「それより茉莉、夕べってどこに行ってたの? 珍しくメイクしてなかったっけ?」

 車の後部座席から手を振っただけなのでよく見えなかったけれど、見慣れないワンピースを着ていた気がする。

「実はね……」

 茉莉は周りに誰もいないことを確認すると、私の耳に顔を近づけた。

直哉(なおや)と会ってたの」
「直哉……って、まさか熊谷(くまがい)くんのこと? え、つきあってたっけ?」

 ひゃーと声が出そうになる私に、茉莉は「シッ」と人差し指を唇に当てた。

「まだそんなんじゃないよ。急に誘われてさ、悠花に相談しようと思ったんだけど、なんだか恥ずかしくって……」

 てっきり『偶然会った』とか『夏休みの課題を写させてあげた』という理由だと思っていたから、今度こそ本気で驚いてしまう。

「待って。熊谷くんのこと、前から好きだったっけ?」

 熊谷くんはまだ登校していない。教壇前にある彼の席をさす指を、茉莉はむんずとつかんできた。

「やめてよ。まだ内緒なんだから」

 私も茉莉も、熊谷直哉くんとは高校二年生になってから初めて同じクラスになった。
 たまにしゃべることもあるけれど、まだ苗字でお互いを呼び合う間柄だ。茉莉も同じだったはずなのに……。

「それがさあ、夏休み前に本屋さんでバッタリ会ってね、たまたま同じ小説を手にしてたの。それがきっかけでLINE交換して、たまに連絡し合ってる感じ」
「へえ……」

 頬を赤らめる茉莉に、思わず何度もまばたきをしてしまう。
 でもまあ、共通の趣味ってたしかに萌えるよね。
 前は茉莉だって『熊谷くん』って呼んでいたのに、もう下の名前を呼び捨てにしている。

 夏休み中に進展があったのだろうけれど、茉莉が恋をするなんて驚きしかない。

「そっちのほうが恋愛ドラマの主人公じゃない」

 茉莉は「ちょ!」と大きな声を出してから、慌てて亀のように首を引っ込めた。

「デートとかじゃないよ。一緒に本屋さんに行っておすすめの本を教えてもらっただけなんだから。あ、帰りにお茶はしたけど」

 それはもうデートなんじゃないかな。
 茶化すのもはばかられうなずいておく。

 結局、みんな私よりリア充ってことだよね。まさか茉莉までそうなるとは予想外だったけれど、友達の恋は素直に応援したい。
 からかわれないことにホッとしたのか、茉莉は大きく息を吐いてから憂いを帯びた瞳を向けてきた。

「悠花もさ、そろそろ好きな人作ったら?」
「えー、私はまだいいよ」
「親友からの進言。人生のなかでいちばん若いのは、いつだって今この瞬間なんだよ。昔から『恋せよ落とせ』って言うじゃない」

 きっと茉莉は、『恋せよ乙女』って言いたかったのだろう。
 でも、好きな人を作ろうと思って作れるものなの?

 私にはまだわからない。

 私は家族のことも友達のことも、みんなが同じくらい好きだし、今のままで十分楽しいと思っているし。
 まるで私の思考を読んだように茉莉はわざとらしくため息をついた。

「あたしの夢は、悠花に恋人ができること。そりゃあ、悠花に恋人ができたらクラスの男子はおもしろくないだろうけどさ、フリーじゃなくなったほうがあきらめがつくってもんだよ」

 茉莉は私のことを昔から過大評価しすぎだ。
 たしかに告白をされたことはあるし、町で声をかけられたこともある。
 恋だって一応は経験済みだ。けれどどれも風邪みたいに数日たつと熱は下がってしまい、あとかたも残らなかった。

「悠花にも恋する気持ちを知ってもらいたいなあ」

 ぽわんと宙を見あげる茉莉に「そこまで」とストップをかけた。

「急に恋愛の達人っぽくなるのやめてよね。ていうか、熊谷くんとつき合うの?」

 茉莉はゆっくりと小首をかしげてみせると、軽くため息をついた。

「まだわからないよ。あたしは自分からは告白しないって決めてるから」
「なんで? 好きなら告白しちゃえばいいのに」
「声が大きいって」

 きょとんとする私に茉莉は声を潜めた。

「自分から好きだって言ったら、その時点でハンデを背負ってる感じがするもん。最初に好きになったのは相手のほう、ってことにしたいの」

 そういうものなのかな? 私にはまだわからない。
 また憂いのあるため息をつく友が、なんだか遠くに思えてくる。
 ガタッと椅子を鳴らして立ちあがった茉莉が、「おはよう」と言いながら駆けていく。
 見ると、ウワサの人である熊谷くんが教室に入ってきたところだった。
 茉莉を見つけるとうれしそうに頬を緩ませている。
 はたから見れば、熊谷くんも茉莉のことを好意的に思っているのがわかる。

 両片想いなんてそれこそドラマ的展開。素直にうらやましいと思った。
 鳴り出したチャイムの音さえも、ふたりを祝福しているように感じてしまう。

 茉莉が幸せになれますように。
 そんな願いを口のなかで唱えていると、ドタドタと足音が近づいてきた。ふり向かなくても誰が登校してきたのかわかる。