「だから、これからもみんなと、仲良くやってくれ。お前が元気でいてくれたら、それだけで俺は安心できる」

 ディータは瓦礫の上で、周囲を取り囲む聖騎士団たちを見渡した。

「キーガン。イェニーと、この騎士団をよろしく頼む。それと……。モリーにも、上手く言っておいてくれ」

 結界を張り直そうという勢力が弱まった。

ついに諦めたか? 

いや、違う。

崩れた城門付近で、ひときわ強い気配がよろめいた。

「まぁ、ずいぶんなお言葉じゃないの、ディータ」

 灰色の、長く真っ直ぐな髪がサラリと流れた。

酷くやつれた魔道士が、よろよろと立ち上がる。

俺と目があった。

「イェニー! この男をたぶらかしたのは、その黒髪の魔道士じゃないわ。あんたと同じ髪色をした、この少年よ! ディータを取られたくなかったら、ナバロを引き留めて!」

「えっ?」

 とたんにイェニーは震えだし、ガクリとその場に両膝をついた。

「つ……、ついに男の子にまで手を出すとは……。わ、私はどうすればいいんだ……」

 モリーの呪文。

ディータはそれを弾き返す。

「そんなワケないだろ! 目を覚ませイェニー!」

 フィノーラがつぶやく。

「結界の穴、まだ維持出来る?」

 城の上空には、俺が空けた穴がまた残っていた。

「なんとか……」

 とは言っても、明らかに分が悪い。

フィノーラは俺を抱いたまま、足元に向かって衝撃波を放つ。

空へ飛び上がった。

「そうはさせないわよ!」

 モリーの風起こし。

突風に吹き飛ばされる。

たぐる風に操られ、その落下点にはキーガンがいた。

「どう受け止めればいいんだ? 二人まとめて?」

 両腕を広げ待ち構えるその巨体を、ディータは体で突き飛ばした。

「ディータ!」

 フィノーラが叫ぶ。

「いいから走れ!」

 目の前を、無数の聖騎士団員が塞ぐ。

フィノーラはそれを呪文で吹き飛ばした。

俺は上空に空いている結界部分を、脱出出来そうな位置にまで、下ろそうとしている。

「全く! どこにそんな魔力が残ってるのよ!」

 モリーは氷の壁を創り出した。

緑色にわずかに光る壁が、俺とフィノーラの行く手を塞ぐ。

ディータの投げたカードが、すぐさまそれを打ち崩した。

「少年とデキてるっていうのは、嘘なのか?」

 砕け散るその破片を、イェニーは軽々と跳び越えてくる。

彼女の剣の一振りで、触れてもいない俺の頬が切れた。

「あぁそうだよ、イェニー! 俺が本当に愛しているのは、いつだって君だけだ」

 イェニーの動きが止まる。

二人はじっと視線を合わせた。

「ディータ……。本当に行ってしまうのか?」

「あぁ、行くよ。今度こそ本当に本気だ。俺のことは、もう諦めてくれ」

「……。あ、あたしをおいて?」

「おいて」

「連れて行ってはくれないのか?」

「無理だ」

 うつむいたイェニーの体が、小刻みに震えている。

周囲を取り囲む聖騎士団の連中が、じりじりと後ずさりを始める。

「そ……そんなこと、許されるわけないだろうが!」

 イェニーの振るう剣が、空を切り裂いた。

「いったいいつになったら、私の気持ちを受け入れてくれるんだ!」

「お前の気持ちは知ってる!」

 大乱闘が始まった。

イェニーの剣さばきは早すぎて、俺にも見えない。

ディータは防戦一方だ。

「……。なんだあれ?」

 フィノーラは走り出す。

「あの団長が一番厄介よ。ディータが引きつけてくれてるうちに、ここを出なくちゃ」

 目の前で、キーガンは吸魔の剣を構えている。

フィノーラは呪文を唱え……るのをやめ、軽やかに飛び上がった。

俺を抱いたままくるりと一回転し、その頭上を跳び越える。

「フン! のろまな聖剣士どもめ。いつまでもあんたたちのレベルに、合わせてやってらんないわよ!」

 再び走り出した彼女を、氷の刃が襲う。

「ナバロさえここに置いて行くなら、一気に問題解決よ!」

 モリーの鋭いつららが、フィノーラを襲う。

「その少年を置いていきなさい」

 ディータと戦うイェニーの剣が、地面を割った。

ひび割れた地面の一部が、ドンと盛り上がる。

フィノーラは俺を抱いたまま飛び上がった。

「あの女は、とんでもない馬鹿力なのか」

「そうよ! 信じられないくらい、物理一択押し!」

 キーガンとモリーの攻撃を避けるので、フィノーラは精一杯だった。

ディータはイェニーから逃げ回っている。

イェニーの一振りで、城の一部が崩れた。

「団長、やりすぎです。もっと手加減してください」

「三人とも逃がさなきゃいいんでしょ?」

 キーガンの言葉に、イェニーはその剣を天高く掲げた。

「キーガン、修理代の予算編成よろしく!」

 彼女はグッと腰を引き、剣を低く構え直す。

「みんな危ないから、頭隠しといてね!」

 真横に振った剣は、俺たちの頭上をかすめた。

どこを狙っている? 

と、思った瞬間、分厚い石造りの城壁が上下にずれたかと思うと、真っ二つに切断された。

「うわっ!」

 崩れ落ちる壁に、飛び上がったフィノーラは、着地の足を捻る。

俺を抱いたまま体勢を崩した彼女に向かって、ディータはカードを投げた。

呪文を唱える。

『二人を乗せて飛び立て! 彼らの望むままに!』

 巨鳥が飛び出す。

鷲に似たその鳥は、すばやく俺たちを背に乗せた。

空高く飛び上がる。

「ナバロを逃がしちゃダメよ!」

 モリーの呪文。

彼女に突進していくディータの目の前に、イェニーの剣が振り下ろされた。

「キーガン!」

「お任せを」

 モリーの魔法を借りたキーガンが、吸魔の剣を片手に飛び上がる。

頭上に空いた結界の穴は、今にも塞がりそうだ。

吸魔の剣が抜かれた。

ディータも飛び上がる。

「もう誰にも邪魔させねぇ!」

 キーガンの刃は、ディータに向かった。

空中で交差する剣の上を、キーガンが取る。

吸魔の剣がその魔力を吸い取るのに合わせて、ディータの使い魔の力も消えてゆく。

徐々に薄れゆくその大鷲に、フィノーラは自分の残った魔力を注ぎ込んだ。

「お前は大人しく、ここで腐っていろ」

 ドンッ! 

全ての力を奪われたディータは、地面に叩きつけられる。

「ディータ!」

 フィノーラと俺は、結界の外へ飛び出した。

足元には半壊した団城と、その瓦礫に埋もれたディータの姿が見える。

「はは。やっぱ占い師の言う事なんて、アテにならねぇな。しかも自分で占った、どうしようもない未来だ」

 彼との別れの言葉が、魔法の風に乗って耳元にささやく。

「お前についていけば人生が変わるって、そんな占いが出たんだ。そんなワケないのにな。やっぱダメな人間は、何やってもダメだ。お前たちはもう行け。こんなつまんない大人には、なるんじゃねぇぞ」

 ディータはわずかに微笑むと、小さく手を振った。

その周囲を、聖騎士団たちが取り囲む。

「もうダメよ、ナバロ。私たちじゃこの使い魔は使えない。ディータの魔法だもの。彼の魔法が残っているうちに、行けるところまで、行くしかないわ」

 大鷲の魔力が消えてゆく。

結界が完全に閉じてしまえば、もうディータはそこから抜け出せないだろう。

城を取り囲むドーム状の結界が、間もなく再形成される。

「短い間だったけど、楽しかったよ。最期にいい夢が見られた」

 ナルマナ聖騎士団所属の魔道士たち総力によって、空けられた結界の穴は閉じられた。

ディータの魔力が尽き果てた証拠に、大鷲の姿も消える。

俺たちは落下を始め、フィノーラはその結界に向かって衝撃波を打った。

跳ね返ったその反動で、もう一度高く飛び上がる。

「行こう、ナバロ。私たちまで捕まってはだめよ」

 再び結界に覆われた城は、淡い黄緑の光りに包まれ、たたずんでいた。

その閉じられた世界の中で、また新たな亡骸を抱え、永い眠りについてしまうのだろうか。

何者にもなれなかったものたちを封印し、全てをなかったことにして、消し去ってしまうのだろうか。

青く広がるその空の向こうに、ふと白い影が見えた。

「……いや。そんなこと、許していいわけがないだろう」

 俺は何の為に生まれ変わった? 

残された魔力はわずかだ。自分の力だけでは、さすがに勝算は低い。

「呪文を……。呪文を考えよう……」

 フィノーラの腕に抱かれたまま、俺は空を見上げた。

そこにまだ、可能性はある。

印を結んだ。

『解き放たれし者たちよ。その恩に報いよ。再び閉じられようとする、呪われた世界を救え』

 その声に、どこまで共鳴するのか。

どこまでも広がる空には、雲しか見えない。

もしそれが叶うのなら、俺もまたやり直せるのかもしれない。

「ナバロ!」

 遠く、耳には聞こえない声が響いた。

この地下から蘇った、無数の白い影が集まってくる。

「戻っ……て、来た!」

 かつてこの城で生まれ、根城としていた魔物たちだ。

白く魂だけと成り果てても、まだ俺の声を聞いてくれる。

それは大きな波となり、巨大なドームへとぶつかった。

フィノーラの体が、ふわりと浮き上がる。

実体を持つまだ若い小さなドラゴンが、俺たちを背に乗せた。

「な……、なんで……?」

 あぁ、この子には見覚えがある。

俺が倒される直前に、ここで卵からかえり、祝福を与えた竜だ。

「お前、生き残っていたのか」

 幽霊の群れと化した魔物の軍団が、結界を破ろうとしている。

黄緑のドームに取り憑き、ついにその殻を破った。

だとしたらまだ、望みはある。

もう一度、もう一度だけ。

それさえ叶えば、後悔はない。

ドラゴンに指示し、空に舞い上がる。

力を与えよう。

俺が今、こうして助けてもらったように……。

『我もその思いに答えよう! もう二度と、何者にも囚われるな! 再び囚われようとする者たちを、救い出せ!』

 雷鳴が轟く。

魔力を呼び寄せ、解き放つ。

それは新たな光りの柱となって、古城へ落下した。

争う聖剣士たちの剣に、斬られては消えゆく魂に力を与える。

ドラゴンはその戦乱の渦中へと降下した。

俺は手を伸ばす。

「ついてこいよ、ディータ。お前の占いが間違っていなかったことを、この俺が証明してやろう」

 崩れた瓦礫の上で、倒れたまま動かなくなっていた彼が、ニッと笑った。

腕を伸ばす。

指先が触れた瞬間、それをしっかりと握りしめた俺は、ディータを引き上げた。

「行こう。もう何者にも、囚われる必要はない」

 飛び上がる。

地上から無数の矢が放たれた。

フィノーラの爆風が、ドラゴンの飛翔を助ける。

再び大空へと舞い上がった。

地上へ降りた亡霊たちが、歓声をあげ沸き立つ。

俺たちのあとを追いかけ、彼らも飛び上がった。

白い影となった人骨が、ドラコンたちが、最期の別れを惜しみながら挨拶を交わし、空に消えて行く。

魂の数だけ幾度も繰り返されるそれは、天からの祝福にも見えた。

「で、どこに行くんだ?」

 ようやく静かになった空に、ディータは飛ばされないよう帽子を押さえた。

「グレティウス。エルグリムの悪夢を手に入れる」

「いいね」

「賛成よ!」

 三人を乗せたドラゴンは、北の山脈へ向かい滑空を始めた。