方が正しいんですけどね」
 警官は僕をジッと見つめたまま動きを見せない。ただ、その目はまるで人間を見ている目ではなかった。
「ま、どちらにせよこうして対峙している時点であなたがこの後に掴まろうが逃げようがここで僕は殺されるんでしょうけどね。まぁ聞いて下さいよ。何故、僕がここに居るのかを」
 様子を伺いながら、慎重に話を進める。まだ、刺激してはいけない。でも、僕を殺すように意識させなければならない。
 警官は未だ動きを見せず、僕の言葉を待っているようだった。まだ少ししか時間は経っていないのに、辺りはもう真っ暗になっていた。日が落ちた途端に、ここの雰囲気は一変して重苦しく感じた。
「では、時系列順におかしな点を上げていきましょうか。まずは第一と第二の事件。そこからです。違和感は二つ。何故か見つからない第一の被害者、黄田茉莉菜の胴体。そして何故か直ぐに報道されなくなった黄田茉莉菜の援助交際についての話。です。マスコミからしたらこんな美味しいネタは無いし、二人の比較対象としてもかなり使えたはずなのに何故かマスコミはその後、援助交際を掘り起こす事無く詳細には触れないまま終えてしまった。これ、おかしいと思いません?」
 警官はようやく手を下ろした。僕は動きに注意しながら、尚も言葉を並べた。
「ここで何となく思った訳です。これは何かしらの力が働いているなと。報道出来ない理由があるとしたら圧力以外に考えられない。と僕は考えました。だとすると答えは簡単です。黄田茉莉菜の顧客の中に報道してはいけない役職の人がいたんでしょうね。ただ、僕はその時点ではまだそれが警官だとは気付いていませんでした。気付いたのは最近です。四、いや五人目の被害者が出た時です。この町に住んでいる人ならきっと誰しもが分かっていた事でしょう。この町の厳戒態勢に。だが、ここまで厳戒態勢が敷かれているのに何故か犯行が起きている。しかも警官まで殺されている始末。こんな芸当が出来るそういう役職の人なんて警察関係者くらいしか居ません。それならここら辺をうろついていても全くおかしくないし、圧力にも犯行が起きる事にも合点がいきます」
 そう。そして一緒に殺された警官は恐らく辻浦橙花をマークしていた警官だろう。この犯人は逆にそれを利用してその警官を使い、彼女を現場まで連れて来させ、そのまま警官もろとも殺害したのだ。
 ここ最近、月ノ瀬の周りや雪乃の周りにも後を追っているような影が見えたのはそのせいだ。二人とも警官にマークされていたのだ。保護の為なのだろうけど、少なからず囮でもあったのだろう。
「そうなると一つ目の違和感、見つからない胴体と、そして全く違うタイプの人間を襲った理由も説明がつきます。目的は一人だけだった。そう。一番目の被害者、胴体が見つからない黄田茉莉菜の殺害こそが本当の目的だった。恐らくあなたは援助交際の関係で何か問題が起きてしまい、彼女を殺害した。そしてそれを煙に撒く為だけに全く関係のない青井優子を殺害した。殺害したタイミングが違うのにほとんど同時に発見させたのはそのせいです。あなたは植え付けたかったんだ。援助交際のもつれではなく快楽殺人の一種だと。そして体を刻んで方々に捨てたのもどこかに黄田茉莉菜の胴体も捨てられていると錯覚させる為。でも、未だに見つかっていない。と言う事はまだ隠してるんですよね? きっと自宅あたりにでも。切り刻むのなんて今更どうって事ないでしょうから収納にも困らない筈です。理由は大方、その胴体に残ったあなたの体液かそこらでしょう。全く普通ですね。全然、興味を引きません」
「ふふふ……大した名探偵ぶりだねぇ。面白い。続きを聞かせてくれよ少年」
 警官の微笑みから悪意が顔を覗かせる。視線を僕に向けたまま、そっと腰についているホルダーに手をかけたのを僕は見逃さなかった。
 そうだ。それで良い。この場を切り抜けるにはそうするしかないと錯覚するんだ。
「続きは簡単です。あなたは三人目を殺して偶然だった規則性に気付いた。いや、ある規則性を持たせる為に三人目を殺したと言った方がいいかな。そこはそれほど重要じゃありません。ただ、ここであなたは少し趣向が変わります。明らかに殺害を楽しみ始めている。ここからですよね。目的の為の手段が手段の為の目的に変わったのは。あなたは殺しを続ける為に規則性を持たせた。そして自らそこに溺れ始める。それは四人目と五人目の殺し方を見れば嫌でも分かります。まるで芸術作品でも作っているかのような浅はかな狂気がそこにはありました。アーティストでも気取っていたんでしょうかね? 僕にはもう一人の自分に気付いて、まるでそれを崇拝しているかのような儀式めいた物に感じましたが。いずれにせよ、あなたには作品に対するこだわりが生まれてしまった」
 僕は両手を力強く握りしめて、ゆっくりと息を吐き出す。
「だから、失敗は許さないと思ったんです。あそこまで形式張ってわざわざ現場で作業をするようになったあなたの作品が汚されれば、絶対にそれを許さない。許す訳が無い。だから必ずやり直す筈だと僕にはわかっていました。だからここに居るんです」
 警官の手がゆっくりと動く。ホルダーから何かを引き出した。
 あと一息。
 これを言えば終わる。
 全く、本当にわかりやすい浅はかな狂気だ。
「この事件の規則性はビリヤード。偶然にもビリヤード台のように神社が配置されているこの町で偶然一人目と二人目の名前に色が入っていて、それが上手い事ビリヤード球の番号と色の関係と同じだった。だから神社を穴に見立てて被害者宅近くの神社へ球に見立てた生首を供えた。球を穴に落とすようにね。正にビリヤードだ。あなたはそんな下らない意味を持たせる為に人を殺し続けた。いや、殺す為にその意味を守り続けたのか。どっちでもいいかそんな事。でも、ここまで話せばもうお気づきでしょう?」
 風が凪いで、静寂が落ちてくる。僕は微笑みながら、目の前に居る馬鹿な犯人にしか聞こえないくらいに声量を抑えて最後の言葉を放った。
「牧原紫の目を抉りとったのは僕だよ」

 ————銃声が響いた。

 途端に風が吹きだす。木々のざわめきが喧騒の如く辺りを包む中、僕はそこに立ち尽くしていた。
 そして、銃を僕に向けたまま目の前の警官は参道に力なく崩れた。流石プロ。ちゃんとやってくれて良かった。
 僕は倒れている警官に歩み寄り、呼吸と脈拍を確かめる。確かに絶命していた。当たりどころが良かったらどうしようかと思っていたけど、安心した。
 まぁ頭に命中しているんだから当たりどころも何もないんだろうけど。
 僕は真横の草むらに視線を移して、銃を構えたまま固まっている警官にとても残念そうな顔を見せて首を振った。最後の最後まで僕は嘘をついた。
「お兄ちゃん!」
 その隣から雪乃が飛び出して来て、立ち上がった僕に飛びついてくる。顔を埋めて力強く僕の腰に手を回しているけれど、体がビクビクと震えているのが伝わってきた。
 僕は雪乃の包むように抱きしめ、頭を優しく撫でながら心の内で謝った。
 (ごめんね。囮に使って。恐かったよね)
「……今、応援を呼びました。直ぐに駆けつけてきますのでしばらくそのままで……でも、まさか本当に岩渕が犯人だったなんて」
 僕は雪乃の頭を撫でながら足下に落ちている肉の塊に視線を落とした。
 僕が辿り着いた時、ここには雪乃とこの警官の二人しか居なかった。これは僕が間に合った事を意味する。
 そこで僕は自分が雪乃の兄であると説明した後に、事の顛末を簡潔に述べた。
 そしてその時に一つ、嘘をついた。
「きっと犯人は僕を口止めに殺すと思います。もし、僕を殺そうとしたらその時はよろしくお願いします。もし、殺そうとしなかったら恐らくその人は犯人じゃない。犯人じゃなければ警官が市民を殺そうとなんてしませんから」
 僕は雪乃をマークしていた警官に何度も同じ言葉を使って相手が僕を殺すと意識させた。そしてその時はあなたが引き金を引くんだと、それしか僕を守る術は無いと思い込ませた。
 非常時と言うのは思考を鈍らせやすいものだ。その間に応援を呼ぶ時間くらいはあったかも知れないが、僕は自分の目的の為、時間がほとんどない雰囲気を出して急かすように説明し、二人を草むらに隠れさせた。そこから十分に距離を取った状態で僕はこの二人に聞こえないくらいの音量で犯人と喋り続けた。
 刺激しないように刺激しながら僕はその時を待った。
 そしてそれは見事に成功した。
 死刑なんて待っていられないし、この目で死ぬ様を見せてもらわなければ、この気持ちはどうにも収まらない。
 牧原紫を殺した犯人は色んな事を犠牲にしてでも殺さなくてはならない。
 僕にとってはそれほどの事だったんだ。
「お兄ちゃん……ありがとう。助けてくれて」
 何も知らずに、ただ警官に連れて来られた雪乃は、何故、僕がここへ来る事が出来たのか考える余裕も無いようだ。ただ、落ち着いたら疑問に思う可能性もあるのでそれなりのごまかしは用意しておこうと思った。
 「紫」をやり直すなら、自宅から近いここしかないと知っていた。何て言える筈も無い。
 心苦しいけど、また牧原紫を使って言い訳する事にしよう。
 学校が終わったら急いで帰って来るように言いつけたのも、ターゲットが雪乃になった場合、真っ先に気付けるようにする為だったなんて事も一生言えやしない。
 確率としては高かったが、それでも先に「緑」をやる可能性もあった。だから月ノ瀬も泳がせながら有事の際には直ぐに駆けつけられるように近くの神社までのルートを確認しておいたのだけど、まさか家に閉じこもるのがこんなに早いだなんて思いもしなかった。
 自分に危害が及ぶと気付いたら直ぐにこれだ。自宅が安全圏だと信じすぎるのも良くないが、まぁ今回は確かに安全だった事だし、これで良かったとしておこう。
 ちなみにもう一人の「緑」がターゲットになった場合、僕は当初、見殺しにする気で居た。五人目の被害者、辻浦橙花のように。
 既にビリヤードの規則性には気付いていたが、残念ながら「橙」は珍しく三人居たため、放っておいた。ターゲットを広げてしまっては守りたい物が確実に守れなくなる。
 散々、揺れたけど僕には雪乃と月ノ瀬を必ず守らなくてはならなかった。ただ、実際に見殺しにしたら思った以上にダメージが大きかったのは、完全に誤算だった。
 だからまぁ、今日、雪乃をターゲットにしてくれて僕としては大いに助かった。
 兄としては最低だけど、おかげで目的もしっかり遂行出来た。

 程なくして、警官の言う通り応援が駆けつけて来て、僕は共に事件の全容を話した。現場に居た警官の証言があるので全く疑われる事はなかったが、僕が導きだした事件の概要をもう一度詳しく説明する為に後日、署に行く事を約束させられた。もちろん協力は惜しまないけど、お願いだから自分達兄弟の名前は出さないでくれと頼むとあっさり了承してくれて、僕と雪乃はようやく解放された。もう犯人は死んだと言うのにパトカーで自宅まで送ってくれたのは警察からの感謝の印だったかどうかはわからない。

 夜が入り込んでいる真っ暗な部屋で電話をかける。
「……もしもし?」
「あ、月ノ瀬? もう犯人死んだから明日から学校おいでよ」
「うそ! なんで? ……まさか。やっぱり亜希君何か企んでたんでしょ?」
「違うよ。たまたまだ。まぁ明日話すからさ。放課後にでも」
「え? 本当? やった! じゃー明日ねー!」
 声が明るくなった途端に電話は一方的に切られてしまった。まぁ月ノ瀬らしいけど。
 僕は携帯を机に置いて引き出しを開ける。
 月明かりに「それ」を照らすと僕と視線が交わった。
 抉りとった牧原紫の「眼球」少し傷がついてしまったけど、化学準備室から失敬したホルマリンのおかげで何とかこうして保存する事ができた。
 僕はその眼球が視線を外す度に、何度も揺らして僕の方へ向けさせる。
 もう、牧原紫は居ない。
 だけど、あの日、初めて見た時から僕の心を掴んで離さなかったこの牧原紫の瞳だけは何とか手中に収められた。
 いつかは僕の物にしようと思っていただけに今回は途方も無いくらい落ち込んだ。
 先を越されたせいで大切な「宝石」に傷をつけられてしまった。
 次は絶対にこんなミスはしない。あの目は僕の物だ。

 初めて声を掛けられて振り向いたその瞬間から、僕は一時も忘れた事が無い。
 いつだって、どこにいたってあの目が僕の頭の中を支配している。
 僕の目を真っ直ぐ射抜いた月ノ瀬緑のあの瞳に、息を呑んだ。
 きっとこの先、二度とこんな「宝石」には出会えないだろうと思った。
 彼女は僕を見てくれている。だから僕は全力で彼女を守る。彼女の瞳を守る。
 でも、もしその瞳が他の誰かを映してしまうのなら……
 考えただけで気が狂いそうになる。
 いや、きっともう狂ってしまっている。彼女と出会ってしまったあの日から僕はもう。

 本当にこの町はどこかおかしい。この町に居る僕が言えた事じゃないけれど。
「……ごめんね」
 牧原紫の眼球を引き出しにしまった。謝罪と別れの意を込めた一言を添えて。
 満月は片目で僕を見つめていた。
 僕は深い溜め息をついて、制服のポケットに入れっぱなしにしていた白い封筒をクシャクシャに丸めてゴミ箱へ放った。