五章
朝、ミトは波琉から突然に、久遠が天界に帰ったことを教えられる。
「えっ、久遠さん帰っちゃったの?」
「うん、そうだよ」
「でも、皐月さんは?」
彼女は相変わらず絡んでくるが、昨日も変わった様子はなかった。
「久遠ひとりで帰ったよ。伴侶の子とは関係を解消することにしたようだ。あの子の我儘に耐えられなくなったみたい」
「えー」
ミトはひどく驚いた。
「いや、まあ、確かに我儘がすぎるだろうかど……」
なにかというと久遠の名前を出して他者を脅すのだから、我儘で片づけられなくなったのだろうか。
「久遠にも傲慢さが目立つようになったらしいからね。自業自得ってことだよ」
「久遠さんから愛想を尽かされちゃったの?」
「まあ、そういうことだね。久遠のように心の広い龍神でも、ぞんざいに扱われたら愛情も消え失せていくってことだよ。久遠だからここまで我慢できたんだろうね」
「そっか……」
ミトはなんだか複雑な気分だった。
その一方で、話を聞いていたクロとチコはご機嫌だ。
『龍神の後見がなくなってどうするのかしらねぇ』
『何度チコの話を聞いて引っかいてやろうと思ったか。これで大人しくなるんじゃない?』
お互いにチュンチュン、ニャンニャンと笑うように鳴いている。
『チコ、その女がどんな顔してたか教えてよね』
『了~解。いっそクロも来たらいいのに』
『前に試したけど、用務員に見つかって外に放り出されたのよねぇ』
クロはいつの間に来ていたのか。用務員に見つかったと言っているが、なにもなくて幸いだった。
「じゃあ、私学校行ってくるから、クロはちゃんとお留守番ね」
『分かってるわよ。シロも目を離すとなにするか分からないからね』
先日も蝶々を追いかけたまま外に出てしまい、町の中で迷子になって泣いていたのを、チコが見つけクロが連れ戻したという事件があった。
あれからシロにはGPSつきの首輪をするようになったのだ。
アホかわいいとはまさにシロのためにあるような言葉である。
車に乗って学校へ行くと、千歳がすでに待ちかまえていた。
「おはよう、千歳君」
「おはよう。今日は朝から大騒ぎになってる」
「なんで?」
「我儘女その一の話」
それで伝わってしまうのが切ないが、皐月のことだ。どうあっても名前を言いたくないらしい。
「それって、久遠さんの?」
「そっ。我儘女その一を捨てて天界に帰ったって皆言ってるよ」
「もう話が伝わってるの?」
ミトでも今朝波琉から教えられたところだというのに。
「おかげで我儘女その二の派閥の奴らがいきり立ってるよ」
これまで散々皐月に煮え湯を飲まされ続けてきたありすとありすの派閥の生徒。
これまでは久遠という盾が皐月を守っていたが、久遠はもういない。
ありすの派閥が調子づくのも仕方がないのかもしれない。
一時はミトを派閥のトップにして皐月に対抗しようとしたほどだ。
けれどミトはきっぱりと断り、その後すぐにはあきらめないだろうと思っていたが、接触してくることはなかった。
千歳いわく、しつこくして波琉が出てくるのを警戒したんだろうという。
あっさり引き下がるとは思わなかったので、少々消化不良気味だ。
まあ、しつこくつきまとわれないで、よかったのはよかったのだが。
「じゃあ、昼に」
「ありがとう」
ミトを特別科の教室まで送り届けて、千歳は自分の教室に向かった。
中に入ると、予想外にも皐月が来ていたのである。
プライドの高い皐月なので、きっと周りから揶揄される事態を恐れて、学校には来ないだろうと思っていたのだ。
しかし、変わらぬ様子で自分の席に座っている。
すると、ありすの派閥の生徒が数名近寄っていった。
「皐月さーん。よくのこのこ学校に来られたよね? 私だったらショックで寝込んじゃうのに、さすが面の皮が厚い皐月さんね」
皐月は反論はしなかったが、ギッと相手をにらみつけた。
けれど、久遠がいない今、恐れる者はほとんどいないだろう。
「にらんだって怖くないわよ。無様よねぇ。散々偉そうにしていて、最後は捨てられちゃうなんて」
「でも、久遠様だってあなたみたいな人、嫌に決まってるもの。いろんな人から嫌われてるんだもの。ざまあみろだわ」
ミトは皐月を責めるひとたちにも不快感を覚えたが、これまで皐月の取り巻きをしていた生徒の誰もが助けに入らない姿が余計に不快だった。
金魚のフンのごとく皐月の後ろをついて回っていたのに、結局は皐月といることで得られる甘い蜜を吸っていただけ。
得られないと分かれば、蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまうのだ。
それは皐月に人望がないからで、日頃の行い故の自業自得かもしれないが、そんなに手のひらを返してしまうなんてひどいとも思う。
派閥の子たちも、誰も助けに入らないのを見てニヤリと笑う。
「もうあなたは終わりよ。龍神に捨てられた花印なんて憐れなものよね。私たちにはまだ龍神様が迎えに来てくれる可能性があるけど、あなたには絶対にあり得なくなってしまった。格で言えば私たちよりずっと劣ったことになるの。ちゃんと理解してる?」
ひとりが皐月の机をガッと蹴りつける。
「これからはありすさんに逆らわないことね。あなたとじゃ立場が違ってしまったんだから」
皐月は必死で耐えるようにしている。
そして、最後まで口を開くこともなかった。
いつの間にか教室に入ってきていたありすも、派閥の子を止めるでもなく、それまで皐月の派閥にいた子たちが皐月を見捨ててご機嫌うかがいをしてくるのを、微笑んで見ているだけだった。
ありすありすと、派閥の人たちは崇めるようにありすを立てるが、皐月と一体なにが違うのだろうか。
久遠がいるかいないかだけでこんなにも違ってくる状況にも我慢がならない。
人間の愚かさと醜さを見てしまったようで気分が悪くなった。
そんなホームルーム前の出来事を、校長室で校長に愚痴っていると、校長も頭を悩ませているようだった。
「本当に悩ましい状況だ」
「なんとかならないんですか? 教室の空気が悪くてかないません」
「それができたら私の頭は最もふさふさだ。まあ、星奈さんのおかげで毛に元気が戻ったようでな。肌の調子もバッチリだ。やはり紫紺様の神力とハリセンは最強の組み合わせらしい」
上機嫌でハリセンをペシペシと手に叩きつけている校長は、以前よりも肌のつやがよくなっている気がする。
自分にそんな力があるとは思っていないが、校長は信じているようだ。
まあ、本人が納得していてるなら別にいいのだが、校長が言いふらしているらしく、ハリセンで叩いてくれとマイハリセンを持ってミトに頼みに来る先生ご増えたのが問題だ。
それまで紫紺の王の伴侶ということで恐怖と怯えの眼差しで見られていたが、今では尊敬が含まれるようになったのは気のせいではない。
主に、頭にコンプレックスを持っている中年男性と、美意識の高い女性からの支持率があがっている。
怖がられるよりマシだが、これでいいのかと判断に困る。
校長は一旦ハリセンを置いて真剣な表情で話し始める。
「皐月さんもなぁ。これまでの行いがあまりに悪すぎた。そうでなかったらここまで非難されることもなかっただろうに……」
それはミトも深く同意する。
久遠に選ばれた特別な人間だと我儘がすぎた。
「花印を持った子たちはよくも悪くも上下関係に敏感だ。龍神に選ばれた子を頂点とし、龍神に捨てられた子は、龍神を待つ子たちより立場が一番下に転がり落ちてしまったと言っていい。皐月さんはこれまで好きかってしていた分、ひどいことにならないか心配だ。星奈さん。少し気をつけて見てやってはくれまいか? 少し助け船を出すだけでいいんだが……」
ミトの顔色をうかがうように校長は懇願する。
頼まれてもミトは皐月にもありすにもできるだけ関わり合いになりたくないというのが正直なところだ。しかし……。
「進んで関わったりはしないですけど、あまりにもひどくて目についた時には」
明言しなかったが、校長は「それでかまわない」と、ミトに感謝の言葉を口にした。
「では、これで失礼します」
用も終わったのでさっさと出ていこうとしたが、ミトをの手を校長が掴む。
「待ちなさい」
「なんですか?」
「今日の日課がまだではないか!」
そう言ってハリセンを差し出すので、ミトはいつもより力を込めてぶっ叩いた。
朝、ミトは波琉から突然に、久遠が天界に帰ったことを教えられる。
「えっ、久遠さん帰っちゃったの?」
「うん、そうだよ」
「でも、皐月さんは?」
彼女は相変わらず絡んでくるが、昨日も変わった様子はなかった。
「久遠ひとりで帰ったよ。伴侶の子とは関係を解消することにしたようだ。あの子の我儘に耐えられなくなったみたい」
「えー」
ミトはひどく驚いた。
「いや、まあ、確かに我儘がすぎるだろうかど……」
なにかというと久遠の名前を出して他者を脅すのだから、我儘で片づけられなくなったのだろうか。
「久遠にも傲慢さが目立つようになったらしいからね。自業自得ってことだよ」
「久遠さんから愛想を尽かされちゃったの?」
「まあ、そういうことだね。久遠のように心の広い龍神でも、ぞんざいに扱われたら愛情も消え失せていくってことだよ。久遠だからここまで我慢できたんだろうね」
「そっか……」
ミトはなんだか複雑な気分だった。
その一方で、話を聞いていたクロとチコはご機嫌だ。
『龍神の後見がなくなってどうするのかしらねぇ』
『何度チコの話を聞いて引っかいてやろうと思ったか。これで大人しくなるんじゃない?』
お互いにチュンチュン、ニャンニャンと笑うように鳴いている。
『チコ、その女がどんな顔してたか教えてよね』
『了~解。いっそクロも来たらいいのに』
『前に試したけど、用務員に見つかって外に放り出されたのよねぇ』
クロはいつの間に来ていたのか。用務員に見つかったと言っているが、なにもなくて幸いだった。
「じゃあ、私学校行ってくるから、クロはちゃんとお留守番ね」
『分かってるわよ。シロも目を離すとなにするか分からないからね』
先日も蝶々を追いかけたまま外に出てしまい、町の中で迷子になって泣いていたのを、チコが見つけクロが連れ戻したという事件があった。
あれからシロにはGPSつきの首輪をするようになったのだ。
アホかわいいとはまさにシロのためにあるような言葉である。
車に乗って学校へ行くと、千歳がすでに待ちかまえていた。
「おはよう、千歳君」
「おはよう。今日は朝から大騒ぎになってる」
「なんで?」
「我儘女その一の話」
それで伝わってしまうのが切ないが、皐月のことだ。どうあっても名前を言いたくないらしい。
「それって、久遠さんの?」
「そっ。我儘女その一を捨てて天界に帰ったって皆言ってるよ」
「もう話が伝わってるの?」
ミトでも今朝波琉から教えられたところだというのに。
「おかげで我儘女その二の派閥の奴らがいきり立ってるよ」
これまで散々皐月に煮え湯を飲まされ続けてきたありすとありすの派閥の生徒。
これまでは久遠という盾が皐月を守っていたが、久遠はもういない。
ありすの派閥が調子づくのも仕方がないのかもしれない。
一時はミトを派閥のトップにして皐月に対抗しようとしたほどだ。
けれどミトはきっぱりと断り、その後すぐにはあきらめないだろうと思っていたが、接触してくることはなかった。
千歳いわく、しつこくして波琉が出てくるのを警戒したんだろうという。
あっさり引き下がるとは思わなかったので、少々消化不良気味だ。
まあ、しつこくつきまとわれないで、よかったのはよかったのだが。
「じゃあ、昼に」
「ありがとう」
ミトを特別科の教室まで送り届けて、千歳は自分の教室に向かった。
中に入ると、予想外にも皐月が来ていたのである。
プライドの高い皐月なので、きっと周りから揶揄される事態を恐れて、学校には来ないだろうと思っていたのだ。
しかし、変わらぬ様子で自分の席に座っている。
すると、ありすの派閥の生徒が数名近寄っていった。
「皐月さーん。よくのこのこ学校に来られたよね? 私だったらショックで寝込んじゃうのに、さすが面の皮が厚い皐月さんね」
皐月は反論はしなかったが、ギッと相手をにらみつけた。
けれど、久遠がいない今、恐れる者はほとんどいないだろう。
「にらんだって怖くないわよ。無様よねぇ。散々偉そうにしていて、最後は捨てられちゃうなんて」
「でも、久遠様だってあなたみたいな人、嫌に決まってるもの。いろんな人から嫌われてるんだもの。ざまあみろだわ」
ミトは皐月を責めるひとたちにも不快感を覚えたが、これまで皐月の取り巻きをしていた生徒の誰もが助けに入らない姿が余計に不快だった。
金魚のフンのごとく皐月の後ろをついて回っていたのに、結局は皐月といることで得られる甘い蜜を吸っていただけ。
得られないと分かれば、蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまうのだ。
それは皐月に人望がないからで、日頃の行い故の自業自得かもしれないが、そんなに手のひらを返してしまうなんてひどいとも思う。
派閥の子たちも、誰も助けに入らないのを見てニヤリと笑う。
「もうあなたは終わりよ。龍神に捨てられた花印なんて憐れなものよね。私たちにはまだ龍神様が迎えに来てくれる可能性があるけど、あなたには絶対にあり得なくなってしまった。格で言えば私たちよりずっと劣ったことになるの。ちゃんと理解してる?」
ひとりが皐月の机をガッと蹴りつける。
「これからはありすさんに逆らわないことね。あなたとじゃ立場が違ってしまったんだから」
皐月は必死で耐えるようにしている。
そして、最後まで口を開くこともなかった。
いつの間にか教室に入ってきていたありすも、派閥の子を止めるでもなく、それまで皐月の派閥にいた子たちが皐月を見捨ててご機嫌うかがいをしてくるのを、微笑んで見ているだけだった。
ありすありすと、派閥の人たちは崇めるようにありすを立てるが、皐月と一体なにが違うのだろうか。
久遠がいるかいないかだけでこんなにも違ってくる状況にも我慢がならない。
人間の愚かさと醜さを見てしまったようで気分が悪くなった。
そんなホームルーム前の出来事を、校長室で校長に愚痴っていると、校長も頭を悩ませているようだった。
「本当に悩ましい状況だ」
「なんとかならないんですか? 教室の空気が悪くてかないません」
「それができたら私の頭は最もふさふさだ。まあ、星奈さんのおかげで毛に元気が戻ったようでな。肌の調子もバッチリだ。やはり紫紺様の神力とハリセンは最強の組み合わせらしい」
上機嫌でハリセンをペシペシと手に叩きつけている校長は、以前よりも肌のつやがよくなっている気がする。
自分にそんな力があるとは思っていないが、校長は信じているようだ。
まあ、本人が納得していてるなら別にいいのだが、校長が言いふらしているらしく、ハリセンで叩いてくれとマイハリセンを持ってミトに頼みに来る先生ご増えたのが問題だ。
それまで紫紺の王の伴侶ということで恐怖と怯えの眼差しで見られていたが、今では尊敬が含まれるようになったのは気のせいではない。
主に、頭にコンプレックスを持っている中年男性と、美意識の高い女性からの支持率があがっている。
怖がられるよりマシだが、これでいいのかと判断に困る。
校長は一旦ハリセンを置いて真剣な表情で話し始める。
「皐月さんもなぁ。これまでの行いがあまりに悪すぎた。そうでなかったらここまで非難されることもなかっただろうに……」
それはミトも深く同意する。
久遠に選ばれた特別な人間だと我儘がすぎた。
「花印を持った子たちはよくも悪くも上下関係に敏感だ。龍神に選ばれた子を頂点とし、龍神に捨てられた子は、龍神を待つ子たちより立場が一番下に転がり落ちてしまったと言っていい。皐月さんはこれまで好きかってしていた分、ひどいことにならないか心配だ。星奈さん。少し気をつけて見てやってはくれまいか? 少し助け船を出すだけでいいんだが……」
ミトの顔色をうかがうように校長は懇願する。
頼まれてもミトは皐月にもありすにもできるだけ関わり合いになりたくないというのが正直なところだ。しかし……。
「進んで関わったりはしないですけど、あまりにもひどくて目についた時には」
明言しなかったが、校長は「それでかまわない」と、ミトに感謝の言葉を口にした。
「では、これで失礼します」
用も終わったのでさっさと出ていこうとしたが、ミトをの手を校長が掴む。
「待ちなさい」
「なんですか?」
「今日の日課がまだではないか!」
そう言ってハリセンを差し出すので、ミトはいつもより力を込めてぶっ叩いた。