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 このところ学校が騒がしい。
 もうすぐ大規模オーディションがあるからだ。マネージメント契約をしていて、ある程度外部の仕事をしたことがある芸能コースの生徒限定だから、今までオーディションばかり受けていたところや逆にレッスンばかり続けていたところが、慌てて仕事を増やしているんだ。
 オレは少しだけふて腐れながら、食堂のラーメンを食べていた。

「北川は大丈夫か。オーディションのポスターを見せてから、全然見ないが」

 みっちゃんはスマホをちらちら見ながら、微妙な顔をしてみせる。炒飯を食べる手が遅い。

「全然連絡付かないし、マネージメントコースの校舎行っても皆微妙な顔するし。もう、どうしたんだろ。それにいきなりあんなこと言い出してさあ」

 そりゃ事務所に入りたいっていうのは願ったり叶ったりだけれど。でも一年から事務所入りするのはまずいんじゃないかってオレは思ってる。
 うちの学校は基本的に、芸能界で仕事をしている人が一番偉いって考えだ。だから学業よりも仕事を優先させられる。もちろん最近はアイドルの息も長いし、芸能界以外を知らない世間知らずにするのはまずいって考えで、適度に学校には行かせてもらえるとは思うけど。
 ……高校生活らしいことを全然しないで、ひと足先に芸能界に入ったら、早くに老け込んでしまうような気がする。
 だからこそ、マネージメント契約で、しばらくは芸能活動と学業を両立させたいって思ってたんだけどな。
 ゆうちゃんはサンドイッチを食べながら、おずおずと言う。

「……先輩たちが、帰ってきたからかな」
「あー、いたね。あの人たち」
「あんまりそんなこと言うな。うちの学校だけじゃなくって、うちの世代じゃ一番有望だろ。あの人たちは」

 既に芸能界入りを果たしている【Galaxy】は、たびたびオレを勧誘してくるけれど、そのたびに神経を逆撫でしてくるから嫌いだった。
 澤見先輩がどういう理由でオレにちょっかいかけてくるのか知らないけど。親の七光りを使って頂点に立ったところで、その七光りが通用しなくなる時間がいずれやってくる。そのときにポイ捨てされるのが目に見えているのに、どうしてそれを素直に信じられるって思ってるんだろう。
 ああ、もう。さっちゃんもさっちゃんだけれど、澤見先輩も澤見先輩だ。どうして、いつもいつもいつも。

「あれ? りょうくん」

 そう声をかけてきた女子に、顔を上げる。こうちゃんはお盆にハヤシライスを。まあちゃんはお盆にグラタンを持っていた。
 オレたちの隣の丸テーブルに座るふたりに、オレは顔を出す。

「あのさ、最近ずっとさっちゃんと連絡が付かないんだけど、なにか知らない?」
「ええ……さっちゃん。言ってなかったの? 皆のこと、気に入っているみたいだったのに……」

 こうちゃんは目を瞬かせると、まあちゃんは「はあ」と溜息をつく。

「あの子も頑固だねえ……人に頼りたがらないから、なかなか口を開かなくってさ。まさかマネージメント契約してるあんたたちにまで言ってなかったとは思わなかったよ」
「ちょっと待ってくれ。ふたりは北川の理由を知ってるのか?」

 みっちゃんの突っ込みに、ふたりは顔を見合わせた。
 こうちゃんは困ったように髪を揺らすだけだったけれど、意を決してまあちゃんが口を開いた。

「さすがにあんたたちが知らないのはまずいだろ。一応聞くけど、あんたたちはどこまで知ってるの、あの子のこと」
「どこまでって……」

 さっちゃんは、ちっとも自分の話をしない。お金が必要だとか、特待生でないといけないとか、そこまでしか、オレたちには言っていない。
 やがて、ゆうちゃんがおずおずと答えた。

「……北川さんが、お金の話をするのは、しょっちゅう聞いてたけど……それで、僕たちを事務所に早く入れたいっていうのも」
「やっぱりかあ……。あの子も馬鹿だねえ。助けることができるできないはともかく、ちゃんと説明しないと駄目だろうに」

 そう言いながら、まあちゃんが形のいい指で頬を撫でる。

「あの子ねえ……」

 それに、オレたちは目を見開いた。

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 手帳を広げて、予定を書き込む。
 オーディションまであと一週間とちょっと。私ができるのは、オーディションを受けるのか受けないのか、彼らに聞くこと。もし受けないんだったら、仕事を探してこないといけないし、受けるんだったらそれまでをレッスンで埋めないといけない。
 学校には休みの連絡を入れたものの、ここはスマホ禁止だから、あいつらに連絡入れられなかったのがまずかったなあ。

「咲子……あなた、学校は大丈夫? 最近、学校楽しそうだったのに」

 お母さんは申し訳なさそうに言っている。手には点滴。
 それに私は首を振る。お母さんをこうしてしまったのは、最近ずっと楽しくしていた私の責任だ。
 あいつらとの関係は打算のつもりだった。でも、気付いたらあいつらの才能をもっと認められたい、あいつらはすごいんだって皆に知って欲しいって、そっちばかり気にするようになっていた。
 馬鹿だなあ、私があの学校に入ったのだって、お金がなかったからなのに。
 大それた夢なんて、見ている時間はないのに。

「私のことは気にしないで。(みのり)(ゆたか)にはちゃんと心配せずに学校に行きなさいって言っておいたし、私も出席日数は足りてるから」
「そう?」
「大丈夫よ、お母さん。私は結構節約生活に慣れているし、あの子たちに心配はかけてないから……だから、シフトをもうちょっと減らしてもいいからね。ねっ?」
「……ごめんね」

 お母さんに謝られるとやるせなくって、私はお母さんの洗濯物を全部紙袋に入れると、「また来るからね。お大事に」と言って、ようやく病院を出た。
 はあ……これから学校に出ても、授業受けられないだろうし、あいつらの予定もまだ決まってないからな。オーディションを受けるのか、受けないのか。聞いておかないと。
 澤見先輩に大見得切ってしまったのに、結局あいつらの意思を私は無視してしまっている。これじゃ、柿沼を二世タレントとして売り出したい事務所となにが違うのか。ちゃんと話し合いしないとなあ……。
 とぼとぼと歩いていると、「さっちゃん!」と声が聞こえて、私は思わず顔を上げた。
 制服姿の柿沼に、林場、桜木だった。

「ちょっと……あんたたち。学校は?」
「抜けてきた! こうちゃんとまあちゃんから事情は聞いた! なんで言わないの!」
「え……」

 あのふたりがわざわざ私のことを言うとは思ってなくて、私は少し顔を引きつらせたら、すかさず桜木が「ぼ、くたちが、お願いして聞かせてもらったから、ふたりは、悪く、ないから」と返してくる。
 ……大方、真咲あたりが気を利かせたんだろうなと思って、私は深く溜息をついた。

「だって。あんたたちに言ってもしょうがないでしょ。うちが片親だって」
「言ってもらわなかったらわからないでしょ、いっつもいっつもさっちゃんは!!」

 なんで柿沼がそんなに怒るのかわからず、私はきょとんとしてしまう。
 親の七光りが可能だけれど、それを突っぱねてしまっている柿沼と、そもそも親の七光りなんて恩恵に預かれそうもない私じゃ、普通に住む世界が違うと思うのに。理不尽だとは思うけれど、それで柿沼に当たり散らしたところで、うちのお父さんが生き返る訳はないし。

「自分のこと全然考えないで、人のことばっかり気にして!」
「……私、好きなことしかしてない」
「それが勝手だって言ってんだよ! 自分だけで解決するなよ、巻き込めよ、可哀想って同情なんかしないよ、大変なんだって思っても、それでさっちゃんにしてもらったことが全部偽善だったなんて思う訳ないだろ!」

 柿沼の言っていることは無茶苦茶だ。なんで私に怒るんだ。怒られても、私の家のことなんてどうにもならないじゃないか。
 だんだんこっちだって泣きたくなってきたところで、思いっきり柿沼は林場に殴られた。

「いだっ!? なんで殴るの!!」
「誰だって言いたくないことくらいあるだろ。俺たちのマネージメントからさっさと手を引こうと思ったのは、あれだろう? お金のために利用するのに、罪悪感を覚えたからだろう? マネージメントコースの生徒にも、俺たちが引き受けた依頼料は振り込まれるはずだからな」
「違う……私は、本当に博打を打ちたくなかっただけ。あんたたちに、可哀想って思われたほうが、みじめになると思ったから」

 利用していたのは私のほうだ。なんでそんなに都合のいいように解釈してくれるんだ。ただでさえいっぱいいっぱいなのに、私じゃ手に余るから、さっさとプロにマネージメントしてもらったほうが、あんたたちのためだと思っただけだ。

「でも北川さんは、僕たちのことを思って、精一杯仕事を選んで、いい仕事をさせてくれたじゃない」
「本当に……そんなんじゃない。あんたたちが私のことどう思ってるのか知らないけど……あんたたちが思うほど、私。いい人じゃない……」
「ああん、もう! 咲子!」

 いきなり柿沼に名前を呼ばれたと思ったら、そのまま抱き締められる。制服越しでもわかる、アイドルらしい細身の体にもかかわらず、しっかりと筋肉の乗っている筋張った体だ。

「あのな、たしかにオレたち、咲子の事情になんにもできないかもしれないけど! なにもないふりされることのほうがきつい! 少しは信じてくれてもいいだろ!? 弱音くらいだったら、いつでも聞けるんだから!」

 そう言われた途端に、だんだんとやるせなくなってきて、とうとう涙腺が決壊した。柿沼の制服を掴んで、わんわんと泣き出してしまう。
 林場は溜息をついて、柿沼の頭を軽くはたいた。

「公衆の面前だ。せめて端っこに行け。あと、うちの学校は男女交際禁止だ。勘違いされるような行動は取るな」

 私がわんわん泣いている中、ふらりといなくなっていた桜木が戻ってくると、ふわんと甘い匂いのものを差し出してきた。

「あ、あの……北川さん。好きかなと思って。あんまり甘くないココア、だけど……」
「……ありがとう」

 甘いのも辛いのも好きだから、あんまり気にしなくってもいいのに。私はようやく落ち着いてから、柿沼から離れて、桜木の持ってきたココアを口にした。

「……この間、澤見先輩に会った。柿沼欲しいって、言われた」
「え」

 途端に柿沼の機嫌が悪くなるのに、やっぱりあの人のことは地雷なんだなあと再確認する。気遣わしげに、林場が尋ねてくる。

「あの人、しょっちゅう人を試すようなことばっかり言ってくるが……まさかマネージメントコースの北川まで、なにか揺すぶられたりしたか?」
「……柿沼は才能があるから、さっさとプロのマネージメント受けたほうがいいって。私も図星だとは思うけれど。それに」

 私はココアをすすってから続ける。

「……私だったら、小さな仕事を取ってくるのが精一杯。ほとんど柿沼の親御さんとのタイアップばっかりだったから、断ってたら微々たるものだよ。だから、せめてオーディションだけは受けて欲しいって思ってる。合否はともかく、学内オーディション自体は、他の事務所なんかも見に来るから。【サンシャインプロ】が嫌なら、他のもっとアットホームな事務所が声をかけてくるのを待つってのも手だし。どうする?」

 全員の顔を見る。機嫌が悪くなっていた柿沼は、考え込むように唇に手を当て、林場も顎を撫ではじめた。桜木は困ったようにマスクを指で押し、しばらく沈黙が降りたものの。

「……合否関係なくだったら」

 柿沼が言う。

「でもさっちゃん、オレたち、合格したからって、まだ事務所に入る気はないからね? わかってる?」
「はいはい……林場と桜木は」

 林場はしばらく考えてから「俺は」と言う。

「あそこの事務所はあくまでアイドルの事務所だし、俺の欲しい仕事をもらえるかはわからない。できれば所属もあそこ以外がいいが。模擬試験だと思えばそれでもかまわない」
「そっか」

 まあ、元々林場の第一志望が俳優だし、アイドルになりたいのも自己を完成させたいからっていうのがある。あんまりアイドルっぽい仕事だけするのも嫌なんだろうから、もうちょっとアイドルと役者、どちらもさせてもらえる事務所のほうがいいんだろうと納得する。
 桜木は「えっと……」と言う。

「正直、僕は……歌が歌えたら、本当はどこでもいいんだ。事務所に入らなくっても、音楽はつくれるし、発表はできるから。ただ、【GOO!!】として動けなくなるのはやだなあって思うから、もし【GOO!!】じゃ駄目ってところには、行けない。オーディションでどうなるのかは、わからないけど」
「うん、わかった」

 芸能界は蹴落とし合いだって言うし、澤見先輩みたいに武器をたくさん持っている人のほうが有利っていうのは真理のひとつだと思う。でも。
 こいつらが笑って芸能活動できる場所がいいなあと、私はそう思った。
 まずは、オーディションを受けてから考えよう。あとのことは、合否のあとの考える。ひとまずは、オーディション目指してのレッスンからだ。
 ……過労で倒れたお母さんの退院が、もうちょっと早まったら、気を遣わなくってもいいんだけど。妹と弟には、ちゃんとあとで謝っておこうと、そう考えた。