「うおー、間に合った!」

 転がるように隣の机に滑り込んだのは、クラスのムードメーカーである伸佳(のぶよし)
 小学四年生からはじめたバスケットボールのおかげでクラス一背が高い。そう、伸佳も幼なじみのひとりだ。

「ノブおはよ」「朝からさわがしい」「またうるさいのがきた」

 みんな文句を口にしながらも顔には笑みが浮かんでいる。バスケ部では万年補欠でも、いつも笑っている彼はみんなを同じくらい笑顔にする。
 あ、伸佳は茉莉にずっと片想いをしているんだった……。
 内緒の約束だから誰にも言っていないけれど、茉莉が熊谷くんとつき合うかもしれない、って言ったらショックを受けるだろうな……。

 みんな恋をして、うれしかったり切なかったり。

 本当に恋をするのってどんな感覚なんだろう。
 自分を見失うほどの恋をしてみたいけれど見失うのは怖い気もする。

 私は一回だけでいい。
 風邪みたいな恋じゃなく、永遠に結ばれるような本当の恋をしてみたいな。


 モニター越しで話をする校長先生は、「最後に」と口にしてから三分は話し続けている。
 コロナの影響で始業式は、校長室と各教室をつないでのオンラインでおこなわれる。
 終業式もそうだったから慣れているけれど、卒業式もそうだとしたら悲しいな。

 体育館で集まって話を聞くのとは違い、みんな一応耳は傾けている。
 担任の深澤先生は、大きな体を揺らしてさっき教室から出て行き、校長先生の話が終わるちょっと前に戻ってきた。
 長すぎる話が終わり、モニターの電源が切られると、いよいよ二学期が本格的にはじまる。
 夏休み中に書いてくるように言われた、進路希望の用紙はまだ白紙のまま。正確には『検討中』に〇をつけただけだ。

「ということで今日からまたよろしく」

 普段はジャージ姿の深澤先生も、今日はスーツ姿。シャツがパツンパツンなのは遠目でもよくわかる。

 隣の席の伸佳はさっきからあくびを連発している。
 私と目が合うと、慌てて背筋を伸ばして前を向くのが笑える。
 朝練のあとって眠くなるよね。

「前みたいにマスク必須ならあくびもバレないのに」

 なんてブツブツ言っている。

「もうコロナも落ち着いてきたからね」

 最近ではマスクもしなくてよいことになった。国が治療薬を認可して以来、少しずつコロナ前の生活に戻りつつある。

「なんでこんな眠いんだろう。夜になると目が覚めるのに」
「伸佳はゲームのやりすぎなんだよ。夜中までゲームやってるって、おばさんがグチってたよ」
「うるせー」

 私の容姿ばかり話題にするみんなと違い、伸佳はいつも遠慮ない言葉をかけてくる。私も言いたいことが言えるし、話をしても気楽な存在。
 といっても、伸佳が恋愛対象になるかと聞かれたら返事はNOだ。伸佳も同じ意見なんだろうけれど。

「えー、今日はみんなに報告がある」

 深澤先生の声に視線を前に戻す。深澤先生はもったいつけるようにじっと私たちを見てから、口を開いた。

「今日からこのクラスに転入生が入ることになった」

 わっと波のような歓声が生まれるなか、深澤先生は教室の前の扉に向かって声をかけた。

 ――ガララ

 扉の開く音に続き、なかに入ってきた男子を見て、私は思わず息を呑んだ。
 やわらかく揺れる黒髪と、子犬のようなやさしい目。
 口元の笑みが涼し気な印象を与えている。高い身長、半袖のシャツから伸びる腕は筋肉質で、とにかくイケメンだ……。
 ヒソヒソと好意的なささやきを交わす女子たちは、ひと目で転入生を気に入ったみたい。拍手の音も彼を歓迎しているのがわかる。

山本(やまもと)大雅(たいが)です。よろしくお願いします」

 軽く頭を下げた彼の瞳が私を見た。まっすぐに見つめてくるその目がやわらかくカーブを描く。

 え、私のことを見ている……? って、気のせいだよね。

 唖然とする私から隣の伸佳に視線を移すと、彼はもっと笑顔になった。
 なぜか伸佳も同じように笑っている。なにが起きているのかわからない。
 意味がわからないまま、黒板に書かれる『山本大雅』の文字を眺めている間に、チャイムがまた鳴った。


 始業式の日は、夏休みの課題を出せば終わり。
 下校時間になると、山本くんは真っ先に私の席へとやってきた。

「久しぶりだね」

 そう言う山本くんに思わず顔をしかめてしまう。
 初対面の挨拶にはあまりにもふさわしくない。
 あ、こういうナンパをされたことがあったっけ。でも、ここは教室だし……。

「え、あの……」
「ノブも久しぶり」

 今度は隣の伸佳に同じように言う山本くん。なぜか伸佳は「おう」と満面の笑顔で応えている。
 そっか、ふたりは知り合いなんだ。
 きっとバスケ部がらみで会ったことがあるのだろう、と納得しておく。

 近くで見ると、山本くんはやわらかい印象の人。
 人懐っこいというか、壁を感じさせない笑顔に思わず口元が緩んでしまう。
 席から立ちあがった伸佳が、長い腕で山本くんの肩を抱いた。

「いやあ、まさか大雅が戻って来るなんて想像もしてなかったよ。お前、全然変わらねえな」
「ノブだって変わってないよ。まあ、身長はかなり伸びているけど」

 くしゃくしゃの笑顔で笑う山本くんの瞳が、またこっちに向く。

「悠花はずいぶん大人っぽくなったね」
「え!?」

 いきなり呼び捨て!? そもそも私の名前をなんで知っているの?
 思わず声をあげる私に、山本くんも「え?」と同じ言葉で答えてからさみしそうな表情を浮かべた。

「ひょっとして……僕のこと覚えてないの?」

 私の代わりに「まさか」と言ったのは伸佳だった。

「照れてるだけだよ。なんたって小学三年生以来の再会だもんな」
「……あ、うん」

 思わず合わせてしまったけれど、記憶をたどっても山本大雅という名前に心当たりはない。
 どうしようか。このままウソをつきとおす?
 迷ったのは一瞬だけで、すぐに私は頭を下げた。

「ごめん。ちょっと記憶があいまいで……」

 私の最大の弱点はウソが下手だということだ。
 昔からウソをつくと挙動不審になるからすぐにバレてしまう。

「またまた~。悠花、そういう冗談はいいって」

 がはは、と笑う伸佳の横で山本くんは軽くうなずいた。

「大丈夫だよ。じゃあ改めて自己紹介するね」

 山本くんは、いたずらっぽい顔で私を覗きこんできた。

「僕の名前は山本大雅。君は、日野悠花。僕たち、実は幼なじみなんだよ」
「あ、うん……え?」

 幼なじみ? 私の幼なじみって、茉莉と伸佳の三人だけじゃないの?

「俺も仲間に入れろよなー!」

 うれしくてたまらない、という感じの伸佳を不思議な気持ちで見ることしかできない。

「大雅!」

 茉莉が駆けてきたかと思うと、山本くんの腕に抱きついた。
 これで彼は伸佳と茉莉の両方に確保された形になった。

「ひょとして、君は茉莉なの?」
「そうだよ。気づいてくれないからさみしかったよ~」
「ぜんぜんわからなかった。すごくかわいくなったね」
「それって前がブスだったってこと? あー、大雅はそういうところ変わってない。昔も思ったことそのまま口にしてたもんね」

 ケラケラ笑う茉莉が「ね?」と私に同意を求めてきた。

「茉莉、あの――」
「幼なじみの四人がまた揃うなんてうれしいね! もう最高!」

 テンションがあがる茉莉に、周りのクラスメイトも興味津々の様子。
 私だけが状況についていけていない。

 いったいどうなっているの?

 山本くんは、目じりをこれでもかというくらい下げた。

「まさかみんなに再会できるなんて思ってもいなかった。完全アウェイだと覚悟してたから、安心したよ」

 山本くんは伸佳、茉莉、そして私へと順番に視線を移した。
 伸佳も満足したのか、自分の机の上に腰をおろし両腕を組んだ。

「こんな偶然すごいよな。おじさんやおばさんはどうしてる?」
「二学期に間に合うように僕だけ先に戻って来たんだ。親は引っ越しの準備してからこっちに来るんだって」

 パチンと茉莉が両手を鳴らした。

「おばさんたちにも会えるんだ。すっごい久しぶりだから楽しみ。よくみんなでバーベキューとかしたよね」

 茉莉が私を見てくるけれど、バーベキューをした記憶なんてない。ていうか、山本くんに関する記憶がひとつも蘇らない。

 まるで壮大なドッキリ企画に巻きこまれている気分。
 それでもなんとかうなずいて、「えっと」と言葉を選んだ。

「山本くんはどこに引っ越したんだっけ?」

 すると彼は一瞬目を丸くしてから「ぶっ」と噴き出した。
 ほかのふたりも笑っている。

「山本くんなんてくすぐったいからやめてよ。前みたいに大雅って呼んでよ」

「そうだよ」と茉莉。
 伸佳も大きくうなずいている。
 これは……やっぱり私が忘れているってことなんだろうな。

「……大雅」

 そう呼ぶと、大雅は満足そうにうなずいてから窓ガラスの向こうに目をやった。

「本当になつかしいよ。でも、このあたりもずいぶん変わったね。学校までの道もきれいに整備されていたし」
「区画整理があったからな」

 伸佳の説明に、大雅は目をまぶしそうに細めた。

「駅前のあたりはどうなの?」
「あそこは昔のまま。店はけっこう変わったとは思うけど」

 遠くに見える町を眺めていたかと思うと、「ねえ」と大雅は顔を私に向けた。

「町を案内してくれない?」
「あー、俺部活なんだよな」
「あたしも」

 残念そうに言いながら伸佳と茉莉は私を意味深に見てくる。
 そりゃあ、私は部活動はしていないけれど……。

「じゃあ、悠花にお願いしようかな」

 そんな目で見られても無理。
 知らない男子――いや、本当は知っているんだろうけれど――とふたりきりで町を歩くなんてできるわけがない。
 そもそも思い出話をされても、ぜんぜんわからないだろうし。

 さすがにこれは荷が重すぎる。断るしかない。
 そうだよ、断ろう。
 意を決して私は口を開いた。