「ビビ。お前が連れてきたというのは、その少年か」

「お父さま。どうされたのですか?」

 ビビとは似ても似つかない、巨体に筋肉質な男だ。

彫りの深い目で、俺をにらみつける。

「名は何という。ナバロだったか? いや、そんなことはどうでもいい。今すぐ聖騎士団の本部へ行ってもらおう。連行しろ」

 魔道士二人が呪文を唱える。

拘束呪文だ。

俺はその術先をビビにすり替える。

「きゃあ!」

 彼女の体が、テーブルに座ったままの状態で固定された。

「か、体が動かなくなりましたわ!」

「ナバロ以外の者は、外に出ていろ!」

 俺はテーブルに飾られた、魔法石の結晶を手に取った。

それを懐に入れると、ぴょんと飛び上がる。

「待て!」

 簡単な魔法だ。

領主率いる聖騎士団の前に、軽めの静電気を流す。

「うわぁ! イバン、ビビを連れて避難を!」

 父親である領主が叫んだ。

魔道士からの攻撃魔法が飛んでくる。

どうやら標的は俺らしいが、なんだコレ? 

空気玉か何かか? 

威力も弱ければ、意志のはっきりしないヘタな魔法だ。

これで聖騎士団の魔道士とは、情けない。

ビビの盾になるよう回りつつ、それを跳ね返す。

イバンは、魔法で固まったままの彼女を抱き上げた。

「私はここに残ります!」

「お父さまの命令です。一旦避難します」

「嫌です!」

 次は何の呪文のつもりだ? 

いつまでたっても、もごもごと考えている魔道士の口を封じる。

「やはりお前は、ただの魔法使いではないな」

 領主は剣を抜いた。

その刃先が空を切る。

だけどまぁ、十分届かない位置にいるから、全然怖くはないよね。

ビビを抱き上げたイバンが、走りだした。

食堂を抜け、廊下へ出る。

俺はその後ろに続いた。

「待て!」

 領主と聖剣士たちが、追いかけてくる。

呪文を唱えた。

彼らの足元を固める呪文だ。

勢いよく床に転がる。

「クソ! 早く魔法を解け!」

 ダメだ。 楽勝すぎる。

俺たちは廊下を駆け抜ける。

「おい、ナバロ。お前がついて来んなよ」

「ビビの周辺以上に、ここで安全なところがあるか?」

「まぁ素敵! いいわよ、ナバロ。ずっと私の側にいて!」

「なにを言ってるんですか、お嬢さん。冗談じゃないですよ」

「ならば、拘束魔法を解いてやろう」

「いや、逆に面倒だから解くな」

 蝋人形のように固まっていたビビの腕が、ふっと動いた。

「もう解いた」

「すぐにかけ直せ」

「イバン、下ろして!」

 暴れ出したビビを抱いたまま、イバンは玄関ホールへ出る。

背後から矢が放たれた。

振り返った瞬間、それは空中でピタリと止まる。

フィノーラだ。

「ひどいじゃない。私を置いて行かないでよ」

「お前までついて来たら、意味がないじゃないか」

「いちおう? ビビさまの護衛だし?」

 イバンは愚痴をこぼしながらも、そのまま走り抜け玄関ホールへ出た。

騒ぎを聞きつけた聖剣士たちが、外からも駆けつけ始めている。

「イバン、何事だ!」

「……。あぁ、ビビさまを連れて、避難中だ」

「そ、そうなのか?」

「見て分からないか」

 イバンは、抱きかかえているビビを見せる。

その後ろには、フィノーラと俺がいた。

「そ、そうか。ならば、こちらへ……」

 居並ぶ聖剣士たちの前を、素通りする。

俺たちはそのまま、中央ホールの階段を駆け上がった。

「待って。そうだわ、イバン。こっちではなくて、地下牢へ逃げましょう。もう随分使われていないし、そこなら私たち四人で隠れていても。十分籠城出来るわ」

「なるほど名案です。では、ここからぐるっと回って、三階のビビさまのお部屋へ」

「どうしてよ!」

 ホールには続々と、聖騎士団の連中が集まってきていた。

イバンはビビを抱えたまま、階段を駆け上がる。

「だからナバロ、お前がついて来んなって」

「館の外へ出たい。案内してくれ」

「それは無理だ。私はビビさまの部屋へ向かう」

 術の解けた領主がホールへ駆けつけ、俺たちを見上げた。

「あの少年だ! ヤツを追え!」

 衝撃魔法が飛んでくる。

風を小さく丸めたものだ。

だが狙いが悪い。

標的の設定の仕方がヘタなのだ。

これでは俺だけでなく、ビビやイバンにも当たってしまう。

その空気弾を消滅させようと、俺が呪文を唱えるよりも早く、フィノーラが呪文を唱えた。

弾き返された弾は、ホールの壁に弾け飛び、立派な装飾を傷つける。

「えぇ? お前の魔法は、雑過ぎるな」

「うるさいわね。このままじゃ、ビビにも当たるでしょ」

「私は先に行くぞ」

 再び走り出したイバンの後ろに、俺とフィノーラはついて行く。

「だから、あんたが大人しく捕まりなって!」

「やだよ、面倒くさい」

「カズといい、今回といい、一体なにしたのよ」

「心当たりが、ありすぎて……」

 イバンに抱えられたまま、ビビは後ろをのぞき込んだ。

「追いかけて来たわよ!」

 魔道士は、炎の呪文を唱えている。

こんな狭い廊下で、正気か? 

次の瞬間、敷き詰められた絨毯に、二本の火が走る。

黒くくすぶるその線に、フィノーラは何か唱えようとしている。

「待て。単純に返すな。廊下が燃える。気体を操れるのなら、空気の流れを止めればいい。そうすれば火は消える」

 フィノーラの呪文。

炎は増幅され、後方に向かって火を噴いた。

「なんでこっちがそんなことまで、気にかけなきゃなんないのよ」

「きゃー! カッコいい! 私もそれやりたい!」

「絨毯が燃えた!」

「あら、ナバロはそんなことを気にかけてくれるの?」

 イバンに抱きかかえられたまま、ビビはにっこりと俺を見下ろした。

「そう。いい子なのね」

 その仕草に、なぜかうつむいてしまう。

いや、違う。

そうじゃない。

俺だって、自分の城が荒らされるのは、嫌だったから……。

「止まれ!」

 行く手を塞いだのは、ビビの父親だった。

「少年、大人しくこっちへ来るんだ」

「お父さま、おやめください。ナバロに、なんの罪があるというのですか!」

「お前は黙ってろ!」

「嫌です!」

「イバン、ビビはもういい。その少年を捕らえろ」

「……。ですがビビさまが……」

「ダメ!」

 ビビは、イバンの首にしがみついた。

領主である父親の後ろには、聖剣士と魔道士がいる。

背後も塞がれた。

「イバン、何をしている。早くしろ!」

 その声に、彼は抱き上げていたビビを、ゆっくりと下ろす。

「ビビ、こっちへ来なさい」

「嫌です!」

 彼女は両手を広げ、父親たちの前に立ち塞がった。

「この子が、何をしたというのですか!」

「それをこれから審議するんだ」

 前後に迫る聖剣士たちが、一斉に剣を抜いた。

魔道士たちも控えている。

イバンはささやく。

「ナバロ。ここは一旦、大人しく捕まらないか? 私たちが、悪いようにはさせない。必ず助け出す」

 ビビも目を合わせた。

俺に向かって、小さくうなずく。

「悪いがそれを素直に信じられるほど、まっすぐに育ってないんでね」

「ならば、戦うしか道はない」

 さて、どうしようか。

イバンが腰の剣を抜いた。

と、不意にビビの手が、俺の腕を掴む。

「ナバロ、こっちです!」

 そのとたん、すぐ脇にあったドアが開かれ、そこに引きずり込まれた。

「ビビさま!」

 部屋に入るなり、彼女は鍵をかける。

「ビビさま! 開けてください!」

「いやよ!」

「イバン、ちょっとどいて」

 フィノーラだ。

ドアを塞ぐビビの体が、ガクガクと震えて始める。

呪文で扉を開放しようとしているんだ。

「ナ、ナバロ、何とか……、おねが……」

 ビビの願いに、俺は呪文を唱える。

「コラー! ナバロ、魔法を解きなさーい!」

「これで、しばらくは大丈夫だ」

 ほっとしたのか、ビビは俺に近寄ると、視線を合わせた。

「あなたは本当に、魔法使いなのね」

 無邪気にキラキラと輝く目が、俺には妙にうっとうしく眩しく感じる。

「頼みがあります。私を一緒に、連れて行ってください。ここから出たいの」

「嫌だ。面倒くさいし、邪魔だし」

 荷物にしかならないお供など、ゴメンだ。

この体をしっかり休ませ、ようやく取り戻した体力を、残しておきたかったが、こうなっては仕方ない。

「私は! いつもここでは、邪魔者扱いなのです。厄介な、困った置物なのです」

「だろうな」

 だけど、その境遇は昔の俺と、正反対だ。

雑用品を並べた物置部屋には、タオルやシーツ、掃除道具や工具類が並べられている。

狭い裏路地に面した窓際には、長い梯子が立てかけられていた。

扉は激しく叩かれ続けている。

「私は……。だから、一人前になりたくて、誰の荷物にもなりたくなくて……。魔法石を取り寄せ、体に馴染ませようとしていたのです。だけど、元々の体が弱く、そのせいで取り込んだ魔力は、全て吸い取られてしまって……。おかげでこうして、元気に動けてはいるのですが、ただそれだけにしかならず、私は……」

 強烈な眠気が襲ってくる。

やはり子供の体は不便だ。

体力がいくらも持たない。

俺は小さな窓から、外へ身を乗り出す。

乗り移れそうな屋根が目の前にある。

「……。一緒には、連れて行ってもらえないのね」

「断る」

「分かったわ。準備するから、ちょっと待ってて!」

「いや、だから断るって……」

「ナバロが置いて行っても、私は勝手に付いていくだけよ。だから何も気にしないで」

 いや、待たんけど。

もう一度、窓から外をのぞき込む。

ビビは、タオルやらシーツやらの積まれた棚の奥から、ボロ布の鞄を取りだした。

それを肩にかける。

「コラー! あんた、本気でビビさまと閉じこもる気なの?」

「ナバロ、ここを開けろ! このままでは、お前が不利なだけだ」

 ドアを蹴破ろうとしている。

魔道士たちも呪文を解こうと、躍起になっている。

まもなく扉は開かれるだろう。

「ビビ。これは、魔法石をいただいていく礼だ」

 俺は食堂から持って来た魔法石を取り出すと、その一部をバキリと折ってかみ砕く。

彼女の胸に手を当て、呪文を唱えた。

「腕のいい魔道士に、治療をさせているな。それは確かだが、気の巡りが悪いから、それ以上よくならないんだ」

 ビビは、かざした俺の手を握ると、苦しそうに表情を歪める。

あのヤブ医者は、もしかしたら俺の正体を見抜いたのかもしれない。

たいしたものだ。

「お前の病はお前のものだから、それ自体を治すことは出来ない。だがちょっと『仕掛け』を変えてやればいいんだ。これで、普通に動けるようにはなる。魔法石の摂取が条件なのは、変わらないが」

 視界が歪む。

寝落ちしそうだ。

これ以上、意識を保つのは難しい。

扉の向こうから、フィノーラとイバンの声が聞こえる。

「ちょ、ナバロ! あんた、どんな魔法使ってんのよ!」

「魔法の使えない、私にも分かる。とんでもない気配だ!」

 扉の呪文が破られそうだ。

これだから、子供の体は厄介なんだ。

もう体力が持たない。

フィノーラの魔法が、俺の術を解除しようとしている。

イバンはその巨体を、激しく扉にぶつけている。

「ビビさま!」

 体がだるい。

急がないとマズい。

俺は梯子を窓から外に出すと、それを階下へ落下させた。

「ナバロ!」

「お別れだ。ビビ」

 扉が破られる。

「待て!」

 イバンの剣先が、空を切った。

俺は窓から外へ飛び出す。

ふわりと体を浮かせ、隣の屋根に飛び乗った。

窓枠に飛びついたイバンが、そこから身を乗り出す。

「ナバロ! そこから動くなよ。この私がちゃんと、お前を……」

「どいて!」

 ビビはイバンを押しのけた。

「どうしても、連れて行ってはもらえないのね!」

「邪魔なだけの供はいらない」

「魔法が使えたら、私だってどこへでも行けた! 何にでもなれた! 私の自由を、あなたの自由をなくさないで! またいつか、ここへ戻ってきて。私にそれを見せて!」

 フィノーラが呪文を唱える。

「ちょっとそこを、どいてもらえますかね、ビビお嬢さま!」

 イバンはとっさに、ビビを奥へ引き込んだ。

そのとたん、窓側の壁が吹き飛ぶ。

「フィノーラ。お前の魔法は、がさつすぎ」

「待ちなさい!」

 また衝撃魔法だ。

ありがたい。

それが打ち込まれる前に、シールドを貼る。

フィノーラの放った魔法の風を受け、夜空に舞い上がった。

「……。ナバロ、逃がさないわよ!」

 後はそのまま、調整した風に乗って、飛ばされておけばいい。

ゆっくりと漂う夜空に、ルーベンの町が広がる。

「待て!」

 フィノーラは、屋根へ跳び移った。

足で走って、追いつけるとでも思っているのかな。

と思っていたら、彼女は魔法で高く飛び上がる。

フィノーラが何度、シールドに衝撃魔法を打ち込んでも、それは俺が逃げるための、追い風にしかならないんだけどなぁ。

「あぁ、そうか。ついでに自分も、あの館を出るつもりだ……」

 ルーベンの田舎町を、月明かりが照らしている。

俺はフィノーラの起こす風に乗って、ふわふわ空を飛んでいて、彼女はその後を、飛び跳ねながら追いかけて来る。

「……。あんた、本気でグレティウスに行くつもり?」

「そうだけど」

 寝落ちしそうだ。

この体、もうちょっと使えるようにならないかな。

困ったもんだ。

だけど今は、そんなこともなんだっていいや。

もう町外れまできたし。

その辺の茂みにでも、身を隠して眠ろう。

いつものように魔法で目隠しすれば、獣やモンスターにも見つからない。

「お前は、あの館に戻らなくていいのか?」

「あんた、私と組まない?」

「それで俺に、どんな利点が?」

「子供一人で、何が出来るの。私といれば宿も取れるし、家出少年には、ならないわよ」

 意識が薄れる。

もうダメだ。

フィノーラの腕が、ゆっくりと落ちてゆく俺の体を受け止めた。

そのまま屋根から地上へ下りる。

「あんたの体、もう動けないってバレバレよ。容積の小さい子供の体で、でかい魔法使いすぎ」

 触れた肌から伝わる体温が、やけに生々しい。

完全に意識が落ちる。

次に俺が目を覚ました時には、温かいベッドの上だった。