音楽室の個室。私は桜木から「新曲できたよ」と連絡をもらって、それを聞かせてもらっていた。
アイドルソングと言っても、ジャンルはいろいろある。
定番のJ-POPは明るい恋愛ソングや夢を追いかけるときめきを歌ったものが多いけれど、既にそれは大手アイドルユニットが歌っているし、そもそも学校から借りている曲が定番のアイドルソングなんだから、変化を付けたい。
だからと言って食事中に派手すぎる曲を聞かせるのも気が引けるから、私は桜木に「フードコートの食事の邪魔にならないようにして」「こっちは時間がないから振り付けの発注ができないから、踊らなくっても間が持つようなもの」と、我ながら抽象的過ぎる発注をかけたけれど。
前に聞いた曲よりも、何倍も完成度を高めていた曲を、私は真剣に聞いていた。
元々甘い桜木の声に、バラードはよく似合った。全部聞き終えてから、ようやく桜木は広げたノートパソコンを閉じた。
「ど、どう……かな?」
「桜木……あんた、天才?」
「え?」
またも桜木はマスクで鼻から下を隠してしまい、目をしぱしぱとさせる。
私は曲を聞きながら頷く。まだ勉強している途中で、音楽業界について詳しい訳ではないけれど、桜木が登録している動画サイトの歌い手の曲はあらかた聞いた。
歌い手のつくる曲は、音楽をがっつり勉強している人がつくっているパターンを崩しているのが多い。それは一見すると斬新に聞こえるけれど、上手い具合にまとめてしまわないと、だんだん外れたパターンは斬新さよりも不安を誘ってしまうあやうさがある。でも桜木の曲はその着地点が上手いんだ。
定番のアイドルソングに、聞かせるバラード。この二曲で、なんとかライブができる。
前座とはいえど、これで正式がライブができるんだから、願ったり叶ったりだ。
「曲がすごくいい。前に途中の分を聞かせてもらったけれど、それよりも格段によくなっている。これは絶対に聞いてもらえる。これ、他のふたりにも聞かせるから。歌詞は?」
「う、うん……」
桜木は慌てて印刷した歌詞をくれた。曲を配る際に歌詞もコピーして渡しておかないと。あとは歌の先生に見てもらって練習したら、どうにかライブには間に合うか。
本当に突貫だったけれど、なんとかなるもんだ。
あとに、桜木のアカウント削除の問題だ。
「……あんたには悪いけれど、本当にグレイゾーンだから、動画サイトのアカウント消してもらわないといけないんだけど。大丈夫?」
ライブの宣伝動画を流したら、一日後のアカウントを削除する。そう桜木に約束を取り付けたのだけれど。あんまりSNSを弄らない私はさておいて、中学時代からずっと自分のアカウントに曲を載せ続けていたのを見ると、すこーしだけ忍びない。
桜木は一瞬視線を泳がせたあと、マスクをずらして、私と視線を合わせる。
「ありがとう……応援してくれた人たちに、お礼を言える機会をつくってくれて。アカウントを消してしまうのは悲しいけど。でも、それがはじまりだと思うから」
そう言って、ふんわりと笑った。
ほんとーうに、桜木は顔がいいのだ。私は少しだけ視線を逸らした。
「桜木、あんた普段からマスク付けてるけどさあ。それ、外せないの? まあ、喉を痛めるからとかだったら、私も止められないんだけど」
「ぼ、く……まだ、柿沼くんとか、林場くんみたいに、人と面と向かってしゃべれないから……マスクがないと、不安で……」
人見知りが原因か。私は仕方なく、桜木のマスクに指を引っかけた。
「取りなさい。初仕事が終わってからも、仕事取ってくるとき、人見知りが邪魔をしたら、話になんないでしょ」
「う、うん……頑張る」
なんでこんなに小動物みたいな反応するんだ。もう。私もこれ以上は強く言うことができず、しょげてしまった桜木に「まずはレッスン以外でマスクを取る訓練しなさい」と言うだけに留めてしまった。
それはあまりにも甘過ぎるとは、自分でも思うんだけど。この手の生き物には、どうしても強くは出られないんだよね。
私たちは、音源を柿沼と林場に送り、歌詞もそれぞれに配ってから、放課後のレッスンに落ち合うこととなったのだ。
スーパー銭湯のライブまで、本当に突貫工事だったけれど。次の日曜にはいよいよライブなんだ。もうそろそろ衣装を着てのレッスンにもなるから、忙しくなる。
私が音楽室の個室から出たところで、アプリが反応していることに気付き、スマホをタップする。琴葉からだった。
【衣装できたよ。突貫でごめんね】
出来上がった写真と一緒にそんなメッセージが入っていた。半被をモチーフにした衣装に、ハーフパンツ。うん、完璧だ。
私は琴葉に【ありがとう!!!!】とお礼メッセージを送ったあと、今日のレッスン時間とレッスン場所の番号を送っておいた。さあ、最後の仕上げだ。私は握りこぶしをぎゅっとつくって、マネージメントコースの校舎へと戻っていった。
****
放課後になったら、予定のレッスン場に急いでいるところで「さっちゃーん!」と甲高い声で呼ばれて振り返ると、紙袋を提げた琴葉が駆け寄ってきた。
「琴葉、ありがとうね。他の芸能コースの人たちからも依頼があったんでしょう?」
「うん。大変だったなあ……演劇用衣装に、商材用衣装に、今回のライブ衣装……全部コンセプトが違うから、選ぶ布地から型紙まで全部違うしねえ」
指折りながらそうのんびりと言う琴葉に、私は思わず身震いした。本当にファッションデザインって大変だ。演劇用衣装もライブ衣装も、ドラマや映画の撮影用の衣装と違って、普段着遣いなんてまず無理だ。舞台上で目立つこと前提の服だから、素材からして目立たないと意味がないんだから。
いろいろ予定が立て込んでいたのに、よくここまで仕上げてくれたもんだと、私は琴葉に手を合わせた。
「本当にありがとね。次もあんたに仕事回せるよう、私もうちの奴らの仕事取ってくるから」
「そりゃわかってるよう。でも楽しみだなあ。今まで芸能コースの人たちとはいろいろ話してきたけど、アイドルやってる人たちとしゃべるのは初めてなんだあ」
そう言って琴葉はにこにこしている。そりゃそうか。この子の夢はライブ会場で、自分のデザインした服を着て歌って踊っているアイドルを鑑賞することなんだから。
「うちの奴ら、男アイドルだけどいいの?」
「そりゃいいよー。女子アイドルと男子アイドルだと、コンセプトもいろいろ違うけど、ライブ会場でわたしの服見れるのだけは変わらないんだからあ」
そうこうしている間に、レッスン場に来た。そこでは既にレッスンで最後の仕上げをしていた。空調を効かせているにも関わらず、相変わらずアイドルの踊りは汗をふんだんに掻く。汗の匂いをむわりと漂わせながら、三人が曲をかけてマイクで歌いながら踊っていた。
学校の曲だから、皆聞いたことある歌だ。それを琴葉は目をキラキラさせながら見ているのに苦笑しながら、私は手をパンパンと叩いた。
「皆ー、練習中にごめん! 衣装が完成したから、衣装着て練習してもらってもいい? サイズがおかしかったら、すぐに調整するから。ほら、彼女はファッションデザインコースの島津琴葉さん。柿沼と林場は会ったことあるだろうけど。はい、お礼言ってー」
「ありがとうございます!!」
三人ともペコッと頭を下げたのに、琴葉はにこにこ笑いながら、「はい、着替えてー」と服を差し出した。
急いで着替えはじめたのに、まるで男子校だなあと私は思う。共学だったら、割と女子と男子と分けて着替えるから、女子が教室に入ってきた途端に男子が衣を裂いたような悲鳴を上げてもおかしくなかったのに。
弟がいる関係で見慣れている私と、既にあちこちに衣装係として派遣されてつくった衣装のサイズチェックを行っている琴葉は、慣れきった様子でそれを眺めていた。
さっさと着替え終えたのは林場だった。
「すまない。衣装の着付けはこれで合っているか?」
半被にハーフパンツの衣装は、元々和風な雰囲気の林場には驚くほど似合っていた。琴葉は少しだけ半被の裾をチェックして、それに付属のたすきを取り出す。
「あとは袖をたすき掛けすれば完成なんだけど。自分でたすき掛けできるかな?」
「あー……すまん、頼む」
「オッケー」
たすきで裾を止めて、クロスして結ぶ。これでダンスを踊っていても、袖が邪魔ということもないし、歌を歌っているときに袖がパタパタして気になることもないはず。
さっさとひとりで着替え終えた柿沼は、たすき掛けに手間取っている桜木のたすきを結んであげている。
それぞれ両手両足を動かしてもらうけれど、縫製は問題ないし、動きも阻害しないみたい。そのまま一曲踊ってもらうことになった。
私はパイプ椅子を琴葉の分も引っ張り出して座り、皆の動きを見ながら手帳に書き込んだ。
手帳に書いてあるタスクリストにチェックを入れる。
曲は一曲目は完全に仕上げてある。二曲目のバラードの完成がまだだけれど、もう衣装はできているし、あとはライブ前にリハーサルさえやればいけるか。本当にギリギリのスケジュールだな。立てたのは私だし、自業自得だけれど。
そう思いながら、三人のそれぞれを眺めていたら、隣で琴葉が目をキラキラさせているのが目に入る。
「……琴葉?」
「かっこいい、すごい……」
「……ちょっと?」
目がハートになっているのに、私は内心「やばい」と冷や汗をかく。
この子は惚れっぽいんだ。私はすっかり見慣れてしまったけれど、一応【GOO!!】の連中は顔はいいんだ。免疫がなかったら落ちる子だっているだろう。
でもうちの学校は恋愛禁止だし、こんなことでこの問題児らの足かせになる訳には。
「あの、琴葉?」
「わたしのつくった衣装をアイドルが着て踊ってる! かっこいい、すごい!!」
「あ、そっちか?」
琴葉の歓声に、私は心底ほっとした。あー、そっか。この子の趣味はどちらかというと年上だもんね。同い年のこいつらは範疇外か。よかった。あー、本当よかった。
曲が終わったところで、私は「ありがとう! 衣装問題なかった? 問題なかったのなら、これ全部回収して本番までにクリーニングかけるけど」と声をかける。
それに柿沼は、こっちまでやってきて、クルンと回転してみせた。和装がよく似合っている。三人ともスタイルはいいし、この分だったら他の和装も着せたいけれど、こいつらは和風って色を付けて売るのも曲調からしてよろしくないし、次はもっと正統派のアイドル衣装用意してもらったほうがいいかなと考えていたら、柿沼はそのままパイプ椅子のほうまでやってくると、琴葉の手をぎゅっと取った。
「ありがとう! すっごい着心地いい! 本番もよろしく」
そうアイドルスマイルで言ったのだ。
……こいつは。私は思わず額に手を当てた。
恋するなら年上趣味だろうが、芸能人に免疫のない子がアイドルオーラに当てられて、平常心を保てる訳がない。琴葉は動転して、そのままパイプ椅子ごと倒れてしまった。
「ちょっ、琴葉……!? こら、柿沼! 衣装用意してくれた子からかうんじゃない!」
「あはははは、ごめんごめん」
私は慌てて、トんでしまった琴葉の救出に向かうのだった。
****
ライブまで突貫工事。
うちのマネージャーも予定の組み立てが乱暴で、一曲目のレッスンは進んだものの、二曲目は完成を待たなければいけなかった。桜木の曲は聞いたことがあるが、彼の曲はたしかにいい。だが、俺たちが覚えられなかったら意味がない。
まだかまだかと思ったところで、ようやく二曲目のデータがスマホに届いた。急いでそれを流す。
「あっ、ゆうちゃんすごい。わざと歌詞を覚えやすい曲にしてる」
柿沼はにこにこしながら、曲を何度も何度も再生させていた。たしかに、曲自体は癖のないバラードだ。だがバラードは歌唱力の差が露骨に出る。突貫工事でライブで歌えるものなのか。
俺はそれを何度も何度も真剣に聞いていたら、柿沼が人の眉間に指をぐいっと押しつけてきた。
「みっちゃん。眉間の皺すごーい。さっちゃんみたいだ」
「な……元々は北川を困らせているのはお前だろ」
「そしてさっちゃんはオレたちのために、今までの倍々働いている訳だ。特待生辞める訳にはいかないから、学業は落とせないし。退学がかかっているからオレたちから目を離せないし」
柿沼は謳うようにそうのたまうので、思わずまた眉間に力がこもると、柿沼はそこを面白がって何度も何度も指で突っついてくる。うっとうしいと、手をベチンと払いのけたら、本人は「あはは」と笑った。
「まさか、ここまで嫌がらせして、逃げないとは思わなかったんだ」
「……柿沼。まだ北川を信用してないのか?」
いい加減、彼女のことを信じてやって欲しいと思う。彼女が桜木の事情を考慮した上で、曲をライブ前ギリギリまで粘って制作させたんだから、ギリギリの配慮のはずだ。
俺の言葉に、柿沼はキョトンとする。
「んー……だってさあ。さっちゃんは、オレたちのことまだ信じてないじゃない?」
「……待て、話が飛躍し過ぎてわからない」
「信じてもらえないのに、100%信じることって、できなくない?」
この宇宙人が。わかる日本語で言え。
それから柿沼は、放課後まで俺の追求をのらりくらりと交わしたのだから、本当に始末に負えない。こいつがいったいなににそこまで固執してるのかは、そのときはちっともわからなかったんだ。
アイドルソングと言っても、ジャンルはいろいろある。
定番のJ-POPは明るい恋愛ソングや夢を追いかけるときめきを歌ったものが多いけれど、既にそれは大手アイドルユニットが歌っているし、そもそも学校から借りている曲が定番のアイドルソングなんだから、変化を付けたい。
だからと言って食事中に派手すぎる曲を聞かせるのも気が引けるから、私は桜木に「フードコートの食事の邪魔にならないようにして」「こっちは時間がないから振り付けの発注ができないから、踊らなくっても間が持つようなもの」と、我ながら抽象的過ぎる発注をかけたけれど。
前に聞いた曲よりも、何倍も完成度を高めていた曲を、私は真剣に聞いていた。
元々甘い桜木の声に、バラードはよく似合った。全部聞き終えてから、ようやく桜木は広げたノートパソコンを閉じた。
「ど、どう……かな?」
「桜木……あんた、天才?」
「え?」
またも桜木はマスクで鼻から下を隠してしまい、目をしぱしぱとさせる。
私は曲を聞きながら頷く。まだ勉強している途中で、音楽業界について詳しい訳ではないけれど、桜木が登録している動画サイトの歌い手の曲はあらかた聞いた。
歌い手のつくる曲は、音楽をがっつり勉強している人がつくっているパターンを崩しているのが多い。それは一見すると斬新に聞こえるけれど、上手い具合にまとめてしまわないと、だんだん外れたパターンは斬新さよりも不安を誘ってしまうあやうさがある。でも桜木の曲はその着地点が上手いんだ。
定番のアイドルソングに、聞かせるバラード。この二曲で、なんとかライブができる。
前座とはいえど、これで正式がライブができるんだから、願ったり叶ったりだ。
「曲がすごくいい。前に途中の分を聞かせてもらったけれど、それよりも格段によくなっている。これは絶対に聞いてもらえる。これ、他のふたりにも聞かせるから。歌詞は?」
「う、うん……」
桜木は慌てて印刷した歌詞をくれた。曲を配る際に歌詞もコピーして渡しておかないと。あとは歌の先生に見てもらって練習したら、どうにかライブには間に合うか。
本当に突貫だったけれど、なんとかなるもんだ。
あとに、桜木のアカウント削除の問題だ。
「……あんたには悪いけれど、本当にグレイゾーンだから、動画サイトのアカウント消してもらわないといけないんだけど。大丈夫?」
ライブの宣伝動画を流したら、一日後のアカウントを削除する。そう桜木に約束を取り付けたのだけれど。あんまりSNSを弄らない私はさておいて、中学時代からずっと自分のアカウントに曲を載せ続けていたのを見ると、すこーしだけ忍びない。
桜木は一瞬視線を泳がせたあと、マスクをずらして、私と視線を合わせる。
「ありがとう……応援してくれた人たちに、お礼を言える機会をつくってくれて。アカウントを消してしまうのは悲しいけど。でも、それがはじまりだと思うから」
そう言って、ふんわりと笑った。
ほんとーうに、桜木は顔がいいのだ。私は少しだけ視線を逸らした。
「桜木、あんた普段からマスク付けてるけどさあ。それ、外せないの? まあ、喉を痛めるからとかだったら、私も止められないんだけど」
「ぼ、く……まだ、柿沼くんとか、林場くんみたいに、人と面と向かってしゃべれないから……マスクがないと、不安で……」
人見知りが原因か。私は仕方なく、桜木のマスクに指を引っかけた。
「取りなさい。初仕事が終わってからも、仕事取ってくるとき、人見知りが邪魔をしたら、話になんないでしょ」
「う、うん……頑張る」
なんでこんなに小動物みたいな反応するんだ。もう。私もこれ以上は強く言うことができず、しょげてしまった桜木に「まずはレッスン以外でマスクを取る訓練しなさい」と言うだけに留めてしまった。
それはあまりにも甘過ぎるとは、自分でも思うんだけど。この手の生き物には、どうしても強くは出られないんだよね。
私たちは、音源を柿沼と林場に送り、歌詞もそれぞれに配ってから、放課後のレッスンに落ち合うこととなったのだ。
スーパー銭湯のライブまで、本当に突貫工事だったけれど。次の日曜にはいよいよライブなんだ。もうそろそろ衣装を着てのレッスンにもなるから、忙しくなる。
私が音楽室の個室から出たところで、アプリが反応していることに気付き、スマホをタップする。琴葉からだった。
【衣装できたよ。突貫でごめんね】
出来上がった写真と一緒にそんなメッセージが入っていた。半被をモチーフにした衣装に、ハーフパンツ。うん、完璧だ。
私は琴葉に【ありがとう!!!!】とお礼メッセージを送ったあと、今日のレッスン時間とレッスン場所の番号を送っておいた。さあ、最後の仕上げだ。私は握りこぶしをぎゅっとつくって、マネージメントコースの校舎へと戻っていった。
****
放課後になったら、予定のレッスン場に急いでいるところで「さっちゃーん!」と甲高い声で呼ばれて振り返ると、紙袋を提げた琴葉が駆け寄ってきた。
「琴葉、ありがとうね。他の芸能コースの人たちからも依頼があったんでしょう?」
「うん。大変だったなあ……演劇用衣装に、商材用衣装に、今回のライブ衣装……全部コンセプトが違うから、選ぶ布地から型紙まで全部違うしねえ」
指折りながらそうのんびりと言う琴葉に、私は思わず身震いした。本当にファッションデザインって大変だ。演劇用衣装もライブ衣装も、ドラマや映画の撮影用の衣装と違って、普段着遣いなんてまず無理だ。舞台上で目立つこと前提の服だから、素材からして目立たないと意味がないんだから。
いろいろ予定が立て込んでいたのに、よくここまで仕上げてくれたもんだと、私は琴葉に手を合わせた。
「本当にありがとね。次もあんたに仕事回せるよう、私もうちの奴らの仕事取ってくるから」
「そりゃわかってるよう。でも楽しみだなあ。今まで芸能コースの人たちとはいろいろ話してきたけど、アイドルやってる人たちとしゃべるのは初めてなんだあ」
そう言って琴葉はにこにこしている。そりゃそうか。この子の夢はライブ会場で、自分のデザインした服を着て歌って踊っているアイドルを鑑賞することなんだから。
「うちの奴ら、男アイドルだけどいいの?」
「そりゃいいよー。女子アイドルと男子アイドルだと、コンセプトもいろいろ違うけど、ライブ会場でわたしの服見れるのだけは変わらないんだからあ」
そうこうしている間に、レッスン場に来た。そこでは既にレッスンで最後の仕上げをしていた。空調を効かせているにも関わらず、相変わらずアイドルの踊りは汗をふんだんに掻く。汗の匂いをむわりと漂わせながら、三人が曲をかけてマイクで歌いながら踊っていた。
学校の曲だから、皆聞いたことある歌だ。それを琴葉は目をキラキラさせながら見ているのに苦笑しながら、私は手をパンパンと叩いた。
「皆ー、練習中にごめん! 衣装が完成したから、衣装着て練習してもらってもいい? サイズがおかしかったら、すぐに調整するから。ほら、彼女はファッションデザインコースの島津琴葉さん。柿沼と林場は会ったことあるだろうけど。はい、お礼言ってー」
「ありがとうございます!!」
三人ともペコッと頭を下げたのに、琴葉はにこにこ笑いながら、「はい、着替えてー」と服を差し出した。
急いで着替えはじめたのに、まるで男子校だなあと私は思う。共学だったら、割と女子と男子と分けて着替えるから、女子が教室に入ってきた途端に男子が衣を裂いたような悲鳴を上げてもおかしくなかったのに。
弟がいる関係で見慣れている私と、既にあちこちに衣装係として派遣されてつくった衣装のサイズチェックを行っている琴葉は、慣れきった様子でそれを眺めていた。
さっさと着替え終えたのは林場だった。
「すまない。衣装の着付けはこれで合っているか?」
半被にハーフパンツの衣装は、元々和風な雰囲気の林場には驚くほど似合っていた。琴葉は少しだけ半被の裾をチェックして、それに付属のたすきを取り出す。
「あとは袖をたすき掛けすれば完成なんだけど。自分でたすき掛けできるかな?」
「あー……すまん、頼む」
「オッケー」
たすきで裾を止めて、クロスして結ぶ。これでダンスを踊っていても、袖が邪魔ということもないし、歌を歌っているときに袖がパタパタして気になることもないはず。
さっさとひとりで着替え終えた柿沼は、たすき掛けに手間取っている桜木のたすきを結んであげている。
それぞれ両手両足を動かしてもらうけれど、縫製は問題ないし、動きも阻害しないみたい。そのまま一曲踊ってもらうことになった。
私はパイプ椅子を琴葉の分も引っ張り出して座り、皆の動きを見ながら手帳に書き込んだ。
手帳に書いてあるタスクリストにチェックを入れる。
曲は一曲目は完全に仕上げてある。二曲目のバラードの完成がまだだけれど、もう衣装はできているし、あとはライブ前にリハーサルさえやればいけるか。本当にギリギリのスケジュールだな。立てたのは私だし、自業自得だけれど。
そう思いながら、三人のそれぞれを眺めていたら、隣で琴葉が目をキラキラさせているのが目に入る。
「……琴葉?」
「かっこいい、すごい……」
「……ちょっと?」
目がハートになっているのに、私は内心「やばい」と冷や汗をかく。
この子は惚れっぽいんだ。私はすっかり見慣れてしまったけれど、一応【GOO!!】の連中は顔はいいんだ。免疫がなかったら落ちる子だっているだろう。
でもうちの学校は恋愛禁止だし、こんなことでこの問題児らの足かせになる訳には。
「あの、琴葉?」
「わたしのつくった衣装をアイドルが着て踊ってる! かっこいい、すごい!!」
「あ、そっちか?」
琴葉の歓声に、私は心底ほっとした。あー、そっか。この子の趣味はどちらかというと年上だもんね。同い年のこいつらは範疇外か。よかった。あー、本当よかった。
曲が終わったところで、私は「ありがとう! 衣装問題なかった? 問題なかったのなら、これ全部回収して本番までにクリーニングかけるけど」と声をかける。
それに柿沼は、こっちまでやってきて、クルンと回転してみせた。和装がよく似合っている。三人ともスタイルはいいし、この分だったら他の和装も着せたいけれど、こいつらは和風って色を付けて売るのも曲調からしてよろしくないし、次はもっと正統派のアイドル衣装用意してもらったほうがいいかなと考えていたら、柿沼はそのままパイプ椅子のほうまでやってくると、琴葉の手をぎゅっと取った。
「ありがとう! すっごい着心地いい! 本番もよろしく」
そうアイドルスマイルで言ったのだ。
……こいつは。私は思わず額に手を当てた。
恋するなら年上趣味だろうが、芸能人に免疫のない子がアイドルオーラに当てられて、平常心を保てる訳がない。琴葉は動転して、そのままパイプ椅子ごと倒れてしまった。
「ちょっ、琴葉……!? こら、柿沼! 衣装用意してくれた子からかうんじゃない!」
「あはははは、ごめんごめん」
私は慌てて、トんでしまった琴葉の救出に向かうのだった。
****
ライブまで突貫工事。
うちのマネージャーも予定の組み立てが乱暴で、一曲目のレッスンは進んだものの、二曲目は完成を待たなければいけなかった。桜木の曲は聞いたことがあるが、彼の曲はたしかにいい。だが、俺たちが覚えられなかったら意味がない。
まだかまだかと思ったところで、ようやく二曲目のデータがスマホに届いた。急いでそれを流す。
「あっ、ゆうちゃんすごい。わざと歌詞を覚えやすい曲にしてる」
柿沼はにこにこしながら、曲を何度も何度も再生させていた。たしかに、曲自体は癖のないバラードだ。だがバラードは歌唱力の差が露骨に出る。突貫工事でライブで歌えるものなのか。
俺はそれを何度も何度も真剣に聞いていたら、柿沼が人の眉間に指をぐいっと押しつけてきた。
「みっちゃん。眉間の皺すごーい。さっちゃんみたいだ」
「な……元々は北川を困らせているのはお前だろ」
「そしてさっちゃんはオレたちのために、今までの倍々働いている訳だ。特待生辞める訳にはいかないから、学業は落とせないし。退学がかかっているからオレたちから目を離せないし」
柿沼は謳うようにそうのたまうので、思わずまた眉間に力がこもると、柿沼はそこを面白がって何度も何度も指で突っついてくる。うっとうしいと、手をベチンと払いのけたら、本人は「あはは」と笑った。
「まさか、ここまで嫌がらせして、逃げないとは思わなかったんだ」
「……柿沼。まだ北川を信用してないのか?」
いい加減、彼女のことを信じてやって欲しいと思う。彼女が桜木の事情を考慮した上で、曲をライブ前ギリギリまで粘って制作させたんだから、ギリギリの配慮のはずだ。
俺の言葉に、柿沼はキョトンとする。
「んー……だってさあ。さっちゃんは、オレたちのことまだ信じてないじゃない?」
「……待て、話が飛躍し過ぎてわからない」
「信じてもらえないのに、100%信じることって、できなくない?」
この宇宙人が。わかる日本語で言え。
それから柿沼は、放課後まで俺の追求をのらりくらりと交わしたのだから、本当に始末に負えない。こいつがいったいなににそこまで固執してるのかは、そのときはちっともわからなかったんだ。