「なんでそんなことが言えるのよ」
お母さんの声に、夕食の席はひりついた。
視線は横に座るお父さんにまっすぐ向けられている。
「いつまでも叶人の部屋をそのままにしておけないから整理しよう、って言っただけだろ。別にヘンなことじゃない」
不機嫌に鼻でため息をつくお父さん。
カシャンと乱暴にお母さんが箸を置く音が続いた。
「だから、なんでそんなひどいことが言えるの、って聞いてるの。まるで叶人の存在を忘れようとしているみたいじゃない」
「そんなつもりはない。お前こそ、なんでそんなに突っかかるんだよ」
今日のおかずは肉団子の甘酢とナスのお浸しとコーンスープ。
和食、洋食に中華が混在している。
どれもおいしそうだけど、おいしそうじゃない。
食事は味だけじゃなく、環境や雰囲気が大事なのにな。
私の座る左斜め前の椅子は、二年間以上も主の帰りを待っている。
ぼんやり椅子を眺めていると、
「悠花だっておかしいと思うでしょう?」
お母さんが同意を求めてきた。
いつだってそうだ。
ふたりがケンカをすると私にジャッジを託してくる。
「……え?」
「聞いてなかったの? お父さんが叶人の部屋を片づけるって言ってるの。あの子の存在を消そうとしてるのよ」
「そうじゃない。整理するくらい、いいよな?」
ふたりは私が答えを出せないことを知ってて聞いてくる。
「……ごめん。わからない」
「わからないことないでしょ。なんで自分の意見を言えないのよ」
「そんなんじゃ社会に出たときに苦労するぞ」
ほら、こうして私に矛先を向けることで直接対決を避けているんだ。
ふたりの怒りはベクトルとなり、家族の間を行き来する。
最終的には私に向けられることが多いし、それも仕方ないとあきらめている。
お父さんは食事の途中で席を立ち、自室に戻ってしまった。
お母さんはイライラを隠さずにため息ばかり。
冷めたおかずはどれも同じ味に思えてしまう。
ただ口に入れ飲みこむだけの作業をくり返しているみたい。
「ねえ、悠花」
さっきよりいくぶんやわらかい声でお母さんが言った。
「ひょっとしたら、お父さんとお母さん、別れることになるかもしれない。そうなってもいい?」
私が答えないことを知ってるから聞いてるんだよね?
もう一度、叶人の席を見やった。
叶人が入院する前はどんな会話をしていたのか、思い出そうとしても浮かんでこない。
お互いに無関心を装っていた記憶だけは、永遠に消えないアザ。
叶人との思い出を美化する資格は、私にはない。
重い空気のなかで食べる食事はなんて味気ないんだろう。
久しぶりに入った叶人の部屋は、あのころのままだった。
六畳の部屋は叶人だけの天体観測所。
壁には星の天体図が描かれた大きなポスターが貼ってあり、窓辺にはクリスマスプレゼントでもらった天体望遠鏡が飾ってある。
ベッドの横にある小さな地球儀は、天井に星空を映すことができる簡易型のプラネタリウム。
叶人はいつも星空のことばかり考えていた。
空ばかり眺める叶人には、あまり友達もいないようだったけれど、本人は平気だったみたい。
まだ話をしていた時期に、この部屋に入ったことがあった。
『なんで星ばっかり見てるの?』
そう尋ねた私に、叶人は照れたように笑った。
『僕はね、いつか雨星を見てみたいんだ。雨星が降る日に奇跡が起きるんだよ』
『雨星ってなに?』
『んー。実は僕もよく知らないんだよね。雨星は必要な人が自分で知って、必要な人のもとにだけ現れるんだって』
くしゃっと無邪気に笑っていたっけ。
雨星の意味はわからなかったけれど、偶然見つけた『パラドックスな恋』に同じ単語が出てきたときは驚いた。
私があの小説を愛してやまないのは、叶人の面影を感じられるからかもしれない。
とはいえ、あの小説のなかにも雨星の意味についてははっきりと書かれていなかったけれど……。
机の上には惑星を模ったキーホルダーや、SF映画のチラシが几帳面に飾ってある。
小さい椅子に腰をおろして、部屋を見渡しているとベッドの下になにかあるのが見えた。
絨毯に這いつくばり手を伸ばすと、それは大きな本だった。
図鑑くらいの大きさで、『宇宙物理学における月と星について』という固いタイトルに似つかわしくなく、表紙にはかわいいイラストがクレヨンタッチで描かれている。
パラパラとめくると、図入りで宇宙についてひとつずつ解説をしている本みたい。
本を裏返すと、印刷された紙がラミネート加工されて貼ってあった。
『長谷川私設図書館 う―13469』
ひょっとして……図書館の貸し出し本?
背表紙をめくるけれど貸し出しカードは見当たらない。
思い返せば、長谷川私設図書館の話を叶人がしていた気がする。
『星の本がたくさんある図書館があるんだよ』って……。
叶人が亡くなって二年が過ぎようとしている。
その期間、ずっと借りていたなら大変なことだ。いくら図書館とはいえ、延滞代金の請求があることも考えられる。
「どうしよう……」
お母さんに相談しようと思ったけれど、機嫌の悪さに拍車をかけてしまうのは目に見えている。
とりあえず部屋に本を持ち帰ろう。返却については一度問い合わせてみればいい。
事情を話せばわかってもらえるかも……。
ついでに簡易型のプラネタリウムも借りることにした。
前から興味があったし、このまま整理されてしまうのは惜しい気がしたから。
コードをだらんと垂らしたまま小さな地球儀みたいな機械を手にすると、思ったよりも軽かった。
自分の部屋に戻る。
叶人の部屋と比べると、なんて主張のない部屋なんだろう。
カーテンを閉める前に空を確認した。
今夜は雲が覆っていて、月も星も見えない。まるで我が家のように真っ暗で不穏な空だ。
過去を忘れられないお母さんと、前に進みたいお父さん。
「どっちが正しいと思う?」
そんなこと聞かれても叶人は困るだろう。
どっちを選んだとしても悲しいと思うから、答えることができなかった。
ふたりにはそんな私の気持ちなんてわからないよね……。
カーテンを閉めてから、プラネタリウムをセットし部屋の電気を消した。
スイッチを入れると、モーター音もなく天井にぼやけた夜空が映し出された。
本体の軽さに反して、まぶしいほどの光が機械から放たれている。
脇にあるノズルで調整するけれど、なかなかピントが合ってくれない。
機体は自動で回転するらしく、空も同調してゆっくりと動いている。
ベッドに横になると、まるで山の頂上で寝転んでいる気分。
星の名前はわからないけれど、天の川くらいはわかる。
叶人も同じ星空を見ていたんだね。
叶人のことを、ずっと考えないように生きてきた。
彼の死を思い出すたびに大声で叫びたくなるし、泣けば涙と一緒に思い出までもこぼれ落ちてしまう気がするから。
学校にもちゃんと行けているし、ご飯だって食べられる。
忘れたわけじゃない。
でも、思い出せば、彼に対してやさしくなかった自分のことも同時に悔やんでしまうから。
お父さんとお母さんも、現状の苦しみから逃れたいからこそ変化を望んだり拒んだりしているのかもしれない。
叶人がいなくなってから、居場所がなくなった家族はみんな迷子になっている。
私も同じだよ、叶人。
泣きたくないのに、あまりに人工の星が美しくて視界は潤む。
亡くなったあとで後悔したって遅い。昔、なにかの本に書いてあったことが今さらながら胸を締めつける。
もっと話せばよかった。もっと話を聞いてあげればよかった。
病気になり孤独になった叶人に、私はなんにもできなかった。
涙でゆがんだ星たちは、ぼやけて光っていた。
お母さんの声に、夕食の席はひりついた。
視線は横に座るお父さんにまっすぐ向けられている。
「いつまでも叶人の部屋をそのままにしておけないから整理しよう、って言っただけだろ。別にヘンなことじゃない」
不機嫌に鼻でため息をつくお父さん。
カシャンと乱暴にお母さんが箸を置く音が続いた。
「だから、なんでそんなひどいことが言えるの、って聞いてるの。まるで叶人の存在を忘れようとしているみたいじゃない」
「そんなつもりはない。お前こそ、なんでそんなに突っかかるんだよ」
今日のおかずは肉団子の甘酢とナスのお浸しとコーンスープ。
和食、洋食に中華が混在している。
どれもおいしそうだけど、おいしそうじゃない。
食事は味だけじゃなく、環境や雰囲気が大事なのにな。
私の座る左斜め前の椅子は、二年間以上も主の帰りを待っている。
ぼんやり椅子を眺めていると、
「悠花だっておかしいと思うでしょう?」
お母さんが同意を求めてきた。
いつだってそうだ。
ふたりがケンカをすると私にジャッジを託してくる。
「……え?」
「聞いてなかったの? お父さんが叶人の部屋を片づけるって言ってるの。あの子の存在を消そうとしてるのよ」
「そうじゃない。整理するくらい、いいよな?」
ふたりは私が答えを出せないことを知ってて聞いてくる。
「……ごめん。わからない」
「わからないことないでしょ。なんで自分の意見を言えないのよ」
「そんなんじゃ社会に出たときに苦労するぞ」
ほら、こうして私に矛先を向けることで直接対決を避けているんだ。
ふたりの怒りはベクトルとなり、家族の間を行き来する。
最終的には私に向けられることが多いし、それも仕方ないとあきらめている。
お父さんは食事の途中で席を立ち、自室に戻ってしまった。
お母さんはイライラを隠さずにため息ばかり。
冷めたおかずはどれも同じ味に思えてしまう。
ただ口に入れ飲みこむだけの作業をくり返しているみたい。
「ねえ、悠花」
さっきよりいくぶんやわらかい声でお母さんが言った。
「ひょっとしたら、お父さんとお母さん、別れることになるかもしれない。そうなってもいい?」
私が答えないことを知ってるから聞いてるんだよね?
もう一度、叶人の席を見やった。
叶人が入院する前はどんな会話をしていたのか、思い出そうとしても浮かんでこない。
お互いに無関心を装っていた記憶だけは、永遠に消えないアザ。
叶人との思い出を美化する資格は、私にはない。
重い空気のなかで食べる食事はなんて味気ないんだろう。
久しぶりに入った叶人の部屋は、あのころのままだった。
六畳の部屋は叶人だけの天体観測所。
壁には星の天体図が描かれた大きなポスターが貼ってあり、窓辺にはクリスマスプレゼントでもらった天体望遠鏡が飾ってある。
ベッドの横にある小さな地球儀は、天井に星空を映すことができる簡易型のプラネタリウム。
叶人はいつも星空のことばかり考えていた。
空ばかり眺める叶人には、あまり友達もいないようだったけれど、本人は平気だったみたい。
まだ話をしていた時期に、この部屋に入ったことがあった。
『なんで星ばっかり見てるの?』
そう尋ねた私に、叶人は照れたように笑った。
『僕はね、いつか雨星を見てみたいんだ。雨星が降る日に奇跡が起きるんだよ』
『雨星ってなに?』
『んー。実は僕もよく知らないんだよね。雨星は必要な人が自分で知って、必要な人のもとにだけ現れるんだって』
くしゃっと無邪気に笑っていたっけ。
雨星の意味はわからなかったけれど、偶然見つけた『パラドックスな恋』に同じ単語が出てきたときは驚いた。
私があの小説を愛してやまないのは、叶人の面影を感じられるからかもしれない。
とはいえ、あの小説のなかにも雨星の意味についてははっきりと書かれていなかったけれど……。
机の上には惑星を模ったキーホルダーや、SF映画のチラシが几帳面に飾ってある。
小さい椅子に腰をおろして、部屋を見渡しているとベッドの下になにかあるのが見えた。
絨毯に這いつくばり手を伸ばすと、それは大きな本だった。
図鑑くらいの大きさで、『宇宙物理学における月と星について』という固いタイトルに似つかわしくなく、表紙にはかわいいイラストがクレヨンタッチで描かれている。
パラパラとめくると、図入りで宇宙についてひとつずつ解説をしている本みたい。
本を裏返すと、印刷された紙がラミネート加工されて貼ってあった。
『長谷川私設図書館 う―13469』
ひょっとして……図書館の貸し出し本?
背表紙をめくるけれど貸し出しカードは見当たらない。
思い返せば、長谷川私設図書館の話を叶人がしていた気がする。
『星の本がたくさんある図書館があるんだよ』って……。
叶人が亡くなって二年が過ぎようとしている。
その期間、ずっと借りていたなら大変なことだ。いくら図書館とはいえ、延滞代金の請求があることも考えられる。
「どうしよう……」
お母さんに相談しようと思ったけれど、機嫌の悪さに拍車をかけてしまうのは目に見えている。
とりあえず部屋に本を持ち帰ろう。返却については一度問い合わせてみればいい。
事情を話せばわかってもらえるかも……。
ついでに簡易型のプラネタリウムも借りることにした。
前から興味があったし、このまま整理されてしまうのは惜しい気がしたから。
コードをだらんと垂らしたまま小さな地球儀みたいな機械を手にすると、思ったよりも軽かった。
自分の部屋に戻る。
叶人の部屋と比べると、なんて主張のない部屋なんだろう。
カーテンを閉める前に空を確認した。
今夜は雲が覆っていて、月も星も見えない。まるで我が家のように真っ暗で不穏な空だ。
過去を忘れられないお母さんと、前に進みたいお父さん。
「どっちが正しいと思う?」
そんなこと聞かれても叶人は困るだろう。
どっちを選んだとしても悲しいと思うから、答えることができなかった。
ふたりにはそんな私の気持ちなんてわからないよね……。
カーテンを閉めてから、プラネタリウムをセットし部屋の電気を消した。
スイッチを入れると、モーター音もなく天井にぼやけた夜空が映し出された。
本体の軽さに反して、まぶしいほどの光が機械から放たれている。
脇にあるノズルで調整するけれど、なかなかピントが合ってくれない。
機体は自動で回転するらしく、空も同調してゆっくりと動いている。
ベッドに横になると、まるで山の頂上で寝転んでいる気分。
星の名前はわからないけれど、天の川くらいはわかる。
叶人も同じ星空を見ていたんだね。
叶人のことを、ずっと考えないように生きてきた。
彼の死を思い出すたびに大声で叫びたくなるし、泣けば涙と一緒に思い出までもこぼれ落ちてしまう気がするから。
学校にもちゃんと行けているし、ご飯だって食べられる。
忘れたわけじゃない。
でも、思い出せば、彼に対してやさしくなかった自分のことも同時に悔やんでしまうから。
お父さんとお母さんも、現状の苦しみから逃れたいからこそ変化を望んだり拒んだりしているのかもしれない。
叶人がいなくなってから、居場所がなくなった家族はみんな迷子になっている。
私も同じだよ、叶人。
泣きたくないのに、あまりに人工の星が美しくて視界は潤む。
亡くなったあとで後悔したって遅い。昔、なにかの本に書いてあったことが今さらながら胸を締めつける。
もっと話せばよかった。もっと話を聞いてあげればよかった。
病気になり孤独になった叶人に、私はなんにもできなかった。
涙でゆがんだ星たちは、ぼやけて光っていた。