【プロローグ】



 今朝も、いちばんに教室についたのは私だった。

 カーテンを開ける作業も、もはや日課になりつつある。
 窓からは九月の朝日がサラサラと差し込んでいる。

 窓側にある自分の席に座りぼんやりと教室を眺める。
 今は静かなこの場所も、やがてたくさんの声に包まれるのだろう。
 誰よりも早く登校するのには理由がある。
 最初から教室にいれば自分から『おはよう』を言わなくてもいいから。あとは、家にいたくないからというのもある。

 でもなによりも大きな理由は、『パラドックスな恋』という小説を読むためだ。

 『パラドックスな恋』は小説投稿サイトに掲載されている作品で、書籍化はされていない。
 初めて読んだ日のことは今でも覚えている。
 影絵のような毎日に、この小説はひと筋の光を当ててくれた。

 主人公の名前が私と同じ『悠花(はるか)』というのも、大きな要因のひとつかもしれない。
 小説のなかにいる悠花は、キラキラしていて素直でかわいくて家族仲もよくて
――まるで私とは正反対。だからこそ、憧れてしまうのかもしれない。

 スマホを開き、タイトルを表示させるだけで胸が熱くなる。
 こんなことが実際に起きたらいいな……。
 大好きな小説と同じような起きたなら、私は迷わず主人公と同じ行動を取るだろう。

 さあ、今朝も読もう。
 このたいくつでつらくて悲しい日々を忘れるために。
 指先で『パラドックスな恋』のページをめくれば、周りの音は遠ざかっていく。

 文字たちは誘う、物語の世界へ――。



小説投稿サイトBENOMA 作品番号3216090



『パラドックスな恋』


著:ITSUKI



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[第一章]

再会星



 二学期がはじまると同時に、夏のにおいはどこかへ消えてしまったみたい。

 朝というのにすでに暑く、登校中はセミの鳴き声もまだ聞こえている。
 それでも、体にまとわいついていた夏が体からはがれてしまった感じがした。
 教室に入ると、久しぶりに会うクラスメイトに勝手に笑顔になってしまう。

悠花(はるか)、久しぶり!」「またかわいくなったんじゃない?」「あー、悠花に会いたかったよ~」

 私も会いたかったよ。
 やっぱり教室に入るとテンションがあがってしまう。
 手を取り合ったり、スマホで写真を撮ったりしながら窓側の席にたどり着く。

 ああ、今日もすごくいい天気。
 一か月ぶりに見る四角く切り取られた青空、遠くに見える山の風景がなつかしい。まるで風景が今日という日を応援してくれているみたい。

「悠花、おはよう」

 前の席の茉莉(まり)が、椅子ごとうしろ向きになって言った。
 最近伸ばしているという髪は、肩にかかりそうなほど長くなっている。
 茉莉のうらやましいところは、日焼け止めを塗っていない割に、昔から白い肌をキープし続けているところだ。私なんて、SPF50の日焼け止めを重ね塗りしまくっているというのに。

「なんか久しぶりに会う気がするよねー」

 髪を耳にかけながら茉莉はうれしそうに言った。

「久しぶりじゃないよ。昨日一瞬だけ会ったよね?」

 窓を開けるとやわらかい風が鼻をくすぐった。
 やっぱりもう季節は秋に傾いている。
 見ると、茉莉は心外とでも言いたそうに眉をひそめている。

「会ったって言っても交差点のところで一瞬だけでしょ。そもそも、悠花は車に乗ってたし。悠花のおじさん、あたしの名前を大声て呼ぶのやめてくれないかな。めっちゃ恥ずかしかったんだから」

 茉莉とは昔から家が近所。つまり、幼ななじみってやつだ。
 幼稚園のころからよく知っているけれど、まさか高校まで同じになるとは思わなかった。

 この辺りは田舎だし、クラスメイトには小学生時代から知っている子もちらほらといる。

「夏休み最後の日は家族で外食って決まってるからね」

 昨日は数か月ぶりに焼き肉を食べに行った。
 いくら髪に匂いがついたとしても、あのおいしさにはかなわない。
 お母さんなんて、ご飯をお代わりまでしてたし。

「悠花んとこは家族仲よすぎ。うちなんてろくに会話もしないのにさ」
「そうかな。普通だと思うけど」
「ぜんぜん普通じゃないって。悠花ん家を見てると、外国のホームドラマを見ている気分になるもん」

 そこまで言ってから茉莉は「違うな」と眉をひそめた。

「おじさんやおばさんはホームドラマだけど、悠花は学園ドラマの絶対的主役って感じ」
「私が主役? ないない」

 脇役のひとりならわかるけど、主役はさすがに言いすぎだ。
 手を横に振ると、茉莉はずいと顔を近づけてきた。

「前から言ってるけどさ、悠花はめっちゃかわいいしキラキラしてるんだからね。そこを認めないのはずるいよ」

 ずるいと言われても困ってしまう。
 私からすれば茉莉だってかわいいし、ほかの子だってみんなそう。けれど、否定しても茉莉は決して許してくれない。
 長年のつき合いだからわかること。

「ありがと」

 これが正解の返答だということは、長年の経験で身に染みている。
 方眉をあげたまま、茉莉はゆっくりうなずいた。
 コミカルな仕草もかわいいって伝えたいけれど、今は話題を変えるほうが先だ。
「それより茉莉、夕べってどこに行ってたの? 珍しくメイクしてなかったっけ?」

 車の後部座席から手を振っただけなのでよく見えなかったけれど、見慣れないワンピースを着ていた気がする。

「実はね……」

 茉莉は周りに誰もいないことを確認すると、私の耳に顔を近づけた。

直哉(なおや)と会ってたの」
「直哉……って、まさか熊谷(くまがい)くんのこと? え、つきあってたっけ?」

 ひゃーと声が出そうになる私に、茉莉は「シッ」と人差し指を唇に当てた。

「まだそんなんじゃないよ。急に誘われてさ、悠花に相談しようと思ったんだけど、なんだか恥ずかしくって……」

 てっきり『偶然会った』とか『夏休みの課題を写させてあげた』という理由だと思っていたから、今度こそ本気で驚いてしまう。

「待って。熊谷くんのこと、前から好きだったっけ?」

 熊谷くんはまだ登校していない。教壇前にある彼の席をさす指を、茉莉はむんずとつかんできた。

「やめてよ。まだ内緒なんだから」

 私も茉莉も、熊谷直哉くんとは高校二年生になってから初めて同じクラスになった。
 たまにしゃべることもあるけれど、まだ苗字でお互いを呼び合う間柄だ。茉莉も同じだったはずなのに……。

「それがさあ、夏休み前に本屋さんでバッタリ会ってね、たまたま同じ小説を手にしてたの。それがきっかけでLINE交換して、たまに連絡し合ってる感じ」
「へえ……」

 頬を赤らめる茉莉に、思わず何度もまばたきをしてしまう。
 でもまあ、共通の趣味ってたしかに萌えるよね。
 前は茉莉だって『熊谷くん』って呼んでいたのに、もう下の名前を呼び捨てにしている。

 夏休み中に進展があったのだろうけれど、茉莉が恋をするなんて驚きしかない。

「そっちのほうが恋愛ドラマの主人公じゃない」

 茉莉は「ちょ!」と大きな声を出してから、慌てて亀のように首を引っ込めた。

「デートとかじゃないよ。一緒に本屋さんに行っておすすめの本を教えてもらっただけなんだから。あ、帰りにお茶はしたけど」

 それはもうデートなんじゃないかな。
 茶化すのもはばかられうなずいておく。

 結局、みんな私よりリア充ってことだよね。まさか茉莉までそうなるとは予想外だったけれど、友達の恋は素直に応援したい。
 からかわれないことにホッとしたのか、茉莉は大きく息を吐いてから憂いを帯びた瞳を向けてきた。

「悠花もさ、そろそろ好きな人作ったら?」
「えー、私はまだいいよ」
「親友からの進言。人生のなかでいちばん若いのは、いつだって今この瞬間なんだよ。昔から『恋せよ落とせ』って言うじゃない」

 きっと茉莉は、『恋せよ乙女』って言いたかったのだろう。
 でも、好きな人を作ろうと思って作れるものなの?

 私にはまだわからない。

 私は家族のことも友達のことも、みんなが同じくらい好きだし、今のままで十分楽しいと思っているし。
 まるで私の思考を読んだように茉莉はわざとらしくため息をついた。

「あたしの夢は、悠花に恋人ができること。そりゃあ、悠花に恋人ができたらクラスの男子はおもしろくないだろうけどさ、フリーじゃなくなったほうがあきらめがつくってもんだよ」

 茉莉は私のことを昔から過大評価しすぎだ。
 たしかに告白をされたことはあるし、町で声をかけられたこともある。
 恋だって一応は経験済みだ。けれどどれも風邪みたいに数日たつと熱は下がってしまい、あとかたも残らなかった。

「悠花にも恋する気持ちを知ってもらいたいなあ」

 ぽわんと宙を見あげる茉莉に「そこまで」とストップをかけた。

「急に恋愛の達人っぽくなるのやめてよね。ていうか、熊谷くんとつき合うの?」

 茉莉はゆっくりと小首をかしげてみせると、軽くため息をついた。

「まだわからないよ。あたしは自分からは告白しないって決めてるから」
「なんで? 好きなら告白しちゃえばいいのに」
「声が大きいって」

 きょとんとする私に茉莉は声を潜めた。

「自分から好きだって言ったら、その時点でハンデを背負ってる感じがするもん。最初に好きになったのは相手のほう、ってことにしたいの」

 そういうものなのかな? 私にはまだわからない。
 また憂いのあるため息をつく友が、なんだか遠くに思えてくる。
 ガタッと椅子を鳴らして立ちあがった茉莉が、「おはよう」と言いながら駆けていく。
 見ると、ウワサの人である熊谷くんが教室に入ってきたところだった。
 茉莉を見つけるとうれしそうに頬を緩ませている。
 はたから見れば、熊谷くんも茉莉のことを好意的に思っているのがわかる。

 両片想いなんてそれこそドラマ的展開。素直にうらやましいと思った。
 鳴り出したチャイムの音さえも、ふたりを祝福しているように感じてしまう。

 茉莉が幸せになれますように。
 そんな願いを口のなかで唱えていると、ドタドタと足音が近づいてきた。ふり向かなくても誰が登校してきたのかわかる。