小説投稿サイトBENOMA 作品番号3216090
『パラドックスな恋』
著:ITSUKI
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[第一章]
再会星
二学期がはじまると同時に、夏のにおいはどこかへ消えてしまったみたい。
朝というのにすでに暑く、登校中はセミの鳴き声もまだ聞こえている。
それでも、体にまとわいついていた夏が体からはがれてしまった感じがした。
教室に入ると、久しぶりに会うクラスメイトに勝手に笑顔になってしまう。
「悠花、久しぶり!」「またかわいくなったんじゃない?」「あー、悠花に会いたかったよ~」
私も会いたかったよ。
やっぱり教室に入るとテンションがあがってしまう。
手を取り合ったり、スマホで写真を撮ったりしながら窓側の席にたどり着く。
ああ、今日もすごくいい天気。
一か月ぶりに見る四角く切り取られた青空、遠くに見える山の風景がなつかしい。まるで風景が今日という日を応援してくれているみたい。
「悠花、おはよう」
前の席の茉莉が、椅子ごとうしろ向きになって言った。
最近伸ばしているという髪は、肩にかかりそうなほど長くなっている。
茉莉のうらやましいところは、日焼け止めを塗っていない割に、昔から白い肌をキープし続けているところだ。私なんて、SPF50の日焼け止めを重ね塗りしまくっているというのに。
「なんか久しぶりに会う気がするよねー」
髪を耳にかけながら茉莉はうれしそうに言った。
「久しぶりじゃないよ。昨日一瞬だけ会ったよね?」
窓を開けるとやわらかい風が鼻をくすぐった。
やっぱりもう季節は秋に傾いている。
見ると、茉莉は心外とでも言いたそうに眉をひそめている。
「会ったって言っても交差点のところで一瞬だけでしょ。そもそも、悠花は車に乗ってたし。悠花のおじさん、あたしの名前を大声て呼ぶのやめてくれないかな。めっちゃ恥ずかしかったんだから」
茉莉とは昔から家が近所。つまり、幼ななじみってやつだ。
幼稚園のころからよく知っているけれど、まさか高校まで同じになるとは思わなかった。
この辺りは田舎だし、クラスメイトには小学生時代から知っている子もちらほらといる。
「夏休み最後の日は家族で外食って決まってるからね」
昨日は数か月ぶりに焼き肉を食べに行った。
いくら髪に匂いがついたとしても、あのおいしさにはかなわない。
お母さんなんて、ご飯をお代わりまでしてたし。
「悠花んとこは家族仲よすぎ。うちなんてろくに会話もしないのにさ」
「そうかな。普通だと思うけど」
「ぜんぜん普通じゃないって。悠花ん家を見てると、外国のホームドラマを見ている気分になるもん」
そこまで言ってから茉莉は「違うな」と眉をひそめた。
「おじさんやおばさんはホームドラマだけど、悠花は学園ドラマの絶対的主役って感じ」
「私が主役? ないない」
脇役のひとりならわかるけど、主役はさすがに言いすぎだ。
手を横に振ると、茉莉はずいと顔を近づけてきた。
「前から言ってるけどさ、悠花はめっちゃかわいいしキラキラしてるんだからね。そこを認めないのはずるいよ」
ずるいと言われても困ってしまう。
私からすれば茉莉だってかわいいし、ほかの子だってみんなそう。けれど、否定しても茉莉は決して許してくれない。
長年のつき合いだからわかること。
「ありがと」
これが正解の返答だということは、長年の経験で身に染みている。
方眉をあげたまま、茉莉はゆっくりうなずいた。
コミカルな仕草もかわいいって伝えたいけれど、今は話題を変えるほうが先だ。
「それより茉莉、夕べってどこに行ってたの? 珍しくメイクしてなかったっけ?」
車の後部座席から手を振っただけなのでよく見えなかったけれど、見慣れないワンピースを着ていた気がする。
「実はね……」
茉莉は周りに誰もいないことを確認すると、私の耳に顔を近づけた。
「直哉と会ってたの」
「直哉……って、まさか熊谷くんのこと? え、つきあってたっけ?」
ひゃーと声が出そうになる私に、茉莉は「シッ」と人差し指を唇に当てた。
「まだそんなんじゃないよ。急に誘われてさ、悠花に相談しようと思ったんだけど、なんだか恥ずかしくって……」
てっきり『偶然会った』とか『夏休みの課題を写させてあげた』という理由だと思っていたから、今度こそ本気で驚いてしまう。
「待って。熊谷くんのこと、前から好きだったっけ?」
熊谷くんはまだ登校していない。教壇前にある彼の席をさす指を、茉莉はむんずとつかんできた。
「やめてよ。まだ内緒なんだから」
私も茉莉も、熊谷直哉くんとは高校二年生になってから初めて同じクラスになった。
たまにしゃべることもあるけれど、まだ苗字でお互いを呼び合う間柄だ。茉莉も同じだったはずなのに……。
「それがさあ、夏休み前に本屋さんでバッタリ会ってね、たまたま同じ小説を手にしてたの。それがきっかけでLINE交換して、たまに連絡し合ってる感じ」
「へえ……」
頬を赤らめる茉莉に、思わず何度もまばたきをしてしまう。
でもまあ、共通の趣味ってたしかに萌えるよね。
前は茉莉だって『熊谷くん』って呼んでいたのに、もう下の名前を呼び捨てにしている。
夏休み中に進展があったのだろうけれど、茉莉が恋をするなんて驚きしかない。
「そっちのほうが恋愛ドラマの主人公じゃない」
茉莉は「ちょ!」と大きな声を出してから、慌てて亀のように首を引っ込めた。
「デートとかじゃないよ。一緒に本屋さんに行っておすすめの本を教えてもらっただけなんだから。あ、帰りにお茶はしたけど」
それはもうデートなんじゃないかな。
茶化すのもはばかられうなずいておく。
結局、みんな私よりリア充ってことだよね。まさか茉莉までそうなるとは予想外だったけれど、友達の恋は素直に応援したい。
からかわれないことにホッとしたのか、茉莉は大きく息を吐いてから憂いを帯びた瞳を向けてきた。
「悠花もさ、そろそろ好きな人作ったら?」
「えー、私はまだいいよ」
「親友からの進言。人生のなかでいちばん若いのは、いつだって今この瞬間なんだよ。昔から『恋せよ落とせ』って言うじゃない」
きっと茉莉は、『恋せよ乙女』って言いたかったのだろう。
でも、好きな人を作ろうと思って作れるものなの?
私にはまだわからない。
私は家族のことも友達のことも、みんなが同じくらい好きだし、今のままで十分楽しいと思っているし。
まるで私の思考を読んだように茉莉はわざとらしくため息をついた。
「あたしの夢は、悠花に恋人ができること。そりゃあ、悠花に恋人ができたらクラスの男子はおもしろくないだろうけどさ、フリーじゃなくなったほうがあきらめがつくってもんだよ」
茉莉は私のことを昔から過大評価しすぎだ。
たしかに告白をされたことはあるし、町で声をかけられたこともある。
恋だって一応は経験済みだ。けれどどれも風邪みたいに数日たつと熱は下がってしまい、あとかたも残らなかった。
「悠花にも恋する気持ちを知ってもらいたいなあ」
ぽわんと宙を見あげる茉莉に「そこまで」とストップをかけた。
「急に恋愛の達人っぽくなるのやめてよね。ていうか、熊谷くんとつき合うの?」
茉莉はゆっくりと小首をかしげてみせると、軽くため息をついた。
「まだわからないよ。あたしは自分からは告白しないって決めてるから」
「なんで? 好きなら告白しちゃえばいいのに」
「声が大きいって」
きょとんとする私に茉莉は声を潜めた。
「自分から好きだって言ったら、その時点でハンデを背負ってる感じがするもん。最初に好きになったのは相手のほう、ってことにしたいの」
そういうものなのかな? 私にはまだわからない。
また憂いのあるため息をつく友が、なんだか遠くに思えてくる。
ガタッと椅子を鳴らして立ちあがった茉莉が、「おはよう」と言いながら駆けていく。
見ると、ウワサの人である熊谷くんが教室に入ってきたところだった。
茉莉を見つけるとうれしそうに頬を緩ませている。
はたから見れば、熊谷くんも茉莉のことを好意的に思っているのがわかる。
両片想いなんてそれこそドラマ的展開。素直にうらやましいと思った。
鳴り出したチャイムの音さえも、ふたりを祝福しているように感じてしまう。
茉莉が幸せになれますように。
そんな願いを口のなかで唱えていると、ドタドタと足音が近づいてきた。ふり向かなくても誰が登校してきたのかわかる。
「うおー、間に合った!」
転がるように隣の机に滑り込んだのは、クラスのムードメーカーである伸佳。
小学四年生からはじめたバスケットボールのおかげでクラス一背が高い。そう、伸佳も幼なじみのひとりだ。
「ノブおはよ」「朝からさわがしい」「またうるさいのがきた」
みんな文句を口にしながらも顔には笑みが浮かんでいる。バスケ部では万年補欠でも、いつも笑っている彼はみんなを同じくらい笑顔にする。
あ、伸佳は茉莉にずっと片想いをしているんだった……。
内緒の約束だから誰にも言っていないけれど、茉莉が熊谷くんとつき合うかもしれない、って言ったらショックを受けるだろうな……。
みんな恋をして、うれしかったり切なかったり。
本当に恋をするのってどんな感覚なんだろう。
自分を見失うほどの恋をしてみたいけれど見失うのは怖い気もする。
私は一回だけでいい。
風邪みたいな恋じゃなく、永遠に結ばれるような本当の恋をしてみたいな。
モニター越しで話をする校長先生は、「最後に」と口にしてから三分は話し続けている。
コロナの影響で始業式は、校長室と各教室をつないでのオンラインでおこなわれる。
終業式もそうだったから慣れているけれど、卒業式もそうだとしたら悲しいな。
体育館で集まって話を聞くのとは違い、みんな一応耳は傾けている。
担任の深澤先生は、大きな体を揺らしてさっき教室から出て行き、校長先生の話が終わるちょっと前に戻ってきた。
長すぎる話が終わり、モニターの電源が切られると、いよいよ二学期が本格的にはじまる。
夏休み中に書いてくるように言われた、進路希望の用紙はまだ白紙のまま。正確には『検討中』に〇をつけただけだ。
「ということで今日からまたよろしく」
普段はジャージ姿の深澤先生も、今日はスーツ姿。シャツがパツンパツンなのは遠目でもよくわかる。
隣の席の伸佳はさっきからあくびを連発している。
私と目が合うと、慌てて背筋を伸ばして前を向くのが笑える。
朝練のあとって眠くなるよね。
「前みたいにマスク必須ならあくびもバレないのに」
なんてブツブツ言っている。
「もうコロナも落ち着いてきたからね」
最近ではマスクもしなくてよいことになった。国が治療薬を認可して以来、少しずつコロナ前の生活に戻りつつある。
「なんでこんな眠いんだろう。夜になると目が覚めるのに」
「伸佳はゲームのやりすぎなんだよ。夜中までゲームやってるって、おばさんがグチってたよ」
「うるせー」
私の容姿ばかり話題にするみんなと違い、伸佳はいつも遠慮ない言葉をかけてくる。私も言いたいことが言えるし、話をしても気楽な存在。
といっても、伸佳が恋愛対象になるかと聞かれたら返事はNOだ。伸佳も同じ意見なんだろうけれど。
「えー、今日はみんなに報告がある」
深澤先生の声に視線を前に戻す。深澤先生はもったいつけるようにじっと私たちを見てから、口を開いた。
「今日からこのクラスに転入生が入ることになった」
わっと波のような歓声が生まれるなか、深澤先生は教室の前の扉に向かって声をかけた。
――ガララ
扉の開く音に続き、なかに入ってきた男子を見て、私は思わず息を呑んだ。
やわらかく揺れる黒髪と、子犬のようなやさしい目。
口元の笑みが涼し気な印象を与えている。高い身長、半袖のシャツから伸びる腕は筋肉質で、とにかくイケメンだ……。
ヒソヒソと好意的なささやきを交わす女子たちは、ひと目で転入生を気に入ったみたい。拍手の音も彼を歓迎しているのがわかる。
「山本大雅です。よろしくお願いします」
軽く頭を下げた彼の瞳が私を見た。まっすぐに見つめてくるその目がやわらかくカーブを描く。
え、私のことを見ている……? って、気のせいだよね。
唖然とする私から隣の伸佳に視線を移すと、彼はもっと笑顔になった。
なぜか伸佳も同じように笑っている。なにが起きているのかわからない。
意味がわからないまま、黒板に書かれる『山本大雅』の文字を眺めている間に、チャイムがまた鳴った。
始業式の日は、夏休みの課題を出せば終わり。
下校時間になると、山本くんは真っ先に私の席へとやってきた。
「久しぶりだね」
そう言う山本くんに思わず顔をしかめてしまう。
初対面の挨拶にはあまりにもふさわしくない。
あ、こういうナンパをされたことがあったっけ。でも、ここは教室だし……。
「え、あの……」
「ノブも久しぶり」
今度は隣の伸佳に同じように言う山本くん。なぜか伸佳は「おう」と満面の笑顔で応えている。
そっか、ふたりは知り合いなんだ。
きっとバスケ部がらみで会ったことがあるのだろう、と納得しておく。
近くで見ると、山本くんはやわらかい印象の人。
人懐っこいというか、壁を感じさせない笑顔に思わず口元が緩んでしまう。
席から立ちあがった伸佳が、長い腕で山本くんの肩を抱いた。
「いやあ、まさか大雅が戻って来るなんて想像もしてなかったよ。お前、全然変わらねえな」
「ノブだって変わってないよ。まあ、身長はかなり伸びているけど」
くしゃくしゃの笑顔で笑う山本くんの瞳が、またこっちに向く。
「悠花はずいぶん大人っぽくなったね」
「え!?」
いきなり呼び捨て!? そもそも私の名前をなんで知っているの?
思わず声をあげる私に、山本くんも「え?」と同じ言葉で答えてからさみしそうな表情を浮かべた。
「ひょっとして……僕のこと覚えてないの?」
私の代わりに「まさか」と言ったのは伸佳だった。
「照れてるだけだよ。なんたって小学三年生以来の再会だもんな」
「……あ、うん」
思わず合わせてしまったけれど、記憶をたどっても山本大雅という名前に心当たりはない。
どうしようか。このままウソをつきとおす?
迷ったのは一瞬だけで、すぐに私は頭を下げた。
「ごめん。ちょっと記憶があいまいで……」
私の最大の弱点はウソが下手だということだ。
昔からウソをつくと挙動不審になるからすぐにバレてしまう。
「またまた~。悠花、そういう冗談はいいって」
がはは、と笑う伸佳の横で山本くんは軽くうなずいた。
「大丈夫だよ。じゃあ改めて自己紹介するね」
山本くんは、いたずらっぽい顔で私を覗きこんできた。
「僕の名前は山本大雅。君は、日野悠花。僕たち、実は幼なじみなんだよ」
「あ、うん……え?」
幼なじみ? 私の幼なじみって、茉莉と伸佳の三人だけじゃないの?
「俺も仲間に入れろよなー!」
うれしくてたまらない、という感じの伸佳を不思議な気持ちで見ることしかできない。
「大雅!」
茉莉が駆けてきたかと思うと、山本くんの腕に抱きついた。
これで彼は伸佳と茉莉の両方に確保された形になった。
「ひょとして、君は茉莉なの?」
「そうだよ。気づいてくれないからさみしかったよ~」
「ぜんぜんわからなかった。すごくかわいくなったね」
「それって前がブスだったってこと? あー、大雅はそういうところ変わってない。昔も思ったことそのまま口にしてたもんね」
ケラケラ笑う茉莉が「ね?」と私に同意を求めてきた。
「茉莉、あの――」
「幼なじみの四人がまた揃うなんてうれしいね! もう最高!」
テンションがあがる茉莉に、周りのクラスメイトも興味津々の様子。
私だけが状況についていけていない。
いったいどうなっているの?
山本くんは、目じりをこれでもかというくらい下げた。
「まさかみんなに再会できるなんて思ってもいなかった。完全アウェイだと覚悟してたから、安心したよ」
山本くんは伸佳、茉莉、そして私へと順番に視線を移した。
伸佳も満足したのか、自分の机の上に腰をおろし両腕を組んだ。
「こんな偶然すごいよな。おじさんやおばさんはどうしてる?」
「二学期に間に合うように僕だけ先に戻って来たんだ。親は引っ越しの準備してからこっちに来るんだって」
パチンと茉莉が両手を鳴らした。
「おばさんたちにも会えるんだ。すっごい久しぶりだから楽しみ。よくみんなでバーベキューとかしたよね」
茉莉が私を見てくるけれど、バーベキューをした記憶なんてない。ていうか、山本くんに関する記憶がひとつも蘇らない。
まるで壮大なドッキリ企画に巻きこまれている気分。
それでもなんとかうなずいて、「えっと」と言葉を選んだ。
「山本くんはどこに引っ越したんだっけ?」
すると彼は一瞬目を丸くしてから「ぶっ」と噴き出した。
ほかのふたりも笑っている。
「山本くんなんてくすぐったいからやめてよ。前みたいに大雅って呼んでよ」
「そうだよ」と茉莉。
伸佳も大きくうなずいている。
これは……やっぱり私が忘れているってことなんだろうな。
「……大雅」
そう呼ぶと、大雅は満足そうにうなずいてから窓ガラスの向こうに目をやった。
「本当になつかしいよ。でも、このあたりもずいぶん変わったね。学校までの道もきれいに整備されていたし」
「区画整理があったからな」
伸佳の説明に、大雅は目をまぶしそうに細めた。
「駅前のあたりはどうなの?」
「あそこは昔のまま。店はけっこう変わったとは思うけど」
遠くに見える町を眺めていたかと思うと、「ねえ」と大雅は顔を私に向けた。
「町を案内してくれない?」
「あー、俺部活なんだよな」
「あたしも」
残念そうに言いながら伸佳と茉莉は私を意味深に見てくる。
そりゃあ、私は部活動はしていないけれど……。
「じゃあ、悠花にお願いしようかな」
そんな目で見られても無理。
知らない男子――いや、本当は知っているんだろうけれど――とふたりきりで町を歩くなんてできるわけがない。
そもそも思い出話をされても、ぜんぜんわからないだろうし。
さすがにこれは荷が重すぎる。断るしかない。
そうだよ、断ろう。
意を決して私は口を開いた。
「うわーなつかしいね!」
さっきから大雅は右へ左へとふらふら、まるで糸の切れた凧みたい。
「このスーパー、まだやってるんだ。昔とちっとも変わってない」
指さしながらふり向く大雅の髪が、風の形を教えてくれる。
「危ないからあまり車道に寄らないで」
「うん」
「あ、そこ段差あるから気をつけて」
さっきから保護者みたいな発言しかしていない。
あまりにもうれしそうでなつかしそうな大雅は、普段は気づかない古い看板にさえ反応している。
結局、うまく断ることができないまま放課後になり、ふたりで夕焼けの駅前を歩いている。
長く伸びた影の私たちが重ならないように、わざと離れて歩く私。
だって男子とふたりきりで町を歩くなんてこと、普段は絶対にないから。
「駄菓子屋さん……山田屋だっけ? この家のあたりじゃなかった?」
はしゃぐ大雅はまるで子どもみたい。彼は本当に私の幼なじみなの?
「山田屋さん、区画整理のときに引退しちゃったから」
「そうなんだ。みんなで小学校の帰りに買い食いしたよね」
夏が去ったなんてとんでもない。午後の駅前はじりじりと焦げるような暑さだ。
土日とかにみんなで町をぶらぶらすればよかった。
無邪気にはしゃぐ大雅のことを、私はちっとも思い出せない。
そもそも、幼稚園や小学低学年のときのことをほとんど覚えていない私。
昔からそうだった。アルバムをめくっても、自分がどんな子供だったのかわからないのだ。
私の場合は、小学校四年生からの記憶はそれなりにあるのに、それ以前のものはゼロに等しい。
幼い日のことを忘れることなんて普通にあると思っていたから気にしてこなかった。でもさすがに、幼なじみの存在自体を忘れているなんて心配になる。
大雅はよく覚えているんだな……。
白いシャツがやけにまぶしい。
「駅前は変わってないね。ここの横断歩道がやけに薄暗いのも同じだ」
踊るように横断歩道に出た大雅に「危ない」と言いかけて、信号が青であることに気づいた。
「私はあまりここ、来ないんだよね」
「家のほうからだとあっちの交差点を使うもんね」
「そうそう」
なんとか話題についていけている、とホッとする。
「あ」と、大雅はなにか思いついたように振り返った。
「夕焼け公園ってまだある?」
「夕焼け公園? ああ、二丁目の公園のこと?」
高台にあるその公園は私や伸佳、茉莉の家から近く、中学にあがるくらいまではよく集合場所にしていたっけ。
夕焼け公園の響きに覚えはないけれど、町が真っ赤に染まる光景は覚えている。
「時間もちょうどいいし、行ってみようよ。こっちだよね?」
さっさと歩き出す大雅はまるで子供みたい。
そばにいればなにか思い出せるかも、という期待は見事に外れた。町案内の最中も、私は適当に話を合わせることしかできずにいた。
急な坂道を登っていけば、町は遠のき、空が近づいてくる。坂道の途中の左手に公園の入り口がある。坂の上には私たちの住む住宅街が続いている。
砂利道を踏みしめる感覚がすでになつかしい。
ブランコと砂場、そして町を見おろせる場所にはいくつかのベンチが設置されているだけの簡素な公園。
なかに入るのはいつぶりだろうか。
「悠花、見て。すごい夕日が大きい」
ベンチに腰をおろし正面を指さす大雅。見慣れた太陽が町の向こうに沈んでいく。
「真上の空にはもう夜になろうとしてる。星が見えるよ」
見あげると紺色に変わりゆく空に星がひとつ光っていた。
大雅との間に少しスペースを取って座る。大雅の横顔が朱色に染まるのを不思議な気持ちで見ていた。
気づいたのだろう、目をカーブさせた大雅が首をかしげた。
「やっぱり、悠花は僕のこと覚えていないんだね」
「え……」
「昔からなんでも顔に書いてある。今は、『この人はいったい誰なんだろう?』って思いっきり書いてある」
思わず両頬に手を当てる私に、大雅は声を出して笑った。
「たとえ話だよ。でも、覚えていないんでしょう?」
「……ごめん」
「いいよ。だって本当に久しぶりだし」
やさしい人だな、と今日何回目かの同じ感想を抱きつつ、もうごまかしている場合じゃないと思った。
「あのね」と迷いながら口を開く。
「大雅くん……大雅が引っ越したのって小学三年生のころなんでしょう?」
「そうだよ」
「私、昔から小さいころの記憶ってほとんどないの。思い出そうとしても思い出せなくて、茉莉や伸佳のことも気づけば幼なじみだったっていう感じなの」
断片的に覚えているのは、幼稚園の庭に大きな桜の木があったこと、おやつをもらうときに手をチューリップの花に見立てて開き、そこに入れてもらっていたこと、小学一年生のときに『先生あのね』ではじまる日記を宿題として書かされていたこと。
どの思い出も、登場人物は自分ひとりきり。
「だから、大雅のこと思い出そうとしても思い出せない。ひどいことだよね。本当にごめんなさい」
大雅の姿はさっきよりも濃い朱色に染まっている。瞳を伏せる横顔は、私のせい。大切な友達を忘れてしまったなんて、自分でもありえないって思うから。
「なあ、悠花」
ふいに大雅がそう言った。
「忘れてしまったことで自分を責めないで。悠花のせいじゃないから」
「え……」
意味のわからない私に、大雅はニッと笑みを浮かべた。
「思い出せなくていいんだよ。これから新しい思い出を作っていけばいいだけだから」
「でも……」
「僕は悠花と新しい思い出を作っていくよ。そのほうが新鮮だもんね」
ひょいと立ちあがる大雅の表情が、逆光で見えなくなる。
ズキンと胸が痛くなった。
自分を責めながら、なぜか大雅から目が離せない。
いつも教室で私は笑っていた。
たのしくてうれしくて、毎日はキラキラ輝いているようだった。
でも、それをあっけなく凌駕するくらい大きな存在が現れたような気がする。
どんな私でも包み込み、やさしく迎えてくれるような……。
――あるわけない。
――こんなの恋じゃない。
何度自分に言いきかせても、どんどん頬が赤くなるのを感じる。
もっと大雅の顔を見ていたい、そう思った。
[第二章]
恋星
「覚えてないんでしょ」
茉莉にそう言われたとたん、私は両手を挙げて『降参』のポーズを取った。
大雅が転校してきて三日が過ぎ、すっかりクラスにも慣れた様子。
元々このクラスにいたかのように、みんなと打ち解けていて、誰よりも私に話しかけてきてくれて……。
私たち四人がなつかしの再会を果たしたことは知れ渡り、すっかりグループ扱いになっている。
だから、覚えていないことを茉莉に指摘され、あっさりと認めることにした。
「助けてよ。本当に覚えてないの」
「全然?」
「全然、ちっとも、まったく」
素直に答えると、茉莉は呆れたような顔になってしまう。
大雅は風邪を引いたらしく、今日は欠席した。
放課後になって思うのは、大雅のいない学校はつまらない。
大雅のいないクラスは物足りない。
すっかり心を奪われていることは認めている。
これを恋を呼ぶのなら、なんて急展開なのだろう。
恋ってもっと、徐々に親しくなる過程で想いが強くなるものだと思っていた。
会ってすぐに好きになるなんて、これじゃあひとめぼれみたい。
下校時刻を過ぎ、クラスに残っているのは茉莉と、委員会で居残りの数名だけだった。
ふと気づくと、茉莉がやけに真剣な顔のままうつむいていた。
「茉莉?」
私の声にビクッと体を震わせたあと、茉莉はあとづけでふにゃっと笑った。
「ごめんごめん。次の試合のこと考えてた」
「なにそれ」
苦笑する私から視線を宙に向けると、茉莉は足をぶらんぶらんと揺らせた。
「前から悠花って昔の話になると記憶があいまいになるよね」
「そうなんだよね。あまり言ってなかったけど、昔の記憶があまりないんだよ。元々忘れっぽいのもあるんだけど」
「そう……」
自分でも声のトーンが落ちたことに気づいたのだろう、茉莉はポンと手を打った。
「じゃあさ、アルバムを見てみたら? 大雅、めっちゃ写ってたよ。むしろ伸佳よりも多いくらいだった」
「アルバムか。そういえば最近見てない気がする」
「それで思い出せないなら、新しい友達として思い出を作っていけばいいじゃん」
大雅が言っていたこととよく似たことを茉莉は言う。
アルバムは押入れの奥にしまいこんでいたはず。まずはそこから思い出していこう。
大きくうなずく私に、茉莉はズイと顔を近づけてきた。
「ズバリ聞くけど、悠花って大雅に恋してるでしょう?」
直球を投げられ、思わず目をつむってしまった。
「あ、違う。そうじゃなくて、そうじゃ……」
恋に免疫のない私には、その球を打ち返すことなんてできない。
モゴモゴと口ごもる私の肩を茉莉はポンポンと軽く叩いた。
「内緒にするから大丈夫。あたしだって直哉への片想いは内緒だし」
「うん……。でも、これが恋なのかどうかわからないの。久しぶりに会ったからうれしいだけかもしれないし」
言いながら、違うなと思った。そもそも覚えていないのだから、そんな感情はないのに。
私は大雅に、茉莉は熊谷くんに、伸佳は茉莉に。
一方通行の恋のベクトルが表示されている。
でも……やっぱりこれが恋なのかはよくわからない。
茉莉は人差し指を口に当て、一日中空席だった大雅の席を見やった。
「昔から大雅って体弱かったんだよね」
「そうなんだ」
「幼稚園で遠足とか行った翌日は、たいてい寝こんでたよ。日常とは違う変化があると、体調が悪くなっちゃうみたい。転入したてで疲れが出たのかもね」
「たしか、ご両親はまだ来てないんだよね?」
今、ひとりで寝こんでいるのなら、心配だ。
きっと不安なんだろうな……。
茉莉がスマホを取り出すと、
「ビタミン系の飲み物と、エナジー系の炭酸飲料、あとはお弁当だって」
とよくわからないことを言った。
「ん?」
「大雅にLINEして必要なものがないか聞いておいたの。『悠花が持っていく』って伝えておいたから」
びっくりしすぎて声の出ない私に、ニヤリと笑ってから茉莉は立ちあがった。
「ほら、あたしが行くと直哉に勘違いされそうでしょう? 伸佳は部活。それに、思い出すなら直接本人に聞くのがいちばんじゃない? LINEに買っていく物リストを送っておくからよろしくね」
「待ってよ。そんなの……」
通学リュックを背負った茉莉が「そうそう」とふり向いた。
「大雅とLINE交換するのが今日の目標ね。ちなみにコロナは陰性だったみたい。じゃ、がんばってね」
ヒラヒラと手を振りながら去っていく茉莉を、私はただ見送ることしかできなかった。
茉莉からのLINEのメッセージには、ご丁寧に大雅の住所まで載っていた。
地図アプリで調べると、夕焼け公園に続く坂道の下にあるマンションに住んでいるらしい。
それにしても、飲み物ってすごく重い。
両手で持っても、指に食いこんでくるエコバッグの持ち手に苦戦しながら、なんとかマンションの入り口に立った。
すっかり汗をかいてしまっている。
「ここか……」
比較的新しめのマンションは十階建てくらいの高さ。
入り口の自動ドアにはロックがかかっていて、そばにあるインターフォンで部屋番号を押して解除してもらわなくてはならないみたい。
部屋番号は二〇五号室。緊張しつつ番号を押そうと指を伸ばすと同時に、勝手に自動ドアが開いた。
え、なにこれ。
「こんにちは」
私に声をかけながら小学生の女の子がなかに入っていった。
自動ドアに近づくと反応して解除するカギでも持っているのだろう。
「あ、こんにちは」
遅れて挨拶をしてから、まだ空いたままの自動ドアをくぐる。
女の子は私を振り返ることなくエレベーターのボタンを押した。一緒に乗るのもなんなので、階段を使い二階へあがることにした。
心臓がずっとドキドキしている。
よく知らない男子の家にひとりで向かっている、という状況がいまだに信じられないし、実感がない。
部屋を見つけ、今度こそ勇気を出しインターフォンを……。
しばらく指を宙で停止させたあと下におろすと、私はエコバッグごと玄関の取っ手にそっとかけた。
高熱で苦しんでいるのなら、起こしてしまうのは迷惑だろう。
お風呂に入れていなかったなら気にするだろうし、余計に気を遣わせてしまうだろうし……。
たくさんの『だろう』が言い訳なのは自分でもわかっている。
でも……これ以上、大雅のことを好きになる状況は作りたくない。
この想いは恋なんかじゃない。
幼なじみの関係だったとしたら、これからもそれを維持したほうが絶対いいに決まっている。
そもそも、昔の記憶を失っているくせに好きになるなんて、大雅からしたら迷惑な話だろうし。
あとで茉莉にLINEで伝えてもらおう。
「すみません」
急にうしろから声がして「ひゃ」と悲鳴をあげてしまった。
ふり返ると、赤いランドセルを背負ったおさげ髪の少女がいぶかしげに私を見ていた。
さっき入り口で会った女の子だ。女の子も思い当たったらしく、少し目を大きくした。
「下で会いましたよね。うちになんの用ですか?」
「え、あの……」
説明しようと足を前に出すと、女の子はサッと右手をあげた。
「近寄らないでください。怪しいと思って、エレベーターを降りずに様子を見ていたんです。防犯ブザーを押しますよ」
女の子の手にプラスチックのボタンがあり、長い紐がランドセルから伸びている。
「あ、あの……ここって山本大雅くんの家でしょうか?」
「個人情報の関係でお教えできません。そういうときはまず、自分の名前から名乗るものです。もちろん身分証明書と一緒に」
右手を差し出す女の子に、慌てて生徒手帳を見せた。
「私、大雅と……大雅くんと同じクラスの――」
「え、ウソ!? 悠花ちゃんだ!」
急に丸い声になった女の子が、うれしそうに白い歯を見せた。
さっきまでの不審な顔と違い、あどけなさでいっぱいになる顔。
「そうだったら早く言ってくださいよ。てっきり不審者かと思っちゃいました」
「す、すみません」
「うわぁ。やっぱり悠花ちゃんってすごく美人なんだね! 昔の写真もかわいかったけど、今は女優さんみたい」
さっきとはあまりに違うテンションに「あ」とか「う」としか反応できない。
「私、妹の知登世、小学三年生です。はじめまして」
手早くカギを開けると、知登世ちゃんは「どうぞ」と右手をなかに差し出した。
「あ、いえ。今日はお見舞いの品を持ってきただけで――」
「おにい~ちゃあん! ちょっと来て~!」
話を聞かずになかに声をかける知登世ちゃんに、今にも逃げ出したくなる。
ガタガタッと洗面所のほうから音がしたかと思うと、
「知登世か!? どうかしたの? ちょっと待ってて」
焦る声が聞こえた。
「早く早く。じゃないと逃げちゃうよ!」
「逃げるって、まさか不審者か!?」
ガラッと開いた扉の向こうから大雅が飛び出してきた。
「キャア!」
思わず声をあげてしまったのはムリもない。
大雅はタオルを一枚巻いただけの裸だったのだから。
「本当にダメな兄で申し訳ありません」
お茶を出してくれた知登世ちゃんが、ペコリと頭を下げた。
「いえ、びっくりしちゃって。私こそすみません」
広いマンションのキッチンスペースには、まだ冷蔵庫しか置いてない。
リビングには四人掛けのテーブルだけがぽつんと置いてある。これから引っ越しの荷物を本格的に運んでくるのだろう。
クーラーがないせいで部屋のなかはサウナ状態。汗が噴き出すなか飲むお茶は冷たくておいしかった。
まだ胸の鼓動は速いままだ。
「いくらシャワーを浴びてたからって、まさかあんな格好で出てくるなんて」
ぶすっと洗面所のほうをにらんだあと、知登世ちゃんはマジマジと私の顔を見た。
「でも、初めて悠花ちゃんの顔を見られてうれしいです。本当にキレイで憧れちゃいます。きっとモテるんでしょうねぇ」
「そ、そんなこと……」
「いえいえ、そんなご謙遜を。すっごくピュアな感じがしてかわいらしいですよ」
これじゃあどっちが年上なのかわからない。
もう一度お茶で喉を潤す。
洗面所からはドライヤーの音が聞こえている。
知登世ちゃんが私を知っているということは、大雅が話をしてくれていたのだろう。それだけでうれしくなってしまう。
「知登世ちゃんはしっかりしてるんだね。防犯対策もしっかりしてて驚いちゃった」
「兄が頼りないから、私がしっかりするしかないんです」
「もう一緒に暮らしているの?」
「いえ」と知登世ちゃんは立ちあがった。
「小学校の入学式は月曜日なので、それまでに引っ越ししてきます。今日は風邪のお見舞いがてら来ただけなんです」
そういえば、大雅の前の住所ってどこなんだろう? 知登世ちゃんがひとりで来られる距離なのだろうか?
「いやあ、ごめんよ」
ジャージ姿の大雅が姿を現した。まだ熱があるのだろうか、顔色は悪いけれど声はいつもと変わりがないように思える。
「ううん。私こそ急にごめんね」
どうしよう、大雅の顔がうまく見られない。絶対赤くなっているだろう自分の顔を見られないようにうつむいてしまう。
チラッと見ると大雅も鼻の頭をポリポリとかいている。
「知登世も来るなら迎えに行くって言っただろ。ひとりで来るなんて危ないよ。事故に遭ったらどうするんだよ」
「平気だよ」
「平気じゃない。車ってすごいスピードで避けるヒマなんてないんだから」
「私はお兄ちゃんよりかはしっかりしてるから大丈夫なの。それより、悠花ちゃんにやっと会えてよかった」
うれしそうに言ったあと、知登世ちゃんはランドセルを背負った。
「え、もう帰るのか?」
きょとんとする大雅に、知登世ちゃんはうなずいた。
「お母さんに黙って来たから、滞在予定時間は三十分だったの。あ、ひとりでここに来たことは内緒だからね」
「それはいいけど、駅まで送るよ」
「目の前にバス停があるのに? 防犯ブザーが鳴ったら飛び出してきてよ。それに……」
と、知登世ちゃんがいたずらっぽい顔で私を見た。
「私がいたらお邪魔でしょうし」
「そ、そんなことないよ」
慌てて言う私に知登世ちゃんは近づくと耳打ちした。
「エッチなことはしちゃダメですからね」
「な……!」
「また引っ越してきたらゆっくりお話ししましょうね。では、失礼します」
仰々しく礼をすると玄関に向かっていく。
大雅が「待ってて」と言い残し、慌てて追いかけていく。
どうしよう、ますます顔が熱い。
大雅はバス停まで送っているのだろうし、私も今のうちに帰ろう。
買ってきたものをリビングのテーブルに置き、玄関を出た。
階段の前まで進むと、ちょうど大雅が駆けあがってきたところだった。せっかくシャワーを浴びたのに、もう汗をかいちゃっている。
「え、もう帰るの?」
「茉莉に頼まれた物を持ってきただけだから」
「じゃあ、途中まで送るよ」
いいよ、と断る前に大雅は部屋のカギを閉めに行った。
……どうしてそっけなくしてしまうのだろう。
家でもクラスでも明るくて楽しい私でいることが自然だったのに、大雅の前だとうまく言葉になってくれない。
何度も『ただの幼なじみなんだから』と自分に言い聞かせても、効果は日々薄れていくよう。
また高鳴る胸をごまかしつつ階段を下りた。
そんな自分が、少しかわいそうに思えた。