【サンシャインプロ主催:第10回響学院オーディション】

 私が遊園地のヒーローショーが終わってから見せたポスターに、皆は一様に目を瞬かせた。
「一応まだ外部の仕事の経験は少ないものの、オーディション受験資格は満たしている。もしまだ受験する度胸が足りないっていうなら、こっちも度胸づくりのために仕事を取ってくるけど」

 ポスターに目を通しているそれぞれを見ながら言うと、一度劇団に所属して、契約書関連を読み慣れているのだろう。林場は眉を潜めて言った。

「そりゃ、俺たちも事務所所属になればいろいろ有利だし、特にサンシャインプロになったら、在校生もいるから心強いが……でも、北川。お前は?」
「どうして私が出てくるの」

 私が言うと、柿沼まで口をへの字に曲げてくる。

「これさあ、なんというかずっこいよねえ。マネージメント契約して、外部の仕事を受けたことある芸能コース生徒限定のオーディションなのに。オーディションに合格したら、マネージメント契約解除が条件ってある。もしオレたちが三年で、さっちゃんも三年だったら、このまんまマネージャーとしてここの事務所に就職決められるけどさあ。一年だったらそれもできないじゃない」
「なにそれ。私はただの繋ぎでしょうが」

 そう吐き出すと、桜木が困ったように、おずおずと尋ねてきた。

「あの……いいの、北川さんは? これ、僕たちばっかり優遇されてて、マネージメントコースの……北川さんのこと、切り捨てるっていうオーディションだよ? オ、オーディションは、他にもあるし、なにもこれを受けなくっても……」

 なんでそんなこと言うんだろう。
 マネージャーだったら、誰でもよかった癖に。顔がいいのにキャーキャー言って仕事しないマネージャーも、柿沼を二世タレントとして売り出す計算高いマネージャーも、いらないんだったら、もう同年代で理想のマネージャーを見つけてくるのは無理でしょ。
 それに。こいつらの才能を見ていてつくづく思う。
 私の手には余る。だから、こいつらはプロのマネージメントを受けたほうが、絶対に輝ける。そう思っているのに、なんで素人マネージャーにそんなことを言うの。

「あんたたちは、プロのマネージャーを受けたほうがいいよ。絶対に。私だったら、あんたたちを上手くマネージメントできないから」
「そんなことないでしょ」

 ばっさりと言う柿沼に、私は少しだけ目を瞬かせた。
 普段柿沼はにこにこ笑っているのに、今私を見ている目は、ちっとも笑ってない──絶対零度の視線だ。

「さっちゃんは頑張ってる。そりゃ、最初は利用するつもりだったよ。でもさ、さっちゃんは身を粉にして働き回ってるの見てたら、信じない訳にはいかないでしょ。なのに、なんでそんなにオレたちのことを信じてくれないんだよ……!」

 なに言ってんだ、あんたは。
 私は目を大きく見開いて、彼を見ていた。信じるもなにも、私たちはもっとビジネスライクな関係だったはずでしょ。互いを利用し合うだけの関係だったでしょ。でなかったら、出会い頭に札束で人のことはたくような真似はしないでしょ。
 まるで仲間に入れてくれるようなこと、言うのは辞めてよ。
 私は言葉を詰まらせて、三人を見る。
 冷たい視線のまま、私を睨み付けている柿沼。眉を寄せて私を見ている林場。おろおろしたように、皆と私を見比べている桜木。
 ……本当に、あんたたちは、どこまでもいい奴らなんだから。
 だからこそ、私はあんたたちを、これ以上利用したくない。

「……帰る。考えが変わったら連絡して。しばらくは新規の仕事も入らないと思うから」
「ちょっと! 話はまだ終わってないでしょ」

 柿沼が私の手首を掴む。男の力に私は敵う訳はないから、口を開く。

「早く帰らないと駄目なの! 私は、今の成績を落とせないんだから!」

 そう大声を上げたら、柿沼の手の力が抜ける。私はもう、振り返ることもなく走り出していた。

****

 事務所近くの掲示板には、びっしりと貼り紙が出ている。

【前座募集! メジャーデビューバンドの前座を盛り上げてくれるバンドを募集】
【公民館の老人会で引き語りをしてくれるユニット募集】

 指名じゃない仕事は、本当にピンからキリまでだ。
 芸能界を志し、各芸能事務所ともパイプを持っている響学院だからこそ、こんな仕事もやってくる。
 それらははっきり言って、芸能人の仕事としてはほとんど小さな仕事だ。でも芸人だって歌手だって、基本的には下積み仕事が欠かせなく、なによりも人前で芸を披露する機会をたくさん重ねた結果大きな舞台で大成功を出す者も多いらしい。
 私はその中からこちらが出さないといけない交通費、経費をさっ引いて、それぞれの依頼にメリットがあるか否かを計算しながら、受けられそうな仕事をピックアップしていく。
 あれから私は、【GOO!!】のメンバーとまともに話をしていない。
 喧嘩した訳じゃないし、元々普段出歩いている校舎が違うのだ。会う用事がなかったら、こうして全く会わないことだってできる。
 私は……なにか間違ったのかな。私の事情なんて、アイドルを目指しているあいつらに関係ないし、これは私ひとりでどうにかしないといけない問題で、あいつらがどうこうできる話でもないのに。
 言ってもどうにもならないといけないことを言うのが、仲間なの?
 ううん、そもそも私は、あいつらとはあくまでマネージメント契約を結んでいるだけの関係。どうこうできない話を言うことが、あいつらのプラスになるとは思えない。
 私がうんうんと悩んでいる中、マネージメント契約をしているクラスメイトと芸能コースの女子たちが歩いて行った。

「商材写真楽しみ! 可愛く撮ってね!」
「はいはい、ちゃんとカメラマンさんに頼んでおくから」
「わーいわーい、楽しみぃー」

 私の後ろをふたりは仲良く通り過ぎていった。男女で歩いていても、ふたりの関係はビジネスライクよりは気安く、友達というには距離が遠い。
 仕事仲間。多分そういう関係だろう。
 私は、あいつらとそんな関係になりたかったの? いや、もっと乾いた関係だったと思うのに、いったいどうしてこうなったんだろう。私の思考回路が、またも袋小路に差し掛かったところで。  

「今日、登校してきてるんだって!」
「えぇー……本当に!?」

 黄色い声があちこちから湧き上がっていることに気付き、私は訝しがる。
 既に事務所に所属している芸能コースの生徒は、マネージメントは既に事務所の人にお任せしているし、学業よりも芸能界の仕事を優先させられる。ちなみに仕事の場合はうちの学校の場合は公欠扱いになるし、別個で特別授業を受けることで、単位問題もクリアになっていたはずだ。

「あぁー……懐かしい、俺たちもこんな仕事受けてたよねえ……」

 いきなり私の肩越しに人の気配を感じ、私はびっくりして固まる。その人は私の肩にわざと顔を近付けて、掲示板を凝視していたのだ。
 黄色い声は、悲鳴に変わる。私は固まったまま、動けないでいた。

「掲示板は非効率的だ。スマホのアプリに仕事の依頼は集約すべきだ。あまりにも前時代的で好ましくない」

 その声は、一瞬男か女かわからずに混乱する。どうも私の真後ろにいる人のお仲間らしいけれど。私が固まっている中、またひとり、私の近くに寄ってきた。

「そうでもないと思うよ。宣伝依頼をしたくとも、スマホを持っていないという人は未だに多いからね。アプリの使い方を覚えるくらいだったら、郵送で依頼を申し込んだほうが早い場合だってあるから。こら、琢磨(たくま)。マネージメントコースの彼女が困っているよ? ごめんね、彼、久々に学校に登校できたからはしゃいでいるみたいで」
「はあ……」

 ようやく真後ろの気配が消えたので、私はようやく振り返る。
 ……全員緑色のネクタイだけれど、明らかにうちの学校の生徒とはオーラが違う。たしかに芸能コースの生徒は、全員驚くほどに顔がいいし、見るたびにこちらが「ひぎっ」「ふぐっ」と仰け反るくらいだけれど、今私の近くにいる彼らはそれ以上だ。
 なんていうんだろう。うちの学校の奴らが原石とするならば、彼らは既に磨き抜かれているダイヤモンド……と言ったところだろうか。
 私の肩に顎を乗せる乗せないくらいに近付いてきたのは、すらりとした体躯だけれど、ブレザーのシャツのボタンが少し開いていて、そこから覗く鎖骨から下は、引き締まった筋肉が見える。ただ細いんじゃなくって鍛えているんだ。
 男か女かわからない声を出していたのは、見て驚くのは、彫りが深い顔に真っ白な肌、真っ青な目。おまけに髪は銀髪と、明らかに日本人の顔ではなかった。ハーフなんだろう。
 そして穏やかにふたりを取りまとめている人。
 ゆるいウェーブのかかった髪は、不可思議な色に染まっている。穏やかに笑った垂れ目が印象的だけれど、それでも彼から放たれているオーラは、周りの視線を集中させる。

「ああ、やっぱり来てた。【Galaxy】よ!」
「本当にいたぁぁぁぁ!」

 途端に歓声が沸き上がるので、私は思わず耳を塞ぐ。その声はミーハーなマネージメントコースの生徒たちだけでなく、普通コース、特進コースからまで歓声は広がっている。
 ええっと……ギャラクシー……ん、【Galaxy】?
 同じ名前のメーカーのスマホやタッチパネルの宣伝をしている、アイドルユニットのことを、私はようやく思い出した。
【サンシャインプロ】に所属している、現役学生アイドルユニットだったはずだ。たしか今度のオーディションで、特別審査員枠に入っていたはずだ。
 柿沼や林場が「プロデュースコースの質が今年は落ちてる」と苦言を示したのは、【Galaxy】と同じ学校に入りたいって思う子たちがマネージメントコースに少なからずいたからじゃないかな。
 でも待って。なんで私がこの人たちに囲まれているんだ、状況がちっとも理解できない。

「あのう……私になにかご用でしょうか……?」
「うん。在校生から面白い話があったからね、久々の登校日だから見物に来たんだよ。たしか、新入生の特待生だったよね、君は」
「はい……?」

 だから。うちの学校で特待生なんて、そこまで珍しくないでしょ。なんで私が特待生だって芸能コースは知っとるんじゃ。
 つっこみたくとも、その甘いマスクと圧倒的なカリスマオーラの前に、私の声帯は仕事をしてはくれない。
 彼はにこにこ笑いながら、言葉を続ける。

「うん、噂の涼くんがアイドルユニットを結成して、マネージメント契約を結んだと聞いたから、様子を見に来たんだよ。さすが芸能コースでも有力な彼だ。特待生を口説き落として、契約してしまうなんてね……君も可哀想なことだね」

 そう言うのに、なにかが突き刺さる。
 うん? 私はその違和感を覚えたまま、彼を凝視する。ええっと、【Galaxy】のリーダーの名前は、たしか……澤見一樹(さわみかずき)だったか。私は澤見先輩を声が出ないまま見上げていたら、彼はやんわりと続ける。

「悪いことは言わない。早く契約を破棄しなさい。君もまた、彼のオーラに当てられて、疲れた顔をしているようだから」
「……どういう、意味ですか? そもそも澤見先輩は、どうして柿沼を知っているんですか?」

 私はどうにか声帯に仕事をさせるものの、やっぱり上手くしゃべることはできないままだ。澤見先輩はにこにこしたまま続ける。

「ああ、彼をうちのユニットに誘ったけれど、断られてしまったからね。さすがに強制はできないから。でも新しくユニットをつくったのを見て、今のおままごとじゃ、彼は潰れてしまうなと思ったから、潰れてしまう前に彼を救い出したかったんだ」

 んんんん……?
 私はますます困惑した。後ろのほうで、残りのふたりが「またはじまった」と言う顔で呆れ果てている。
「マネージメントコースってすごい、【Galaxy】としゃべってるなんて!」なんて脳天気な声は、普通コースと特進コースからだけ聞こえた。多分内容はわかっちゃいないだろう。マネージメントコースの生徒たちは、やばい話に巻き込まれそうだと判断して、黄色い声を上げていた子たちすら、さっさと退散してしまっている。
 ……テレビでは爽やかな正統派アイドルで売っているけれど、どうにも澤見先輩は陰謀大好き人間のようだ。
 見た目はイケメン、中身は腹黒っていうのが、今のアイドルのセオリーなんだろうか。
 柿沼の腹黒さにさんざん当てられている自覚のある私は、そうぼんやりと思う。

「彼は魅力的な逸材だ。彼の天性のオーラは、磨けば芸能界でも生き残れる。その上、親のバックボーンも強く、彼がよっぽどのヘマをしない限りは一生その恩恵に預かれる。そんな彼がお遊びユニットで素人のマネージメントを受けて落ちぶれる姿は見たくないからね。さあ、手を引きたい旨を伝えに行きなさい」
「……どうして柿沼が、先輩の誘いを断ったのか、わかりました」
「えっ?」

 彼はパチンと目を瞬かせた。
 私だって、正直澤見先輩と同程度でしか、柿沼のことは知らないと思う。
 私だってわかってはいる。自分が素人マネージャーであり、習い立てのマネージメントを駆使してあいつらを芸能界入りさせないといけないのがあまりに無茶ゲーだっていうことくらい。だから、あいつらを手放そうと思ったんだから。
 でもさ。あいつらの歌がいいっていうことくらいはわかっている。
 あいつらが今まで受けた仕事は、たしかに前座だ。前に立つものじゃない。でも。親の七光りを使ったことは、誓って一度だってない。

「あなたはたしかに既に全国区のアイドルです。多分今の芸能界だったら、同年代で一番すごい人たちなんだと思いますし、あいつはプロのマネージメントを受けられるだけの価値があるんだと思います。でも」

 初めて会ったときの、あいつの醒めた目を思う。
 親の七光り扱いをどれだけ受けたんだろう。私にはそんな七光りを与えてくれるような親なんていないけど、多分四六時中そんな扱いを受けてたら、きっと辟易してしまう。それですり寄ってくる人たちを、いったい何人袖にしてきたんだろう。
 でも、そんな醒めた目の奴は、少なくとも林場と桜木の前では、普通の屈託ない顔で笑っていた。あの笑顔は間違いなくアイドルのそれであり、あいつの目指しているものであり。私が売り出さないといけないものだ。

「林場と桜木……あいつの仲間のほうが、先輩よりよっぽどあいつのことを理解しています。私も、あいつを親の七光りでマネージメントしたことはありませんし、これからもする気はありません」
「へえ……? 武器は多いに越したことはないのに、その武器を封印すると? それって、マップ武器だから、持ってない人間だったら誰だって欲しがるものだと思うんだけどね?」
「……私だって、これが青臭いってことくらいわかっています。あいつの武器を使ったほうが楽だってことも理解できます。ただ、マップ武器なんて弾薬そうそう替えられないじゃないですか。いずれ飽きは来ますし、そんなことであいつを消耗させたくはありません」

 我ながら、なにトップアイドルにまくし立ててるんだと思う。
 喧嘩売る相手間違ってるんじゃないか。そもそも柿沼をさっさと事務所入りさせれば、マネージメント契約は効力を失い、私は元の資格勉強に明け暮れる生活に戻れるというのに。でも心が納得できなかった。
 あいつの歌声を、あいつの笑顔を、こんなところで曇らせたくないと。
 澤見先輩は私の言葉を「ふうん」と指で顎をなぞりながら聞いていた。

「マネージメントの基本をわかっていないね。君は。武器はなんでも使う。そうじゃなかったら芸能界っていう荒野を生き残れないから」
「たしかに、全員敵だとしたら、そうなんでしょうね。でも私は、それだけではないと思いますから」
「……ふうん、そうか」

 澤見先輩は勝手に納得したあと、私の肩を叩いてそのまま横をすり抜けた。……ええ?

「それじゃあ、名前を聞いておこうか」
「……マネージメントコース一年の、北川咲子です」
「うん、咲子さんか。涼くんの才能は本当に素晴らしいが、彼の仲間の力は未知数だ。せいぜい彼のマップ兵器を封印できるよう、足場を固めておきなさい。もし足場を固めておかなかったら、折角のマップ兵器も重みで地盤を割って落ちてしまうから」
「はあ……」

 そのまま澤見先輩が立ち去った中、残されたふたりの先輩も続こうとする。片方の先輩……私に必要以上に近付いてきた先輩だ……が手を合わせてきた。

「ああ、ごめんな、一樹も可愛い後輩を見たら、やたらめったら先輩風を吹かせて偉そうにする癖があるんだよ」
「はあ……」

 今の話。先輩風の産物だったのか。そしてこのチャラついている先輩は、意外にも面倒見はいいらしい。たしか……先輩は北村琢磨(きたむらたくま)先輩だったかな。私と名字がひと文字違いだ。
 ハーフの先輩は星野翔(ほしのかける)先輩。ときどき映っているインタビューではやたらめったら不思議な発言ばかりしていたから、キャラを盛っているのかとばかり思っていたけれど、素らしい。

「それじゃ、もし機会があったら。またね」
「はあ……また?」

 三人が立ち去っていくのを、私は呆然と見送ったあと、急に足の力が抜けて、そのままへなへなと座り込んでしまった……芸能界を生き残っているオーラに当てられて、精神力を根こそぎ使い果たしてしまったんだ。私はぐったりとしながら、壁に手を突き、どうにか立ち上がろうと足の裏に力を込める。
 ……偉そうなことを言ってしまったけれど、あいつらとはまだ喧嘩中なんだ。
 私があいつらにできることって、なに? オーディションを受けさせること? 仕事を取ってくること? それとも、また別の選択肢があるの?
 頭がぐちゃぐちゃして、どうにも上手く働かないけれど。澤見先輩に柿沼を渡したくないと、そう思ってしまったんだ。