「それだけわかれば良い。だから、紗良」
「な、何?」
突然居住まいを正したコハクに気圧されて、紗良はわずかに身を引いた。だが、その腕をがしっと捕まれて、じっと正面から見つめられる。
ひえっ、と紗良が息を呑んだと同時に、コハクが口を開いた。
「俺と結婚しろ」
「は、はあ……!?」
その時、紗良の脳裏に浮かんだのは——変なのと関わり合いになってしまった、という後悔だった。いくら顔が良くても、さすがに出会った当日に求婚はない。
(いや、コハクの話からすると、私のことを彼は知っていたみたいだけど……)
それはそれで怖い。もしかするとストーカーなんじゃなかろうか。それならば、先ほども急に現れたことの説明がつく。
「い、いや、無理です、無理」
「……そうか」
ぶんぶんと首を横に振って紗良が答えると、コハクは至極あっさりとそう言い、すくっと立ち上がった。
「そうすぐに頷いて貰えるとは思ってない。また来る」
「は、はあ!?」
がらがらと窓を開け、コハクはそこから身を乗り出した。それから背後の紗良を振り返ると「戸締まりはきちんとしろよ」とだけ言い残し、ベランダを乗り越えてひらりと宙に身を躍らせる。
紗良は仰天して目をむいた。ここは六階建てのマンションの五階だ。さすがに落ちれば怪我をする。慌てて駆け寄ったが、既に彼の姿はどこにもなかった。
「え、ええ……?」
呆然として、紗良はベランダにへたり込む。
今日の出来事について彼に聞きそびれたことに気がついたのは、そうしてしばらく経った後のことだった。
「ん、んん……」
——夢の中。紗良は幼い頃よく遊んだ、実家である神社の裏手にいた。
どうしてそれが夢の中だと気がついたかというと、紗良自身の姿が小学生の頃のものになっていたからだ。
(そうだ……この頃は良く、神社の裏手にある川で遊んでた……)
神社は山の頂上付近にあるため、川と言っても大したものではない。湧き水がちょろちょろと流れ出した程度の小さな川だ。
近所に友達のいない紗良は、ほとんど毎日をここで過ごしていた。
この日も、そんな何の変哲も無い一日になるはずだった。だが、お気に入りの川縁に来てみると、なんだか白いものが丸まっている。近くによって触ってみると生暖かく——それがどうやら、子犬のようだと気がついた。
さらによく見てみれば、その子犬は足から血を流している。
(怪我をしているのね……)
驚いた紗良は、恐る恐る子犬を抱き上げると慌てたように家の方角へ走り出した。外にある水道で足を洗ってやり、傷口を確認する。
幸い、大きな怪我ではないようだ。だが、しばらくは歩くのが大変だろう。
「どうしようかなぁ……」
『たすけてあげて、たすけてあげて』
紗良が呟くと、小さな光の球がいくつかふわふわと周囲を取り囲み、そう囁いてくる。だが、父や母に見せれば、きっと放っておきなさいと言われるだろう。
だが、これまでにもこの光の球の言うことをきいたほうが、良いことがあるのも知っている。
少しだけ悩んだ紗良は、その子犬をこっそりと自分の部屋に連れ込んだ。
(——あ、そう、だ)
だんだんとその景色が遠のいて、代わりにピピピという電子音が聞こえてくる。
(あれが、コハク——私が付けた名前だ……。そうか、あれは犬じゃなくて……)
最後の最後でそれを思い出すと、紗良の意識は急浮上していく。ゆっくりと目を開き、時計を確認した紗良は「ぎゃあ」と叫ぶと慌てて飛び起き学校へ向かう準備を始めた。
「な、何?」
突然居住まいを正したコハクに気圧されて、紗良はわずかに身を引いた。だが、その腕をがしっと捕まれて、じっと正面から見つめられる。
ひえっ、と紗良が息を呑んだと同時に、コハクが口を開いた。
「俺と結婚しろ」
「は、はあ……!?」
その時、紗良の脳裏に浮かんだのは——変なのと関わり合いになってしまった、という後悔だった。いくら顔が良くても、さすがに出会った当日に求婚はない。
(いや、コハクの話からすると、私のことを彼は知っていたみたいだけど……)
それはそれで怖い。もしかするとストーカーなんじゃなかろうか。それならば、先ほども急に現れたことの説明がつく。
「い、いや、無理です、無理」
「……そうか」
ぶんぶんと首を横に振って紗良が答えると、コハクは至極あっさりとそう言い、すくっと立ち上がった。
「そうすぐに頷いて貰えるとは思ってない。また来る」
「は、はあ!?」
がらがらと窓を開け、コハクはそこから身を乗り出した。それから背後の紗良を振り返ると「戸締まりはきちんとしろよ」とだけ言い残し、ベランダを乗り越えてひらりと宙に身を躍らせる。
紗良は仰天して目をむいた。ここは六階建てのマンションの五階だ。さすがに落ちれば怪我をする。慌てて駆け寄ったが、既に彼の姿はどこにもなかった。
「え、ええ……?」
呆然として、紗良はベランダにへたり込む。
今日の出来事について彼に聞きそびれたことに気がついたのは、そうしてしばらく経った後のことだった。
「ん、んん……」
——夢の中。紗良は幼い頃よく遊んだ、実家である神社の裏手にいた。
どうしてそれが夢の中だと気がついたかというと、紗良自身の姿が小学生の頃のものになっていたからだ。
(そうだ……この頃は良く、神社の裏手にある川で遊んでた……)
神社は山の頂上付近にあるため、川と言っても大したものではない。湧き水がちょろちょろと流れ出した程度の小さな川だ。
近所に友達のいない紗良は、ほとんど毎日をここで過ごしていた。
この日も、そんな何の変哲も無い一日になるはずだった。だが、お気に入りの川縁に来てみると、なんだか白いものが丸まっている。近くによって触ってみると生暖かく——それがどうやら、子犬のようだと気がついた。
さらによく見てみれば、その子犬は足から血を流している。
(怪我をしているのね……)
驚いた紗良は、恐る恐る子犬を抱き上げると慌てたように家の方角へ走り出した。外にある水道で足を洗ってやり、傷口を確認する。
幸い、大きな怪我ではないようだ。だが、しばらくは歩くのが大変だろう。
「どうしようかなぁ……」
『たすけてあげて、たすけてあげて』
紗良が呟くと、小さな光の球がいくつかふわふわと周囲を取り囲み、そう囁いてくる。だが、父や母に見せれば、きっと放っておきなさいと言われるだろう。
だが、これまでにもこの光の球の言うことをきいたほうが、良いことがあるのも知っている。
少しだけ悩んだ紗良は、その子犬をこっそりと自分の部屋に連れ込んだ。
(——あ、そう、だ)
だんだんとその景色が遠のいて、代わりにピピピという電子音が聞こえてくる。
(あれが、コハク——私が付けた名前だ……。そうか、あれは犬じゃなくて……)
最後の最後でそれを思い出すと、紗良の意識は急浮上していく。ゆっくりと目を開き、時計を確認した紗良は「ぎゃあ」と叫ぶと慌てて飛び起き学校へ向かう準備を始めた。