「ここは……。ビビは、領主の娘か」

「そうよ。大人しくしイイ子にしときな」

 大きな建物の正面は、役所のような働きをしていた。

吹き抜けの玄関ホール脇には、事務所のような部屋が広がり、カウンター越しに複数の人数が働いている。

そこに立つ門番の視線が、執拗に俺を追いかけた。

なるほど。

ビビが引き入れてくれなかったら、俺はここに入れなかったかもな。

あの門番は、ただ立っているだけの魔道士ではない。

よく訓練された聖騎士団の魔道士だ。

子供の体に纏うだけの力では、誰も俺の正体には気づかないだろう。

この体積では、蓄えられる魔力にも限りがある。

それは単純に、受け取れる容積の問題だ。

「馬車でうたた寝をしていたから、疲れは取れているかしら。お腹は空いてない?」

「ビビさまは、少しお休みください」

「まぁ、そんなつまらないことを言わないで、フィノーラ」

「怒られるのは、私なんですけど」

 館中央の大階段から四階までが吹き抜けの構造になっていて、その両脇に広がる部屋とその壁に至るまで、ありとあらゆるところに本が並べられていた。

これらはなにかの資料や契約書の類いなのか? 

見上げる俺の視界を、フィノーラは塞いだ。

「コラ。あんまりジロジロ見ないの」

 人口は、一万ちょっとというところだろうか。

さほど大きな町ではないが、数年前に良質な魔法石の鉱脈が発見されてからは、随分と賑やかになった。

こぢんまりとしたところだが、それなりに発展している。

「こんな立派な町だったっけ?」

「あんたの知ってるカズ村と、一緒にするんじゃないわよ」

「ここ十年で急速にね。ナバロが生まれた頃の話しだから、分からないかもしれないけど」

 廊下を奥へと進む。ここからは領主のプライベートゾーンだ。

門番も立つその城内の門をくぐる。

居住スペースと公的な部分は分けられてはいるが、簡単な結界をかけた扉一枚だけだ。

ビビやその許された者たちと一緒に、一度でも通過してしまえば、なんてことはない。

すぐに解除される。

奥へと進んだ途端、室内はそれまでの重々しく厳かな雰囲気から、質素ながらも上品なたたずまいへ内装が変化した。

廊下のガラス窓から見える、さほど広くはない敷地に、わずかながらも芝生の庭がある。

ごちゃごちゃとレンガ造りの建物が密集しているが、悪くない屋敷のつくりだ。

「ようこそ、我が家へ!」

 ビビは嬉しそうに、その板張りの廊下でくるりと回った。

「さ、ナバロ。あなたのお部屋を用意させましょう。フィノーラの隣でもいいかしら?」

「なんでコイツの隣?」

「だって、姉弟ですもの」

 あー。まだ続いてんだ、その設定。

てゆーか、長居するつもりはないんだけど……。

「こっちよ。階段が狭いから、気をつけてね」

 勝手に案内された、滑らかな石造りのらせん階段を上がってゆく。

塔付きの納屋を改装したような建物だ。

客というより、使用人のための宿舎といったところだろうか。

塔の先端には大きな鐘が設置されてはいるが、もう鳴ることはないのだろう。

建て替えられたばかりの立派な役所側の方の先端に、これより三倍はある立派な鐘がついている。

「ふぅ。ここはいつも涼しくていいわね」

 その階段を上り始めてから、わずかにビビの呼吸が荒い。

「ビビさま、ナバロの部屋は私が用意させます。ビビさまはもう母屋に戻って、少しお休みください」

「あら、どうして?」

「夕食を、イバンさまとご一緒するのではないのですか? 一度お休みにならないと、今日は長時間、遠出もされております」

「まだ大丈夫よ」

「そんなことを言って、後で後悔することになるのは、ビビさまですよ」

 ビビは立ち止まった。

恨めしそうにフィノーラを見つめるも、もう一度大きく息を吐き出す。

「そうね。じゃあご忠告に従って、少し休もうかしら。フィノーラ、あとはお任せしてもよいかしら」

「どうぞ」

「夕食には、ナバロとフィノーラも一緒にね。お話が沢山聞きたいわ」

「はいはい」

「フィノーラの、これまでのお話の続きもね。ナバロも必ず来て」

「はいはい」

「えっと、それからナバロには……」

 ビビは、何かとあれこれ思い出しては、そこから立ち去ることを渋っている。

いつまで経っても動こうとしないビビに、ついにフィノーラの声色が変わった。

「分かったから! どうぞ行ってください。いつもの時間に食堂へ参ります。それでよろしいですか。私たちも休みたいです!」

 フィノーラの剣幕に、ようやくビビは大人しくなった。

「わ、分かりました。では後でね。ナバロもね。必ずよ」

「お嬢さまもね!」

 ビビは小さく手を振って、ようやく階下を下りていった。

フィノーラは盛大にため息をつく。

その姿が完全に見えなくなってから、舌打ちをした。

「チッ。くだらない。あんたもそう思うでしょ」

 フィノーラは塔の階段を上りきると、三階の廊下へ出た。

「お前、ここで雇われてるんじゃないのか」

「流しの魔道士よ。見りゃ分かるでしょ。私は日銭がほしいだけ」

 狭い廊下に沿って、小さな部屋が二つ並んでいる。

「居心地は悪くないけどね。あんたはこっち」

 フィノーラは奥の部屋を指した。

「鍵なんてついてないけど、気にしないでしょ。後は自分で何とかしな。時間になったら、呼びに行くから」

 そう言って、すぐにフィノーラは手前の部屋へ消えた。

俺は与えられた部屋へと入る。

簡素な木製の扉は、魔法で鍵をかけろということらしい。

石造りの狭い部屋に、ベッドと机が一つだけ置かれている。

小さな両開きの窓からは、夕陽に沈むルーベンの町が見えた。

 なるほど、ビビは領主の娘か。

扱いやすそうな娘だ。

それならばここを、新たな拠点とするのも悪くないかもしれないな。

近くから良質な魔法石も採れる。

どうなっているのか分からない、かつての居城を取り戻すより、新たにこの町ごと乗っ取った方がいいのかもしれない。

俺の造りあげたかつての居城は、新政府の率いる聖騎士団どもに占拠されている。

「とにかく、一度は俺の存在を知らしめておくか……。いや、まだ待った方がいいのかな?」

 自分の胸に手を当てる。

この体が、それに耐えられればいいのだが……。

ここを、俺の出発の地にするのも悪くない。

「はは。退屈なお嬢さん。お礼に、楽しいことを始めようじゃないか。もう毎日に飽きることもないだろう。俺をここへ引き込んだことを、一生後悔するんだな」

 町を見下ろす小さな部屋で、俺は印を結んだ。

呼吸を整える。

それだけで小さなガラス窓は、吹き飛ぶような勢いで開いた。

少し大がかりな魔法になるが、仕方がない。

まずは魔法を届かせる範囲を、どこまでに設定しようか。

呪文を唱える。

『この世界に広がる、全ての生を受けしものたちよ。我の声が聞こえたならそれに応えよ』

 秘められた力が、空を越え頭上から芯を貫く。

それは真っ直ぐに大地へと繋がり、天と地と、この世の全てに広がってゆく。

『かつて……、すべ……すべ……』

 俺の体を通して、入り込んでくる魔力と出て行く魔力が大きすぎる。

やはりこの体では、まだ早かったか? 

大きすぎる力の流入に、体ごと流されてしまいそうだ。

視界は歪み、意識が遠のく。

やはりまだ体の方が……。

「何やってんの!」

 バンッ! 

突然、背後の扉が開いた。

フィノーラは俺の頭をわしづかみにすると、ドサリとベッドに押しつける。

「あんたね! どこでそんな呪文覚えたか知らないけど、何でも唱えりゃ出来るってもんじゃないのよ?」

「わ……、分かってるから……離せ!」

 体に力が入らない。

抵抗しようにも、腕すら動かせない。

魔法ではね飛ばそうとしても、もはや呪文を唱える力すら残ってはいなかった。

「チビのくせに、魔法の使い方を教えてくれる人が、周りに誰もいなかったワケ? 魔法ってのはね、呪文の力だけじゃなくて、受け入れる体も必要なのよ。そんなことも知らないで……」

 フィノーラのやかましい独り言は続いている。

町にいる他の魔道士にバレないよう、薄く浅く地表に呪文を這わせたつもりが、さすがにすぐ隣にいた魔道士には見つかってしまった。

このままでは、中途半端に自分の居場所を知らせるようなものだ。

一度引っ込めないと……。

息を吐き出す。

もう一度力を振り絞る。

それでも十分に、大魔道士エルグリムの復活を感じさせる、予兆にはなっただろう。

平和にあぐらをかく、かつての勇者どもめ。

再びその恐怖に怯え、震えて眠れぬ夜をすごすがいい。

安寧の日々は終わりを告げた。

俺は分散させた力を消滅させる。

フィノーラの声と重なった。

『大地より与えられし聖なる力よ。風となり空を巡り、やがて我の元へ帰る魔法石となれ』

 体内から流れ出す魔力が、その動きを止めた。

パラパラと地表に落ち、拡散してゆく。

それは永い時間をかけいずれ魔法石の結晶となり、再び誰かの力となるだろう……。

「ほら見なさいよ。無駄に魔力を消費して! あんたのはただの無鉄砲。バカ。能力に見合わない呪文は、自分の体を壊すだけよ」

 クソッ。

この体では、割ける魔力に限りがあるのは確かだ。

おかげでフィノーラのような並の魔道士にすら、こうやって押さえつけられたまま抵抗できない。

やりたいことが、何一つまともに出来ない。

体が大きくなるまで、まだ待てというのか? 

転生を果たしてから、もう十年も待ったというのに!

「離せ!」

 わずかに回復した魔力を使い、突風を巻き起こす。

フィノーラを吹き飛ばすには十分だった。

もうこれ以上、我慢は出来ない。

「邪魔するヤツは、皆殺しだ」

 どの魔法を使おう。容赦はしない。

何の為に生まれ変わった? 

俺は、俺の世界を取り戻す! 

はね飛ばされ、部屋の隅で倒れていたフィノーラが、動き始めた。

まだ息があったか。

起き上がろうとしている。

呪文を唱え、唱え……。

 激しいめまいに、バランスを失った。

意識が遠のく。

俺はそのまま、床にドサリと倒れてしまった。

「……ほら、ね。だっさ」

 力の使いすぎだ。

そういえば、一昨日村を抜け出してから水しか飲んでいなかった。

魔法石だけで持ちこたえていたのに、その魔力も使い果たしてしまった。

たかだか十一歳の体では、これが限界なんだ。

「だからガキなんかに……」

 視界が暗くぼやけてゆく。

そんな俺を、フィノーラはじっと見下ろしていた。