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「最近、珍しいやつと一緒にいるじゃん」
ガコン、と飲み物が自販機の取り出し口に落下した音と、紗雪のその声が重なった。
「え?」
「村瀬。仲良かったっけ?」
ジュースを取り出すために身をかがめながら紗雪が口にした名前に、勝手に心臓が跳ねる。村瀬。夏帆の名字だ。
「……家が、近所で」
なんと答えるか逡巡した挙げ句、そのように返す。姿勢を戻した紗雪は、へえ、と驚いたような声を上げながら、ストレートのロングヘアをかきあげた。
「初耳。今まで話してるとこ見たことなかったし」
「う、ん。実際、小学校の後半あたりからほとんど話してなかったけど」
ちょっと最近、色々あって。
そう続けると、紗雪が買ったばかりの紙パックのジュースにストローを挿しながら、目を細める。
勝手に品定めされているような気になって、曖昧に笑って視線をそらした。
「へえ。いや、あたしらとはタイプが全然違うからさ」
「まあ……」
「話とか合わないんじゃね? って気になって」
からから、と軽快に紗雪が笑う。愛梨は手持ち無沙汰に、ジュースを買うために持ってきた小銭をチャリチャリと手の上で遊ばせる。
「……そんなことないよ」
小さく、そう返答することしかできなかった。
なぜだか、紗雪と視線をあわせられなくて。
そんな自分が、嫌だと思った。
* * *
紗雪から夏帆との関係を尋ねられたとき、「幼なじみだよ」「昔はよく遊んでたんだよ」と返すことだってできたはずだ。それをしなかったのは、妙に口ごもってしまったのは、結局のところ「夏帆と一緒にいる自分」が紗雪たちにどう見られるのかを、気にしてしまったからだ。
……夏帆は、どこのグループにも属さずにひとりでいることから、クラスの中で少々浮いている。誰とも馴染めずに、いつもひとりで本を読んでいる暗い子。中学生のときから、そういったイメージで見られがちだった。
はっきりと夏帆のことを見下すような、嘲笑するような陰口を叩いている場面にも、遭遇したことがある。そんなときだって、愛梨はいつも、口元を引きつらせたように笑うことしかできなかった。
(……嫌だな)
助けてもらったのに。昔はあんなにたくさん遊んだのに。……夏帆が意外とあっけらかんとしていて喋りやすい性格であることも、知っているのに。
周囲からの評価を気にして、夏帆と一緒にいるところを見られたことに、後ろめたさのようなものを感じてしまった自分。
最低だ、と肩を落とす。重い足を引きずりながら、帰路を進んでいく。
家まであとわずか。近所の公園の前を差し掛かったときのことだった。
「市川さん」
とどこかから声をかけられた。
足を止めて、周囲を見渡す。と、声の主は公園の中にいた。
「……夏帆? こんなとこで、何やってんの」
夕方の、子どもたちがはしゃいだ声を上げながら走り回っている公園内。その一角に据えられたベンチの前に、ひとりで佇んでいたのは夏帆だった。
「市川さんを、待ってた。そういえば、薬について伝え忘れたことがあると思って」
ちょいちょい、と手招きされ、とっさに周囲に視線を走らせてしまう。知り合いは誰もいない。
……また、無意識に「周りの目」を気にしてしまった。
そんな自分に対する苛立ちを足取りににじませながら、夏帆のもとへと足を運ぶ。
彼女が先にベンチに座り、隣をぽんぽんと叩いて示すので、愛梨もそこに腰掛けた。
「なに? 改まって」
「うん、あの薬なんだけどね。実は、制限があるんだ」
少し離れた場所の地面を見つめながら、夏帆がそう切り出した。こちらを見ずに話すその様子に、思わず姿勢を正す。
これは、もしかして深刻な話ではないだろうか。
「……制限?」
「そう」
制限。
改まって伝えるような制限とは、なんだろう。
(……もしかして、使うたびに何かが消費されるとか?)
そう、例えば。
──命とか?
頭をよぎったその考えに、思わずベンチから立ち上がってしまう。夏帆はそんな愛梨を落ち着いた瞳で見上げてくる。
「ちょ、ちょっと待って」
スカートに手を突っ込み、ガラス瓶を取り出した。透明なその中には、まだ色とりどりの薬がたくさん残っていた。
「せ、制限って……」
「ああ、まだそれなりに残ってるね」
うろたえる愛梨をよそに、ガラス瓶の中を見た夏帆は、平坦な声でそう言った。
「それ、もう予備とかないから。その中に入ってる分で全部」
夏帆の細い指が、ガラス瓶を指し示す。
「制限ってのは、そのこと。全部飲んだらもう魔法使えないよって話」
「……え、それだけ?」
「それだけ」
体から、どっと力が抜ける。妙な想像を膨らませ、勝手に怯えてしまった自分が馬鹿みたいだ。
「な……なんだ。ビビらせないでよ」
「ビビった?」
「なんかもっと、重大なデメリットとかあるのかと思った!」
安堵から脱力した体を投げ出すようにして、再びベンチに腰掛ける。背もたれに両腕を預けるようにして、だらりと行儀悪く空を仰ぐ。夕焼けに染まっていく空は、水色からピンクへと鮮やかなグラデーションを描いていた。
「おばあちゃんが、そんなデメリットのある魔法の薬を渡すわけない」
きっぱりと言い切る夏帆の発言には、妙に説得力がある。彼女が祖母のことを今でも心底信頼し、愛しているからこそ断言できるのだろう。
けれど、それがわかるからこそ、やはり疑問に思うのだ。
(……そんな、大好きなおばあちゃんからもらった薬を、ほんとにまるっと私に手渡しちゃっていいの?)
ガラス瓶を掲げる。透明な瓶は空の色を透かし、鮮やかに染まった。
「……ねえ、夏帆はさ」
「うん」
「この薬、使わないの?」
夏帆は、はるか昔の幼い約束を、ずっと覚えてくれていた。その約束通り、愛梨を助けるために、この魔法の薬を渡してくれた。
けれど、こんな魅力的な薬をそう簡単に手放すなんて、愛梨にはできそうにない。このガラス瓶の中身がすべてなくなれば、もう予備はないという話もつい先程聞いたばかりだ。
……夏帆は本当に、魔法の薬をすべて愛梨に預けたままで、良いのだろうか?
けれど、そんな愛梨の懸念とは裏腹に、夏帆はあっさりとこう答えた。
「うん。それはもう、私には必要のないものだから」
ガラス瓶に向けていた目を、夏帆に転じる。背もたれに深く体を預けているため、彼女の後頭部しか見えない。その頭の形を縁取るように、夕日が黒髪に反射していた。
「……必要ない、って?」
「前にも言ったけど。私も、何度か魔法の薬を飲んだことがあるんだ」
うん、とうなずいて体を起こす。夏帆は、遊具で遊んでいる子どもたちの方をまっすぐに見つめていた。
「でも、その中で二回だけ、時間を戻してもどうにもならないことがあった」
「……どうにも、ならないこと?」
そう、とうなずいて夏帆は目を細める。その瞳は遠く、ここではないどこかを見つめていた。
「一回目は、おばあちゃんが死んじゃったとき」
息をのむ。
夏帆は、自嘲するように僅かに唇の端を歪めた。初めて見る表情だった。
「馬鹿だよね。おばあちゃんが亡くなったのは、事故とかじゃなくて病気だったんだから。亡くなる前に時間を戻したところで、どうにもならないのに」
それでも幼い夏帆は、祖母が死んでしまうのがどうしても嫌で、時間を巻き戻したのだ。そして二度目の「祖母の死」を経験し、どうにもならない運命もあるということを知った……。
それは、小さな彼女の心にとって、どれほどの苦しみだっただろう。何度時間を巻き戻しても、大好きな祖母の死は避けられないと理解しなければならなかったことは。
「……二回目は?」
愛梨の問いかけに、夏帆は少しの間を置いてから、「二回目は」と口を開いた。
「二回目は、実は薬を使う前にやめたんだ」
「……どういうこと?」
「わからなくなって」
抽象的な答えに、愛梨は眉をひそめる。しかし夏帆は、それ以上は語らないと言わんばかりに、鞄を肩にかけるとベンチから立ち上がった。
「ともかく。その二回の『どうにもならないこと』があって、それで私は魔法の薬の力を借りるのはやめたんだ」
夕日を背負いながら、夏帆が振り返る。逆光でよく見えなかったが、うっすらと微笑んでいるように見えた。
「だから、持ってていいよ」
そう言い残して、夏帆は「先、帰るね」と公園から立ち去っていった。残された愛梨は、しばらく夕日を眺めながら、彼女が言ったことについて考えを巡らせていた。
わからなくなって、とは、どういう意味だろう。彼女に、何があったのだろうか。
しかしいくら考えても答えは出ず、公園から子どもたちの姿がすべて消えてから、ようやく愛梨もベンチから立ち上がった。