「……んー」
喉を鳴らす。イガイガするのは、埃でも吸ったせいだろうか。
変な夢を見たような気がした。いきなりサラブレッドの芸能人二世に札束を積まれるなんていう、シュールにも程がある夢。
それにしても。さっきからアルコールの匂いがするし、今横たわっているシーツも布団も、うちよりもいいもの使ってるな……洗濯しすぎて薄くなったシーツにぺったんこの煎餅布団を思いながらふと目を開くとき、マスクの男子がこちらをじぃーっと見ていることに気付き、ぎょっとする。
「ぎゃっ……」
「ご、ごめんなさい……っ」
そのマスクの男子に間髪入れずに謝られてしまった。髪は綺麗にオレンジ色に染まっている。そのオレンジ色の髪をひとつに括っていた。
……誰?
マスクで出歩くの自体は、芸能コースではあまり珍しくない。特に声優志望や歌手志望の場合は、喉を守るために常日頃からマスクで出歩いて、喉飴や喉に優しいドリンクを常備している姿はよく見かける。
マスクの男子はあわあわと言葉を続けた。
「あ……ごめん。倒れてたから、保健室に、運んだんだよ……おぶったのは、柿沼くんで……」
「柿沼……あ」
途端に私は、通りかかったときに耳にした、甘い歌声が脳裏に閃いた。そして、札束。
……夢じゃなかった。あのシュールな出来事は。私はガバッと起き上がる。
「あなた誰!? 柿沼は!? あいつ、非常識にも程があるでしょ。あんな大金で自分の人生買うような真似はしちゃ駄目よ。お金は超貴重なんだから!」
「え、ええっと……そうだよね、ごめん……」
マスクの男子はおろおろしたように、仰け反りながらも頷いてくれた。
しかし、芸能コースは誰もかれもが押しがずいぶん強いのに……そうじゃなかったら、芸能界で生き残れないっていうのが、芸能コースに足を踏み入れた以上わかっているんだろう……彼は妙に控えめな性格で、珍しいなと思ってしまう。
「あ、ごめんね……名前言うの忘れてた……僕は桜木優斗……柿沼くんと林場くんと一緒に、最近ユニットを結成したばかりの……」
彼はごにょごにょと自己紹介するのを、私は目をぱちくりさせながら聞いていた。
なんというか……どもりまくってるなあ。たしかにアイドルだったら、歌以外でだったらちょっと抜けているほうが可愛げがあるんだろうけど。それにしても、歌手や声優だったらいざ知らず、アイドル目指しているんだったら、顔を出さなくっていいんだろうか。とずっとマスクを付けたままでおどおどしている桜木を見て思ってしまった。
柿沼はわかる。林場っていうのは、柿沼が「みっちゃん」と呼んでたあのクールなイケメンのことか。
私は桜木のことをじっと見た。
「まあ、あんたのことはわかったけど……それで、柿沼は?」
「しょ、るいを、取りに行ってる……林場くんと……マネージメント契約のための」
「はあ……!? あいつ、まだ諦めてなかった訳!?」
なんでだ。二回もきっぱりと断ってるじゃないか。なんで私をわざわざ巻き込もうとするんだ。頼むから余所行ってくれ、余所に。
私が目を吊り上げている間に、おどおどと桜木は言葉を続ける。
「は、林場くんもお金で買収するような真似はしないほうがいいって反対してるし、僕もなんだけど……でも、柿沼くん。言ってることが無茶苦茶だし、やってることも、滅茶苦茶だけど……ご、かいだけは、しないでね。彼……本気で芸能界目指してて……自分のことを、真剣にマネージメントしてくれてる人、探してるだけだから……」
私はたどたどしくも、必死でしゃべっている桜木のことを、ただ凝視した。
うん。たしかに柿沼は、いろんなものが圧倒的に噛み合っていないんだ。マネージメント契約する人を探しているけど、彼が芸能人二世のせいで、それ扱いする人が多過ぎるのに辟易している。まあ、たしかに既に売れている親の名前を使ったほうが、楽に名前を覚えてもらえるんだ。
今は娯楽飽和時代なんだから、名前を一発で覚えてもらうとなったら、既に覚えてもらっている名前を使ったほうが圧倒的に楽だ。マネージメント契約結びたい子たちが、柿沼の親にキャーキャー言うのはもちろんのこと、親の名前を使ったら売り込みやすいって計算が入っているのは多いと思う。
でも。柿沼はそれを本気で嫌がってるんだな。あいつは割と神経質だ。それが原因でマネージメントコースの子と喧嘩もしているのかもしれない。
ただ、いちから新人アイドルを売り込むとなったら……それは茨の道だ。大手事務所と契約する、大きな仕事で名前を上げる、地道に草の根活動で宣伝する……新人アイドルの知名度を上げる方法はいくらでもあるけど、卒業するまでに成果を上げられるのかというと、それは未知数だ。楽をしたいって子たちの気持ちもわからないでもない。
でも。私が耳にした柿沼の歌声を思う。彼の父は俳優で、歌は歌ったことがなかったはず。母はアイドルだったけれど女性だから、男性特有の甘い歌声は出せない。彼の歌声だけは、間違いなく彼のオリジナルのものだ。もし売り込むとなったら、あの歌唱力だろうか……。
でも林場は? あいつはたしかに顔がいいものの、なにに長けているのかを今日会ったばかりの私は知らない。そして桜木は? そもそもマスクを取ってもらわないことには、どんな戦略を立てればいいのかなんてわかったもんじゃない。
……そこまで考えて、私ははっとした。
なんで、私がこいつらを売り込む方向で話が進んでいるの……! だから嫌なんだってば。私は普通に高校卒業しないといけないし、就職決めないといけないの! あいつの事情に同情せんこともないけれど、私にだって余裕はないんだから!
桜木は私の百面相を困ったように眺めていたところで、ベッドを区切っていたカーテンがシャッと音を立てて開いた。
満面の笑みの柿沼と、呆れた顔をしている林場だ。
「お待たせー! 特待生、書類もらってきた! マネージメント契約の!」
「だから、あんたは、なんで私をそこまでマネージャーにしたがるの!? 巻き込まないでって何度も何度も言ったわよね!?」
「だってさあ……」
そう言うと、柿沼はこちらに顔をそっと寄せてくる。
だから、顔がいい男がそんなことしちゃいけない。私は仰け反って「アイドル目指してるのがそんなことしていいの!?」と悲鳴を上げる。
それに林場も桜木も「あー……」と声を上げる。なんで。
私が訳がわからないまま柿沼とふたりを見比べていたら、柿沼がふたりに「ねー」と声を上げる。だから三人だけでわかり合うな、説明しろよ。
そう思っていたら、柿沼はこちらに振り返る。
「やっぱり。君だったら大丈夫だ」
「はあ? だからなにが」
「君だったら、問題が起こりようがない。いるんだよね、芸能人に近付きたいからって理由でマネージャーになりたがるのも、芸能コースの校舎に堂々出入りできるからって理由だけでマネージメントコースに入る奴も」
あれか。芸能コースの生徒に近付いて玉の輿や青田買いを狙っているような、失礼なマネージメントコースの女子でもいたのか。うちの学校、そもそも男女交際禁止でしょうが。
そういえば。
男子の芸能コース生徒とマネージメントコースでつるんで、女子アイドルグループのオフショットを撮りまくって退学になった生徒がいたっていうのは、入学式のときにマネージメントコースの諸注意で言っていたことだ。
芸能コースとマネージメントコースがマネージメント契約を結んでしまったら、一蓮托生。どちらかが問題を起こせば、どちらも一斉に退学だ。
男子同士でも問題を起こす奴は問題を起こす。女子同士でも問題が起きたら退学。
……逆を言ってしまえば、男女関係なく、問題起こさない人間は問題を起こさない。私に声をかけたのはあれか。学校を辞められない理由があって、問題を起こせないからか。
柿沼はにっこりとした顔で言う。
「もしお金が必要だって言うんだったらあげる」
正直、欲しい。むっちゃ欲しい……いやいや、駄目だろ。いきなり札束積まれたら、こっちの心臓が持たない。
「君の予定を優先していい。オレたちのマネージメントをきちんとしてくれるなら」
無茶言うなよ。私も資格試験とか資格試験とか資格試験とかで忙しいのに、その上でマネージメントしろだなんて。
「君のアイドルに、オレはなるから」
だから、困るんだってば。
堂々巡りをしている中、林場は溜息をつくと、何故か懐からスリッパを取り出して、それでスパーンと小気味いい音を立てて、柿沼の頭を叩いた。
って、え────っ?
私はいきなりの行動に唖然、としていたら、林場が頭を下げた。
「……すまん。本当におかしなことを言い出して。ただ、そろそろマネージメント契約が進んでしまい、空いているマネージメントコースの生徒たちもそろそろいなくなりそうなのは事実だ」
「はあ……」
資格勉強している間に、クラスメイトはやることやってるんだなあと感心する。わざわざサバイバルに参加するなんて、思っている以上にクラスメイトは貪欲だ。黄色い声を上げていた子たちは、あんまり見たことないけど、あの子たちもちゃんと契約できたのかしらと暢気に思う。
林場は続ける。
「正直、今年はあまりマネージメントコースの質がよくない。だから、お前がもしなってくれたら心強い……特待生だから、成績優秀者だからじゃない。お前が、いいんだ」
……資格試験、一週間前なんだけど。
こちらをおろおろした様子で見ている桜木に少しだけ会釈をしてから、ふたりに向き直る。
「……言っておくけど、私。授業でマネージメントを習っているからって、プロみたいな行動を期待されたら困る。既に柿沼なんかはプロの仕事を知ってるだろうから、それは先に謝っとく」
「知ってるよ。特待生にそこまでの活躍は期待してないし」
柿沼はあっさりと言ってのける。
こいつ本当に性格悪いな。
私のツッコミはさておいて、林場に向き直る。
「来週、資格試験なの。それが終わってからで大丈夫? もし明日からって言われたら、ものすごーく困ります」
「……マネージメント契約をしてくれるんだったら、俺は別にそれでかまわない」
「そっか。それじゃあ」
最後に、三人全員を見回す。
柿沼は正統派アイドルフェイス、林場はクールイケメン、桜木はマスク取ってくれないと判断できないけれど不思議ちゃん系か。
この三人をマネージメントって、いったいどう調理すればいいのか。
教科書や参考書の内容を頭にグルングルンと回しながら、頭を下げる。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします」
こいつら、本当になんとかなるんだろうか。こいつらと一蓮托生になって大丈夫なんだろうか。
私は三人の署名の入ったマネージメント契約の書類を見ると、それらの諸注意をざっと読んでから、それに署名を済ませたのだ。
簿記の試験が終わり、私はぐんにゃりとする。
帰りしなにマネージメント契約をしてから渡された、それぞれのプロフィールを見る。
三人がつくったユニット名は【GOO!!】と書いてあった。【ぐー】と読むのか【ごー】と読むのかは、あとで柿沼にでも確認しないといけないらしい。
サラブレッドの柿沼は、アイドルとしての技術もだけれど、意外なことに学業のほうも優秀だ。今のところはまだ授業を休んでレッスンさせるようなことはしてないけれど。これは人としゃべる際のフリートークでネタになるから、彼に授業に出ることはもうしばらくの間は勧めたほうがいいかもしれない。
意外なことに、ユニットのリーダーに登録されているのは林場のほうだった。林場もまた学業優秀だけれど。趣味が読書、舞台鑑賞と書いてあるし、特筆事項を確認して私は「おっ……?」となった。
この辺りは芸能コースの教師が書き加えた事項だけれど、そこに書いてあるのは【舞台俳優向き】と書いてある。たしかに趣味の項目を見てもそうだったけれど……。最近はアイドルが舞台俳優に転向することもそこまで珍しくはないとはいえど、なんでアイドル……? と私はついつい首を傾げてしまった。
そしてもっと驚いたのは桜木だった。プロフィールの写真を見て、私はぎょっとする。
「なんで売り物隠してるのよ……」
マスクの下は、綺麗な顔立ちをしていた。ちょうど女の子受けするようなベビーフェイスで、はにかんで笑っているのは母性本能を刺激するには充分だ。そういえば、髪もさらさらだったし、芸能コースなのもあって、見た目を綺麗にすることが習慣付いているんだなと頷けた。
学業は可もなく不可もなくなんだけれど、音楽の成績だけが異様にいい。芸能コースでは楽譜の読み書きはミュージカルや歌唱、作詞などに必要になるから、ミュージカル俳優やアイドル、歌手を目指すなら当然学ばないといけないけれど、なんでこんなに上なんだろう。
芸能界のサラブレッドに、役者志望に、音楽の才能二重丸の三人組のユニット【GOO!!】かあ。
「なあんか……薄々わかってたとはいえど、すっごいヤな予感……」
そうは言っても一度は乗りかかってしまった船だ。もうクーリングオフはできないし、できるときは、こいつら三人を事務所に放り込んだときだけだ。
私はこいつらをどうにかして、芸能事務所に放り込まないといけないんだから。
そのためにも、一年以内に成果を上げないと。成果。この成果っつうのが厄介なんだよね。成果ってなんだよ。ものすっごく抽象的だよ。
マネージメントコースも上に上がっていくごとに、マネージメント契約している芸能コースの生徒の仕事が増えていく関係で、学校に来ないことが多くなってくる。ついこの間の私みたいに誰とも契約していない生徒は、資格試験に加えて就職試験のほうにかかりっきりになってしまって、接触できない。
先輩からアドバイスももらえない以上は、本当に手探りでやっていかないといけないんだから、厄介なんだよねえ……。
私はプロフィールをファイルにしまい込んでから鞄に突っ込むと、頬をはたく。
とりあえず、それぞれの実力を見るところからはじめよう。まずはそれからだ。
自分に気合いを入れてから、スマホアプリでそれぞれに連絡を飛ばす。マネージメント契約したら、学校からスマホを借りれるんだから、本当に特待生様々だ。
【今度のミーティングで、課題曲の訓練をしましょう】
それぞれの実力を見ないことには、こちらだってどんな仕事を取ってくればいいのか、どんなマネージメントをすればいいのかわからないんだから、頑張らないと、そう思いながら家路に急いだのだ。
****
「北川さん。所属ユニット宛に仕事依頼が来ています」
……私は、芸能マネージメントの難しさに、いきなりぶつかっていた。
マネージメント契約をしたことを学校に報告した途端に、事務所に呼び出しを受けて、こんもりとした依頼内容をさばかないといけなくなってしまったのだから。
学校用のパソコンのメーラーにもびっしり。紙のファックスのものまでこんもり。いったいどういうことなのと、愕然とする。
事務員さんは困ったように笑った。
「二世タレントだったら、早速親御さんとタイアップしたいって依頼がそこらじゅうから来ます。ただ、柿沼くんの性格だったら、なかなかお受けできないかと思いますので、きっちり断ってくださいね」
「あー……はい」
メールの文面もファックスの紙面も全部チェックするけれど、これだけ依頼が届いていて、どうして九割九部九輪が、親御さんとのタイアップなのか……そんなもん、決まっているか。
抱き合わせで売ったほうが、売れるからだ。もし柿沼隼人単品だけだったら、既にベテラン俳優なんだ。出演料だけで莫大な金額を動かさないといけないけれど、まだ駆け出しのアイドルの柿沼の場合は学院が請け負った仕事というのもあり、まだギャラだってそこまで高くはない。依頼側は平均で比較的安い値段で、親子タイアップの絵が取れる上に、柿沼隼人のファンが必ずチェックしてくれるんだから、こんなにお買い得なことはない。
でも……柿沼はそれを嫌がっているんだったら、私はそれを受け入れる訳にはいかない。
既に授業で習っていたビジネスメールの講座が早速訳に立つなんて、思いもしなかった。私は大量にお断りメールを送り付け、ファックスで依頼してきたところには、全てメールで送りつけた文面を印刷して、それをファックスで送り返したのだ。
げんなりした顔になったところで、事務員さんにやんわりと言われる。
「笑顔笑顔。芸能人を守るためにマネージャーはいますから。もし早速泥を被ったなんて知られたら、担当している子たちが心配してしまいますから」
そう口元をこんこんと叩きながら教えられ、私はどうにか顔をポーカーフェイスに戻した。今日は学校から借りた課題曲と課題ダンスで、それぞれの実力を見るのだ。借りたレッスン場に向かっていった。
****
「あっ、さっちゃん! おはようー!」
こちらにブンブンと手を振ってきたのは、Tシャツにジャージ姿の柿沼だった。なるほど、ダンスレッスンのときは動きやすい格好でとは伝えたけど、こんな格好になるのねと納得する。
しかし。
「……さっちゃんって?」
「えっ、だって特待生って、北川咲子でしょう? だから、さっちゃん」
「マネージャーとアイドルでしょ。いくらなんでも馴れ馴れしすぎない?」
「えー、だって、他人行儀過ぎない? これから一蓮托生なんだし」
そりゃそうかもしれないけど。ひとまず柿沼は置いておいて、ふたりを見てみると、意外なことに、林場と桜木はノートパソコンを広げていた。
パソコンから流れてくるのは課題曲だし、少しだけモニターを覗いてみれば、3Dの女の子が課題の振り付けを踊っていた。
「なに、その動画」
「ああ。来たか、北川。これは桜木がつくってくれた動画だ。振り付けを一発で覚えられる柿沼と違い、俺たちは何度も反復練習しないと覚えられないから、確認していた」
「……うん、歌はすぐ覚えられたんだけれど、ダンスのほうは、苦手だから……」
んー? 私は少しだけ眉を潜めた。
使った課題曲は、はっきり言って少し難しめなものを選んでいた。有名アイドルプロダクションでも使われている課題曲と振り付けだし、これが全部踊れたらすぐに仕事を取ってきても差し支えないだろうけれど、それが無理なら、課題を潰していく練習やフォーメーションを考えていかないといけないんだから。
私が課題を与えたのは三日前だ。どちらも三日前ならそこまで完成してないと思ってたのに。そもそも、三日前に与えた課題で動画作成って、いったいどうなってんだ。さすがに動画のことに関しては、私もあまり知識がない。
とりあえず、私は課題曲をパソコンで流しはじめる。
「それじゃ、早速見せてもらうから。見るのは歌唱力、ダンスに、それぞれのフォーメーション。はい、はじめ」
手をパチンと叩いたところで、それぞれがフォーメーションに立つ。
てっきりセンターに入るのは柿沼だと思っていたのに、入ったのは桜木だった。マスクを外して、ジャージのポケットに捻り込む。
それぞれがマイクの電源を入れて、歌いはじめた途端。私は三人を凝視した。
……はっきり言って、一番侮っていたのは桜木だった。プロフィールから見ても、一般家系の子だし、あまりにもおどおどしていたものだから、アイドルとしては大丈夫なのかと。だけれど、この流れてくる甘い歌声はなんだ。
桜木の甘い声、柿沼のハスキーな声、林場の低いテノールの声が重なり、溶け合い、弾け合う。
ダンスのリズム。左に立った柿沼のダンスには迫力があり、林場のダンスは流すかのようだった。桜木のダンスはセンターで歌を歌っている関係でそこまで激しくはないものの、それが目立たない。
やがて位置が変わり、センターに入ったのは林場だ。
声の重なりも変わる。ダンスもここからがだんだん難しくなる場面だ。
本当だったら、もっと駄目な部分にチェックを入れて、課題点を探らないといけないのに。わかっているのに、私は手元のボードになにも書き込めないまま、三人を凝視していた。
ダンスが一番難しい部分は、さすがに柿沼がカバーを入れているものの、目立ち過ぎないように林場のカバーが入る。そして桜木のダンス。振り付けは合っているものの、どことなくぎこちなくって洗練されてない。でもそれが初々しくも見えるし、彼の歌の上手さを損なうようなことはない。
やがて。曲は終盤。最後の最後でようやくダンスが決まった。
私はしばらく放心していた。ボードにはまだなにも書き込まれてない。
「ねえねえ、さっちゃん。どうだったどうだった!?」
そう言われて、ようやく我に返る。
「……すごかった。たった三日よね。私が課題曲と課題ダンス上げたのは」
「そりゃできるよー。これ、ダンスの授業でさんざんやったやつだし!」
「柿沼、お前の基準で語るな。俺たちは結構いっぱいいっぱいだ」
「え……林場くん、すごかった……僕は本当に、くたくたで……」
そのままぺたんと桜木は座り込んでしまった。三人とも汗がすごく、私は慌ててタオルを持ってきて、三人に投げつける。体を冷やしてはいけない。それぞれにペットボトルも配りながら、私は三人の前に座る。
正直、まだ五月だ。できてから三週間くらいしか経ってないユニットが、ここまでできるとは思ってなかった。
たしかに柿沼はあまりに動き回るから、少し落ち着かせないとお客様が疲れてしまう。桜木はダンスがぎこちないし体力もないから一曲だけですぐへばってしまうから、スタミナを付けないとライブの依頼が入ったら体がもたない。対照的なふたりのフォローばかりを続けて、林場は自分の仕事に専念しきれていない。
でも、それ以上にこの三人は互いを引き立たせている。
世の中ってマイナスを埋めればプラスになるって言うけれど、それは返って個性を失わせてしまうから、ただ凡庸なだけになりかねない。それを三人はしっかり相乗効果で互いの魅力を引き上げているのだからすごいんだ。
……はっきり言って、柿沼の二世封印は特技の封印だと思っていた。もしかしたら、柿沼もそれはわかっていたのかもしれない。だから、自分を磨いたんだろう。例え両親のことが公表されたとしても、それに負けないだけの実力を。
ふいに、柿沼と目が合った。
こちらを探るような、計算高い目だ。……こいつ、多分実力とかそんなの抜きにして、二世タレントで売る方針をさんざんぶつけられたことあるな。きっと。ふたりもそのことは知ってるみたいだったし。
私は、喉を鳴らした。
「……あなたたちに、依頼が来ていました。あなたたちがマネージメント契約したのと同時に、あなたたち目当てで」
九割九分九厘は、柿沼の意見やふたりのことを考えて断った。
たしかに、柿沼「だけ」を売るのなら、親子タイアップの依頼は受けたらたちまちヒットだっただろうけれど、それだと林場と桜木を売ることができない。
私は大量のメールとファックスをさばき続けている中、一厘はそれ以外の仕事が来ていることに気付いた。町起こし系の依頼はそもそも響学院の芸能コースに向けて届いているものだから、ぶっちゃけてしまえば誰でもいい依頼だ。
でも、誰でもいい依頼だったら、【GOO!!】が取ってもいいはずだ。
その中から、アイドルらしい依頼、三人で問題ない依頼を選別したところ、一件よさそうなものが見つかった。
私はファックスを三人に見せた。
「スーパー銭湯の宣伝ライブ。三人にはそこでライブを行ってもらいます」
スーパー銭湯でのライブは二曲のライブにMCの計十五分構成。
場所はフードコートの特設ステージになるから、メインが食事な以上、こちらに視線誘導をしないと見てもらえない。でも食事の邪魔だと思われたらそっぽを向かれてしまうから、視線を集めつつ、邪魔にならない程度に行わないといけない難しいものだ。
私がファックスの仕事依頼をコピーしたものをそれぞれに配ると、途端に皆の目が真剣になる。
「ふうん……場所がフードコートだったら、あんまり派手に動けないね。ダンスはしても緩めの振り付けじゃなかったら埃が立つから。歌メインでライブ内容考えないといけないから、結構大変だ。場所の確認したいから、そのスーパー銭湯に行ってみたいけどいいかな?」
柿沼の言葉に、林場も頷く。
「いくら響学院の名前を使っていても、外に出たら新人アイドルだからな。電車で行ける距離だし、悪くはないか。桜木は?」
「う……うん……音響とか、確認したい、かな?」
思ってる以上に真面目だ。この辺りは私も経費はどれだけ使えるのか事務所で確認してから、ひとりで見に行こうと思ってたのに。
「一応行っておくけれど、遊びじゃないからね? あくまでライブの確認だから。それじゃ、それぞれのスケジュールは? それまでに曲と振り付けをダンスの先生と音楽の先生に発注かけておくから」
私は意を決してボードに書き込みを入れると、それぞれのスケジュールの確認を取り、結局は日曜日に皆で下見に出かけることになった。曲と振り付けをもらったら、それでレッスンだし、メイクと衣装の発注もかけないといけないから、本当に大変だ。
****
私は依頼者のスーパー温泉からライブステージのセットの写真をもらうと、ファッションデザインコースまで走って行った。
「琴葉! 早速依頼だけれど」
「はあいー。でも驚いちゃった。さっちゃんがまさかマネージメント契約するなんて思わなかったなあ」
私がステージの写真を持ってくると、琴葉はさっさかクロッキー帳から服のデザインをたくさん見せてくれて、理想の形を探してくれた。採寸はこれからだけれど、先にデザインを決めないといけない。
スーパー温泉だし、あんまり激しいダンスもないから浴衣もいいかなとは思ったものの、歌を歌うときに苦しくないようにしたいから、やっぱり洋服のほうがいいかなと、シンプルなシャツとスラックスをあまり普段着っぽくないデザインで頼むことにした。カラーリングはライブステージの色に合わせて、赤と白、青のトリコロールカラーだ。
私が指定したデザインで、さらさらと琴葉はデザインを描きつつ、笑いながら言う。
「でも、わたしはよかったと思うなあ」
「なにが?」
「うん、さっちゃんが煮詰まっちゃうんじゃないかと思ってたから、心配してたもの。もちろんさっちゃんが高校卒業したら即就職しないといけない事情はわかってる。でもね、高校時代って今しかない訳じゃない。お金は必要だけれど、それだけに引きずり回されたら、いつか爆発しちゃうんじゃないかって思ってた。他にやりたいこと見つかってよかったなあ……」
「うーん、ひとつは。あいつらが金づるになると思ったから」
「金づる」
琴葉が目をパチクリとさせる中、私は力説する。
「あいつらの歌とパフォーマンスをこの間見せてもらったけれど、それは充分磨けば光る逸材だった。この間までマネージメントのマの字すら知らなかった私ですら思うものだったもの。あいつらを一度ライブさせれば、絶対にSNSで拡散される。そしたら、絶対にスカウトが来る。事務所にさっさとあいつら入れれば、私は晴れてお役目ごめん。その経歴ひっ下げて、華麗に就職決めてやるわよ」
私の言葉に、琴葉は引きつった顔をして、背中を仰け反らせた。……なんでよ。クロッキー帳には、私は指定したデザインを元に起こしたライブ衣装のデザインが上がっていた。
「……う、うん。そうだね。まずはライブを成功させないといけないもんね、うん」
「当ったり前よぉ。だから、琴葉に衣装を頼むんだからさ」
「うん」
元々、琴葉はアイドルが好きで、自分のつくったデザインの衣装を着たアイドルを大きなライブ会場で関係者席から見たいって夢がある。そのために、他の芸能コースの衣装のデザインを受けながらもアイドル志望の子たちへのアピールを忘れていない。
まずは、私の友達の夢を叶えさせたいじゃない。私と違って、そういう子たちの夢は尊重すべきなんだからさ。
****
日曜日になり、私は制服姿で待ち合わせしていたものの、私よりも早く待ち合わせの駅に来ていた林場は、ぎょっとした顔で見ていた。
林場の着ている服は、量販店が最近発売したゲテモノ柄のTシャツにジャケットとスラックスを合わせているんだけれど、姿勢がいいのか、合わせ方がいいのか、妙にそのデザインが似合う。
「……なんだ、北川。制服なのか?」
「そうだけど? だって私、依頼者のオーナーさんともお話しないといけないし」
この間、事務所を通してつくってもらった名刺を見せると、林場は微妙な顔をした。なんで。
「そうか。俺たちは単なる下見だけれど、お前にとっては初の打ち合わせになるのか」
「うん。だから、私が打ち合わせしている間は、三人は好きに遊んでおいてよ」
「一応俺たちも下見だからな? 別に遊びに来たつもりは」
「今回のことは事務所にも確認したけれど、ちゃんとした仕事だし、もろもろのお金は経費で落ちるから気にしなくていいのに」
「細かいな!?」
別に気にしなくってもいいのに。仕事をさせてもらえる以上は、こちらも相応の期待に応えないといけないんだし。
私は林場の言葉に首を捻っていたら、「おーい」と手をぶんぶんと振ってきた。柿沼だ。ぶかぶかの帽子に、有名スポーツメーカーのロゴの入ったTシャツにジャージ姿。そして私の格好を見て、林場と同じく驚いた顔をする。
「なんでさっちゃん制服なの!?」
「林場にも言ったけど、打ち合わせだから。まさかリクルートスーツで行く訳にはいかないでしょ」
既に型落ちのものを確保しているものの、まだそれを着る機会は得ていない。それにますます困惑した顔をして、柿沼はバタバタと手を動かす。
「だって! 折角遊べると思ったのに!」
「仕事だから」
「全部打ち合わせに終わるのもったいないじゃん!」
「経費使ってるんだから。お金は大事」
「君ってほんっとうに変だよね!?」
それをあんたが言うか。私は髪を指で梳きながら押し黙っていると、「お、おはよう……遅れた?」とおずおずと桜木がやってきた。
むしろ内ふたりが早過ぎるだけで、桜木は待ち合わせ時間の五分前に来たんだからこんなもんでしょう。相変わらずのマスク姿もだけれど、下はヒップホップ風のスカジャンにジーンズだ。似合うけど、相変わらずマスクは外さないんだなあ。
「大丈夫、時間は合ってるから。それじゃ行こうか」
「う、うん……あれ、北川さんは、制服?」
「オーナーさんと打ち合わせがあるし」
「で、でも……わ、るいな……」
相変わらず歌以外では滑舌が悪いものの、何故三人揃って同じことを言うのか。別に友達で遊びに来た訳でもないでしょうに。
「あのねえ。仕事なんだし経費なんだから、私がそれを使っちゃ駄目でしょ。担当アイドルが使うのと、マネージャーが使うのだったら全然違うんだから」
「えっと……そうじゃなくってね。僕たち三人が遊んでるのに、君ひとりを仕事だけさせるのは、申し訳ないな……と」
そう耳を真っ赤にさせて言われると、こちらも面食らう。だから、マネージャーなんだってば。それにあっさりと柿沼までも「そうそう」と強く頷いてきた。
「もちろん、仕事はきっちりするよ。でもさ、お客さん視点にならなかったら見えないことって多くない? 打ち合わせが終わったら、一緒に見て回ろうよ! 仕事が終わった打ち上げだったら、文句ないでしょ?」
「で、でもね……」
「でも?」
それに私は明後日の方向を向く。
「……経費以外のお金、持ってきてない」
「なんで!?」
「仕方ないでしょ!? 私、ほんとーっっっっに、お金ないんだから!!」
そんなこと言わせるなよ、恥ずかしい。ものすっごく恥ずかしいんだからね!?
私が顔を真っ赤にして俯いてしまうと、林場は「ふむ」と顎を撫でる。
「おごるというのは嫌なんだな?」
「借りをつくるのは返せないのでとても困りますっっ」
「なら入場料金の分だけ遊べばいいんだよ。結構タダのオプション多いしね、スーパー銭湯って」
「そ、そうなの?」
はっきりいって、スーパー銭湯なんて最後に行ったのは小学生のときだから、今はどんなもんなのかなんて知らない。それに桜木はさっさとスマホを動かしてサイトを見せてくれた。
「えっと……これ。さすがにフードコートは、お金がかかるけれど、よっぽど高いものでない限りは経費で大丈夫だと、思う……」
……タオルただ。シャンプーリンスただ。温泉で着る水着無料貸し出し。館内ルームウェアただ……。はあ、相場なんて全然知らなかったけれど、ここまで安くしてたら、そりゃ人を呼んで客層集めようとするわ。
私はただただ感嘆の溜息を吐いていたら、そのまま柿沼はにこやかに笑う。
「それじゃ、早速行こうか。電車電車」
「うん」
私たちは電車に乗り継いで、早速目的の場所へと向かったのだ。
しかし、まあ……。私は少しだけ首を捻っていた。桜木はどうだかよくわからないんだけど、柿沼と林場はどちらかというと遊びに行くってスタンスで仕事に臨むとは思っていなかった。もちろん今日は打ち合わせと下見だから、半分以上は遊びなんだけれど。
これは単純に交流会だと思ったの? なんか引っかかるんだよね……。
魚の骨が喉に引っかかったような違和感を覚えながら、ひとまずは打ち合わせのことだけを考えようと思ったのだ。
****
意外だなあと思った。
最初に仕事を取ってきたのは、ほとんどのマネージメントコースの子たちは仕事をそのまんま取ってきて、捌いてなかった。だから仕事は父さんとのタイアップとか、家庭訪問とか、そんなのばかりだった。
だからそこを泣くまで難癖付けたら、簡単に脱落した。もう駄目って思わせたら、あとは転校の話を囁けば、簡単にそれに乗って逃げていったのに、さっちゃんはそれがない。
それどころか、これを「打ち合わせだから」「仕事だから」ばかり言う。一応顔はいいから、遊びに誘えば簡単に乗ると思ったのに、経費以外持ってこないような徹底ぶりだ。
頭が固いと言えばそれまでなんだけれど、そもそもさっちゃんはマネージャーになる気はなかったはずなんだ。それがすぐにマネージメントムーブして、大量に来ていたはずの仕事依頼を捌いている。
この子は、他の子とは違うのかもしれない。
お金にがめついのもそうだけれど、なにか訳ありなのかな。
「あんたうるさいのに、いきなり黙り込んだけどなに? 乗り物酔いするタイプなの?」
「えっ?」
オレの思考は打ち消された。こちらを胡乱げに見上げてくるさっちゃんの顔が目に飛び込んでくる。仕事とはいえど、制服姿だし、遊びに来た感じが本当にしない。名刺まで持参しているし。
オレは気を取り直して笑う。
「ううん、なんでもないよ。ただ楽しみって思っただけ。初ライブ!」
「ふうん……まあ、ちゃんと成功させるから」
彼女はこちらに照れることもなく言う。
そういえば、さっちゃんは男子に取り囲まれても照れることも動揺することもない。こちらをさっさとあしらってくるだけだ。オレはなにげに聞いてみる。
「あれ、さっちゃんって男のあしらい方上手い?」
「別にー……ただ、同年代は子供に見えるだけ」
「えー、同い年じゃん」
「同年代は子供でしょうが。私からしてみたら、皆弟にしか見えないわ」
そうあっさりと言われてしまった。弟……?
少しだけ引っかかったけれど、ひとまずは笑っておくことにした。オレたちのやり取りを見ていたみっちゃんが、そっと小声で聞いてきた。
「おい、まだ彼女を追い出す気か?」
みっちゃんからしてみれば、ずっとうちにやって来ていた、芸能人に憧れているだけの子も、二世タレントで売り出そうと安易に走る子も辟易していたから、真面目で頭の固いさっちゃんみたいな子がちょうどよかったんだろう。
でもなあ。オレはにこにこと笑って答える。
「考え中」
まだ、初仕事も終わってないから、その考えは保留しておこうかな。
私は一旦皆に入場料を出してから、「二時になったら私もそっちに行くから」と伝えてから、オーナーさんと打ち合わせに向かう。
ノートを取り、オーナーさんと話をする。
「はい、今度スーパー銭湯のアイドルの【HINA祭り】が来るんです。その前座を務めてくださればと」
「【HINA祭り】ですか」
私は手帳に書き留めながら唸る。
たしか【HINA祭り】は全国のスーパー銭湯を巡ってライブ活動をしている女子アイドルだ。最初はあまりにも色物扱いされていたものの、ずっとハッピ姿に改造浴衣でライブ活動を続けて、全国行脚の追っかけまでできるくらいの知名度にまで成長を遂げていたはずだ。
うーん……女子アイドルのファンは、基本的に女子アイドルにしか付かない。【GOO!】の場合はまだ駆け出しなんだから、変な色は付けたくないんだけれど。
オーナーさんは続ける。
「時間は十五分ですので、リハーサル時間と本番で、お客様を沸かせてくだされば」
「リハーサル……そちらはどれだけいただけますか?」
「こちらも本番と同じスケジュールで、最終確認できればと思います」
つまりは、リハと本番の計三十分で、少しでもお客さんに顔を覚えてもらえればいいって訳ね。私はそれらを手帳に書き加えてから、本番までの日程と段取りまでを聞き出して、手帳に書き加える。
オーナーさんはにこにこと笑っている。
「本当に……うちはいつもいつも響学院さんから新人のアイドルをライブに出してもらって助かっているんですよ。うちにファンの方々が巡礼地として見に来てくださることもありますので。今年も期待しております」
「いえ。こちらこそご依頼、本当にありがとうございました。うちのアイドルを、どうぞよろしくお願いします」
そう言って頭を下げてから、打ち合わせを終えたのだ。
そっか。毎年毎年、うちの先輩方がここでライブをやってたんだね。このライブに応募したのはうち以外はなかった。はっきり言ってあまりお金は入らない上に、初ライブが十五分の前座ということで躊躇するのはわかるつもり。なによりも、うちの学校の生徒だったら誰でもよかったという感じだしね。
でも逆に言ってしまえば、誰でもいい枠でもいいから食い込めば、名前を覚えてもらえる。歌を覚えてもらえる。……もちろん、ただ歌が上手いだけだったら「なんだか知らないけれど歌が上手いアイドルが来ていた」くらいにしか覚えてもらえないから、それ以外で来ているお客さんを突き刺さなければいけないんだ。
考えることがいろいろあり過ぎる。
私はそう思いながら、スマホをタップした。連絡したのは林場だ。
「もしもし。打ち合わせが終わったから、これからそっちに」
『ああ、よかった。ところで、昼食はどうする?』
「私は着いたら食べるから……ちょっと待って。三人はまだ食べてなかったの?」
下見とはいえど、私が打ち合わせ中は遊んでいると思っていたし、ご飯も先に食べているとばかり思っていた。私の問いに、林場が固い言葉で返す。
『迷子を見つけて、ずっと親御さんを探していた』
「サービスカウンターに連れて行けばよかったでしょ。その子は?」
なんでいきなりトラブルを拾ってきてるの。私は思わず額に手を当てていたら、林場は再び固い声。
『それが、すぐに走ってどっかに行くから、追いかけっこ状態でなかなか捕まらないんだ。捕まえるたびに逃げ出すから、ずっと追いかけっこを継続している』
「あんたたち三人いるんでしょ!? なんで捕まえられないの! ちょっと、すぐ行くから!」
親御さんだって、子供が迷子だったら探してるだろうに。私は林場に場所を確認してから、急いでスーパー銭湯に入っていったのだ。
****
スーパー銭湯では貸し付けのルームウェアでうろうろしている人たちが多数目立つ。てっきり、皆銭湯で浴衣を借りるのかとばかり思っていたけれど、そうでない人も割と多いし、銭湯に全く入らずに漫画コーナーでゴロゴロ転がっている人たちもいる。
カラオケルームのキンキンの声を耳にしながら、私が辿り着いた先には。何故か小さい男の子を肩車して、ルームウェアでうろうろしている柿沼と桜木の姿だった。
「いないねえ」
「いないなあ」
まるで親子のように同じ顔をして、うろうろしている柿沼と男の子に私はこめかみを指で弾きながら、ひとまず桜木に声をかける。
「……さっき林場から連絡あったけど。これなに?」
「ああ……お疲れ様、北川さん……うん、追いかけっこしていた子が、ぐずり出したから、こうして柿沼くんが肩車して、親御さんを探してるの……」
「ふうん……林場は?」
「林場くんは……迷子センターのほうに、子供を探している親御さんがいないか確認。あの子もひとりで迷子センターに行くのが嫌みたいだから、少しずつ迷子センターに向かってるの」
「なるほど」
わんぱくらしい男の子は、ぶらんぶらんさせている足でガシガシと柿沼の胸を蹴っている。
「いなあい……おとうさんもおかあさんも」
「うーん、なら探せそうなところ見つけよっか」
そのままゆるゆると歩いて行くと、そのままフードコートまで移動する。
私はちらっとフードコートにあるステージを見た。普段からいろんな催し物をやっているらしく、ステージの背景は程よくチープで、台もつるんとはしてない動きやすいつくりらしい。
今はライブをしてないせいか、そこのステージに座っている人たちや、そこの周りで追いかけっこしている子供で賑わっているみたいだった。
柿沼はステージに「よっ」と立つと、ぐるりと見回る。
「うーん、ここにもいない?」
「わかんなーい。おっきいひといっぱい」
「そっかそっか。あっ、さっちゃーん」
ぶんぶんと私に手を振ってきたので、私は怪訝な顔でそちらに寄っていく。
「さっき林場から連絡来たけど……この子いい加減迷子センターに連れて行ったら? 今日は休日よ? いくら肩車してるからって、探すの無理でしょ」
「えー……オレさあ、そういうのってあんまりよくないと思うんだよねえ……知らない人に囲まれて、事務的に処理されるのって」
いきなりなにを言い出すんだ。私は少しだけ目を細めるけれど、男の子はガシガシ柿沼の胸を蹴って「いーなーいー」と駄々をこねているのを、柿沼がときどきトントンと足や姿勢を正してあげると、きゃっきゃと喜ぶ。
「うちさあ、父さんが現役でテレビに出てるから、あんまり一家団欒で旅行とかできなかったんだよねえ。しょっちゅうテレビ局が芸能人のホームビデオみたいな形で家にやってくるから、プライベートなんてその辺がきっちりしてる響学院に来るまでなかったし」
「あー……」
有名税とはいえど、まだ何者でもない子供が、一挙一足を囁かれ続けるのは、気苦労が耐えないのかもしれない。
響学院は卒業生に大物芸能人を大量に輩出している関係で、芸能界にもそこそこ意見が言える口だ。生徒のプライベートをマスコミに売るような真似はしないし、それをした雑誌や出版社は完全に敷地内を出禁にしている。
ずっと大人の監視の目があった柿沼からすると、遊びに来たばっかりなのにいきなり大人しかいない迷子センターに連れて行くのは可哀想って気持ちが沸くのかもしれないけれど、でもどうやって親御さん見つけるっていうのよ。
「ただいま……やっぱり迷子センターにもこの子の親御さんの連絡はまだらしい。探しているのかもな。ほら、カラオケルームから借りてきたぞ」
「あっ、お帰りー、みっちゃん。ありがとうー」
そう言って柿沼はマイクの電源を入れる。それを肩車されている男の子は不思議そうに見ている。
……ちょっと待って。まさか。
「きょ、今日はライブじゃないっていうのに、いきなり歌うのは駄目じゃない!? あんたたち、契約っていうのをわかってる!?」
「でもさあ、この子の親御さんとずっとすれ違い続けるのも癪だし。ならここで歌っちゃおうかと」
待って、さすがにこれは……! 私はとっさにステージを確認する。今日はライブは入ってないらしく、項目は書いてない。
私は踵を返して、三人に指を差す。
「オーナーさんに話を付けてくるから! あんたたち、ここでライブ以上のことはすんなよ、絶対にすんなよ。迷惑かけるのは私だけにしなさい!!」
そう言って、人混みを掻き分けて走りはじめた。
あーん、もう。こいつらなんなの、自由過ぎ! ……そりゃ、あの子の親御さんをライブして集客して、それで見に来た人の中から探そうっていうのはわかる。わかるけどさ!
多分あいつら、いい奴らなんだろうな。そう思いながら、私は再び関係者通路へと駆け込んでいたのだ。
****
「だから言っただろ、やったらマネージャーが絶対に止めるって」
「でもさっちゃんは走って行ったでしょ。オーナーに許可を取りに行くって」
芸能人がゲリラライブを行ったら迷惑になるから、基本的には禁止されている。特にうちは今度ここでのライブが決まっているから、同業者に迷惑かかるし、うちの学校の卒業生がつくってきた、スーパー銭湯でのライブ枠が最悪今回の件で消失するかもしれないから。
でもあの子は、止める前に走っていった。
「……思ったけど……柿沼、くん。北川さんのこと、信頼してきてるの……?」
「まだ保留。だって、これくらい走ってくれないと、オレたちだって安心して背中預けられないでしょ」
オレは肩車している子をポンと叩く。
「今からちょーっと大きな声が出るから、今のうちに耳を塞いでおいて」
「うんっ」
その子はオレに細っこい足を絡ませて、律儀に耳を両手で塞いだ。うん、いい子。オレたちはそれぞれマイクに電源を入れると、さっき走って行ったさっちゃんが戻ってきた。
両手で丸をつくってることからして、許可は下りたらしい。
オレたちが同時にマイクの電源を入れた途端、プツンという音がフードコートに響いた。途端にステージに一斉に人の視線が集まってくる。それにゆうちゃんは少しだけ怯んだ顔をしたけれど、みっちゃんがあっさりと言う。
「怯むな。これが客の視線だ。俺たちがこれからずっと浴び続ける視線だ。それが全部好意的とは限らない」
「う、うん……」
生真面目だなあ、みっちゃんは。オレはそう思いながら、片手を上げた。
『みんなーっっ、こんにちはー【GOO!!】です! これからライブを行いますので、食事しながらでいいので聞いてください!!』
途端にイントロが流れはじめる。さっちゃんが音源を持ってきてくれたらしく、学校の課題曲が流れはじめた。
周りが突然のライブできょとんとした顔をし出した。あがり症のゆうちゃんはおどおどして、マスクに手を伸ばすけど、みっちゃんがすぐに止める。
「お客さんに失礼だ。マスクは禁止」
「う……うん……すごいね……人」
「ああ」
覚悟を決めたゆうちゃんが、早速歌い出した途端に、一部がざわつきはじめた。
ああ、やっぱり。ゆうちゃんの曲のファンがいた。続いてみっちゃんのソロパート。オレのソロパートと続いた途端、最初は怪訝な顔で見ていた視線が、集まりはじめる。
「あれ、嘘。ゆうPの声に似てる!?」
「歌無茶苦茶上手い……ひびがくの新しいアイドル?」
「あの子ダンス上手い!」
だんだん好意的な視線に変わってきて、ステージにひとり。またひとりと近付いてくる。
知ってる。お客さんは格好いいもの、可愛いもの、頑張っているものが好き。半分くらいは怪訝な顔で突発ライブを見守っているだけだけれど、一割一分……ううん、百人にひとりでも気になってくれたら、あとは芋づる式で人はやってくる。
「あー、おかあさん!」
この子が声を上げた。見てみると、突然はじまったステージを怪訝な顔で見ていた人たちの中で、慌てて行列を掻き分けてこちらに寄ってくる夫婦っぽい女の人と男の人がいる。
ふたりが踊って位置を変えている間に、オレはようやく肩車からこの子を降ろしてステージに立たせると、ようやく行列から抜け出せた親御さんたちがこちらに走り寄ってきた。
「きみくん! 本当に、すみませんでした!」
みっちゃんが歌を歌っている間に、この子のお母さんが慌ててきみくんと呼ばれているこの子を抱きかかえて、何度も何度も頭を下げた。すると、今までステージの脇に立っていたさっちゃんが寄ってきて、親御さんとこの子になにかを言った。
こっちからじゃ、なにを言っているのかわからないや。
そう思っていたら、こちらに三人が並んで曲を聞きはじめたから、多分ライブの宣伝をしてくれたんだろう。
オレはステージに戻ると、また歌いはじめる。
ライトはない。音響だって即興だから、ただ曲が流れているだけ。でも、悪くない。
ようやく最後のフレーズが終わって、曲が終了した途端。
「おにいちゃんすごい!」
途端にあの子が拍手をはじめたのだ。
最初はパラパラとしたものだったけれど、だんだんその音は、フードコートを包んでいった。
オレたちは互いに拳を交わしてから。大きく手を振った。
『ありがとうー! 今度の日曜、またここでライブを行いますので、よかったら来てください!』
鳴り止まない拍手の中、そう宣伝したのだ。
ステージの脇でさっちゃんが睨んでいる。口で小さくなにかを言った。
多分、「バカ」だ。
いいじゃない。保留にしていたけれど、少しだけは認めてあげるから。
休み明けに事務所に出かけたら、案の定事務員さんにしこたま怒られた。
「アイドルには縄張りというものがあります、うちの学校はあくまでスーパー銭湯さんの好意で仕事をさせてもらっているのであって、そこの縄張りを荒らしちゃいけません。先方には許可は?」
「いただきました……突発的だったんですが、事情を説明して」
【GOO!!】の皆は、私が事務所で怒られていることは知らないはずだ。アイドルの泥を被るのがマネージャーの仕事なのだから、つまりは怒られるのは私の仕事な訳で。
事務員さんは私の突発ライブのことをさんざん説教したあと、ようやく顔を緩めた。
「それで、迷子の子の親御さんはちゃんと見つけられたのね?」
「はい。それはあいつら……うちのアイドルたちがちゃんと見つけてくれたので」
「うん。まずは小さくとも、ファンを見つけたのなら、いいことね。でも、あそこは基本的に【HINA祭り】さんの縄張り。くれぐれも【HINA祭り】さんのファンに目を付けられないようにね」
「はい……このことは注意しておきます」
事務員さんにそう言ってから、最後に【GOO!!】の依頼内容を確認し……相変わらず、親子ブッキングの仕事が多い……お断りの謝罪メール、ファックスを送り、残りはスケジュールが難し過ぎると謝罪メールを送ってから、出て行ったのだ。
はあ……思わず溜息だって出るというものだ。
ちゃんとお金になってる? この投資は間違ってない? 実地に勝る勉強はなくって、いくら座学でマネージャーのノウハウは学んでいるとはいえど、アイドルのほうが突発的なことをしてしまったら、私はそれに引きずり回されてしまう。
まだ前座ライブすら終わっていないのに、こんなんで大丈夫なのかな。私はそう思いながら校舎まで行こうとしたら。
「北川」
呼ばれて振り返ったら、林場が立っていた。眉を寄せている。
「ああ、林場。昨日はお疲れ様。いきなりのライブだったけど、ちゃんと休めた?」
「それは問題ない。昔から布団に入ったらすぐに寝られる性分だから……北川、昨日は済まなかった」
そう言って頭を下げられたことに、私はおろおろとする。
いやいやいや、いきなり頭を下げられても。
「ちょっと顔を上げてよ。私は別にあんたに謝られる覚えはないってば」
「だが、俺たちのせいで、お前は事務所からさんざん怒られたのではないか?」
「怒られるのも、仕事のうちだから。あんたたちが、さっさと事務所入りしてくれたら、私の苦労も帳消しになるんだから、そこは気にしないで」
そう言うと、林場は「むぅ……」と唇を尖らせた。
「俺たちのマネージャーになってくれて、続けてくれていることに本当に感謝しているんだ」
「なんで?」
正直言ってしまえば、【GOO!!】の奴らは、私とマネージメント契約なんて結ばなくっても、順調に学内オーディションを受ければ、事務所入りできそうなんだ。だからわざわざ林場に待ち伏せられてまで言われる覚えがない。
林場は少しだけ端正な顔を歪める。仏頂面をしても、顔がいい奴は顔がいいままだ。
「……うちは少々問題ありの奴しかいないからだ。俺も、元々はアイドルを目指していた訳じゃなかったし、桜木に至っては人前に立つのに不得手だからな……本番には強いのは、昨日のライブを見ていてもわかったが」
「そう? あんたたちはよくやってるじゃない。マネージメントコースの他の奴らで、あんたたちを磨けないなら、それは単純にあんたたちの素材と向き合ってないだけ。あんたたちはなんにも悪くないでしょ」
「そう言ってくれて、助かってる……あとひとつだけ」
「なに? そろそろ予鈴が鳴るけど」
これだけ言いたかったのなら、普通にアプリのIDくらい交換してるんだから、アプリで連絡くれればいいのに。なにが言いたいんだろ。
私はますますわからないという顔で林場を見ていたら、ようやく林場は口を開いた。
「……もし、柿沼が馬鹿な真似をしても、それはあいつの本心じゃない。あいつも相当こじれている奴だが、本当に悪い奴じゃないんだ。あいつが馬鹿な真似をして、本気で嫌だって思ったのならリーダーとして俺が止めに入るから。もし、あいつが嫌だって思っても」
柿沼も、人懐っこい言動かと思いきや、結構口は悪いし、なんか訳ありなんだろうなと思ってはいたけど。わざわざ林場が忠告に来るほどのものだったのかね。
廊下の窓からは、がやがやと生徒が校舎に吸い込まれていくのがわかる。
事務所は職員棟にあって、マネージャーコースの教室はその上。他の校舎は渡り廊下で行けるはずだ。そろそろ階段を上らないと駄目だよね。そう考えていたら、やっと林場は絞り出すように言う。
「どうか、マネージャーを辞めたいなんて、言わないでくれ」
そのひと言に、私はどう反応すればいいのか考えあぐねる余裕は、予鈴のチャイムが許してくれなかった。
林場は「放課後、またよろしく」と言って私の隣をすり抜けていくのに、私は「うん」と愛想のない返事をしながら、髪に指を突っ込んで考え込んだ。
それ、どういう意味? 柿沼はややこしい性格をしているとは思っていたけれど、この間のライブで少しだけわかったような気がしていたのに。
「……マネージャーって、アイドルと仲良くなる必要あるのかなあ」
商品を商品として送り出すのがマネージャーの仕事だけれど。
でも彼らには感情があって、決して彼らの感情を切り売りしてはいけない。ただ芸能人の一部分は愛せても、一部分は愛せないなんていうのはよくある話で、どの側面を売るのかはマネージャーが決めないといけない。
コミュニケーション取って、あいつらのことをもっと知る必要があるのかなと、私は大きく溜息をついた。
****
今日はライブの曲を決めて、それに沿った練習をしないといけないんだけど。MCで言っていいことや言ったら駄目なことは、この間オーナーさんと話をしてきたから、その辺りを踏まえて確認しないと駄目なんだけど。
私は食堂でサンドイッチを食べながら、手帳を広げてあれこれと書いていると。
「大変だねえ、初ライブ。毎日あっちこっちに根回しや許可取りして」
そう真咲に言われて、私は少しだけ手帳に書き込んでいた手を止める。
「……マネージメント契約してる子たちって、しょっちゅう授業抜けたり、公休使ってるから、いったいなにをやってんだろうって思ってた。そりゃ授業抜けたり公休使わないと、時間のやり繰りなんてできないって、今思ってるところ」
「そうだねえ。まああたしもライブの前になったら化粧の手伝いに行くけどさあ」
がっつりは化粧しなくっても、薄くは化粧しないと駄目。アイドルは客商売だから、肌を傷付けるなとやきもきしつつも、手を入れさせてもらわないといけない。
メイクアップコースの知り合いなんて真咲しかいないから、手を合わせて頼んだら了承してもらえたけど。琴葉は芸能コースから大量に衣装の発注をされて、目を回るような忙しさで、最近はずっと被服室から出てこない。ときどき食堂に来ているときは、もっぱらクロッキー帳を動かして新しいデザインを描いているときくらいだ。
「ごめんね、休みの日に時間もらって」
「あたしも芸能コースに知り合いってそんなにいないから、ライブってのもどんなんか見せてもらえるから楽しみなんだけどね。そういえば、この間あいつらが問題起こしたんだって? 突発ライブ」
「うう……」
私が事務所で怒られていた理由は、それだ。
昨日のライブに、運悪くうちの学校の追っかけの子たちが、SNSに動画を上げてしまったのだ。うちの学校は基本的にまだデビュー決まってない生徒に関しては個人情報だからと、生徒にもよそにも動画公開は禁止している。今は学校が動画を上げた子たちに話をして削除してもらったけれど、それでも一度流れてしまった動画はコピーされて回されてしまって、なかなか全部削除完了までには至っていない。
手帳で予定を確認しながらも、動画サイトでライブが消えてないかと確認していたところで。
「……はい?」
私はひとつの動画に気付いて、目が点になった。
【発見! スーパー銭湯にゆうPのそっくりさん!】
「ゆうPって、誰……?」
「ああ……そっか。動画サイトで人気出てたけど、咲子は知らないんだ」
「真咲は知ってるんだ?」
「歌が上手いから中学時代から結構聞いてたけどねえ。動画サイトで最初はコピーシンガーとして活躍してたんだよ」
最近だったら、動画サイトで歌っていた人が、芸能事務所からスカウトされることは珍しくない。私は動画サイトを見る趣味はあまりないけれど、そこから青田買いするファン層は一定数いるらしい。
その動画を見ていたら、そのゆうPのファンだと言う人たちのコメントがずらりと並んでいる。
【シャイな感じがリアルゆうPって感じがする!】
【他の歌い手さんともちっとも絡まないしねえ】
【あんまり歌い手さんのイベントには出ないもんね、動画サイトオンリーって今時珍しい】
【もう青田買いされてプロ転向してもおかしくないのにねえ】
【じゃあひびがくにスカウトされたの?】
【いや、まだゆうPって決まってないんじゃないの?】
流れている動画は、そのゆうPが歌っている曲なんだけれど。私は目を剥いてしまった。
中学生の男の子とは思えないほどの声量。その歌唱力はもうピンでデビューを決めてもおかしくはないし、これだけコメントをもらうのも頷ける。いくら最近は音を加工するソフトが出回っているとはいっても、こんな音に加工はできない。地力がないとこんなに歌は上手くならない。
「これって、桜木だよね……? このファンの言ってることが本当なら」
「あたしには、どっちも歌上手いなあって感じなんだけど、そう聞こえる?」
「……生歌は、こんなもんじゃなく上手い。でもまずいでしょ。だってうちの学校」
もしまだ歌い手をやってるんだったら、止めないといけないし、やってないんだったら、この動画を下げてもらわないといけない。
だって、うちの芸能コースは、基本的に事務所に所属している子たちはそこの事務所のやり方に準じているし、まだ事務所に所属してない子たちは、うちの学院の事務所を通した仕事以外の芸能活動は一切認められていない。
……最悪、退学だ。そうなったら、私だって管理不行き届きと見なされて、道連れだ。そんなの絶対に困るんですけど。
「ちょっと桜木と話をしてくる!」
「わかったけど、咲子も先に昼ご飯は食べな。腹が減っては力は出ぬ。あんたは頭は人よりちょーっといいからって、頭が回らなかったら、舌戦でだって負けるでしょう?」
そう言って真咲は、立ち上がろうとする私の腕を掴んで、口の中にサンドイッチを放り込んでくる……。そうでした、午後からはレッスンがあるし、昼休みの今しか、休める時間はないんだ。
私はもぐもぐとサンドイッチを食べ、カップスープをすすると立ち上がる。
まだなんにも解決してないけれど、ちょっとは元気になったような気がする。私は急いでスマホで桜木に【今どこ? ちょっと話したいことがある】と打ってから、真咲に手を挙げた。
「それじゃ、ちょっと行ってくる!」
「うん、行ってらっしゃい。頑張れマネージャー」
「ありがとう!」
私はスマホを片手に、急いで芸能コースの校舎へとすっ飛んでいったのだ。
****
芸能コースの生徒は、皆驚くほど顔がいい。
もちろんそうじゃない子もいるけれど、芸能界なんて狭き門を潜ろうとしている子たちは、なにかしら特技があるから侮れない。
たしかこの間教えられた限りだと、芸能コースは既に事務所所属が三割、マネージメント契約をしているのが六割。意外なことに、残り一割も事務所にも入らず、マネージメントを受けずに独自で仕事を取ってきているらしい。事務所に売り込むにも、あれこれと必要なはずなんだけどな。
閑話休題。
私はスマホ片手に桜木の教室に入る。ちょうど教室には柿沼と林場がいた。柿沼はこちらを見つけた途端に「さっちゃん!」と手を振ってきた。
「どうしたの? もうレッスン? まだ早いよね。オレたちこれから食堂に行く予定だったんだけど、さっちゃんも行く?」
「暢気だな!? あと私はもう食事終わりました! 桜木知らない?」
「ええ? ゆうちゃん?」
柿沼はきょとんとして、林場のほうを見ると、林場は少し考えてから「あ」と言う。
「多分音楽室の個室だと思う」
「音楽室の個室って?」
「音楽室は基本的に合同レッスンになるから、個別でレッスンしたかったら予約して使うんだ。よく桜木はひとりで個室を借りているからな。あいつは本当に歌が好きだから」
私はそれに頭を抱えそうになった。
……まさかとは思うけど、そこで動画撮ってんじゃないでしょうね。まだ学校には見つかってないけど、それも時間の問題だっつうの。私の態度に、ふたりは本気でわからないという顔を示している。
「ゆうちゃんが歌の練習してちゃ駄目だった? それともマネージャーの指示通りじゃないと練習は駄目ってパターン?」
「……そうじゃないの。ちょっとこのことは言えない。個室ってどこ?」
「さっちゃん知らない? 音楽室の近くにいっぱい部屋あったじゃない。あそこの列全部個室だから。プレートに借りてる生徒の名前がかかってるから」
「ありがとう!」
どうも、ふたりは本気で動画サイトのことは知らないらしい。だとしたら、巻き込んじゃ駄目だよね。私はふたりにお礼を言ってから、慌てて階段を駆け上っていったのだ。
柿沼から教えてもらった音楽室の個室は、どこもかしこもプレートがかかっていた。結構個人練習している人が多いらしい。私はひとつひとつを見て回っていたところで、ようやく【桜木優斗】と書かれたプレートを発見した。
私はひと息すると、拳でドアをノックする。
「ごめん、北川だけれど。桜木、いる?」
無言。反応なし。
うーん、中に入ったら、多分防音壁のせいで音が聞こえないよね? だからと言ってスマホで呼び出すか? スマホを弄ってメールを使うけれど、それでも反応なし。
……仕方ない。強行突破だ。もし鍵が開いてなかったらどうしよう。鍵を壊したらさすがに修理代なんて出せないし。私はひと言「入るよ」と言うと、ドアを開いた。
「え……?」
私は驚いて目の前の光景を見ていた。
個室と聞いていたから、てっきりピアノが一台あって、それを弾いたりしながら練習をしているんだとばかり思っていたんだけど。彼は机にノートパソコンを広げて、キーボードを叩いていた。
モニターに映っているのは、楽譜。ノートパソコンに付けているマイクで桜木が鼻歌を歌うと、それがすぐさま楽譜に入力されていくのだ。
「……うーん、違う。次は」
「ええっと……桜木?」
「じゃあ、こっちは」
さっき入力した分を削除すると、新しい音を入れる。それをもう一度流すと、それに桜木は「よし」と言いながら保存ボタンを押した。
どうも、完全に自分の世界に入ってしまって、こちらの声が聞こえていないらしい。私は仕方なく、桜木の真後ろに立つと、手をパーンと叩いた。その音で、ようやく桜木はこちらに振り返った。
「あっ……北川さん……ご、ごめん……曲作りに夢中に……なっちゃって」
「ええっと……本当は私、説教に来たんだけど。先に説明して。これってなに?」
「えっと……」
桜木は保存すると、ノートパソコンを一旦畳んでこちらに向き直った。さっきまで作曲していて音声を入力していたからマスクを取っていたのに、またマスクを付けて顔を隠してしまった。もったいない。顔はいいのに。
「えっと……趣味が、作詞作曲で……小さい頃から、音声入力ソフトで曲をつくるのが、好きだったんだ……」
「うん」
「最初はそれを、皆が、すごいねすごいねって聞いてくれたけど……ほら、普通の学校だったら、運動が、できたほうが格好いいじゃない……音楽やってるのは……駄目、みたいな、空気になっちゃったから……だから、中学時代は、曲を発表することが、できなくなっちゃったんだ」
「うん」
桜木は、震える声で一生懸命話している。ノートパソコンを撫でる指先は、よくよく見たらアイドルらしからぬキーボードタコができている。
基本的に3Bは女性にモテないとかよく言われている。バーテンダー、美容師、そしてバンドマンだ。音楽をやってるとどうしても女癖が悪いとか言われて敬遠されてしまうけれど、今は音楽を発表するのはバンドマンだけじゃない。
「……つくった曲を、誰も聞いてくれないのが、可哀想で……アカウント、つくって流してたんだ……最初は、知らない人の曲なんて、誰も聞いてくれないから。コピーシンガーみたいな、誰でも知ってる曲を歌って、少しずつ、本当に少しずつ、自分の曲を発表してったんだ……いっぱい、聞いてくれる人がいて、嬉しかった」
「……そっか」
「……えっと、北川さんは、説教に来たってことは、僕のアカウントのこと……」
背中丸めてこちらをちらちらと上目遣いで見てこられたら、こちらがいじめているみたいで、なかなか気まずい。
私はどう言ったもんかと髪の毛に指を突っ込んでぐるぐると丸めながら、言葉を探す。
「一応聞くけど、そんなに曲をつくるのが好きなんだったら、うちの学校でも作曲方面のコースはあったでしょ。そっちじゃ駄目だったの?」
「ほ、んとうは、そっちを受験するはずだったのに、親が間違えて、芸能コースに申し込んじゃったから……」
「なるほど。でもそれだったら、あんたひとりでプロデュースできるじゃない。なんで、アイドルになろうと思ったの? わざわざ柿沼とか林場とつるまなくってもよかったのにさあ」
桜木は背中を丸めながら、小さく言う。
「……ここに来たとき、皆本当に、ギラギラしてて、怖かった……僕は本当に、曲がつくれたら、それだけでよかったのに、皆、芸能界に行くぞって意気込んでて、授業中でも、マネージメント契約できる人たち探すのでも、本当に怖くって……」
本当にこいつを、どうしてこんな肉食獣ばっかりなところに放り込んだんだ、親御さんは。私はどうしても遠い目になる。
どうにも桜木の物言いは、弟を思わせて、あまり無下にはできなかったりする。
私が黙って続きを促すと、桜木は、たどたどしく口を動かす。
「……掃除当番のとき、もう事務所に入ってる人や、マネージャー探してる人はいなかったから、ひとりで掃除してるとき、歌ってたんだ……そしたら、柿沼くんがものすごく、褒めてくれて……嬉しかったんだ。途中から林場くんも入ってきて、皆足りないものがあるから、なら足りない分を補おうって、三人でアイドルユニットを結成しないかって話になって……だから、嬉しかったんだ……」
そう締めくくった桜木は、目を細める。
親の色眼鏡でしか見られないせいで、やたら壁のある柿沼からしてみれば、色眼鏡で見ない相手は貴重だったんだろう。桜木も小学校以来の自分の曲を褒めてくれる相手に出会えて嬉しかった。だから、アイドルになろうとした……。
綺麗な話だ。端から聞いたら。最後に桜木が言う。
「……北川さんは、マネージャーだから……もし、動画サイトのアカウントを消せって言うんだったら消すけど、最後に……お願いが、あるんだ……」
「なに?」
「……ずっと僕のアカウントを応援してくれた……人たちに、最後に曲を届けたいんだ……それは、駄目かな……?」
「どんな曲?」
「ま、まだ……全部は完成してないんだけど……」
そう言いながら、桜木はノートパソコンを広げると、保存していたファイルを開いた。
そこから流れてくる、柔らかい歌声に、私は驚いた。
柿沼のものとは違う。【GOO!!】のものとも違う。彼の曲は音律が音楽家が規定通りにつくったものとは違って、一定の法則性がないけれど、歌詞の切なさと音の優しさが胸を刺してくるような曲だ。
正直、アカウントを消せと、今ここで言うのは簡単だけれど、こいつ自身の才能をすり潰してしまうのは、はっきり言ってもったいない。
アイドルソングというのは、ラブソングは定番で、その次は夢は叶うという応援ソング、大人はなにもわかってないという叫びのような歌が、ファン層に当たる十代に受けるようになっている。あとは季節ネタ。
十代の窮屈さを歌う歌詞というのは、どちらかというとシンガーソングライターの領分になり、アイドルソングのキャッチーさやわかりやすさを売る場合は暗いからとマイナスになったりするんだけれど。
【GOO!!】の歌唱力を考えれば、マイナスの歌詞をプラスに変えられるだけの力はある。となったら、それを使わないのはもったいない。
私が黙って手帳を広げ出したのを、桜木は怪訝な顔で眺めていた。
「あ、あの……北川さん……?」
「桜木、まだ今度のライブの選曲終わってないんだけど」
「えっと?」
「本当は学校から曲をもらって、それで二曲とMCで組もうと曲聞いてたんだけど、あんたもしこの曲をライブで歌えって言ったら、どうする?」
「え……で、でも。この曲は、僕のアカウントの最後の、曲に……」
「もちろん、あんたのファンに最後のファンサービスをしたいって気持ちはわかる。そしてアカウントを削除しないといけないという学校側の意向も理解している。だったら、アカウント削除前に、【GOO!!】のライブの宣伝に使わせてもらえない?」
「えっと……?」
目と眉を垂れさせて、困った顔をしている桜木に続ける。
「あんたのアカウントの削除前にあんたのソロの曲を流す。そしてラストに、この曲を【GOO!!】に提供したと宣伝する。そしてアカウント削除。あんたには相当ファンがいるっていうのは、私も知ったからね。まさか検証動画までつくられるとは思ってなかったし、あんたは歌が上手いとは思っていたけれど、そこまでの大物とは思ってなかったわ」
学校外で芸能活動をしてはいけないという規定はあるけれど、SNSでの宣伝は規定には含まれてない。ただ、学校ではあんまりSNSのアカウントを持つのを非推奨にしているだけだ……芸能人二世が多い学校なのだから、なにかの拍子にマスコミが学校に押しかけてくるのを防ぐ意味もある。
正直、桜木が動画サイトでハンドルネームで活動していたのは、ギリギリのグレーゾーンだから、学校規定の仕事の宣伝に持ち込んだ上で削除だったら、学校も黙ってくれるはずだ。
「えっと……だとしたら、来週なんだから、練習するとしても、今晩中には曲を完成させて、皆に送らないと……」
「デモテープ替わりに、あんたが歌った曲をそのまんま使えばいい」
「うん……わかった」
それから、桜木はおずおずとマスクに指を引っかけた。
相変わらず素顔はいい。
「あの……北川さん。本当に……ありがとう。僕の、わがままを叶えてくれて」
正直、本当にわがままなんだから、勘弁して欲しいんだ。マネージャーは契約相手の泥を被るのが仕事とはいっても、私はひとり、あんたらは三人なんだから、皆が皆問題を抱えていても、こちらの身がもたないんだから。
ただ、まあ。既にこちらは一蓮托生の身。あんたらに稼いでもらわないことには、こっちだって退学なんだ。退学は困るし、就職できないのはもっと困る。
「勘違いしないでちょうだい。私は私のためにあんたたちを利用する。あんたたちはあんたたちのために私を利用しているんだから、おあいこでしょう?」
そう返した途端に、桜木はふんわりと笑ったことに、私は眉を寄せた。
別に本当にことしか言ってないんだけれど。天邪鬼でもなんでもなく。
****
芸能コースに入学したとき、ただ単純に曲をつくりたいだけの僕からしてみれば、呆気に取られることが多かった。
「次のオーディションだけど」
「マネージメントコースの契約は?」
「契約してないと、もらえる仕事は少ないから……」
自分の売り込みに余念がない人、マネージメント契約をしてさっさと仕事を取りに行ってしまった人、事務所からの仕事優先で全然学校に来ない人……。
成果を出さなかったら、一年後には退学だと言われているから、余計になんとかしないといけないってわかっていても、どうしても尻込みしてしまっていた。
本当に……ただ。曲をつくりたかっただけなのになあ……。
学校を通さない仕事は禁止だったけれど、動画サイトにはアフィリエイトも入れてないし、本当に趣味の領域だった。芸能活動には引っかかるから、本当にグレーゾーンだけれど。
その鬱屈を溜め込んだら、それを吐き出すためにソフトを使っての曲作りが増えていく。
一曲、また一曲と増えていき、それを動画サイトにアップすれば、見てくれている常連の人たちの感想がもらえる。それが嬉しくて、悪いとわかっていても、動画サイトのアカウントを消すことができなかったとき。
……ゴミ捨て場でひとりでゴミを捨てていた中、思いついた曲を即興で歌っていた。この音を覚えて、あとでソフトに読み込ませようと、何度も何度も歌っているとき、ひょっこりとこちらを見ている視線に気が付いた。
「同じクラスの、桜木くん……だよね?」
「えっと……」
僕はあんまり人の顔を覚えられない。前々から人の顔と名前を一致させるのが苦手だったから。でも、柿沼くんはそうじゃなかったんだ。
「すごい! 今の曲初めて聞いたけどさあ。誰の曲? オレもアイドルソングとかはずっと追いかけてるけど、変わった歌詞だなあと思って」
「えっと……オ、リジナ……」
「え?」
「ぼ、僕がつくった……オリジナル曲。です」
「すごい」
あんまりにも屈託なく、ケラケラ笑って褒める柿沼くんに、僕はただ頬を火照らせることしかできなかった。
彼のお父さんとお母さんがすごい人だって言うのは、教えてもらわなかったら知らなかった。僕は音楽のことは知っていても、ドラマや映画はあまり知らなかったから、僕の知らない話ってあるんだなあと何度も何度も頷いていた。
こうして友達に音楽の話をして、引かれずに聞いてもらえたのって、いつぶりだろう。
「なんかさあ、オレたちだったらいろいろできそうじゃない?」
「で、できるって……?」
「ゆうちゃんは音楽つくれるし、みっちゃんは演技できるし。オレはそうだなあ……バラエティー担当で! 歌手とか俳優だったら、それしかさせてもらえないけど、アイドルだったら全部できるんじゃない?」
「アイドル……?」
アイドルと言っても、大きな事務所に所属しているユニット以外はピンと来ない。
でも柿沼くんがアイドルを語る目が、やけにキラキラしていたことはよく覚えている。
「オレと一緒に、アイドルにならない?」
桜木に一曲任せて、残りの曲は学校の曲を借りることにした。
OGやOBがときどきライブで披露しているし、スーパー銭湯はひびがくの常連会場だ。あそこのライブが好きな人たちだったら一緒に歌ってくれるかもしれないという寸法だ。
振り付けは学校のダンスの先生に頼み、どうにか形だけはライブの準備が整った。あとは、どう中身を充実させるかだ。
皆のダンスのレッスンを先生に付けてもらっているのを横目に、私は手帳にライブ内容を書き込んでいると。いきなりぶわりと汗の匂いがした。汗、すごっ!?
私が手帳を抱き締めて仰け反ると、タオルを首にかけた柿沼が「あはは」と笑っている。
「柿沼! 臭い! 汗が手帳に落ちちゃう! ちょっと、練習は!?」
「休憩中~! 先生も今は出てるよ」
「あっそ、お疲れ様! ちょっと一歩でいいから離れなさいよ、臭いってば!」
うちの弟も、あと何年もしたらこんな風になるのかと、この年代の男子特有のにおいに、私が顔をしかめている中でも、柿沼の笑顔は崩れない。こいつ本当に嫌がらせに来たのか。
「あはは、さっちゃんすごい顔! さっきは眉間に皺すっごい寄ってたし!」
「ひ、人が真剣にスケジュール管理してたら悪い!?」
「ううん。さっちゃんはもーっと過密にスケジュールをオレたちに入れて、さっさと成果を出して事務所にたたき売りするんじゃないかーって思ってたのに、そんなことなくって安心した!」
……これは、馬鹿にされてるのか? 毒吐かれてるのか? どっちもか?
相変わらず全然腹の読めない柿沼に、私は背中を仰け反らせたまま、どうにか答える。
「あんたたちを安売りするような真似はしない。高く買ってもらえるようになるために、価値を付けないと、意味ないでしょ。その第一歩が今度のライブなんだから」
「あはは、わかった了解。でも意外だったなあ」
「なにがよ」
こいつイチイチ絡んでくるな!? 私はひょいとドリンクボトルを渡したら、それをすごい勢いつけて飲み干してしまった。
ダンス室は結構空調が効いているのに、ダンスの練習していたらモロに汗が出るんだ。私は自分の体育のときを振り返るけれど、さすがにドリンクボトルをひとつ、全部空にするほど消耗しないから、芸能コースの面子は思いのほか消耗が激しいんだと分析する。でもあんまりドリンク与え過ぎてもカロリーが気になるし、だからと言って水だけ飲ませるのもミネラル不足で論外だから、この辺りは今度栄養学の先生にでも聞きに行くか。
私がひとりで段取りを考えている中、気にすることもなく柿沼は言葉を続ける。
「君はてっきり、さっさとオレたちを事務所に登録させて、自由になろうとしてるって思ってたのに。意外と面倒見がいいなあと思って」
こいつ、私の頭でも読んでるのか。そりゃこいつらがさっさと事務所に入ってくれたら、私はようやくお役目御免なんだけど。
私はできるだけ顔色を変えないように努めながら、汗でぺたんと額に前髪を貼り付けている柿沼を見た。
「……あんたたちを利用したいだけよ。私は私の目標のために、就職しないと駄目なの。できるだけいい就職先を見つけるには、あんたたちを利用するのが手っ取り早いから」
「うん。知ってる。でもそこが不思議なんだよねえ~。君、なんでそこまでお金に困ってるの? 地頭いいんだから、大学だって行けるだろうに、高校を出たら就職するばっかり言って」
それに思わず私は柿沼のタオルを結んだ。柿沼は「ぐえっ」と声を上げる。
「マネージャーはあくまであんたたちの黒子。黒子が表に出てどうすんの。ほら、あっちで林場と桜木がダンスの打ち合わせはじめたから、あんたもちょっかいかけてないでさっさと行く」
「ぐえ~……わかったぁ~……あぁー、なんで本当に口固いんだろうなあ……」
そうブチブチ文句を言って去って行く柿沼を、私は手帳を抱き締めたまま見送った。
あいつ、私の弱味を握ってどうする気なんだろう。それとも。私はまだあいつに試されているんだろうか。
それに私は小さく首を振った。
集中。今はスーパー温泉のライブを無事に完遂させることに集中する。
私は手帳に書いたスケジュールを元に、事務所のほうに確認する事項を書き出していった。
****
マネージメント契約をしなかったら、なかなか成果の出る仕事を得られることはできない。職員棟にある事務所に芸能活動する届けを出したら、各所に一斉に芸能活動することが報告される。それを元に仕事依頼が届くようになるが。
マネージャーがいる場合は各所に宣伝をしてくれるし、事務所に行って依頼の中から受けられない仕事の選別もしてくれる。マネージャーがいない間は、俺たちだけで、仕事の選別を行っていた。十代ではアウトな仕事や、芸能界で生き抜くには不得手な仕事、柿沼のように親とタイアップの仕事もわんさかと届いたが、それらは軒並み却下をしたら、それだけでくたびれてしまった。まだなんの仕事もしてなくって、これだ。
マネージメント契約は必要だと、マネージメントコースに働きかけたものの、柿沼の親の名前を知って目の色を変えてアピールしてくる女子ばかりが目立ってしまった。ただのミーハーなのは論外として、二世タレントと愉快な仲間たちという触れ込みで売ろうとしたところ、結果としてあいつを怒らせての揺すぶり、その末転校なんだから、どちらも得なんてしていない。
そんな中で、やっと契約できたまともなマネージャーの北川は、ようやくまともな仕事を取ってきてくれたんだけれど。未だに柿沼はなにかとちょっかいをかけては北川を揺すぶっている。
休憩中には、なにかと北川に声をかけては、すげなく返事をされている……今は、ちょっと首を絞められているが。それで桜木は隣であわあわしていたが、ようやく柿沼が戻ってきた。
「おい、いい加減にしろ。柿沼。本当に北川が嫌気差してマネージャー降りられたら、困るのは俺たちのほうだぞ」
戻ってきた柿沼に声をかけると、柿沼はふてくされた顔をして、唇を尖らせてきた。
「うーん、だってさあ。さっちゃんは未だに腹の中が見えないんだもん」
「そ・れ・は・お・ま・え・も・だ・ろ」
「痛い痛い痛いっ、オレの額はクイズ大会のボタンじゃありませんっ! 連打しないで!」
指でさんざんつつき回したら、オーバーリアクションで額を抑えてひっくり返った。それを俺と桜木はマジマジと見下ろした。
「あの……大丈夫? 柿沼くん」
「ゆうちゃーん!! オレに優しいのゆうちゃんしかいないっ!」
「え? 暑い! 苦しい!」
そのまま柿沼はガバリと起き上がると桜木が抵抗しているのをまるっと無視して、抱き着いていた。見ているこっちが暑苦しい。こちらを見て呆れてるんじゃないかと、俺はちらりとパイプ椅子に座っている北川を見たが、北川はこっちを見ていなかった。
眉間にカードでも挟めそうなくらいに皺を刻み込んで、スマホであちこちに打ち合わせをしている。
「すみません、ライブの確認なんですが……はい、はい。じゃあそれをお願いします」
レッスンのときにはきっちりとダンスの先生に話を通してくれているし、俺たちの不備を全部後始末している。マネージャーがいないときからの癖で、リーダーとして仕事内容を探しに行こうとした際、しょっちゅう先に北川が来て、仕事の選別をあのしかめっ面でしているのを見ている。
……マネージャーが来てくれて、本当に助かってるじゃないか。
なにが不満なんだこいつはと思っていたら、柿沼はふてくされた顔で桜木に抱き着いたまま言う。
「だってさ。さっちゃん。口ではオレたちを商品扱いするし、箔付けするとか言ってるけど、今までのアレな子たちとは全然違うじゃない。でもあの子、どう考えたって訳ありじゃない」
「……まあ、たしかに」
いくら他が芸能コースとのマネージメントを優先させているからと言っても、北川がマネージメントコースの生徒と一緒にいるところを一度も見たことがない。よそのコースに彼女の友達がいるらしいし、一緒に食事を摂っているところは何度も見たことがあるが、それでも訳ありだ。
……思えば、柿沼恒例のマネージャーに対する嫌がらせを受けてないのも彼女だが、柿沼が痺れを切らして金で買収するような馬鹿な真似をしたのも彼女だった。
柿沼はようやく桜木を離したあと、唇を尖らせて続ける。
「……別に言ってくれればいいのに。オレたちのことは管理するとか言う名目で、あれこれ聞き出すのにさあ。なんかズルい」
「子供か。北川だって、学業優先したいのに、無理してマネージャーやってくれてるんだから感謝しろ。あと彼女は成績を落とせないんだから、少しは手加減しろ。今までの彼女たちみたいに手荒な扱いするんじゃないぞ」
「わかってまーす……誰だっけ? さっちゃん以外の女子って」
こいつは。俺は深く深く溜息をついた。
ときどきこいつの言っていることが、冗談なのか本気なのかわからなくなる。
桜木はそれをにこにこしながら眺めているが。
「……どうした、桜木?」
「ううん……前は、もっとピリピリしてたから、こういうの、ちょっといいなと思っただけ」
そうにこにこしながら言うもんだから、俺は脱力した。
桜木は桜木で、もともと歌は抜群に上手いのに、闘争心というものが欠片もないせいで、ピリピリとした空気は苦手だった。だから、マネージャーと柿沼の諍いのときは、本気で背中を丸めて脅えていた。
そう考えたら。今はなにもかもが順調に回っているんだから、いい傾向なのかもしれない。
俺はそう思いながらドリンクボトルを空にしたとき。
「お待たせ。それじゃ、レッスン再会しましょう」
先生が入ってきたので、俺たちはそれぞれダンス室の隅に置いている鞄にドリンクボトルとタオルを押し込むと、立ち位置に着いた。
前はやらないといけないことが多過ぎて、いっぱいいっぱいだったのが、今はレッスンだけに集中できるし、目の前のことひとつひとつにだけ全力投球できる。
きっと、事務所に入るのも、マネージメント契約するのも、これが普通なんだろう……ただ、俺たちが普通から大幅に遅れていただけで。
「お願いします!」
「それじゃ、音楽流します」
曲が流れ出したのと同時に、俺たちはダンスをはじめた。
相変わらず北川は、こちらのほうをときどき見るだけで、ずっとあちこちに連絡をし、ときどきダンス室を出ては戻ってきてを繰り返している。
それに何故か、ほっとした。
……目の前のことだけに集中できるのは、本当に気持ちのいいことだ。
音楽室の個室。私は桜木から「新曲できたよ」と連絡をもらって、それを聞かせてもらっていた。
アイドルソングと言っても、ジャンルはいろいろある。
定番のJ-POPは明るい恋愛ソングや夢を追いかけるときめきを歌ったものが多いけれど、既にそれは大手アイドルユニットが歌っているし、そもそも学校から借りている曲が定番のアイドルソングなんだから、変化を付けたい。
だからと言って食事中に派手すぎる曲を聞かせるのも気が引けるから、私は桜木に「フードコートの食事の邪魔にならないようにして」「こっちは時間がないから振り付けの発注ができないから、踊らなくっても間が持つようなもの」と、我ながら抽象的過ぎる発注をかけたけれど。
前に聞いた曲よりも、何倍も完成度を高めていた曲を、私は真剣に聞いていた。
元々甘い桜木の声に、バラードはよく似合った。全部聞き終えてから、ようやく桜木は広げたノートパソコンを閉じた。
「ど、どう……かな?」
「桜木……あんた、天才?」
「え?」
またも桜木はマスクで鼻から下を隠してしまい、目をしぱしぱとさせる。
私は曲を聞きながら頷く。まだ勉強している途中で、音楽業界について詳しい訳ではないけれど、桜木が登録している動画サイトの歌い手の曲はあらかた聞いた。
歌い手のつくる曲は、音楽をがっつり勉強している人がつくっているパターンを崩しているのが多い。それは一見すると斬新に聞こえるけれど、上手い具合にまとめてしまわないと、だんだん外れたパターンは斬新さよりも不安を誘ってしまうあやうさがある。でも桜木の曲はその着地点が上手いんだ。
定番のアイドルソングに、聞かせるバラード。この二曲で、なんとかライブができる。
前座とはいえど、これで正式がライブができるんだから、願ったり叶ったりだ。
「曲がすごくいい。前に途中の分を聞かせてもらったけれど、それよりも格段によくなっている。これは絶対に聞いてもらえる。これ、他のふたりにも聞かせるから。歌詞は?」
「う、うん……」
桜木は慌てて印刷した歌詞をくれた。曲を配る際に歌詞もコピーして渡しておかないと。あとは歌の先生に見てもらって練習したら、どうにかライブには間に合うか。
本当に突貫だったけれど、なんとかなるもんだ。
あとに、桜木のアカウント削除の問題だ。
「……あんたには悪いけれど、本当にグレイゾーンだから、動画サイトのアカウント消してもらわないといけないんだけど。大丈夫?」
ライブの宣伝動画を流したら、一日後のアカウントを削除する。そう桜木に約束を取り付けたのだけれど。あんまりSNSを弄らない私はさておいて、中学時代からずっと自分のアカウントに曲を載せ続けていたのを見ると、すこーしだけ忍びない。
桜木は一瞬視線を泳がせたあと、マスクをずらして、私と視線を合わせる。
「ありがとう……応援してくれた人たちに、お礼を言える機会をつくってくれて。アカウントを消してしまうのは悲しいけど。でも、それがはじまりだと思うから」
そう言って、ふんわりと笑った。
ほんとーうに、桜木は顔がいいのだ。私は少しだけ視線を逸らした。
「桜木、あんた普段からマスク付けてるけどさあ。それ、外せないの? まあ、喉を痛めるからとかだったら、私も止められないんだけど」
「ぼ、く……まだ、柿沼くんとか、林場くんみたいに、人と面と向かってしゃべれないから……マスクがないと、不安で……」
人見知りが原因か。私は仕方なく、桜木のマスクに指を引っかけた。
「取りなさい。初仕事が終わってからも、仕事取ってくるとき、人見知りが邪魔をしたら、話になんないでしょ」
「う、うん……頑張る」
なんでこんなに小動物みたいな反応するんだ。もう。私もこれ以上は強く言うことができず、しょげてしまった桜木に「まずはレッスン以外でマスクを取る訓練しなさい」と言うだけに留めてしまった。
それはあまりにも甘過ぎるとは、自分でも思うんだけど。この手の生き物には、どうしても強くは出られないんだよね。
私たちは、音源を柿沼と林場に送り、歌詞もそれぞれに配ってから、放課後のレッスンに落ち合うこととなったのだ。
スーパー銭湯のライブまで、本当に突貫工事だったけれど。次の日曜にはいよいよライブなんだ。もうそろそろ衣装を着てのレッスンにもなるから、忙しくなる。
私が音楽室の個室から出たところで、アプリが反応していることに気付き、スマホをタップする。琴葉からだった。
【衣装できたよ。突貫でごめんね】
出来上がった写真と一緒にそんなメッセージが入っていた。半被をモチーフにした衣装に、ハーフパンツ。うん、完璧だ。
私は琴葉に【ありがとう!!!!】とお礼メッセージを送ったあと、今日のレッスン時間とレッスン場所の番号を送っておいた。さあ、最後の仕上げだ。私は握りこぶしをぎゅっとつくって、マネージメントコースの校舎へと戻っていった。
****
放課後になったら、予定のレッスン場に急いでいるところで「さっちゃーん!」と甲高い声で呼ばれて振り返ると、紙袋を提げた琴葉が駆け寄ってきた。
「琴葉、ありがとうね。他の芸能コースの人たちからも依頼があったんでしょう?」
「うん。大変だったなあ……演劇用衣装に、商材用衣装に、今回のライブ衣装……全部コンセプトが違うから、選ぶ布地から型紙まで全部違うしねえ」
指折りながらそうのんびりと言う琴葉に、私は思わず身震いした。本当にファッションデザインって大変だ。演劇用衣装もライブ衣装も、ドラマや映画の撮影用の衣装と違って、普段着遣いなんてまず無理だ。舞台上で目立つこと前提の服だから、素材からして目立たないと意味がないんだから。
いろいろ予定が立て込んでいたのに、よくここまで仕上げてくれたもんだと、私は琴葉に手を合わせた。
「本当にありがとね。次もあんたに仕事回せるよう、私もうちの奴らの仕事取ってくるから」
「そりゃわかってるよう。でも楽しみだなあ。今まで芸能コースの人たちとはいろいろ話してきたけど、アイドルやってる人たちとしゃべるのは初めてなんだあ」
そう言って琴葉はにこにこしている。そりゃそうか。この子の夢はライブ会場で、自分のデザインした服を着て歌って踊っているアイドルを鑑賞することなんだから。
「うちの奴ら、男アイドルだけどいいの?」
「そりゃいいよー。女子アイドルと男子アイドルだと、コンセプトもいろいろ違うけど、ライブ会場でわたしの服見れるのだけは変わらないんだからあ」
そうこうしている間に、レッスン場に来た。そこでは既にレッスンで最後の仕上げをしていた。空調を効かせているにも関わらず、相変わらずアイドルの踊りは汗をふんだんに掻く。汗の匂いをむわりと漂わせながら、三人が曲をかけてマイクで歌いながら踊っていた。
学校の曲だから、皆聞いたことある歌だ。それを琴葉は目をキラキラさせながら見ているのに苦笑しながら、私は手をパンパンと叩いた。
「皆ー、練習中にごめん! 衣装が完成したから、衣装着て練習してもらってもいい? サイズがおかしかったら、すぐに調整するから。ほら、彼女はファッションデザインコースの島津琴葉さん。柿沼と林場は会ったことあるだろうけど。はい、お礼言ってー」
「ありがとうございます!!」
三人ともペコッと頭を下げたのに、琴葉はにこにこ笑いながら、「はい、着替えてー」と服を差し出した。
急いで着替えはじめたのに、まるで男子校だなあと私は思う。共学だったら、割と女子と男子と分けて着替えるから、女子が教室に入ってきた途端に男子が衣を裂いたような悲鳴を上げてもおかしくなかったのに。
弟がいる関係で見慣れている私と、既にあちこちに衣装係として派遣されてつくった衣装のサイズチェックを行っている琴葉は、慣れきった様子でそれを眺めていた。
さっさと着替え終えたのは林場だった。
「すまない。衣装の着付けはこれで合っているか?」
半被にハーフパンツの衣装は、元々和風な雰囲気の林場には驚くほど似合っていた。琴葉は少しだけ半被の裾をチェックして、それに付属のたすきを取り出す。
「あとは袖をたすき掛けすれば完成なんだけど。自分でたすき掛けできるかな?」
「あー……すまん、頼む」
「オッケー」
たすきで裾を止めて、クロスして結ぶ。これでダンスを踊っていても、袖が邪魔ということもないし、歌を歌っているときに袖がパタパタして気になることもないはず。
さっさとひとりで着替え終えた柿沼は、たすき掛けに手間取っている桜木のたすきを結んであげている。
それぞれ両手両足を動かしてもらうけれど、縫製は問題ないし、動きも阻害しないみたい。そのまま一曲踊ってもらうことになった。
私はパイプ椅子を琴葉の分も引っ張り出して座り、皆の動きを見ながら手帳に書き込んだ。
手帳に書いてあるタスクリストにチェックを入れる。
曲は一曲目は完全に仕上げてある。二曲目のバラードの完成がまだだけれど、もう衣装はできているし、あとはライブ前にリハーサルさえやればいけるか。本当にギリギリのスケジュールだな。立てたのは私だし、自業自得だけれど。
そう思いながら、三人のそれぞれを眺めていたら、隣で琴葉が目をキラキラさせているのが目に入る。
「……琴葉?」
「かっこいい、すごい……」
「……ちょっと?」
目がハートになっているのに、私は内心「やばい」と冷や汗をかく。
この子は惚れっぽいんだ。私はすっかり見慣れてしまったけれど、一応【GOO!!】の連中は顔はいいんだ。免疫がなかったら落ちる子だっているだろう。
でもうちの学校は恋愛禁止だし、こんなことでこの問題児らの足かせになる訳には。
「あの、琴葉?」
「わたしのつくった衣装をアイドルが着て踊ってる! かっこいい、すごい!!」
「あ、そっちか?」
琴葉の歓声に、私は心底ほっとした。あー、そっか。この子の趣味はどちらかというと年上だもんね。同い年のこいつらは範疇外か。よかった。あー、本当よかった。
曲が終わったところで、私は「ありがとう! 衣装問題なかった? 問題なかったのなら、これ全部回収して本番までにクリーニングかけるけど」と声をかける。
それに柿沼は、こっちまでやってきて、クルンと回転してみせた。和装がよく似合っている。三人ともスタイルはいいし、この分だったら他の和装も着せたいけれど、こいつらは和風って色を付けて売るのも曲調からしてよろしくないし、次はもっと正統派のアイドル衣装用意してもらったほうがいいかなと考えていたら、柿沼はそのままパイプ椅子のほうまでやってくると、琴葉の手をぎゅっと取った。
「ありがとう! すっごい着心地いい! 本番もよろしく」
そうアイドルスマイルで言ったのだ。
……こいつは。私は思わず額に手を当てた。
恋するなら年上趣味だろうが、芸能人に免疫のない子がアイドルオーラに当てられて、平常心を保てる訳がない。琴葉は動転して、そのままパイプ椅子ごと倒れてしまった。
「ちょっ、琴葉……!? こら、柿沼! 衣装用意してくれた子からかうんじゃない!」
「あはははは、ごめんごめん」
私は慌てて、トんでしまった琴葉の救出に向かうのだった。
****
ライブまで突貫工事。
うちのマネージャーも予定の組み立てが乱暴で、一曲目のレッスンは進んだものの、二曲目は完成を待たなければいけなかった。桜木の曲は聞いたことがあるが、彼の曲はたしかにいい。だが、俺たちが覚えられなかったら意味がない。
まだかまだかと思ったところで、ようやく二曲目のデータがスマホに届いた。急いでそれを流す。
「あっ、ゆうちゃんすごい。わざと歌詞を覚えやすい曲にしてる」
柿沼はにこにこしながら、曲を何度も何度も再生させていた。たしかに、曲自体は癖のないバラードだ。だがバラードは歌唱力の差が露骨に出る。突貫工事でライブで歌えるものなのか。
俺はそれを何度も何度も真剣に聞いていたら、柿沼が人の眉間に指をぐいっと押しつけてきた。
「みっちゃん。眉間の皺すごーい。さっちゃんみたいだ」
「な……元々は北川を困らせているのはお前だろ」
「そしてさっちゃんはオレたちのために、今までの倍々働いている訳だ。特待生辞める訳にはいかないから、学業は落とせないし。退学がかかっているからオレたちから目を離せないし」
柿沼は謳うようにそうのたまうので、思わずまた眉間に力がこもると、柿沼はそこを面白がって何度も何度も指で突っついてくる。うっとうしいと、手をベチンと払いのけたら、本人は「あはは」と笑った。
「まさか、ここまで嫌がらせして、逃げないとは思わなかったんだ」
「……柿沼。まだ北川を信用してないのか?」
いい加減、彼女のことを信じてやって欲しいと思う。彼女が桜木の事情を考慮した上で、曲をライブ前ギリギリまで粘って制作させたんだから、ギリギリの配慮のはずだ。
俺の言葉に、柿沼はキョトンとする。
「んー……だってさあ。さっちゃんは、オレたちのことまだ信じてないじゃない?」
「……待て、話が飛躍し過ぎてわからない」
「信じてもらえないのに、100%信じることって、できなくない?」
この宇宙人が。わかる日本語で言え。
それから柿沼は、放課後まで俺の追求をのらりくらりと交わしたのだから、本当に始末に負えない。こいつがいったいなににそこまで固執してるのかは、そのときはちっともわからなかったんだ。
****
その日は晴天。いいホリデーだ。まあ、一般人はだけど。
私たちはスーパー銭湯の裏口から入ると、オーナーさんが用意してくれた控え室に入った。普段は会議室に使われているらしい部屋で、急いで衣装を着替えてもらうと、化粧のために呼んでいた真咲に、最後の仕上げを頼む。
「はい、ヘアメイクコースの田所真咲。今日は休みを潰して来てくれたんだから、皆挨拶するように」
「ありがとうございまーす」
「はいはい。まあ……まだ練習をちょっとだけ見せてもらったばかりだけど、いい男っぷりだねえ」
そうしみじみと言う真咲に、桜木は顔を真っ赤にして俯いた。真咲は同い年からしてみても、かなり大人びているから、あっさりと褒めたのが駄目なのかもしれない。
私は相変わらずの制服姿の中、真咲はぴったりとした黒いカットソーにレギンスパンツという体のラインがものすごく出る服を着ながら、手には大きなバッグを持っている。彼女の商売道具であるメイク道具一式がこの中に入っているのだ。
さっさと着替えた皆をひとりひとり並ばせると、肌つやが出るように薄くファンデーションを塗り、目元に軽くラメを入れはじめた。
アイドルが化粧崩れでグズグズになってしまったら目も当てられなくなってしまうから、スーパー温泉の湿気やダンスで出た汗でも流れ落ちないように、ウォータープルーフのメイクを頼んだのだ。
化粧はナチュラルメイクが一番難しい。本当だったら下地を塗ってファンデーションを塗って口元にグロスを塗るっていうのが一番てっとり早いんだけど、それだと顔がペタンとして立体感が損なわれてしまう。その点、既にプロのメイクを勉強している真咲は、さっき一緒にステージのライトの位置を確認して、光源を計算しながらメイクを施してくれているから仕上がりも満足行くものだ。
化粧をひと通り終えたら、それぞれの髪に手を入れる。
そもそもストレートヘアの林場は軽くブラシをかけるだけで済んだけれど、ふわふわの癖毛の柿沼と桜木は、どうしても湿気のこもるスーパー銭湯だと、ライブ中に頭が爆発してしまうと判断して、軽くムースで固めないといけなかった。
「はい、できたよ。これで大丈夫か確認して」
鏡を渡すと、柿沼はペタペタと手で頭を顔を触るものだから「やめなさい、綺麗にしてもらったのに」と私が注意する。それに真咲は苦笑しながら、メイク道具を片付けていった。
「本当にありがとうね、真咲。今日は家の手伝いだったんでしょう?」
私がこっそりとお礼と言うと、真咲は涼しい顔だ。彼女の実家は商店街の中にある化粧品屋なんだ。
「いいよいいよ。あたしも女子の化粧の手伝いは何度かさせてもらったけれど、咲子の付き合いがなかったら男子の化粧の機会なんかなかったしねえ。頭も触らせてもらったし」
「でも……」
「あたしは普段は充分家の手伝いしてるからいいよ。あんたのほうが心配。すっかりと灰色の高校生活が地に着いちゃって」
そう言って、ちらっと男子たちのほうを見る。林場は律儀に「ありがとう、おかげでライブに出られる」と挨拶したあと、皆で【HINA祭り】の控え室に挨拶に行く。私も着いていかないと。
私は立ち上がり、真咲に振り返る。
「今、結構充実してるから。そこまで真咲が心配しなくってもいいよ。それに、猶予期間なんてないしさ。あいつらちゃんと事務所に入れなきゃ、私の就職にも響くしさ」
そう言って「観客席から見てあげて、あいつらのこと!」と手を振っていった。真咲のボソリとした「だからそこが心配なんだって」と言う声は、聞き流すことにした。
あいつらが私を利用するように、私だってあいつらを利用している。運命共同体だけど、別に友達じゃないし、仲間でもないから。本当にただ、それだけ。
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【HINA祭り】の控え室は、普段からスーパー銭湯の常連なせいか、ちょっと広めの部屋が宛がわれている。響学院も毎年ここにライブの仕事をもらっていても、ここまでVIP対応はされてないんだけど。
私たちはドアを「失礼します、今回前座を務めさせていただくことになった【GOO!!】です」とノックしながら言う。
すぐに「はあい」という声と同時にドアが開いた。ムワリと漂うのは化粧の匂いで、こちらも化粧の最終チェックに余念がなかったみたいだ。
ピンク色の膝上の浴衣に、レースの前掛けをあしらったおそろいの衣装を着た女の子たち。化粧もパステルカラーを載せていてニコニコ笑っている。
この人たちが全国行脚しているスーパー銭湯専用アイドルなんだ。芸能人は独特の人を釘付けにするオーラをまとっている人たちが多いけれど、彼女たちは不思議と商店街で顔馴染みになった店の店員さんみたいな安心感がある。
「こんにちはぁ、響学院の【GOO!!】さんですよね? この間のネット配信見ました。びっくりしましたよ。ええっと、ゆうPさんは?」
意外だ。ネット動画の歌い手までチェックしているなんて。スーパー温泉のライブの宣伝を、アカウント消す前にしたから、スーパー温泉のライブの噂をネットでリサーチしてたのかも。
いきなり振られて、一瞬桜木はビクッと肩を跳ねさせたものの、今日は既に化粧をしているから、いつものマスクはない。柿沼が背中をドシンと叩き、林場は肩を軽く叩くと、観念したように彼女たちの前に一歩出ていった。
「ぼ、僕です……い、今は本名、桜木優斗で……【GOO!!】のメンバーですけど……」
「いえいえ、そこまで緊張しなくっても。あの歌、すっごく素敵でした。三人で歌うの、本当に楽しみにしています」
驚いた。本当にアカウント削除まで三日ほどしか、ゆうPとしての歌は流していない。それもきちんとチェックしているなんて。
リーダー格らしい、ポニーテールの女性は「私、花菱立夏《はなびしりっか》と言います」と名乗ってから、にこやかに笑った。
「毎年毎年、響学院さんからやってくるアイドルの人たちの完成度が高くって、私たちも負けてられないぞって思ってチェックしているんです。初ライブだって思って緊張しないで、100%の力を出し切る感じで頑張ってください。それがお客様には伝わりますから」
なるほど……桜木は花菱さんが差し出してきた手を、本当におずおずと握ると、そのまま握手した。皆それぞれ握手をしてから、最後に私はマネージャーさんと名刺交換して、ようやく控え室を後にする。
響学院は有名芸能人を大量に輩出してきた学校だ。うちのOBもOGも芸能界でそこそこの地位に立っている。その卵を、まだなんの略歴もないからって、前座だからって甘く見ることはないってことか。
ちゃんとライバル認定されているっていうのは、初ライブとしては上々なのかな。
「うーん、女子アイドルと男子アイドルだったら、結構派閥が違うから、それぞれ異種格闘技戦で頑張ろうって感じになるのかなあと思ったけど、そんなことなかったねえ?」
のんびりとした声を上げる柿沼の声に、林場は「そりゃそうだろ」と言う。
「俺たちは彼女たちの縄張りを荒らしに来たんだ。今日のライブはどちらかというと彼女たちのライブに、俺たちが間借りするだけなんだから。彼女たちはいわゆるご当地アイドルであり、俺たちと目指す方向性は違えども、今日の舞台は同じだ。油断なんかしてくれる訳がない」
「結構もっと「一緒に頑張りましょう」って感じかなあと思ってたのに、結構食い合いの話になるんだあ」
「逆に言ってしまえば、彼女たちに縄張り荒らしされるって警戒させられたのは上々だろう。それに、彼女たちのファン層はスーパー銭湯に通うお客さんなんだから、老若男女幅広い。俺たちの名前を覚えてもらえる可能性だってあるし、桜木が動画サイトでつくったファンも見に来てくれているだろうし……桜木?」
リハーサルに向かう中、桜木は真咲にきっちりメイクしてもらったにも関わらず、顔が真っ青になってしまっている。ええっと……緊張してるの。
「ご、ごめん……ちょっと待って、トイレ……」
「ああ、ゆうちゃん……!」
そのままトイレまで直行してしまった。ちょっと待って。今はリハーサルだからいいけど、本番まで既に二時間切ってるのよ!?
私はふたりに「ごめん、私。桜木の様子見てくる! ふたりは先にリハーサルに向かって!」と声をかけて、桜木を追って走って行った。
どうするどうする。さすがに男性トイレまで入っていけないし、私はここで待つだけか? ぐるぐると考えていたら、桜木がよろよろして出てきた。
「ちょっと桜木、あんた大丈夫?」
「う……ごめん……ちょっと、緊張して」
こいつは。この間の突発ライブはきちんと成功させたでしょうが。それをそのまま口にしちゃ駄目だよなと、私はできる限り優しい言葉を探し出す。
「……緊張する方なの? リハーサル前だけど」
「ご。ごめん……動画サイトで、上げてたときは……コメントをもらうまで、誰が僕の歌を聞いているのかわからなかったし……前のときは、男の子の親御さん探すっていう使命があったから、できたけど……今回は、先輩アイドルのファンがいっぱい来ている中、前座をするんだって思ったら……本当に、吐きそうになって……」
また口元を抑える桜木に、私は慌てて背中をさする。
ナイーブか。いや、普段から見られ続けるのが常な柿沼や、元々が俳優志望だった林場の鉄が心臓過ぎるんだ。アウェイに放り込まれたときは、緊張するほうが普通だ。
私は背中をさすりながら、なんとか言葉を選ぶ。
「……そりゃ、緊張するよね。ここにいるのは、あんたのファンだけじゃないし。でもさ。動画サイトで歌を歌って、ファンをつくっていたのはあんたの功績でしょう? 全員はあんたのファンではないかもしれないけど、あんたのファンがいない訳でもないでしょう?」
「……北川さ」
「それに、あんたの曲はいい。これだけは間違いないの。あんたの歌も、あんたのつくった曲も本当にいい。それを、今回は初めて、【GOO!!】としてお披露目するんだから。あんたがアカウント消したことで悲しんだ人も、あんたの門出を祝いに来ているかもしれない。もちろんあんたのファンにだって事情はあるだろうから、全員ではないかもしれないけれど、ひとりくらいは、いるかもしれないでしょう? それに」
つくった曲は、本当に全員でギリギリまで練習して、どうにか空で歌えるようになったものの、まだ揃っているとはとてもじゃないけれど言えない。
すっかり歌い慣れてる学校制定の曲とは違い、完成させたばかりの新品の歌だ。そう一長一短で揃うはずがない。でも。
柿沼の歌、林場の歌、そして桜木の歌がきっちりと重なったとき。それは絶対に気持ちのいい曲になるはずなんだ。
「あんたたちの一番のファンは、関係者席でずっと見てる。あんたたちが曲を完成させるのを、楽しみにしてるんだから」
桜木の手を取った。男子は基本的に女子よりも冷え性にはならないとは聞いていたのに、緊張で爪先の色が抜け落ちてしまい、手が驚くほど白いし冷たい。私は自分の体温を分け与えるようにして握った。
「えっと……僕。上手くできるかはわからないけど……でも」
今度は桜木が私の空いている手を取って、握ってきた。
少しだけ爪先に赤みが灯り、体温が戻ってきたような気がした。
「頑張るから……見てて」
「……わかった。ほら、リハーサル行ってきなさい。私も後から行くから」
「うん」
滑舌がよくなってきた。桜木は、動画サイトでは滑舌よかったんだもの、きっと緊張がほぐれてきたんだろう。
大丈夫。初ライブは絶対に成功する。私はそう確信を持って、【GOO!!】のリハーサルを見に行くこととなったのだ。