「ビビ。お前が連れてきたというのは、その少年か」
「お父さま。どうされたのですか?」
ビビとは似ても似つかない、巨体に筋肉質な男だ。
彫りの深い目で、俺をにらみつける。
「名は何という。ナバロだったか? いや、そんなことはどうでもいい。今すぐ聖騎士団の本部へ行ってもらおう。連行しろ」
魔道士二人が呪文を唱える。
拘束呪文だ。
俺はその術先をビビにすり替える。
「きゃあ!」
彼女の体が、テーブルに座ったままの状態で固定された。
「か、体が動かなくなりましたわ!」
「ナバロ以外の者は、外に出ていろ!」
俺はテーブルに飾られた、魔法石の結晶を手に取った。
それを懐に入れると、ぴょんと飛び上がる。
「待て!」
簡単な魔法だ。
領主率いる聖騎士団の前に、軽めの静電気を流す。
「うわぁ! イバン、ビビを連れて避難を!」
父親である領主が叫んだ。
魔道士からの攻撃魔法が飛んでくる。
どうやら標的は俺らしいが、なんだコレ?
空気玉か何かか?
威力も弱ければ、意志のはっきりしないヘタな魔法だ。
これで聖騎士団の魔道士とは、情けない。
ビビの盾になるよう回りつつ、それを跳ね返す。
イバンは、魔法で固まったままの彼女を抱き上げた。
「私はここに残ります!」
「お父さまの命令です。一旦避難します」
「嫌です!」
次は何の呪文のつもりだ?
いつまでたっても、もごもごと考えている魔道士の口を封じる。
「やはりお前は、ただの魔法使いではないな」
領主は剣を抜いた。
その刃先が空を切る。
だけどまぁ、十分届かない位置にいるから、全然怖くはないよね。
ビビを抱き上げたイバンが、走りだした。
食堂を抜け、廊下へ出る。
俺はその後ろに続いた。
「待て!」
領主と聖剣士たちが、追いかけてくる。
呪文を唱えた。
彼らの足元を固める呪文だ。
勢いよく床に転がる。
「クソ! 早く魔法を解け!」
ダメだ。 楽勝すぎる。
俺たちは廊下を駆け抜ける。
「おい、ナバロ。お前がついて来んなよ」
「ビビの周辺以上に、ここで安全なところがあるか?」
「まぁ素敵! いいわよ、ナバロ。ずっと私の側にいて!」
「なにを言ってるんですか、お嬢さん。冗談じゃないですよ」
「ならば、拘束魔法を解いてやろう」
「いや、逆に面倒だから解くな」
蝋人形のように固まっていたビビの腕が、ふっと動いた。
「もう解いた」
「すぐにかけ直せ」
「イバン、下ろして!」
暴れ出したビビを抱いたまま、イバンは玄関ホールへ出る。
背後から矢が放たれた。
振り返った瞬間、それは空中でピタリと止まる。
フィノーラだ。
「ひどいじゃない。私を置いて行かないでよ」
「お前までついて来たら、意味がないじゃないか」
「いちおう? ビビさまの護衛だし?」
イバンは愚痴をこぼしながらも、そのまま走り抜け玄関ホールへ出た。
騒ぎを聞きつけた聖剣士たちが、外からも駆けつけ始めている。
「イバン、何事だ!」
「……。あぁ、ビビさまを連れて、避難中だ」
「そ、そうなのか?」
「見て分からないか」
イバンは、抱きかかえているビビを見せる。
その後ろには、フィノーラと俺がいた。
「そ、そうか。ならば、こちらへ……」
居並ぶ聖剣士たちの前を、素通りする。
俺たちはそのまま、中央ホールの階段を駆け上がった。
「待って。そうだわ、イバン。こっちではなくて、地下牢へ逃げましょう。もう随分使われていないし、そこなら私たち四人で隠れていても。十分籠城出来るわ」
「なるほど名案です。では、ここからぐるっと回って、三階のビビさまのお部屋へ」
「どうしてよ!」
ホールには続々と、聖騎士団の連中が集まってきていた。
イバンはビビを抱えたまま、階段を駆け上がる。
「だからナバロ、お前がついて来んなって」
「館の外へ出たい。案内してくれ」
「それは無理だ。私はビビさまの部屋へ向かう」
術の解けた領主がホールへ駆けつけ、俺たちを見上げた。
「あの少年だ! ヤツを追え!」
衝撃魔法が飛んでくる。
風を小さく丸めたものだ。
だが狙いが悪い。
標的の設定の仕方がヘタなのだ。
これでは俺だけでなく、ビビやイバンにも当たってしまう。
その空気弾を消滅させようと、俺が呪文を唱えるよりも早く、フィノーラが呪文を唱えた。
弾き返された弾は、ホールの壁に弾け飛び、立派な装飾を傷つける。
「えぇ? お前の魔法は、雑過ぎるな」
「うるさいわね。このままじゃ、ビビにも当たるでしょ」
「私は先に行くぞ」
再び走り出したイバンの後ろに、俺とフィノーラはついて行く。
「だから、あんたが大人しく捕まりなって!」
「やだよ、面倒くさい」
「カズといい、今回といい、一体なにしたのよ」
「心当たりが、ありすぎて……」
イバンに抱えられたまま、ビビは後ろをのぞき込んだ。
「追いかけて来たわよ!」
魔道士は、炎の呪文を唱えている。
こんな狭い廊下で、正気か?
次の瞬間、敷き詰められた絨毯に、二本の火が走る。
黒くくすぶるその線に、フィノーラは何か唱えようとしている。
「待て。単純に返すな。廊下が燃える。気体を操れるのなら、空気の流れを止めればいい。そうすれば火は消える」
フィノーラの呪文。
炎は増幅され、後方に向かって火を噴いた。
「なんでこっちがそんなことまで、気にかけなきゃなんないのよ」
「きゃー! カッコいい! 私もそれやりたい!」
「絨毯が燃えた!」
「あら、ナバロはそんなことを気にかけてくれるの?」
イバンに抱きかかえられたまま、ビビはにっこりと俺を見下ろした。
「そう。いい子なのね」
その仕草に、なぜかうつむいてしまう。
いや、違う。
そうじゃない。
俺だって、自分の城が荒らされるのは、嫌だったから……。
「止まれ!」
行く手を塞いだのは、ビビの父親だった。
「少年、大人しくこっちへ来るんだ」
「お父さま、おやめください。ナバロに、なんの罪があるというのですか!」
「お前は黙ってろ!」
「嫌です!」
「イバン、ビビはもういい。その少年を捕らえろ」
「……。ですがビビさまが……」
「ダメ!」
ビビは、イバンの首にしがみついた。
領主である父親の後ろには、聖剣士と魔道士がいる。
背後も塞がれた。
「イバン、何をしている。早くしろ!」
その声に、彼は抱き上げていたビビを、ゆっくりと下ろす。
「ビビ、こっちへ来なさい」
「嫌です!」
彼女は両手を広げ、父親たちの前に立ち塞がった。
「この子が、何をしたというのですか!」
「それをこれから審議するんだ」
前後に迫る聖剣士たちが、一斉に剣を抜いた。
魔道士たちも控えている。
イバンはささやく。
「ナバロ。ここは一旦、大人しく捕まらないか? 私たちが、悪いようにはさせない。必ず助け出す」
ビビも目を合わせた。
俺に向かって、小さくうなずく。
「悪いがそれを素直に信じられるほど、まっすぐに育ってないんでね」
「ならば、戦うしか道はない」
さて、どうしようか。
イバンが腰の剣を抜いた。
と、不意にビビの手が、俺の腕を掴む。
「ナバロ、こっちです!」
そのとたん、すぐ脇にあったドアが開かれ、そこに引きずり込まれた。
「ビビさま!」
部屋に入るなり、彼女は鍵をかける。
「ビビさま! 開けてください!」
「いやよ!」
「イバン、ちょっとどいて」
フィノーラだ。
ドアを塞ぐビビの体が、ガクガクと震えて始める。
呪文で扉を開放しようとしているんだ。
「ナ、ナバロ、何とか……、おねが……」
ビビの願いに、俺は呪文を唱える。
「コラー! ナバロ、魔法を解きなさーい!」
「これで、しばらくは大丈夫だ」
ほっとしたのか、ビビは俺に近寄ると、視線を合わせた。
「あなたは本当に、魔法使いなのね」
無邪気にキラキラと輝く目が、俺には妙にうっとうしく眩しく感じる。
「頼みがあります。私を一緒に、連れて行ってください。ここから出たいの」
「嫌だ。面倒くさいし、邪魔だし」
荷物にしかならないお供など、ゴメンだ。
この体をしっかり休ませ、ようやく取り戻した体力を、残しておきたかったが、こうなっては仕方ない。
「私は! いつもここでは、邪魔者扱いなのです。厄介な、困った置物なのです」
「だろうな」
だけど、その境遇は昔の俺と、正反対だ。
雑用品を並べた物置部屋には、タオルやシーツ、掃除道具や工具類が並べられている。
狭い裏路地に面した窓際には、長い梯子が立てかけられていた。
扉は激しく叩かれ続けている。
「私は……。だから、一人前になりたくて、誰の荷物にもなりたくなくて……。魔法石を取り寄せ、体に馴染ませようとしていたのです。だけど、元々の体が弱く、そのせいで取り込んだ魔力は、全て吸い取られてしまって……。おかげでこうして、元気に動けてはいるのですが、ただそれだけにしかならず、私は……」
強烈な眠気が襲ってくる。
やはり子供の体は不便だ。
体力がいくらも持たない。
俺は小さな窓から、外へ身を乗り出す。
乗り移れそうな屋根が目の前にある。
「……。一緒には、連れて行ってもらえないのね」
「断る」
「分かったわ。準備するから、ちょっと待ってて!」
「いや、だから断るって……」
「ナバロが置いて行っても、私は勝手に付いていくだけよ。だから何も気にしないで」
いや、待たんけど。
もう一度、窓から外をのぞき込む。
ビビは、タオルやらシーツやらの積まれた棚の奥から、ボロ布の鞄を取りだした。
それを肩にかける。
「コラー! あんた、本気でビビさまと閉じこもる気なの?」
「ナバロ、ここを開けろ! このままでは、お前が不利なだけだ」
ドアを蹴破ろうとしている。
魔道士たちも呪文を解こうと、躍起になっている。
まもなく扉は開かれるだろう。
「ビビ。これは、魔法石をいただいていく礼だ」
俺は食堂から持って来た魔法石を取り出すと、その一部をバキリと折ってかみ砕く。
彼女の胸に手を当て、呪文を唱えた。
「腕のいい魔道士に、治療をさせているな。それは確かだが、気の巡りが悪いから、それ以上よくならないんだ」
ビビは、かざした俺の手を握ると、苦しそうに表情を歪める。
あのヤブ医者は、もしかしたら俺の正体を見抜いたのかもしれない。
たいしたものだ。
「お前の病はお前のものだから、それ自体を治すことは出来ない。だがちょっと『仕掛け』を変えてやればいいんだ。これで、普通に動けるようにはなる。魔法石の摂取が条件なのは、変わらないが」
視界が歪む。
寝落ちしそうだ。
これ以上、意識を保つのは難しい。
扉の向こうから、フィノーラとイバンの声が聞こえる。
「ちょ、ナバロ! あんた、どんな魔法使ってんのよ!」
「魔法の使えない、私にも分かる。とんでもない気配だ!」
扉の呪文が破られそうだ。
これだから、子供の体は厄介なんだ。
もう体力が持たない。
フィノーラの魔法が、俺の術を解除しようとしている。
イバンはその巨体を、激しく扉にぶつけている。
「ビビさま!」
体がだるい。
急がないとマズい。
俺は梯子を窓から外に出すと、それを階下へ落下させた。
「ナバロ!」
「お別れだ。ビビ」
扉が破られる。
「待て!」
イバンの剣先が、空を切った。
俺は窓から外へ飛び出す。
ふわりと体を浮かせ、隣の屋根に飛び乗った。
窓枠に飛びついたイバンが、そこから身を乗り出す。
「ナバロ! そこから動くなよ。この私がちゃんと、お前を……」
「どいて!」
ビビはイバンを押しのけた。
「どうしても、連れて行ってはもらえないのね!」
「邪魔なだけの供はいらない」
「魔法が使えたら、私だってどこへでも行けた! 何にでもなれた! 私の自由を、あなたの自由をなくさないで! またいつか、ここへ戻ってきて。私にそれを見せて!」
フィノーラが呪文を唱える。
「ちょっとそこを、どいてもらえますかね、ビビお嬢さま!」
イバンはとっさに、ビビを奥へ引き込んだ。
そのとたん、窓側の壁が吹き飛ぶ。
「フィノーラ。お前の魔法は、がさつすぎ」
「待ちなさい!」
また衝撃魔法だ。
ありがたい。
それが打ち込まれる前に、シールドを貼る。
フィノーラの放った魔法の風を受け、夜空に舞い上がった。
「……。ナバロ、逃がさないわよ!」
後はそのまま、調整した風に乗って、飛ばされておけばいい。
ゆっくりと漂う夜空に、ルーベンの町が広がる。
「待て!」
フィノーラは、屋根へ跳び移った。
足で走って、追いつけるとでも思っているのかな。
と思っていたら、彼女は魔法で高く飛び上がる。
フィノーラが何度、シールドに衝撃魔法を打ち込んでも、それは俺が逃げるための、追い風にしかならないんだけどなぁ。
「あぁ、そうか。ついでに自分も、あの館を出るつもりだ……」
ルーベンの田舎町を、月明かりが照らしている。
俺はフィノーラの起こす風に乗って、ふわふわ空を飛んでいて、彼女はその後を、飛び跳ねながら追いかけて来る。
「……。あんた、本気でグレティウスに行くつもり?」
「そうだけど」
寝落ちしそうだ。
この体、もうちょっと使えるようにならないかな。
困ったもんだ。
だけど今は、そんなこともなんだっていいや。
もう町外れまできたし。
その辺の茂みにでも、身を隠して眠ろう。
いつものように魔法で目隠しすれば、獣やモンスターにも見つからない。
「お前は、あの館に戻らなくていいのか?」
「あんた、私と組まない?」
「それで俺に、どんな利点が?」
「子供一人で、何が出来るの。私といれば宿も取れるし、家出少年には、ならないわよ」
意識が薄れる。
もうダメだ。
フィノーラの腕が、ゆっくりと落ちてゆく俺の体を受け止めた。
そのまま屋根から地上へ下りる。
「あんたの体、もう動けないってバレバレよ。容積の小さい子供の体で、でかい魔法使いすぎ」
触れた肌から伝わる体温が、やけに生々しい。
完全に意識が落ちる。
次に俺が目を覚ました時には、温かいベッドの上だった。
「お父さま。どうされたのですか?」
ビビとは似ても似つかない、巨体に筋肉質な男だ。
彫りの深い目で、俺をにらみつける。
「名は何という。ナバロだったか? いや、そんなことはどうでもいい。今すぐ聖騎士団の本部へ行ってもらおう。連行しろ」
魔道士二人が呪文を唱える。
拘束呪文だ。
俺はその術先をビビにすり替える。
「きゃあ!」
彼女の体が、テーブルに座ったままの状態で固定された。
「か、体が動かなくなりましたわ!」
「ナバロ以外の者は、外に出ていろ!」
俺はテーブルに飾られた、魔法石の結晶を手に取った。
それを懐に入れると、ぴょんと飛び上がる。
「待て!」
簡単な魔法だ。
領主率いる聖騎士団の前に、軽めの静電気を流す。
「うわぁ! イバン、ビビを連れて避難を!」
父親である領主が叫んだ。
魔道士からの攻撃魔法が飛んでくる。
どうやら標的は俺らしいが、なんだコレ?
空気玉か何かか?
威力も弱ければ、意志のはっきりしないヘタな魔法だ。
これで聖騎士団の魔道士とは、情けない。
ビビの盾になるよう回りつつ、それを跳ね返す。
イバンは、魔法で固まったままの彼女を抱き上げた。
「私はここに残ります!」
「お父さまの命令です。一旦避難します」
「嫌です!」
次は何の呪文のつもりだ?
いつまでたっても、もごもごと考えている魔道士の口を封じる。
「やはりお前は、ただの魔法使いではないな」
領主は剣を抜いた。
その刃先が空を切る。
だけどまぁ、十分届かない位置にいるから、全然怖くはないよね。
ビビを抱き上げたイバンが、走りだした。
食堂を抜け、廊下へ出る。
俺はその後ろに続いた。
「待て!」
領主と聖剣士たちが、追いかけてくる。
呪文を唱えた。
彼らの足元を固める呪文だ。
勢いよく床に転がる。
「クソ! 早く魔法を解け!」
ダメだ。 楽勝すぎる。
俺たちは廊下を駆け抜ける。
「おい、ナバロ。お前がついて来んなよ」
「ビビの周辺以上に、ここで安全なところがあるか?」
「まぁ素敵! いいわよ、ナバロ。ずっと私の側にいて!」
「なにを言ってるんですか、お嬢さん。冗談じゃないですよ」
「ならば、拘束魔法を解いてやろう」
「いや、逆に面倒だから解くな」
蝋人形のように固まっていたビビの腕が、ふっと動いた。
「もう解いた」
「すぐにかけ直せ」
「イバン、下ろして!」
暴れ出したビビを抱いたまま、イバンは玄関ホールへ出る。
背後から矢が放たれた。
振り返った瞬間、それは空中でピタリと止まる。
フィノーラだ。
「ひどいじゃない。私を置いて行かないでよ」
「お前までついて来たら、意味がないじゃないか」
「いちおう? ビビさまの護衛だし?」
イバンは愚痴をこぼしながらも、そのまま走り抜け玄関ホールへ出た。
騒ぎを聞きつけた聖剣士たちが、外からも駆けつけ始めている。
「イバン、何事だ!」
「……。あぁ、ビビさまを連れて、避難中だ」
「そ、そうなのか?」
「見て分からないか」
イバンは、抱きかかえているビビを見せる。
その後ろには、フィノーラと俺がいた。
「そ、そうか。ならば、こちらへ……」
居並ぶ聖剣士たちの前を、素通りする。
俺たちはそのまま、中央ホールの階段を駆け上がった。
「待って。そうだわ、イバン。こっちではなくて、地下牢へ逃げましょう。もう随分使われていないし、そこなら私たち四人で隠れていても。十分籠城出来るわ」
「なるほど名案です。では、ここからぐるっと回って、三階のビビさまのお部屋へ」
「どうしてよ!」
ホールには続々と、聖騎士団の連中が集まってきていた。
イバンはビビを抱えたまま、階段を駆け上がる。
「だからナバロ、お前がついて来んなって」
「館の外へ出たい。案内してくれ」
「それは無理だ。私はビビさまの部屋へ向かう」
術の解けた領主がホールへ駆けつけ、俺たちを見上げた。
「あの少年だ! ヤツを追え!」
衝撃魔法が飛んでくる。
風を小さく丸めたものだ。
だが狙いが悪い。
標的の設定の仕方がヘタなのだ。
これでは俺だけでなく、ビビやイバンにも当たってしまう。
その空気弾を消滅させようと、俺が呪文を唱えるよりも早く、フィノーラが呪文を唱えた。
弾き返された弾は、ホールの壁に弾け飛び、立派な装飾を傷つける。
「えぇ? お前の魔法は、雑過ぎるな」
「うるさいわね。このままじゃ、ビビにも当たるでしょ」
「私は先に行くぞ」
再び走り出したイバンの後ろに、俺とフィノーラはついて行く。
「だから、あんたが大人しく捕まりなって!」
「やだよ、面倒くさい」
「カズといい、今回といい、一体なにしたのよ」
「心当たりが、ありすぎて……」
イバンに抱えられたまま、ビビは後ろをのぞき込んだ。
「追いかけて来たわよ!」
魔道士は、炎の呪文を唱えている。
こんな狭い廊下で、正気か?
次の瞬間、敷き詰められた絨毯に、二本の火が走る。
黒くくすぶるその線に、フィノーラは何か唱えようとしている。
「待て。単純に返すな。廊下が燃える。気体を操れるのなら、空気の流れを止めればいい。そうすれば火は消える」
フィノーラの呪文。
炎は増幅され、後方に向かって火を噴いた。
「なんでこっちがそんなことまで、気にかけなきゃなんないのよ」
「きゃー! カッコいい! 私もそれやりたい!」
「絨毯が燃えた!」
「あら、ナバロはそんなことを気にかけてくれるの?」
イバンに抱きかかえられたまま、ビビはにっこりと俺を見下ろした。
「そう。いい子なのね」
その仕草に、なぜかうつむいてしまう。
いや、違う。
そうじゃない。
俺だって、自分の城が荒らされるのは、嫌だったから……。
「止まれ!」
行く手を塞いだのは、ビビの父親だった。
「少年、大人しくこっちへ来るんだ」
「お父さま、おやめください。ナバロに、なんの罪があるというのですか!」
「お前は黙ってろ!」
「嫌です!」
「イバン、ビビはもういい。その少年を捕らえろ」
「……。ですがビビさまが……」
「ダメ!」
ビビは、イバンの首にしがみついた。
領主である父親の後ろには、聖剣士と魔道士がいる。
背後も塞がれた。
「イバン、何をしている。早くしろ!」
その声に、彼は抱き上げていたビビを、ゆっくりと下ろす。
「ビビ、こっちへ来なさい」
「嫌です!」
彼女は両手を広げ、父親たちの前に立ち塞がった。
「この子が、何をしたというのですか!」
「それをこれから審議するんだ」
前後に迫る聖剣士たちが、一斉に剣を抜いた。
魔道士たちも控えている。
イバンはささやく。
「ナバロ。ここは一旦、大人しく捕まらないか? 私たちが、悪いようにはさせない。必ず助け出す」
ビビも目を合わせた。
俺に向かって、小さくうなずく。
「悪いがそれを素直に信じられるほど、まっすぐに育ってないんでね」
「ならば、戦うしか道はない」
さて、どうしようか。
イバンが腰の剣を抜いた。
と、不意にビビの手が、俺の腕を掴む。
「ナバロ、こっちです!」
そのとたん、すぐ脇にあったドアが開かれ、そこに引きずり込まれた。
「ビビさま!」
部屋に入るなり、彼女は鍵をかける。
「ビビさま! 開けてください!」
「いやよ!」
「イバン、ちょっとどいて」
フィノーラだ。
ドアを塞ぐビビの体が、ガクガクと震えて始める。
呪文で扉を開放しようとしているんだ。
「ナ、ナバロ、何とか……、おねが……」
ビビの願いに、俺は呪文を唱える。
「コラー! ナバロ、魔法を解きなさーい!」
「これで、しばらくは大丈夫だ」
ほっとしたのか、ビビは俺に近寄ると、視線を合わせた。
「あなたは本当に、魔法使いなのね」
無邪気にキラキラと輝く目が、俺には妙にうっとうしく眩しく感じる。
「頼みがあります。私を一緒に、連れて行ってください。ここから出たいの」
「嫌だ。面倒くさいし、邪魔だし」
荷物にしかならないお供など、ゴメンだ。
この体をしっかり休ませ、ようやく取り戻した体力を、残しておきたかったが、こうなっては仕方ない。
「私は! いつもここでは、邪魔者扱いなのです。厄介な、困った置物なのです」
「だろうな」
だけど、その境遇は昔の俺と、正反対だ。
雑用品を並べた物置部屋には、タオルやシーツ、掃除道具や工具類が並べられている。
狭い裏路地に面した窓際には、長い梯子が立てかけられていた。
扉は激しく叩かれ続けている。
「私は……。だから、一人前になりたくて、誰の荷物にもなりたくなくて……。魔法石を取り寄せ、体に馴染ませようとしていたのです。だけど、元々の体が弱く、そのせいで取り込んだ魔力は、全て吸い取られてしまって……。おかげでこうして、元気に動けてはいるのですが、ただそれだけにしかならず、私は……」
強烈な眠気が襲ってくる。
やはり子供の体は不便だ。
体力がいくらも持たない。
俺は小さな窓から、外へ身を乗り出す。
乗り移れそうな屋根が目の前にある。
「……。一緒には、連れて行ってもらえないのね」
「断る」
「分かったわ。準備するから、ちょっと待ってて!」
「いや、だから断るって……」
「ナバロが置いて行っても、私は勝手に付いていくだけよ。だから何も気にしないで」
いや、待たんけど。
もう一度、窓から外をのぞき込む。
ビビは、タオルやらシーツやらの積まれた棚の奥から、ボロ布の鞄を取りだした。
それを肩にかける。
「コラー! あんた、本気でビビさまと閉じこもる気なの?」
「ナバロ、ここを開けろ! このままでは、お前が不利なだけだ」
ドアを蹴破ろうとしている。
魔道士たちも呪文を解こうと、躍起になっている。
まもなく扉は開かれるだろう。
「ビビ。これは、魔法石をいただいていく礼だ」
俺は食堂から持って来た魔法石を取り出すと、その一部をバキリと折ってかみ砕く。
彼女の胸に手を当て、呪文を唱えた。
「腕のいい魔道士に、治療をさせているな。それは確かだが、気の巡りが悪いから、それ以上よくならないんだ」
ビビは、かざした俺の手を握ると、苦しそうに表情を歪める。
あのヤブ医者は、もしかしたら俺の正体を見抜いたのかもしれない。
たいしたものだ。
「お前の病はお前のものだから、それ自体を治すことは出来ない。だがちょっと『仕掛け』を変えてやればいいんだ。これで、普通に動けるようにはなる。魔法石の摂取が条件なのは、変わらないが」
視界が歪む。
寝落ちしそうだ。
これ以上、意識を保つのは難しい。
扉の向こうから、フィノーラとイバンの声が聞こえる。
「ちょ、ナバロ! あんた、どんな魔法使ってんのよ!」
「魔法の使えない、私にも分かる。とんでもない気配だ!」
扉の呪文が破られそうだ。
これだから、子供の体は厄介なんだ。
もう体力が持たない。
フィノーラの魔法が、俺の術を解除しようとしている。
イバンはその巨体を、激しく扉にぶつけている。
「ビビさま!」
体がだるい。
急がないとマズい。
俺は梯子を窓から外に出すと、それを階下へ落下させた。
「ナバロ!」
「お別れだ。ビビ」
扉が破られる。
「待て!」
イバンの剣先が、空を切った。
俺は窓から外へ飛び出す。
ふわりと体を浮かせ、隣の屋根に飛び乗った。
窓枠に飛びついたイバンが、そこから身を乗り出す。
「ナバロ! そこから動くなよ。この私がちゃんと、お前を……」
「どいて!」
ビビはイバンを押しのけた。
「どうしても、連れて行ってはもらえないのね!」
「邪魔なだけの供はいらない」
「魔法が使えたら、私だってどこへでも行けた! 何にでもなれた! 私の自由を、あなたの自由をなくさないで! またいつか、ここへ戻ってきて。私にそれを見せて!」
フィノーラが呪文を唱える。
「ちょっとそこを、どいてもらえますかね、ビビお嬢さま!」
イバンはとっさに、ビビを奥へ引き込んだ。
そのとたん、窓側の壁が吹き飛ぶ。
「フィノーラ。お前の魔法は、がさつすぎ」
「待ちなさい!」
また衝撃魔法だ。
ありがたい。
それが打ち込まれる前に、シールドを貼る。
フィノーラの放った魔法の風を受け、夜空に舞い上がった。
「……。ナバロ、逃がさないわよ!」
後はそのまま、調整した風に乗って、飛ばされておけばいい。
ゆっくりと漂う夜空に、ルーベンの町が広がる。
「待て!」
フィノーラは、屋根へ跳び移った。
足で走って、追いつけるとでも思っているのかな。
と思っていたら、彼女は魔法で高く飛び上がる。
フィノーラが何度、シールドに衝撃魔法を打ち込んでも、それは俺が逃げるための、追い風にしかならないんだけどなぁ。
「あぁ、そうか。ついでに自分も、あの館を出るつもりだ……」
ルーベンの田舎町を、月明かりが照らしている。
俺はフィノーラの起こす風に乗って、ふわふわ空を飛んでいて、彼女はその後を、飛び跳ねながら追いかけて来る。
「……。あんた、本気でグレティウスに行くつもり?」
「そうだけど」
寝落ちしそうだ。
この体、もうちょっと使えるようにならないかな。
困ったもんだ。
だけど今は、そんなこともなんだっていいや。
もう町外れまできたし。
その辺の茂みにでも、身を隠して眠ろう。
いつものように魔法で目隠しすれば、獣やモンスターにも見つからない。
「お前は、あの館に戻らなくていいのか?」
「あんた、私と組まない?」
「それで俺に、どんな利点が?」
「子供一人で、何が出来るの。私といれば宿も取れるし、家出少年には、ならないわよ」
意識が薄れる。
もうダメだ。
フィノーラの腕が、ゆっくりと落ちてゆく俺の体を受け止めた。
そのまま屋根から地上へ下りる。
「あんたの体、もう動けないってバレバレよ。容積の小さい子供の体で、でかい魔法使いすぎ」
触れた肌から伝わる体温が、やけに生々しい。
完全に意識が落ちる。
次に俺が目を覚ました時には、温かいベッドの上だった。