私立響学院。
元々は音楽大学の付属高等学校だったが、その大学が他の芸術にも視野を向けたことから、付属校のほうも連動して芸術総合学校へと発展していったという経緯が存在している。
この学院出身者の就職率は高く、離職率は低い。おまけにこの学院出身の著名人なOG、OBも多く、この学院を卒業すれば同時に、太いパイプを持つことも可能だという。
学院は一般生徒のいる普通コース、特進コースに加え、芸能界を志す芸能コース、マネージメントコース、ファッションデザインコース、メイクアップコースと多岐に渡る。彼らは切磋琢磨して、この校舎で学び、芸能界への道を夢見ているというのだ……。
****
「特待生って君だろ!? なあ、まだどことも契約してないんだったら後生だ! 俺と是非ともマネージメント契約を……!」
またか。
入学してから、このやり取りも何回繰り返したかわからない。情報規制されていたせいで、私も入学するまでこの制度は知らなかったもんな。
最初はできるだけ当たり障りのないように断っていたけれど、今は世のため人のためなによりも私のため、きっぱり断るように心掛けている。
「い・や。ごめんなさい、私。そういうのはぜんっぜん興味ないんで」
「ああ……! 待ってくれ」
「私にかまっている暇があったら、オーディションのひとつでも受けに行った方がよろしいのではないかと。失礼します」
できるだけ凄みのある顔をしてみせて、できるだけ悪役のような言葉を心掛けて、私は髪を靡かせて立ち去っていった。
……こんなの似合うの、美人女優だけだ。うちの学校の食堂でいくらでもそんな美人はいるぞ。それみたいな真似をするとは我ながらおこがましい。
私は教室を離れ、校舎を出ると、食堂に辿り着いてぐんにゃりと座った。
「お待たせー」
「ああ、さっちゃん大丈夫だった? 断れた?」
私が座った席には、ブレザーのジャケットの下からレーシーなブラウスが見えるゆるふわな女の子と、ブレザーのジャケットを腰に巻いたブラウス姿の女の子が座っていた。
ゆるふわな琴葉に、私は力なく頷いた。
「一応ね。多分今回も角が立ってないとは思うけど」
「まあ、特待生っていうとすごそうに聞こえるからねえ。少し考えてみりゃわかるのにね、いくら特待生だからって、さっちゃんだってまだ一年生で、なんの権力も権限も持ってないって」
「そうそう。字面で誤解し過ぎだっていうのよ」
そう言いながら、私は中央に並べている今日の日替わり定食のカツサンドを三人でシェアして食べる。それに「まあまあ」と穏やかに真咲が口を開く。
「あいつらだって、まだ右も左もわかってないから、先手必勝でマネージャー探してるだけだろ。あんたは問題なくっても、あいつらはマネージャーあるなしでいろいろ変わってきちゃうんだから、大変なんだろ」
「私は嫌なんですけどー。一蓮托生に巻き込まれるなんてごめんなんですけどー」
「まあ、咲子みたいな理由でここに入学したのも珍しいしねえ。あんたの事情を知らない奴らも多いんだから、そこは許してあげなよ」
「そりゃそうなんだけどさ」
私はそうぶつぶつ言いながら、カツサンドを頬張る。
はあ……特待生特権の食券無料は素晴らしい。学食でもなけりゃ、牛肉なんてそうそう食べれるもんでもないしと、ほっとする。
芸能人を大量に輩出しているこの学校に、芸能界デビューしたい訳でもなく、芸能界で働きたい訳でもないのにここに入学したのは、他でもない。
特待生になったら三年間授業料無料。食券無料配布。ついでに資格試験も無料で受け放題となったら、就職に必要な資格を取り放題ってことで、この学校で成績優秀者のみに与えられる特待生の称号をゲットしたという次第だ。
大学には行けない。そんな予算はうちにはないからだ。高校卒業したらさっさと就職決めてしまわないといけないから、こんな好条件を見逃す手はなかったんだ。
ただ、まあ。誤算があった。私は無料で受けられる資格一覧を見ていた結果、マネージメントコースを受験したんだけれど、このマネージメントコースというのが落とし穴だったんだ。
「あれ、マネージメントコースの特待生……だよね?」
声をかけてきた男子のネクタイを見て、私は「げっ」となる。
芸能コースのネクタイは緑だ。ちなみにマネージメントコースは黒。琴葉のいるファッションデザインコースは赤で、真咲のいるメイクアップコースは青だ。
私がマネージメントコースだっていうのは、ネクタイを見ればわかるからまだいい。なんで私が特待生だって知られているんだと、思いっきり顔を引きつらせた。
こちらに声をかけてきた男子は、キューティクルつやつやの亜麻色の髪に、ヘアピンをぴんぴんと差している。目が少女マンガのキャラのように大きく、笑顔がさわやかだ。
しかし……どこかで見たことある顔をしているなあと思う。この学校は有名人がたくさん卒業しているし、芸能人二世も珍しくないはずだけれど、私は芸能人の名前をあんまり覚えていないせいで、いまいち誰の子供なのかがわからない。
「ねえ、まだマネージメント契約してないの?」
「……ごめんね、私、そういうのに興味ないから」
「えー。芸能コースと組んだら、そのまま事務所に就職できるのに。それってそっちにも有利だと思うのに、なにがそんなに不満なの」
そ・れ・が。い・や・な・ん・だっ・て・ば……!!
情報規制が敷かれていて、入学するまで全く知らなかった話だったんだけれど。
この学院の芸能コースとマネージメントコースには、ある慣習が存在する。
芸能コースの生徒は、マネージメントコースの生徒と組んでユニットを結成し、成果を一年間出していないと判断されれば、退学。というルールが存在するのだ。それは芸能コースの生徒だけじゃない。組んだマネージメントコースの生徒にも適応される。
マネージメントコースの生徒の場合は、芸能コースの生徒と組まない限りはそんなサバイバルルールは適応されないから、芸能コースの生徒から誘われても断ればいいんだけれど。
それじゃいつまで経っても芸能コースの生徒はマネージメントコースの生徒とユニットを結成しないからということで特典がいくつか用意された。
マネージメントコースの生徒がひとつのユニットを無事に一年通して成果を出させた場合、その成果は経歴として残り、芸能プロダクションへの就職斡旋をしてもらえる。また成果を出した芸能コースのユニットは、学院内オーディションにより芸能プロダクション入りを優遇してもらえる。
そんな訳で、芸能コースの生徒は、必死でマネージメントコースの生徒に自分たちをアピールしている訳なんだけれど。
考えてもみて欲しい。いくらマネージメントを授業で習っているからといっても、まだ右も左もわからないような芸能プロダクションのプロのマネージャーにはちっとも及ばないような人間が、本気で芸能界デビュー目指している人間のサポートなんてできるのかということを。賢い人間だったら、それに「イエス」なんて答えない。
最初は私だって「ごめんなさい、うちにそんな余裕はないんです」と言って断っていたけれど、ほとんどは自分の話しかしない。私が断っているのにしつこい。それにだんだん私も腹が立ってきた。
あのなあ、芸能界なんて大博打を打てるほど、私には余裕はないの。受験費を結構使ったんだから、それ以上のお金を使いたくなんかないの。そもそもあんたらが成功して進級できるなんて要素、どこにあるっちゅうんじゃ。
お金のある奴のところに行け。私を巻き込むな。
私はだんだんと腹が立ってきてこめかみがプルプルと震えてきたのを、どうにか堪えて、彼に対して笑いかけた。
こちらに声をかけてきた男子は、すこぶる顔がいい。まあ、芸能コースにいる以上、俳優志望やアイドル志望だったら、顔は商売道具になるのか。
「ごめんなさい。私は芸能界には興味がないので」
「えー……じゃあうちの学校になんで来たの? うちは基本的に芸能界入り目指してる奴ばっかりなのにさ」
「資格が取れるから来ました。どこの業界でも行けるように」
「えー……それって、もったいなくない?」
そう言ってずいっとこちらに顔を近付けてきた。顔がいい。
私は助けを求めるように、琴葉と真咲のほうを見る。琴葉はおろおろしたようにこちらを交互に眺め、真咲は冷静に男の子を見ている。
「マネージャーを探してるってことは、もうどんな方向性で芸能界デビューしたいのか決めてる訳? 咲子に声をかけてきた奴らの大半は、芸能界に入りたいって話ばっかりしてきて、芸能界でどうしたいのかって決めてなかったんだけど」
ナイス、真咲! 私は内心真咲の背中をバシーンと叩いていた。今は叩けないけど。
男子は真咲と目を合わせると、にっこりと笑って、腰に手を当てる。
「うん、オレたちアイドルユニットを結成したから、事務所に売り込みたいって思ってるんだ。オレたちはレッスンに集中したいから、スケジュール管理をしてくれる人を募集したいんだけどさあ……」
……おっ? 私は目を瞬かせた。
今まで、私にマネージメント契約を求めてくる人の大半は、熱意はあったものの、なにをやりたいのかがゆるふわだった。そもそもモデル志望なのか俳優志望なのかアイドル志望なのか歌手志望なのかもわかりゃしない。
俳優にライブの前座の仕事なんて取ってこれないし、モデルにお笑いトークショーの前座は色が違い過ぎる。
それが、この男子はずいぶんと明確だったのだ。
私は意外なものを見る目で男子を見ていると「おい、涼」とクールな声が飛んできた。
涼と呼ばれた男子が振り返った先には、緑のネクタイの男子が立っていた。スタイルがいいし、顔も小さい。切れ長の目は涼しげだ。
涼がさわやかな典型的なアイドルだとしたら、こちらはクールなイケメンだ。
「あっ、みっちゃん! ほらほら、マネージメントコースの特待生に声かけてたんだよ! 口説いてた!」
「口説くって……女性に対してそんな誤解を招くような言い方をするな」
こちらはずいぶんと堅物らしい。
しかし困った。仲間まで呼ばれてしまったら、ますます断りづらい雰囲気になってしまった。契約なんてしてしまったら最後、クーリングオフは利かない。卒業まで一蓮托生なんてこちらはごめんこうむるのに。
私がちらっと見ると、意外なことにみっちゃんと呼ばれた男子は頭を下げてきたのだ。
「すまない、涼には厳しく言っておくから。芸能界は厳しいのだから、やる気のない人間を巻き込んでも無意味だ。どうも最近はマネージメントコースの質も落ちてきていてな」
……む?
私は少しだけカチンと来たものの、あくまでみっちゃんは冷静なままだから、こちらがむっとしたことはわかってなさそうだ。
みっちゃんは続ける。
「マネージメントコースに入れば、芸能人とお近付きになれると思って、向こうから逆ナンパ……というやつか? それをしてくるものが多くってな。それでこちらもマネージャー選定に手間取っている。やる気もある優良なマネージャーは既に契約を結んでしまっているし、こちらも特待生がまだ契約してないという話を聞いていたんだが……まさか資格取得が目的だとは思っていなくてな。なにやら訳ありなら、俺たちの問題に巻き込む訳にはいかないだろう。すまない。この話は忘れてくれ」
はあ……?
私はますますもって苛立った。隣で琴葉はハラハラオロオロしているし、もう真咲は取り合わずに食事に戻ってしまっているものの、私はピキピキと血管が浮き上がるのを止められなかった。
学費払ってやる気のない子たちと一緒にしないで欲しい。たしかに私は芸能界には興味ないし、他の学校に行けと言われたらそれまでだけど。
タダで。無料で。好待遇が受けられるっていうので、必死で勉強して特待生になったのに、どうして鼻で笑われなきゃいけないの? あんたたちが必死でマネージャー探しているのと同じで。こっちは必死で高校卒業していい就職先見つけないといけないのよ。
私は思わずバンッとテーブルを叩く。こちらに驚いた生徒たちが視線を向けてくるけど、気にしない。私は気にしない。
「……あなたたちの言い分はわかりました。でも、私にも譲れないことはあるの。あなたたちと私は合わない。これで問題ないわよね?」
涼はきょとんとした顔のまま、みっちゃんは涼しげな瞳のまま、こちらを見下ろした。やがて、涼はふっと笑う。
「うん、わかった。もし気が変わったら言ってね!」
「変わらないから……もうすぐ予鈴が鳴るから、さっさと食事に戻ったら?」
「うん!」
そのまま涼はみっちゃんを伴って行ってしまった。
なんなんだ、あの失礼なふたり組は。私は残ったカツサンドをむしゃむしゃ食べている中、ふたりをポカンとした顔で琴葉は見ていた。
「はあ……びっくりしちゃった。特待生だからって、まさかあのサラブレッドまでさっちゃんに契約申し込んでくるなんて思わなかったなあ……」
「サラブレッドって……?」
「あの涼って人? あの人、有名俳優の柿沼隼人と引退したアイドルの小早川明美の子供だよ。前に映画のインタビューで柿沼隼人の写真に写ってたもん」
「はあ……」
引退したアイドルは、たしか歌番組の懐メロコーナーで今でもしょっちゅう歌が流れる人だし、柿沼隼人は芸能人に疎い私でもさすがに知ってる。時代劇から恋愛ドラマ、ヒューマンドラマからハードボイルドまで、なんでも演じるカメレオン俳優で、イケメンなのに演技幅が広いってことで、毎年その顔を街で見ないことはまずないって人だ。
あれの二世が、アイドルか……。
あのにこにことした顔が頭に浮かんだものの、私はぶんぶんと首を振った。
私には関係のない話だ。あんな二世とマネージメント契約したいっていうのは、そりゃ引く手あまたでしょ。わざわざ私に声をかけなくっても、他から絶対に声がかかるから。うん。私はなにも聞いてない。そう思い込んでようやくカツサンドを食べ終えたところで、予鈴が鳴った。
私たちは小学校からの友達同士だけれど、コースが見事にばらけてしまったから、帰る校舎も別々だ。琴葉と真咲に手を振って、私はマネージメントコースの校舎へと戻っていったのだ。
元々は音楽大学の付属高等学校だったが、その大学が他の芸術にも視野を向けたことから、付属校のほうも連動して芸術総合学校へと発展していったという経緯が存在している。
この学院出身者の就職率は高く、離職率は低い。おまけにこの学院出身の著名人なOG、OBも多く、この学院を卒業すれば同時に、太いパイプを持つことも可能だという。
学院は一般生徒のいる普通コース、特進コースに加え、芸能界を志す芸能コース、マネージメントコース、ファッションデザインコース、メイクアップコースと多岐に渡る。彼らは切磋琢磨して、この校舎で学び、芸能界への道を夢見ているというのだ……。
****
「特待生って君だろ!? なあ、まだどことも契約してないんだったら後生だ! 俺と是非ともマネージメント契約を……!」
またか。
入学してから、このやり取りも何回繰り返したかわからない。情報規制されていたせいで、私も入学するまでこの制度は知らなかったもんな。
最初はできるだけ当たり障りのないように断っていたけれど、今は世のため人のためなによりも私のため、きっぱり断るように心掛けている。
「い・や。ごめんなさい、私。そういうのはぜんっぜん興味ないんで」
「ああ……! 待ってくれ」
「私にかまっている暇があったら、オーディションのひとつでも受けに行った方がよろしいのではないかと。失礼します」
できるだけ凄みのある顔をしてみせて、できるだけ悪役のような言葉を心掛けて、私は髪を靡かせて立ち去っていった。
……こんなの似合うの、美人女優だけだ。うちの学校の食堂でいくらでもそんな美人はいるぞ。それみたいな真似をするとは我ながらおこがましい。
私は教室を離れ、校舎を出ると、食堂に辿り着いてぐんにゃりと座った。
「お待たせー」
「ああ、さっちゃん大丈夫だった? 断れた?」
私が座った席には、ブレザーのジャケットの下からレーシーなブラウスが見えるゆるふわな女の子と、ブレザーのジャケットを腰に巻いたブラウス姿の女の子が座っていた。
ゆるふわな琴葉に、私は力なく頷いた。
「一応ね。多分今回も角が立ってないとは思うけど」
「まあ、特待生っていうとすごそうに聞こえるからねえ。少し考えてみりゃわかるのにね、いくら特待生だからって、さっちゃんだってまだ一年生で、なんの権力も権限も持ってないって」
「そうそう。字面で誤解し過ぎだっていうのよ」
そう言いながら、私は中央に並べている今日の日替わり定食のカツサンドを三人でシェアして食べる。それに「まあまあ」と穏やかに真咲が口を開く。
「あいつらだって、まだ右も左もわかってないから、先手必勝でマネージャー探してるだけだろ。あんたは問題なくっても、あいつらはマネージャーあるなしでいろいろ変わってきちゃうんだから、大変なんだろ」
「私は嫌なんですけどー。一蓮托生に巻き込まれるなんてごめんなんですけどー」
「まあ、咲子みたいな理由でここに入学したのも珍しいしねえ。あんたの事情を知らない奴らも多いんだから、そこは許してあげなよ」
「そりゃそうなんだけどさ」
私はそうぶつぶつ言いながら、カツサンドを頬張る。
はあ……特待生特権の食券無料は素晴らしい。学食でもなけりゃ、牛肉なんてそうそう食べれるもんでもないしと、ほっとする。
芸能人を大量に輩出しているこの学校に、芸能界デビューしたい訳でもなく、芸能界で働きたい訳でもないのにここに入学したのは、他でもない。
特待生になったら三年間授業料無料。食券無料配布。ついでに資格試験も無料で受け放題となったら、就職に必要な資格を取り放題ってことで、この学校で成績優秀者のみに与えられる特待生の称号をゲットしたという次第だ。
大学には行けない。そんな予算はうちにはないからだ。高校卒業したらさっさと就職決めてしまわないといけないから、こんな好条件を見逃す手はなかったんだ。
ただ、まあ。誤算があった。私は無料で受けられる資格一覧を見ていた結果、マネージメントコースを受験したんだけれど、このマネージメントコースというのが落とし穴だったんだ。
「あれ、マネージメントコースの特待生……だよね?」
声をかけてきた男子のネクタイを見て、私は「げっ」となる。
芸能コースのネクタイは緑だ。ちなみにマネージメントコースは黒。琴葉のいるファッションデザインコースは赤で、真咲のいるメイクアップコースは青だ。
私がマネージメントコースだっていうのは、ネクタイを見ればわかるからまだいい。なんで私が特待生だって知られているんだと、思いっきり顔を引きつらせた。
こちらに声をかけてきた男子は、キューティクルつやつやの亜麻色の髪に、ヘアピンをぴんぴんと差している。目が少女マンガのキャラのように大きく、笑顔がさわやかだ。
しかし……どこかで見たことある顔をしているなあと思う。この学校は有名人がたくさん卒業しているし、芸能人二世も珍しくないはずだけれど、私は芸能人の名前をあんまり覚えていないせいで、いまいち誰の子供なのかがわからない。
「ねえ、まだマネージメント契約してないの?」
「……ごめんね、私、そういうのに興味ないから」
「えー。芸能コースと組んだら、そのまま事務所に就職できるのに。それってそっちにも有利だと思うのに、なにがそんなに不満なの」
そ・れ・が。い・や・な・ん・だっ・て・ば……!!
情報規制が敷かれていて、入学するまで全く知らなかった話だったんだけれど。
この学院の芸能コースとマネージメントコースには、ある慣習が存在する。
芸能コースの生徒は、マネージメントコースの生徒と組んでユニットを結成し、成果を一年間出していないと判断されれば、退学。というルールが存在するのだ。それは芸能コースの生徒だけじゃない。組んだマネージメントコースの生徒にも適応される。
マネージメントコースの生徒の場合は、芸能コースの生徒と組まない限りはそんなサバイバルルールは適応されないから、芸能コースの生徒から誘われても断ればいいんだけれど。
それじゃいつまで経っても芸能コースの生徒はマネージメントコースの生徒とユニットを結成しないからということで特典がいくつか用意された。
マネージメントコースの生徒がひとつのユニットを無事に一年通して成果を出させた場合、その成果は経歴として残り、芸能プロダクションへの就職斡旋をしてもらえる。また成果を出した芸能コースのユニットは、学院内オーディションにより芸能プロダクション入りを優遇してもらえる。
そんな訳で、芸能コースの生徒は、必死でマネージメントコースの生徒に自分たちをアピールしている訳なんだけれど。
考えてもみて欲しい。いくらマネージメントを授業で習っているからといっても、まだ右も左もわからないような芸能プロダクションのプロのマネージャーにはちっとも及ばないような人間が、本気で芸能界デビュー目指している人間のサポートなんてできるのかということを。賢い人間だったら、それに「イエス」なんて答えない。
最初は私だって「ごめんなさい、うちにそんな余裕はないんです」と言って断っていたけれど、ほとんどは自分の話しかしない。私が断っているのにしつこい。それにだんだん私も腹が立ってきた。
あのなあ、芸能界なんて大博打を打てるほど、私には余裕はないの。受験費を結構使ったんだから、それ以上のお金を使いたくなんかないの。そもそもあんたらが成功して進級できるなんて要素、どこにあるっちゅうんじゃ。
お金のある奴のところに行け。私を巻き込むな。
私はだんだんと腹が立ってきてこめかみがプルプルと震えてきたのを、どうにか堪えて、彼に対して笑いかけた。
こちらに声をかけてきた男子は、すこぶる顔がいい。まあ、芸能コースにいる以上、俳優志望やアイドル志望だったら、顔は商売道具になるのか。
「ごめんなさい。私は芸能界には興味がないので」
「えー……じゃあうちの学校になんで来たの? うちは基本的に芸能界入り目指してる奴ばっかりなのにさ」
「資格が取れるから来ました。どこの業界でも行けるように」
「えー……それって、もったいなくない?」
そう言ってずいっとこちらに顔を近付けてきた。顔がいい。
私は助けを求めるように、琴葉と真咲のほうを見る。琴葉はおろおろしたようにこちらを交互に眺め、真咲は冷静に男の子を見ている。
「マネージャーを探してるってことは、もうどんな方向性で芸能界デビューしたいのか決めてる訳? 咲子に声をかけてきた奴らの大半は、芸能界に入りたいって話ばっかりしてきて、芸能界でどうしたいのかって決めてなかったんだけど」
ナイス、真咲! 私は内心真咲の背中をバシーンと叩いていた。今は叩けないけど。
男子は真咲と目を合わせると、にっこりと笑って、腰に手を当てる。
「うん、オレたちアイドルユニットを結成したから、事務所に売り込みたいって思ってるんだ。オレたちはレッスンに集中したいから、スケジュール管理をしてくれる人を募集したいんだけどさあ……」
……おっ? 私は目を瞬かせた。
今まで、私にマネージメント契約を求めてくる人の大半は、熱意はあったものの、なにをやりたいのかがゆるふわだった。そもそもモデル志望なのか俳優志望なのかアイドル志望なのか歌手志望なのかもわかりゃしない。
俳優にライブの前座の仕事なんて取ってこれないし、モデルにお笑いトークショーの前座は色が違い過ぎる。
それが、この男子はずいぶんと明確だったのだ。
私は意外なものを見る目で男子を見ていると「おい、涼」とクールな声が飛んできた。
涼と呼ばれた男子が振り返った先には、緑のネクタイの男子が立っていた。スタイルがいいし、顔も小さい。切れ長の目は涼しげだ。
涼がさわやかな典型的なアイドルだとしたら、こちらはクールなイケメンだ。
「あっ、みっちゃん! ほらほら、マネージメントコースの特待生に声かけてたんだよ! 口説いてた!」
「口説くって……女性に対してそんな誤解を招くような言い方をするな」
こちらはずいぶんと堅物らしい。
しかし困った。仲間まで呼ばれてしまったら、ますます断りづらい雰囲気になってしまった。契約なんてしてしまったら最後、クーリングオフは利かない。卒業まで一蓮托生なんてこちらはごめんこうむるのに。
私がちらっと見ると、意外なことにみっちゃんと呼ばれた男子は頭を下げてきたのだ。
「すまない、涼には厳しく言っておくから。芸能界は厳しいのだから、やる気のない人間を巻き込んでも無意味だ。どうも最近はマネージメントコースの質も落ちてきていてな」
……む?
私は少しだけカチンと来たものの、あくまでみっちゃんは冷静なままだから、こちらがむっとしたことはわかってなさそうだ。
みっちゃんは続ける。
「マネージメントコースに入れば、芸能人とお近付きになれると思って、向こうから逆ナンパ……というやつか? それをしてくるものが多くってな。それでこちらもマネージャー選定に手間取っている。やる気もある優良なマネージャーは既に契約を結んでしまっているし、こちらも特待生がまだ契約してないという話を聞いていたんだが……まさか資格取得が目的だとは思っていなくてな。なにやら訳ありなら、俺たちの問題に巻き込む訳にはいかないだろう。すまない。この話は忘れてくれ」
はあ……?
私はますますもって苛立った。隣で琴葉はハラハラオロオロしているし、もう真咲は取り合わずに食事に戻ってしまっているものの、私はピキピキと血管が浮き上がるのを止められなかった。
学費払ってやる気のない子たちと一緒にしないで欲しい。たしかに私は芸能界には興味ないし、他の学校に行けと言われたらそれまでだけど。
タダで。無料で。好待遇が受けられるっていうので、必死で勉強して特待生になったのに、どうして鼻で笑われなきゃいけないの? あんたたちが必死でマネージャー探しているのと同じで。こっちは必死で高校卒業していい就職先見つけないといけないのよ。
私は思わずバンッとテーブルを叩く。こちらに驚いた生徒たちが視線を向けてくるけど、気にしない。私は気にしない。
「……あなたたちの言い分はわかりました。でも、私にも譲れないことはあるの。あなたたちと私は合わない。これで問題ないわよね?」
涼はきょとんとした顔のまま、みっちゃんは涼しげな瞳のまま、こちらを見下ろした。やがて、涼はふっと笑う。
「うん、わかった。もし気が変わったら言ってね!」
「変わらないから……もうすぐ予鈴が鳴るから、さっさと食事に戻ったら?」
「うん!」
そのまま涼はみっちゃんを伴って行ってしまった。
なんなんだ、あの失礼なふたり組は。私は残ったカツサンドをむしゃむしゃ食べている中、ふたりをポカンとした顔で琴葉は見ていた。
「はあ……びっくりしちゃった。特待生だからって、まさかあのサラブレッドまでさっちゃんに契約申し込んでくるなんて思わなかったなあ……」
「サラブレッドって……?」
「あの涼って人? あの人、有名俳優の柿沼隼人と引退したアイドルの小早川明美の子供だよ。前に映画のインタビューで柿沼隼人の写真に写ってたもん」
「はあ……」
引退したアイドルは、たしか歌番組の懐メロコーナーで今でもしょっちゅう歌が流れる人だし、柿沼隼人は芸能人に疎い私でもさすがに知ってる。時代劇から恋愛ドラマ、ヒューマンドラマからハードボイルドまで、なんでも演じるカメレオン俳優で、イケメンなのに演技幅が広いってことで、毎年その顔を街で見ないことはまずないって人だ。
あれの二世が、アイドルか……。
あのにこにことした顔が頭に浮かんだものの、私はぶんぶんと首を振った。
私には関係のない話だ。あんな二世とマネージメント契約したいっていうのは、そりゃ引く手あまたでしょ。わざわざ私に声をかけなくっても、他から絶対に声がかかるから。うん。私はなにも聞いてない。そう思い込んでようやくカツサンドを食べ終えたところで、予鈴が鳴った。
私たちは小学校からの友達同士だけれど、コースが見事にばらけてしまったから、帰る校舎も別々だ。琴葉と真咲に手を振って、私はマネージメントコースの校舎へと戻っていったのだ。